CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

鷹取駅で甲種輸送待機中のJR北海道733系車両 on 2018-5-24&2018-5-25

2018年05月31日 06時44分46秒 | 神戸情報
2018年5月25日(金)、川崎重工・車両カンパニーが製造したJR北海道733系車両の
甲種輸送が行われました。

構成は733系(B-3210&B-3110編成)+(B-3211&B-3111編成)だそうです。

本ブログでは鷹取駅で甲種輸送待機中のJR北海道733系車両を写真紹介します。


上の写真は2018年5月24日撮影のJR北海道733系車両


上の写真は2018年5月25日撮影のJR北海道733系車両
 B-3211の3両編成

Wikipediaより733系車両の解説を引用紹介します。

733系電車(733けいでんしゃ)は、北海道旅客鉄道(JR北海道)が2012年(平成24年)に
導入した通勤形交流電車である。
1996年から運用されている731系電車の設計コンセプトを基本として、その後の新技術の
導入やユニバーサルデザイン・バリアフリー対応の要求を満たすために、仕様の変更が
行なわれている。札幌近郊の普通列車に使用される0番台(3両編成)と、主に快速
「エアポート」に使用される3000番台(6両編成)、さらに函館近郊の北海道新幹線
アクセス列車「はこだてライナー」に使用される1000番台(3両編成)がある。


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相楽園 船屋形の内部公開 on 2018-5-27

2018年05月31日 04時06分00秒 | 神戸情報
2018年5月27日、神戸市中央区の相楽園で船屋形の内部公開があり、参加
してきましたので写真紹介します。

このイベントには2008年11月2日(日)以来2回目の参加です。
この時のブログへリンクしておきます。
 相楽園 船屋形 on 2008-11-2

相楽園の船屋形は、江戸時代に姫路藩主が河川での遊覧用に使っていた川御座船
(かわござふね)の屋形部分だけを陸上で保存したものです。

相楽園 船屋形の基本情報
保管先(相楽園)の住所:神戸市中央区中山手通5-3-1 TEL:078-351-5155
船屋形の構造・形式:木造1重2階、切妻造段違、檜皮葺 桁行五間、梁間一間
          1階 21.87㎡ 2階 21.87㎡ 合計 43.74㎡
築造年:天和2年(1682)から宝永元年(1704)と推定(本多候が姫路藩に入封の時期)
重要文化財:昭和28年(1953)8月29日 指定
旧重要美術品:昭和12年(1937)5月27日 認定


まず、船屋形の外観全体の写真を添付しておきます。(下の3枚の写真)







川御座船の説明(下の写真)


船屋形は2階建てで1階、2階とも3部屋に分かれた構造になっています。(下の写真)
出典:当日配布された資料


2階の前方にあるのは船の指揮を執る「床几(しょうぎ)の間」。中央の一段高くなっている
部屋は、藩主が座る「上段の間」。一番後ろは家臣らが控える「次の間」です。

現存する御座船は他に細川家波奈之丸舟屋形、西光寺船屋形茶室(香川県)
ありますがいずれも海上用で川御座船としては全国唯一のもので昭和28年(1953)
8月29日に国の重要文化財に指定されています。


上の写真は蜂須賀候参勤交代御船行列絵巻 御召御座


上の写真は上記御座船の説明文

相楽園の船屋形は昭和53年(1978)3月1日 牛尾吉朗氏より神戸市に寄贈
を受けて昭和55年(1980)3月31日 牛尾吉朗氏の舞子の自宅から相楽園へ
移築工事を実施完成しました。
さらに、平成13年(2001)神戸市が半解体修理工事を実施し現在に到っています。

牛尾吉朗氏の父親である牛尾健治氏は昭和14年(1939)兵庫県印南郡北浜村字北脇
の川本直助氏から船屋形を購入し所有者となりました。
(神戸市垂水区舞子の牛尾邸内に移設)

牛尾健治氏は 昭和16年(1941)の復元工事で上下各3室とし、屋根も瓦屋根
から桧皮葺に戻しました。

工事の指導は築地本願寺、東京都慰霊堂、大倉集古館、橿原神宮、平安神宮など
数多くの建築を手がけた工学博士 伊東忠太氏(1867-1954)が担当しました。
監督官庁は文部省宗教局保存課

一連の工事の詳細は牛尾健治氏の編著書 船屋形, 彰国社, 1942.3に掲載されて
います。

船屋形の歴史を時代順に整理しておきます。

1682~1704 姫路藩主本多忠国の在城時姫路藩公の御座舟として建造。
   現在復元された金色の飾金具に榊原氏の紋が刻まれているがその裏面に本多家の
   家紋が刻印されていることから上記の建造年代が推定されている。

明治初年(1868)までは飾磨港附近に係留されていました。
明治初年(1868) 高砂の川本氏の所有となる。
         陸揚げに伴い不要となった船体部分は解体。1階部分を茶室として
         利用するため高さを上げられた。次の間も解体された。





上の3枚の写真は川本氏所有時代の船屋形
 出典:牛尾健治氏の編著書 船屋形, 彰国社, 1942.3

 詳細は下記ブログで記載しています。
  相楽園 船屋形の復元前の写真 (昭和16年以前)

昭和12年(1937)5月27日 重要美術品に認定
昭和14年(1939)12月25日 所有者が牛尾氏となる。(神戸市垂水区舞子の牛尾邸内)
         昭和16年の復元工事で上下各3室とし、屋根も瓦屋根から桧皮葺に
         戻す。
昭和28年(1953)8月29日 重要文化財に指定
昭和53年(1978)3月1日 牛尾吉朗氏より神戸市に寄贈
昭和54年(1979)4月1日 相楽園内で復元工事開始
         
昭和55年(1980)3月31日 相楽園への移築工事が完成
平成13年(2001) 半解体修理工事実施


前置きが長くなりましたがいよいよ本論の内部公開の写真に移ります




上の2枚の写真は1階部


上の写真は2階の次の間と階段


上の写真は2階の次の間のおもかじ側内部壁面。


上の写真は2階の床几(しょうぎ)の間


上の写真は川御座船の模型


上の写真は2階上段の間の蟇股(かえるまた)
榊原家の「九本骨御所車紋」説明によると裏は「丸に本の字紋」本多家だそうです。

天井や壁面、柱材は木肌の見える「春慶塗」で、建具などは黒漆塗で仕上げられて
います。化粧天井では「次の間」の春慶塗が新しい為、「上段の間」のそれと比較して
淡い色で木の目地がハッキリと出ていました。


上の写真は上段の間。
当日、全体の写真を撮れなかったので牛尾健治氏の編著書 船屋形, 彰国社, 1942.3
よりもってきました。
図版16 上段の間(2階)の内部
江戸時代に川御座船として使用されていた状況に近い状態であったようです


上の写真は2階上段の間の内部、長押(なげし)の錺(かざり)金具




上の2枚の写真は猪目(いのめ)紋


上の写真は梁下の実肘木(さねひじき)
桁を直接支えている肘木です。




上の2枚の写真は補修した時の継ぎの跡 各所に見られた


上の写真は構成部材年代別図です。 当日配布の資料より

何故、船屋形が川御座船と判明したのか?

解体時に墨書があり「御召川」「御座」の文字があった。(上の写真)

最後に外部の見どころである 舞良戸(まいらと)について
横桟の間の金箔押しのことであるが剥げている部分もある。
メンテナンスが大変だなと感じました。

上の写真は外部の近景で舞良戸を示した

関連ブログ:相楽園 船屋形の復元前の写真 (昭和16年以前)

      相楽園 船屋形 on 2008-11-2

      相楽園 on 2008-4-29

      第60回神戸菊花展 in 相楽園 on 2010-10-26

      旧小寺厩舎と旧ハッサム邸
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楠公武者行列 on 2018-5-26 (その3)完 神幸列甘南備神社(じんこうれつかんなびじんじゃ)

2018年05月30日 05時04分47秒 | 神戸情報
楠公武者行列シリーズの第3弾で今回は神幸列甘南備神社(じんこうれつかんなびじんじゃ)
の行進を動画と写真で紹介します。

楠公武者行列の概要について第1弾(その1)で記載していますが再掲します。

2018年5月26日(土)、楠公武者行列が5年ぶりに開催されました。

楠公さんと親しまれている楠木正成が、元弘3年(1333)6月、幽閉されていた
隠岐から京に戻る途中、後醍醐天皇を神戸で迎え、都まで先導した行列
を再現したものである。


当日(2018-5-26)のイベントの内容は下記のとおり。

午前9時半 発輿(はつよ)祭  (湊川神社本殿及び本殿前庭)

午前10時 楠公武者行列(御神幸)湊川神社出発→メルカロード宇治川→11:10 湊川公園到着

午前11時半 御旅所祭  (湊川公園 斎場)

午後 1時 楠公武者行列(御神幸) 湊川公園出発→新開地商店街→14:00 ハーバーランド
     →乙仲通→15:00 元町商店街→16:00 湊川神社着

午後4時頃 還御祭  (湊川神社本殿及び本殿前庭)

楠公武者行列は下記の3つのパートから成っています。
 (1)前陣武者列(ぜんじんむしゃれつ)

 (2)神幸列本社(じんこうれつほんしゃ)

 (3)神幸列甘南備神社(じんこうれつかんなびじんじゃ)


全部で69役 総勢約700名の行列で行列の長さは約1Kmにも及びます。

その1、その2と同様に11時頃荒田町付近を通過した神幸列甘南備神社の行列を
紹介していきます。

神幸列甘南備神社

第13梯団

No.55 高張提灯(たかはりちょうちん)

No.56 社号旗(しゃごうき)

No.57 童(舞武者・武者・侍女(まいむしゃ・むしゃ・じじょ))

第14梯団
No.58 風流傘(ふうりゅうがさ)

上の写真は行列出発前、湊川神社拝殿前の風流傘(ふうりゅうがさ)

No.59 御楯(おんたて)

No.60 御桙(おんほこ)

No.61 御弓(おんゆみ)

No.62 御胡簶(おんやなぐい)

No.63 御劒(おんつるぎ)

No.64 紫御翳(むらさきのおんさしは)

No.65 菅御翳(すげのおんさしは)

第15梯団
No.66 葱華輦(そうかれん)

上の写真は行列出発前、湊川神社拝殿前の葱華輦(そうかれん)

甘南備神社の神輿です。輿丁は兵庫高校の皆様が務めました。

神輿の屋根の上には葱坊主形の吉祥飾りがありこのことから葱華輦(そうかれん)
と呼ばれています。紫色の帳は落ち着きがあり優雅な姿でした。


No.67 権禰宜(ごんねぎ) 騎馬

No.68 供奉員(ぐぶいん)

ここまでの行列を動画にて紹介します。
楠公武者行列 on 2018-5-26 その8 神幸列甘南備神社(じんこうれつかんなびじんじゃ) 第13梯団から第15梯団



第16梯団
No.69 稚児(ちご) 人力車


No.57童(わらべ)とNo.69稚児(ちご)が当日の午後、湊川公園を出発する様子を
動画で紹介します。

楠公武者行列 on 2018-5-26 その9 神幸列甘南備神社 No.57童(わらべ)とNo.69稚児(ちご)の行列



上の写真は行列出発前、湊川神社拝殿前の御楯(おんたて)などの持ち物


上の写真は楠公武者行列順路
ハーバーランドや元町商店街にも行列が巡行されましたが、午前中で歩き疲れ
写真を撮りに行きませんでした。


上の写真は湊川神社拝殿前の風流傘、葱華輦、大神輿

2013年に挙行された楠公武者行列のブログ

 楠公武者行列 on 2013-5-26 (その1)

 楠公武者行列 on 2013-5-26 (その2)

 楠公武者行列 on 2013-5-26 (その3)完 神幸列甘南備神社


最後に神戸佳族 Vol.68(2018-9-10)で解説された「神さまの行列-威儀物(いぎもの)」
を添付しておきます。



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楠公武者行列 on 2018-5-26 (その2) 神幸列本社(じんこうれつほんしゃ)

2018年05月29日 04時12分56秒 | 神戸情報
楠公武者行列シリーズの第2弾で今回は神幸列本社(じんこうれつほんしゃ)の行進を
写真紹介します。

楠公武者行列の概要について第1弾(その1)で記載していますが再掲します。

2018年5月26日(土)、楠公武者行列が5年ぶりに開催されました。

楠公さんと親しまれている楠木正成が、元弘3年(1333)6月、幽閉されていた
隠岐から京に戻る途中、後醍醐天皇を神戸で迎え、都まで先導した行列
を再現したものである。


当日(2018-5-26)のイベントの内容は下記のとおり。

午前9時半 発輿(はつよ)祭  (湊川神社本殿及び本殿前庭)

午前10時 楠公武者行列(御神幸)湊川神社出発→メルカロード宇治川→11:10 湊川公園到着

午前11時半 御旅所祭  (湊川公園 斎場)

午後 1時 楠公武者行列(御神幸) 湊川公園出発→新開地商店街→14:00 ハーバーランド
     →乙仲通→15:00 元町商店街→16:00 湊川神社着

午後4時頃 還御祭  (湊川神社本殿及び本殿前庭)

楠公武者行列は下記の3つのパートから成っています。
 (1)前陣武者列(ぜんじんむしゃれつ)

 (2)神幸列本社(じんこうれつほんしゃ)

 (3)神幸列甘南備神社(じんこうれつかんなびじんじゃ)


全部で69役 総勢約700名の行列で行列の長さは約1Kmにも及びます。

その1と同様に11時頃荒田町付近を通過した御神幸の行列を紹介していきます。

神幸列本社

神幸列本社は湊川神社の御祭神大楠公の御霊を載せた本社大神輿の列です。
大神輿は金色の外装に屋根の鳳凰さらに朱の鈴紐が煌びやかさに鮮やかさを兼ね備え
神聖が感じられるものです。
神輿の担ぎ手は「輿丁(よちょう)」と呼ばれ直垂(ひたたれ)姿に太刀を腰に差した
姿は南北朝時代を偲ぶ武者行列ならではの姿といえます。

第9梯団
No.35 鉄杖(てつじょう)

No.36 高張提灯(たかはりちょうちん)

No.37 道楽太鼓(みちがくたいこ)

No.38 一鼓(いっこ)

NO.39 荷鉦鼓(にしょうこ)

No.40 伶人(れいじん)

第10梯団
No.41 四神旗(ししんき)

No.42 切麻散米(きりぬささんまい)

No.43 御楯(おんたて)

No.44 御鉾(おんほこ)

No.45 御弓(おんゆみ)

No.46 御胡簶(おんやなぐい)

No.47 御太刀(おんたち)

No.48 紫御翳(むらさきのおんさしは)

No.49 菅御翳(すげのおんさしは)

No.50 隋身(ずいしん)

これまでの行列の様子を動画で紹介します。
楠公武者行列 on 2018-5-26 その6 神幸列本社 第9梯団から第11梯団


第11梯団
No.51 神輿(みこし)


上の写真は湊川神社で出発前の大神輿です。

第12梯団
No.52 御幣(ごへい)

No.53 御巫(みかんこ)騎馬 みかんなぎとも読むか?

No.54 宮司 騎馬

これまでの行列の様子を動画で紹介します。
楠公武者行列 on 2018-5-26 その7 神幸列本社 第11梯団から第12梯団


次に10時27分頃、湊川神社を出発した神幸列本社の行列を動画で紹介します。
楠公武者行列 on 2018-5-26 その11 神幸列本社


さらに、湊川公園で行われた御旅所祭の様子を動画で紹介します。
楠公武者行列 on 2018-5-26 その10 湊川公園での御旅所祭



上の写真は楠公武者行列順路
ハーバーランドや元町商店街にも行列が巡行されましたが、午前中で歩き疲れ
写真を撮りに行きませんでした。

このシリーズの過去のブログ:
 楠公武者行列 on 2018-5-26 (その1) 前陣武者列


上の写真は湊川神社の社務所で販売されている大楠公像




上の2枚の写真は湊川神社で出番を待つ楠公武者行列の持ち物など

最後に神戸佳族 Vol.68(2018-9-10)で解説された「神さまの行列-威儀物(いぎもの)」
を添付しておきます。


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楠公武者行列 on 2018-5-26 (その1) 前陣武者列

2018年05月28日 06時02分23秒 | 神戸情報
2018年5月26日(土)、楠公武者行列が5年ぶりに開催されました。

楠公さんと親しまれている楠木正成が、元弘3年(1333)6月、幽閉されていた
隠岐から京に戻る途中、後醍醐天皇を神戸で迎え、都まで先導した行列
を再現したものである。

当日(2018-5-26)のイベントの内容は下記のとおり。

午前9時半 発輿(はつよ)祭  (湊川神社本殿及び本殿前庭)

午前10時 楠公武者行列(御神幸)湊川神社出発→メルカロード宇治川→11:10 湊川公園到着

午前11時半 御旅所祭  (湊川公園 斎場)

午後 1時 楠公武者行列(御神幸) 湊川公園出発→新開地商店街→14:00 ハーバーランド
     →乙仲通→15:00 元町商店街→16:00 湊川神社着

午後4時頃 還御祭  (湊川神社本殿及び本殿前庭)

楠公武者行列は下記の3つのパートから成っています。
 (1)前陣武者列(ぜんじんむしゃれつ)

 (2)神幸列本社(じんこうれつほんしゃ)

 (3)神幸列甘南備神社(じんこうれつかんなびじんじゃ)

全部で69役 総勢約700名の行列で行列の長さは約1Kmにも及びます。

このブログでは前陣武者列について主に動画で紹介していきます。






上の3枚の写真は8時半頃に撮った湊川神社拝殿前の様子です。

ここで楠公武者行列の開催歴史について簡単に触れておきます。
明治7年(1874)神輿渡御に楠木正成を大将とする騎馬武者が供奉したのが始まり。
戦前、特に昭和10年(1935)の大楠公600年祭の楠公武者行列は総勢3千人を
超える大行列となり沿道の見学者も50万人と盛んな行事であったようです。
戦後は簡略化されながらも昭和40年(1965)までは毎年開催されていました。
昭和40年(1965)から平成14年(2002)までに実施されたのは2回。
平成14年以降は5年に1回開催の方針でしたが東日本大震災を考慮して平成24年
の祭が延期され平成25年(2013)の祭(楠公武者行列)となりました。


武者行列に先立ち行われた発輿祭(はつよさい)の様子を動画で紹介します。
楠公武者行列 on 2018-5-26 その3 初與祭(はつよさい)


10時頃神輿と葱華輦(そうかれん)が出発する様子を動画で紹介します。
楠公武者行列 on 2018-5-26 その4 神輿と葱華輦(そうかれん)の出発



10時から楠公武者行列(御神幸)湊川神社を出発していくのですが
グループ毎に記念撮影されていました。(上の写真)

まず、11時頃荒田町付近を通過した御神幸の行列を紹介します。

前陣武者列
第1梯団
No.1 鉄杖(てつじょう)

No.2 高張提灯(たかはりちょうちん)

No.3 太鼓(たいこ)

No.4 大麻(おおぬさ)

No.5 社号旗(しゃごうき) & 猿田彦(さるたひこ)


No.6 大榊(おおさかき)

第2梯団
 法螺貝(ほらがい) はりま立螺之会

No.7 前駆兵(ぜんくへい)

No.8 列奉行(れつぶぎょう)騎馬

第3梯団
No.9 先駆(せんく)

No.10 錦旗(にしきばた)

No.11 武者 菊池武吉(きくちたけよし)卿 代

No.12 武者 江田高次(えだたかつぐ)命 代

No.13 武者 伊藤義和(いとうよしかず)命 代

第4梯団
No.14 武者 箕浦朝房(みのうらあさふさ)命 代

No.15 武者 岡田友治(おかだともはる)命 代

No.16 武者 矢尾政春(やおまさはる)命 代

No.17  武者 和田正隆(わだまさたか)命 代

No.18 武者 神宮司正師(じんぐうじまさもろ)命 代

ここまでの行列を動画にて紹介します。

楠公武者行列 on 2018-5-26 その1 前陣武者列第1梯団から第4梯団


第5梯団
No.19 少将 楠木正行(くすのきまさつら)公 代 
     サンテレビアナウンサー・元AKB48 中村麻里子 様

No.20 将前兵(しょうぜんへい)

No.21 菊水旗(きくすいばた)騎馬

No.22 大将 楠木正成(くすのきまさしげ)公 代
     河内長野市市長 島田智明 様

No.23 副将 楠木正季(くすのきまさすえ)卿 代
     元阪神タイガース、野球解説者 下柳剛 様

第6梯団
No.24 武者 橋本正員(はしもとまさかず)命 代

No.25 武者 冨田正武(とみたまさたけ)命 代

No.26 武者 恵美正遠(えみまさとお)命 代

No.27 武者 河原正次(かわはらまさつぐ)命 代

第7梯団
No.28 武者 宇佐美正安(うさみまさやす)命 代

No.29 武者 三石行隆(みついしゆきたか)命 代
     ターザン山下 様

No.30 武者 安西正光(あんざいまさみつ)命 代

No.31 武者 南江正忠(みなみえまさただ)命 代

第8梯団
No.32 女房(にょうぼう)騎馬


No.33 兵士(へいし)

No.34 押侍(おしさむらい)

ここまでの行列を動画で紹介します。
楠公武者行列 on 2018-5-26 その2 前陣武者列 第5梯団から第8梯団


下の動画は湊川神社を出発する特別三役
大将楠木正成(くすのきまさしげ)役には河内長野市市長の島田智明様、
正成の長男で少将の楠正行(くすのきまさつら)役にはサンテレビアナウンサー・
元AKB48の中村麻里子様、さらに正成の弟で副将の楠木正季(くすのきまさすえ)役の
元阪神タイガース・野球解説者の下柳剛様が参加されました。


楠公武者行列 on 2018-5-26 その12 湊川神社を出発する特別三役


最後に当日の午後、湊川公園から出発した前陣武者列の行列で荒田町とは違った部分を
動画で紹介します。

楠公武者行列 on 2018-5-26 その5 御神幸(前陣武者列)の湊川公園出発風景


本動画では午後から湊川公園を出発した御神幸(前陣武者列)の行列で午前中とは
異なるものを集めました。行列は清め塩と猿田彦を先導として港翔楠中学校吹奏楽部を
先頭に行列が続きます。大将楠木正成(くすのきまさしげ)役には兵庫県知事の
井戸敏三様、正成の長男で少将の楠正行(くすのきまさつら)役には四条畷市長の
東修平様、さらに正成の弟で副将の楠木正季(くすのきまさすえ)役の神戸市副市長の
玉田敏郎様が参加されました。

2013年に挙行された楠公武者行列のブログ

 楠公武者行列 on 2013-5-26 (その1)

 楠公武者行列 on 2013-5-26 (その2)

 楠公武者行列 on 2013-5-26 (その3)完 神幸列甘南備神社


上の写真は楠公武者行列の英文説明掲示


上の写真は湊川神社に掲示されている大楠公御一代記の六番「兵庫に天皇をお迎えする」
の場面です。



上の写真は湊川神社に掲示されている大楠公御一代記の八番「桜井の別れ」の場面です。

青葉茂れる櫻井の~で始まる「楠公の歌」について記載しておきます。
『楠公の歌』 落合直文 作詞、奥山朝恭 作曲
奥山朝恭(ともやす)の作曲で歌人で国文学者の落合直文が書いた詩に曲をつけた
バラードで明治24年(1891)奥山朝恭が兵庫県尋常師範(現神戸大学発達科学部)に
奉職中に作曲された。
下記の三部構成になっています。

―桜井の訣別―
1.青葉茂れる桜井の 里のわたりの夕まぐれ
  木(こ)の下陰に駒とめて 世の行く末をつくづくと
  忍ぶ鎧(よろい)の袖の上(え)に 散るは涙かはた露か

2.正成(まさしげ)涙を打ち払い 我が子正行(まさつら)呼び寄せて
  父は兵庫に赴かん 彼方(かなた)の浦にて討ち死にせん
  汝(いまし)はここまで来つれども とくとく帰れ故郷へ

3.父上いかにのたもうも 見捨てまつりてわれ一人
  いかで帰らん帰られん この正行は年こそは
  未だ若けれ諸(もろ)ともに 御供(おんとも)仕えん死出の旅

4.汝をここより帰さんは 我が私の為ならず
  おのれ討死為さんには 世は尊氏の儘(まま)ならん
  早く生い立ち大君(おおきみに) 仕えまつれよ国の為

5.この一刀(ひとふり)は住(い)にし年 君の賜いしものなるぞ
  この世の別れの形見にと 汝(いまし)にこれを贈りてん
  行けよ正行故郷へ 老いたる母の待ちまさん

6.共に見送り見返りて 別れを惜しむ折からに
  またも降りくる五月雨の 大空に聞こゆる時鳥(ほととぎす)
  誰か哀れと聞かざらん あわれ血に泣くその声を




上の写真は湊川神社に掲示されている大楠公御一代記の九番「湊川の合戦」と
十番「大楠公御殉節(ごじゅんせつ)」

―敵軍襲来―
7.遠く沖べを見渡せば 浮かべる舟のその数は
  幾千万とも白波の 此方(こなた)をさして寄せて来ぬ
  陸(くが)はいかにと眺むれば 味方は早くも破られて

8.須磨と明石の浦づたい 敵の旗のみ打ちなびく
  吹く松風か白波か よせくる波か松風か
  響き響きて聞ゆなり つづみの音に閧(とき)の声



―湊川の奮戦―
9.いかに正季(まさすえ)われわれの 命捨つべき時は来ぬ
  死す時死なでながらえば 死するに勝る恥あらん
  太刀の折れなんそれまでは 敵のことごと一方(かたえ)より

10.斬りすてなん屠(ほう)りてん 進めすすめと言い言いて
   駆け入るさまの勇ましや 右より敵の寄せくるは
   左の方(かた)へと薙(な)ぎ払い 左の方より寄せくるは

11.右の方へと薙ぎ払う 前よりよするその敵は
   後ろよりするその敵も 見ては遁(のが)さじ遁さじと
   奮いたたかう右ひだり とびくる矢数は雨あられ

12.君の御為(みため)と昨日今日 数多の敵に当りしが
   時いたらぬをいかにせん 心ばかりははやれども
   刃(やいば)は折れぬ矢はつきぬ 馬もたおれぬ兵士(つわもの)も

13.かしこの家にたどりゆき 共に腹をば切りなんと
   刀を杖に立ちあがる 身には数多の痛矢串(いたやぐし)
   戸をおしあけて内に入り 共に鎧の紐とけば

14.緋おどしならぬくれないの 血潮したたる小手の上
   心残りはあらずやと 兄のことばに弟は
   これみなかねての覚悟なり 何か嘆かん今さらに

15.さはいえ悔し願わくは 七度(ななたび)この世に生まれ来て
   憎き敵をば滅ぼさん さなりさなりとうなづきて
   水泡(みなわ)ときえし兄弟(はらかた)の 心も清き湊川


下記の動画で歌唱又は吹奏楽の演奏の場面があります。
楠公武者行列 on 2018-5-26 その5 御神幸(前陣武者列)の湊川公園出発風景


最後に神戸佳族 Vol.68(2018-9-10)で解説された「神さまの行列-威儀物(いぎもの)」
を添付しておきます。


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福崎町 北野天満宮 on 2018-4-22

2018年05月27日 04時10分56秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年4月22日、柳田国男の生家などを観るために姫路からJR播但線に乗り
神崎郡福崎町に来ていました。初訪問です。

本日は「北野天満宮」をテーマとして書いていきます。

福崎町散策シリーズこれまでに書いたブログ記事:

辻川山公園内の学問成就の道の石碑

福崎町「もちむぎのやかた」でのランチ on 2018-4-22

福崎町 妖怪ベンチ ウォーキング on 2018-4-22

藤本煙津先生作の漢詩石碑 in 鈴の森神社 on 2018-4-22

福崎町 柳田国男生家、神崎郡歴史民俗資料館、柳田國男・松岡家顕彰会記念館 on 2018-4-22

福崎町 辻川山公園付近の河童、天狗と妖怪たち on 2018-4-22

福崎町 大庄屋 三木家住宅 on 2018-4-22

福崎町 有井堂 on 2018-4-22

恋と革命の歌人 岸上大作と辻川山展望台からの眺望 on 2018-4-22

北野天満宮の基本情報

住所:兵庫県神崎郡福崎町西田原813-3
御祭神:菅原道真
御利益:学問成就、合格祈願



上の写真は福崎町 北野天満宮の拝殿(正面から)の遠景




上の2枚の写真は北野天満宮の拝殿と本殿の側面


上の写真は境内より参道を観た遠景


上の写真は境内の末社


上の写真は境内の学問成就の碑(ペンシル形)

絵馬

上の写真は絵馬が奉納されている拝殿の内部(内宮)
4枚の絵馬は明治20年(1887)に奉納されたようです。


上の写真は賤ケ岳七本槍図を描いた絵馬


上の写真は菅原伝授手習鑑図を描いた絵馬


上の写真は義経弓流し図を描いた絵馬


上の写真は義経八艘飛図を描いた絵馬


上の写真は絵馬に関する現地説明板



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日本遺産新たに13件認定されたニュースと67件の日本遺産リスト 

2018年05月26日 04時54分38秒 | Weblog
文化庁は2018年5月24日、地域の歴史遺産や文化財の魅力を伝えるストーリーを認定する
「日本遺産」に13道県の13件を選んだと発表した。

情報源:文化庁のホームより 
  ホーム > 広報・報道・お知らせ > 報道発表 > 平成30年度「日本遺産(Japan Heritage)」の認定結果の発表及び認定証の交付について


この結果2018年5月24日現在67件の日本遺産となりました。

以下が今回選ばれた13件の日本遺産リストです。

1.カムイと共に生きる上川アイヌ~大雪山のふところに伝承される神々の世界~
           北海道上川町他12市町

2.山寺が支えた紅花文化 山形県 山形市他7市町

3.地下迷宮の秘密を探る旅~大谷石文化が息づくまち宇都宮~ 栃木県宇都宮市

4.明治貴族が描いた未来~那須野が原開拓浪漫譚~ 栃木県那須塩原他4市町

5.宮大工の鑿一丁から生まれた木彫刻美術館・井波 富山県南砺市

6.葡萄畑が織りなす風景-山梨県峡東地域- 山梨県山梨市ほか3市

7.星降る中部高地の縄文世界-数千年を遡る黒曜石鉱山と縄文人に出会う旅-
  長野県茅野市他8市町村 山梨県甲府市他6市

8.旅人たちの足跡残る悠久の石畳道-箱根八里で辿る遥かな江戸の旅路
  静岡県三島市、函南町 神奈川県小田原市、箱根町

9.「百世の安堵」~津波と復興の記憶が生きる広川の防災遺産~ 和歌山県広川町

10.「桃太郎伝説」の生まれたまち おかやま ~古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語~
    岡山県岡山市他4市

11.瀬戸の夕凪が包む 国内随一の近世港町~セピア色の港町に日常が溶け込む鞆の浦~
    広島県福山市

関連サイト:毎日新聞https://mainichi.jp/articles/20180525/ddl/k34/040/458000c

12.鬼が仏になった里「くにさき」  大分県豊後高田市、国東市

13.古代人のモニュメント-台地に絵を描く 南国宮崎の古墳景観-
    宮崎県西都市、宮崎市、新富町



現在の住居地兵庫県からは2017年度の日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間
〜北前船寄港地・船主集落〜」で5市町(神戸、高砂、赤穂、洲本市、新温泉町)を含む
27市町が追加認定された。
上記の5市町における主な文化財は以下のとおり
神戸市兵庫区:高田屋嘉兵衛が店を構え、鎮守稲荷神社に海上の安全を祈願して
 献上した石灯籠(下の写真)




上の写真は高田屋嘉兵衛の本店跡碑 撮影は2011-2-21  


上の写真は北前船の寄港地として追加認定されたことを祝って披露された「木遣音頭」
2018-7-16 イオンモール神戸南で行われました。
出典:神戸新聞 2018-7-17朝刊

高砂市:工楽松枝門の旧宅、十輪寺の墓(下の2枚の写真 2018-2-17撮影)




下の4枚の写真は2018年4月1日に撮影の旧工楽松右衛門宅と雁木遺構説明









赤穂市:坂越の舟祭り

洲本市:高屋嘉兵衛の邸宅跡

新温泉町:船主らが安全祈願した為世神社






上の3枚の写真は北前船に関する神戸市埋蔵文化財センターの展示(2017-10-28撮影)

関連サイト:神戸新聞https://kobe-np.co.jp/news/sougou/201805/0011290578.shtml


文化庁は2015年度から「日本遺産」を設けています。

2017年に選ばれた17件の日本遺産は以下の通りです

1.江差の五月は江戸にもない -ニシンの繁栄が息づく町-  北海道江差町

2.荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~ 山形県酒田市ほか

3.サムライゆかりのシルク 日本近代化の原風景に出会うまち鶴岡へ 山形県 鶴岡市

4.和装文化の足元を支え続ける足袋蔵のまち行田 埼玉県 行田市

5.忍びの里 伊賀・甲賀 -リアル忍者を求めて- 滋賀県 甲賀市ほか

6.300年を紡ぐ絹が織りなす丹後ちりめん回廊 京都府 宮津市ほか

7.1400年に渡る悠久の歴史を伝える「最古の国道」~竹内街道・横大路(大道)~ 大阪府 堺市ほか

8.播但貫く、銀の馬車道鉱石の道~資源大国日本の記憶をたどる73Kmの轍(わだち)~ 兵庫県 朝来市ほか

9.絶景の宝庫 和歌の浦    和歌山市ほか

10.「最初の一滴」醤油醸造の発祥の地 紀州湯浅 和歌山県 湯浅町

11.日が沈む整地出雲 ~神が創り出した地の夕日を巡る~  島根県 出雲市

12.一輪の綿花から始まる倉敷物語 ~和と洋が織りなす繊維のまち~ 岡山県 倉敷市

 
 上の写真は倉敷アイビースクエア内の児島虎次郎記念館 撮影:2015-9-8

13.きっと恋する六古窯 -日本生まれ日本育ちのやきものの産地- 岡山県 備前市ほか

14.森林鉄道から日本一のゆずロードへ -ゆずが香り彩る南国土佐・中芸地域の景観と食文化- 高知県 安田町ほか

15.関門”ノスタルジック”海峡 ~時の停車場、近代化の記憶~ 福岡県 北九州市ほか

16.米作り、二千年にわたる大地の記憶 ~菊池川流域「今昔「水稲」物語」 熊本県 山鹿市ほか

17.やばけい遊覧 ~大地に描いた山水絵巻の道をゆく~ 大分県 中津市ほか


以下の記述は2015年と2016年に選ばれた37件のリスト

 2016年の報道例:「今年度の「日本遺産」には、全国から申請があった67件のうち、
 和歌山県太地町などの「鯨とともに生きる」文化や神奈川県鎌倉市の
 モザイク画など19件が選ばれました。」


日本遺産認定認定37件をリストアップしておきます。(2016-4-26現在)

A.2015年度に認定の18件

 赤字はシリアル型  青字は地域型

1 近世日本の教育遺産群 ―学ぶ心・礼節の本源―
                 水戸市、足利市、備前市、日田市


2かかあ天下 ―ぐんまの絹物語―
          桐生市、甘楽町、中之条町、片品村(群馬県)


3加賀前田家ゆかりの町民文化が花咲くまち高岡 ―人、技、心―
                           高岡市(富山県)


4灯り舞う半島 能登 ~熱狂のキリコ祭り~
         七尾市、輪島市、珠洲市、志賀町、穴水町、能登町(石川県)


5海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群 ~御食国若狭と鯖街道~
                       小浜市、若狭町(福井県)


6「信長公のおもてなし」が息づく戦国城下町・岐阜
                       岐阜市(岐阜県)


7祈る皇女斎王のみやこ 斎宮 明
                     和町(三重県)


8琵琶湖とその水辺景観―祈りと暮らしの水遺産
    大津市、彦根市、近江八幡市、高島市、東近江市、米原市(滋賀県)



上の写真は日吉大社の山王鳥居(2017-4-13&2017-10-10訪問)

9日本茶800年の歴史散歩
      宇治市、城陽市、八幡市、京田辺市、木津川市、宇治田原町、
      和束町、南山城村(京都府)


10丹波篠山 デカンショ節―民謡に乗せて歌い継ぐふるさとの記憶
                           篠山市(兵庫県)


11「日本国創成のとき ―飛鳥を翔た女性たち―」
                  明日香村、橿原市、高取町(奈良県)


12六根清浄と六感治癒の地 ~日本一危ない国宝鑑賞と世界屈指のラドン泉~
                            三朝町(鳥取県)


13津和野今昔 ~百景図を歩く~
            津和野町(島根県)


14尾道水道が紡いだ中世からの箱庭的都市
                尾道市(広島県)




  尾道水道(昭和32年) copy right 坂井敬樹氏


15「四国遍路」~回遊型巡礼路と独自の巡礼文化~
              愛媛県・高知県・徳島県・香川県の57市町村


16古代日本の「西の都」~東アジアとの交流拠点~
                  太宰府市(福岡県)


17国境の島 壱岐・対馬 ~古代からの架け橋~
            対馬市、壱岐市、五島市、新上五島町(長崎県)


18相良700年が生んだ保守と進取の文化 ~日本でもっとも豊かな隠れ里―人吉球磨~
     人吉市、錦町、あさぎり町、多良木町、湯前町、水上村、相良村、
      五木村、山江村、球磨村(熊本県)


 詳細は下記サイト:
 http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/nihon_isan/pdf/nihon_isan_pamphlet.pdf


B.2016年度に認定の19件
  通し番号で表記 シリアル型or地域型が不明のため区別なしに列記

19.政宗が育んだ“伊達”な文化  
           仙台市、塩釜市、多賀城市、松島町(宮城県)

  関連サイト:https://www.youtube.com/watch?v=btpxCnyGS7A

20.自然と信仰が息づく「生まれかわりの旅」~樹齢300年を超える杉並木
        につつまれた2446段の石段から始まる出羽三山~
                  鶴岡市、西川町、庄内町(山形県)

21.会津の三十三観音めぐり~巡礼を通して観(み)た往時の会津の文化~
         会津若松市、喜多方市他18市町(福島県)

22.未来を拓いた「一本の水路」―大久保利通“最期の夢”と開拓者の軌跡 
                           郡山・猪苗代―
          郡山市、猪苗代町

23.「北総四都市江戸紀行・江戸を感じる北総の町並み」―佐倉・成田・佐原・
     銚子:百万都市江戸を支えた江戸近郊の四つの代表的町並み群―
        佐倉市、成田市、楫取市、銚子市(千葉県)

24.江戸庶民の信仰と行楽の地~巨大な木太刀を担いで「大山詣(まい)り」~
         伊勢原市

25.「いざ、鎌倉」~歴史と文化が描くモザイク画のまちへ~
         鎌倉市

26.「なんだ、コレは!」信濃川流域の火焔(かえん)型土器と雪国の文化
       三条市、新潟市、長岡市、十日町市 (新潟県) 


27.「珠玉と歩む物語」小松~時の流れの中で磨き上げた石の文化~
              小松市(石川県)

28.木曽路はすべて山の中~山を守り 山に生きる~
   南木曽町、大桑村、上松村、木曽町、木祖村、玉滝村、塩尻市(長野県)

  関連サイト:
http://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20160426/KT160425FTI090009000.php

29.飛驒匠の技・こころ―木とともに、今に引き継ぐ1300年―
              高山氏(岐阜県)

30.『古事記』の冒頭を飾る「国生みの島・淡路」
                 ~古代国家を支えた海人の営み~
       淡路市、洲本市、南あわじ市(兵庫県)

31.森に育まれ、森を育んだ人々の暮らしとこころ
                 ~美林連なる造林発祥の地“吉野”~
      吉野町、下市町、黒滝村、天川村、下北山村、上北山村、
      川上村、東吉野村(奈良県)

上の写真は吉野町の南朝の跡(撮影:2014-4-3)


上の写真は金峯山寺の本堂(撮影:2014-4-3)


上の写真は吉野の山々の遠景   撮影:2014-4-3

32.鯨とともに生きる
      新宮市、那智勝浦町、太地町、串本町(和歌山県)

33.地蔵信仰が育んだ日本最大の大山牛馬市
      大山町、伯耆町、江府町、米子市(鳥取県)

34.出雲國たたら風土記~鉄づくり千年が生んだ物語~
      雲南市、安来市、奥出雲町(島根県)

35.鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴
                ~日本近代化の躍動を体感できるまち~
      呉市(広島県)、横須賀市(神奈川県)、佐世保市(長崎県)、
      舞鶴市(京都府)

36.“日本最大の海賊”の本拠地:芸予諸島
   ―よみがえる村上海賊“Murakami KAIZOKU”の記憶―
      今治市(愛媛県)、尾道市(広島市)

37.日本磁器のふるさと 肥前~百花繚乱(りょうらん)のやきもの散歩~
        唐津市、伊万里市、武雄市、嬉野市、有田町(佐賀県)
        佐世保市、平戸市、波佐見町

詳細は文化庁のHP下記サイト
 http://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/2016042501.html   
    
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恋と革命の歌人 岸上大作と辻川山展望台からの眺望 on 2018-4-22

2018年05月25日 04時46分15秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年4月22日、柳田国男の生家などを観るために姫路からJR播但線に乗り
神崎郡福崎町に来ていました。初訪問です。

本日は「歌人岸上大作と辻川山展望台からの眺望
をテーマとして書いていきます。

福崎町散策シリーズこれまでに書いたブログ記事:

辻川山公園内の学問成就の道の石碑

福崎町「もちむぎのやかた」でのランチ on 2018-4-22

福崎町 妖怪ベンチ ウォーキング on 2018-4-22

藤本煙津先生作の漢詩石碑 in 鈴の森神社 on 2018-4-22

福崎町 柳田国男生家、神崎郡歴史民俗資料館、柳田國男・松岡家顕彰会記念館 on 2018-4-22

福崎町 辻川山公園付近の河童、天狗と妖怪たち on 2018-4-22

福崎町 大庄屋 三木家住宅 on 2018-4-22

福崎町 有井堂 on 2018-4-22

これまで、岸上大作について名前すら知らない状態であった。
福崎町への今回の訪問で知った。まずWikipediaより岸上大作の紹介文を引用します。

岸上 大作(きしがみ だいさく、昭和14年(1939)10月21日 - 昭和35年(1960)12月5日)
は、日本の歌人。兵庫県神崎郡田原村井ノ口(現・福崎町西田原)出身。

戦病死で父親(岸上繁一)をなくした後、貧困な母子家庭に育つ(母はまさゑ)。長男。
中学時代に社会主義に興味を持つ。兵庫県立福崎高等学校に入学して、文芸部に入部。
詩、俳句、小説、ドラマなどを書くが、歌誌「まひる野」に入会して短歌のみを志す
こととなる。國學院大學文学部に入学し、安保闘争に身を投じて負傷。1960年の秋、
安保闘争のデモの渦中に身を投じた経験と恋とをうたった「意志表示」で第3回短歌研究
新人賞推薦次席。安保世代の学生歌人として「東の岸上大作、西の清原日出夫」と
謳われた。同年12月、失恋を理由として下宿の窓で首を吊って自殺。死の寸前まで
書かれた絶筆「ぼくのためのノート」がある。著書はすべて死後の刊行であり、
作品集・白玉書房刊「意志表示」(1961年)、日記・大和書房刊、
「もうひとつの意志表示」(1973年)など。
現在、兵庫県の姫路文学館に展示ブースが設置されており、「意志表示」などの
直筆作品を見ることが出来る。


岸上大作(1939-1960)の生まれ故郷福崎町を一望できる辻川山(標高126・8m)の
山頂に展望スペース「望郷の丘」が完成したのは2015年3月。平成26年度(2014)の
ふるさとづくり推進事業により短歌を刻んだ石碑や岸上大作所縁の地を説明したパネル
などが設置されています。


上の写真は恋と革命の歌人 岸上大作の生涯や代表作を紹介したパネル


上の写真は故郷「福崎町」関連の歌の石碑
初恋の 君と初めて 語らいし かの家なくて 夏草繁りぬ

兵庫県立福崎高校の校内にも歌碑があるようです。


上の写真は辻川山の展望台


上の写真は辻川山頂上付近からの眺望で歌人 岸上大作の所縁の地を説明したパネル




上の2枚の写真は上記パネルと同じ方向の眺望




上の2枚の写真は辻川山頂上からの眺望でJR播但線福崎駅方面の遠景






上の3枚の写真は辻川山頂上からの眺望 福崎町役場方面3の遠景


上の写真は岸上大作の福崎町時代から自殺するまでの関連の歌を写真と共に
紹介したパネル

戦死した父親を詠んだ歌
「白き骨 五つ六つを父と言われ われは小さき手をあわせたり」

「ほろ甘き びわのつぶら実食ぶれば 父にまつわる幼き記憶」

「五つのわれ 文字覚えしをほめてあり 戦地の父の最後のたより」

「戦死公報・父の名に誤字ひとつ 母にはじめてその無名の死」

「白き位牌持てと言われて泣きわめきし父葬る日の吾は一年生」

「父逝きて苦しみ多き十年なりき写真の額もいたく煤けぬ」



母親への想いを詠んだ歌
「ひっそりと暗きほかげで夜なべする 母の日も母は常のごとくに」

「わが歌の 活字となりし嬉しさよ 二度三度と声あげて読まん」

「吾が歌の入選せしを残業に 顔こわばらせている母に告ぐ」

「想うこと半分も言えぬ吾が性を 悲しと思い歌に託せる」

「かがまりてこんろに青き火をおこす 母と二人の夢作るため」

「この村の生計知らしむる芥つきず 夜も流るる重き河の音」

「「罪と罰」読破せし胸ふくらませ 冬休み明けし校門くぐる」

「ポケットに青きりんごをしのばせて 母待つと早春の駅に佇ちいつ」

「鋭角なすビルこえて燕とびゆけり 母への手紙今宵は書かん」

「告白はなべてかなしと吸われつつ 冬のドブ河ひととき澄める」

「口つけて水道の水飲みおりぬ母への手紙長かりし夜は」

「分けあって一つのリンゴ母と食う 今朝は涼しきわが眼ならん」


学生運動時代に詠んだ歌
「プラカード雨に破れて街を行き 民衆はつねに試される側」

「意志表示せまり声なきこえを背に ただ掌の中にマッチ擦るのみ」

「地下鉄の切符に挟いれられ また確かめているその決意」

「血と雨にワイシャツ濡れている無援 ひとりへの愛うつくしくする」

「生きている不潔とむすぶたびに切れ ついに何本の手はなくすとも」

「ヘルメットついにとらざりし列のまえ 屈辱ならぬ黙祷の位置」

「戦いて父の逝きたる日の祈り ジグザグにあるを激しくさせる」 


上の写真は福崎高校卒業時の岸上大作の写真 昭和33年(1958)2月


上の写真は國學院大學時代の夏ふるさと福崎町に帰省していた時の岸上大作
昭和35年(1960)夏 自宅の庭で
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福崎町 鈴の森神社 on 2018-4-22

2018年05月24日 04時25分13秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年4月22日、柳田国男の生家などを観るために姫路からJR播但線に乗り
神崎郡福崎町に来ていました。初訪問です。

本日は「鈴の森神社」をテーマとして書いていきます。

福崎町散策シリーズこれまでに書いたブログ記事:

辻川山公園内の学問成就の道の石碑

福崎町「もちむぎのやかた」でのランチ on 2018-4-22

福崎町 妖怪ベンチ ウォーキング on 2018-4-22

藤本煙津先生作の漢詩石碑 in 鈴の森神社 on 2018-4-22

福崎町 柳田国男生家、神崎郡歴史民俗資料館、柳田國男・松岡家顕彰会記念館 on 2018-4-22

福崎町 辻川山公園付近の河童、天狗と妖怪たち on 2018-4-22

福崎町 大庄屋 三木家住宅 on 2018-4-22

福崎町 有井堂 on 2018-4-22

鈴の森神社の基本情報

住所:兵庫県神崎郡福崎町西田原1038−7 
御祭神:彦火瓊々杵命(ひこはににきのみこと)、天児屋根命(あまのこやねのみこと)
    太玉命(ふとたまのみこと)、大山祇命(おおやまつみのみこと)
御利益:声学、安産、学問、合格 創建:不詳







上の3枚の写真は拝殿と本殿




上の2枚の写真は拝殿前の狛犬

社号の「すず」は神々の集まる聖地を意味する

福崎町出身で民俗学者の柳田國男(1875-1962)が子どもの頃、鈴の森神社でよく遊んだと云う。
柳田国男は次の歌を詠んでいます。
うぶすなの森の山ももこま狗はなつかしきかなもの言わねども」
松岡八兄弟の三男で歌人の井上通泰は次の歌を残しています。
うぶすなの杜のやまももふる里ははかなきこともこいしかりけり
境内には上記の歌に詠まれたヤマモモの木が現存しています。


上の写真は鈴の森神社に今も残るヤマモモの木


上の写真はヤマモモの木と柳田国男について記載された現地説明板


鈴の森神社の近くに建っていたやまももの道の看板


上の写真は経路案内板
背後の玉垣には松岡家の名前も見られます。
鈴の森神社より辻川山展望台を経て北野天満宮へ通ずる山道は「学問成就の道」と
命名され散策路となっています。




上の2枚の写真は拝殿横手の随身門によく見られる右大臣、左大臣の随身像




上の2枚の写真は拝殿前の絵馬殿に飾られている絵馬
天保年間(1830-1843)に奉納の絵馬(常盤御前都落の図)もある。
柳田国男が絵馬入りのハガキを使用されていたそうです。

また、絵馬殿の中に松岡五兄弟の絵も奉納されていました。(下の写真)



上の写真は鳥居と参道


上の写真は現地説明板 鳥居の近くに掲示



上の写真は手水舎


上の写真は恵美酒神社=恵比寿神社(商売繁盛の神)拝殿の左手にあります。



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福崎町 有井堂 on 2018-4-22

2018年05月23日 05時27分02秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年4月22日、柳田国男の生家などを観るために姫路からJR播但線に乗り
神崎郡福崎町に来ていました。初訪問です。

本日は「有井堂」をテーマとして書いていきます。

福崎町散策シリーズこれまでに書いたブログ記事:

辻川山公園内の学問成就の道の石碑

福崎町「もちむぎのやかた」でのランチ on 2018-4-22

福崎町 妖怪ベンチ ウォーキング on 2018-4-22

藤本煙津先生作の漢詩石碑 in 鈴の森神社 on 2018-4-22

福崎町 柳田国男生家、神崎郡歴史民俗資料館、柳田國男・松岡家顕彰会記念館 on 2018-4-22

福崎町 辻川山公園付近の河童、天狗と妖怪たち on 2018-4-22

福崎町 大庄屋 三木家住宅 on 2018-4-22

今回、紹介する有井堂は大庄屋 三木家の敷地の北側にある小さな祠ですが
柳田國男や鬼追い式で有名な神積寺ゆかりの建物です。
所在地住所:兵庫県神崎郡福崎町西田原1095




上の2枚の写真は有井堂の建物外観です。


上の写真は現地の説明板

室町時代の著書「峯相記」に有井堂に関する記述がある。
文殊山(神積寺)の開祖慶芳上人がこの堂に泊まり、夢のお告 げによって
神積寺を建立されたといわれています。
柳田国男とその兄弟たちとお堂の床下で子犬を飼い、よく遊んでいたとか。



上の写真は有井堂の内部。
薬師如来が祀られています。
また辻川区各家先祖累代諸精霊位と書かれた位牌も置かれています。
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