CHIKU-CHANの神戸・岩国情報

神戸・岩国の最新情報を紹介していきます。また、最近のキーワード についてメモを作成していきます。

食べ放題レストラン めぐみのさとでのランチ on 2017-9-27

2017年09月30日 05時23分37秒 | 神戸情報
本日は昨年(2016年)の7月11日にひよどり台(神戸市北区)に新規オープンした
「食べ放題レストラン めぐみのさと」でのランチを写真紹介します。
朝採れ野菜の直売所に併設されたお店です。

訪問日:2017-9-27

食べ放題レストラン めぐみのさとの基本情報

住所:神戸市北区ひよどり台南町2-7  TEL:078-747-3717
料理ジャンル:バイキング(60分食べ放題)
営業時間:11:00~15:00 17:00~21:00 定休日:なし(無休)
料金:980円(税込1058円)


所在地のGoo地図は下記サイトに掲載しています。
 食べ放題レストラン めぐみのさとでのランチ on 2017-5-10&2017-6-12



上の写真は当日、1回目に取ってきたものです。

食べ放題だとどうしても食べすぎになる為、健康には良くないのでセーブしたつもり
ですが、それでも量が多いのかな・・・・・

このあとデザート、果物、コーヒーなどに移行しました。

値段980円(税別)VS満足度から言えば合格点の
お気に入りの店です。



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ユザワヤ神戸店入口の「ひつじシンボルマーク」掛け時計 on 20107-9-29

2017年09月29日 16時29分39秒 | 神戸情報
ユザワヤ神戸店はエッチングの材料を購入する目的でよく利用しています。

2017年9月29日、兵庫県立美術館のエッチング教室の帰りにユザワヤ神戸店
に寄った時に表題の「ひつじのシンボルマーク」の掛け時計の写真を撮りましたので
紹介します。

ユザワヤ神戸店の基本情報

住所:神戸市中央区三宮町1丁目3−26 TEL:078-393-4141
営業時間:10:00~20:00

公式サイト:http://www.yuzawaya.co.jp/shop/detail/318.html




上の2枚の写真はユザワヤ神戸店入口の「ひつじシンボルマーク」掛け時計の遠景と近景

シンボルマークは羊が毛糸で手編み物を造っている姿をイメージ
時計があるため毛玉の部分が省略されています。
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秋の七草

2017年09月28日 05時24分58秒 | 有用な情報
本日(2017-9-28)4時20分よりNHKテレビ 「視点論点」を視聴した。
本日のテーマは進化生物研究所理事長・所長の湯浅浩史さんによる「秋の花 彩りと伝統」
で、この中で秋の七草について写真とともに解説されました。

この写真を引用させていただき秋の七草について纏めてみました。

秋の七草は 「萩の花 尾花 葛花 瞿麦の花 女郎花 また藤袴 朝貌の花
(山上憶良 万葉集  一五三八 巻八)によって定められました。

読み方: 萩=はぎ 尾花(ススキ)=おばな 葛花=くずばな 瞿麦(撫子)=なでしこ 
    女郎花=おみなえし 藤袴=ふじばかま 朝顔=あさがお

(参考)「秋の野に 咲きたる花を  指折(およびお)り かき数ふれば 七種の花
(山上憶良 万葉集  一五三七 巻八)

湯浅氏は秋の七草は草だけでなく木も含まれているので正しくは「秋の七種」と書き
読みは「あきのななくさ」であると指摘されました。







萩に関して神戸市須磨区に萩の寺と呼ばれている明光寺があり写真がありましたので添付
 (下の2枚の写真)撮影:2007年9月24日





尾花(ススキ)



下の2枚の写真は神戸市営地下鉄の妙法寺駅付近のススキ(撮影:2017-9-27)




下の写真は神戸旧居留地内 朝日ホール付近のススキ 撮影:2017-9-15


葛花



瞿麦(撫子)




女郎花



藤袴




朝顔

今で言う「朝顔」が中国から伝わったのは山上憶良より後の時代であり、当時の朝顔は
今でいう桔梗(キキョウ)である。






万葉集には約4,500首の歌がありますがその内約3分の一が植物に関連する歌だそうです。

秋の七種(七草)に関する歌は約250首あるようです。
具体的な歌の内容については下記サイトに記載されています。
 万葉集: 秋の七草を詠んだ歌
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殉難記念碑 in 須磨寺 on 2017-9-21

2017年09月27日 06時38分30秒 | 神戸情報
須磨寺の青葉会館の横に「殉難記念碑」と書かれた大きな石碑があります。

多分、海難事故の犠牲者を慰霊するものであろうという漠然とした事しか判らず
須磨寺の方に聞いても判らないということであった。

2017年1月21日、須磨歴史倶楽部の例会で同倶楽部の北野利男氏が碑文について
解読され「須磨の消防の話」というテーマの中で発表されました。

この資料を礎に「殉難記念碑」に書かれた内容を写真とともに紹介します。




上の2枚の写真は正面から見た石碑です。 撮影:2017-9-21

石碑には「殉難記念碑」と書かれており 兵庫県知事の有吉忠一の書であることが
刻まれています。







上の3枚の写真は裏面の全体遠景と碑文 撮影:2017-9-21&2017-9-25 

明治38年(1905)2月25日に起きた海難事故で漁船に同乗していた須磨青年協会の
会長の濵田亀吉氏と同じく同協会役員の原田善兵衛氏が受難した。
この2人の慰霊のため大正10年(1921)3月に石碑が建立されました。

碑文を現代語に直した要約を記載します。(下に添付)

須磨青年協会は火災に備え専用のポンプ(喞筒=しょくとう)を常置している
そのポンプが破損し明治38年(1905)2月24日会長の濵田亀吉及び役員の
原田善兵衛、志賀藤吉、直井末太郎の4人はポンプを漁船に乗せて大阪に行き
次の日(2月25日)修繕を終えて須磨への帰路、西宮沖で海難事故で濵田亀吉と
原田善兵衛が溺死。
漁船の船主の西野吉松は漂流後救助された。志賀藤吉、直井末太郎の2人は帰りは
陸路で須磨に向かったため難を逃れた。
殉職した濵田亀吉と原田善兵衛の2名の遺徳を偲び哀悼追慕するためにこの碑を建て
不朽の意を伝える



注)喞筒(ショクトウ)とは ポンプ(〈オランダ〉pomp). 外部から機械的エネルギーを受け
  流体に圧力を与えて送り出したり高所へ上げたりする装置。揚水・排水・圧縮などに
  用いられる。構造から渦巻きポンプ・軸流ポンプ・往復ジェットポンプなどがある


上の写真は裏面下部に書かれた石碑の建設に関わった人物などを記載したもの
      撮影:2017-9-25

次のように記載されています。

建設委員 発起者:村井惣三郎  建設委員長:森本幸三郎
      辻田藤太郎、桝重造、杉田春次、恒藤政市、丹治松之助、小河六平

設計・施工 三浦眞治  石工 橋本嶋之助

小河六平氏は須磨寺の境内に下記の歌碑を残しています。
  「海の色 幾代わりして 梅雨の須磨」

写真などは下記のブログに載せています。
  須磨寺の句碑・歌碑・文学碑




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兎(うさぎ)の餅つきの展示 in 神戸大学医学部附属病院 on 2017-9-25

2017年09月26日 05時23分13秒 | 神戸情報
前立腺肥大で神戸大学医学部附属病院泌尿器科に定期的に通院しています。
病院内で兎(うさぎ)の餅つきの展示を見つけました。(下の写真)



本日はこれに関連して月見に関わる話を記載していきます。

ウサギの餅つきの実態

「うさぎ うさぎ 何見て跳ねる 十五夜お月様 見て跳ねる」誰でも子供の頃、大人の人
から教わり記憶に残っていると思います。

兎(うさぎ)が月に住んでいるわけでもなく、実態は月の海と呼ばれる黒い部分が
兎がいかにも餅つきをしているように見える為、昔から言い伝えられてきました。

外国ではこの黒い部分の見え方が変化するため中国では「うさぎが薬草をついている」
インドでは「ワニ」、米国では「女性の横顔」、ヨーロッパでは「片手しかないカニ」
と日本とは異なっています。但し韓国では日本と同じように例えられています。

十五夜と十三夜

旧暦8月15日から16日の夜(八月十五夜)と旧暦9月13日から14日の夜(九月十三夜)の2回
月見をする習慣があります。

八月十五夜は「中秋の名月」と呼ばれます。(8月15日の1日のみ)

2017年の中秋の名月は10月4日になります。

満月は10月6日

八月十五夜の月を特に芋名月と呼ばれる地方もある。
江戸時代の前期、十五夜の日は芋煮を食べて夜遊びをするのが一般的であった。

これに対して「仲秋の名月」は旧暦の8月に見られる名月を指します。

旧暦8月15日は、日本の六曜で必ず仏滅になることから、俗に「仏滅名月」とも呼ばれる

2017年の十三夜は11月1日
十三夜の風習は日本のオリジナルのもので、十五夜に月見をしたら十三夜にもしたほうが
縁起が良いといわれています。お供えの団子は13個


無月と雨月

中秋の夜に雲などで月が隠れて見えないことを「無月(むげつ)」、中秋の晩に雨が降ることを
「雨月(うげつ)」と呼び、月が見えないながらもなんとなくほの明るい風情を賞するものとされる

月見の関連ブログ
  月見の宴 in 須磨離宮公園 on 2009-10-4

  月見に関する話題

   松尾芭蕉と神戸&明石
    月に関する俳句を詠んでいます

   秋の風物詩 in 神戸

照サイト

   中秋の名月 うさぎと団子の由来は?満月でないのは何故
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交通フェスティバル 2017 in 名谷車両基地 on 2017-9-24

2017年09月25日 04時35分12秒 | 神戸情報
2017年9月24日、名谷車両基地で行われた「交通フェスティバル 2017」を
観てきました。このイベントには初めての参加です。当日の様子を写真紹介します。

神戸市交通局は、市電の前身である神戸電気鉄道(株)の市街電車事業を継承し大正6年(1917)の
8月1日「神戸市電気局」として設置され、市営として発電・配電及び市街地路面電車事業を開始
したということで、2017年8月1日に記念すべき100周年を迎えました。


まず、神戸市交通局 名谷車両基地の基本情報から始めます。

神戸市交通局名谷車両基地の基本情報
住所:神戸市須磨区西落合2丁目3−1 TEL:078-791-6582
敷地面積:55,000㎡ 開設時期:昭和52年(1977)2月
公式サイト:http://www.city.kobe.lg.jp/life/access/transport/subway/syaryou/kichi/myodanikichi.html


全般

上の写真はイベント(交通フェスティバル 2017)のポスター




上の写真は名谷車両基地の地下鉄

市バス

上の写真はボンネットバスの展示


上の写真は神戸市営交通100周年の装飾バス

車両工場


上の写真は車両工場入口の展示












上の6枚の写真は車両工場の内部


上の写真はNゲージジオラマ展示


上の写真は塗装設備






上の3枚の写真はパンタグラフの展示と説明


上の写真はブレーキ制御装置

ミニ電車


上の写真はミニ電車の乗車体験の様子

100周年記念コーナー






上の3枚の写真は100周年記念のPRポスターなど展示




上の写真は小学生の絵画展示

保守車両展示







上の4枚の写真は保守車両の展示

市電車庫




上の2枚の写真は700型車両の展示と説明パネル








上の4枚の写真は800型車両の展示と説明パネル

ここで8月1日から8月6日、市役所1号館2階市民ギャラリーで、市営交通100周年
懐かしの写真パネル展及び絵はがきから神戸市電の歴史を振り返ります。


神戸電気鉄道(株)が明治43年(1910)4月5日、兵庫駅から春日野道に市街電車を開通させ
神戸市電が全線廃止される 昭和46年(1971)3月13日までの歴史です。


まず、市電の歴史に関する年表を添付します(Wikipediaより引用)

明治43年(1910)4月5日 春日野~兵庫駅前 神戸電気鉄道(神戸市電の前身)が開業
               5.857km

大正2年(1913)5月1日 神戸電気鉄道が神戸電燈と合併し神戸電気に社名変更
  

大正6年(1917)8月1日 買収により神戸電気が神戸市電気局として神戸市電となる
   この時点で軌道延長12.27km、車両は94両(木造単車90両、散水車4両)

昭和3年(1928)11月9日 天皇即位大典奉祝花電車を運転

昭和8年(1933)4月1日 塗色に緑色を採用

昭和10年(1935)12月25日 路面電車としては日本初のクロスシート車(ロマンスカー)700形を投入

昭和17年(1942)5月19日 神戸市電気局から神戸市交通局に改称

昭和26年(1951)3月31日 集電装置をビューゲル化

昭和26年(1951)12月20日 荷物電車制度を廃止

昭和28年(1953)10月1日 石屋川線六甲口 - 石屋川間が開通し、路線長が35.6kmと過去最長となる

昭和41年(1966)5月1日 税関線(三宮阪神前 - 税関前間。現在のフラワーロードに当たる)を廃止
             路線縮小を前提とした廃止が始まる。

昭和42年(1967)10月21日 市議会、市電の全廃を中心とした「交通事業財政再建計画案」を議決

昭和43年(1968)4月14日 ワンマン運転開始

昭和46年(1971)3月13日 神戸市電 全線廃止



上の写真は市営交通100周年懐かしの写真パネル展の会場遠景

1.神戸市電の歴史全般






上の3枚の写真は神戸市電の歴史全般を纏めたパネルです。

2.神戸市街電車(市電)開通の頃


上の写真は開通間もない頃の年表


上の写真は明治43年(1910)4月5日 春日野~兵庫駅前の5.857Kmが開業した当時の路線図


上の写真は開業当時のA型車両




上の2枚の写真はA型車輛の模型と説明板




上の2枚の写真は中右コレクションの絵はがきより走る旧式の市街電車
(上)新開地付近  聚楽館、三角公園停留所 大正モダニズムの象徴の帽子を被った人々
(下)栄町6丁目付近(東側より西側を臨む)右手に大正5年に建てられた三井銀行神戸支店
   中央の遠景に高取山が写っています 和服姿の丁稚少年が大正期の特徴を物語っている




上の写真はC型市電の模型と説明板




上の写真はG型車両の模型と説明板


上の写真はC型車両の写真パネル


上の写真はE型車両の写真パネル


上の写真はI型車両の写真パネル


上の写真は大正10年(1921)頃民営から市営に変わって間もないころ上沢付近を走行の市電

3.昭和時代初期から終戦まで


上の写真はK型車両の写真パネル


上の写真はL型車両の写真パネル




上の2枚の写真は701型車両の模型と説明板

4.戦後から市電廃止まで







上の3枚の写真は1150型車両の模型と説明板


上の写真は100形車両の写真パネル


上の写真は200型ポギー車


上の写真は300型車両の写真パネル


上の写真は400型車両の写真パネル


上の写真は500型車両の写真パネル


上の写真は600型車両の写真パネル


上の写真は700型車両の写真パネル


上の写真は750型車両の写真パネル


上の写真は900型車両の写真パネル


上の写真は1100型車両の写真パネル










上の5枚の写真は電車の系統図(昭和29年から昭和45年)




上の2枚の写真は昭和32年(1957)の神戸市電の系統図詳細


上の写真は戦時下の市電と戦後復興期の市電の説明パネル


年表(1931-1955)


上の写真は市電廃止頃の神戸 説明パネル


年表(1956-1971)
















上の8枚の写真は市街地を走行中の市電

5.もふもふ堂が描く市電


上の写真はもふもふ堂が描く市電の展示遠景

6.交通局ミュージアム


























珍しく貴重な品々が揃っています。

イベントステージ&飲食コーナー








上の4枚の写真はイベントステージと飲食コーナー

ここで神戸市営地下鉄の簡単な歴史について記載しておきます。

神戸市営地下鉄西神線は第二次世界大戦中の国家総動員法による放射線道路建築
予定地を利用して建設されました。
上記ショッピングセンターの開設と関連深い神戸市営地下鉄西神山手線の
延伸経過の年表も添付しておきます。(Wikipediaより)

1971年(昭和46年)11月25日 - 西神線の起工式が行われる。
1977年(昭和52年)3月13日 - 西神線名谷 - 新長田間開通。
1983年(昭和58年)6月17日 - 山手線新長田 - 大倉山間開通。
1985年(昭和60年)6月18日 - 西神延伸線名谷 - 学園都市間開通
              山手線大倉山 - 新神戸間開通。
1987年(昭和62年)3月18日 - 西神延伸線学園都市 - 西神中央間開通
                   (現在の「西神・山手線」全線開通)
1988年(昭和63年)4月2日 - 北神急行電鉄北神線開通、相互直通運転開始。
1993年(平成5年) 3月20日 - 西神線に西神南駅が開業。
                同時に山手駅を県庁前駅に改称。

鉄道コレクションの販売

  4,500円で販売されていました。(行列ができていました)


関連ブログ:電気鉄道事業発祥地の碑 in JR京都駅前 on 2012-3-21

      神戸市営交通100周年

      神戸花時計 「神戸市交通局徴章」 on 2017-7-8

      「メトロこうべ」の地下通路に設置されたトリックアート on 2016-5-10

      神戸市電 1103号車の展示 in 御崎公園 

      神戸市電の歴史 ~市営交通100周年懐かしの写真パネル展より~

      神戸市営地下鉄沿線西神地区におけるショッピングセンターの歴史

     
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SDGs(持続可能な開発目標)

2017年09月24日 06時05分51秒 | 時の言葉
持続可能な開発目標(英語: Sustainable Development Goals)を略したSDGsという
言葉を最近よく耳にすることが多いので調べてみました。
安倍首相が9月20日の国連総会でSDGsについて話されたことで注目されました。
日本政府(外務省)が2017年7月に開かれた国連の持続可能な開発目標に関する会合に合わせ
ヒット曲「PPAP(ペンパイナッポーアッポーペン)」などで知られるピコ太郎に依頼して
替え歌パフォーマンスを通じたSDGsの普及啓発が行われています。(TVでも報道)

2015年の9月25日-27日、ニューヨーク国連本部において、「国連持続可能な開発サミット」
が開催され、150を超える加盟国首脳の参加のもと、その成果文書として、
「我々の世界を変革する:持続可能な開発のための2030アジェンダ」が採択されました。
17の目標と169のターゲットから構成されています。

2001年に策定されたミレニアム開発目標(MDGs)の後継として策定

まずWikipediaが17の目標について簡潔にまとめておられるので紹介します。

1.貧困をなくそう
2.飢餓をゼロに
3.すべての人に保健と福祉を
4.質の高い教育をみんなに
5.ジェンダー平等を実現しよう
6.安全な水とトイレを世界中に
7.エネルギーをみんなに、そしてクリーンに
8.働きがいも経済成長も
9.産業と技術革新の基盤をつくろう
10.人や国の不平等をなくそう
11.住み続けられるまちづくりを
12.つくる責任つかう責任
13.気候変動に具体的な対策を
14.海の豊かさを守ろう
15.陸の豊かさも守ろう
16.平和と公正をすべての人に
17.パートナーシップで目標を達成しよう


詳細な内容は国際連合広報センターのサイト(下記アドレス)に記載されています。
 http://www.unic.or.jp/activities/economic_social_development/sustainable_development/2030agenda/

同じくWikipediaに日本の取り組みについて簡潔に纏められています。

People(人間)
1. あらゆる人々の活躍の推進 
  関連する目標:1(貧困)、4(教育)、5(ジェンダー)、8(経済成長と雇用)、10(格差)、
         12(持続可能な生産と消費)

2. 健康・長寿の達成
  関連する目標:3(保健)等

Prosperity(繁栄)
3. 成長市場の創出、地域活性化、科学技術イノベーション

4. 持続可能で強靱な国土と質の高いインフラの整備
  関連する目標:2(食料)、6(水と衛生)、9(インフラ、産業化、イノベーション)、
         11(持続可能な都市、人間居住)

Planet(地球)
5. 省・再生可能エネルギー、気候変動対策、循環型社会
   関連する目標:7(エネルギー)、12(持続可能な生産と消費)、13(気候変動)
          
6. (生物多様性)、森林、15(海洋)等の環境の保全
   関連する目標:2(食料)、3(保健)、14(海洋)、15(生物多様性)

Peace(平和)
7. 平和と安全・安心社会の実現 
   関連する目標:16(平和)

Partnership(パートナーシップ)
8. SDGs実施推進の体制と手段 
   関連する目標:17(実施手段)


SDGsに関するリンク
  外務省のサイト :http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/about/doukou/page23_000779.html
  

  イマココラボのサイト:https://imacocollabo.or.jp/about-sdgs/ 

  朝日新聞デジタル 国谷裕子さんと考えるSDGs:http://www.asahi.com/special/sdgs/


画像が無いと味気ないので写真を添付しておきます。

上の写真は西神中央の彫刻作品 撮影:2017-9-17


上の写真は兵庫県立美術館 「絵のちから」展  撮影:2017-9-22


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JR鷹取駅の地下コンコースのJR鷹取工場関連の写真 on 2017-8-22&9-21

2017年09月23日 03時49分29秒 | 神戸情報
JR鷹取駅の地下コンコースにJR鷹取工場関連の写真が展示されています。
この写真を紹介すると共に現在図書館から借りている鷹取工場回想(創業100年の記録)
西日本旅客鉄道株式会社 神戸支社鷹取工場編 平成12年(2000)からの情報も
加えて書いていきます。




上の2枚の写真はJR西日本 鷹取工場の全景写真と説明書き
撮影時期は明記されていませんので不明ですが平成7年(1995)の阪神淡路大震災以前のもの?


上の写真は平成9年(1997)4月1日現在の平面図
出典:鷹取工場回想(創業100年の記録)


上の写真は昭和8年(1933)3月末の鷹取工場
出典:鷹取工場回想(創業100年の記録)Page36


上の写真は明治33年創業当時(山陽鉄道鷹取工場)の平面図
出典:鷹取工場回想(創業100年の記録)Page2


上の写真は江戸時代の地形図に鷹取工場の位置を示したもの
出典:鷹取工場回想(創業100年の記録)Page2

明治7年(1874)大阪-神戸間で鉄道が開通し、新橋工場に次いで日本で
2番目の山陽鉄道株式会社神戸工場が開設、その後明治33年(1900)3月1日
鷹取工場が開設されました。
(兵庫工場の増大する工事量に追いつけず、また同工場の拡張も不可能であったので
新たに移転計画が立案され須磨区大池町5丁目1番1号に鷹取工場が創設された。)
敷地面積は53,405坪。
神戸工場はその後大正5年(1916)廃止されその機能は鷹取工場が受け継がれ
ました。敷地面積17.6haで石炭車や橋桁の製造から始まり機関車、客車、貨車の
新規製作、修繕などがおこなわれてきました。鉄道工場としては東の大宮、
西の鷹取と呼ばれてきました。
鷹取工場は平成7年(1995)1月17日の阪神淡路大震災で建物の90%が被害を
受け操業不能となったが震災後避難所として230名の避難者を受け入れ浴場を
開放するというサービスも行われました。
平成12年((2000)鷹取工場の機能は網干総合車両所に移転しました。
鷹取工場跡地は震災復興土地区画事業により震災復興住宅の建設、
妙法寺川左岸公園、スポーツ施設などが整備されてきました。






上の写真は鋳造柱と説明版


上の写真は鋳造柱の銘板(イギリス製)




上の2枚の写真は国産の鋳造柱と銘板(鉄道作業局の文字)
明治39年(1906)12月1日より国有となり鉄道作業局鷹取工場となっています。




上の2枚の写真はコンコースの飾りつけ レールと車輪のデザイン






上の写真(3枚)は再現された義経号(昭和27年(1952))、D51(昭和13年(1938))、
860形式蒸気機関車(明治26年(1893)に製作された国産初の蒸気機関車)です。


上の写真は平成7年(1995)阪神淡路大震災での被害状況を示した図面です。
出典:鷹取工場回想(創業100年の記録)page233

関連ブログ:JR鷹取工場

       JR西日本鷹取工場の跡地フレール須磨付近の光景 on 2015-7-3

       国鉄7100形蒸気機関車 義経号の写真

       温故知新の碑 in JR西日本グランド on 2013-12-21

       2013-9-8(日)に歩いた道

       神戸駅前の国鉄D51形蒸気機関車

       妙法寺左岸公園の案内板が伝える阪神淡路大震災の記録
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新たに建立された須磨寺八角堂 on 2017-9-21

2017年09月22日 05時07分31秒 | 神戸情報
お大師さんの縁日である9月21日に須磨寺に参拝し、新しく建立された八角堂の
写真を撮りましたので写真紹介します。

経木供養所の建物があった場所です。






上の3枚の写真が新しく建立された八角堂です。
以前と同じく経木を供養するための建物のようです。


上の写真は八角堂の位置を示した境内案内図です。
大師堂の左手にあります。

落慶記念の法要が10月1日(日)11時から行われるようです。



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視点・論点「北朝鮮は何を狙っているか」 By 道下徳成 政策研究大学院大学教授 on 2017-9-15

2017年09月21日 05時56分11秒 | Weblog
2017年9月15日、NHKテレビ 視点・論点で表題のテーマで道下徳成氏が話されました
話された内容を私なりに整理してみました。

北朝鮮の核・ミサイル開発の目的

北朝鮮の核・ミサイル開発の目的について次の4つの可能性を指摘
 1)米からの攻撃を防ぐため(平時の抑止)
   Peace time Deterrence

 2)韓国との戦争が起こった時、米や日が韓国を助けられないようにする(戦時抑止)

 3)韓国に対して限定的な攻撃を行う

 4)日米との関係改善を狙った瀬戸際外交


1)米からの攻撃を防ぐため


これまで米国が北朝鮮に対して敵視政策に対抗するために核・ミサイル開発をするのだと
北朝鮮は主張してきています。米国からの攻撃を抑止するために核・ミサイル開発が必要

しかし、これまでの北朝鮮の行動を見るとこの可能性は低い

2)韓国との戦争が起こった時、米や日が韓国を助けられないようにする


北朝鮮と韓国が戦争になった時、日本の米軍基地に米軍が派遣増強され自衛隊も米軍に協力
して韓国軍を支援するようになっています。集団的自衛権が成立したことにより
後方支援ばかりでなく、より重要性の高い、機雷掃海などの任務を担うことになります。
このような事態になった場合。北朝鮮は米国や日本に対して核攻撃をすると脅しをかけて
韓国軍への支援を止めるように要求してくるとおもわれます。
北朝鮮が今や対韓国のスカッドミサイルだけでなく日本が射程に入るノドン、さらに米国を
ターゲットにしたICBMや潜水艦巡行ミサイルがほぼ実戦配備状況にある今、米国や日本の
指導者が国民の反対非難を退け戦争に入る可能性は低い。
もし戦争になった場合北朝鮮も多大な被害を被ることになります。
北朝鮮が戦争を念頭に置いて核・ミサイル開発を進めているとまでは言えないでしょう。

3)韓国に対して限定的な攻撃を行う



この可能性が一番高く最も懸念されるオプションである。

韓国のみが北朝鮮の体制を崩壊させ、吸収し、統一する意思と能力を持っている。
レジウムチェンジは金正恩が最も恐れていることである。北朝鮮は、体制を脅かす韓国を
弱体化させるために韓国、特にソウル周辺の密集地を攻撃し韓国の経済基盤を崩壊させる
為に韓国に限定的攻撃をする可能性が高いのである。韓国から仮に反撃を受けても
北朝鮮の失うものに比較して韓国の方が圧倒的に被害が大きい

4)日米との関係改善を狙った瀬戸際外交



過去に北朝鮮が行ってきた瀬戸際外交で下記のような合意実績があります。

1994年には米朝間で枠組み合意が結ばれました。北朝鮮がプルトニウム型の核兵器開発を
凍結する代わりに、アメリカ、韓国、日本が重油や軽水炉を提供するというものでした。
25億ドル規模の経済援助が行われ8年間は核兵器開発の凍結が行われました。
しかしこの合意もブッシュ政権時代に秘密裏にウラン型の核開発を行っていたという
裏切り行為が発覚し、米朝関係は悪化します。

2007年にも六ケ国協議の結果、北朝鮮が核開発を凍結するのと引き換えに、関係各国が重油
などの援助を提供するとの合意が結ばれました。
米国、ロシア、中国、韓国からの援助規模は4.3億ドル
合意では全ての核施設を「無能力化」することを条件にしていたにも関わらず、北朝鮮は
うやむやにして、どうもちゃんと合意を履行しなかった。この背景には、2008年の夏に
金正日が脳卒中で倒れたことで内政が混乱して、外交どころではなくなっていたことも
影響していると考えられる。
そうは言っても6年間は核開発が停止されていたと考えられます。


北朝鮮問題に対処するための手段


道下教授は今後の北朝鮮問題対処のアクションとして下記の3点を挙げられました

1)強力な制裁

2)有効な防衛力

3)巧妙な対話戦略



参考サイト:NHKのhttp://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/279800.html

      Livedoor ニュース BLOGOS  http://blogos.com/article/220952/?p=1

     









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