CHIKU-CHANの神戸・岩国情報

神戸・岩国の最新情報を紹介していきます。また、最近のキーワード についてメモを作成していきます。

ゴルフで90の壁を切る

2005年05月31日 05時50分23秒 | ゴルフ
5月28日(土)に岩国センチュリーにて早朝ゴルフをした。
初めて90を切れたので嬉しいので報告します。
前半は46後半は43でトータル89でした。
今まで90というスコアは何回かあったがやっと90を切れた
感じである。
スタートは5:10アウトで終了は9:20頃であった。
写真は一緒に周ったT氏である。
T氏も89のスコアであった。
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ジョナソンでの朝食---東京中野坂上

2005年05月30日 05時31分59秒 | Weblog
東京へ出張する際、中野坂上に宿泊することが多い。
ホテルの近くのジョナソンで朝食、新聞読み、など
をしてからの出勤します。

朝食(写真)はいつも頼むプレートセット(570円?)
です。
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児玉神社---周南市

2005年05月29日 05時06分06秒 | 旅行記
児玉神社は神奈川県江ノ島にある児玉神社の
神殿と付属建物の譲渡を受け大正11年(1922)
12月15日徳山港開港祝賀式の当日遷座祭が
行われ現在に至っています。
5月3日に訪問写真を撮影写真の手前は
児玉公園右手に徳山小学校があります。
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大成寺徳山藩毛利墓所---周南市

2005年05月28日 14時40分22秒 | 旅行記
大成寺(山口県徳山市舞車)にある毛利家墓所へ5月3日(2005)に訪問。
萩毛利本家の初代藩主秀就公の弟就隆公から始まる毛利家支藩である。
徳山藩初代の就隆から元蕃まで徳山毛利9代の一族の墓が立ち並ぶ。
徳山藩4万5000石は徳山・下松を中心とする都濃郡一帯を領していた。
屋根のある霊屋(写真)の下に就隆とその妻が眠っている。

立派な墓所であった。
初代の就隆は慶安3年(1650)下松から野上に移り地名を徳山と
改めました。

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福田寺山門---周南市

2005年05月27日 05時55分29秒 | 旅行記
5月3日に訪問。
周防33観音霊場の第14番札所であり、辰年に
開帳されます。
寺伝によれば昔は興元寺山にあったらしいが
観音堂の灯りを見た心のやましい者の船が
航路を間違える為、現在地に降ろした。
山門は仁王像もあり立派なものである。
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興元寺杉元相父子の墓所---周南市

2005年05月26日 05時20分11秒 | 旅行記
杉家の菩提寺であるここ興元寺(徳山市一の井手)に杉元相(もとすけ)
親子の墓があります。
杉元相は大内氏の家来で毛利氏に服従し陶氏の後野上庄(現在の徳山)
を支配しました。 元相は、金剛山山麓の地(現在の動物園前)に
館を構え、1574年(天正2年)には 一の井手に菩薩寺として
興元寺(曹洞宗)を建立しました。
しかし、1585年(天正13年)に元相が亡くなると、跡を継いだ嫡子
元宣もその4年後(天正17年)若くして非業の死を遂げた。
(毛利氏に謀られたと言われています)
杉氏はわずかニ十数年で断絶しました。
元相・元宣父子の墓所として2つの宝篋印塔が建っています。
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興元寺(こうげんじ)のイチョウ---周南市(旧徳山)

2005年05月25日 06時14分06秒 | 旅行記
2005年5月3日に曹洞宗の古刹周南市一の井出にある
興元寺を訪問した。
境内には山口県内で最大級の銀杏の雌の樹がある。
銀杏の落ちる季節にはプロの業者が岩国からやって来て
銀杏を採って帰るそうです。
幹に「ちち」と呼ばれる気根が垂れています。
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05-5-24東京にて

2005年05月24日 07時05分05秒 | Weblog
携帯でのメッセージになります。温度には我々が通常使用する摂氏の他にカ氏温度がありますこのカ氏温度はドイツの物理学者gabriel daniel 1686-1736は水銀温度計を作り水その他の液体を測定沸点が気圧によって変化することを見い出した
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宮本常一---周防大島町が生んだ偉人

2005年05月23日 05時49分23秒 | 岩国情報
宮本常一(1907-1981)は周防大島町出身の有名な民族学者
である。5月14日(土)に大島田舎美術館にて先生を
紹介するパネル展示があるということで出かけた。
徹底して村の人達と交流して日本全国を歩き調査した。
柳田国男(民俗学者)や渋沢敬三(渋沢栄一の孫・大蔵大臣、
日銀総裁を勤め民俗学者でもあった)との出会い。
離島振興、農業指導、地域芸能の復興、民族博物館の設立etc
地域の人に貢献する活動を続けた。
大阪での小学校教師時代の教え方についても興味ある
ものであった。

写真展示は須藤功氏の協力で実現した。
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法樹寺---由宇町横道字小田

2005年05月22日 05時47分41秒 | 岩国情報
浄土真宗西本願寺派 山号:宝林山
平家の落人と伝説で伝えられている難波氏の子孫は
江戸時代に入ると(難波興右衛門宗光の代)土地の
郷氏として勢力を誇っていました。
吉川氏が岩国に移封された時、吉川氏の家臣団が由宇の
沖で海賊の襲撃の知らせを受け岩倉の高木氏と供に
迎え撃ち敗れました。
その時、難波氏は僧侶となることで許されました。
難波宗光の法名を明謹とし小土路に法樹寺を建てました。
数回の火災に遭いましたが昭和2年2月の出火で
現在の地に再建されました。
明治の時代の第11世難波締観は貞光に寺小屋を開き
教育に注力しました。
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