CHIKU-CHANの神戸・岩国情報

神戸・岩国の最新情報を紹介していきます。また、最近のキーワード についてメモを作成していきます。

東京赤坂地区における勝海舟邸跡

2018年01月04日 06時56分49秒 | 東京情報
昨年末の12月29日、NHKテレビBSプレミアムで江戸城無血開城に関する
番組を視聴しました。

番組の内容については下記サイトを参照してください。
 https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/3303/3016029/index.html

番組では、慶応4年(1868)3月13日&14日に陸軍総督の勝安芳(海舟)46歳と
官軍参謀の西郷隆盛42歳が薩摩藩の江戸屋敷(会見の場所は蔵屋敷)において
が会見し江戸城無血開城に導いたものだがその陰に山岡鉄舟の他にイギリス人の
通訳官アーネストサトウが大きいと解説されていました。
徳川家側の大久保一翁(忠寛)も忘れてはならない。

会見の様子を記したモニュメントがJR田町駅の近所15号線沿いの都営地下鉄
浅草線三田駅の上あたりにあり、下記のブログで紹介しています。

勝・西郷の会見の地と江戸城無血開城

上述の番組に触発され東京赤坂地区における勝海舟邸について調べてみました。


上の写真は東京都港区赤坂6丁目10-12にあった勝麟太郎邸跡
出典:Googleのストリートビューの写真
マンションの1階は「EXCELLENT BAR THE GABY」というバーになっています。
久2年(1863)12月、坂本龍馬が訪れ、海舟に弟子入りした場所でもあります。


石碑と説明板が設置されています。
この地に勝海舟は1860年(37歳)から1869年(46歳)まで住んでいた場所
西郷隆盛と会見し、江戸城無血開城を決定した時もこの地に住んでいました。

近くには氷川神社が在り、勝海舟もよく参拝されていたようです。
赤坂氷川神社の境内には勝海舟が命名したと伝わる四合(しあわせ)稲荷神社があります。



上の写真は江戸の古地図で12の位置に勝麟太郎と書かれた場所を確認できます。
出典:もち歩き 江戸東京散歩 人文社 (2006)Page44
場所の目安は赤坂氷川神社の西側


上の写真はアーネスト・サトウが撮った勝海舟の写真
出典:NHKテレビ BSプレミアム 2017-12-29放送 
    ザ・プレミアム 時空超越ドキュメンタリードラマ「江戸城無血開城」


上の写真は現在の地図で勝安房邸跡の位置を示しています。
場所の目安は赤坂氷川神社の北側にあります。
現在の住所は東京都港区赤坂6丁目6−14で特別養護老人ホーム サン・サン赤坂
が建っています。平成5年までは氷川小学校の敷地でした。
勝海舟が明治5年(1872年49歳)から死去した明治32年(1899年)1月19日
まで住んでいた場所です。

勝海舟の最期の言葉は「これでおしまい」だったそうです。


上の写真はその地に建つ石碑と現地説明板。
出典:坂本龍馬と勝海舟 一水社(2010)Page188

石碑には 「勝安房邸趾」 勝海舟伯終焉ノ地ナリ昭和五年十二月 東京府  
と書かれています。

勝海舟と坂本龍馬の師弟像が2016年9月10日に完成除幕されたことを
毎日新聞が報道していますのでリンクさせていただきました。
 https://mainichi.jp/articles/20160910/k00/00e/040/237000c




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新宿メトロ食堂街墨絵(すみのえ)での食事 on 2004-10-20

2016年06月20日 06時39分52秒 | 東京情報
新宿メトロ食堂街墨絵(すみのえ)での食事 on 2004-10-20


新宿駅西口の地下街「メトロ食堂街」に入っている「墨絵」(すみのえ)
を紹介します。tel:03-3343-0889
2004年10月20日台風23号の影響で新幹線が止まり切符の変更に
新宿に出た時に1人で入った。



上の2枚の写真は当日いただいたメニューの一部
本題の今日のディナーのメニューはそばの実とあさりのリゾット
(写真)とすずきのポテトくるみ焼きと赤のワインでした。
これで3200円くらいで食べられます。
彼女と行く場合は5、000円くらいは用意して下さい。

フレンチ風のレストランで店員さんも親切で気持ちのいい店です。
店長は宇田川さんで新宿に出店して20年がたつそうです。
店は新宿メトロ街だけでチェーン店はないそうです。
ランチなら1200-2000円の予算で食べれます。
また、お店で焼いているパンはどれもおいしいのですが、
おかわり自由なのもうれしい限りです。
メニューは、ぶどうパン、レーズンパン、フランスパン、ライ麦パン、
さくらんぼパン、くるみパン、 オレンジパン、はちみつリンゴパン、
チョコレートパン などなどで本当においしくかなり食べてしまいました。
いつもは行列が出来る店なのですが当日はガラガラでラッキーでした。
いつもなら、一人でも予約を取ったほうがいいと思います。



上の2枚の写真はお店の中の風景


外に持ち帰りのフランスパンを販売しておりそこは行列が出来ていました。
曜日によって焼くパンが違うので、前の黒板で確認して下さい。
(売店の黒板にスケジュールが書いてます)
他に惣菜の販売もしています。


最近行かれた方の紹介サイトにリンク
 http://食べ歩き東京.com/suminoeshinjuku/
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大久保利通の墓 in 青山霊園 on 2014-3-14

2015年12月25日 04時24分14秒 | 東京情報
昨日(2015-12-24)NHKの朝ドラ「朝がきた」で大久保利通の暗殺の号外が配布
されている場面があった。

これに触発され、大久保利通の墓に関するブログを作成する気になった。
大久保利通の墓は青山霊園 2区1種イ15~19側1番にあります。
 写真の撮影日はすべて2014-3-14です。

ひときわ目立つ墓です。






上の3枚の写真は大久保利通の墓です。(遠景、中景、近景)
墓石には『贈右大臣正二位大久保公墓』と書かれています。

贔屓(ひいき・びし)という亀に似た中国における伝説上の生物の上に墓石が
建てられています。
石碑の台になっているものは亀趺(きふ)と言うそうです。
中国の伝説によると、贔屓は龍が生んだ9頭の神獣・竜生九子のひとつで、
その姿は亀に似ている。ネットでは亀と紹介されているものが散見されます。




上の2枚の写真は現地の説明版です。日本語&英語
日本語では下記のように書かれています。

東京都指定旧跡 大久保利通墓

所在地 港区南青山2 青山霊園内(2区1種イ15~19側1番)

標識 昭和15年2月

指定 昭和30年3月28日

大久保利通(1830-1879)は鹿児島藩大久保利世の長男として鍛冶屋町に
生まれました。西郷隆盛とともに公武合体運動から倒幕運動に進み、
岩倉具視らとは、王政復古を成功させます。明治政府が成立すると参与・参議
として中核を担いました。明治四年に岩倉欧米使節団の副使として諸外国を
めぐり、帰国後は内政の充実を唱え征韓論の西郷らと対立します。
内務卿として権限を振るい、佐賀の乱や西南戦争などの反政府騒動を鎮圧する
一方、地租改正反対一揆に対して地租を引き下げて農民を擁護し、板垣退助らと
国会開設などの協議(大阪会議)を行います。大久保は、官僚政治家として
日本の資本主義国家への基礎を築きましたが、明治11年、島田一郎らに
紀尾井坂で暗殺されました。

西郷隆盛・木戸孝允とともに、明治維新の三傑といわれています。

平成24年3月 建設 東京都教育委員会



上の写真は鳥居の両脇の灯籠(地震によるものか?上部が落下)


上の写真は明治11年(1878)5月14日、大久保利通が不平士族によって
暗殺された際、一緒に落命した馭者・中村太郎の墓と大久保利通の乗っていた
馬車の馬の供養碑。
 紀尾井坂の変の解説 By Wikipedia


上の写真は大久保利通の頌徳碑。


上の写真は大久保利通の夫人、満寿子夫人のお墓






上の3枚の写真は大久保家並びに所縁の方々の墓碑。

大久保利通についてWikipediaより引用させていただきます。

大久保 利通(おおくぼ としみち、文政13年8月10日(1830年9月26日) -
明治11年(1878年)5月14日)は、日本の武士(薩摩藩士)、政治家。
位階勲等は贈従一位勲一等。

明治維新の元勲であり、西郷隆盛、木戸孝允と並んで「維新の三傑」と称される。

六英傑とも呼ばれる。他の5人は公家の三條実美、岩倉具視、薩摩の西郷隆盛
長門の木戸孝允、 伊藤博文

また維新の十傑の1人でもある。
 他の9人は薩摩藩から西郷隆盛、小松帯刀の2人。長州藩からは木戸孝允、
 大村益次郎、前原一誠、広沢真臣の4人 肥前藩の江藤新平
 肥後藩の横井小楠、公家の岩倉具視



大久保利通の解説 By 国立国会図書館
 http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/32.html

幕末ガイドによる大久保利通の解説
 http://bakumatsu.org/men/view/40











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東京大空襲から70年 on 2015-3-10

2015年03月11日 06時45分14秒 | 東京情報
約10万人が亡くなったとされる太平洋戦争末期の東京大空襲から70年の昨日、
3月10日、犠牲者の遺骨を安置している東京都慰霊堂(墨田区)で慰霊の法要が
秋篠宮ご夫妻、安部首相、舛添知事も出席され営まれました。

昨日の7時台のNHKテレビの報道を交えて写真紹介します。


上の写真は会場となった都立横綱町公園内の東京都慰霊堂です。
こちらは大正12年(1923)9月1日の関東大震災で被災された人々や
昭和20年(1945)3月10日他の東京大空襲の犠牲者を慰霊するために
都が建てたものです。

この慰霊堂は昭和5年(1930)9月に伊藤忠太氏他の設計で建坪は
380坪弱あるそうです。撮影:2007年



上の写真は2015年3月10日に挙行の慰霊式の様子です(NHKテレビの報道)


上の写真は東京都立横綱公園内にある東京大空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する
碑です。1945年3月10日の0時半頃より2時間余の空襲があり
10万人(調査機関の違いで8.4万人)もの犠牲者が出たと言われています。
300機(日本軍発表では130機)のB29による大空襲で
名古屋、大阪でも同様の空襲があった。



上の写真はNHKテレビの報道で8万人の犠牲者に新たに174人が追加された。

このような無残な出来事を後世に伝え
世界の平和を望むものである。


3月10日は1999年に空襲犠牲者を追悼し平和を願うことを目的として
「東京都平和の日」に定められ、永遠に記憶に留める日となった。

昭和20年(1945)3月10日の空襲では午前0時過ぎから約2.5時間東京の下町が
279機のB29と32万発の焼夷弾による空襲で一瞬にして10万人を超える(文献では
97,031人という資料もあり)貴重な命が奪われた。

大空襲の夜が明けた三月十日十二時の大本営発表によれば、
本三月十日零時過ぎより二時四十分の間、B-29 約百三十機主力を以て帝都に来襲、
市街地を盲爆せり。右盲爆により都内各所に火災を生じたるも、宮内省主馬寮は
二時三十五分、その他は八時頃までに鎮火せり。
現在までに判明せる戦果次の如し。
撃墜: 十五機
損害を与えたるもの:約五十機

空襲による甚大な人的、物的被害については、全く触れられていませんでした。


小生が書いた関連ブログ

 NHKスペシャル 東京大空襲を視聴して

参考サイト
 東京大空襲・戦災資料センター





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都電荒川線 東池袋4丁目駅付近 on 2014-3-14

2014年11月10日 06時45分24秒 | 東京情報

2014年11月8日7時45分からNHKBSプレミアムでぶらち鉄道旅
「“下町のぜいたく”を探して 都電荒川線」という番組を観た。

都電荒川線に乗って、早稲田から三ノ輪橋へ、ユージさんが
昔懐かしい東京の下町を訪ねる内容であった。

NHKのぶらり鉄道旅のHPはこちら
  http://www4.nhk.or.jp/buratetsu/







上の3枚の写真は上記番組から都電荒川線関連の映像写真

こちらに刺激を受けて、都電荒川線の動画があるのを思い出しアップしました



動画は2014年3月14日に雑司ヶ谷霊園に行く途中で撮ったものです。
都電荒川線は早稲田と三ノ輪橋の間を170円で乗車できる1両編成の電車です。

都電荒川線についてWikipediaより引用紹介します。

概要
かつて東京都23区内を中心に多距離・多路線を展開していた都電路線の大半が
廃止された後も、唯一現存する路線である。
東京都23区内で営業を行う軌道線は、同じ都営の日暮里・舎人ライナー、
ゆりかもめの軌道扱いの部分をのぞけば、当線と東急世田谷線を残すのみと
なっている。


路線データ

路線距離:12.2km
軌間:1372mm
停留場数:30(起終点駅含む)
複線区間:全線
電化区間:全線(直流600V架空電車線方式)


さらに詳細はこちら
 http://en.wikipedia.org/wiki/Toden_Arakawa_Line

NHKBSプレミアムの番組で紹介されていた鬼子母神について過去に書いた
ブログを紹介しておきます。

雑司が谷 鬼子母神

鬼子母神(きしもじん/きしもしん)
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JR高円寺駅南の寺社めぐり その8(最終回) 善明山 西照寺 on 2014-3-16

2014年06月05日 05時35分09秒 | 東京情報
2014年3月16日(日)、JR高円寺駅の南側にある寺社を散策しました。

今回はその第8回で善明山 西照寺を紹介します。
今回をもってJR高円寺南側の寺社めぐりシリーズは終了します。


これまでの散策記

第1回  宿鳳山 高円寺

第2回  高円寺氷川神社(気象神社) 

第3回  如法山 長善寺(赤門寺)

第4回  瑞祥山 鳳林寺

第5回 祥雲山 福寿院

第6回 永昌山 宗泰院

第7回 万寿山 松応寺

善明山 西照寺の基本情報

住所:東京都杉並区高円寺南2丁目29−3  TEL:03-3311-7534
宗派:曹洞宗 山号:善明山 御本尊:釈迦如来坐像


Google地図による西照寺の位置



上の写真は善明山 西照寺の入り口の山門です。


上の写真は西照寺の境内です。


上の写真は真新しい説明板です。そのまま引用紹介します。

「当寺は普明山と号する曹洞宗の寺院で、本尊は釈迦如来坐像です。寺伝によれば、日比谷村(現千代田区内幸町)の漁夫により海中から拾いあげられた阿弥陀如来像が安置された御堂を、天正2年(1574)に開山文竜和尚が一寺としたのが開創と伝えられています。
その後、徳川家康の江戸入府による江戸城大築営のため、寺域は武家屋敷地となり、慶長17年(1612)芝金杉(現港区芝1丁目)に移転しました。しかし寛永20年(1643)類焼に遭い、寺地は御用地となり、拝領した替地は狭くて本堂の再建も不可能なため、寛文5年(1665)に至って芝白金台町(現港区白金2丁目)の地を買収して移転し、寺を再興しました。 この再興に力を尽くしたのが中興開基でもある岡田豊前守善政で、以来当寺は代々岡田家の菩提所となっています。この後、当寺は観音堂・鐘楼堂等の堂宇も整え、江戸西方三十三観音の第26番札所ともなり、門前には町屋が並び大いに賑わったと伝えられます。
明治維新の折に、当寺は倒幕派の放火によって伽藍を全焼しましたが、明治10年(1877)頃には復興を果たしています。再建された堂舎には明治女学校の講師であった島崎藤村が寄宿していたといわれています。
永く御府内にあった当寺も、東京発展のなかで寺域が区画整理の対象となり、明治44年(1911)現在の地に移転しました。
なお、当寺には室町時代末期の阿弥陀如来坐像、承応2年(1653)銘のとろけ地蔵、南町奉行所山村良旺や書家佐瀬得所の墓、江戸期建築の格式を持つ道了堂、心越禅師の山門額字書幅など多くの文化財が所蔵されています。
  平成26年2月 杉並区教育委員会」






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JR高円寺駅南の寺社めぐり その7 万寿山 松応寺 on 2014-3-16

2014年06月04日 08時56分18秒 | 東京情報
2014年3月16日(日)、JR高円寺駅の南側にある寺社を散策しました。

今回はその第7回で万寿山 松応寺を紹介します。


これまでの散策記

第1回  宿鳳山 高円寺

第2回  高円寺氷川神社(気象神社) 

第3回  如法山 長善寺(赤門寺)

第4回  瑞祥山 鳳林寺

第5回 祥雲山 福寿院

第6回 永昌山 宗泰院


万寿山 松応寺の基本情報

住所:  東京都杉並区高円寺南2丁目30−1  TEL:03-3311-8020
宗派:曹洞宗  山号:万寿山 御本尊:聖観音坐像


Goo地図はこちら


杉並区教育委員会による説明板の内容をそのまま引用紹介します。

「当寺は、万寿山と号する曹洞宗の寺で、現在の本尊は聖観音坐像です。(戦火で本尊釈迦牟尼仏を
消失したため) 寺伝によると明暦2年(1656)浅草八軒寺町(現台東区寿2丁目)に開創されました。
開山は大松寺(現北区西ヶ丘1丁目)5世の悦州舜喜大和尚で、開基は雪岩長卯大和尚です。
山門に掲げる万寿山の山号は江戸時代の高名な書家高玄融の筆になるものです。
江戸時代の当寺は、与力・同心など武家寺として栄えていましたが、墓地が狭小なことから
大正7年6月に寺院の維持発展のため、現在地に移転して来ました。
当寺の歴史については、昭和20年の戦火で全焼し、本尊はじめ、寺宝・寺録などの全てを消失した
ため、詳細は、明らかではありません。
現在の本尊は、禅宗様式の濃い仏像で、藤原時代の様式を模したと思われるふっくらした円満な
お顔に特徴があります。
なお、当寺には「農政本論」「経済要録」「開国要論」等の著者で江戸時代の農政学者佐藤信淵
(1850年歿)の墓があります。
   昭和61年1月   杉並区教育委員会」


上の写真は入り口の山門。











上の写真は境内風景。






上の写真は「農政本論」「経済要録」「開国要論」等の著者で江戸時代の農政学者佐藤信淵(1850年歿)の墓


佐藤 信淵(さとう のぶひろ)についてWikipediaより引用紹介します。

佐藤 信淵、明和6年6月15日(1769年7月18日) - 嘉永3年1月6日(1850年2月17日))は、江戸時代
後期の絶対主義的思想家であり、経世家(経済学者)、農学者、兵学者、農政家でもある。
出羽国雄勝郡郡山村(現秋田県雄勝郡羽後町)出身。
通称は百祐、字は元海、号は松庵・万松斎・融斎・椿園。


明和6年(1769年) - 出羽国雄勝郡で生まれる。
天明 - 寛政年間 - 父の遺言に従い諸国を遍歴する。東北・中国地方への度々の旅行で見聞した農村の
           悲惨な間引きに最も心を痛めた[1]。
寛政4年(1792年) - 江戸京橋柳町にて医業を始める。
寛政9年(1797年) - 母が死に、上総国山辺郡大豆谷(まめざく)村(現千葉県東金市)に移る。
文化10年(1813年) - 江戸日本橋富沢町で医業を営む。
文化12年(1815年) - 平田篤胤に入門。
文化13年(1816年) - 医業廃業。吉川源十郎一件に連座して入牢。江戸所払いにより、下
            総国船橋大神宮(現千葉県船橋市)に移る。
文化14年(1817年) - 大豆谷村に移る。
文政6年(1823年) - 『混同秘策』を著す。
文政8年(1825年) - 『天柱記』を著す。
天保3年(1832年) - 江戸所払いにより、武蔵国鹿手袋村(現埼玉県さいたま市南区)に移る。
           『農政本論』を著す。
天保4年(1833年) - 『内洋経緯記』を著す。
天保10年(1839年)には親交のあった渡辺崋山、高野長英、小関三英とともに蛮社の獄に連座したが、
            わずかに罪を免れる。
天保11年(1840年) - 綾部藩の藩主九鬼隆都に招かれて勧農策を講じた。やがて、かれの学識は
         老中首座であった水野忠邦の買うところとなり、その罪も許されて、忠邦の諮問に
         応ずるために『復古法概言』を著した(弘化2年刊行)。
        信淵は幕府専売制ともいうべき「復古法」を実施し、流通を幕府の手によって直接統制し、
         流通過程からの収奪による富国策を提示した。
天保12年(1841年) - 盛岡藩に仕官。
嘉永3年(1850年) - 死去。墓は浅草松応寺(現在は杉並区高円寺南2-29に移転)
明治15年(1883年) - 朝廷から正五位を追贈される。
明治42年(1909年) - 平田神社に合祀され、彌高神社と改称された神社の祭神となる。







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JR高円寺駅南の寺社めぐり その6 永昌山 宗泰院 on 2014-3-16

2014年06月03日 06時50分44秒 | 東京情報
2014年3月16日(日)、JR高円寺駅の南側にある寺社を散策しました。
暫く記事追加を御無沙汰していましたがこのシリーズを再開します。

今回はその第6回で 永昌山 宗泰院を紹介します。


これまでの散策記

第1回  宿鳳山 高円寺

第2回  高円寺氷川神社(気象神社) 

第3回  如法山 長善寺(赤門寺)

第4回  瑞祥山 鳳林寺

第5回 祥雲山 福寿院


永昌山 宗泰院の基本情報

住所:東京都杉並区高円寺南2丁目31−5  TEL:03-3311-3010
宗派:曹洞宗  山号:永昌山 御本尊:釈迦牟尼仏


Goo地図はこちら
 


杉並区教育委員会の説明板(下の写真)をそのまま引用紹介します。



当寺は山号を永昌山と号する曹洞宗の寺で、本尊は釈迦牟尼仏です。寺伝によれば、嘯山春虎和尚が天正12年(1584)、麹町表四番町(現千代田区四番町)に草庵を結んだのが始まりといわれています。開山は小田原万松院の格峰泰逸和尚で、文禄2年(1593)に、幕府から寺地の寄進を受けて、堂塔を整えました。
その後、元和2年(1616)に至り、寺地が旗本の屋敷地と定められたため、市ヶ谷左内坂に境内地を拝領して移転、寺院の取締りにあたる市ヶ谷組寺院触頭を命ぜられています。
当寺の檀家は旗本・御家人・尾張藩士などの武家350家とその出入上人などで、本堂・開山堂・客殿をはじめ、武家檀家参詣のための供待ち部屋・槍小屋・馬小屋など十六棟の伽藍を有する旗本寺として隆盛を誇ったといわれています。
明治維新の変動により当寺も一時、寺勢が衰えましたが明治20年代には復興し、明治42年、陸軍士官学校の校地拡張のため寺地を買収され、現在の地に移転しました。
宝暦7年(1757)建立の本堂、寛延3年(1750)建造の開山堂は、そのまま移築したもので、江戸中期建造の開運弁天堂(尾張藩主の持仏堂といわれる)とともに区内有数の古い建造物です。
なお、当寺には他に類をみない乳房を嬰児にふくませている木彫の「子授け地蔵尊」が安置されているほか、明治の俳人原月舟の句碑、幕末の名剣士すずきは無念流の始祖鈴木大学重明、相撲年寄松ヶ根・東関の墓などがあります。
 昭和60年3月 杉並区教育委員会







朝の早い時間で門が開いておらず中に入れず外観のみです。





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JR高円寺駅南の寺社めぐり その4 瑞祥山 鳳林寺 

2014年04月01日 06時11分46秒 | 東京情報
2014年3月16日(日)、JR高円寺駅の南側にある寺社を散策しました。

今回はその第4回で瑞祥山 鳳林寺を紹介します。


これまでの散策記

第1回  宿鳳山 高円寺

第2回  高円寺氷川神社(気象神社) 

第3回 如法山 長善寺(赤門寺)


瑞祥山 鳳林寺の基本情報

住所:杉並区高円寺南2-39-1  TEL:03-3311-8258
宗派:曹洞宗 御本尊:木造釈迦如来坐像  山号:瑞祥山
開創:永禄元年(1558)江戸牛込御門外舟河原付近で開創
Google地図へのリンク

由緒(現地の説明板より)


当寺は瑞祥山と号する曹洞宗の寺院で、本尊は釈迦牟尼仏(宋朝風蓮華上宝冠の華厳会釈迦如来
像)です。開創は永禄元年(1558)で江戸牛込御門外舟河原(現新宿区市ヶ谷飯田橋駅周辺)の
地に草創され、後に本寺吉祥寺(現文京区本駒込)八世松栖用鶴大和尚(1630年歿)が開山と
なり、寺容を整えました。
開基は旗本荒川長右衛門重照(1657年歿)で中興開基は同じく旗本で御蔵奉行をつとめた
長田新右衛門房重(1693年歿)です。その後寛永12年(1635)寺域が幕府御用地となり、
あらたに牛込七軒寺町(現新宿区弁天町)に拝領地を得て移りました。
更に明治末年弁天町通りが拡張されることになり寺域が狭くなり、280年を過した牛込より
大正3年現在地に再度移転しました。
明治7年には現新宿区西早稲田にあった夾山寺(吉祥寺末)が当寺に合併しました。
当寺境内には、家庭和合を守る愛染明王と厄除け子育ての延命地蔵尊を安置する二つのお堂が
あります。延命地蔵尊は行者晴雲が願主となり諸国の神社仏閣巡拝でうけたお札を納めるため
元文2年(1737)夾山寺に造立され、「大石仏の地蔵」といい伝えられました。
墓地には幕末の医家多賀谷楽山、書家画家の多賀谷向陵・酔雪、その門人の金井莎邨等の墓が
あり、太田蜀山人の師内山賀邸も当寺に葬られ過去帳に名をとどめています。

 昭和61年1月 杉並区教育委員会



上の写真は山門です。瑞祥山の扁額が架けてあります。


上の写真は本堂です。



上の写真は延命地蔵。高さが3.6メートルもあり都内最大の石地蔵だそうです。


上の写真は延命地蔵の前の石造仏群です。



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JR高円寺駅南の寺社めぐり その3 如法山 長善寺(赤門寺)

2014年03月27日 14時04分44秒 | 東京情報
2014年3月16日(日)、JR高円寺駅の南側にある寺社を散策しました。

今回はその第3回で如法山 長善寺(赤門寺)を写真紹介します。


第1回 宿鳳山 高円寺

第2回 高円寺氷川神社(気象神社) 


長善寺の基本情報

住所:東京都杉並区高円寺南2-40-50 TEL:03-3311-2922 FAX:03-3317-5688
宗派:日蓮宗 山号:如法山  開基:天正18年(1590)、圓立院日義上人

公式HP:http://www.tokyo-saibu.com/list/chozenji/index.html



上の写真が如法山 長善寺の全景です。

本堂の手前右側には日蓮聖人650遠忌の際に建立された日蓮聖人の銅像があります。

杉並区教育委員会による説明書きがありましたのでそのまま引用させていただきます。

当寺は如法山と号する日蓮宗の寺院で、本尊は十界諸尊と日蓮聖人坐像です。
寺伝によれば天正十八 年(1590)円立院日義によって江戸府内の谷中(現台東区谷中)
に開創され、はじめは実蔵坊と
称していましたが、二世長善院日行の時に現在の寺号になったと伝えられています。
 その後五世日成の時代に谷中本村(現荒川区日暮里)の地に移転しています。
しかし、近代に入り国鉄路線拡張のために再び移転をよぎなくされ、大正十五年に高円寺の寺町の
一角を占める現在の地に移りました。昭和二十年末、火災で堂宇を焼失し現在の本堂は昭和34年に
再建されたものです。
 本堂左手前の三十番神堂は「新編武蔵風土記稿」に谷中本村の鎮守と記載されているもので、
天保四 年(1833)再建の古い建物です。堂内には法華経を守護するという三十体の番神が
祀られていますが、当寺のように三十番神像が全部揃っているのは都内でも珍しいといわれます。
 文化財としては江戸時代から既に知られて十羅利女像・毘沙門天像が安置されているほか、
鬼子母神像も所蔵されています。
 なお、墓地には徳川幕府の鍛金打物師として名高かった家城源七(文化十三年・1816没)の
   墓があります。

   平成16年3月  杉並区教育委員会
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