CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

企画展 ひょうごの遺跡2009~2018-調査研究速報- in 兵庫県立考古博物館 on 2018-3-11

2018年03月31日 06時59分46秒 | 神戸市以外の兵庫県

2018年3月11日、兵庫県立考古博物館で開催中の企画展ひょうごの遺跡2009~2018
-調査研究速報-を観覧しました。
この企画展は兵庫県政150周年記念事業で開館10周年記念企画展でもあります。

珍しく写真撮影OKであったので憶えのため、展示内容をメモとして残すため整理しました。

企画展の開催要項は下記のとおりで3月25日にすでに終了しています。

1 会期   平成30年1月20日(土)~3月25日(日) 
2 会場   兵庫県立考古博物館特別展示室
3 観覧時間 午前9時30分~午後5時(入館は午後4時30分まで)
4 休館日  月曜日(祝日にあたるときは翌日)
5 観覧料金 大人200円(160円)、大学生150円(120円)、高校生100円(80円)
         小・中学生無料
 ※ ( )内は20名以上の団体料金。障害者およびその介護者、65才以上の方は半額
6 問合せ先 兵庫県立考古博物館  079-437-5589
          〒675-0142 兵庫県播磨町大中1-1-1


今回の企画展の趣旨と概要
兵庫県立考古博物館は平成19年(2007)10月に開館し昨年10月で10周年になります。
この節目を記念して過去10年間の発掘成果を記録した170冊の報告書の研究成果から、
⑤池田古墳(朝来市)、⑪九蔵遺跡(南あわじ市)、⑲豆腐町遺跡(姫路市)など
縄文時代から近代までにおよぶ選りすぐりの19遺跡の研究成果が展示されました。
平成29年度に発掘調査を行った遺跡の速報も展示されていました。


縄文時代の遺跡

①池ノ下遺跡(姫路市)




上の2枚の写真は池ノ下遺跡(姫路市)の中津式縄文土器深鉢の展示と説明パネル

縄文時代後期(約4,000年前)、縄文人が何のために埋めたのか?謎です。

②東南遺跡(揖保郡太子町)

上の写真は東南遺跡(揖保郡太子町)の遺物展示と説明パネル

弥生時代の遺跡

③下加茂遺跡(洲本市)



上の2枚の写真は下加茂遺跡(洲本市)の展示と説明パネル及び朱塗りの木製杓子

④三釈迦山北麓遺跡群(桂ケ谷遺跡)(篠山市)


上の写真は三釈迦山北麓遺跡群(桂ケ谷遺跡)の弥生土器の展示と説明パネル

古墳時代の遺跡

⑤池田古墳(朝来市)

上の写真は池田古墳(朝来市)の水鳥形埴輪の展示と説明パネル

⑥坂元遺跡(加古川市)



上の2枚の写真は武人埴輪の展示及び説明パネル


上の写真は坂元遺跡(加古川市)の石見型盾形埴輪の展示

⑦東沢1号墳(加古川市)





上の3枚の写真は東沢1号墳(加古川市)の家形埴輪の展示、須恵器の展示(5点)
及び説明パネル

奈良時代の遺跡
⑧長坂寺遺跡(明石市)



上の2枚の写真は長坂寺遺跡(明石市)の軒丸瓦などの展示及び説明パネル

⑨古大内遺跡(加古川市)



上の2枚の写真は古大内遺跡(加古川市)の鬼瓦、軒丸瓦などの展示及び説明パネル

⑩向山遺跡(姫路市)



上の2枚の写真は向山遺跡(姫路市)の軒丸瓦などの展示及び説明パネル


奈良時代~平安時代の遺跡
⑪九蔵遺跡(南あわじ市)



上の2枚の写真は九蔵遺跡(南あわじ市)の製塩土器&和同開珎の展示及び説明パネル

⑫田井A遺跡(淡路市)



上の2枚の写真は田井A遺跡(淡路市)の人形(木製)の展示及び説明パネル

平安時代の遺跡
⑬楠・荒田町遺跡(神戸市)



上の2枚の写真は楠・荒田町遺跡(神戸市)の土師器皿の展示及び説明パネル

室町時代の遺跡
⑭宮内堀脇遺跡(豊岡市)







上の4枚の写真は宮内堀脇遺跡(豊岡市)の墨書土器、徳利&四耳壺、生活用品&位牌
の展示及び説明パネル

⑮市之郷遺跡(姫路市)



上の2枚の写真は市之郷遺跡(姫路市)の梵鐘鋳型の破片展示及び説明パネル




上の写真は市之郷遺跡(姫路市)の梵鐘鋳造遺構剥ぎ取りの展示と説明パネル

江戸時代の遺跡
⑯平福御殿屋敷跡(佐用町)



上の2枚の写真は平福御殿屋敷跡(佐用町)の備前焼&瀬戸焼&唐津焼の陶器展示
及び説明パネル

⑰生野代官所跡関連遺跡(朝来市)





上の3枚の写真は生野代官所跡関連遺跡(朝来市)の唐津焼などの陶器、権(金属製品)
及び銅銭、竿秤(昭和期)の展示及び説明パネル

江戸時代~明治時代以降
⑱猪渕谷坑道群間歩ケ谷支群他(猪名川町)




上の2枚の写真は展示猪渕谷坑道群間歩ケ谷支群他(猪名川町)の写真展示及び説明パネル


明治時代
⑲豆腐町遺跡(姫路市)






上の3枚の写真は豆腐町遺跡(姫路市)の煉瓦とレールの展示と説明パネル

平成29年度 発掘調査速報
⑳和泉谷・津原古墳群(新温泉町)



上の写真は和泉谷・津原古墳群(新温泉町)の土師器&須恵器の展示及び説明パネル

㉑南構遺跡(豊岡市)



上の2枚の写真は南構遺跡(豊岡市)の石製紡錘車&須恵器の展示及び説明パネル

㉒宗佐遺跡(加古川市)



上の2枚の写真は宗佐遺跡(加古川市)の朱墨用硯&須恵器などの展示及び説明パネル

当日(2018-3-11)は平成29年度 発掘朝速報会と題して講演と討論会が催され
こちらも参加してきました。演題と発表者のみ記載しておきます。

小垣谷遺跡・小垣谷古墳群(豊岡市) 藤原怜史
  ―古墳時代の墳墓と平安時代の集落―

 ひょうごの遺跡 97号にも概要が掲載

宗佐遺跡(加古川市) 新田宏子
 ―奈良時代の大型建物跡―

  兵庫県立教育研修所のサイトにも概要が掲載

和泉谷・津原古墳群(新温泉町) 岸本一宏
 ―古墳時代の墳墓―

  兵庫県立教育研修所のサイトにも概要が掲載

関連サイト:
平成24年度発掘調査速報会 in 兵庫県立考古博物館 on 2013-3-23

兵庫県立考古博物館企画展「ひょうごの遺跡 Vol.5 調査研究速報」見学記(その1)

兵庫県立考古博物館企画展「ひょうごの遺跡 Vol.5 調査研究速報」見学記(その2)


最後に企画展の全体遠景を添付して筆を置きます

















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酒菜ダイニング 「すずろ」でのランチ 2018-3-26

2018年03月30日 06時00分48秒 | 神戸情報
2018年3月26日(月)に、神戸市須磨区板宿の酒菜ダイニング すずろ
ランチをいただきましたので写真紹介します。

すずろの基本情報
住所:神戸市須磨区大黒町2丁目2−23
TEL:078-731-1626
定休日:日曜、祝日
昼 11:00~14:30  夜 17:00~21:00
料理ジャンル:和食


所在地は判りずらいので以前のブログ(下のサイト)の地図を参照して下さい
 http://blog.goo.ne.jp/chiku39/e/97fca5c48bea6b4816d2657cace20e68


上の写真は私が選択したにぎり寿司定食 1,080円(税込)




上の写真は奥様が選択したサービスランチ(肉or魚料理がメイン)1,080円(税込)
当日は肉を選択(豚テキ)

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敦盛塚 on 2018-3-28

2018年03月29日 05時13分40秒 | 神戸情報

2018年3月28日、桜が見頃になった敦盛塚の写真を撮ってきましたので
紹介します。



上の写真は敦盛塚石造五輪塔である。2018-3-28撮影
左手の桜が春らしい景色を演出しています。

敦盛塚の材質は六甲山系で多く産出される花崗岩です。

神戸市教育委員会の説明板より説明書きを以下に引用する。

神戸市指定有形文化財 敦盛塚五輪塔
○総高:397cm
○製作年代:室町時代末期~桃山時代
○指定年月日:平成9年10月23日

 この五輪塔は花崗岩製の総高4m近い堂々たるもので、中世の五輪塔としては
石清水(いわしみず)八幡宮五輪塔(京都府八幡市)に次ぎ、全国で第2位の規模を誇る。
法量は総高397cm、2石から成る地輪(ちりん)は幅126cm、高さ98.5cm、
水輪(すいりん)は、最大径130.4cm、高さ99cmで下部がすぼまり、火輪(かりん)
は軒幅126.4×119cm、高さ75.8cm(上部に径30cm、深さ20cmの柄穴
(ほぞあな))、風(ふう)、空輪(くうりん)は一石彫成で、風輪の径73cm、
高さ56cm、空輪最大径69cm、高さ72.9cm、各輪四方にそれぞれ五輪塔四門の
梵字(ぼんじ)を薬研(やげん)彫りに配している。紀年銘はなく、梵字が大きいことや
水輪火輪の様式にやや古調がみられるが、風、空輪は明らかに近世塔やの先駆的様式を
示していることから、室町時代末期から桃山時代にかけての製作と思われる。
 この付近は源平一の谷合戦場として知られ、寿永3年(1184)2月7日に、
当時16才の平敦盛が、熊谷次郎直実によって首を討たれ、それを供養するためにこの塔を
建立したという伝承から、"敦盛塚"と呼ばれるようになった。このほか、鎌倉幕府の執権
北条貞時が平家一門の冥福を祈って、弘安年間(1278~1288)に造立したなどの
諸説がある。
 昭和60年(1985)4月に、神戸市教育委員会が周辺整備のための発掘調査を行った
ところ、下半分が埋没した地輪の下に、四角に囲った板石とその中に2枚の石から成る
基壇遺構があることが分かった。このため、基壇の上部を地表に現し、地輪部以上を完全に
露出するように積み直した。

平成11年3月    神戸市教育委員会

Five storied stupa  Atsumorizuka
Five storied stupa is a tombstone consist of five different parts.
From the bottom ,the scquare part symbolises earth, the circular part,
wind and the flaming shape part, air.
In buddhism it indicates five elements which exist in the material world.
This stupa is made of granite with 3.97m height.
It is the second largest scale,that of next to Iwashimizu-Hachimangu
(in Kyoto)in medieval period(16th century)by the type of dyone stupa.
This area is well known as the battlefield of Ichinotani between Gengi
clan and Heike clan in 12th century.
It is said this stupa was dedicated to TAIRANO Atsumori,young knight of
Heike who was killed by KUMAGAI Naozane in 1184 at age 16.

March 1999 Kobe City Board of Education


上の写真は敦盛塚の五輪塔の各部名称です。


上の写真は敦盛塚の傍にある草野藤次先生の歌碑

歌碑には下記のように歌が刻まれています。

須磨のうら 波の音
あはれ吹きたへし
葉の笛の
昔おもへば 藤次


この歌は大阪朝日新聞懸賞で当選したもので、
歌碑に字は草野藤次先生の直筆だそうです。

草野藤次先生は神戸市中央区の開業医だったそうです。


敦盛塚には松瀬青々先生の歌碑もあります。(上の写真)

「雨中 敦盛そばへ去りし夜客や後の月」

昭和44年10月26日神戸漁火会により建立されました。
松瀬青々先生は関西の高浜虚子とも言われた有名な俳人である。
松瀬青々は大正11年8月から11月まで西須磨23の平井隼之助氏の西隣に仮寓されて
おりこの句はその時の作である。
尚、そばは塚として松瀬青々先生が主宰した倦鳥誌に掲載されている。
松瀬青々は本名を弥三郎、明治2年(1869)5月15日大阪船場の薪炭商加賀屋の長男
として生まれた。
北浜上等小学校を卒業後、丁稚奉公や呉服行商をしたが、そののち、第一銀行大阪支店
に入社した。第一銀行では荒木井蛙、渡邊葉齋らと俳句をつくる活動をしていた。
蓼生園中村良顯に和歌を学ぶ。
幼少のときから漢詩、詩歌を学び、俳句を新聞や「ホトトギス」なとに投句していた。
28歳の頃から俳句を学び「ホトトギス」に投句したのがきっかけで子規と会い、
勤めていた第一銀行を辞めて明治32年(1899)上京し「ホトトギス」の編集にあたった。
明治33年(1900)に帰阪後は朝日新聞社に入社。大阪朝日新聞社の会計部に勤めながら、
朝日俳壇の選句を担当、東の子規、西の青々と言われ大阪に活況をもたらした。
明治34年(1901)「宝船」(のちに「倦鳥」と改題)を創刊し、没年までこれを主宰した。
明治39年の年の瀬に、生地の大川町(中央区の北浜4丁目)から八坂神社の近くに
(現在の住所で大阪市福島区海老江4-10-17)移り大正10年まで住んでいた。
さらに没年まで大阪周辺に住み青木月斗(明治32年に車百合を創刊し、からたちを主宰した)
や山茶花を主宰した野村泊月雑と並び大阪俳壇の基礎をきづいた。

また、句集「松苗」「妻木」「鳥の巣」などを発刊した。昭和12年(1937)1月9日没。

松瀬青々の俳句には
「はすのあめおぐらひとつにいきおそし」 宇治の小椋池での蓮見学の様子を詠む。
「甘干に軒も余さず詩仙堂」
のように固有名詞(地名など)を使用されている句が多い。

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須磨寺の震災モニュメント2箇所 on 2018-3-26

2018年03月29日 04時22分32秒 | 神戸情報
須磨寺に設置されている阪神淡路大震災に関わる震災モニュメント(2箇所)の
写真を撮ってきましたので紹介します。 撮影日:2018年3月26日




上の2枚の写真は須磨寺仁王門横に設置された震災モニュメントと説明石碑
建立者:財団法人 全日本仏教会 理事長 白幡憲佑
     財団設立40周年 第37回全日本仏教会議を神戸で開催にあたり建立

建立日:平成9年(1997)10月15日

神戸新聞社は毎年震災モニュメントマップを1月17日に掲載されています。
2018年には310箇所がリストアップされており、建立日順に番号が付けられ、
須磨寺仁王門横の震災モニュメントはNo.104で掲載されています。


上の写真は須磨寺正覚院前のお地蔵さん群です。

上述の震災モニュメントマップで須磨寺正覚院前はNo.103で掲載されています。
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黒田家菩提寺 心光寺への訪問記 on 2014-7-13

2018年03月28日 06時47分47秒 | 姫路市
大河ドラマ「軍師官兵衛」が放映されていた2014年7月13日に黒田家菩提寺 
心光寺(姫路市北平野台町)を訪問しています。
時間も経過して記憶は薄れていますが訪問記として写真を整理しました。

心光寺の基本情報

住所:姫路市北平野台町4−12  TEL:079-225-1598
宗派:浄土宗 山号:實貞山 御本尊:阿弥陀如来 御住職:合田義道氏
前身:佐土村(別所町佐土)の真言宗梨原寺で御着城主小寺氏の菩提寺であった
 観音霊場:姫路西国三十三箇所第八番霊場

實貞山・心光寺には黒田家の菩提寺で官兵衛の祖父:重隆公、重隆公妻、
官兵衛の父:職隆(もとたか)、職隆公妻、孝高公、友氏公の位牌が
黒田長政の時代に祀られたとのこと。

Goo地図を添付
 

上の写真は本堂

上の写真は現地説明板

浄土宗 實貞山心光寺

心光寺の前身は佐土村(別所町佐土)の真言宗梨原寺で、御着城主小寺氏の菩提寺であった。
しかし、政隆・則職が一向宗を. 信奉したことと、熱心な浄土宗信者であった職隆夫人
明石氏(官兵衛の母)の死去を契機として、職隆が梨原寺を浄土宗寺院に改宗・改築し、
黒田家の菩提寺とした。心光寺縁起(姫路考略記)には「本尊阿弥陀仏、貳尺八寸立像、
聖徳太子之作也。牛堂山国分寺塔中(塔頭)之本尊と伝へ」とある。心光寺はその後
職隆に随従して佐土村から姫路に移され、慶長13年(1608)池田輝政の町割りの際に
坂田町(今の保健所の所)へ移された。しかし、昭和初期に国道2号線が境内を貫通し
戦後の復興事業により寺地が減少したため平成2年(1990)11月現在地に移った。
 以下略

上の写真は観音堂

上の写真は心光寺の入口遠景

上の写真は正面入り口(山門)

上の写真は通用門(山門)

上の写真は庫裏

上の写真は正面の山門からみた境内の遠景

上の写真は正面の山門付近の軒瓦。黒田家の家紋が入っています。

上の写真は歴代住職の墓碑付近

上の写真は境内の稲荷社

上の写真は浄土宗の宗祖「法然」の尊像

お地蔵様 六道を解説した石碑

上の写真は以前に使用されていた瓦の保管棚

上の写真は瓦の保管棚の横に置いてある鬼瓦

 2023年3月20日に追加

軒平瓦に関する一般資料
坪井利弘著 日本の瓦屋根 理工学社(1997)より軒平瓦に関する資料を添付
上の写真は平軒瓦の定義 上述の本のPage85
上の写真は軒瓦の種類 上述の本のPage85
軒瓦には平軒瓦の他に鎌軒瓦、一文字軒瓦、左軒瓦があります。
上の写真は一文字軒瓦の各部分の名称 上述の本のPage85
上の写真は屋根に使用される瓦の種類と使用箇所 上述の本のPage34
上の写真は本葺型の瓦の種類 上述の本のPage35
上の写真は平唐草の瓦当の文様 上述の本のPage39
上の写真は平唐草瓦当各部の名称 上述の本のPage38
上の写真は平唐草・二の平・敷平  上述の本のPage38

上の写真は平唐草の寸法の一例 上述の本のPage38
ここまでは2023年3月20日に追記





上の2枚の写真は釈迦如来双方(仏足石)とその解説石碑

上の写真は鐘楼の遠景
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須磨浦公園 「敦盛桜2018」と「エンタメ夜桜」のPRポスター掲示 in 山陽電車須磨駅 on 2018-3-25

2018年03月27日 18時11分29秒 | 神戸情報
2018年3月25日、山陽電車須磨駅で掲示されていた須磨浦公園「敦盛桜2018」と
「エンタメ夜桜」のPRポスターの写真を撮りましたので紹介します。


上の写真は山陽電車須磨駅に掲示されていた須磨浦公園「敦盛桜2018」と
「エンタメ夜桜」のPRポスターの遠景(全景)です。
同じ写真が掲示されていますがこれだけ多くのポスターを並べると圧巻です。


上の写真は須磨浦公園「敦盛桜2018」のPRポスター拡大版


上の写真は須磨浦公園「エンタメ夜桜」のPRポスター拡大版
3月30日(金)~4月8日(日)までライトアップされた夜桜を鑑賞できます

詳細情報
山陽電車の公式サイト:http://atsumorizakura.com/

神戸観光公式サイト(Feel Kobe):https://www.feel-kobe.jp/event/detail.php?code=0000003143



2018年3月26日(月)に撮った須磨寺の桜の写真を添付しておきます。





2018年神戸の桜の開花宣言

神戸地方気象台は3月23日午後、神戸市内で桜(ソメイヨシノ)の開花を宣言した。
平年より5日、昨年より11日早かった。
桜(ソメイヨシノ)標本木:神戸市立王子動物園(神戸市灘区)





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八正寺 平成30年度 鬼会式 on 2018-3-4

2018年03月27日 04時41分14秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年3月4日に行われた八正寺 平成30年度(2018年)の鬼会式を
観てきましたので写真紹介します。

まず、八正寺の基本情報から記載します。

八正寺の基本情報

住所:姫路市白浜町甲398  TEL:079-246-0023
宗派:高野山真言宗 山号:松原山 御本尊:薬師如来
創建:聖武天皇の神亀元年(724) 行儀菩薩

観音霊場:播磨西国三十三箇所、第6番



上の写真は八正寺の鬼会式が行われた薬師堂(右手)と聖観世菩薩堂(左手)


上の写真は正面からみた八正寺の薬師堂(左手)と聖観世菩薩堂(右手)




上の2枚の写真は薬師堂、観音堂の前の石造像


上の写真は八正寺観音堂の扁額に書かれた御詠歌。


上の写真はミニ四国八十八ケ寺巡拝遍路の一部です。


上の写真は吉田源蔵翁の顕彰碑 どういう人物かは未調査不明


上の写真は鬼会式の外護摩の準備が済んだ薬師堂前の様子です。


上の写真は八正寺の周辺地図




上の2枚の写真は八正寺の現地説明版

詳細解説されたサイト:http://www.eonet.ne.jp/~hayabusa/8tera.htm

このサイトより八正寺の構成は
六院(霊山院・宝蔵院・光明院・文殊院・宝積院・鎮城院)と
二棟の建物(神宮寺と松原八幡宮本殿)この八院の総称






上の2枚の写真は八正寺の・鬼会式のPRポスターと当日の予定表
鬼踊りが見られると思って出かけたが護摩だきと法要及びお面かぶりのみの形式で
行われていました。

鬼踊りが行われるのは7年に1度の昼鬼会式及び60年に1度の夜鬼会式


上の写真は八正寺・薬師堂に掲示されていた夜鬼会式の様子を描いた絵
夜鬼会式が明治40年(1907)2月7日に行われたこと、明治40年8月3日に
伊藤寅吉豊一によって描かれたことが記載されています。
これからすると2027年に夜鬼会式が挙行される予定と推察しました。
実際には平成4年(1992)5月4日に挙行されたとの掲示もありました。(下の2枚の写真)
これからすると自分が生きている間にはもう見ることが出来ないのかな?




同じく掲示で昭和29年(1954)旧暦2月7日に挙行の夜鬼会式(下の写真)



上の写真も同じく八正寺・薬師堂に掲示されていたもので平成18年(2006)3月5日
に行われた昼鬼会式の様子を写真や文書で纏められています。
昼鬼会式は1983年を最後に途絶えていたが、23年ぶりに復活したそうです。


上の写真は平成八正寺の25年(2013)3月3日に行われた昼鬼会式の掲示


上の写真は昼鬼会式の道中行列の参列者リスト

だいぶ、違う方向に話を進めてしまいました。当日の鬼会式の写真に戻します。

内護摩

内護摩及び法要の様子を動画で紹介します。
姫路白浜 八正寺の鬼会式 on 2018-3-4 その1 内護摩供養及び法要


外護摩




外護摩の様子を動画で紹介します。
姫路白浜 八正寺の鬼会式 on 2018-3-4 その2 外護摩供養


鬼餅

鬼と書かれた餅

お面かぶり

上の写真はお面かぶりの様子です。




上の2枚の写真はお面かぶりで使用された鬼面(赤鬼・青鬼)です。レプリカか?
上出の八正寺の現地説明版の解説を引用して紹介します。

鬼面(赤鬼・青鬼) 平成元年3月31日県指定

 赤鬼 面高 32.6cm 面幅 23.5cm
 青鬼 面高 32.5cm 面幅 21.0cm

赤鬼は阿形(あぎょう)、角は2本、牛の角のごとく強く曲がって前へ突き出している。
青鬼は吽形(うんぎょう)、縦に4本の角を持っている。両面とも眉は太く、
目は丸く強く飛び出している。彫は深くすこぶる勇壮で野趣に満ちた風格を備えている。

赤鬼の面裏の朱書銘から、文保2年(1318)に行春が勧進となり、一円が制作したことが
わかる。鬼面の年号・勧進・作者がわかること、また、その特色ある風貌から、鎌倉時代
後期の作例として優れた遺品である。


お面かぶりの様子を動画で紹介します。
姫路白浜 八正寺の鬼会式 on 2018-3-4 その3 お面かぶり



ぜんざいの接待

上の写真は当日いただいた「ぜんざい」
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湊川公園の時計塔と神戸タワー on 2018-3-21

2018年03月26日 04時28分59秒 | 神戸情報
2018年3月21日に湊川公園から新開地までを散策した。

湊川公園の南側に今日、写真紹介する時計塔があります。
時計塔の4面に掲示されているパネルも含めて写真紹介します。


上の写真は当日撮影の時計塔


上の写真は2008年8月8日撮影の時計塔


上の写真は時計塔と神戸タワーに関する説明書き

読みづらいと思いますので、以下説明書きより要約引用します。
「かって、新開地は神戸一の繁華街として栄え、その中心湊川公園には繁栄のシンボル
として神戸タワーがそびえたっていました。このタワーからは神戸市内が一望でき、晴れた
日には遠く紀淡あたりまで眺望でき、東洋一だと神戸ぅ子は自慢していました。
湊川公園に神戸タワーを模した時計塔を建設しました。
この時計塔は高さ8mの花崗岩石張・アルミダイキャスト作りで、4個のベル(カリヨン)
が備えつけられ時間がくるとメロディを奏でます。夜間には両側の植え込みから
ライトで時計塔が浮かびあがるようになっています。」

昭和60年(1985)6月15日 神戸兵庫ライオンズクラブ湊川公園活性委員会




上の写真はかってこの地にあった湊川公園のシンボル「神戸タワー」

神戸タワーは大正13年(1924)に建設されました。高さ90mもありました。
昭和9年(1934)からネオンを輝かせた。昭和43年(1968)に取り壊された。


時計塔の側面パネルには時計塔の断面構造図(写真が不明瞭なので省略)と開港時の
兵庫津と1985年の兵庫津付近の地図(下の2枚の写真)






当日、湊川公園に「ゆきやなぎ」が見ごろであったので新開地アーケードの北側入口に
向けて写真をとりました。(下の写真)



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湊川公園の震災モニュメント on 2018-3-21

2018年03月25日 04時18分21秒 | 神戸情報
2018年3月21日、湊川公園の震災モニュメントの写真を撮ってきましたので
紹介します。


上の写真が湊川公園の震災モニュメントです。

神戸兵庫ライオンズクラブ チャーターナイト10周年を記念して阪神淡路大震災から
10年経った2005年1月17日に建立されました。

碑には「ここに ねむる いのち ここから はばたく」と書かれています。
故藤本義一氏の揮毫です。

神戸新聞社が毎年震災モニュメントマップを1月17日に掲載されている310箇所の
1つで、湊川公園の震災モニュメントはNo.258で掲載されています。

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セトレ 「DINING ROOM in the MAIKO」でのランチ on 2018-3-23

2018年03月24日 05時49分23秒 | 神戸情報
昨日(2018-3-23)に神戸市垂水区の明石海峡大橋の近くにあるプチホテル「セトレ」
の中にあるイタリアンレストラン「DINING ROOM in the MAIKO」でランチを
いただきましたので写真紹介します。

以前はミア・アルベルゴという名前でした。

DINING ROOM in the MAIKOの基本情報

住所:神戸市垂水区海岸通11−1 HOTEL SETRE1F
TEL:078-708-3331 FAX:078-708-3371
料理ジャンル:イタリアン


公式HP:http://www.hotelsetre.com/

Goo地図を添付しておきます。




当日注文したのはカリーナコース 2,600円(税込)です。


上の写真は前菜




次にスープ又はサラダがきます(上の写真)
カリフラワーのスープの味が素晴らしかった。


次にパンがきます。


上の写真は奥様が選んだメインのパスタ「帆立と小海老のカラスミオイルソース」


上の写真は私が選んだメインのパスタ「しらすと揚げ那須のピリ辛トマトソース」


上の写真はお楽しみのデザート




上の2枚の写真はメニュー表


上の写真はお店の入口付近


上の写真は席からの明石海峡大橋を臨む風景

尚、明石海峡大橋は2018年4月5日に開通から20年の節目に当たります。
下の写真は開通20周年のポスター


食事後セトレの周辺を散歩しました。
下の3枚の写真はその時に撮ったセトレの外観、移情閣、アジュール舞子です。





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