CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

長岡京跡

2024年08月11日 04時47分40秒 | 京都情報
2015年10月25日14時から、京都府向日市鶏冠井町大極殿55-2他で進められている
長岡宮跡第508次調査の発掘現場で現地説明会がある為出かけ下記のブログを書きました。


今回、歴史ウォークマップ「むこうまち」を歩こう!というパンフレットに
長岡京跡の全体図を解説した図があったので記憶として添付しておきます。
現在、断捨離で室内の資料類を処分する作業に取り組んでいるのでブログに
資料として蓄積する作業の一貫です。



長岡京は784年から794年の10年間山城国乙訓郡に存在した日本の首都である。
延暦3年(784)11月11日、桓武天皇(737-806 天皇在位は781-806)の命により
奈良の平城京より遷都された。

長岡京は、政治や儀式を行う大極殿や朝堂院などの官庁街と天皇の住まいである
内裏からなる宮域と、貴族や都市住民の居住域である京域に分けられます。

中心部の宮域はすべて現在の向日市域にあり、東西約1.0Km、南北約1.6Kmの大きさで
周囲は築地大垣で囲まれていました。
京域は東西4.3Km、南北5.3Kmで碁盤の目状の整然と区画されていました。
長岡京には位を有する役人が750人、下級役人や日雇いで役所の雑役に従事する人々は
約7,000人もいたといわれます。
役人の他に寺院の僧尼、専門的技術者、諸国から駆り出された農民などあわせて
5万人以上の人々が住んでいたといわれます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都市電 日本で最初に路面電車を走らせた京都電気鉄道と蹴上水力発電所

2023年12月28日 05時51分47秒 | 京都情報
日本最初の電気鉄道(チンチン電車)は明治28年(1895)、京都の岡崎公園一帯で
開かれた博覧会への客輸送のため、明治28年(1895)2月1日伏見(油掛通)と
京都駅(七条停車場)の間の6Kmの区間で開通
しました。私鉄の京都電気鉄道(株)が運営。
京都市民に親しまれた市電は昭和45年(1970)まで走りました。
線路幅は1067mm 。その狭い線路幅から「N電」(ナローのN) の愛称で親しまれました。

電気鉄道(チンチン電車)ができた背景ですが、京都では 琵琶湖疏水を利用した
蹴上水力発電所が 明治23年(1890)に完成し, その電力を利用して上述のとおり
明治25年(1892)に 日本で最初の営業路線となる電気鉄道 (電車) が開通した。
開通当初は、東海道線に踏切があって その南側が起点となっていたが 明治34年に
高倉跨線橋が完成して, 京都駅北側の路線と接続された。
上の写真は京都市内を走るチンチン電車
出典:日本図書センター「日本人」はじめて百科④産業・技術をうみだした人(2008)Page27

東京では馬車鉄道が盛んであったため路面電車の開通は遅れて明治36年(1903)に開業しています。
日本で最初に電車を走らせたのは明治23年(1890)、藤岡市助で東京・上野で開かれた
第3回内国勧業博覧会に電車を出品し、実際に走らせています。
上の写真は藤岡市助が導入したアメリカ製の電車。わずか400mの区間を走っただけだが、
反響は大きかったそうです。
出典:日本図書センター「日本人」はじめて百科④産業・技術をうみだした人(2008)Page26

また、京都駅の北東側に電気鉄道事業発祥地の碑が設置されています。
2012年3月21日に写真を撮っていますので写真紹介します。
上の写真は電気鉄道事業発祥地の碑 撮影:2012年3月21日

電気鉄道事業発祥地の碑は昭和50年(1975)2月1日に日本国有鉄道、京都市交通局、
関西電力株式会社、阪急電鉄株式会社、京阪電気鉄道株式会社、近畿日本鉄道株式会社
阪神電気鉄道株式会社、南海電気鉄道株式会社、京福電気鉄道株式会社、
鉄道友の会京都支部の協力で設置されたようです。

碑に書かれている文章を引用させていただきます。
日本最初の電気鉄道はこの地に発祥した。
即ち明治二十八年二月一日 京都電気鉄道株式会社は 東洞院通り七条下る
鉄道踏切南側から 伏見下油掛通りまで 六キロの間に軌道を敷き
電車の運転を始めた。
この成功を機として 我が国電気鉄道事業は漸次全国に広がり
今日の新幹線電車にまで発展することになったのである。
よってその八十周年にあたり 先人の偉業を讃えてこの記念碑を建てる。


石碑には当時のチンチン電車の写真もありました(下の写真)ので掲載しておきます。
 

伏見下油掛通りにも昭和45年(1970)2月1日に碑が建立されているようです。

琵琶湖疎水事業は、京都府知事北垣国道の発意により、田辺朔郎工学博士を工事担当者として、
明治18年(1885)起工され、明治23年(1990)に竣工した。

一方、琵琶湖疎水を利用する蹴上発電所は当初の計画にはありませんでしたが
明治21年(1888)に田辺朔郎と高木文平が米国コロラド州アスペンの
銀山で視察した水力発電に関心を持ち、導入が決定されました。
この結果、電力は京都の産業復興や日本初の路面電車の誕生に大きく寄与しました。
当初、蹴上水力発電所が稼働していないときは 路面電車も動かなかったようです。
蹴上水力発電所については下記ブログで詳細に書いています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祇園祭 主な祭事と2022年の山鉾巡行で注目されている話題

2022年07月03日 04時57分21秒 | 京都情報

祇園祭は、京都市東山区の八坂神社(祇園社)の祭礼で、明治までは
「祇園御霊会(御霊会)」と呼ばれた。貞観年間(9世紀)より続く。京都の
夏の風物詩で、7月1日から1か月間にわたって行われる長い祭である。
京都及び各地に流行った疫病退散を祈願したのが元々の由来である。

コロナについては第6波から第7波が来るのではと懸念される状況ではありますが、

疫病退散の願いが届くように願っています。

本ブログでは7月1日から31日までの主な祭事を整理しました。

7月1~18日 吉符入  祭の無事を祈願する。この日の夜から祇園囃子の稽古が始まる

  1日 長刀鉾町お千度 長刀鉾の稚児が神前で祭礼の無事を祈る神事

  2日 くじ取り式  山鉾巡行の順番をくじで決める式

     山鉾町社参  山鉾連合会長はじめ各山鉾町の代表者が八坂神社に参詣する

  7日 綾傘鉾稚児社参 綾傘鉾を先導する6人の稚児が八坂神社に参詣する

  10日 お迎提灯  神輿洗の神輿を迎えるために提灯行列が所定のコースを巡る

     神輿洗式  中御座神輿を四条大橋に運び、鴨川の水で清める神事

10~14日 前祭 山鉾建て 前祭の山鉾23基を建て始める 

12~13日 前祭 山鉾曳初め 山鉾建て完了後、町内の直線道路を往復。昇初めも実施

  13日 長刀鉾稚児社参 長刀鉾の稚児が巡行の無事を祈り立烏帽子水千姿で参詣

     久世稚児社参 神幸祭、還幸祭の神輿に供奉する2人の稚児が八坂神社に参詣

  15日 斎竹建て   山鉾巡行の開幕を告げる「注連縄切り」の青竹を建てる

  16日 岩見神楽   八坂神社の境内の能舞台で岩見神楽が奉納される

     前祭 宵山  山鉾巡行の前夜、町会所などに山鉾の人形や織物などが飾られる

  17日 前祭 山鉾巡行 23基の山鉾が巡行する

     神幸祭(おいで)3基の神輿が氏子地域を巡行し、御旅所に渡御する

18~21日 後祭 山鉾建て 後祭の山鉾11基(鷹山が追加)の組み立てが行われる

20~21日 後祭 山鉾曳初め 山鉾建て完了後、町内の直線道路を往復。昇初めも実施

  23日 後祭 宵山  山鉾巡行の前夜、提灯にあかりが灯され祇園囃子が賑やかに奏でられる

  24日 後祭 山鉾巡行 11基の山鉾(今年から鷹山が追加)が巡行する

     花傘巡行   馬長や児武者などが列を整えて所定のコースを巡行する

     還幸祭(おかえり) 御旅所に奉安されていた3基の神輿が八坂神社に還る

  28日 神輿洗式   10日と同様に神輿を清め、その後に蔵へ納められる

  31日 疫神社夏越祭 八坂神社の境内摂社・疫神社の大茅輪をくぐり、護符を授かる

上述の2022年祇園祭の日程に関する詳細は下記サイトで紹介されています。

 祇園祭2022日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・) - 京都ガイド (kyototravel.info)

2022年は3年ぶりに祇園祭のハイライト的存在である山鉾巡行が実施され稚児も選出されました。

本ブログでは2022年の祇園祭で話題になっている下記の2つの項目について紹介します。

 1)祇園祭・芦刈山の小袖が復元新調

 2)後祭で「鷹山(たかやま)」が196年ぶりに復活参加

 

1)芦刈山 小袖

祇園祭の芦刈山保存会(京都市下京区綾小路通西洞院西入ル)は2022年5月30日、山鉾最古のご神体衣装とされ、重要文化財に指定されている小袖「綾地締切蝶牡丹文片身替小袖(あやじしめきりちょうぼたんもんかたみがわりこそで)」を復元新調したと発表した。

1960年代に芦刈山町の蔵で見つかり、70年に国重文に指定された。墨書により1589(天正17)年に寄進されたことが分かっており、山鉾では最古の衣装です。現物は京都国立博物館に寄託されている。経年劣化していたため、これまで同保存会では、御神体に着せることはなかった。

京都新聞がYoutube動画を作成されていますのでGooで共有させていただきました。

祇園祭・芦刈山の小袖、復元新調(2022年5月30日、京都市中京区)

新たに製作した小袖は、7月の祇園祭前祭の宵山期間(7月14~16日)に展示し、17日の山鉾巡行で御神体に着せるという。





上の2枚の写真は芦刈山の巡行です 撮影:2016-7-17

貧しさのため妻と離れて難波の浦で芦を刈る老翁が、やがて妻との再会をはたす
謡曲「芦刈」を題材にした山。御神体(人形)は天文6年(1537)七条仏師運慶
の流れをくむ康運作(墨銘あり)。御神体の衣装は天正17年(1589)銘をもち
重要文化財に指定されています。

小袖について文化庁のデータベースより要項を記しておきます。

名称:綾地締切蝶牡丹文片身替小袖(あやじしめきりちょうぼたんもんかたみがわりこそで)

重文指定年月日 :昭和45年(1970)5月25日  所有者:芦刈山保存会

銘文:衿裏「天正十七年己丑年六月吉日」の墨書銘がある。

時代:桃山時代 寸法:身丈135.5 裄62.0 袖丈46.5 袖幅30.0 衿幅13.0 (㎝)

品質・形状:表白萌黄締切蝶牡丹文綾地、裏白地平絹の袷仕立て。前身頃、後ろ身頃とも大きく二段に分けて段替とし、さらに片身替にして四区に分ける。地は経糸と緯糸の色を替えた六枚綾地綾とし…

解説文:祇園祭りの芦刈山の人形が着用していた小袖である。段・片身替とし萠葱と白地を交互に織りわけ、地文に蝶牡丹文を織り出した綾で室町時代末期の特色が強く、数少ない当代の遺品としても優れている。

 

鷹山(たかやま)

鷹山は江戸末期に休み山となって以来、なんと約200年ぶりの巡行復帰となります。

7月24日の後祭(あとまつり)の山鉾巡行で披露されます。

KyodoニュースがYoutube動画を作成されていますのでGooで共有させていただきました。

祇園祭「鷹山」、復活へ 196年ぶり参加目指す

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その26(最終回) 舞鶴市郷土資料館(舞鶴ふるさと発見館)

2022年01月29日 04時54分31秒 | 京都情報

本日は舞鶴への訪問記シリーズの第26回(最終回)で11月19日の午前中に訪れた

舞鶴市郷土資料館(舞鶴ふるさと発見館)を写真紹介します。

製塩土器や海の祭祀に使われた銅鏡や玉類などの考古資料や日本海海運の歴史を伝える

北前船の模型、城下町田辺の歴史にまつわる資料や国内屈指の浮世絵コレクション

糸井文庫の貴重な資料などが展示されています。

このシリーズも執筆に長期間を要しましたがやっと最終回に漕ぎつけました。

 

過去の訪問記

 第1回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 202-11-17~11-19 その1 舞鶴市の概要 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第2回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その2 舞鶴引揚記念館 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第3回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その3 海軍割烹術食堂 羅針盤でのランチ - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第4回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その4 復元引揚桟橋 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第5回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その5 松尾寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第6回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その6 金剛院 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第7回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その7 だるま堂のだるま様 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第8回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その8 生け簀料理 卑弥呼での夕食 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第9回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その9 ホテルベルマーレでの朝食 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第10回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その10 赤レンガパーク駐車場付近の見どころ - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第11回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その11 赤レンガパーク - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第12回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その12 海軍ゆかりの港めぐり遊覧船 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第13回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その13 赤れんが博物館 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第14回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その14 五老スカイタワー - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第15回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その15 道の駅 舞鶴とれとれセンター - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第16回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その16 JR西舞鶴駅周辺の光景 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第17回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その17 舞鶴グランドホテルの夕食と朝食 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第18回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その18 圓隆寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第19回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その19 朝代神社 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第20回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その20 田辺城址(舞鶴公園) - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第21回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その21 有本国蔵翁の銅像 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第22回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その22 竹屋芸屋台 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第23回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その23 明倫館(現明倫小学校) - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第24回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その24 鸕鷀神社(うのもりじんじゃ) - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第25回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その25 舞鶴かまぼこの展示 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

事前の情報

 舞鶴旅行 予備訪問 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

舞鶴市郷土資料館 (舞鶴ふるさと発見館)の基本情報

住所:舞鶴市南田辺1(舞鶴西総合会館1階) TEL:0773-75-8836

開館時間:9:00~17:00  休館日:毎月第3水曜日 / 12月29日~1月3日  

展示室入場料:大人100円、市外学生50円

リニューアルオープン年月:平成28年(2016)7月

公式サイト:舞鶴市郷土資料館(舞鶴ふるさと発見館) | 株式会社トータルメディア開発研究所 (totalmedia.co.jp)

舞鶴市郷土資料館は昭和48年(1973)桑飼下縄文遺跡発掘調査を契機として郷土の

文化的遺産を保存・展示し、市民の教育文化んお向上に資するための施設として開館。

所在地のGoo地図を添付しておきます。

 

海とともに生きる

上の写真は舞鶴市郷土資料館 (舞鶴ふるさと発見館)の展示「海とともに生きる」

上の写真は平成10年(1998)2月に浦入(うらにゅう)遺跡で出土した縄文時代前期後半

(紀元前3,300年頃)の丸木舟1艇の写真が展示されています。

 

上の写真は志高(したか)遺跡から出土の縄文土器(縄文早期末 紀元前5,000年頃)

上の写真は小橋遺跡の有舌尖頭器(左)と女布(にょう)遺跡の有舌尖頭器(右)

いずれも縄文時代草創期(紀元前8,000年前)

上の写真は浦入遺跡から出土の磨製石斧(蛇紋岩製、富山湾産)と黒曜石(隠岐産)

時代は縄文時代、この頃から日本海側で各地と交易があった証拠となる遺物である。

上の写真は千歳下遺跡から出土の玉類、破鏡、鉄器、鉄悌の展示

発掘調査は平成11年(1999)に実施。上の展示は古墳時代の祭祀に関わる遺物。

上の写真は「笠百私印」刻印製塩土器などの展示

上の3枚の写真は浦入遺跡の製塩関係の展示

上の写真は銅鐸、青銅器祭器の展示

舞鶴の祭と祈りのこころ

上の写真は平野屋太神楽(平野屋自治会館蔵)

上の写真は千歳天満宮の振物衣装(千歳自治会館)

日本海大交易の時代

上の3枚の写真は北前船の展示と説明パネル

城下町田辺の歴史と文化

上の写真は城下町田辺の歴史と文化の展示遠景

上の写真は朝代神社祭礼絵巻(全3巻)の展示

上の写真は牧野氏時代の城下町の町名と現在の自治会の対応表

上の写真は伊藤雋吉(しゅんきち)(1840-1921)の業績紹介コーナーの展示遠景

伊藤雋吉は舞鶴市手代町(現宮津口)出身の下級武士ですが、明治維新後新政府に

出仕して、海軍創設に関わりました。舞鶴鎮守府建設時には海軍次官として

樺山・仁禮・西郷の三大臣に仕えました。

上の写真の海図と伊藤雋吉の説明パネルでは海軍での歩みが解説されています。

上の写真は伊藤雋吉に関する解説。

舞鶴ふるさと発見館(舞鶴郷土資料館)だより 令和3年11月でも紹介されています。

 

糸井文庫

上の写真は糸井文庫の展示遠景

糸井仙之助(1874-1949)によって収集された丹後地方ゆかりの錦絵や書籍、古文書

郷土玩具、浮世絵など2,200点のコレクション。

上の写真は舞鶴市郷土資料館も入場券に描かれた糸井文庫の浮世絵「酒呑童子」

海軍の遺産

上の2枚の写真は海軍の遺産の展示説明文

上の写真は新舞鶴市街地図の展示

上の写真は明治19年(1886)の調査測量段階から明治34年(1901)10月1日の舞鶴鎮守府

開庁までの推移が書かれた年表の展示

 

舞鶴のみほとけたち

上の写真は舞鶴のみほとけたちの展示

舞鶴ゆかりの人物

上の写真は舞鶴のゆかりの人物の展示

その他の展示

最後に日支事変の戦死者の新聞切り抜きの展示(下の2枚の写真)を添付して筆を置きます

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その25 舞鶴かまぼこの展示

2022年01月28日 04時29分41秒 | 京都情報

本日は舞鶴への訪問記シリーズの第25回で11月19日の午前中に訪れた高速バス待合所

内の舞鶴かまぼこの展示を写真紹介します。

 

過去の訪問記

 第1回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 202-11-17~11-19 その1 舞鶴市の概要 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第2回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その2 舞鶴引揚記念館 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第3回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その3 海軍割烹術食堂 羅針盤でのランチ - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第4回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その4 復元引揚桟橋 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第5回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その5 松尾寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第6回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その6 金剛院 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第7回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その7 だるま堂のだるま様 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第8回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その8 生け簀料理 卑弥呼での夕食 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第9回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その9 ホテルベルマーレでの朝食 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第10回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その10 赤レンガパーク駐車場付近の見どころ - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第11回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その11 赤レンガパーク - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第12回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その12 海軍ゆかりの港めぐり遊覧船 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第13回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その13 赤れんが博物館 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第14回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その14 五老スカイタワー - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第15回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その15 道の駅 舞鶴とれとれセンター - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第16回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その16 JR西舞鶴駅周辺の光景 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第17回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その17 舞鶴グランドホテルの夕食と朝食 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第18回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その18 圓隆寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第19回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その19 朝代神社 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第20回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その20 田辺城址(舞鶴公園) - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第21回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その21 有本国蔵翁の銅像 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第22回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その22 竹屋芸屋台 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第23回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その23 明倫館(現明倫小学校) - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第24回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その24 鸕鷀神社(うのもりじんじゃ) - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

事前の情報

 舞鶴旅行 予備訪問 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

上の写真は展示の遠景

製造するための機械や説明パネルが掲示されていました。

舞鶴かまぼこの美味しさの秘密を説明したパネル(上の写真)

「舞鶴かまぼこ」には以下のような特徴があるそうです。

  京都府のサイトよりの引用です。

  1. 舞鶴かまぼこ協同組合の研究室で高度な検査に合格した良質な原料のみを購入、使用しているため、製品の高い品質を維持しています。
  2. 近海でとれた鮮魚(シログチ、エソ、トビウオ等)のすり身を4割以上使用しています。
  3. 特有のコシを出すために、すわり(45度で30~40分)、本蒸し(85度で30~40分)という舞鶴独自の2段階蒸し上げ方法を採用しています。

上の写真は舞鶴かまぼこを販売している店の紹介パネル

舞鶴かまぼこ手形は京都交通が販売しています。

1,000円で市内バスの乗り放題や提携の資料館・博物館などの入場料が無料になる

などの特典があります。

かまぼこ手形の詳細は下記サイトで紹介されています。

 京都交通株式会社:information:舞鶴かまぼこ手形 (kyotokotsu.jp)

上の写真は舞鶴かまぼこ〇枚掛けの展示

飾りかまぼこの台座製作に使用されます。明治~大正時代に使用されていました。

舞鶴かまぼこの商品群(上の写真)

舞鶴かまぼこの製造工程

上の3枚の写真は舞鶴蒲鉾の製造工程の説明

かまぼこ原料の歴史

上の写真は蒲鉾の原料の歴史

舞鶴蒲鉾協同組合及び組合員の歴史

上の写真は舞鶴蒲鉾協同組合及び組合員の歴史の説明パネル

 文政8年(1830)4代目の高野屋作兵衛が「細工かまぼこ」を手掛ける

 明治40年(1907)嶋田岩蔵が嶋岩を創業

         山源の創業

上記のような項目が記載されています。

 

バレンタインギフトの紹介:嶋七の公式サイト

 京都・舞鶴かまぼこ嶋七の今日の笑顔 (goo.ne.jp)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その24 鸕鷀神社(うのもりじんじゃ)

2022年01月26日 05時43分52秒 | 京都情報

本日は舞鶴への訪問記シリーズの第24回で11月19日の午前中に訪れた村社 鸕鷀神社

(うの森神社)を写真紹介します。

明倫小学校の対面にある神社です。

過去の訪問記

 第1回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 202-11-17~11-19 その1 舞鶴市の概要 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第2回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その2 舞鶴引揚記念館 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第3回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その3 海軍割烹術食堂 羅針盤でのランチ - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第4回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その4 復元引揚桟橋 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第5回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その5 松尾寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第6回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その6 金剛院 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第7回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その7 だるま堂のだるま様 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第8回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その8 生け簀料理 卑弥呼での夕食 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第9回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その9 ホテルベルマーレでの朝食 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第10回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その10 赤レンガパーク駐車場付近の見どころ - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第11回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その11 赤レンガパーク - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第12回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その12 海軍ゆかりの港めぐり遊覧船 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第13回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その13 赤れんが博物館 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第14回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その14 五老スカイタワー - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第15回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その15 道の駅 舞鶴とれとれセンター - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第16回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その16 JR西舞鶴駅周辺の光景 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第17回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その17 舞鶴グランドホテルの夕食と朝食 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第18回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その18 圓隆寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第19回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その19 朝代神社 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第20回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その20 田辺城址(舞鶴公園) - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第21回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その21 有本国蔵翁の銅像 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第22回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その22 竹屋芸屋台 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第23回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その23 明倫館(現明倫小学校) - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

事前の情報

 舞鶴旅行 予備訪問 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

鸕鷀神社(うのもりじんじゃ)の基本情報

住所:京都府舞鶴市南田辺8 (小字二の丸8番)

御祭神:鸕鷀草葺不合尊(神武天皇の父) 社格:円満寺村の村社

御利益:蝮除け、地域安全、家内安全、五穀豊穣

所在地のGoo地図を添付しておきます。

 

上の2枚の写真は鸕鷀神社の境内遠景と中景

上の写真は鸕鷀神社への入り口

上の写真は現地説明板 城下町倶楽部が選んだ舞鶴百選の一つ

鸕鷀神社(うのもりじんじゃ)は、京都府舞鶴市南田辺にある神社。難字のため、

うのもり神社、うの森神社とも表記され、地元では「うの森さん」と親しまれている。

「丹哥府志」には鸕鷀大明神と記述されています。

創建年代は不詳。もともとは当地周辺の円満寺村の氏神だった。

鸕と鷀は両方とも鵜(う)の意味である。

上の写真は村社 鸕鷀神社と書かれた石碑

安土桃山時代の天正年間(1573年-1592年)、細川氏が田辺城を築城した際、円満寺村の

村民が4軒だけ残して喜多村(きたむら)に移住させられた。

それ以降、城内の二の丸に奉斎され、城の守護神になった。しかし、祭日には円満寺村の

村民達は城内に入ることが許されていたという。

境内には今でも田辺城の石垣が残されている。築城期の、自然の石を積んだ

「野面(のづら)積」で、博打岬の花崗岩を切り出した石ともされる。

明治になってからか、場内からの移転の動きがあったが、財政難で中断、さらに浄財を

集めてようやく完成したのが現在の神域。

現在の社殿は大正元年(1912年)10月に竣工したもの。屋根はカヤ、随所に銅板が用いられている。

御祭神は鸕鷀草葺不合尊(明治以降に鸕鷀を連想して定められた)。初代神武天皇の父にあたる。

鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)は日向の鵜戸神宮の御祭神である。

境内には、蝮(マムシ)除けの御砂があり、持ち帰ることができる。

昔、この辺りに藁葺き商として暮していた男がおり、ある時、道を歩いていたら足元に蛇が巻きついていきた。

蛇が離れようとしないので、そのまま当社まで歩いた。ヘビは強い毒性のある

マムシだったが、男は当社の白い砂をマムシにかけた。

すると、マムシは男の足から離れ、当社の神域から逃げて行ったという。

現在も、農作業を行う人が砂を取りにくることがあるという。

祭礼は春まつりと秋の2回。7日前の幟立て、前日清掃などは地区の振興会が管理している。

酉年の正月には、初詣客も多くなるという。

上記文章と下に添付の動画は下記サイトを参照しました。

 鸕鷀神社 京都府舞鶴市南田辺 - 神社と古事記 (buccyake-kojiki.com)

うのもり神社 舞鶴 京都 / Unomori Shrine Kyoto

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その23 明倫館(現明倫小学校)

2022年01月25日 05時35分35秒 | 京都情報

本日は舞鶴への訪問記シリーズの第23回で11月19日の午前中に訪れた明倫館

(現明倫小学校)を写真紹介します。

 

過去の訪問記

 第1回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 202-11-17~11-19 その1 舞鶴市の概要 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第2回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その2 舞鶴引揚記念館 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第3回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その3 海軍割烹術食堂 羅針盤でのランチ - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第4回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その4 復元引揚桟橋 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第5回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その5 松尾寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第6回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その6 金剛院 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第7回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その7 だるま堂のだるま様 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第8回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その8 生け簀料理 卑弥呼での夕食 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第9回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その9 ホテルベルマーレでの朝食 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第10回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その10 赤レンガパーク駐車場付近の見どころ - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第11回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その11 赤レンガパーク - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第12回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その12 海軍ゆかりの港めぐり遊覧船 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第13回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その13 赤れんが博物館 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第14回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その14 五老スカイタワー - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第15回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その15 道の駅 舞鶴とれとれセンター - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第16回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その16 JR西舞鶴駅周辺の光景 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第17回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その17 舞鶴グランドホテルの夕食と朝食 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第18回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その18 圓隆寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第19回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その19 朝代神社 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第20回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その20 田辺城址(舞鶴公園) - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第21回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その21 有本国蔵翁の銅像 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第22回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その22 竹屋芸屋台 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

事前の情報

 舞鶴旅行 予備訪問 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

上の写真は明倫小学校の遠景

廻りを塀で囲み旧明倫館の雰囲気を醸し出している。

現在の校舎は、昭和56年から2年間をかけて全面改築されたが、正門は「明倫館」

当時のものを移築したもので、昔ながらの面影を今に伝えている。

明倫小学校の基本情報

住所:舞鶴市北田辺128−1 TEL:0773-75-1225

設立年月日:明治6年(1873)4月13日 来年(2023)には150周年を迎える

公式サイト:舞鶴市立明倫小学校 - 舞鶴市立明倫小学校 (maizuru.ed.jp)

上の写真は明倫小学校の校門として利用されている田辺藩の藩校「明倫館」で使用

されていた由緒ある門。2017年(平成29年)2月28日に舞鶴市指定有形文化財に指定。

藩校は天明年間(1781-1788)田辺城の三の丸に開かれた「明倫斎」に始まり、

文久年間(1861-1863)に増改築され「明倫館」と改称されました。

明治5年(1872)学制の頒布により明倫校となりました。「明倫館」の土地と建物を引き継ぎ、

庶民の学校として明治6年(1873)4月13日、誕生したのが、「明倫小学校」である。

「明倫」とは、「人倫を明らかにする」ということを意味する。すなわち、「人の守るべき

道義を明らかにする」という意味である。

上の2枚の写真は舞鶴百撰の碑と明倫館(明倫小学校)の現地説明板

上の写真は舞鶴田辺城資料館の展示

上記資料の説明文の内容を要約・加筆して記述します。

田辺藩の藩校は天明年間(1781-1788)、田辺城6代藩主の牧野宣成により城内三の丸に

「明倫斎」として開校。「明倫齋」が創立された年月は明らかではないが、第3代藩主の

牧野英成のとき、河村久八、杉本剛齋の二人が学事を担当し、学問所を開設したのが

田辺藩文教の始まりだと言われている。

文政・天保期(1818-1844)には8代藩主の牧野節成が、江戸で儒者・文章大家の名声を

博していた田辺藩士、野田笛浦を帰国させ、明倫斎の儒員として藩学の刷新を図らせた。

野田笛浦は、学問所奉行、明倫斎学識となって勧善寮・蔵修寮を増設し、藩学に昌平学派

を育成した。文久年間(1861-1863)、9代藩主の牧野誠成は「明倫斎」を増改築して

「明倫館」と改称し職員を拡充した。藩校は大手門を入った東側にあり、明倫館、勧善寮

(高等学問所)、蔵修寮(学問所奉行、係員の詰所)から成っていた。自らも藩校において

講義を行った。江戸藩邸にも、仮校を設け「済美堂」と号した。

藩校には、士族の子弟が8歳から元服の年に至るまで学んだ。入学すると「小学」「家札」

「四書」「近思録」「五経」の順に素読。生徒を小学生、四書生、五経生、学頭生(卒業生)

の4科に分けた。「五経」が終わると歴史を加える。12歳になると「小学」解読(数人で書物を

読み合わせ論じ合う)の授業を行った。進学の度に従って会読、輪読(書物を数人で調べ

講義し合う)を行った。

修行時間は、辰時(午前8時)から、講釈・会読・輪読。午時(午後1時)から、読書。

未時(午後3時)から、習字・算術であった。学科は主に漢学。ほかに算法、筆道、習礼など。

また、場所を移し、弓道、馬術、槍術、剣術、砲術、弓術、遊泳を学んだ。

職員には会長(のちに学問所奉行)、学頭(学事担当)、記録方などの他に習字師、算師、

習礼師などの教師50余名がいた。経費はすべて藩費でまかなった。

藩費で他国へ遊学させることもあった。

安政年間(1854-1860)には、百余名が学んでいたことが記録されている。

上の写真は舞鶴市郷土資料館(舞鶴ふるさと発見館)の展示

かっての明倫館の姿を再現した模型

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その22 竹屋芸屋台

2022年01月24日 04時27分37秒 | 京都情報

本日は舞鶴への訪問記シリーズの第22回で11月19日の午前中に訪れた竹屋芸屋台

を写真紹介します。

 

過去の訪問記

 第1回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 202-11-17~11-19 その1 舞鶴市の概要 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第2回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その2 舞鶴引揚記念館 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第3回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その3 海軍割烹術食堂 羅針盤でのランチ - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第4回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その4 復元引揚桟橋 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第5回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その5 松尾寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第6回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その6 金剛院 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第7回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その7 だるま堂のだるま様 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第8回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その8 生け簀料理 卑弥呼での夕食 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第9回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その9 ホテルベルマーレでの朝食 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第10回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その10 赤レンガパーク駐車場付近の見どころ - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第11回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その11 赤レンガパーク - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第12回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その12 海軍ゆかりの港めぐり遊覧船 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第13回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その13 赤れんが博物館 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第14回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その14 五老スカイタワー - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第15回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その15 道の駅 舞鶴とれとれセンター - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第16回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その16 JR西舞鶴駅周辺の光景 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第17回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その17 舞鶴グランドホテルの夕食と朝食 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第18回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その18 圓隆寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第19回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その19 朝代神社 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第20回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その20 田辺城址(舞鶴公園) - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第21回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その21 有本国蔵翁の銅像 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

事前の情報

 舞鶴旅行 予備訪問 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

上の3枚の写真は格納されている竹屋町の芸屋台

見送幕(みおくりまく)が張られた状態の写真は下記サイトで見れます。

 芸屋台と見送り幕 (sakura.ne.jp)

「芸屋台」は江戸時代の大衆娯楽であった「子ども歌舞伎」の舞台として昭和初期

まで朝代神社の祭礼行列を飾った。現在、祭礼は行われておらず、「まいづる田辺城祭り」

でその姿を見る事ができる。

平成19年(2007)には舞鶴公園開園100周年を記念し、半世紀振りに曳行可能な芸屋台が

そろい、市民たちにお披露目がされた。現在は竹屋、本、丹波、魚屋、寺内、新、堀上、

紺屋、西、舞引土の10自治会が保存している。

上の写真は「芸屋台」に関する現地説明板

また、竹屋芸屋台に関しても現地説明版があり、説明文を要約すると「江戸時代に屋台の

上で子供を主とした歌舞伎が舞台芸として朝代神社の祭礼で2日間上演されていた。

いつから始まったかは不明だが竹屋区有文書で寛保3年(1734)に屋台の寸法が書かれている

ことからそれ以前から始まったと推定されます。天明3年(1783)までは朝代神社の祭礼で

子供歌舞伎芸が毎年行われていたが天明4年(1784)以降は全国の藩の飢饉の状況によって

年度ごとに実施か未実施かを決めていた

 

上の写真は田辺城の氏神である朝代(朝白)神社の祭礼模型、朝代神社祭礼図などの展示

(舞鶴市田辺城資料館の展示)

上の写真は昭和30年代?頃の芸屋台練りの様子

(舞鶴市田辺城資料館の展示より)

竹屋町について下記サイトに詳しく書かれていたのでリンクさせていただきました。

 竹屋(舞鶴市) (tangonotimei.com)

上の2枚の写真は旧京街道の道と街並み 撮影:2021-11-18

上の写真は高野川 撮影:2021-11-18

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その21 有本国蔵翁の銅像

2022年01月22日 04時26分32秒 | 京都情報

本日は舞鶴への訪問記シリーズの第20回で11月19日の午前中に訪れた有本国蔵翁の銅像

を写真紹介します。舞鶴市西総合会館ゆうさい会館の敷地内に建っています。

こちらには舞鶴市郷土資料館(舞鶴ふるさと発見館)の展示を見るために立ち寄りました。

 

過去の訪問記

 第1回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 202-11-17~11-19 その1 舞鶴市の概要 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第2回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その2 舞鶴引揚記念館 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第3回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その3 海軍割烹術食堂 羅針盤でのランチ - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第4回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その4 復元引揚桟橋 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第5回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その5 松尾寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第6回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その6 金剛院 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第7回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その7 だるま堂のだるま様 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第8回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その8 生け簀料理 卑弥呼での夕食 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第9回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その9 ホテルベルマーレでの朝食 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第10回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その10 赤レンガパーク駐車場付近の見どころ - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第11回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その11 赤レンガパーク - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第12回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その12 海軍ゆかりの港めぐり遊覧船 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第13回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その13 赤れんが博物館 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第14回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その14 五老スカイタワー - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第15回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その15 道の駅 舞鶴とれとれセンター - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第16回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その16 JR西舞鶴駅周辺の光景 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第17回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その17 舞鶴グランドホテルの夕食と朝食 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第18回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その18 圓隆寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第19回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その19 朝代神社 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第20回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その20 田辺城址(舞鶴公園) - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

事前の情報

 舞鶴旅行 予備訪問 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

上の2枚の写真が有本国蔵翁の銅像です。旧舞鶴町出身で洋服商として成功し財を成した。

上の写真は有本国蔵翁(1860-1944)

出典:水島彦一郎 著 有本国蔵翁 (昭和12年(1937))の表紙

上の写真は舞鶴市西総合会館ゆうさい会館(背後の建物)の敷地内に建つ有本国蔵翁の銅像

出典:Googleストリートビュー

上の写真は旧西商工会館玄関階段袖石(旧舞鶴税務署・旧舞鶴町市西図書館)の解説プレート

上の写真は昭和10年(1935)頃の舞鶴町立図書館

出典:水島彦一郎 著 有本国蔵翁 (昭和12年(1937))のPage109

 

国会図書館のデジタルアーカイブに有本国蔵の一生が書かれた資料(下に添付リンク)

「有本国蔵翁」著者:水島彦一郎  著作権切れ

には多くの写真が掲載されているのでこの写真を利用させていただきます。

 有本国蔵翁 - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)

上の写真は1927年に紺綬褒章を受章し、1929年に緑綬褒章を受章した勲章を胸に

撮影されたもの。

有本国蔵(1860-1944)についてWikipediaでは下記の様に解説されています。

有本 国蔵(ありもと くにぞう、有本 國蔵とも。1860年 - 1944年1月10日)は、丹後国加佐郡舞鶴(現・京都府舞鶴市)出身の実業家・篤志家・政治家。1908年から1912年まで衆議院議員を1期務めた。1927年に紺綬褒章を受章し、1929年に緑綬褒章を受章。

上の写真は17歳の有本国蔵氏(左)と長兄の有本賀三氏(中央)、仲兄の有本嘉兵衛氏

上の写真は19歳の頃の有本国蔵

実業家・政治家としての経歴
生家は丹後国加佐郡舞鶴(現・京都府舞鶴市)にあった平野屋。1860年(万延元年)に四男として生まれた。父親は嘉助、母親は京子。12歳だった1871年(明治4年)には丹後田辺藩の元藩主である牧野弼成が経営する審致舎に丁稚奉公したが、審致舎が解散すると1877年(明治10年)に大阪に出て、長兄の賀三が経営する洋酒店兼洋服店に勤めた。23歳だった1882年(明治15年)には山宮定次郎の長女梶子と結婚し、翌年には独立して大阪市高麗橋4丁目に洋服店を開業させた。

1896年(明治29年)には大阪羅紗販売株式会社を設立。40歳だった1899年(明治32年)には大阪市会議員に当選し、1905年(明治38年)には大阪商業会議所議員に当選した。1908年(明治41年)には立憲政友会から第10回衆議院議員総選挙に出馬(大阪6区)して当選し、1912年まで衆議院議員を1期務めた。1918年(大正7年)には大阪実業協会の理事に就任した。

上の写真は大阪淀屋橋南詰に新築された有本洋服店

篤志家としての経歴
後年は篤志家としての活動が目立った。1913年(大正2年)には舞鶴町立明倫小学校のために舞鶴町に1万円を寄付し、1922年(大正11年)にも教育資金として舞鶴町に1万円を寄付した。1923年(大正13年)には京都府立工業学校(峰山工業学校)を設立するために京都府に200円を寄付し、見樹寺など8カ寺の無縁仏に対する施餓鬼料として1,800円を寄進した。これらの結果、1926年(大正15年)には兄の有本嘉兵衛とともに舞鶴町議会から舞鶴町有功者の推薦を受けている。

北丹後地震があった1927年(昭和2年)には舞鶴中学校の建設費として京都府に1万円を寄付。また町立舞鶴図書館の敷地購入費として舞鶴町に21,365円を寄付した。舞鶴税務署の建物を転用した町立舞鶴図書館は、地方には珍しい立派な図書館であるとして文部省から選奨されている。有本嘉兵衛とともに財団法人有本積善社を設立し、10万円を舞鶴町に寄付した[1]。1936年(昭和11年)には舞鶴公会堂の建設費として舞鶴町に約13万円を寄付した。有本は1913年に表千家に入門して茶道に精進していたが、舞鶴町長の川北正太郎が有本に泣きついたことから、仕方なく愛用していた茶道具や書画を売却して舞鶴公会堂の建設資金を捻出したのだった。1942年(昭和17年)には紀元二千六百年記念行事として舞鶴町が計画した舞鶴彰古館の建設費23,000円を寄付した。

1927年(昭和2年)には紺綬褒章を授章し、1929年(昭和4年)には緑綬褒章を受章した。1944年(昭和19年)1月10日、兵庫県川辺郡小浜村(現・宝塚市)の別邸にて死去した。数え年85歳だった。

上の写真は有本国蔵翁の寄付などで建設された舞鶴公会堂

死後
有本が建設資金を提供した舞鶴公会堂は西舞鶴における文化の殿堂として愛されたが、1982年(昭和57年)には建物が取り壊され、跡地には1984年に(昭和59年)に舞鶴西総合会館が建設された。舞鶴西総合会館は舞鶴市役所西支所、舞鶴市西公民館、舞鶴市郷土資料館、舞鶴市林業センターなどを内包している。舞鶴市役所西支所の2階には有本の功績を伝えるための有本国蔵記念館があり、建物入口脇の敷地内には有本の銅像が鎮座している。

上の写真は晩年の家族写真

前列の左が有本国蔵翁、前列右が梶子夫人 

後列の左は長男の有本恪三氏、後列右が次男の有本國二氏

一般財団法人有本積善社 について紹介サイト

    設立: 昭和2年(1927年)9月26日

 一般財団法人有本積善社 法人紹介 - FMまいづる 77.5MHz (775maizuru.jp)

有本積善社 は、旧舞鶴町の出身者である有本国蔵(大阪市在)と有本嘉兵衛(京都市在)及び地元の有志により設立された。舞鶴市の公共の福利増進のため、宗教・教育・衛生等の公益事業の保護及び援助を専らの目的として基本原資金10万円を運用し、育英資金から傷病兵見舞金支給まで巾広い活動がその後展開された。第二次世界大戦後の暫しの活動休止のあと、昭和38年(1963)からその活動が再開され続行されて現在に及んでいる。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その20 田辺城址(舞鶴公園)

2022年01月21日 06時46分37秒 | 京都情報

本日は舞鶴への訪問記シリーズの第20回で11月19日の午前中に訪れた田辺城址

を写真紹介します

 

過去の訪問記

 第1回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 202-11-17~11-19 その1 舞鶴市の概要 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第2回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その2 舞鶴引揚記念館 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第3回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その3 海軍割烹術食堂 羅針盤でのランチ - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第4回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その4 復元引揚桟橋 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第5回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その5 松尾寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第6回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その6 金剛院 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第7回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その7 だるま堂のだるま様 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第8回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その8 生け簀料理 卑弥呼での夕食 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第9回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その9 ホテルベルマーレでの朝食 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第10回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その10 赤レンガパーク駐車場付近の見どころ - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第11回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その11 赤レンガパーク - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第12回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その12 海軍ゆかりの港めぐり遊覧船 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第13回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その13 赤れんが博物館 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第14回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その14 五老スカイタワー - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第15回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その15 道の駅 舞鶴とれとれセンター - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第16回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その16 JR西舞鶴駅周辺の光景 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第17回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その17 舞鶴グランドホテルの夕食と朝食 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第18回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その18 圓隆寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第19回 舞鶴への2泊3日の旅行記 on 2021-11-17~11-19 その19 朝代神社 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

事前の情報

 舞鶴旅行 予備訪問 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

田辺城址(舞鶴市田辺城資料館)の基本情報

住所:舞鶴市字南田辺15-22(舞鶴公園) TEL:0773-76-7211(舞鶴市田辺城資料館)

公式サイト:舞鶴公園 | 舞鶴市 公式ホームページ (city.maizuru.kyoto.jp)

これからの写真は特記が無い限り2021年9月19日の撮影です。

城北門

上の写真は復元された城門 上は舞鶴市田辺城資料館となっています。

上の写真は下水道マンホールに描かれた田辺城跡の城門

 

天正8年(1580)、織田信長の命により丹後国は細川藤孝・忠興親子の所領となり、

宮津に本城、田辺、峰山などに支城を築いて丹後を修めました。

田辺城(舞鶴城)は天正10年代に完成したといわれています。

舞鶴の地名は舞鶴城(ぶかくじょう)に由来しています。

田辺城は天守・本丸を囲んで二の丸、三の丸がある輪郭式の平城で、東に伊佐津川、

西に高野川、南は湿地、北は海に接した要害の地に築かれ、敵を防ぎ味方を守りやすい

城でありました。田辺城は江戸時代になると細川氏の国替えに伴い京極氏の治世となり

元和8年(1622)、丹後の地は京極高知の3人の子供に分与され宮津藩(7.8万石)、

田辺藩(3.5万石)、峰山藩(1万石)の3藩が成立しました。

また、寛文8年(1668)京極氏の豊岡への国替えに伴い牧野氏が入国し牧野氏による

治世が長く続きます。

舞鶴市田辺城資料館

上の写真は田辺城資料館の入口の細川藤孝像

舞鶴市田辺城資料館は田辺城城門(再建)の建物内にあります。

上の写真は田辺城を中心とした西舞鶴の町の模型展示

上の写真は城下町の賑わいに関する展示

上の写真は京極氏以降の田辺城の藩主

出典:舞鶴市田辺城資料館編 田辺城の歴史 Page48

上の写真は京極時代の田辺城及び城下町図

出典:舞鶴市田辺城資料館編 田辺城の歴史 Page25

上の写真は田辺城城下町の模型展示

上の写真は牧野氏時代の黒漆縦矧五枚胴具足などの展示

 

上の写真は発掘調査で出土した品々の展示

上の写真は田辺孝子伝(田辺藩士の廣瀬宗栄が1851年に著した)

上の3枚の写真は田辺城を掘るの展示

上の写真はガラシャ・光秀街道の展示

上の写真は「明智光秀ゆかりの地へ」の展示

2020年のNHK大河ドラマ「麒麟が来る」が放映中は多くの方が来館されたそうです。

上の写真は田辺城の氏神である朝代(朝白)神社の祭礼模型、朝代神社祭礼図、鉄砲

刀剣の展示

上の写真は朝代神社の祭礼の風景

彰古館

上の写真は櫓跡を利用した彰古館

彰古館には、市指定文化財「糸井文庫」の錦絵資料から「酒呑童子」、「安寿と厨子王」、

「浦島太郎」などが展示されています。

上の写真は彰古館付近に掲示の史跡田辺城跡の案内板

上の2枚の写真は彰古館近くに掲示の現地説明板

本丸井戸跡(復元)

上の写真は本丸井戸跡(復元)と現地説明板

 

細川藤孝(1534-1610)について

上の写真は細川幽斎=細川藤孝の絵(南禅寺天綬庵)

南禅寺天綬庵には細川藤孝の墓があります。

実父:三淵晴員(1500 - 1570)
実母:智慶院 - 清原宣賢の娘
養父:細川元常(1482 - 1554)

正室:沼田麝香(1544 - 1618) - 光壽院、沼田光兼の娘

長男:細川忠興(1563 - 1646)
次男:細川興元(1566 - 1619)
女子:伊也 - 一色義有のち吉田兼治室
三男:細川幸隆(1571 - 1607)
女子:千 - 長岡孝以のち小笠原長良室
男子:細川孝之(1585 - 1647)
女子:加賀 - 木下延俊正室
女子:栗 - 長岡好重(幽斎実弟)室
女子:仁伊 - 夭逝

以上はWikipediaよりの引用

上の写真は細川藤孝が43歳であった1576年(古今伝授の完了)から田辺城を完成させる

58歳(1591)までの年表です。

 

Wikipediaより出生(1534)から豊臣秀吉の死(1598)細川藤孝65歳までを辿ります。

出生から足利義輝に出仕
天文3年(1534年)4月12日、三淵晴員の次男として京都東山にて誕生。天文9年(1540年)、7歳で和泉半国守護細川元常(三淵晴員の兄とされる)の養子となったという。しかし、晴員と共に12代将軍・足利義晴の近臣であった細川晴広を養父と見る説も近年有力視されている。天文15年(1546年)、13代将軍・義藤(後の義輝)の偏諱を受け、与一郎藤孝を名乗る。幕臣として義輝に仕え、天文21年(1552年)に従五位下兵部大輔に叙任される。

上の写真は細川藤孝の祖先を示す系図です。

出典:舞鶴市田辺城資料館編 田辺城の歴史 Page44

上の写真の様に永禄6年(1563)に嫡男の細川忠興が生まれています。

1565年(藤孝31歳)から1568年(藤孝33歳)幕臣時代

永禄8年(1565年)に義輝が三好三人衆に討たれ(永禄の変)、その弟の一乗院覚慶(後に還俗して足利義昭)が興福寺に幽閉されると、兄三淵藤英を始め一色藤長、和田惟政、仁木義政、米田求政らと協力してこれを救出し、近江国の六角義賢、若狭国の武田義統、越前国の朝倉義景らを頼って義昭の擁立に奔走した。当時は貧窮して灯籠の油にさえ事欠くほどで、仕方なく社殿から油を頂戴することもあるほどだったという。

その後、明智光秀を通じて尾張国の織田信長に助力を求めることとなる。永禄11年(1568年)9月、信長が義昭を奉じて入京し、藤孝もこれに従った。藤孝は山城国勝竜寺城(青竜寺城)を三好三人衆の岩成友通から奪還し、以後大和国や摂津国を転戦した。

信長家臣時代(1573年から1582年まで)
義昭と信長の対立が表面化すると、元亀4年(1573年)3月、軍勢を率いて上洛した信長を出迎えて恭順の姿勢を示した。義昭が信長に逆心を抱く節があることを密かに藤孝から信長に伝えられていたことが信長の手紙からわかっている。義昭が追放された後の7月に桂川の西、山城国長岡(西岡)一帯(現長岡京市、向日市付近)の知行を許され、名字を改めて長岡 藤孝と名乗った。

8月には池田勝正、三淵藤英と共に岩成友通を山城淀城の戦い(第二次淀古城の戦い)で滅ぼす功を挙げ、以後は信長の武将として畿内各地を転戦。高屋城の戦い、越前一向一揆征伐、石山合戦、紀州征伐のほか、山陰方面軍総大将の明智光秀の与力としても活躍した(黒井城の戦い)。天正5年(1577年)、信長に反旗を翻した松永久秀の籠る大和信貴山城を光秀と共に落とした(信貴山城の戦い)。

天正6年(1578年)、信長の薦めによって嫡男忠興と光秀の娘玉(ガラシャ)の婚儀がなる。光秀の与力として天正8年(1580年)には長岡家単独で丹後国に進攻するが、同国守護一色氏に反撃され失敗。後に光秀の加勢によってようやく丹後南部を平定し、信長から丹後南半国(加佐郡・与謝郡)の領有を認められて宮津城を居城とした(北半国である中郡・竹野郡・熊野郡は旧丹後守護家である一色満信(義定)の領有が信長から認められた)。甲州征伐には一色満信と共に出陣。

余談となるが、同年正月12日付の信長から藤孝宛ての黒印状にて、尾張国知多半島で取れた鯨肉を信長が朝廷に献上したうえで、家臣である藤孝にも裾分けする旨を述べている。

本能寺の変(1582)以後
天正10年(1582年)に本能寺の変が起こると、藤孝は上役であり、親戚でもあった光秀の再三の要請を断り、剃髪して雅号を幽斎玄旨(ゆうさいげんし)とし、田辺城に隠居、忠興に家督を譲った。同じく光秀と関係の深い筒井順慶も参戦を断り、軍事力的劣勢に陥った光秀は山崎の戦いで敗死した。『老人雑話』には「明智(光秀)、始め(は)細川幽斎の臣なり」とあり、両者の出自の上下関係は歴然としていることから、幽斎には光秀の支配下に入ることを潔しとしないところがあったとする説がある。一方、丹波半国の一色氏は明智方に加担した。秀吉の命を受けた細川氏は同年9月に一色義定を謀殺し、弓木城など一色氏の領土を併合した。前出のように一色義定は藤孝の娘婿であった。

上の写真は細川忠興以降の細川氏の系図です。第18代当主の細川護熙は第79代の首相で

1993年8月9日から1994年4月28日まで在位した。

細川忠興(1563-1646)は関ヶ原の戦いにおいて前線で石田三成の軍と戦い、戦後

豊前国小倉藩39万9000石の大封を得た。

その後も羽柴秀吉(豊臣秀吉)に重用され、天正14年(1586年)に在京料として山城西ヶ岡に3000石を与えられた。天正13年(1585年)の紀州征伐、天正15年(1587年)の九州平定にも武将として参加した。また、梅北一揆の際には上使として薩摩国に赴き、島津家蔵入地の改革を行っている(薩摩御仕置)。この功により、文禄4年(1595年)には大隅国に3000石を加増された(後に越前国府中に移封)。

幽斎は千利休や木食応其らと共に秀吉側近の文化人として寵遇された。忠興(三斎)も茶道に造詣が深く、利休の高弟の一人となる。一方で徳川家康とも親交があり、慶長3年(1598年)に秀吉が死去すると家康に接近した。

墓所

慶長15年(1610)8月20日、京都三条車屋町の自邸で死去。享年77歳

京都市左京区南禅寺福地町の瑞竜山太平興国南禅寺の塔頭寺院である天授庵に墓がある。その他に、孫で忠興の子忠利以降、子孫が肥後熊本藩54万石の藩主となったことから、熊本の立田山の麓に建立された細川家菩提寺の泰勝寺(現・立田自然公園)にも廟所が造営された。

また、幽斎の菩提所として忠興により大徳寺山内に建立された塔頭が高桐院である。

以上でWikipediaよりの引用は終了です。

田辺城籠城戦

慶長5年(1600)6月27日、石田三成と徳川家康の対立は激化し、家康は自身に従わない

上杉景勝を討伐するべく、諸将を従えて会津へ出陣しました。当時、細川家の家督は

すでに息子の細川忠興に譲られていたため、忠興は細川軍の大部分を率いて家康軍に参上。

しかし、そうはいっても領国である丹後国を空っぽにするわけにはいかないので、幽斎を

含む重臣数人とわずか500余の兵力でこの地の留守を預かりました。

ただ、三成はこの隙を見逃しはしません。たちまち1万5千といわれる大軍で幽斎を攻め、

細川軍は他の城を焼き払って田辺城に籠城しました。(慶長5年(1600)7月21日)

幽斎も合戦経験の豊富なベテランだったのですが、やはり多勢に無勢。大軍の勢いは

すさまじく、幽斎は劣勢に立たされました。しかし、幽斎はあくまで降伏しません。

西軍が田辺城攻めに乗り気でなかったこともあり、なんとか寡兵で持ちこたえることは

できていましたが、落城は時間の問題でした。

「このままでは幽斎が死んでしまう……!」この事態を一番憂慮したのは、時の天皇である

後陽成天皇であったといわれます。幽斎を死なせれば、古今伝授の秘技が失われてしまう

かもしれない。そう考えた後陽成天皇は、最終的に天皇の勅命という非常に強い形で両軍に

講和を命じ、さすがの幽斎もこれには従って城を明け渡しました。幽斎の特別扱いも

さることながら、西軍の大軍は田辺城攻めにかかりきりとなり、関ヶ原本戦に間に合わなかった

という意味でも重要な場面でした。

上の写真は田辺籠城に関する田辺城資料館の展示説明パネル

上の写真は田辺籠城図

出典:舞鶴市田辺城資料館編 田辺城の歴史 Page16

上の写真は田辺籠城戦で建てられた物見櫓(田辺城資料館の展示より)

古今伝授

三条西実枝(さねき)に古今伝授を受け、近世歌学の祖と称された。家集「衆妙集」。

上の2枚の写真は古今伝授に関する田辺城資料館の展示

舞鶴公園

上の写真は舞鶴公園の案内板です。

田辺城跡地に整備された公園です。田辺城公園と呼ばれることもある。田辺城の本丸

および二の丸の藩主邸の庭園に相当する。19,800m²は「田辺城址」として

舞鶴市指定文化財となっています。

上の3枚の写真は舞鶴公園の遠景

公園内の紅葉のスポット(心種園付近)

上の2枚の写真は心種園碑

上の写真は歌碑

上の写真は第三章 古今伝授の説明板

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする