CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

ロイヤルホスト 学が丘店でのランチ on 2018-7-21

2018年07月31日 06時14分19秒 | 神戸情報
2018年7月21日(土)、ロイヤルホスト学が丘店で頂いたランチを
写真紹介します。

ロイヤルホスト学が丘店の基本情報
住所:神戸市垂水区学が丘4-25-20  TEL:078-781-1681
営業時間:9:00~24:00  定休日:なし(無休)


公式サイト:https://www.royalhost.jp/


上の写真は奥様が注文したオムライス1,058円(税込)+ドリンクバー313円(税込)

平日のドリンクバーは205円(税込)ですが土日には値段が上がります。


上の写真は私が頂いたコスモドリア950円(税込)+ドリンクバー313円(税込)


過去の訪問記:

 ロイヤルホスト 学が丘店でのランチ on 2017-11-20&11-24

 ロイヤルホスト 学が丘店でのランチ on 2017-11-30

 ロイヤルホスト 学が丘店でのランチ on 2018-5-12

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ピッコロ ミント神戸店でのランチ on 2018-7-20

2018年07月31日 05時45分24秒 | 神戸情報
2018年7月20日、ピッコロ ミント神戸店でランチを頂きましたので
写真紹介します。
今まで何回か入ったことのある店ですがブログへの投稿は初めてです。

ピッコロ ミント神戸店の基本情報

住所:神戸市中央区雲井通7丁目1−1 ミント神戸 B1F  TEL:078-242-3281
営業時間:11:00~21:30  定休日:不定休
料理ジャンル:カレー    開店日:2014年8月18日


公式サイト:http://www.piccolo.ne.jp/


上の写真は私が選択したスタンダードビーフカレー 680円(税込)


上の写真は奥様が選択したオムライスランチ 730円(税込)

猛暑の中でのカレーは食欲もそそり良い選択であったと思っています。
ミント神戸のカードで5%の割引を使用できました。

姉妹店としてプリコ六甲道店、ピオレ明石店があります。
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兵庫県立美術館2階 ブッフェレストラン フォルテシモでのランチ on 2018-7-27

2018年07月30日 04時32分40秒 | 神戸情報
2018年7月27日、兵庫県立美術館2階にある ブッフェレストラン フォルテシモ
でランチをいただきましたので写真紹介します。

ブッフェレストラン フォルテシモの基本情報

住所:神戸市中央区脇浜海岸通1-1-1 兵庫県立美術館2階
TEL:078-265-6100
営業時間:11:00~16:00(ラストオーダー14:30)、80分制
定休日:月曜日、年末年始、その他は兵庫県立美術館の休館日に準ずる
表記:buffet Restaurant Fortissimo


当日、注文したのは手作りハンバーグ 1,700円(税込)です。
上記メインメニューに約20種類のサイドブッフェ及びドリンクとがセットになっています。
以前はパスタを中心としたメニューでしたが2018年4月にリニューアルされ現在のような
スタイルになっています。


上の写真はサイドビュッフェで取ってきたものです。


上の写真はメインの手作りハンバーグ


上の写真はデザートと飲み物






上の3枚の写真は店の前に掲示のメニュー一覧などの看板です。


海の見える景色も楽しめるレストランです。
下の写真のような景観が楽しめます。


平成27年(2015)6月28日にお披露目式があった新しいオブジェ「Sun Sister」
(サン・シスター)作者は矢延 憲司(ヤノベケンジ)さん 愛称「なぎさ」が
後ろ姿ではありますが見えます。摩耶大橋やたまに通る船の景色が見ものです。
関連ブログ:「なぎさ」に関するもの
  兵庫県立美術館の新しいオブジェ「Sun Sister」(サン・シスター) on 2015-7-10

ゆったりと景色を見ながら食事をリーズナブルな値段で楽しめるレストランだと思います

関連ブログ:1階のカフェ フォルテシモに関するもの

  兵庫県立美術館内のカフェ フォルテシモ でのランチ on 2011-8-5


  兵庫県立美術館内のカフェ フォルテシモ でのランチ on 2016-1-29


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今日は何の日 7月29日 と保元の乱

2018年07月29日 07時33分16秒 | Weblog
NHKラジオでは標題の番組が放送されています。

本日の放送からNHKラジオが選択したItems及び神戸新聞のきょうの小史
並びにWikipediaなどからピックアップしました。
 赤字がNHKラジオの放送

1156年(保元元年7月11日)
      保元の乱: 後白河天皇方の平清盛・源義朝らが、
      崇徳上皇らの蘢る白河御所を夜襲し、上皇方が敗退。

1836年 - パリのエトワール凱旋門が落成。

1858年(安政5年6月19日) - 日米修好通商条約締結。

1894年 - 日清戦争: 安城渡の戦いでラッパ手の木口小平が被弾し、死んでも口から
     ラッパを離さなかったとして小学校の修身の教科書にも載る。

1921年 - ヒトラーがナチス党党首に就任。

1948年 - 第14回夏季オリンピック、ロンドン大会開催。8月14日まで。

1957年 - 国際原子力機関(IAEA)設立。米国アイゼンハワー大統領が主導し本部はウィーンに設置

1978年 -17年ぶりに両国花火大会が復活。後に墨田川花火大会に名称変更


1997年 - 水俣湾の魚貝類について、水俣病発見から41年ぶりに熊本県が安全宣言を出す。

2008年-マリナーズのイチロー選手が日米通算3,000本安打を達成 張本選手につぎ2人目

これだけでは写真もなく寂しいので保元の乱について写真を添えて記述していきます。

保元の乱関係系図

上の写真は保元の乱関係系図
出典:詳説 日本史図録 第2版 山川出版社(2008)Page86

保元の乱の対立構図
     敗者             勝者
天皇家:崇徳上皇(兄)    VS 後白河天皇(弟)
摂関家:藤原頼長(弟)    VS 藤原忠通(兄)
平氏:平忠正(叔父)      VS 平清盛(甥)
源氏:源為義(父)・為朝(弟) VS 源義朝(子/兄)

保元の乱までの経過
(1156年7月11日=新暦では1156年7月29日)

以下の月日はすべて旧暦で表記
6月1日:鳥羽院の病状悪化。後白河天皇の里内裏高松殿に北面の武士動員
7月2日:鳥羽上皇が死去。後事を得子(美福門院)と藤原忠通に委ねる
7月3日:藤原頼長の邸宅東三条殿(高松殿のすぐ北側)に崇徳上皇方の軍勢が集結。
7月5日:後白河天皇側は検非違使や諸国の武士を動員し街道要所を警備
7月8日:崇徳上皇が陰謀を企み軍勢を集めているとし源義朝に命じて東三条殿を押収
     藤原頼長の謀反の証拠を見つけたと宣伝
7月9日:崇徳上皇が白河北殿に移る
7月10日:藤原頼長、白河北殿に合流。平忠正、源為義、源為朝らも白河北殿に集結
7月11日:
   未明:源義朝勢百数十騎、平清盛勢200騎弱、源義康勢数十騎が白河北殿に向け出発
 午前4時:鴨川を挟んで崇徳、後白河両軍の激戦開始。源義康一斉に敵に矢戦をしかけるが
       弟の源頼賢の応戦され敗戦。平清盛鴨川を渡る。腹心が約50騎が白河北殿西門に
       迫るが源為朝の強弓に阻まれる。
 午前6時:源為朝らの奮戦で戦況動かず援軍として第2陣を派遣。
       後白河天皇が三種の神器とともに東三条殿(高松殿のすぐ北側)に移る
 午前8時:信西より焼き討ちの許可を得た源義朝、平清盛らが白河北殿に放火。
       崇徳上皇は混乱に乗じて滋賀県の三井寺をめざして落ち延びる

7月14日:藤原頼長は父を頼って大和に逃避行するが途中見つけられ死亡
7月23日:崇徳上皇讃岐へ配流。    

敗者の処分
 崇徳上皇は讃岐に配流され、藤原頼長は逃避行中に死亡。
 平忠正、源為義は斬首。源為朝は伊豆大島へ流刑


上の写真は後白河天皇方の本拠地(高松殿)となった現在の高松神明神社
撮影:2012-5-29

高松神明神社の基本情報
住所:京都市中京区綾小路通釜座東入る TEL:075-231-8386
最寄り駅は地下鉄烏丸線烏丸御池駅 徒歩5分程度
後祭神:天照大神(あまてらすおおかみ)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、
誉田別命(ほんだわけのみこと)。
境内摂社:八幡神社、春日神社
建立年代:延喜21年(921)第60代醍醐天皇の皇子高明親王が7歳の時、源姓を賜り
西宮左大臣・源高明(たかあきら)(914-982)となり邸宅として造営、同時に
天照大神を勧請し高松神明神社とした。




上の写真は高松神明神社の境内にあった地図で昔の高松殿、東三条殿の位置の他に
信西の邸、三条殿、藤原宗忠、閑院(里内裏)=後白河天皇が即位の儀式で使用
堀川院の里内裏などの位置が示されています。
撮影:2012-5-29




上の2枚の写真は後白河天皇の御陵の石碑と陵へ続く沿道(法住寺)
撮影:2012-1-29

法住寺の歴史

法住寺の基本情報
住所:京都市東山区法住寺三十三間堂廻り町655 TEL:075-561-4137
宗派:天台宗 本尊:不動明王



永祚元年(989)に太政大臣藤原為光が急死した娘祇子(しし)=花山天皇の女御の
菩提を弔うために創設された。
長元5年(1033)12月8日火災により消失。
後白河法皇はこの地を院の場所と決め応保元年(1161)に法住寺殿となった。
さらに後白河法皇は平清盛に命じて法住寺境内に蓮華王院(三十三間堂)を造営
させた。三十三間堂造営は長寛2年(1164)のことであった。
蓮華王院(三十三間堂)には父忠盛が建てた得長寿院にならって33間の本堂に
1,001体の十一面千手観音像を安置した。

法住寺殿は、後白河法皇の御所と共に、自分の墓の墓守の意味もある。
また御所を守る新日吉神宮・熊野神社も移した。

安元2年(1176)に後白河上皇の女御建春門院(平滋子)が亡くなると、
女御の御陵として法華堂が建てられた。

寿永2年(1183)木曾義仲の軍勢によって南殿に火がかけられ(法住寺合戦)、
後白河法皇は北の門から新日吉神社へむけ輿にのって逃亡、以後法皇は
六条西洞院の長講堂に移りそこで生涯を終えた。建久3年(1192)であった。

法住寺合戦の折、後白河法皇の身を守るために天台座主の明雲が敵の矢に
倒れた。命拾いした後白河法皇は「不動明王が明雲の姿をかりて、私の
身代わりになってくださった」と涙されたと伝えられている。
これが身代わり不動尊の謂れである。

元禄期には大石内蔵助が参拝したと伝えられ、その縁から四十七士木造が安置されて
いるなど、忠臣蔵縁の寺としても知られている。


上の写真は後白河上皇(後白河法皇)が30数年院政を行った政治の中心地
法住寺殿の跡碑の説明板にあった略地図です。
京都国立博物館側にあった北殿と蓮華王院三十三間堂などがあった南殿があり
広大な御所でありました
後白河上皇(1127-1192)は永暦2年(1161)4月から約20年間住まいとして
法住寺殿を利用されていました。

撮影:2012-1-29


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皆既月食 in 神戸 on 2018-7-28

2018年07月28日 05時27分47秒 | 神戸情報
国立天文台のサイトに2018年7月28日未明に皆既月食があるとのことで、早朝
3時40分頃から自宅の近所で観察に出かけましたが、月は雲に隠れて上手く観察
できませんでした。それでも雲の合間にぼやけた月が時々観察できました。

写真も撮ることをトライしましたがお見せできるような写真は撮れずじまいなので
今回の記事では写真はありません。

国立天文台のサイトには今回の皆既月食について次のように解説されています。
2018年7月28日未明に今年2回目の皆既月食が起こります。
おおよそ東北地方以西で月の入りの前に皆既食を迎え、そのまま沈みます。
それ以外の地域では、月は皆既食になる前に沈みます。
月は3時24分に欠け始め、4時30分に完全に欠けて皆既食となります。
皆既食は、6時14分まで1時間44分も続きますが、日本ではこの時刻よりも早く月が
沈むため、皆既食の後の様子は観察することができません。



そこで、VOXのサイトに皆既月食の解説とともに皆既月食の動画が掲載されていましたので
リンクさせていただきました。
 https://www.vox.com/science-and-health/2018/7/24/17607786/lunar-eclipse-july-2018-start-time-live-stream-bloodmoon-total

また2018年1月31日に明石市立天文科学館が生中継しやyoutube動画がありましたので
そちらにもリンクさせていただきました。
2018年1月31日の皆既月食を明石から生中継


さらに神戸新聞が撮影した2018年1月31日の皆既月食のサイトにもリンク
させていただきました。
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201801/0010946288.shtml

本日(2018-7-28)6時17分のNHKテレビでは今回の皆既日食を観測できたのは
沖縄、九州、中国、四国、東北の一部で観測できたとの報道がありました。
(下の写真)


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神奈川県大磯町

2018年07月27日 04時02分24秒 | 神奈川県情報
昨日(2018-7-26)の神戸新聞夕刊に「神奈川県大磯町 癒しの浜に明治の薫り」という
表題で政治家や文化人に愛された別荘地大磯町の紹介記事がありました。

かって約20数年間大磯町の近くに住んでいたので懐かしく思い記事を書くことにしました。
とは言っても昔の写真を引っ張ってくるには時間を要するので関連サイトへのリンクを中心
にして記述していきます。

旧伊藤博文邸は私が訪問した頃は西武グループの大磯プリンスホテルが経営する
中華料理の店として「滄浪閣(そうろうかく)」という名前で営業されており何度か
食事をした記憶があります。国土交通省は明治維新150年事業の一環として伊藤博文
の他、大隈重信、陸奥宗光、池田成彬邸(西園寺公望邸跡)とその周辺を整備するべく
2018年度予算を計上、整備するそうです。「明治記念大磯邸園」(仮称)

神奈川新聞2017-8-30の記事を掲載したカナコロのサイトに上記の整備計画や
伊藤、大隈、陸奥、西園寺邸の位置が書かれており理解しやすい。

写真が1枚もないというのは寂しいのでGoogleのストリートビューより2015年5月に
撮影の滄浪閣(旧伊藤博文邸)の写真を添付しておきます。


また、Google地図の上に伊藤博文邸(滄浪閣)の他、大隈重信、陸奥宗光、
池田成彬邸(西園寺公望邸跡)の場所を提示しました。(下の写真)


「大磯に住んだ8人の宰相たち」の別荘跡地を訪ねてという題で大磯の街歩きを
されたエトランゼさんのサイトには沢田美喜記念館&エリザベス・サンダースホーム
西郷従道氏の邸宅跡、ノーベル賞を受賞した大隅良典氏の住所周辺、「招仙閣」跡地
軍医であり海水浴場の開設に尽力した松本順氏のお墓がある妙大寺、山縣有朋氏の別荘
「小淘庵」、陸奥宗光氏と大隈重信氏の別荘(古河電工 大磯荘)、「血洗川」
吉田茂別荘(平成21 年に別荘は焼失)などが紹介されていました。

2016/12/10付日本経済新聞の朝刊には「旧吉田茂邸の本邸が再建され2017年4月に
公開が始まる」との記事があった。

大磯城山公園のサイトに吉田茂邸についてのガイドがありましたのでリンクさせていただきました。
 http://www.kanagawa-park.or.jp/ooisojoyama/yoshidashigeruteichiku.html

他に島崎藤村が晩年を過ごした「静の草屋」も見どころの一つです。
島崎藤村と静子夫人の墓は地福寺。

俳諧道場として知られる鴫立庵も見どころの一つです。

曾我五郎、十郎兄弟の仇討ちを描く「蘇我物語」の所縁の地でもあります。

終わりにこの記事を書いている間、大磯町を散策してみたいと思いが出てきました。



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城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その16(最終回) 車瀬橋

2018年07月26日 04時11分58秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年6月17日、神戸電鉄を利用して三田へ出かけていました。
城下町 三田の街めぐりと題して過去15回、下記の記事を書いています。

本日はシリーズの第16弾(最終回)として「車瀬橋」を紹介します。

過去の記事へリンク
第1回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その1 三田天満神社

第2回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その2 天神公園の石碑と眺望

第3回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その3 金心寺

第4回 三田の街めぐり on 2018-6-17 その4 三田城跡

第5回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その5 元良 勇次郎 顕彰碑

第6回 三田の街めぐり on 2018-6-17 その6 川本幸民先生 顕彰碑

第7回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その7 三田藩主の菩提寺「心月院」

第8回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その8 心月院墓地

第9回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その9 三田博物館跡

第10回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その10 藩校造士館跡

第11回  城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その11 旧九鬼家住宅

第12回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その12 白洲退蔵出生地


第13回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その13 有馬会図書館跡

第14回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その14 日本キリスト教団 摂津三田教会

第15回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その15 三好達治少年期生育の寺 妙三寺

現在、武庫川に統一されていますが江戸時代には三田川又は車瀬川と呼ばれていました。

車瀬橋は江戸時代にこの付近で武庫川に架かっていた唯一の橋で丹波地方への街道筋だった。
また三輪神社と金心寺を繋ぐ参道でもあった。

三田城側に車瀬橋の歴史を記した石碑があったので添付しました。(下の写真)


説明書きとダブル部分がありますが車瀬橋の由来など歴史を記述していきます。
車瀬の語源については川の瀬の渦を巻いて流れる様子が車の輪に似ているからとの
説や三田城の前身、車瀬城の縄張りを行った山崎堅の家臣、車瀬政右衛門に由来する
との説があります。また車瀬という地名も残っています。
この辺は蛍の名所でもあり寛政8年(1798)刊行の摂津名所図会には、初夏に蛍が
飛び交う夕景色は宇治、石山の勝景に劣らない位美しいと紹介されています。
明治時代までは川の岸辺に草が生い茂っており、護岸には大小の石が積まれていて
川では子供達が泳いだり、水遊びをしたりしていた。
昭和初期までは幅が約4.2mの木の橋であったが度重なる洪水に見舞われたため
護岸工事に併せて、昭和59年(1984)現在のコンクリート製の橋が架けられた。




上の2枚の写真は車瀬橋から観た武庫川の上流と下流の景観です。

車瀬橋の見所の1つとして橋の中央部にある三好達治の詩碑があります。
三好達治は家庭の事情で6歳の時に三田の妙三寺の祖母のもとに引き取られ
小学校5年生まで三田小学校に通った。
抒情詩人としての原点は三田で過ごした幼少期に培われたものといわれている。

詩碑の題目は祖母でこの橋で祖母と共に蛍狩りをした思い出を綴っています。

祖母
祖母は蛍をかきあつめて
桃の実のやうに合せたての中から
沢山な蛍をくれるのだ

祖母は月光をかきあつめて
桃の実のやうに合せた掌の中から
沢山な月光をくれるのだ


当日、詩碑の写真を撮れなかったのでGoogleのストリートビューよりの写真を添付
しておきます。(下の2枚の写真)





これにて、第16回の記述は終了します。
これまで三田の街めぐりの記事を連載してきましたが見落とした場所も多く
今後、再訪して補充していきたいと考えています。

そこで、三田駅前で掲示の三田の8コースの見所の掲示を添付して終了とします。



















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城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その15 三好達治少年期生育の寺 妙三寺

2018年07月25日 04時22分45秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年6月17日、神戸電鉄を利用して三田へ出かけていました。
城下町 三田の街めぐりと題して過去14回、下記の記事を書いています。


過去の記事へリンク
第1回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その1 三田天満神社

第2回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その2 天神公園の石碑と眺望

第3回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その3 金心寺

第4回 三田の街めぐり on 2018-6-17 その4 三田城跡

第5回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その5 元良 勇次郎 顕彰碑

第6回 三田の街めぐり on 2018-6-17 その6 川本幸民先生 顕彰碑

第7回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その7 三田藩主の菩提寺「心月院」

第8回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その8 心月院墓地

第9回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その9 三田博物館跡

第10回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その10 藩校造士館跡

第11回  城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その11 旧九鬼家住宅

第12回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その12 白洲退蔵出生地


第13回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その13 有馬会図書館跡

第14回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その14 日本キリスト教団 摂津三田教会

本日はシリーズの第15弾として「三好達治少年期生育の寺 妙三寺」を紹介します。


上の写真は 「詩人 三好達治(1900-1964)少年期生育の寺」と書かれた石碑です。

二行詩で有名な詩人 三好達治は明治33年(1900)8月23日、大阪市西区西横堀町に
父政吉・母タツの長男として生まれた。家業は印刷業を営んでいたがしだいに没落し、
市内で転居を繰り返した。家庭の事情で6歳の時に三田の妙三寺の祖母のもとに引き取られ
小学校5年生まで三田小学校に通った。
抒情詩人としての原点は三田で過ごした幼少期に培われたものといわれている。
墓所は弟が住職をしていた高槻市の本澄寺にあります。
本澄寺には三好の甥によって三好達治記念館が建てられているそうです。




上の2枚の写真は車瀬橋商店街の札の辻 側から観た妙三寺の遠景です。

妙三寺の基本情報
住所:三田市三田町34-5 TEL:079-562-6414
宗派:日蓮宗 山号:圓光山
創立:慶長7年(1602)
御住職: 武田隆遠(第22世) 副住職は武田和城

公式サイト:https://temple.nichiren.or.jp/5101037-myousanji/

境内の拝観はできませんでした。今後の機会に再訪したいと思っています。

上の写真は妙三寺の通用門の右側の掲示板
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城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その14 日本キリスト教団 摂津三田教会

2018年07月24日 06時51分22秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年6月17日、神戸電鉄を利用して三田へ出かけていました。
城下町 三田の街めぐりと題して過去13回、下記の記事を書いています。


過去の記事へリンク
第1回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その1 三田天満神社

第2回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その2 天神公園の石碑と眺望

第3回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その3 金心寺

第4回 三田の街めぐり on 2018-6-17 その4 三田城跡

第5回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その5 元良 勇次郎 顕彰碑

第6回 三田の街めぐり on 2018-6-17 その6 川本幸民先生 顕彰碑

第7回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その7 三田藩主の菩提寺「心月院」

第8回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その8 心月院墓地

第9回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その9 三田博物館跡

第10回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その10 藩校造士館跡

第11回  城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その11 旧九鬼家住宅

第12回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その12 白洲退蔵出生地

第13回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その13 有馬会図書館跡

本日は本シリーズの第14回として「日本キリスト教団摂津三田教会」について
書いていきます。

日本キリスト教団摂津三田教会の基本情報

住所:三田市屋敷町7−25 TEL:079-563-0477
宗派:アメリカンボードによる伝道でプロテスタント系 牧師:西脇正之
創設:明治8年(1875)7月27日 日本基督教団摂津第三教会として設立
公式FB:https://www.facebook.com/pages/摂津三田教会/723461907694508


基本情報で記載したように日本キリスト教団摂津三田教会は明治8年(1875)7月27日 
日本基督教団摂津第三教会として設立されました。
旧三田藩九鬼家(三田陣屋跡)大広間で設立式が行われ仮牧師としてO.H.ギューリック
が先導し三田の男子7名と女子9名が洗礼を受けています。(下に名簿を添付)

洗礼を受けた人は澤 茂吉・赤林 源治・井坂 純蔵・橋村 紹悦・若林 元昌・丸井 清七・
竹内 一郎・鈴木 雅楽・澤 犀・安田 文・井坂 藤・前田 菊・赤林 久・橋村 嶺・
降屋 寿美・丸井 政
出典:http://sandachurch.p1.bindsite.jp/history.html

特記事項として16人の洗礼者の中にのちに「キリスト精神による理想郷を建設しよう」と
赤心社の副社長として北海道開拓に一生を捧げた澤 茂吉と母親の澤 犀
がいることである。





上の2枚の写真は日本キリスト教団摂津三田教会と付属の三田こばと保育園の
建物外観です。

明治初期に西洋文化を吸収しようとする機運の高まっていた。また、明治6年(1873)
明治政府はしぶしぶではあるが外国からの圧力で全国のキリスト教禁制の高札を撤去。
300年にわたるキリスト教禁制が解かれました。

このような時代背景のもと神戸では明治3年(1870)3月に米国アメリカン・ボードの
宣教師D.C.グリーンが来神、神戸で礼拝が行われるようになった。明治4年(1871)4月
には20名が集い神戸ユニオン教会の誕生となった。さらに明治5年(1872)には現在の
大丸の近く居留地48番に教会堂が建てられた。
日本基督教団の教会としては明治7年(1874)西日本最古のプロテスタント教会である
神戸教会が同じくD.C.グリーンによって創設されています。神戸教会摂津第一公会
称され創設当初は元町5丁目に誕生した。
摂津第二公会は大阪に創設された梅本町公会で明治7年(1874)5月、M.L.ゴードン宣教師
を仮牧師として発足し、発展して大阪教会(日本基督教団)となっています。
三番目の摂津第三公会として摂津三田教会が誕生した。

ここで上述のD.C.グリーン以外の宣教師の来神した時期を列挙しておきます。
O.H.ギューリック 明治4年(1871)3月
J.D.デービス   明治4年(1871)12月
J.E.ダッドレー  明治6年(1873)3月
E. タルカット  明治6年(1873)3月
J.L.アッキンソン 明治6年(1873)9月

三田でこれほどキリスト教への入信者が増加した背景としては藩主の九鬼隆義とその家族
がアメリカン・ボードの宣教師 J・D・デーヴィス夫妻との交流によりキリスト教や
西洋の医学・科学・風習について理解があったことが大きい。

三田でのキリスト教布教の関しては下記サイトに詳述されています。
 http://sandachurch.p1.bindsite.jp/history.html


上の写真は現地の説明板
25 歴史の散歩道 三田市
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城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その13 有馬会図書館跡

2018年07月23日 05時14分38秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年6月17日、神戸電鉄を利用して三田へ出かけていました。
城下町 三田の街めぐりと題して過去12回、下記の記事を書いています。


過去の記事へリンク
第1回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その1 三田天満神社

第2回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その2 天神公園の石碑と眺望

第3回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その3 金心寺

第4回 三田の街めぐり on 2018-6-17 その4 三田城跡

第5回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その5 元良 勇次郎 顕彰碑

第6回 三田の街めぐり on 2018-6-17 その6 川本幸民先生 顕彰碑

第7回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その7 三田藩主の菩提寺「心月院」

第8回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その8 心月院墓地

第9回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その9 三田博物館跡

第10回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その10 藩校造士館跡

第11回  城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その11 旧九鬼家住宅

第12回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その12 白洲退蔵出生地


第13回として私立図書館としては兵庫県下で最古の
有馬会図書館跡をテーマに記載していきます。
有馬会図書館跡は現在、三田ふるさと学習館になっています。

所在地の住所:三田市屋敷町7-33 (三田ふるさと学習館)



上の写真は26歴史の散歩道 有馬会図書館跡の説明パネルです。


説明文をそのまま転記します。
私立図書館では県下第1号  有馬会図書館跡
九鬼隆一男爵が会長となり、有馬郡内の有識者らと共に明治27年(1894)私立有馬郡
衛生教育会付属の図書館を設立した。明治32年の図書館令の発布5年前に建てられている
ことから、三田が文化的に進んだ地であったといえよう。
県下初の私立図書館で、明治末期の蔵書数は4,500冊余あり、多くの人たちに利用された。
ここで閲覧できない遠隔者のために、郡内6ヶ所で巡回文庫を運営していた。
昭和6年に閉館した。
26歴史の散歩道 有馬会図書館跡 三田市








上の3枚の写真は三田ふるさと学習館の建物外観です。

三田ふるさと学習館は、昭和29年(1954)に県の保健所として建てられました。
現在、「NPO法人歴史文化財ネットワークさんだ」に所属するボランティアガイド
が詰めておられ親切な解説を聞くことができます。
展示では九鬼家、白洲家、川本幸民、小寺泰次郎及び考古資料も展示されています。
三田城周辺の模型も見逃せません。

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