俺もお前も人生の敗北者

とりあえず否定から入るネガティブ思考で常にB級嗜好なATOPのブログ

1つの芸術

2006-07-04 05:01:41 | ATOP
 今夜も闇の世界へようこそ。

 ときに誰かの真意を引き出すためには平気で大嘘をつく私。とくに相手とは逆の意見を言えば必ず相手から考えがこぼれてくる。残念なことにそうしないと言わない・伝えてこない人がいるから~…もしかして私が普通に訊けばいいのかな(汗。まぁそれは置いておいて昨日(日曜日)も平気で大嘘ついて相手の意見を引き出しました。冷静に考えてください。昨日私が同期に送ったメーリスの内容。今日話した内容と完全に違ったとは言いませんが、あんまり関係ないと思いませんか?そう、そこが盲点なのじゃ!見事1名この手に引っかかりメールしてきた方いらっしゃいまして真意を探らせて頂きました、ごっちゃんです(何。メールって恐いですね、こっちはテキトーなこと送ってても相手は本気だったり…まぁ相手もテキトーかもしれないけどね。
 それは置いておいて皆さんはどっち側ですか?いじめてる方が悪いのか、いじめられている方が悪いのか。私はどっちかというといじめられている人の方が悪く感じる方です。まぁ冷静に考えればどっちも悪いんですけど。しかし、それはあくまでも極端な例。もっと身近なところで言えば、言った方が悪いのか言われた方が悪いのか。これって良くありません?まぁ場合にもよりますが、私はやはりたいていの場合は後者の言われた方が悪いと考えるタイプですね。言われるべくして言われてる気がするんですよ…つまりは『言われても仕方ないジャン、実際そうだし』って思うんですよね。言われた側はそれが納得できないんじゃないかなって思う。逆に言えば納得できてしまうからこそ腹が立つのかもしれない。もちろんそれは私にとってもそうである。いつも周りから言われたことは『間違ってない』と思ってるし『確かにそうだな』って思う。ただ私の中に言われても良いことと言われたら嫌なことがあって、言われたら嫌なことは100%事をし損じないことに努めます。徹底的にやります。相手につけ込ませない、隙を見せない。あるところではテキトー主義者ですが、あるところでは完璧主義です。重度の性格のゆがみを感じます(笑。だから思うんです。言われた方が悪いって。私も周りから何か言われたということは自分自身が悪かったと思いますし、逆にそういう環境に身を置くからこそある程度の強さを手に入れられるんじゃないかと思います。「負け犬の遠吠え」だけはしたくないです。だからこそ私は私の中で負け組に居続けているんだと思います。
 
 話を変えます。新聞部に所属している私。当然一記者として記事を書くわけですが、最近は後輩の添削をしていて改めて記事という芸術性にぶち当たる。何を持って良いとして、何を持って悪いとするか。読みやすければいいのか。説明しきれていればいいのか。あっさりとした感じにした方がいいのか。感情むき出しの記事にした方がいいのか。さっぱり分かりません。もちろんどれも大切なことではあるのだけれども。
 私の書く記事はあっさりとしたもの。それは私もそう思いますし、周りからもそう言われます。あっさりとして記事自体がさっさと読み終えられる記事。今日も自分の記事を読んでいて『読みやすいけど記憶には残らない記事』だなって思いました。悪くはない記事。良い記事ではない。今日の記事アンケートも同じ表現の所を変えては?というぐらいで大した書き込みもなく、赤字で「まとまりある」「いいと思う」と書かれているだけ。所詮はそんな記事なんだと思う。見てきたものを淡々と書く。選手達の気持ちを羅列する。嫌いに整理して書き連ねる。気持ちの入ってない記事といってしまえばそうなのかもしれない。だから最終的に読んでも何も感じない記事になる。「あーそうなんだ」って思っても、登場人物について「頑張れ」とか「何やってんだよ」とか「格好いい」とは思わない記事。割と現実的な新聞に近いんだと思う。雑誌的な記事には今のところならない…みたいだ。
 雑誌なんかを読んで研究はしているものの一向に変化の兆し無し。というより雑誌読んでもあんまり面白いと感じていない…読む雑誌間違えているのかな(汗。根本の問題として私自身が非常に感動の薄い人間なのかもしれない…感情の起伏を感じないのかもしれない…でも私って感情の起伏が激しいとまでは言いませんが、割とありますよね(汗。だとすれば本当の感動というものを知らないのだろうし、本当の悔しさも知らないだろうし、本当のかっこよさも知らないだろうし、本当の面白さというのも知らないのだと思う。感情に色がないのだろうねぇ…自覚があるところが何とも痛い(苦笑。

PS 気付いたら朝だぜ、マーマミーヤ!