いつもそうだった。いつもなにか問題があると「君は大丈夫かもしれないけど」「それはATOPだから」とか言われて腹が立つ。自分自身が特殊扱いされるのがいやだった。なんで、なんで自分だけがそう扱われて周りにあわせないといけないの?と子供のころから思ってた。それは今も変わらない。
私は私自身を特殊とか特別だと思いたくはない。ごく普通の日本人だし、ごく普通の20歳の男だ。まして人より能力的に劣る人間だとさえ思う。私より俗に言うできる人なんて無限にいる。
私がいままで残してきたもの、つまりは学歴だったり経歴は運が大きく関係しているけれども、私なりの必死さや努力する姿勢があったから今結果として残っている。決して簡単に楽して手に入れたものではない。それは私もまわりも変わりはない。同じだ。
にもかかわらず、さっき書いたことを言われるとめちゃめちゃ腹が立つ。私ができるからできない人に合わせるということ自体が筋違いのお門違い。私ができてるのではなくて、私はできるように善処しただけで、できない人が何もしなかったというだけのこと。結局、日頃の行いが悪い。私からはそうとしかいえない。
人間の器の大きさなんて本当にあるの?たまたま誰かと誰かを比べてどっちが優れてるかを無理して比較してるんじゃない?そんなに自虐的に考えることに意味があるの?
でも比較しなければ仕方ないというのが人間の性。だったら自虐的に考えることなんてないじゃない。人と比較して自分が優れてると証明すればいい。それで満足するなら。
私は最初に言ったように特別な人間ではない。むしろ劣っている。ある意味で自虐的だ。だからこそもっとできる気がする。自分に足りない部分に向き合い、その部分を補える。人より劣っているからこそまだ自分に期待もできる。成長していく自分に自信がもてる。
そう思ってここまできた…と言えば大げさだが、すくなくとも今はそう考えている。逆にそう考えていなかったらここまでにすらこれなかったと思う。人間不完全だから面白い。それを阿呆な意味で肯定して皆に無理強いするくずは己の愚かさに気づいていないのだろうか。