俺もお前も人生の敗北者

とりあえず否定から入るネガティブ思考で常にB級嗜好なATOPのブログ

アメリカ旅行~帰国編2~(完)

2013-07-08 18:05:01 | アメリカ旅行2011
日本時間 3月12日(土) 午前3時ごろ


チャイニーズが暴れ始めてからまたしばらくたった午前3時ごろ機長からアナウンス。

「今日はもう打つ手がありません。上陸許可は出たので空港に降りていただきます」

やった。ついに上陸許可が。このまま上陸許可もできず、入国審査も受けず、アメリカに帰るとか言い出さなくて本当に助かりました。飛行機に乗って24時間。ようやく外の空気を吸うことができます。

飛行機のタラップを降りてバスにのった気がします…歩きじゃなかったと思うんですが、空港のドアまで行って入国検査場まで進みました。そのときの検査官の目が死んでいた気がしないでもないですが(もともと輝かせて仕事はしていない)、「新千歳国際空港 入国」といういままで持っていなかったスタンプをパスポートに押していただきました。



そこから荷物を受け取って進むと空港の職員が「みなさんは一時的な上陸ですので空港の敷地内から出ないでください。いつまた飛行機に乗っていただくかわからないので」みたいなことを言って、運搬用のカゴ車に積まれた災害用の毛布を配ってました。このとき「ああ、僕もこれは被災者なんだ」と実感。ましてや、先ほどまで帰国すら危ぶまれた入国難民でもあったわけです…。

んまぁ、待機していろといわれた場所が出発ロビーの建物なんですね。当然と言っては何ですが、椅子なんかあるわけでなく(出発ゲートだとあほみたいにありますが)、ましてや新千歳空港。床の陣取り合戦。それとあわせてコンセント争奪戦がはじまる…。幸いにも我々特急指令ソルブレインは軽快な動きで毛布を受け取り、コンセントのある場所に毛布を敷き陣取りました。



とにかく僕らはおなかがすいていた。でも僕らにはこの旅でアメリカで買い込んだものがあった。



NYで買わされたというか寄付をせがまれてもらったM&M。これが唯一の食糧。うん、なかなかおいしいのである。

なにはともあれ、立派な帰宅難民となった我々はたくましく北海道の血でどうすることもできず生きることを決めたのでした。



そう。ずっとUstreamでNHKみたり、ラヂコでラヂオ聞いたりうだっと寝たりしていると、あっという間に朝日も上がるのである。



なんかね、このときみた朝日は不思議だった。どんなにひどいことが起きても朝日って上がってくるんだなぁ、明日ってやってくるんだなぁ、と思ったものです。それはいい意味でも悪い意味でも。


日本時間 3月12日(土) 午前5時


「ロスアンジェルスからデルタ航空機でいらっしゃってるお客様、成田行きは本日の19時以降になります」

衝撃のアナウンスである。ああ、完全に会社いけないじゃない。本来気にするべきところはそこではないのだけど、それを聞いた日本人客(比較的時間がなくてお金がある人たち)は国内線のターミナルへ移動し始めました。僕もどうしようかなぁと思ったんですが、今日中に帰れるといってるんだから待ちゃいいかとひとり思ってました。

とりあえず明日も怪しいものの、今日は確実に北海道に居残ることが決定的になったので改めて会社に連絡を取ろうと思う生真面目なサラリーマンの僕は朝の5:30くらいにマネージャーへ電話するのです(笑。「(完全に寝ていた雰囲気で)そうなんだぁ。大丈夫。ATOPさんのこと事務所にいっておいたから」と言葉をもらって安心。

それでも不安な僕は朝の8:00か8:30くらいに事務所に電話するんです…

「おはようございます。カメラコーナーのATOPです。昨日まで有給いただいていまして、本当は昨日帰国予定でしたが地震の影響で家に帰ることがかないませんでした。本日も出勤できそうにありません」
「あ、ATOPさんですね。聞いてます。ATOPさんはもういいですよ、北海道にいるんですよね。気を付けて戻ってきてください」

…もういいらしいです、僕は。


日本時間 3月12日(土) 9時30分


10時からレストラン街がオープンすると情報を手に入れた我々アベンジャーズはひさびさの日本料理に心躍らせていました。きっと新千歳空港内に一時待機している客の中で一番このときを心待ちにしていたのは我々でした。

「北海道にいるんだからうまいもんを食おう」
「どうせ東京帰っても店やってるかわからない」
「よし、海鮮丼かジンギスカンだな」

という会話を全開でしていたのはここのジャップ4人だけである。



狙いをジンギスカンに定めた我々はオープン15分前からお店の前で待機。さぁいつでもくってやるぞ!と意気込んでいたらバイトのおねーちゃんがでてきて「もしかして待たれたますか?」というので「YES」というと席に案内してくれました。
※ほかにもレストランがたくさんありますがジンギスカンを朝の10時から食ってたのは僕たち以外にいませんでした…



いやぁ、おいしかったです。この旅一番がここでした(何。やっぱりね、白いご飯とお肉とビール。これに勝るものなんてこの世に存在しないわけ。ありがとう日本。

あとはフライトを待つのみです。が。いつまでたってもフライトの続報アナウンスは入らず、アットホームな我々をよそに憤るアメリカンたち。



「どうなってんだ」「いつ飛ぶんだ」
「なんでホテルないんだ」「飯をだせ!」

と200人くらいが憤っているわけだけども、仕方ないじゃない。だってここにいるデルタの職員、一人なんだから。その一人だってもともと俺らの飛行機に乗ってた客室乗務員なんだから(笑。彼に罪はない。オフィスもなくカウンターも間借りしただけのデルタ航空に何ができるというのだね…ただ14時くらいになって食事券くばってましたけど時すでに遅しでは…。



僕らは夕飯の海鮮丼を買い「17時チェックイン19時フライト」の情報を入手し、ぐだるのであった(おいしいもの食べてお酒なんか飲んだら疲れがどっと出て眠くなるのはあたりまえ…。

2011/03/10-11 帰国(3/3)



日本時間 3月12日(土) 17:00


チェックインのため間借りカウンターに並びました。阿呆みたいにひとがいるので何が何の列かもわからに程でしたが、僕らはぼーっと空港に設置されたNHKを見てました。

そうしたらなんか四角い建物が吹っ飛ぶ映像が急に流れ始めるわけです。

画面の隅を見ると福島第一原子力発電所とテロップがあって、なんかの映画の映像か実験映像にしか見えないんだけど、どうやら本当のことらしく『ああ、日本終わった』と現実感はないのだけど、なんとなくそんなことを思っていました。少しだけ北斗の拳が脳内をちらつきました…。

ここで災害のプロ、災害対策・危機管理についてはいつも現場に立って指揮・指導してきた田原選手が風邪用マスクを買ってくれた。意味は察してほしい。


日本時間 3月12日(土) 20時くらい


機内に乗り込む。が、一向に動かない飛行機。ありがとう、デルタ。


日本時間 3月12日(土) 21:20


機内で存分に待たされ、ようやく本旅最後のフライトである。あばよ、北海道。ありがとうアメリカ。今からなんでわざわざ被害の大きい、危険度の高いであろう地方に帰ろうとしているかは自分でもわかりませんでしたが…。


日本時間 3月12日(土) 22:52


成田にようやく帰還。恥ずかしながら帰ってまいりました。着いてから気づいたことですが、我々の便がこの日の成田到着最終便でした。さっそうと税関をみんなで通ったら「君たち、一週間もアメリカ行って荷物これだけ」と笑われました。

よし、帰ろう。

なにで?

時刻は23時。当然地震の翌日ですから電車もあるわけもなく、バスも終了しており、タクシー乗り場もすっからかん。一応、近隣のホテルに電話するも「いっぱいです」と断られ、また空港ですか?と思っていたところに奇跡のタクシーが1台やってくるじゃないですか。

帰れる。我々は帰れるぞー!

タクシーの運ちゃんと地震の話で盛り上がり、僕が無事帰宅したのが深夜2:30。遅い遅い帰宅でございました。

まぁ家に帰ると地震の被害はほとんどなかったんですが、鍵を閉め忘れていた窓があいていて、防犯機がついていたもんだからそれが鳴りっぱなしになっていて怖かったというくらいですかね。それと翌日僕は朝晩でしたので朝7時に起きて会社に向かうエリートサラリーマンなのでした。


こうして我々「恥をかき捨て隊」は無事、成田→NY→ラスベガス→グランドキャニオン→ラスベガス→ロスアンジェルス→新千歳→成田という行程で今後遭遇しないであろう自体に直面し、経験し、クリアしました。またいつか必ずみなで海外へ行きたいと思います。そう思えるぐらい熱い旅でした。


アメリカ旅行~帰国編1~

2013-07-08 17:58:56 | アメリカ旅行2011
現地時間 3月10日(木) 朝の6時くらい ラスベガス空港

すっかりアメリカを満喫した我々フォーリーブスは帰国の途についていた。ルートはまずラスベガス空港からロスアンジェルス空港を経由して成田に帰るコースである。行きのニューヨーク直行便よりゆったりした行程でした。



帰る気満々。実に楽しかったアメリカ旅行。さらばラスベガス。


現地時間 3月10日(木) 10時ごろ ロスアンジェルス空港



あっという間のフライト。ここがアメリカ最後の食事。
バシッとバーガーをたいらげ、いよいよ懐かしの日本へ向かうのである。グッバイ、アメリカ。



……

………

おい、とばねぇよ。飛行機。
どうした、もうフライトの時間1時間はすぎてっぞ。

「すんましぇん。システムトラブルで調整中でーす」

…ありがとう、アメリカ。後ろ髪をひかれる思いとはまさにこのことだね。そしてその後、何事もなかったように滑走路へ侵入し、我々の乗るデルタ航空機はアメリカの大地を飛び立ったのでした。

===============

正確な時間不明 おそらく日本時間 15時ごろ

「乗客の皆様にお知らせします。現在日本で地震が発生しているため成田空港が閉鎖されています。状況次第では関西国際空港へ向かいますので、追ってご連絡いたします」

と、なぞのアナウンス。
たぶんそのとき乗っていた全員が「たかだか地震ぐらいでなにいってるんだ」「すぐ滑走路の点検終えて着陸できるだろ」という気持ちでいたと思います。もちろん僕もそう思ってました。もともと成田空港に16時過ぎの着陸でしたが…

いやぁ、成田に着陸する気配が全くないんです。

機長のアナウンスも
「管制がトラぶっていて正しい指示を受けられないからしばらく滞空します」

そう。このときまだ誰も、機長でさえ、3・11の地震の事実を正確に把握している人間は機内にいなかったわけです。ただまぁ、この状況が普通ではないことは徐々にわかってきてはいました。次のアナウンスが決定的でした。

「関空行きも諦め、千歳に向かいます」

ざわめく機内。日本人客はおそらく苦笑だったと思う。「まじかぁ」と。ちょっとしたアクシデントに巻き込まれ、まだ日常を生きている。そう思っていた。ただこの時点、英語も日本語もわからない中国人は何が起きていいるかさっぱりわかっていませんでした。僕らが乗っていたデルタ航空機は英語と日本語のCAしかのっていませんでしたので。

そして新千歳空港の上空を旋回し、着陸。


日本時間 3月11日(金) 18時ごろ 新千歳空港



ツイートのログからして、たぶん18時くらいに着陸したと思います。
ようやく携帯電話の電波も復活した我々が目にした情報は辛辣でした。飛び交う安否確認と押し寄せる津波の映像(このときは仙台空港のとかが主だった気がします)。その便に乗っていた日本人の全員が息をのんだのは間違いない。それでもまだ自分たちがその地震に巻き込まれているなんて誰も感じていなかったんではないでしょうか。

それ以上に状況を把握していなかったのはこの便のパイロットクルーとCAたちでした。なぜならデルタ航空は新千歳空港に就航していないためそこにカウンターもなければスタッフもいません。必ずオフィスのある成田空港か関西空港からの指示、そしてもともと着陸予定だった成田空港の管制の指示を聞かないといけなかったそうです。しかし、ご存じのとおり空港が封鎖されている状況で、かつ世間的にも正しい情報が整理されず、今後の見通しも立たない東京と連絡がつくはずもなく、彼らは何が起きていいるのかさっぱりわかっていませんでした。結果、機内では日本人客の携帯ワンセグに群がる人々。こうして彼らもようやく日本で何が起きているか理解しました。

だからといって彼らもどうすることもできず、ひたすら指示を待つ。彼らの目標はおそらく成田に帰ることであり、それがかなわないのであれば関空にいくことでした。とにかく新千歳にはオフィスがないので指示も受け取れなければ対応もできないので新千歳で燃料を補給しひたすら関空行きの許可を待つのでした。

僕の携帯は優れものでワンセグがついておりませんでした(何。
それはともかくとして、この時点で僕が考えていたことは「明日、朝9時番だった気がするけど、これは出勤できねぇな」ということでした。さすがサラリーマン。会社に何とかして連絡しないといけないと思いましたが、東京に電話がつながるわけもなく、加えて電池も無駄に使いたくなかったのでとりあえず上司にメールだけしたのを覚えています。

「日本には帰ってきましたが、成田に着陸できずいま新千歳にいます…
 もしかしたらこれから関空へ向かうかもしれませんが、いずれにしてもおそらく明日は出勤できません。
 僕はどうしたらよろしいでしょうか」

Hリーダーから返信がきてマネージャーにも伝えてくれたそうで、一安心…ん、で僕の有給は今日までなんだけど明日休むとどうなるの…もしかして振替で出勤か、これ…そこが一番知りたいんだけど…でもこの内容が人づてでメールで大丈夫だったっけ、うちの会社って…とぐるぐる考えをめぐらしたわけですが、結局なるようにしかならないし、きっと東京も大変なんだろうと思って忘れることにしました。

次に「ああ、そうだ。親に連絡しておくか」と思い、メールしました。返信が来てどうやらみんな無事だそうだ。うむ。あまり僕のことは心配していなかったことをよく覚えていて、むしろ隣に座っていたチャイニーズ系のおじさまが「君の家はどこだ?家族は無事か?」と心配してくれたことの方がなんかうれしく感じたのはここだけの話です…。

さて長々と書いてきましたが、これはまだ機内の話です。
僕らはただただ機内にとどまり、飛行機は滑走路の端にたたずむのでした…次々に成田に降りられなかった飛行機が着陸してきては同じく滑走路に並ぶ。僕の記憶では5,6機は並んでいたと思う。空港見学会・飛行機見学会みたいな感じで不思議だった。ただ、みなすることは同じでひたすら指示を待つだけなんだけど。だがしかし、新千歳に就航している日本の航空会社の対応は早くどっかに消えていったり(飛んでったというよりもゲートに移動したのか)、乗客を降ろしはじめていた。



当然、当機内でもストレスとヒステリーが起き始める。なんせ、アメリカの空港でもたつき、飛行機に乗ってからおよそ21時間経っていたのである(12日午前0時の時点で)。僕らは着陸して6時間、滑走路の端で物憂げに明日のことを考えていたんです。が、乗り合わせた中国人たち(英語も日本語もできない、一般的な観光客)は痺れを切らせタバコを吸うわ、機内動き回るわ、ハッスルしておりました。まぁ無理もないですね…中国語話せる人がいないんですから何が起きてるかわかってないし、なんで降りれないのかわかってない。そもそも新千歳がどこかもわかってない。

アメリカ旅行~最後のビュッフェ編~

2013-07-07 23:01:33 | アメリカ旅行2011
現地時間 3月9日(水) 5時15分

前日、疲れとお酒で死ぬように寝てしまった僕はシャワーを浴びようと起き上がった。

シャワー浴び終えて同じ部屋に寝ている白石君に

「あのシャワー、壊れててシャワーでねぇじゃん(笑」

眠い目をこすりながら白石君
「あー、そうだねぇ。ATOPちゃんに言おうと思ったんだけど寝てたからさ」

どんなに栓を引っ張ってもカランからシャワーに切り替わらず、カランからお湯を出してしのぐというプレイに朝から身を打ちひしがれるのであった。


現地時間 おそらく9時ごろ

モーテルの受付で簡単な朝食(パン)を食べ、オートミールを食べさせたら右に出るものがいない、無類のオートミール好きの田原選手の遅い食事をまって近くの博物館へと出かけた。



(出発前にまたもや浮浪者にからまれるも、今度は善良な浮浪者だったため綺麗にまく)

よーし、博物館はどこだ。
そこを曲がれ、そっちだ。まっすぐだ。
と、あれよあれよという間に到着。



ここの記憶が一番残ってないのであれなのですが(理由は後述)、この博物館やってなかったんじゃありませんでしたか?なんか見たという記憶がさっぱり残っておりません。



よぉーし。ラスベガスへ帰ろう!という一同。
そこに突如として僕が口を開く。

「すみません。気のせいでなければ、モーテルに携帯電話忘れました」

車内に飛び交う批判と叱責の声。ごめんない。

いったんモーテルに戻り、あらためてラスベガスへ向かうのでした。



そして来た道をひたすら引き返す途中、行きのときに立ち寄れなかったフーバーダムへ寄りました。









行ってみればわかりますが、かなりでかいです。僕の写真の腕が終わってるので全然そうは見えませんが、結構広いですね。ここらへん、皆さん無言でしたね。疲れてましたね、はい。あ、すみません。僕が余計なこと言いすぎてた気もします。



そして再びアリゾナの大地を駆け抜けるのである。


現地時間 夕方18時ごろ

ラスベガスに帰ってきた。車も無傷で返却した。
借りたときと同じチャンネーの笑顔がまぶしかった。
ただ、僕が買った帽子をうっかりして後部座席においてきたこと以外は…。

さて。
これから本日の宿へ向かう。
せっかくラスベガスに来たのだからとそれなりのホテルのエコノミークラスの部屋ぐらいは泊まろうという話で、それなりにちゃんとしたホテルに泊まったはず。ただ、名前も外観も思い出せない…。



ここではなかったはずです。なんか変なライオンだか、小さい噴水があって階段を何段か上がったようなところに入り口があったホテルだった気がします。

外観はないくせに内装だけ写真を撮ってます。





良い部屋でしたな。

そして晩御飯。以前説明したようにラスベガスはビュッフェです。僕らは再度ビュッフェに挑むのでした。



飯はそれなり食べれた気がします。写真見る限りでもわるくはなかった…まぁデザートに挑戦しなければですけど。



2011/03/09 フーバーダムからラスベガス(5/6)


五臓六腑に響き渡る甘さ。砂糖の塊。これがおいしいと思って食べてたら確実に病気になります…。だいたいなんで生の林檎にチョコレートでコーティングしたりするの。どうしてそうなるかわからないって。

そうしてアメリカ最後の夜をカジノや街中のショーをみて過ごしたのでした。
※夕方ショーを見てたときの写真とか僕は一切撮影してません。さーせん。

いよいよ次は怒涛・奇跡の帰国編です(最終回かな…)。

アメリカ旅行~グランドキャニオン編2~

2013-07-07 22:50:09 | アメリカ旅行2011
現地時間 3月8日(火) おそらく16時ごろ



2011/03/08 ラスベガスで車に(3/3)


出発からおよそ7時間。ようやく我々はグランドキャニオン国立公園へとたどり着きました。高鳴る胸の鼓動。膨らむ期待。さえわたるゲスなジョーク。

2011/03/08 グランドキャニオンにて(1/7)


残念なことにこれは動画・静止画でも伝えられない。この感動的な風景は実際に行ってみてほしいです。世界をそれなりに旅をしてきましたが、いまだにここを超える風景に出合ったことがありません。言葉が出てきません。本当に。















今考えると僕はこのとき本当にグランドキャニオンに訪れてよかったと思う。ここにきていなかったらきっと今のような人生を送っていなかったと思うんですよね。それまでは「自然?なにそれ?」みたいなスタンスがガラッと変わってしまった。僕自身が世界的に、宇宙的にどういうポジションにいるかを自然が教えてくれる気がしたんです(グレートスピリッツは関係ありません)。

もちろん彼らと旅行したことも大いにあると思う。そういう点で常々僕は彼らに感謝しているのである(お金は僕が一時的に負担していたとはいえ)。


さてグランドキャニオンをあとにして、本日の宿のある街「フラグスタッフ」に向かいます。

ドライバーは僕。Dで安全運転いたします。
フラグスタッフまでおよそ130キロ。時刻は夕方の17時。こっから僕一人、孤独な戦いがまた始まるのである…。

グランドキャニオンをでたのが夕方とあって、フラグスタッフに着くのはいったい何時になるか深く考えていなかったが、これが思ったより苦戦。街灯が全くない道を永遠100キロ近く走る必要があったんです。

これはあくまでも僕の主観ですが、何の標識も灯りもない道を100キロ近くで走ってるのは非常に怖い。ましてやいつ動物が飛び出してきてもおかしくない道で、車の往来もめったにない。一応ですが道の両サイドに反射板の看板が立ってます。

が、しかし、本当にそれを信頼していいのか(信頼するしかないのですが)、永遠とそれしかないので道を見て走っているのか、その反射板の輝きに従って走っているのかが段々わからなくなってくるんです。スピード感覚もないし(100キロ出しているのに進んでいるように感じない)、眼もなんとなくちかちかしてくる。ようは感覚がマヒして運転しているのを自分でもわかるんですね。

にもかかわらず、助手席に座ってるやつと後部座席に座っている連中は…

「すっげぇ」
「やべぇ。星の数がはんぱない」
「なんじゃこりゃぁ」

とはしゃぎまくっている…。そう、このグランドキャニオン周辺、およびフラグスタッフという街は天体の観測地としてそれなりに有名らしい。標高もあり、星の光を遮る街の灯りもない。おい、運転を代われって。

と、停まるのも危険(たぶん停まってると追突される気がする)なので永遠と走り続けフラグスタッフに到着。

やった。もうすぐホテルだ。
交差点の赤信号待って右折。

「おい!どこ曲がろうとしてるんだよ!」

しまった。長らくまっすぐの道しか運転していなかったせいで忘れていた。右車線走行で右折する場合は最短で右折するんだった…僕は日本にいるときと同じ感覚で右車線から大回りして左側車線に入ろうとしていた。つまり完全に対向車と向き合う状態\(^o^)/

「ちょっとバックしろ」
「ちょ、ちょ、ちょっと待ちなさいよ」
「後ろ来ないから、早く」
「はいはいはい」
「お前、対向車のおばちゃん、すんげぇびっくりしてたよ」
「うん、それは俺も見てた」

だめですよ。こんなことしちゃ。
右側走行。左ハンドル。巻き込み確認も右だし、ウインカーだすレバーも左にあるし、ワイパーは右だぞ。あべこべぞな。

現地時間 20時ごろ

ようやくお目当てのモーテルにチェックイン。
いやぁ、疲れましたな、僕だけ。



そしてこの日はヒマラヤ料理屋。
※写真がありません。この日、僕はそれなりにつかれていたみたいで写真もツイートもそんなに残ってないです。

ここで疲れていた僕はミスを犯し、パスポートをモーテルにおいてくる失態をかまし、お酒を飲むために取りに帰るという苦行を自らに課し、ひとりいらっとするのでした。

そんで食べ終わったら、店の人が「ユー達はジャパニーズか?」と聞いてくるのです。そうだと答えると「そうか、キタジマしってるか?オリンピック、ゴールドメダリスト」といって満面の笑みで写真を取り出すあんちゃん。

そこに写っていたのは北島康介選手。なんでもフラグスタッフにある大学に日本の水泳のナショナルチームがよく合宿に来るらしく(高地トレーニング)、そのときによくお店に来てくれたとあんちゃんが教えてくれた。

そのあと僕が北島選手のコーチの平井さんにカメラ売ったことあるよ、といったら誰も答えてくれなかった記憶が何となくある…。

そんで近くのスーパーマーケットによって、浮浪者にからまれそうになってモーテルに逃げ帰るのであった。

アメリカ旅行~グランドキャニオン編1~

2013-07-07 20:29:22 | アメリカ旅行2011
現地時間 3月8日(火)おそらく朝の7時過ぎくらい


アメリカに来て4日目。
この日は旅の目的でもあるグランドキャニオンを目指すため朝の6時くらいに起きた気がします。



グランドキャニオンへの行き方はいろいろあって、通常のジャパニーズが選択するのはツアーに参加すること。もともと旅行ツアーでアメリカに訪れている場合は一切を旅行会社にお任せだと思いますが現地(ラスベガス)でも、もちろん予約可能です。

季節にもよりますがお金持ちな方々はヘリコプターで渓谷を楽しむそうですが、貧乏な方は早朝出発するバスツアーに参加するのが一般的だそうです。値段や日程については調べたこともないのでわかりません(何。

我々ファンタスティック・フォーが選択した手段はレンタカー。これはアメリカに渡る前から決定していて、僕がなんだかんだいって『水曜どうでしょう』への憧れを捨てきれなかったことと、かつ国際免許証が簡単に取得できると知ったからでした。レンタカーの予約は日本の旅行代理店からできます…まぁ現地ではハーツレンタカーあたりを利用するのが無難ではないでしょうか。


さぁ、我々は眠い目をこすりレンタカー会社のカウンターへ向かいました(どっかのホテルの奥の方にあった気がします)。パツ金のねーちゃんが受付に一人いて、笑顔で対応してくれました。

ラスベガスのレンタカー

※アメリカのカーナビ(日本語でしゃべります)はポンコツですから当てにせず、地図を買うかグーグルマップに頼りましょう。グーグルマップが最強だとは思います、アメリカ問わずして。それから僕の後頭部に亀裂がありますが気にしないでください。


よぉし。じゃぁ運転しますか。シュッパーツ!
(この日の夜の宿泊地はグランドキャニオン国立公園から南に行ったところにあるフラグスタッフという街で、ここが本日の行程。ラスベガスからグランドキャニオン国立公園までおよそ500キロないぐらいです。近くはないです。東京から大阪までドライブに行くみたいな話です。)

「次の道を右折してください」
ラスベガス 道を間違える


はい。カーナビを頼りに走るとこういう事態に巻き込まれます。お決まりのパターンではありますが、海外行っても自分の勘を信じて運転して問題ありません。

2011/03/08 ラスベガスで車に(1/3)


先頭バッターの僕が調子のって語ってますが、のちに罰が当たります。僕がレンタカー屋の駐車場出た直後に「アメリカの車は排気量多い気がすんなぁ(エンジン音を聴いて)」と口にしていたのですが、これは完全に僕の勘違いだったと後々判明します。



現地時間 午前10時30分ごろ

さて、お腹がすいてた我々。朝ごはんの調達をようやくこのとき考え始めます。どこかのレストランで食事をしなければこのアリゾナの大地で死んでしまう…というより、店がなくなるから店があったら入ろうという選択。

見えた!レストランだ!と「LAST STOP」というお店に入るのでした。

ここはちょうど40号線の分岐点でまっすぐ進めばグランドキャニオン国立公園の方面へ、曲がればスカイウォーク(床がすけた展望台)方面へ分かれる場所にあったと思います。



ここのレストランは基本的にハンバーガーです。しかし、きちんと肉を焼いてくれて、肉の焼き加減も調整してくれます。すごくおいしかったと記憶しています。

ここでキング・オブ・チキンの田原選手がチキンバーガーを注文したにも関わらず「ミディアム」とか言って、おばちゃんから爆笑を取っていたのはここだけの話。鶏肉をミディアムって…これが本場のアメリカンジョークやで。



さて食事も終え再び走り出す我々。ドライバーは日浦君にバトンタッチ。僕も運転の緊張から解放されて後部座席でまったり…が、しばらくしてスピード狂のドライバーが口を開く。


「ATOP君、ガソリンがないよ!」


え、なんで…出発の時は満タンでしたよ…


「お前、セカンドで走ってただろ!バカだろ。死〇よ!」


あー、だからエンジンがやたら唸るなぁと思った。でも僕も素直に謝る気はない。


「”S”って画面でてたから”スタート”だと思ったんだよ」

「そんなわけないだろ。Dって出るじゃん!」

「…ごめんなさい」

その直後の車内の空気を前の動画と比較してご覧ください。

2011/03/08 ラスベガスで車に(2/3)


そりゃぁ、静かになりますわ。
こうして我々は次に見えてくる(いつ見えてくるかわからない)ガソリンスタンドを目指してアリゾナの大地を猛スピードで走り抜けるのであった。



「あったぞ」
「左側の道だ(逆車線)」
「どっかで折り返す場所見つけろ」
「…」←僕

※アメリカは右側走行です。走っている国道40号線は砂漠地帯にアスファルトがまっすぐ永遠としかれています。交互2車線ですが、間にくぼみがあり、だいたい10メートルくらい距離があって、ときどき訪れるUターン地点がないと反対にまわれません。

「あそこ曲がれるぞ」
「おっ!」

ズーン!(ABS的な)

一同前につんのめる。
「どんだけ急ブレーキ!」

ドライバーの性格を象徴した急ブレーキターン。

「テヘっ」

なぜか満足そうな日浦選手。
でも僕は何も言えません、ええ。

こうして場末のガソリンスタンドで給油のチャンスをつかんだ、我々。クレジットカードがうまく通らないというアクシデントも発生したが、経営者らしきおばちゃんの豪快な操作(実際には普通の操作)で難をしのぎ、再びグランドキャニオンを目指すこととなった。



いやぁなんもないの。ひたすらまっすぐ走るの。それだけなの。
ずうぅっと走ってて、そろそろ飽きが来るともう1回休憩をとるという話に行き着きます。
ただドライバー自身はあまり飽きていなかった気がしますが、同乗している他のメンバーの飽きっぷりはひどかったと思います。







ここで飲み物などなどを買い、ドライバーチェンジ。白石君の堅実な走りでグランドキャニオンを目指します。

アメリカ旅行~ラスベガス編~

2013-07-06 15:46:49 | アメリカ旅行2011
お待たせいたしました。
今さらながら2年前のアメリカ旅行の続きを書いていきます!
驚くなかれ、事細かに振り返っていきたいと、2年たった今、温かく振り返りたいと思います。

≪おさらい≫
2年前の3月。
我々(僕、日浦、白石、元プロゲーマー兼セミプロトリッパー田原)は4人でアメリカへ旅へ出ました。当時、僕だけ社会人をやっていて、一時的に旅行代金のほとんどを僕の貯蓄から捻出しノリでアメリカの大地に赴いたのである。

アメリカ旅行~序章~

アメリカ旅行~出国編~

アメリカ旅行~入国編~

アメリカ旅行~NY初日編~

アメリカ旅行~NY2日目編~

なんとここまで5回書いているので、読んでもらえばあれですが、簡単に説明するとだらだらと予定も宿泊地も決めずにNYへ渡った我々はその都度「地球の歩き方」を見て予定を決めどしゃぶりのNYを楽しみました。

そしていよいよラスベガスへと向かうのでした。
時間はすべて2年前の3月。2011年3月、全員まだ24歳のときのころであります。


=============



現地時間 3月7日(月)3:30 West Side YMCA Hostel


昨晩、ドラムをほうきでこする演奏にしびれた我々はラスベガス行の飛行機に乗るために午前3:30に起床。とりあえずホテルを後にしJFK空港へタクシーで向かった。

2011/03/07 NYからラスベガスへ(1/4)


午前4時からこの調子でございました。

空港に着いた我々は大量の荷物を預けようとして重量オーバーになり、スーツケースから取り出す外国人女性を横目にセルフチェックインを済ませ朝ごはんの調達に取り掛かりました。

2011/03/07 NYからラスベガスへ(3/4)


朝食は泣く子も黙るバーキン。バーガーキング。
安定のファーストフード。これに勝る食べ物はおそらくアメリカにはありません…。







そしてフライト。



ロッキー山脈を越え、砂漠地帯へと和気藹々向かうのでした。





現地時間 3月7日(月)10:30 ラスベガス空港


フライト時間は6、7時間くらいだったかなぁ。アメリカ国内の時差を飛び越すので1時間取り返す形でラスベガスに降り立ちました。

2011/03/07 ラスベガスの空港からホテル(1/4)


降り立ったその場から立ち並ぶスロット機。なんだここは…ここが、かの有名なラスベガスか。空港からしてこんな感じなのかと圧倒される。

いや。我々はこんなものでは満足しない。本場ベガスに乗り込もうと、オーシャンズイレブンばりに意気込んで空港を後にしました(むしろファンタスティックフォーですね)。



空港を出てすぐタクシーを捕まえ、ニューヨークにてネットで予約していた、一人当たり$9のホテルへ向かってくれとドライバーの親父に指示。

2011/03/07 ラスベガスの空港からホテル(2/4)


が。住所とホテル名を正しく伝えても「どこのホテルだよ、それ」と親父が言う。一同困惑。車を停めメモを読み返す親父…すると親父が「!?」と反応。「ここメインの地区じゃないじゃん。なんでジャップがこんなところに泊まるんだよ」といってあらためて車を走らせるのでした。ええ、なんせ9ドルですから。


現地時間 11:30 Days inn Wild Wild West

2011/03/07 ラスベガスの空港からホテル(3/4)


おい。
なんだ。
人数確認してくれ。我々は4人だ。



2011/03/07 ラスベガスの空港からホテル(4/4)


なんでダブルベッドが2つだ。
どうやって寝るかでもめる一向。チームがもめるのはお決まりのパターン。旅行代を前貸ししている僕が床で寝るわけないだろうと思えば、日浦と白石は「わかった。俺らは二人で寝るよ」というのでこれは自動的にジベタリアンで名を馳せた田原君が床。そうだね。まるっと解決。

仲直りしたところでいざベガスへ。

2011/03/07 ラスベガスにて(1/8)


我々はね、お金がないからホテルから歩くの(汗。ものすごい陽射し強いからじりじりしてるの、なんせ砂漠だから。

とりあえずだよピラミッド目指すことにした我々御一行。空港から来ると一番最初に見えてかなり目立つんじゃないかと思うのだけどどうだろう。一度でもラスベガスに行ったことがある人ならわかるはずだと思う。
※ルクソール・ホテルのことです。



着くなり、興奮。え、なんで車回ってんのよ。なにこの広さおかしくないかと目を疑うほどの内装。いやぁ、次元が違うなぁと思わされたのである。

とりあえずご飯だと。腹が減っては戦にならぬと飯を。



ラスベガスではレストランはホテル内にあり基本ビュッフェです。うまいかまずいかでいうとまずいです。ええ。貧乏人が行くビュッフェは最下級料理でもてなされます。ただまぁ、ホテルによって質が違うので一概には言えませんが、新しいホテル行ったほうが綺麗だし、おいしい気がします。





さて。
ご飯も食べ終え、いざ戦場へ。
※カジノ内は撮影禁止なので写真・動画がございません。

カジノビギナーな我々がまずやることといったらまぁスロットになるわけです。当時の僕はおそらくパチンコに2回いったことあるぐらいのもので、そもそもギャンブルが苦手な僕がラスベガスにいるのが不思議で、僕はテキトーに時間つぶして楽しめればなと思って始めました。

僕の資本金は$20。
これをですね、日本のパチンコと一緒だったと思うのですけども機械にお金突っ込むとスロットが始まります。んで、玉とかメダルでは返ってこなくて画面に金額が表示されていて途中でやめると飛行機のボーディングチケットみたいのが印刷されて出てきます。この紙がラスベガスのホテルだとすべて共通券になっていて、換金するも違うゲームで楽しむときもこのチケットで遊ぶことができます。

僕は先述の通り軽い気持ちでやっていたんですが、気付くと…



この時点で$145まで増えていますね(笑。ビギナーズラックが発揮されてます。

それからこのカジノを後にし、タクシーに乗って「フレモントストリート」にいきました。当時この運ちゃんが何を話しているかあまりわかっていませんでしたが、今じゃそれなりにわかるんだから成長したな、僕。

2011/03/07 ラスベガスにて(2/8)


2011/03/07 ラスベガスにて(3/8)



FREMONT STREET EXPERIENCE

ここになにがあるってわけではないのだけど、古き良きラスベガスがここにあるというので足を運んでみたわけです。



2011/03/07 ラスベガスにて(4/8)




2011/03/07 ラスベガスにて(7/8)


ご覧のとおり、なにかあるわけじゃなくてしょうもないアトラクションとアーケードの液晶がけたたましい音楽とともに変化する…それだけです。

それではここで、アジアでハンマー持たせたら右に出る者がいないキング・オブ・ハンマーの田原選手の一瞬の輝きをご覧ください。

2011/03/07 ラスベガスにて(6/8)


ええ。以上です。

田原選手が本領を発揮したところで、カジノの老舗サーカス・サーカスへ行くのでした。





ここで夜ご飯。夜ご飯というかビュッフェとの戦いが始まるのであった。

2011/03/07 ラスベガスにて(8/8)


…ガッツ出しても食べられない。
節子、ご飯ちゃう、残飯や!
一度でいいからここで食事をしていただきたい。



おいおい。なんだこのデザートといえない薬みたいな塊は!飯もまずけりゃデザートもまずい。これを普通に食べてたら絶対病気になる…。

そんで少しカジノで遊んで翌日のグランドキャニオンに備えホテルに帰るのでした。

アメリカ旅行動画まとめ1

2011-07-20 00:47:22 | アメリカ旅行2011
前回までのアップ分

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2011/03/05 柏駅にて http://youtu.be/Gcfh2mTZsQY

2011/03/05 柏のモスバーガーにて(1/2)  http://youtu.be/cH1SkyDq3c0

2011/03/05 柏のモスバーガーにて(2/2) http://youtu.be/QA9EuhGkNuY

2011/03/05 成田駅にて http://youtu.be/_1zE7pTshr8

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今回のアップ分

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2011/03/05 成田空港にて http://youtu.be/GHsqwEblNpw

2011/103/05 成田空港にて(1/5) http://youtu.be/rkazJO9daCA

2011/103/05 成田空港にて(2/5) http://youtu.be/b6Ej0kQYro0

2011/103/05 成田空港にて(3/5) http://youtu.be/n6Mkkmf3hIs

2011/103/05 成田空港にて(4/5) http://youtu.be/HpuN_LN8hs8

2011/103/05 成田空港にて(5/5) http://youtu.be/RwY9QlLsQ3I

アメリカ旅行~NY2日目編~

2011-04-05 13:37:50 | アメリカ旅行2011
アメリカ時間 3/6(日)

早朝

僕はテライシ君と同室だったためよく眠れず(何。
なんかよく分かりませんが稲川淳二がうるさくて…
「なんか嫌だなぁ…なんか怖いなぁ…」がこだましたNY。

さてさて、朝7時には起きていたのですが、
旅行慣れしているオホさんのシャワー待ちでダラダラとホテルを出発。

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9:00

当初から予定していたとおりグラウンド・ゼロへ。
地下鉄に揺られて30分。一番近くの駅へ降りてすぐ。





こんな感じです(汗。まぁ、そうだろうなぁという気もしていたんですが、
フェンスで囲まれていて何も分からないです。ええ。

そんな感じで何も感じず足早にその場を去り、ひたすら南へ歩きます。
そしてマンハッタン島最南端バッテリーパークに到着。
遙か彼方に見える自由の女神を見たわけです。



まぁ当然のことながら、リバティー島にいかないわけですよ(汗。
僕自身、やはりそこまでいく好奇心がない…。

そんで朝ご飯。
朝ご飯なんですけど、この旅行の盲点。この日は日曜日。
日曜日の朝に店なんかやってねぇよ!と嘆き、
しぶしぶマクドナルドにいってしまうのは日本人の性。



さてその後の予定も全くなかったので、マックで会議。
ものすごくメイプルの効いた朝マックを食べながら、
外を見ていると半端じゃないぐらいの雨が降り始めてました。
外国の人って傘ささないらしいんですけど、
なんか雨の降り方が傘を差してどうこうなるレベルじゃないんですね。
それがこのあとチョットした悲劇を生むわけですが…。

とりあえずマックを出て地下鉄の入り口を探す。
あれ、地図にあるはずなのにない。どこだよ!
と雨に打たれまくってようやく発見。



ずぶ濡れになった我々が向かうのはSOHO。ソーホーという地域。

ショッピング街?らしいが、未だにどういう地域なのかピンときていません。



まずは傘を買い(汗、ぶらぶらすることに。



もともとお土産とか服に興味がない私はよくわからないですが、
こういうところをぶらぶらするのは嫌いじゃないです。
ただ気になるのはこの地域、ジャップが多い。
店に入ればジャップにあたるという格言が生まれるくらい。
なんかそこだけが恥ずかしい訳じゃないですが、テンション下がりました(何。

んで、私以外の皆さんは色々モノを物色して、買い物をしていたみたいです。
服屋で皆の買い物待ちしているときに思ったんですが、
洋服ってやっぱり外国人が着るから似合ってるんだなぁと思った。
当たり前といえば当たり前ですけど、なんかしみじみ思いました。



それから昼飯。メキシコ料理屋のメキシカンラジオというお店へ。





旅行慣れしているオホ曰く、アメリカの飯屋は飯を出した後に
かならず「めしはどうだった?」と訊いてくるそうな。
たしかに、この旅行でレストランにはいるとそういう機会に出くわした。
訊かれたときはどぎまぎしてしまうのだが、
そこは旅行慣れしたオホ君がきっちり答えていた。すげぇ。

さて、ここから不毛な時間が始まります。
旅行慣れしたハナが「買った荷物を入れるバッグが欲しい」
ということを言い出したので、バッグ探しの旅に。
これに2時間くらいは使ったんではないかと思われ。
土砂降りの中、歩き回るのは苦痛でござる…



んで、結局買わないんだよ(汗。
言葉にならないし、できない。まずい、もう一杯!状態です。
じゃぁ、取り敢えずホテルに帰るかという意見に落ち着き、
地下鉄探しているときに、オホ君の買ったトップマンの紙袋が崩壊。
大雨にやられてボロボロになってあばばば。



さてホテルに帰り、僕を覗く三人は美術館へ行きました。
私はセントラルパークの写真を撮りたくて別行動へ…

ただ、なんどもいうように外はどしゃ降りなんだ。
勇気を振り絞って一眼もって公園いったんだけど、
これはカメラが壊れると思ってホテルに引き返しました。
コンデジだけ持って再度アタックするためにホテルのエレベーター乗ったら、
他の旅行者に「なんでそんな濡れてるの?」と訊かれる始末。
下手な夕立・台風並みに降ってるんですよ、ニューヨーク。

なのにさ、セントラルパークいくとさ、
がきんちょが傘も差さずにキックボードで遊んでたり、
笑顔でジョギングしている人がたくさんいるんですよ。クレイジー。



そして少しぶらぶらしてホテルに帰って寝ました。
びしょびしょのチノパンをタオルでまいて枕にして寝ました。
そしたら、靴が半端じゃなく臭いことに気付きました…。
このニューヨークの雨で皆の靴は激臭を放つことになります(臭。

そんで皆と合流して昨晩のリベンジのヴィレッジヴァンガードへ。







僕はね…正直な話をするとね…ジャズなんかわからん!
演奏途中で寝てしまったのはいうまでもありません。
さらに失礼なことついでに申し上げますが、
よくわかんないおじいさんが箒みたいので
小太鼓こすって音出しているなんて…理解できません。
その道に精通したテライシ君曰く演奏者は有名人らしいが…。

さて、ジャズを聴き終え翌日の出発も早いのでさっさとホテルに帰ることに。
帰る途中、旅行慣れしたおしゃべりハナ野郎が、
「ニューヨークではチキンライスがポピュラー」というので、
屋台でチキンライスを買って帰りました。







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総じてニューヨークでは観光らしいことはしていません(汗。
というかニューヨークってなにがあるのよ?
なんか汚いし、怖いし、薄っぺらいし。
住むなら良いけど、旅行できてもアレな場所じゃないの?
とか思いました。

さて、次からラスベガスへ向かいます。

アメリカ旅行~NY初日編~

2011-03-30 17:19:58 | アメリカ旅行2011
アメリカ時間 3/5(土)

16:00

ようやく電車に乗り、本日の宿へ出発。
目指すはマンハッタンにある「West Side YMCA Hostel」。
地図を見てもらえばわかると思いますが、
セントラルパークのすぐ隣にあるホテルです。

http://maps.google.com/maps/ms?showlabs=1&ie=UTF8&hl=ja&msa=0&msid=206912552847581936682.00049f1355b2eb1ac6d85&z=12

※ラインはあくまでも僕のイメージです。

JFK空港から地下鉄でマンハッタンへ。





残念ながらホテルの外観や内装の写真を撮りそびれて、
お伝えすることが難しいのですが、
簡単に例えると東京にある古いマンションみたいな感じで、
薄暗い廊下にダァーっと部屋が左右に並んでる感じ。
部屋はそんな広くもなく、2段ベッドがあるだけで、
トイレ・シャワーは共同(小さいゴキブリ出る程度の清潔さ)。



翌日も泊まることになるのですが、
2日間で$50だから安いと思いましたね。立地を考えれば。

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アメリカ時間 3/5(土)

18:00

ホテルに荷物を置き、ニューヨーク観光へ。
一番近場にあるタイムズスクエアへ歩いて向かいました。



歩いている途中、向こうの高校生(黒人)に囲まれ、
非常食今回の旅のお供ともなるM&Mを売りつけられ、
素晴らしいカモられ方をしたというイベントも発生しましたが、
ブロードウェイを歩くこと30分しないくらいでタイムズスクエアに到着。













この旅で一番人の多い場所でした。
ただ何がすごいかって言うと「うーん…」といわざるをえない…
そんなこともないんんだけどさ、ただまぶしいというだけのような…
とりあえず「ああ、これがアメリカか」と思う程度ぐらいである(汗。

ここで普通ならミュージカルのが一般的であるが、
根本的にミュージカルに興味がない4人なので
(確証はないが少なくとも僕は興味ない)
とりあえず大して美味しくもないホットドッグを食い、
うだうだ歩くことに。←この旅の真骨頂。

以前、オホが滞在していた地域を経由して、
テライシ君がジャズを聴きたいという要望で、
ヴィレッジヴァンガードへ向かって歩き始めました。





タイムズスクエアにいたときから未解決であった夕食も、
オホがNY住んでいた頃通っていた場末のピザ屋へ。
(考えてもみれば、皆食事に関しては無頓着である)









近くのスーパーで時間をつぶして、ビレバンに行きました。
いってみると既に何人か並んでいたんですが、
そんなに多くもなかったので入れると思っていたら、

店からあんちゃんが出てきて

「今日は予約で埋まっているから、
2時間待つか、また明日来てくれ」

というのである…さて、困った。することがない。
とりあえず喫茶店で考えようともしたが、
空いてる店もないので結果帰ることに。





取り敢えずホテルまで帰り、シャワー浴びて寝ました。

アメリカ旅行~入国編~

2011-03-22 23:09:03 | アメリカ旅行2011
アメリカ時間 3/5(土)

14:00



成田を出発して約13時間。
その13時間で何が起きたかといえば、
とくに何も起きておらずPSPやったり、
ぐだぁっと寝たり…思い出せないくらい何もなかったです。
ただたんたんと13時間という時間を過ごしたんだと思います…。

そして、成田から遙か遠くに位置するニューヨーク。
あのよく耳にするJFK空港。

そう、ジョン・F・ケネディ空港に降り立ったんです!



ただ入国審査にトラップが。

超小声で何言ってるかわかんねぇ。
東大生(テライシ君)ですら「わかんない」といっていたから、
僕の英語力がクソなだけではないのだろうが、
初っぱなから「英語」という壁が立ちはだかり、
アメリカ人のリアルお手上げを見たわけだ。

まぁ、冷静に考えれば入国審査に関して訊かれることは決まっている。
「入国目的」と「日数」ぐらいなものだ。

僕は身構えすぎてました。無理に英語を聞き取ろうとしてました。
もっとジャパニーズ・スタンダード・トラベラーのごとく、
「さいと・しーいんぐ!」一点張りで良かったのである。

入国初っぱなから英語の魔力に圧倒されてた僕がいました。
まぁひと言で言えば、ジャパニーズ・アホ・観光客は僕でした。

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さて。
そんな話はともかく、空港に着いた我々がしたことは、

喫煙所探し。

僕はタバコを吸わないので理解に苦しみますが、
13時間吸わずに過ごして陸地に着いたらまずやりたいことらしい。



この移動の間にも見知らぬ(当然だが)ひとが声をかけてくる。
客引きとかではなく、ふつうに話しかけてくるんだね。
日本だとありえないのだけど、海外だとどうやら普通らしい。
海外慣れしているオホ君曰く「親切心」らしい。
ただ、英語の脅威にさらされたチキンハートの僕には恐怖にしか感じませんでした。

つくづく思う『ひとりじゃなくてよかった』。

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ちなみに皆さん、僕はリアルタイムでツイッター更新していましたが、
今回の旅行で無類の強さを発揮したのはdocomoスマートフォンです。

僕のエクスペリアとオホのギャラクシーが抜群の力を発揮しています。

海外パケホーダイ(1日¥1480※3/31まで)に設定して、
通信業者をドコモと契約しているAT&Tに設定すればすいすい。
地図がなくてもグーグルマップとGPSを駆使してどこへでも行けます。

もちろんツイッターもやりたい放題で、今回豊富にログが残っています。

少し驚くのが、海外って携帯に電源入れると、
ドコモからその案内が表示されるのがすごいです。

アメリカ行くことがあったらぜひ導入してみて下さい。

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さて。
タバコも吸い終え、いよいよ本日の宿へ向かうことになりました。
この初日に限ってはオホが日本から予約していた宿へ泊まることになってました。

一般的には空港からマンハッタンへはタクシーで移動するんですが、
電車で移動するということやっているのもその場の気分です。




アメリカ旅行~出国編~

2011-03-22 20:50:03 | アメリカ旅行2011
日本時間 3/4(金)

退勤後

僕は仕事を終えて帰宅。
旅行の準備を終えて2時半くらいに寝た気がします。
だがしかし、久々の海外旅行に緊張して朝4:30に起床(汗。

正直、わくわくと不安で起きてしまうんだなぁ。

朝8:30にオホにモーニングコールをして家を出ました。



日本時間 3/5(土)

9:30

まずは柏駅に僕とテライシ君とシウラ君が集合しました。
理由は1つ。PSPのソフトを買うため(汗。

だがしかし、この時間では店が開いていないことに気付く(汗。

仕方ないので、モスバーガーで朝飯。
これからわざわざアメリカに行くのに、
ハンバーガー食っていく辺りがもうノープラン。

ビックカメラ→TSUTAYAを梯子して、
「パタポン2」を皆1本ずつ買って、
成田線で成田空港へGO!


12:00



成田空港に到着。
換金するモノは換金し、あとは搭乗手続きをするだけ。

だがしかし、誰かさんが来ない。

あの旅行慣れしている誰かさんがやってこない。
その誰かさんは12:00に集合といっていたのに、
朝8:30にモーニングコール入れて起こしたのに、
全く持ってくる気配がないのである。

まぁ、成田線でどっぷりゲーム疲れしていた僕等三人は、
とりあえず飯を食いに行くことに。



そして彼がやってきたのは13:00。
遅れてやってきたにもかかわらず、成田空港で大暴れである。

ポケットwifi探しにはじまり、ユニクロ・ヒートテック探し、
「ラーメンが食いたい」といってフードコートへ。
まだ時間に余裕があるでしょ?といいつつ、過ごす。
「さすが旅行慣れしている」といわせたいばかりだ。



そして肝心のフライトは15:05。



ん?14:30の段階で出国審査が終わってへんじゃないですか。
皆、通路を急ぐ急ぐ。あわわ。全然旅行慣れしていない(汗。

搭乗ゲートに付いたのが14:50くらいだったような。
おそらくその便の最後に乗ってきた乗客は我々4人である…。
そんで定刻通りフライトへ。15:05、ニューヨークへ旅立ちました。


↑移動時間中にNYの行き先を考えるテライシ君

アメリカ旅行~序章~

2011-03-22 18:19:53 | アメリカ旅行2011
さて旅行について書いていこう。
先に書いておきたいのは、僕自身のやる気に応じて
内容の濃さが変わるから、そこは注意して欲しい。

さて、さっそく振り返ろう。

まずはこの旅行の概要を説明します。

もともと僕とuhipp8(テライシ)君が、
僕の有給期間を利用して、旅行に行こうというのが発端。
そこにしばしば呑んでいたuNleashed.jp(オホ)君と
Nozomi7000(シウラ)君が加わり、アメリカへ。

出発前にHISで旅券とレンタカーだけとり、
宿はそのたびに向こうで決める。
さらに観光地すら向こうで決めるという、
スーパーノープラン旅行ですので、
なんでそんな行動をしている?ということが
しばしば見受けられますが、気にせず
「そういう雰囲気なんだな」と思ってお楽しみ下さい。