[↑ ※ 3.11から14年/遠く険しい復興への道(週刊金曜日 1511号、2025年03月07日号)] (2025年03月11日[火])
あれから14年が経過、でも、東京電力原発人災で「ふるさとをなくした痛み」は全く癒えていない…にもかかわらず、核発電全開に舵を切る愚かさ。なぜ《ふるさとをなくした》のか、なぜ多くの人々が未だに故郷に戻れないのか、理解できているのかね?
『●女川核発電所2号機を再稼働したい…《辛うじて難を逃れたにすぎません》、
そのような幸運に次回も恵まれると思っているオメデタさ…』
『●原発マネーに群がる核発電「麻薬」中毒者の意地汚さ…《辛うじて難を
逃れたにすぎ》ない、《辛うじて事なきを得たにすぎない》女川原発を再稼働』
『●「閉じない環」破綻した核燃サイクル…《1993年から26回の延期…
核燃料サイクル政策は要の再処理工場の稼働が見通せず、「破綻」》が露わ』
『●“日本一避難しにくい原発”伊方原発…大島堅一さん「エネルギー政策で、
インフラが不十分で逃げにくい場所を選び、差別的にリスクを押し付け」』
『●もう一度、「幸運に恵まれる」とでも思っているのかね? 《辛うじて難を
逃れた》にすぎない、《辛うじて事なきを得たにすぎない》女川原発を再稼働』
『●《周辺住民には地震と津波、その後の大事故の衝撃がなお生々しい》女川核
発電所再稼働…周辺住民はあのような「幸運」に、再度、恵まれるだろうか?』
『●東電核発電人災から14年: 核発電全開なんてやっている場合なのかね?
環境省はニッポンの環境を守る行政機関、それが汚染土をニッポン中に拡散?』
東京新聞の記事【東日本大震災14年、鎮魂の祈り 原発事故、今も戻れぬ古里】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/390928)によると、《2万2千人以上が犠牲となった戦後最悪の自然災害、東日本大震災は11日、発生から14年になった。岩手、宮城、福島3県では早朝から人々が犠牲者を追悼。東京電力福島第1原発事故などで今も約2万8千人が避難し、原発周辺には自由に立ち入れない土地が残る。第1原発が立地する福島県大熊町では、避難先で亡くなった住民の名を刻んだ石碑が2月に完成。建立した地元区長が訪れる。岩手県大船渡市は14年前の津波に続き、2月26日発生の山林火災で大きな被害に遭った。家を失った人たちが避難所暮らしを強いられている。津波で浸水しながら重大事故を免れた東北電力女川原発(宮城県女川町、石巻市)2号機は昨年秋、被災地で初めて再稼働。11日も発電した。2011年3月11日午後2時46分、三陸沖を震源とするマグニチュード(M)9・0の地震が発生。巨大津波が沿岸部に壊滅的な被害を与えた。警察庁によると全国の死者は1万5900人、行方不明者は2520人。復興庁によると避難中の体調悪化などによる震災関連死は昨年12月末時点で3808人に上る》。
『●《8月ジャーナリズム》と《沖縄にとって戦争は遠い昔話ではない。
沖縄は、今も一年中、戦争の延長線上を生きている》(大矢英代さん)』
『●《欠陥飛行場》米軍普天間飛行場…《本来なら移設条件を付けずに直ちに
閉鎖すべき軍事施設だ。閉鎖できないのは政治の不作為である》』
『●6月ジャーナリズム…《戦争について集中的に報道される様を指す。記念日
までの雄弁さと、対照的にその時期以外は沈黙するメディアへの不信》』
『●《除染土》という名の汚染土を全国に拡散する気満々…《除染土の再利用「粉じん
が飛び、内部被ばくする可能性」指摘 公共事業などに活用する国方針》』
(東京新聞)【「記者生命を捧げます」原発事故から14年、
福島に年100日通い続ける山川剛史記者の誓い】
《◆どうして途中で追うのを止められる? 「ずっと同じ取材を
続けられるね」と問われることもあります。でも福島の
原発事故は歴史的な大事件で、私にとっては既存の価値観を
根底から揺さぶられました。事故収束作業は10年や20年で
終わるようなものではありませんし、どう終わらせるのかも
はっきりしません。まき散らされた膨大な放射能の影響は、
30年かけてやっと半分になるので、元の水準に下がるまで
ざっと300年かかります。私が一生かけても終わらない状況
なのに、どうして途中で追うのを止められるでしょうか?》
《8月ジャーナリズム》《6月ジャーナリズム》につづいて、東京電力福島核発電所人災の報道が『3月ジャーナリズム』とならないために…。
山川剛史記者による、東京新聞の記事【「3.11を記念日報道にしない」が取材班のモットー 今年は3つのテーマを決定 デブリ採取の現場では…】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/389502)によると、《〈福島第1原発事故を見つめた14年〉⑥》《事あるごとに、東京新聞原発取材班のメンバーには、こう言っています。「記念日報道にだけはならないようにしようね」 日ごろは報じないのに、東京電力福島第1原発事故が起きた3月11日だけもっともらしい特集をやって、その日が終わればまた忘却――。それはやめようということです》。
『●古賀茂明さん《民主主義の危機…メディアが権力の監視役の機能を果たせない
国に民主主義は存在し得ない。将来的には、記者たちの自由だけでなく…》』
オールドか、ニューかの問題なのか? 斎藤美奈子さん《メディアの役目は「中立公正、不偏不党な報道」ではなく「権力の監視」なんです。それ、常識。》
菅沼堅吾・東京新聞顧問による、東京新聞の記事【「3・11」世代の記者の使命 あの日から東京新聞は「空気を読まない」ことを肝に銘じた 元編集局長の独白】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/390010)によると、《新聞を「オールドメディア」とやゆする声がありますが、「ニューメディア」があったとして、権力監視を使命とするのでしょうか。するとは思えません。「戦争の最初の犠牲者は真実」という至言があります。戦後80年の今、権力を監視する信頼できる新聞が必要です。それが東京新聞だと多くの人に思っていただけるよう、力を尽くします》。
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【https://www.tokyo-np.co.jp/article/389502】
「3.11を記念日報道にしない」が取材班のモットー 今年は3つのテーマを決定 デブリ採取の現場では…
山川剛史 2025年3月10日 06時00分
〈福島第1原発事故を見つめた14年〉⑥
事あるごとに、東京新聞原発取材班のメンバーには、こう言っています。
「記念日報道にだけはならないようにしようね」
日ごろは報じないのに、東京電力福島第1原発事故が起きた3月11日だけもっともらしい特集をやって、その日が終わればまた忘却――。それはやめようということです。
◆今年決めた3つのテーマは
(損傷した建屋全体が大型カバーで覆われつつある1号機)
数年前、日本新聞協会の集会で、分科会座長として記念日報道や風化の問題を取り上げた際、広島の方から発言がありました。
「原爆でも同じような状況があって、『8月ジャーナリズム』と呼んでいます」
それを聞き、二の舞にさせないのもマスコミの務めだ、と強く念じたのをよく覚えています。
東京新聞は年がら年中、原発関連の報道に力を入れているのですが、それでも毎年12月辺りになると、今期はどう展開しようか、どうすれば前期より良くなるだろうかと考え込み、胃が痛くなってくるのも事実です。
でも、今期はほとんど迷うことなく展開が決まりました。テーマは三つあります。(1)福島第1原発 (2)中間貯蔵施設、そして(3)消えたランドマーク―です。
どんな心で取り組んだのかを、お伝えしたいと思います。
◆デブリ採取 通常の環境なら何という作業ではないが…
(5号機格納容器の貫通口。デブリ採取装置が入った2号機と同型だ)
今回取り上げるテーマは、福島第1原発です。昨年は溶け落ちた核燃料(デブリ)をほんのひとつまみですが、2号機の炉内から採取することに成功しました。
現場の苦闘を知っているので労をねぎらいたいのは山々ですが、どれほどの意味があるのかを主なテーマにしようと考えました。
炉心溶融(メルトダウン)が起きた1~3号機と同型の5号機原子炉内に入る機会があり、ビデオカメラを手に、採取する装置が動いた軌跡をたどりました。………………。
(5号機圧力容器の土台開口部。2号機では入ってすぐの
地点からデブリを採取する器具が下された)
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【https://www.tokyo-np.co.jp/article/390010】
「3・11」世代の記者の使命 あの日から東京新聞は「空気を読まない」ことを肝に銘じた 元編集局長の独白
2025年3月10日 14時00分
「あの日」、2011年3月11日から今年で14年になります。私は当時、東京新聞編集局次長として東日本大震災と東京電力福島第一原発事故に直面し、その3カ月後から6年間、局長を務めました。あの日々の中で、空気を読まずに権力を監視するという新聞の使命に忠実であることを、肝に銘じました。(菅沼堅吾・東京新聞顧問)
◆「本当のこと」を知りたいという読者の思い
(東日本大震災後の2011年3月16日の東京新聞紙面)
なぜかと言えば、「再び大本営発表を繰り返すのか」という読者の怒りの声が編集局に数多く寄せられ、このままでは新聞は信頼を失うと感じたからです。
新聞は東京新聞も含めて先の大戦で、今や「うその代名詞」となった日本軍の最高司令部、大本営の発表を垂れ流し、戦争に加担しました。戦後の新聞はその反省から再出発したのですが、読者からすると今度は、政府や東電が大本営に見えたのです。
権力の空気を読んでいたつもりはないし、うそを垂れ流している気もありませんでした。しかし、読者にそう思われては取り返しがつきません。
原発事故は紙面に「制御困難」の4文字が出るほど危機的な状況に陥り、紙面を作っていて死を意識する局面がありました。「本当のこと」を知りたいという読者の思いは切実だったはずです。それに誠実に応えるのが「3・11」を体験した世代の記者の責任だと思いました。
◆本当は原発事故を防げたのではないか
(原子力安全委員会が炉心損傷した際に全電源喪失を
「考慮する必要はない」などとまとめた報告書について
報じる2011年7月13日の東京新聞紙面)
権力監視の先頭に立ったのが、後に菊池寛賞を受けた原発事故取材班です。本当は原発事故を防げたのではないか。例えばこんな問題意識から取材を進め、紙面の見出しをなぞれば「18年前、全電源喪失検討 安全委 幻の報告書」という事実を突き止めました。事故は危険性が指摘されていながら、内閣府の原子力委員会をはじめ誰も動かなかったから起きたのです。
2012年12月の衆院選で自民党が勝利し、安倍晋三氏が首相の座に返り咲いたことにより、編集局は権力監視体制を一層強化しました。「安倍1強」と呼ばれた首相が、国の「かたち」を変えることに突き進んだからです。
まずは特定秘密保護法を成立させ、「秘密主義」を強化しました。権力が隠している「本当のこと」を明らかにする新聞の使命を妨げる法律です。
◆「戦争の最初の犠牲者は真実」
(安保法案の成立を伝える東京新聞2015年9月19日の紙面)
次に首相が注力したのが、集団的自衛権の行使を容認する安保法制の成立です。簡潔に言えば自衛から他衛への大転換であり、成立した2015年9月19日の朝刊1面トップの見出しは「戦後70年『戦える国』に変質」としました。
局内で議論を重ね、「戦える国」が安保法制の本質だと判断したのです。私はその日を起点に「新しい戦前」が始まったと思っています。
権力監視の使命は今や「新しい戦前」を「新しい戦中」にしないためにあります。権力監視の究極の目的は先の大戦の反省から、国に二度と戦争をさせないことです。
新聞を「オールドメディア」とやゆする声がありますが、「ニューメディア」があったとして、権力監視を使命とするのでしょうか。するとは思えません。
「戦争の最初の犠牲者は真実」という至言があります。戦後80年の今、権力を監視する信頼できる新聞が必要です。それが東京新聞だと多くの人に思っていただけるよう、力を尽くします。
◇
(書籍『東京新聞はなぜ、空気を読まないのか』)
菅沼堅吾著「東京新聞はなぜ、空気を読まないのか」(東京新聞)を発売中。240ページ。1540円(税込み)
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