九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

大村知事の「東京・大阪は医療崩壊」発言をめぐって  らくせき

2020年05月30日 10時14分47秒 | Weblog

愛知県の大村秀章知事は26日、病院で受け入れ困難だった感染者数や救急件数などの
情報公開、検証が全国で必要との考えを示した。
特に首都圏や大阪圏に対して、「大きな課題だ」と強調。
検証しないとまた同じことになる」と述べた。

大村氏はこれまで東京と大阪で医療崩壊が起きていると繰り返し指摘。
11日の記者会見では「病院に入れない、救急を断るのは医療崩壊で東京と大阪で起きた。
医療崩壊を起こしたら行政としては負け。何を言いつくろっても結果だ」としていた。

これに対して東京の小池知事は「相手とせず」と無視。
大阪の吉村知事は「大阪で医療崩壊は起きていません。
何を根拠に言っているのか全く不明ですと反論。(4・26)

命に関わる重篤な患者を受け入れる3次救急医療を担う大阪府内の4病院が、
救急患者の受け入れを停止したり、一部制限したりしていることが17日、分かった。
新型コロナウイルスに感染した重症患者の治療を優先するためだが、
交通事故などで一刻を争う重篤な患者が救えなくなる可能性もある。
専門学会は「救急医療の崩壊が始まっている」と危機感を強めている。

また、注目すべきは、フロントラインプレスの記事。
日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)が実施したアンケートをもとに書かれたもの。
新聞・TV「政府の言いなり」の何とも呆れる実態によれば、
コロナ問題に関する回答では、こんな記述も並んでいる。

記者勉強会で政府側から「医療崩壊と書かないでほしい」という要請が行われている。
医療現場からさまざまな悲鳴が聞こえてきているので、
報道が止まるところまでは行っていないが、
「感染防止」を理由に対面取材も難しくなっており、
当局の発信に報道が流されていく恐れがある。

医療崩壊という言葉についても、政府や自治体の長が「ギリギリ持ちこたえている」と
表現すると、それをそのまま検証もせずに垂れ流してしまっている。
実際の現場の声よりも、政治家の声を優先して伝えてしまっていることに
危機感を持っている。
お上のお墨付きがないと、今がどういう状態なのか、判断できない。

 

 

コメント (16)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍政治の全体像を観る  文科系

2020年05月30日 06時43分33秒 | 国内政治・経済・社会問題

 標記のことが案外論じられないできたと思う。その全体を見てこそ比重がどこにあるかというその傾向、真の価値観も初めて見えてくるはずだ。最近よく言われる「ヤッテル感」とか、「マスコミ熱心」「ルイ14世」とかも、その実態、本質はできるだけ正確な全体像を求める中でしか分かって来ないものだろう。そもそも政治家ならば、「果断な実行力」を「こう、発揮してますよ!」などは当たり前のことなのだから。いろんな政治部門の現在までをざっと見て、どこがどう本気なのかを確定して初めて、真のその今後方向も分かるというものだ。

 経済・財政はなによりもアベノミクスだが、全部失敗。全く達成できないできた2%目標はいつの間にか吹っ飛んで、不安定労働者ばかりの貧しい若者は結婚もできず、ここ130年なかった激しい少子化・小国化が進行中である。ちなみに、職のない若い女性とか、同じく働きたい高齢者とかのかなりの部分が、「完全失業率」には入っていないはずだ。「完全失業者」という概念そのものが、「皆さん、働いて下さるよう最大限国は援助します」という姿勢には見えないのである。勤労は国民の三大義務の一つなのに、失業率を最大限少なく見せようとしてきたのである。
 政治の根幹・憲法の改定、特に9条改定が彼の趣味みたいに熱心な課題だとは、自民党議員でさえ驚く人もいるほど。国民の多くが「これは、不急」と言っているのだから、特に彼の趣味なのだと言われる政治分野である。
 外交・防衛・軍事はどうかとみれば、今でもイラク戦争の熱心な賛成者と言うほどに、アメリカの肩を持っている。ただ、対米追随と9条改定とを比べれば、後者に寄っている事は明らかだろう。次の項目を見れば、本質的には国家主義者なのだから。
 教育、思想分野は、極めて熱心である。「令和は『国書』から取りました!」などと「美しい国」を連発してきた。彼のお連れ合いまでが、園児全員に教育勅語を教え込む幼稚園の名誉園長にわざわざ祭り上げられて、彼は多分これを喜んでいた。 
  厚生労働行政はと観れば、「消費税は高齢者対策」などと連発してきた割には家庭介護主体を進めるばかりだし、今回のコロナ渦では医療・病院の貧困化・後退は白日の下にさらされたと言える。労働問題最大の疑問は、「完全失業率」という概念そのものにあるとは、上に述べた通り。
 最後に彼の政治手法だが、官僚に対する最近の「政治主導」事件色々を見て分かるように、「朕は国家なり」という強権である。それも事もあろうに検察OBからそう呼ばれる始末。なお、この政治手法に彼の場合は特に熱心なものとして、マスコミ対策が入ってくる。公器と言われてきたマスコミ主要各社の社長らと定期会食を持ち、選挙宣伝法を習うべく電通に今ほどの大金を出してきた首相など、過去にはまずいないはずだ。「選挙に勝つためにこそ、政治をやっている」というのが最も正確な政治家安倍の姿なのかも知れない。

 さて、こう見てくると、安倍政治には二つの大きな柱があると、誰でも気付くのではないか。一つは「美しい日本」とそのための国防・軍事。今一つは、それを保証するためなのかどうか、選挙に勝つこと、である。そこで皆さんに質問。どちらが本心中の本心だと思います? 僕は完全に後者だと考えますね。だって、アベノミクスやその2%目標など、彼最大の政権公約破りの常習犯には政治目標達成への力も真摯さもあるとは思えませんから。つまり、選挙に勝って「私が国家ですよ!」という「ルイ14世」なることが彼最大の政治目標なのです。ちなみに、僕はそう観ていますが、誰あろう公益の代表者を務め上げた検察幹部OBがこの度こぞってそう規定したのです。

コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

喜寿ランナーの手記(292)コロナ退化、それへの対応?  文科系

2020年05月29日 20時02分58秒 | スポーツ

 やはり、走る力が急激に落ちていると認めざるを得なくなった。元に戻れるかどうかも分からないという、ちょっと不可逆的なほどに。2010年に慢性心房細動に対するカテーテル手術をして以来、これほどの不可逆的な劣化感は初めてだ。劣化の現象も、その原因も昨日やっと確定できた。
 コロナでジムが閉鎖されて走る回数が減った分、左脚がかってなく弱くなっている。この左で地面をつつく力が弱くなっているから右よりもストライドが狭まり、その分左脚全体をどうも無理に前へ出すようにして走っていると分かった。左を強めに蹴って無理に前には出さないようにしつつ右と同じストライドで走ると、異常に疲れる事も発見。こういう正しいフォームでは1キロ以上は走れないからスピードダウンと、そんなことも分かった。30歳前に椎間板ヘルニアの手術をしたのが、この左脚付け根。以来時に再発してここが弱点になってきたから意識しつついつもカバーしてきた箇所なのである。ジムの閉鎖で走る回数が減った分が、この左脚の急激な弱化を招いた。
 こういう事実が昨日全て分かった。走ったり歩いたりすることジャスト10キロ。それを、1時間20分かけてキロ当たり8分で、全体平均時速は7・5キロである。とにかく距離をやろうということと、そうすればどこが弱点か確かめやすくなるだろうという目的を持って長い距離をやってみたわけだった。

 退化の原因が分かったら、後は対策だけ。成功するか否かは分からないが、とにかく始めようと今日は階段上りをやってみた。左脚だけを二段上り下りにして、これに特別に負荷を掛けるやり方で。走らない日も毎日これをやろうと決めたのだが、さて続くかどうか・・・。きっと、僕のランナー人生長短を懸けるべき一つの岐路を迎えた時なのだと思う。今月24日でちょうど79歳になったその月に。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書評 「シルバー民主主義」という陰謀   文科系

2020年05月28日 05時07分24秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 この文章は言わば書評に当たるもの。熊倉正修著「日本のマクロ経済政策」(岩波新書 2019年6月第一刷発行)という本をさしあたりざっと拾い読みした。「安倍・黒田の財政ファイナンス」と、その現在までの国家危機的結末とを根本的に批判して、「未熟な民主政治の帰結」という副題を付した本だ。ちなみに、国家が平気で財政赤字を積み上げ続けて、その分日銀に円をどんどん刷らせて穴埋めしていくやり方を財政ファイナンスと呼び、従来の国家財政学としは禁じ手とされてきたものだ。なお、今朝の新聞報道によると、今年中に日銀がGPIFを抜いて、日本株の最大株主になる見通しだとあった。

 さて、この書の中にあった表記の言葉「シルバー民主主義」が強く印象に残った。日本の財政危機の原因としてよく上げられる、「有権者に占める高齢者の比率が高まると若年層を犠牲にして高齢者を優遇する政策が行わ行われやすくなる」という議論のことだ。その上で著者は、財政危機の原因を、こういうシルバー民主主義にあると強調しすぎる風潮に対して、西欧先進国と日本を比較した上で民主主義の未熟さそのものにあると説くのである。

 この「シルバー民主主義」論はどうも、政府筋やこれを支援するマスコミから流れているようだ。それも、若者を与党に引きつける一種の陰謀として。ちなみに、こういう急下降経済・税収減から急激な少子化日本や、財政危機やを作ったのは自民党自身、特に小泉・安倍政権だということを忘れてはならないだろう。ここの拙稿で繰り返して言及してきたように、前世紀末世界順位一桁中位にあった日本国民1人当たり購買力平価GDPを今や31位にまで落として、「50歳まで一度も結婚したことがない男性が4人に1人」とか、「ここ130年なかったような出生数減少の急激少子化日本国」とかを誰がもたらしたのかちゃんと見ないと、この陰謀に引っかかることになる。

 この優れた著作についてはまた、いろんな事に触れていくつもりだ。既に大失敗が明白になったアベノミクスの失敗因を究明した著作である。国民1人当たり購買力平価世界順位は台湾にはもうとっくに抜かれ、1位下にいる韓国にも間もなく抜かれることは明きらかである。韓国現政権は内需拡大を重視して、不安定労働者らの最低賃金を大幅に上げたと聞いている。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

随筆紹介  求 婚   文科系

2020年05月28日 04時26分47秒 | Weblog

   求 婚   K・Kさんの作品です
                                  

 少女漫画の影響か、小学六年と三年の孫娘達が、おもちゃの箱入り指輪を大切そうに持って来て「おじいちゃん! これで結婚してください。と言って」ニコニコしながら夫にねだった。突然の申し出に夫はびっくり。照れ屋の夫に言えるのだろうか。私にも言ったことがないのだから。
 ところが、孫娘の再度の願いに折れた。よし!と気合いを入れ孫娘の目を見て、箱を開けて指輪を見せ「結婚してください」言った。夫の迫力満点の演技力に押されて「あ! はい」頬を染めながら嬉しそうに応える。

 見ていた三年生の妹も、「私にも言ってよ」ねだる。いつもはおてんば娘だが、夫の迫真の演技に顔が赤くなっている。「・・・はい」小さな声で返事した。「ドキッとした」興奮して話す。

 この頃、コロナ新型ウイルス対策で外出を自粛して鬱々としている。孫達も学校休みが三か月続き家で過ごすことが多くストレスもたまる。そんな時にこのサプライズを思いついたものだ。久しぶりに笑って良い気分転換になった。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

喜寿ランナーの手記(291) 10日のブランクをこう回復した  文科系

2020年05月25日 16時08分00秒 | スポーツ

 10日ぶりに走った23日はキロ7分18秒。思い切って低速で走った。するとどうだ、24日は同じような距離の内、同じくウオームアップ走行を含めた初めの5キロほどを7分ジャスト。それも今日もほとんど無理しなかったからか、昨日よりもうんと疲れも少なかった。
 しかも、頑張ってみた最後の一周は1040歩だ。13日の最後の一周が1060歩だったから、あれよりも「俺のフォーム」が進歩して、ストライドが伸びているわけだ。多分1m近かったはず。つまり、この間のスクワットなどの甲斐もあって喜寿越えジジの筋肉も衰えていず、首のケガで10日ぶりの走り1日のLSDだけで、心肺機能が半分ほどは戻っていることになる。24日の心拍数は147だったが、ほとんどを抑えて走ったので、ストライドは86センチだった。ちなみに、僕の一定持続最高心拍数は155~160ほどだ。

 ただ、これ以上心肺機能を上げるのはちょっと走行回数が要り、あと2日ほどのLSDが必要と、24日走行後本日25日までの疲労感から分かった。赤血球やヘモグロビンもかなり減っているのだ。24日にそれほど感じなかった疲労が、25日にはかなり出ているのは、やはり最後の一周のがんばりが原因だろう。こういう時は、特にストレッチが必要で、今日はそれに努めて、明日26日に走ることにする。

コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍の「朕は国家なり」答弁  文科系

2020年05月25日 08時04分52秒 | 国内政治・経済・社会問題

  標記のことをあらわす有名な国会質疑応答を示し、論じてみたい。以下における長妻昭議員質問の重大な意味も、それに対する自分の答弁がいかにトンチンカンで明後日を向いたものかも、全く分かっていないその知性、思考力のなさが示されていて、僕には興味深すぎるものであった。これでは「いつも長々と応えるが、関係ないことばかりを答えている」と評されるわけである。

『 2019年、2月28日の衆議院予算会議で
>長妻昭議員「統計問題を甘くみない方がいい。扱いによっては国家の危機になりかねない、という認識はあるのか。」
>安倍総理「いま、長妻委員は国家の危機かどうか聞いたが、私が国家ですよ。」

①そもそも、国家統計の扱い(勝手な書き換えや統計基準の変更、さらにはその一部破棄など)は、長妻が言うように事実「国家の危機になりかねない」ものなのだが、それが全く理解出来ていないのである。国家統計とは国政諸結果の歴史的推移の記録であって、これを書き換えることは国政を考える基準そのものの変更であり、国家大計の誤った変更にも繋がりうるもの。このことは結構理解が難しいことであって、こんな質疑応答をしている安倍には、まず分からないことである。そういう意味を込めた長妻の質問が、安倍には全く分かっていなかった。それが以下の答弁に如実に現れている。

②「いま、長妻委員は国家の危機かどうか聞いたが・・」?? なんと愚かな応答であるか。「危機になりかねない」を「いま、・・・国家の危機」(と質問した)と理解しているのである。①というなかなか難しい質問が全く理解できなかったこと丸わかりなのだ。こういう安倍が選んだ安倍チルドレンならいざ知らず、企業や団体で長期計画というものに真面目に携わったことがある自民党議員らは、随分居たたまれないような思いになったのではないか。

③さて、「いま、・・・国家の危機かどうか聞いたが」と質問を誤って捉えたうえで、すぐそれに続けた「私が国家ですよ」って、一体どう解釈できるんだろう? 「今は危機ではないと、国家を預かっている私が一番良く観ている、知っている」とでも答えたかったのだろうが、もしそんな不遜な思考を持っているうえのこの言葉ならば、これはルイ14世の「朕は国家なり」とどこが違うというのか。
  
 こうして結論。歴代検察官有志の安倍告発状に「朕は国家なり」のルイ14世であるという批判があったが、僕も全く同感である。こんな物事の理解力のなさに基づいて「私が国家ですよ」と振る舞っているのだから。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍が、終わったな!  文科系

2020年05月24日 02時11分51秒 | 国内政治・経済・社会問題

   安倍が、終わったな。毎日新聞世論調査で、支持24%、不支持67%だ。これは今となっては当然のこと、今までがあまりに不思議なのであって、自民内統制とマスコミ工作だけで持っていた政治無能力内閣というのははっきりしていたのだから。

 いつまで経っても達成出来なかったアベノミクス最大目標の物価2%。あれは、一体どこへ行ってしまったのか。そんな無能が今はもう、これだけ現れたわけだ。

 何よりもコロナという緊急時への対応力ゼロ以下と示されたこと。あの馬鹿な「マスク」でさえなかなか届かないのだ。10万円や小企業援助手続きの複雑さ。それ以前に、オリンピック未練から「自粛」を引き延ばした東京の悲劇。それ以上にクラスター限定で孤立感染者を弾き出して、遅れに遅れた検査体制。 
 まるで緊急時にこそ炙り出される無能のオンパレードではないか。これら全てが、ヒラメばかりの無能集団を集めた内閣府の実態を顕してしまったということだ。つまり、人選に全く無能。これだけの無能は、単に無能というのではなく、政治家の場合は「口約」へのやる気も疑われることになる。空約束ばかりだったのか?ということだ。そう言えば、「よく嘘を言う」という批判も高まっているのを、今思い出した。空約束と嘘とはちょっと違うというだけだ。

 そもそも、自分の妻でさえ普通の人間同士としてずうーっときちんと話し合えていないから時々の社会的道理を踏み外す事丸わかりというその人の夫なのである。これは、モリトモ、桜を観れば誰でも分かることだ。妻が、ああいう人間なのである。似たもの夫婦と、自分をいくら偉く見せても、はしなくも示されてしまっている。

 辞めろ、辞めろ。カッコ良く連発だけはする「責任は私にあります」通りに、一度も取ったことがないそれらの責任をこの1点に集めて、辞めろ。恥ずかしすぎる内閣総理大臣! あんな人間が入室してくると、皆立ち上がって迎える大臣達が、可哀想に見えるのである。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 日米政経は破綻、さてどうする? 3 金融暴力世界の改革を巡って 文科系

2020年05月23日 12時21分32秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 今回は、リーマンショック総括・改革案として、世界経済改革二案の触り部分を紹介してみたい。一つは、2010年のソウルG20における反省・改革報告を旧拙稿文章で紹介する。今一つは、「スティグリッツ国連報告」の、改革部分概要。この文書の正式題名はこういうものだ。「国連総会議長諮問に対する国際通貨金融システム改革についての専門家委員会報告 最終版2009年9月21日」

【 金融グローバリゼーションの主は『アメリカ型の市場経済至上主義に基づく政策体系』で、これが主導する世界的合意がワシントンコンセンサスと呼ばれてきたもの。
『2009年のロンドンG20で、当時の英首相ブラウンは、「旧来のワシントン・コンセンサスは終わった」と演説しました。多くの論者は、ワシントン・コンセンサスは、1970年代にケインズ主義の退場に代わって登場し、1980年代に広がり、1990年代に最盛期を迎え、2000年代に入って終焉を迎えた、あるいは2008~09年のグローバル金融危機まで生き延びた、と主張しています。IMFの漸進主義と個別対応への舵切りをみると、そうした主張に根拠があるようにもみえます。
 しかし、ことがらはそれほど単純ではありません。1980年代から急速に進行した金融グローバル化の歯車は、リーマンショックによってもその向きを反転させることはありませんでした。脱規制から再規制への転換が実現したとしても、市場経済の世界的浸透と拡大は止まることはないでしょう』(伊藤正直著「金融危機は再びやってくる」)
 ここで言うロンドンG20の後2010年11月のG20ソウル会議では、こんな改革論議があった。①銀行規制。②金融派生商品契約を市場登録すること。③格付け会社の公共性。④新技術、商品の社会的有用性。これらの論議内容を、前掲書ロナルド・ドーア著「金融が乗っ取る世界経済」から要約してみよう。
  ①の銀行規制に、最も激しい抵抗があったと語られる。国家の「大きすぎて潰せない」とか「外貨を稼いでくれる」、よって「パナマやケイマンの脱税も見逃してくれるだろう」とかの態度を見越しているから、その力がまた絶大なのだとも。この期に及んでもなお、「規制のない自由競争こそ合理的である」という理論を、従来同様に押し通していると語られてあった。
 ②の「金融派生商品登録」問題についてもまた、難航している。債権の持ち主以外もその債権に保険を掛けられるようになっている証券化の登録とか、それが特に為替が絡んでくると、世界の大銀行などがこぞって反対すると述べてあった。ここでも英米などの大国国家が金融に関わる国際競争力強化を望むから、規制を拒むのだ。
 ③格付け会社の公準化がまた至難だ。アメリカ1国の格付け3私企業ランクに過ぎないものが、世界諸国家の経済・財政法制などの中に組み込まれているという問題がある。破綻直前までリーマンをAAAに格付けていたなどという実績が多い私企業に過ぎないのに。この点について、「金融が乗っ取る世界経済」に紹介されたこんなニュースは、日本人には興味深いものだろう。
『大企業の社債、ギリシャの国債など、格下げされると「崖から落ちる」ほどの効果がありうるのだ。いつかトヨタが、人員整理をせず、利益見込みを下方修正した時、当時の奥田碩会長は、格付けを下げたムーディーズに対してひどく怒ったことは理解できる』(P189)
 関連してここで、16年10月15日の新聞にこんな文章が紹介されていた。見出しは、『国際秩序の多極化強調BRICS首脳「ゴア宣言」』。その「ポイント」解説にこんな文章があった。
『独自のBRICS格付け機関を設けることを検討する』
 15日からブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ5カ国の会議がインドのゴアで開かれていて、そこでの出来事なのである。
 ④「金融の新技術、商品の社会的有用性」とは、金融商品、新技術の世界展開を巡る正当性の議論なのである。「イノベーションとして、人類の進歩なのである」と推進派が強調するが、国家の命運を左右する為替(関連金融派生商品)だけでも1日4兆ドル(2010年)などという途方もない取引のほとんどが、世界的(投資)銀行のギャンブル場に供されているというような現状が、どうして「進歩」と言えるのか。これが著者の抑えた立場である。逆に、この現状を正当化するこういう論議も紹介されてあった。
『「金作り=悪、物作り=善」というような考え方が、そもそも誤っているのだ』 】


 国連スティグリッツ改革報告の触り概要は、こうなっている。
【 第1章「はじめに」の末尾は、この「報告」の以下4章の短い紹介に当てられている。以下、全文こんなふうに。
『報告はその分析と勧告を以下の4章で示していく。第二章は、危機の背景となって横たわっているマクロ問題と、問題の大枠について、そしてそれを克服して行くために必要となる施策について取りあげる。第三章では、特に金融システム不安定化の原因とは何かという問題と、あらゆる経済システムへのその影響について取り上げる。同時に、個別の金融機関のレベルで、またシステミックなレベルで、金融の安定性を確保するために取り上げるべき施策について検討する。第四章では報告は現存する国際金融機関が適正かどうか、どのようにそれらは変革されるべきかを評価し、更にはシステムをより安定的なものにし、発展途上国のニーズにより役に立つために作られる新しい機関について検討する。最後に第五章は国際金融革新について取り上げる。これらの施策は21世紀のグローバル化した世界のニーズに応える国際金融アーキテクチャーといわれる分野に導入される施策である』 
 
 というような問題を検討してきた国連機関があるというだけでも、この世界は19世紀までと全く違っているということを、僕は示したかった。国連の今がいくら無力に見えても世界の民主主義的な将来に向けてその役割は大きいと主張したかった。
 ちなみにリーマンショックによって世界をこれだけ不幸にしたアメリカでさえ、戦前の日独のように国連を抜けないのは、世界にそれだけ国際民主主義という「大義名分」が生まれ、育ってきた事が示されていると強調しておきたい。】

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日米政経は破綻、さてどうする? 2 金融暴力経済   文科系

2020年05月22日 12時03分41秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 日米政経は破綻、さてどうする? 2   
グローバリゼーションは金融暴力に過ぎなかった 

 さて、この40年ほどの世界に現れたグローバリゼーション政経は暴力に過ぎなかったということを展開してみたい。それも、1世紀近く続いた冷戦の一方「社会主義」世界体制が破綻した歴史のすき間に現れた、単なる古典経済学式なだけの自由競争金融暴力であったと。

 この流れへの発端は周知のように、1970年代世界史に現れたスタグフレーションである。当時まで各国経済を運営していたケインズ経済学では説明不可能と言われた「不況なのに物価だけは上がるという『奇妙な』、不況の中のインフレ現象」。ここから、これを抑えるためと称して、(ケインズ流需要サイド経済学から)供給サイド経済学へと、まず英米が入っていった。いわゆるサッチャリズム、レーガノミクスの登場であった。「世界経済をば、自由競争に任せよ」。「国家による規制はなくして、小さな政府が良い(ちなみに古典派経済学ではこれを「夜警国家」と呼んだと記憶する。国家は、犯罪だけに備えれば良いと言うのだ)」。「政府部門をば可能な限り民間部門に明け渡すべきだ」。こういうやり方が、折しも資本主義国に生まれたIT産業の発達と相まって「社会主義」世界体制を淘汰したことによって、我が世の春を迎えていく。ここに起こった現象こそが、世界各国政経に対する先進国金融による暴力の横行であった。
 
 今はアメリカでも猛反省が始まっている「株主利益の最大化政策こそ、経済発展の要諦」という言われない命題によって、世界が席巻されていったのである。曰く、敵対的株買い付け、会社乗っ取り、社外取締役会、世界各国にも通貨危機が続発され、ギリシャ・タイ、南米諸国などなどのようにIMFの「国家財政再建策」を通じて未来の国家予算強奪までが起こったのである。
 こういう資本暴力の典型として日本人の記憶に鮮やかなのが20世紀末のカルロス・ゴーンの例だろう。ルノーが日産の筆頭株主になるとゴーンが社長に就任して、猛烈なリストラを始めた。日本式終身雇用や企業地域貢献やなどステークホルダーも何もあったものではなかった。外国国家財政収奪の例では、ギリシャ財政危機の発端と「指南役」とに、米金融ゴールドマン・サックスが関わっていたことは、知る人ぞ知る有名な話だ。

 なお、これだけ金融暴力が野放しにされて、労働者や将来性ある企業などなどが踏みつけにされたのでは、世界の膨大な資本つまり供給力に対する有効需要などはさらに大々的に消えていくだけであった。特に英米日など先進国においては、失業者と不安定労働者の膨大な群れである。そこで先進国金融が起こしたのが唯一世界の金を集めることができるバブル形成で、これが繰り返されることになっていく。日本の住宅バブル、サブプライムバブル、GAFAバブル、日本政府官製バブル・・・。ちなみに、日本政府官製バブルに現れているように、日銀に通貨をどんどん増刷させて株価だけをつり上げるという禁じ手財政ファイナンスにまで踏み込んでも、物価目標2%がどうしても達成出来ぬという事態も起こったのである。さらに因みに、この官製バブルによって日本政府GPIFの損はどんどん増えている。4半期の損失で、初め10兆円、18年秋には15兆円、そしてこの3月までの4半期の17兆円によってとうとう年度でも7兆円だかの欠損になった。それを取り返すべく日本が他国に対して同じ事をすれば、世界的金融が各国から金を奪ってくるばかり? こんな世界のどこに未来が見えるというのか。というわけで「株主利益最大化経済」が悪いものだったと、前回述べたようにアメリカの学者も経営者団体も反省を始めたわけだが、本気の反省なのかどうか。特に、日本のような先進国におけるこの需要と供給の悪循環を働く者のまともな職場を増やすという意味において正す方向は、どういうものであるのか。例えば、サブプライム・バブルの破裂、リーマンショックを反省した、国連総会議長委託による専門家委員会報告書、いわゆるスティグリッツ報告は、この点についての一つの歴史的文書になりうるだろう。このノーベル経済学賞学者スティグリッツはクリントン米政権の経済政策顧問も務めたお人だが、初め「自然に起こった」と観ていたアジア通貨危機を後になって「人為的に起こされたもの」と自ら反省している誠実な学者と思えるお方だ。

コメント (3)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

破綻している日米政経、どうする? 1  文科系

2020年05月21日 09時31分18秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 標記のことで例えば、今のアメリカは「自由と民主主義の国」ではないと示された。4月14日拙稿に書いたように、ューヨークの各人種10万人当たりコロナ死者数が『ヒスパニック22.8、黒人19.8、白人10.2、アジア系8.4人とあった』というのだから。民主主義と言えるか否かには平等の考え方、見方の違いが関わってこようが、国民の命にこれだけの差があっては、「これは結果としての平等議論(結果の平等)であって、その命を守る機会はどの人種にも平等に与えられてきた(機会の平等)」といって済ますことができるものではない。この国の格差がこれだけ有意な「人種による命の格差」につながっているのだから。
 さて、今アメリカでコロナ以前からこんな議論が起こっていた。「アメリカ労働者の職が、中国にどんどん奪われてきた」。これは、世界的米製品の製造拠点が中国にどんどん移って行って、本国がいわゆる空洞化したことによるもの。トランプの保護貿易主義への転換も、自分を当選させた無数の白人不安定労働者への選挙対策だと言われてきた。いまだに人種差別があるアメリカで、白人労働者でさえこうならば、他は推して知るべしだろう。
 
 ところでこれらの点で日本はどうかとみれば、もっとはるかに悲惨なのだ。中国に生産拠点が移って日本経済空洞化が始まったのは、20世紀末からのことだ。その結果がこれである。1990年代中頃には世界順位一桁であった日本国民1人当たり購買力平価GDPが、18年度には31位。そして、明らかにこの結果である「50歳まで結婚経験なしの男性が4人に1人」「この130年なかった出生数の少なさから、人口急減国家へ」。これすべて今や、小泉、安倍ら自民党の供給サイドを重視した新自由主義経済・小さな政府への転換によるものであることも今や明らかと言える。

 ちなみに、安倍が「アベノミクスの柱、インフレレターゲット2%目標」をどれだけ大声で叫んできても何の前進もなく、いつの間にかこの目標までも下ろしてしまった。このことを私たちは一体、どう見たら良いのか。この2%目標のためにこそ、GPIFも日銀も総動員して官製バブルを大きく積み上げてきたのに、給料は一向に増えず、不安定労働者ばかりがあふれていて、心ある経済学者・中谷巌らも述べてきたように「中産階級の大没落こそ、日本経済最大の問題である」。

 ちなみに、アメリカではもうこんな反省も始まっているが、日本政財界は一体何をしているのか?
 
【 今、グローバル経済(学)はこう破綻した  文科系
2020年01月18日 07時22分42秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

  今、グローバル経済(学)は、アメリカでこう破綻した。日本の主流経済学者らの反省をも是非聴きたいものである。この40年ほど世界を席巻してきた新自由主義経済に対して、世界で重大な反省が巻き起こっているからだ。まず、去年の8月にはこんなことがあった。
  小さな記事だったが、8月20日夕刊に分かる人には分かる出来事が、報じられている。この大事な記事の見出しは、
「株主最優先を米経済界転換」?? 
 この中日新聞記事の書き出しはこうだ。
『米主要企業の経営者団体「ビジネス・ラウンドテーブル」は19日、株主の利益を最優先する従来の方針を見直し、従業員や顧客、地域社会など全ての利害関係者の利益を尊重する新たな行動指針を発表した。これまで米経済界は「株主利益の最大化」を標榜してきたが、大きな転換点となる』
 次いで、12月3日の米政治週刊誌「ニューズウイーク日本版」が組んだ特集「宗旨変えしたノーベル賞学者」は、2人の世界的経済学者らの反省を載せている。それは以下のように重大すぎる声と言って良い。
 まず、アベノミクスにも大いに影響を与えたポール・クルーグマンは、こう反省しているのだそうだ。
『アメリカの製造業を支えてきた中間層が経済・社会的な大変動に見舞われることに気付かなかった。中国との競争でアメリカの労働者が被る深刻な痛手を過小評価していた、というのだ』
 このニューズウイーク記事によると、他の経済ジャーナリストなども今は、経済学者らの過去理論を批判しているのだそうだ。
『多くの経済学者が福祉を犠牲にし、効率性を最優先して「高賃金の雇用を切り捨て、低コストの技術産業に未来を託した」というのだ』
 という反省から、このニューズウイーク論文の末尾まとめはこういうものになっている。こちらは、もう一人のノーベル賞経済学者・ジョセフ・スティグリッツが90年代から指摘し続けてきたグローバリゼーション批判をまとめた文章でもあるようだ。
『最大の負け組はやはり、アメリカの労働者だ。経済学者はかって、好況下では労働者は自分たちの賃金を引き上げる力を持つと考えていた。だが最近の見方はちょっと違う。多国籍企業が全世界を自らの縄張りに収めて四半世紀がたち、グローバル化した資本は国内に縛られたままの労働者よりも優位に立った。
 主流派の経済学者たちがこれほど急に左寄りになったことに驚いているのは当の経済学者たちだ。多くは前述の格差問題に関する会議でこのことに気付かされた。来年の米大統領選挙では、経済学者達の支持は中道のジョー・バイデン前副大統領よりもエリザベス・ウォーレン上院議員やバーニー・サンダース上院議員などの革新系候補に流れているとの声も参加者からは聞かれた』

 さて、こう言った反省は、日本の誠実な経済学者達の間ではもうとっくに起こっていた。中谷巌(三菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長、多摩大学名誉学長、一橋大学名誉 教授)とか水野和夫(三菱UFJモルガン・スタンレー証券、法政大学教授)らがその代表者になるはずだ。「中産階級を大量に没落させたのが、現経済政策の最大の誤りだった」と反省したのだし、水野はこう述べている。「バブル経済しかないというのは、既に資本主義の寿命が尽きたということだ」。それでさて、英米日などの政府は、どういう理論でもって今後の経済政策を行っていけるというのだろう。
 アメリカは「GAFA時価総額バブル」経済? 日本は「官製バブル」経済? こんな危機的な閉塞状況だからこそ、アメリカは中国を叩き続けざるを得ないのだろう。もしアメリカから日中資金が逃げ出したら、こんな「GAFAバブル」経済の国など即沈没である。アメリカが今や必死に見えるイラン、ベネズエラや、(対中国冷戦対策としての)香港、台湾やに対する「暴力的」外交戦略、姿勢も、こういう経済破綻が背景になっている事はまた自明であろう。
 日本の主流経済学者の声も、今是非聴きたいものだ。】

コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

政権とズブズブだった黒川氏   文科系

2020年05月19日 10時28分01秒 | 国内政治・経済・社会問題

 18日付けAERAdot.の記事に、こんな下りがあった。そこには、黒川氏の政権との接近実情が描かれて鮮やかすぎるほど。

『安倍首相は自民党の二階俊博幹事長と会談後、「国民の理解なしに前に進めることはできない」と検察庁法改正案を先送りする方針を官邸で表明した。
(中略)

 法務省キャリア官僚によれば、最初に黒川氏に目をつけたのは、菅義偉官房長官だったという。

黒川氏は一時期、完全に菅さんの右腕のような存在だった。会議を開くと、まったく関係ない黒川氏が菅さんと一緒に現れる。なぜ、黒川氏が同席するのか、と尋ねると菅さんが『彼はうちの法律のアドバイザー役だからいいんだ』などと説明し、右腕のように面倒をみていた。それで安倍首相の目にも留まった。しかし、法務官僚が関係ない会議に来ていたので、他の省庁の官僚からブーイングがすごかった。その上、黒川氏の定年延長を閣議決定でしょう。そんなえこひいきはあり得ないと思った。安倍政権の検察庁法改正案の断念は、ざまあみろですね」(同前)』

  皆さんこれを読んで、誰でもこう思われるだろう。
「検察官って、準司法機関のはず。それが、これだけ政権とズブズブだったって? これじゃ、いざという時に政治家をきちんと起訴などできるわけがない。日本の三権分立は一体どうなっていたのか?」

 さて、古い人間には考えつかぬようなこれだけのズブズブが、どうして起こったのか?と、年寄りは考える。そして、結論。これも規制緩和の新自由主義国家「小さな政府」の成れの果てなのだと。公、公正ということがどんどん弱くなり、政府も「政府部門」などと呼ばれて民間と変わらないようになった結果、各官庁も公を捨てて省益に走った。そういう政府、官僚における公正の成れの果て! それにしても検察官って、公益、公正の顔、その代理国家機関だろう。それがこれだけ変わったって?? 政府が社会的公正を捨てたというその最終結末になるのかも知れない。それも、各省庁があまりにも公正を捨てて省益だけになったのが怖くなって、「法律のアドバイザー役」? 内閣の会議内容に違法がないかを、菅氏が黒川氏に見張らせていた? これって笑い話になる。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

検察官=準司法をめぐって  文科系

2020年05月18日 11時52分36秒 | 国内政治・経済・社会問題

 検察官定年新法が流れて、この上ない重畳。さて、下段末尾のブログにタイトルのような意見を持ってコメントを書いたのだが、ここにも書かせていただくことになった。

 

 まず、検察官は、裁判所に起訴できる国家機関はここだけという準司法機関である。

 検察官が行政機関の法務省に属する側面からは、この独立・従属関係はこうなっている。個々の公訴について法務大臣も直接介入できないが、指揮権発動によって検事総長を通じてのみある公訴を止めることができる。

 日本のように議院内閣制を採用している国では、行政権がここを握りやすいのだけれど、人事など独立性を付与されてきた。また指揮権発動もまれなことであった。つまり、検察官への表面立った行政介入は常に慎重に行われてきた。

【検察庁法改正案】 全面否定するのは危険かも?

コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

反政権論客への対策あれこれ    文科系

2020年05月17日 19時06分34秒 | 国内政治・経済・社会問題

 櫻井よしこと憲法学者小林節とのある論争を、今一度まとめて報告してみたい。憲法というもの、その中での権利と義務の正しい扱われ方の理解に関わり、右の方々全体、特に安倍首相自身も検察官定年延長問題発言に現れているように無理解もしくは無視が明らかになっていることであるから。次いで、ノーベル物理学賞・益川敏英に対して、こともあろうに外務省役人らが押しかけてきて、ある申し出をしにきたというそのことも報告してみたい。

①櫻井は、現憲法に対して、義務が不足し、権利が多すぎると常に叫んできた。

②対して小林は、こう反論した。
A そもそも憲法とは、国民の権利を侵害しがちな政府に対してこれだけの権利を守りますと国民が政府を縛って、約束させたもの。このためにそもそも近代憲法が生まれたのであるというのが、立憲主義の理念である。
B だから、原理的に権利が多くて当たり前だし、義務は別の書き方がしてあるのだ。それは、
C 現日本国憲法に於ける諸権利は、「公共の福祉」に反しない限りという一つの条項によってすべて縛られている。そこでは、公共の福祉への義務として、すべての権利に制限が存在すると言えるのである。

③こうして櫻井の①が誤っているのは、②のA~C全てに無理解であるということだ。①はそういう彼女の不勉強、無理解、あるいは曲解が示されているに過ぎない。

④こういう国民の権利を縮小する新たなイデオロギー的理論も生まれつつある。それは、政治献金制度とそれによって政治が買われている実情とを正当化するような議論である。こんな批判が出来るだろう。
A 金持ちの権利も憲法によって普通に守られている上に、さらに政治献金を認めるというのは、金で政治をもっと多く買い取ってよいとすること、それを認めることである。
B その結果、金持ち減税、ロビー活動による利己的諸施策などが出来ることになる。
C これを正当化する議論も生まれてくる理屈だ。その一例が「納税は公共サービスの対価だ」とか「私は納税者のためにこそ政治を行う」という議論だろう。桜井の代理人が、小林節にそういう「理論誘導」を打診してきたと、小林自身が語っている。正しくは「納税は、収入の対価です」とも。
 国家を金持ちの所有物にして恥じない、前近代的な議論を新たに復活させようとしている事にならないか、とも。

 ここの結びだが、グローバリズム新自由主義が国家論をここまで堕落させてきたと、そんなことが示されていると思う。アメリカ大統領選挙にはいつの間にか一兆円を超える金が出るようになっている。アメリカはこうなったしまったから、民主主義国ではなくなったのだと思う。「私は納税者のために政治をやる」と語った大統領選挙共和党候補者がいる。ニューヨークのコロナ死者率では、人種によって2・5倍以上の差がある。昨今の世の中では公共というものがどこかに消し飛んでしまったように見えるのもこんなところからだろう、なるほどということだ。

 検察官の勤続年限をこういう理論の体現者である政治家に渡すようなことがあってはならない。ちなみに、新自由主義政経論自身が誤りだったと、アメリカにおいても実質否定され、反省論議も大々的に始まった。実質否定されたというのは、トランプの保護主義突入政策をさしている。

 この議論に付けたあるコメントも、ここに追加する。

【 官僚の工作も (文科系) 2016-03-27 20:04:06
 国家役人、官僚による世論工作の一部を近頃垣間見た思いである。

①一つは、上の櫻井「理論」。その「アシスタント」による小林節変節工作。
「櫻井は『納税は公共サービスの対価だ』と言っている。これを小林先生のセリフにしてほしい。バシッと決まりますから」
 この言葉は、櫻井による小林の取り込み工作とも見える。が、こんな大きくて、巧妙な工作をば櫻井個人は全く思いつくはずもないし、こんな必要さえ彼女には存在しないだろう。後ろで、野党憲法論の最大論客の一人になっている小林節を懐柔しようとの大きな企みが存在したと確信するのである。そして、この背後には、そういうこと専門の政府部門があるにちがいないと僕は推察した。

②ノーベル賞の益川敏英さんの連載手記が中日新聞夕刊に載っているが(16年3月)17日木曜日のここにこんな下りがあったと記憶する。
 益川さんのところに、外務省関係者らが数人やって来た。軍事研究に関わらないという名古屋大学平和憲章を変えさせるための政府行動の一環であったようだ。益川さんは、米原爆製造に携わったオッペンハイマーの話を対置して、彼らを撃退したという。
「戦争抑止力になるかも知れないと製造協力したが、使わないという約束が破られてしまった。それで次の水爆製造には非協力を貫いたら、スパイの嫌疑をかけられて研究者生活がめちゃくちゃにされた」

 アメリカには国家政策に関わる研究機関が数多くあると聞く。日本にもこれはあろうが、官僚、役人による政府寄りの研究、宣伝、学者工作などが最強なのだろうな、きっと。と、そんなことを思い巡らしていた。】

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

再選挙控えたトランプという人物  文科系

2020年05月16日 16時18分22秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

   あるブログに米大統領トランプについて非常に面白い表現があった。「ホワイトハウス詰めの記者によると」と紹介してあったその人物表現と、そのブログに本日今付けた拙コメントとを転載したい。トランプ再選は世界、日本にとって最大の問題でもあると思うからだ。

 【「大統領は、知的な集中力が全くない。医療・感染症専門家の話はもちろん、側近政治家の話も、ほんの数秒聞いただけで遮る」
「誉め言葉を聞かないと、すぐに不機嫌になる。少しでも異論を唱える者は、二度と呼ばれない」
これが事実だとしたら、恐ろしい話だ。さらにあと4年続いたらと思うとやり切れない。】

 これは、事実でしょう。大統領になったばかりで出版された最初のトランプ本「炎と怒り」を拙ブログに6回連載で紹介させていただきましたが、内容的に全て合致いたします。その最終回分再掲エントリーの冒頭部分を以下に紹介させていただきます。なお、著者はずっと前から彼を追いかけていたからこそ、真っ先に伝記を出せたジャーナリストです。

『初のトランプ本、内容紹介   文科系
2018年09月07日 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 本日もう一つの別記事もそうだが、アメリカ大統領ドナルド・トランプの勝手気まま、理不尽が、世界を大騒ぎさせている。唯一肯定的関心を示している朝鮮対策でさえ、「ノーベル賞狙い」と、僕は観てきたほどだ。そういう彼流のポピュリズム選挙対策ということなのだが、とにかくこれだけは言える。彼の動向が見えていなければ、日本の政治経済の目の前の先行きさえ分からないと。
 アメリカでベストセラーになった最初のトランプ本「炎と怒り」をこの4月にここで内容紹介した。4月8~16日の間に6回連載で。その最終回分を、ここに改めて再掲したい。興味のあられる方は、右欄外の「バックナンバー、年月」クリックから入って、4月の連載記事をお読み願えれば嬉しい。』

 この最終エントリーだけでもお読み願えれば嬉しいです。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする