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イラク戦争の死者数  文科系

2013年10月31日 | 国際政治・時事問題(国連・紛争など)
 僕が書いた「通貨危機国の数」と、「イラク戦争の死者数」とに、唯足さんから(苦)笑いを伴った反論があった。いずれもに「僕が正しい」という反論を書いたが、イラク戦争死者数を調べていて、最新のこんな資料があったのでそれを反論とした。以下に、コメントをそのまま転載する。
 僕でさえこの数には驚く。アメリカではちゃんと公表され、正しく反省が始まるのだろうか。日本では、嘘の理由で始まったこの戦争に荷担した反省は、政府からも官僚からも何も聞かされてはいない。これで「集団的自衛権」とは、笑わせる。「恥の上塗り」というものだ。50万もの死者を出したのだぞ!

【 これも取りあえず (文科系)2013-10-31 08:26:21
 唯足さんへ
 これも取りあえず、最初に目についた資料を上げておきます。数十万人どころか、「50万人」ですよ。これを否定できないなら、やはり謝罪していただきましょうか。(笑)がお好きなら、ただ苦笑いで済ませるのではなく。
 21世紀アメリカの、いや世界の最大の罪ですから、大事なことです。しかも、これ嘘の理由で始められたのだ。国連の反対を押し切って有志国でね。この犠牲があったからシリア戦争が避けられたのは朗報ですが、イラク戦争に荷担した日本は、その後何か謝罪しましたかね? 全くない。9条の国としては、大変なことですよ! このアメリカとのことですから「何が集団的自衛権か!」と言いたいです。

『 ナショナルジオグラフィック
2013年10月17日 15:47 (ナショナルジオグラフィック)
イラク戦争の犠牲者は推定50万人

 2003~2011年のイラク戦争によって、イラクでは約50万人の命が直接的、間接的に奪われたことが、同国の1960世帯を対象とした画期的調査によって明らかとなった。公衆衛生専門家が行った同調査によると、戦争による暴力行為は2006年と2007年がピークだったという。

 2003年3月19日、アメリカ主導の連合軍がイラクに侵攻して地上戦を開始、首都バグダッドを速やかに制圧し、サッダーム・フセイン政権は崩壊した。戦闘終結後、連合軍がイラクを占領していた2011年までの間、度重なる爆破やアルカイダの関与する反乱、民兵の戦闘などにより、人口3260万人の国では多くの血が流された。

 シアトルにあるワシントン大学の公衆衛生専門家エイミー・ハゴピアン(Amy Hagopian)氏率いる国際チームは、イラク全土の世帯で家族やきょうだいに関する調査を実施した。イラク保健省の関係者も参加したこの調査は、イラク戦争に関連して、過去の調査より新しく正確な推定死者数を導きだすことを目的に行われた。

「死者は約50万人と推定している。これはおそらく控えめな数字だ」とハゴピアン氏は述べる。「戦争という決断がどれほどの人的被害をもたらすのか、我々は知る必要がある」。

 調査に対する回答から、2003~2011年のイラク戦争が原因で亡くなった人の数は約40万5000人に上ると推定される。さらに、イラクを離れることを余儀なくされた家庭からも最低5万6000人の死者が出ているとみられ、これも犠牲者数に加える必要がある。調査によると、2003~2011年に犠牲となった男性、女性、子どもの60%以上は、銃撃や爆破、空爆といった直接的な攻撃によって命を落としたという。それ以外の人々は、ストレスによる心臓発作、衛生設備や病院の破壊といった間接的な原因によって亡くなっている。

「戦争は銃に限らず、あらゆる形で人の命を奪う。そして、その犠牲は侵略される側だけでなく、侵略する側にも生じる」とハゴピアン氏は述べる。イラクの侵攻と占領に伴い、アメリカ、イギリスなどからなる連合軍にも推定4804人の死者が出ている。

 これまでに発表された戦争によるイラク人の犠牲者数は、調査によって大きく異なる。告発サイト「ウィキリークス」に公開されたアメリカ軍の記録では10万人余りとなっているのに対し、ロンドンの調査会社オピニオン・リサーチ・ビジネスが手がけ、大きな批判を浴びた調査では、2007年までに120万人が亡くなったとされる。

 今回の調査では、「イラク人のスタッフを使って家庭を戸別訪問し、質問に回答してもらった」とハゴピアン氏は述べる。回答率は98%に上ったという。調査では世帯主に対して2001年以降に家族に出た死者の数を、また、その世帯の各回答者には、自身のきょうだいに出た死者の数を質問した。

「これは非常に重要かつ信頼性の高い調査だ」と、ニューヨークにあるコロンビア大学の疫学者レスリー・ロバーツ(Leslie Roberts)氏は述べる。ロバーツ氏自身、コンゴやジンバブエ、そしてイラクで戦時中の死者数の調査を指揮した経験をもつ。「実際に起きたことを正確に記録するのは非常に重要なことだ」とロバーツ氏は述べ、2005年に当時のジョージ・W・ブッシュ米大統領が行った、戦闘によるイラク市民の犠牲者数はわずか3万人ほどだという発言を引き合いに出した。

 戸別調査に基づく推定死者数は、おそらく控えめな数字だという点については、ロバーツ氏もハゴピアン氏と同意見だ。この数字は家族の不完全な記憶に基づいたものであり、また、難民キャンプや国外で生活していたイラク人110万人はほとんど計算に入っていないためだ。

 調査の結果、戦闘行為の犠牲になって亡くなった人は、特にバグダッドに集中していることが明らかになった。そのうち35%が連合軍の攻撃によるもの、次いで32%が民兵によるものだ。また調査によると、戦闘が特に激しかったのは2007年で、翌2008年には数字が大幅に下落している。

 悲しいことに攻撃は今なお続いていると、世界保健機関(WHO)の公衆衛生教育研修協力センター責任者サルマン・ラワフ(Salman Rawaf)氏は、今回の研究の付随論評の中で述べている。フランス通信社(AFP)の推定によると、2013年には爆破や銃撃によって5000人ほどのイラク人が命を落としているという。宗派の対立による攻撃が再び増加していることで、「現在のイラクでは、もはやこれまでに出た死者の数ではなく、今後どれだけの死者を防ぐかが問題となっている」とラワフ氏は述べている。

 今回の研究は、10月15日付で「PLOS Medicine」誌に発表された。』】
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今年、アーセナルが強い! 文科系

2013年10月31日 | スポーツ
 今年日本では横浜が強いと予言してきた僕だが、来年に向けてのヨーロッパはアーセナルが近年になく強いと思う。来年こそCL杯かプレミアリーグ杯をベンゲルに掲げさせてやりたい。

 CLでも、今年はアーセナルが強いと思う。後で述べるように去年も強かった上に、エジルが入って、見違えるようになったからだ。右にいる彼が動いてボールを持った時、必ずシュート近くまで行くという状況を作っている。本当に攻撃的個人能力の高い選手だと思う。CL優勝とかならば、バロンドールもありと思う。そんな選手だ。このエジルを得たアーセナル、リーグ戦で1敗の他は、CLのドルトムントに1対2の敗戦が目立つだけだ。
 去年のチャンピオンズリーグ戦を振り返ってみよう。ぶっちぎりのように優勝した感があるバイエルンに決勝戦のドルトムント以上に冷や汗を掻かせたチームがアーセナルである。ベスト16の対決でこの2チームが早くも当たってしまったわけだが、アーセナルから見て1対3と2対0の合計3対3、敵地ゴール差による敗戦という結果になった。この後準々決勝以降のバイエルンの快進撃がこうだから、アーセナルの健闘が光る。準々決勝のユベントスには2対0が二回で合計4対0(なお、今のユベントスが変わったチームで、監督の能力が凄いと思う。このチームの戦略についてはやがてここに書くだろう。本田はミランなど行かずに、ここに行けば世界最先端のチーム戦略が学べるのに)。準決勝のバルサには実に7対0である。決勝のドルトムントには大変な苦戦だったが、2対1である。ドルトムントから「香川がいたら勝てた」という噂が流れたゲームだった。

 このアーセナル、イングランドリーグでは1位である。7勝1敗1引き分け。勝ち点22で得失点は20の9。2位のチェルシーが6勝1敗2引き分け、勝ち点20の、得失点が16の6で不気味ではある。イングランドでは今のところ、この2チームが抜けている。

 チャンピオンズリーグは、大変な組に入った。去年準優勝のドルトムントと、イタリアで急上昇中の異色チーム、ナポリがいて、一渡り終えた段階で勝ち点6で3チームが並んでいる。でも順当に行けばドルトムントとアーセナルだろう。チーム戦略の良さ、強さは同程度でも、選手の力量が違うと思うのだ。4チームが一渡り戦い終わっての得失点差が3者の実力を的確に示していると思う。ドルトムント3、アーセナル2、ナポリは0である。

 それにしても今年は、5000万ユーロを払ってエジルを取った。最近出した選手の移籍金を全部貯めておいて、このチームとしてかってない勢いで彼を買ったということだろう。優勝から遠ざかり、アデバヨール、セスク、ナスリなど選手が出て行くばかりの現状から、並々ならぬ決意で今年を始めたのだと思うのだ。アーセン・ベンゲルに何としてももう一度花を持たせてやりたい。
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           「あぁ、そういうことも…」 という小話三題     只今

2013年10月29日 | Weblog
●「誤表示」という用語
 阪急阪神ホテルズの出崎社長が再三、口にした「過表示」という用語は、どの国語辞典にも見当たらない。
 思うに、鉄道用語としてよく使われる「誤作動」を援用したのではないでしょうか。
 「誤作動」とは、辞書によれば「電磁波ノイズなどによって生じる狂い」とある。
 人為的なミスではない、ということを言いたい余りの造語だったのでしょう。
 ついでに言えば、11月1日に辞任するというのですが、何故10月31日ではないのでしょう。
 途中辞任する官僚の殆ども、月末でなく月初めです。いじましいかきりの理由で……。

●「憲法を守るのは…」
 憲法99条は、「憲法を尊重し擁護する義務を負うのは、天皇、大臣、国会議員その他の公務員」と規定。
 一般国民は対象になっていません。このことは、立憲主義(憲法は国民が権力者に命令するもの)ということから言えば当然のことですが、このこと、うかつに見過してきました。
 だから自民党の憲法草案は「全て国民はこの憲法を尊重しなければならない」と新たな一項を。


●「バカ息子」と親の責任
 みのもんたのバカ息子に関して、親の責任が姦しく取り沙汰されています。
 これまで同様の息子を持った親はどうしているでしょうか。
 銀座の酒場で乱闘し週刊誌の話題にされた森喜朗元首相の息子は、県議の時に飲酒運転で逮捕。
 日銀の黒田総裁、朝日新聞社の秋山会長の息子は、麻薬法違反で逮捕。




  
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ザックジャパン(122) 海外代表選手の活躍ニュース  文科系

2013年10月29日 | スポーツ
 岡崎が2得点を挙げた。抜けだしと飛び込みという得意な形の得点であって、どうやらマインツではレギュラーに使われることがほぼ決定したのではないか。マインツのトゥーヘル監督は、彼の守備力を凄く買ってきたのだし。彼の抜けだし能力は代表最大の得点兵器の一つだから、来年までどんどん磨いて欲しいものだ。
 同じく前線の香川が、又新たなベールを脱ぎ始めた。マンUで2ゲーム先発完投して、監督の高い評価を受け始めた。第一戦目のCLリーグ戦のできを監督はこう語ったとのこと。「皆から噂には聞いていた彼の能力を、私としては初めて見た思いだ」。なおこのチーム前線には、18歳のアドナン・ヤヌザイというとてつもない才能がいて僕も初めて見た時から「これ、なんて奴だ!?」と目を見張ったものだが、彼と競り合うのは容易ではないと思う。ファンペルシー、ルーニー、香川にヤヌザイで固まっていくと良いのだが。こういう最先端チームプレーができるタイプを集めなければ、マンUはチャンピオンズリーグには生き残れないはずだ。それどころか、エジルが来て水を得た魚のようになったアーセナル、モウリーニョ・チェルシー、ビラス・ボアスのトッテナム、ロジャースのリバプールにも勝てないはずだ。香川にはこのサバイバルをなんとか生き残って欲しい。そしたら、ザックジャパンの得点力が急に増えるということだから。

 長谷部・清武がまた、引き分けた。6位のフランクフルトに続いて7位のシュトゥットガルトに、いずれも敵のホームで。2ゲームともこのチームにとても多い1対1という結果には、チームの弱点である得点力不足が現れている。これの向上に長谷部の縦パスや、これを受ける清武のチャンスメイクと得点への期待やが大いに高まる。このチームは得点力が問題であるからこそ、この二人のラインの確率が大切と思う。二人がこのチームの前線、中盤の柱だからマークはどんどん強まるだろうが、それを打ち破っていくことで急成長も期待される。絶好の試練と期待したい。
 さて、現代表ドイツ組の急成長ホープは、何と言っても細貝ではないか。チームは5位でCL圏内も望める位置だ。ここまでの細貝はほぼ全ゲームで先発完投に近い上に、今回はあの世界1チーム・バイエルンのホームで3対2の惜敗。細貝は87分まで頑張った。ゲーム後の言葉一つを紹介しよう。サッカーキングから取ったが、頼もしい限りである。
『(質問)―今日は1点差の負けでしたが、この1点差というのはある程度戦えたのかあるいはこの1点差は大きいのか?
(細貝)「ボールを支配される時間も長かったですし、1点差が遠いという感じはしなかったですけど、でも最後の最後で個人のヘディングの球際だったりで決めてくることに関してはやっぱり差があるんだなと思いました」』
 現在世界1のチーム相手に、これだけのゲームが出来るチームで、これだけのことを言いつつレギュラー・ボランチを張っている細貝。世界的に見てももうボランチの代表個人能力が劣るとは言えなくなった。ロッベンやリベリー、ゲッツェとやり合ってこの結果を出せるボランチはそういない。
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 「誰か言わなきゃならないんです」と言った、みのもんた氏    只今

2013年10月28日 | Weblog
 9月20日の本欄に、「単なる謀略説てしょうか」と「みの息子事件」を提示し、その行く末を見守りたいと記しました。その行きがかり上、昨日、今日得た情報を報告させていただきます。

●今日の『産経新聞』に、「管元首相 みの降板に陰謀説」という記事。
 早速、その管氏のブログを見てみると、それは次のようなものでした。
=私はみのもんた氏の息子の事件に関しては、マスコミ報道以上のことは知らない。
 しかし、原子力ムラがスポンサーとして膨大なコマーシャル料を支出することにより、マスコミに対する影響力を行使して、自分に批判的な報道に圧力をかけてきたことは知っている=

  これ以上の具体的なことは記されていませんでした。
  これだけでは、元首相の地位にあった人物としての発言としてはあまりにもお粗末の限り。
    

●今日のテレビ報道で賑わっていたのは「みのもんた記者会見」。
 泣き憤るばかりでなく笑い顔までみせたみのもんた氏を、演技者として見事と思いました。
 が、誰かから何かを言い含められているのではないか、そのように感じ、テレビ復帰は遠くないと思いました。


●が、次男が逮捕される3日前に、テレビでこう語った「みのもんた」発言には、拍手し、このこと忘れない。
     =オリンピックに6千億円も使うカネのある日本がだよ? フクシマには470億円、
      これでいいのかねぇ、これで!
      フクシマの人は故郷がなくなっているんだよ……。
      僕ねぇ、それ思うとね、オリンピックで浮かれてるって感じだね。どうみても。
      だから公共の電波を使わせてもらって、僕はこう言わせてもらっていますけど、
      誰か言わなきゃ、いけないんでしょ。だから言わせてもらいます=
  
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ザックジャパン(121) ザックコンセプトの前提知識「コンパクト」  文科系

2013年10月28日 | スポーツ
 コンパクト陣型と言われる現在世界最重要のサッカー戦術用語を説明したコメントを二つ書いたので、ここに転載しご笑覧願うこととしたい。この理解無くしては、ザック・コンセプトも、どういう個人能力を持った選手を選ぶべきかも論じられないはずの知識だと、僕は考えている。多少の加筆を加えた。

『 改めてDFラインアップの理由 (文科系)2013-10-24 14:44:10
 今世界の強豪チームなら、必要な時には全てこのように出来る。これが出来ないとCLベスト4にはなれないというほどに。バルセロナ、バイエルン、ドルトムントなど、今のCLベスト8常連はこれの模範のようなチームばかりである。
 前からプレスを掛ける時はもちろん、後ろで構えた時もFWラインとDFラインを縦に詰める。つまり、普通よりはDFラインをずっと上に上げるわけだ。これをコンパクト布陣というが、前者を高位コンパクトと僕は述べ、後者を後コンパクトとでも呼んでおこう。いずれにせよ、どういう意味があるか。
 身方陣形を縦に詰めたコンパクト陣は、そこの中の身方密集を活用して敵ボールを奪う狙いだ。高位でこれが上手ければ前に身方がたくさん居るので得点に繋がりやすく、後ろでこれが上手くいけば前がかりになっている相手に対してカウンター得点が狙いやすい。
 
 なお、この陣形の弱点はDFラインの裏を取られることだ。その対策としては、精密なオフサイドトラップを多用するわけである。
 また、こういう陣形を取る場合の選手にはこんな能力が前提とされる。前は防御にも、後が攻撃にも、走り回れること。FWにもプレスが要求されるし、DFにも高度なパス能力が要求される。
 上のコメントなどでここまで、ザックコンセプトと述べていることの中には、以上の内容が基本として入っている。ザックが自チームの模範として研究してきたのがアリゴサッキとバルサであって、前者は、自らはサッカー経験はないのに90年前後だったかイタリアはACミランをCLリーグ2連覇させた名監督。後者は、このコンパクト布陣の現代的最新版である。
 興味のある方は、以上を前提として上をもう一度読み直してみて下さい。』

『 名古屋・仙台戦 (文科系)2013-10-25 09:43:33
 最近あった標記のゲーム内容を例にとって、コンパクト布陣を説明する。
 2対1でホーム仙台の勝ちだけど、ゲーム内容には得点差以上に圧倒的な差があった。シュート数が19対4と、仙台が圧倒したのである。わずか2年ほど前には信じられなかったほどの差が、今は付いてしまった。個人能力を取ったら、名古屋の方が今でも上だろうに、この差は一体どこに起因するのか。そこに、仙台のコンパクト布陣の意義、威力がある。2部からどんどん上がってきて一時は優勝争いに加わるほどだった仙台の力の秘密が失点の低さにあったからである。この時に比べて今は、得点力も増やそうとして模索中という迷いがあるのだが、このチームのコンパクト防御はとにかく強い。
 上に説明したようなコンパクト陣で戦う仙台に対して、その地帯に侵入した名古屋は面白いようにボールを狩られた。当たり前なのだ。いくら玉田のドリブル、ケネディの高さなどを持ってしても、密集陣が連携して包み込む中に入っていけば、無理な数的不利から敵ゴールにはなかなかたどり着けず、必然ボールが仙台の奪取巧者、角田と富田のところへ流れていかされるのである。そして、この二人に身体を寄せられた時の名古屋選手のひ弱なこと。これも当たり前なのである。この二人は他の一切を捨ててでもボール奪取のスキルと身体だけは日夜磨いているのだから。
 こうして必然的に、仙台高位ならショ-トカウンター、後位ならロングカウンターということになる。以上は全て、組織能力の差と言えて、総合的個人能力では名古屋の方が今でも高いはずだ。 』

 サッカーの防御とは敵ボールを奪うことだが、出来るだけ高い位置でいつも奪えるなら敵にシュートを打たせないことに繋がるのである。コンパクト陣によるボール奪取能力とはこうして上記の最後に書いたように身方シュートが多くなるだけでなく、敵シュートを少なくできる戦術でもあるのだ。ここから、仙台シュート数19本、対する名古屋はたった4本! なお、シュート数がごく少なくとも大変鋭いカウンター・シュートチームにコンパクトチームが負けることもある。こんな負けの典型例をあげてみよう。コンパクト・バルセロナを準決勝で破ってイタリア勢としては近年珍しく2010年CL優勝を勝ち取ったモウリーニョ・インテルのカウンター勝負は、歴史に残るような鋭いものだったと思う。この歴史的なゲームについては当ブログに実況報告などを書いているので、以下をご参照願いたい。
 10年4月29日「バルサ敗北」、同月30日「インテルを見て日本の守備を考え(1)」、同年5月2日「インテルを見て日本の守備を考える(2)」
 
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百鬼夜行、疑心暗鬼の世界   文科系

2013年10月26日 | 国際政治・時事問題(国連・紛争など)
アメリカが、無人機による民間人無差別虐殺問題、シリア反体制派を周辺国で数百人訓練して同国へ戻していたという問題などと物議を醸してきたが、今回は先進国から総スカンを食いそうな雲行きである。ドイツ首相の携帯電話を盗聴していたことが分かったし、フランスでも大規模に盗聴が行われていたと判明。そこへもってきて昨夕刊では「米、世界の指導者35人盗聴」とあった。これではまー、スノーデン氏を本国へ戻せと超強硬態度に出ていた意味も、今分かるというもの。どうもアメリカ外交が、百鬼夜行という様相を呈し始めた。世界の外交が、大変な退廃を示していると言える。
 こういう米外交と、弱者救済のオバマケアを国家デフォルトを賭けてまで阻止しようとした共和党若手議員たちの台頭とは、きっちり符合しているように思うのである。僕は「米国家デフォルト問題」にさえ、こんな疑惑を持っていたほどだ。今度は、世界金融資本の一部が共謀して、米国為替や国債などの(限定)空売りを画策したのではないかと。

 他方、もう一方の大国・中国は、一党独裁の下で何があってもおかしくない退廃を既に示し続けてきたのだし、三番目の大国日本では国家責任を放棄したようなフクシマ。世界がまるで何でもありの百鬼夜行、地獄になってしまったようだ。百鬼夜行は疑心暗鬼を生むのだし、さらなる悪行ばかりが重ねられていくのだろう。世界金融という富が食い尽くして死にかけた国々や人々を大国がそっちのけにして。これでは、弱者の怒り、抵抗も鎮まらず、テロリズムも増えるばかりではないか。もっとも、これが増えた方がよいと期待する向きも先進国に存在するのだから、今の世界、もう訳が分からない。

 世界の指導者たちも、90年代から繰り返された世界通貨危機・国売りの後の大詰め・リーマンショック以降を、もう一度胸に手を当てて考え直して、世界をリニューアルするべき時ではないだろうか。なんせあの時は、1929年の世界大恐慌以上の大変な事態が来たと言い合わせていたはずである。事実その後がそうなっていて、今、上のような諸事件を迎えているということだろう。これは、リーマン以降が良い方向ではなく、全く悪い方向にしか向いていないということだ。「100年に一度の世界大破綻」を外って置けば、それに相応しく世界が破壊されずにはおかないということだ。

 こういう事態の大元、最重要容疑者が世界大金融(の空売り行為)だとは主要な世界指導者にこそ皆分かっているはずで、それに対して何も手が着けられないでいるのは本当おかしいことだと思う。人類の英知が試されている時ではないか。それも、かってなかったほどの崖っぷちに立っている時ではないか。いや、日独伊の世界征服が騒がれたころ、これが一つ同じような崖っぷちだったか。あの時は、モンロー主義をかなぐり捨てたアメリカ参戦によって世界が辛うじて救われたのだった。「人民の、人民による、人民のための政治」がかの国に残っていたということなのだろう。その時に比べて今のアメリカの変わりよう、退廃はどうだ! モンロー主義が転じて世界指導者たちへの盗聴!
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よたよたランナーの手記(21) ラン1日でブランク回復   文科系

2013年10月25日 | 小説・随筆・詩歌など
 10月5日のスポーツジム30分で4.3キロを走った。いつものように、ウォームアップ歩行を含んでのことだ。最高は9.6キロ時で、その平均心拍は153ほどと、さらに下がってきた。でもやっぱり無理は禁物だったのである。この日に、実は右脚アキレス腱を痛めた。この痛みがたいしたことないと判断したのでこの日は最後まで走ったが、以降この傷が意外に長引いてしまう。僕が考えている以上に、身体に年が溜まっているということだろう。そして、こんなことがどんどん増えていくのだろうな。もう72歳だ。
 そして21日、5日以来16日ぶりにジム・ランニングに及んだ。これが、全く不調だった。この間に、階段往復100回とか、ロードレーサーによるファーストラン50分などなどをやって衰えを防いできた積もりだったのに、前は悠々走れた時速9キロが、到底出来ないのだ。そんなことをすれば心拍170にもなりそうな衰えと分かった。その結果、この日の成果はこう。30分ずつ、ほとんど間を置かず2回に分けて走って、前が3.6キロ、後が3.5キロ。8キロ時でさえが心拍160近くなって僕の限界を超えるという調子で、あわててスピードを落とす始末。情けないと思った。でも、年は受け入れるしかない。そして、そこから全てを始めるしかない。そんなわけで、最近いつも30分しか走らないジムランニングを、21日は1時間走ってきたわけだ。ゆっくりと、ゆっくりと。速度を落として長く走るのが心臓に良いという有酸素運動の生理学理論を地で行くように目論んで。と同時に、多分死ぬ(寸前)まで僕が切望することなのだろうが、15年越しの今の愛車を以前同様に気持ちよく回せるようにと言い聞かせつつ。

 ここまでは、第20回目に書いた事。その上で昨24日にジムへ、21日から2日置いて行ってきた。結果はやはり2回に分けて、前半30分が3.75キロ、後半が3.85キロ。21日に心拍160近くまで行った8キロ時が、昨日は140内外でランニングハイの感じさえあった。ブランク16日からたった1回のランを経ただけで、これだけ回復するのだと、我がフィットネス能力に少々感動! 心臓って、この年になっても結構キープのし甲斐があるもんだというわけだ。何せ21日に1時間で7.1キロも絶え絶えだったものが、その3日後に7.6キロまで行ったのだから。それも心拍数は145までと全く無理をせずになのである。心拍数をこれだけ抑えられたから一日経った今朝は疲れもほとんど残っていないし。それで思ったことが、これ。
 怪我さえしなければ、まだまだ走っていられる。ただ、どんどん怪我をしやすくなっていくので、それによって出来るはずの運動が途絶えてしまうと、あっという間の悪循環。『運動できない、次のトライまで長い間が空くと再開できても前のようにはなかなかならない。その失意によって気持ちが負けると、もう一路終末へ下降線』と、年とはそういうことなのであろう。
 ご自慢の15年越しロードレーサーもまだまだ回せると、嬉しい自信も蘇ったもの。身体がこれだけ回復してきたのだから、我が愛車も見違えるように応えてくれるはずだ。ロードレーサーというものが本当に好きな自分を再発見するのである。ランのためのレーサーなのか、レーサーのためのランなのか、まるで分からなくなってきた昨今である。人生の秋と、実際の秋。これがとりわけそんな気分にさせるのかも知れぬ。いずれにしても晩年にはなかなか得難い、これも幸せの新発見だ。
 ソファに座りながら目の前に置いたレーサーを膝に乗せたようなつもりになって眺めてみる。ギアクランクをちょっと回してみたら、心地よい音がした。来週には、台風一過の秋晴れの中をちょっと遠出してこようか。
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国家主義の腐臭、台頭   文科系

2013年10月24日 | 国際政治・時事問題(国連・紛争など)
 靖国神社は、戦前の天皇主権国家を宗教的に裏付けた神社神道の本山であり、天皇のために死んだ人々を祭ったものである。そこへ戦後の国民主権国家の議員が参るのはおかしい。ましてやそのことを「国のために死んだ人にお参りするのは当然のことである」ということにはまったくならない。天皇主権国家と国民主権国家は全くちがう「国」なのだから。以下が、その証拠である。
 戦前は、国民とは天皇のために軽々と死ぬべき存在、言わばその道具とされていた。国民が臣民と呼ばれたのが、その証拠である。それゆえにこそ、現に南洋に100数十万の兵士がうち捨てられたのだし、沖縄は本土(天皇)防衛の時間稼ぎに供されたのである。

 天皇主権国家と国民主権国家。こういう全く違った二つの国家を同じもののように扱うやり方は、こんな役割も果たすことになろう。国の主人公が国民であるということを曖昧にして、何か国民の上に立ったような「国」という観念を与えることに。最近出来た国旗国歌法とその運用には、こんな悪臭が漂う。国民が国の主人公であるのだから「国旗も、国歌も大嫌い」と言えて当然だが、嫌いな人にも歌え、敬意を払えと命じているのだ。単なる儀式だからいーではないかという理屈で、嫌いな人にとっては屈辱以外の何物でもない行為を取らせるのである。国の主人公に対して、国家がどういう理念、どんな権限でこんなことが可能なのか。国の主人公が国民なのだから、国家による国民への制限は出来る限り小さくせねばならぬ理屈ではないか。

 さて、こうして現在の日本の政治には、国民主権国家とは違った国家感覚がどんどん跋扈し始めていると言いたい。靖国参拝と言い、国旗国歌法と言い、そういう感じがしてならないのである。国民主権国家ならば、国家というのは国民の道具に過ぎぬと言える。その主人に道具を畏敬せよなどというのは、根本的におかしいことだ。そんなおかしな国家感覚がどんどんのさばっているのである。なぜだろう。

 国家主義と言う言葉がある。国家を人間社会の中で第一義的なものと観て、その権威、意思に絶対の優位を認める立場と解されている。そして、そんな怪しげなものが人類史上常に生まれてきたということを、今僕たちは想起せねばならないと思う。それどころか、今現在どんどん強まりつつあるということを。
 フクシマであれだけ酷い国家的原発政策の結末を見せつけられながら、誰も罰されていない。主人公である国民の財産が大々的に毀損された。先祖から受け継いだ財産も死ぬまで使えないと言うほどに毀損され、既に何百人とされるいわゆるフクシマ関連死も起こった。国会事故調によれば会社に国家が規制されてきた結果と断じられ、地震原因説が消えていないという意味も含めれば国に過失とか未必の故意が推認されるのである。それでも国に対しては何の動きもないという現状は、国家って何か国民よりもはるかに偉い特別なものかと、どうしても言いたくなる。
 海外を見ても、嘘の理由でアメリカ国家が起こしたイラク戦争。そこで何十万人の人々が死んだろうか。それでもアメリカ国家の誰も責任を取っていない。ここでも、国家は完全に国民の上に立った存在と言える。死んだ人たちをしてその国旗に最敬礼を要求してきたその国家がこうでは、この最敬礼はまるで茶番劇ではないか。この最敬礼ゆえに、それにつけあがった国によって嘘の理由や、世界何十万人の死が堂々ともたらされたとも言えるからだ。

 こうして、今の世界、国というものがずい分怪しげなものになっていると思う。日米という世界の大国二つが率先してこんなことをしているのだから。
 僕たちは今こそもう一度思い出したいものである。【人民の、人民による、人民のための政治】
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よたよたランナーの手記(20) 久しぶりに走ったが   文科系

2013年10月22日 | 小説・随筆・詩歌など
 10月6日の第19回で、こう書いた。
『1日おいて5日は、ジムで30分、4.3キロを走った。最高は9.6キロ時で、その平均心拍は153ほどと、さらに下がってきた。でもやっぱり無理は禁物。最後はセーブして走ってきた』
 この日終わりの方で、実は右脚アキレス腱を痛めていた。上のように「最後はセーブして走ってきた」というのはそういう意味なのだが、この痛みがたいしたことないと判断したのでここにこれを書かなかったのである。これが、意外に長引いてしまった。僕が考えている以上に、身体が正直に年を表現したということかも知れない。

 さて、昨21日、右アキレス腱痛も直っただろうということで、5日以来16日ぶりにジム・ランニングに及んだ。これが、全く不調なのである。この間に、階段往復100回とかロードレーサーによるファーストラン50分とか有酸素運動をやって、衰えを十分に防いできた積もりだったのに。前は悠々走れた時速9キロが、到底出来ないのだ。そんなことをすれば心拍170を越えそうな衰えぶりと分かった。その結果、この日の成果はこう。30分ずつ、ほとんど間を置かず2回に分けて走って、前が3.6キロ、後が3.5キロだった。8キロ時でさえが心拍160近くなって、僕の限界を超えていたということなのである。情けないと思った。でも、年は受け入れるしかない。そして、そこから全てを始めるしかない。そんなわけで、最近いつも30分しか走らないジムランニングを、昨日は1時間走ってきたわけだ。ゆっくりと、ゆっくりと。速度を落として長く走るのが心臓に良いという生理学理論を地で行くように目論んで。と同時に、15年連れ添ったロードレーサーを以前同様に気持ちよく回せるように。

 さて、昨日の今日、本日はそれほど疲労感はない。明後日ぐらいに又ジムに行って、どれほど出来るか確かめてみよう。心配よりも期待の方がまだ大きいのだけれども、昨日の効果が3日後にどれだけ残っているのか、興味津々だ。心配半分だが、これも又大いなる生き甲斐。こんなふうにして、1歩前進2歩後退と日々生まれなおす残り少ない生き甲斐を確かめ直していくのは、やはりその行為自身もとても愛しく、幸せなことだと感じる。
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新聞の片隅に載ったニュースから(120)     大西五郎

2013年10月21日 | Weblog
「首相、年内に参拝」「靖国」で側近が見解 (2013.10.21 毎日新聞)

 自民党の萩生田光一総裁特別補佐は20日、フジテレビの報道番組で、安倍晋三首相(党総裁)の靖国神社参拝について「(首相)就任1年の中でその姿勢を示されると思う」と述べ、就任1年となる12月末までに参拝に踏み切るとの見方を示した。
 荻生田氏は首相側近で、今年8月の終戦記念日には「総裁代理」として参拝し、首相が私費で出した玉串料を納めた。今回の発言は、首相が同日までの秋の例大祭で参拝を見送ったことへの保守層の不満を和らげる狙いもあるとみられる。
 荻生田氏は番組で「今のまま中国や韓国と会談すると『参拝しない』との前提を付けられた会談になる。それを首相は考えていない」と指摘。今回の参拝見送りは両国への配慮からではないとの見方を強調した。その後、記者団に「1年間の時間軸の中で参拝すると信じている」と述べ、任期中に毎年参拝することへの期待感を示した。

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 安倍首相は、首相就任後の今年春の例大祭、8月15日、秋の例大祭とも靖国神社参拝を見送り「真榊」の奉納や玉串料を納めるにとどめました。マスコミは中国や韓国に配慮したものだと報じました。ところがこの萩生田氏の発言はそうではなく、靖国参拝を諦めてはいないが、中国や韓国の抵抗の少ない時期・形での参拝を考えていることを示しています。
 一方、就任直後に「村山談話をそのまま引き継ぐのではなく、終戦70周年の2015年に新しい談話を出したい」「侵略の定義は国際的にも、学問的にも定まっていない」と述べ、日本の侵略を非難されることを拒む態度をとっていた安倍首相は、今月18日参議院での公明党山口代表の所信表明に対する代表質問には、従軍慰安婦問題については「筆舌に尽くしがたい、つらい思いをされた方々のことを思い、非常に胸が痛む。この思いは歴代首相と変わらない」と述べ、また、中国や韓国などから問題にされている歴史認識の問題についても「わが国はかつて多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して、多大の損害と苦痛を与えた。その認識は安倍内閣も同じで、これまでの歴代内閣の立場を引き継ぐ考えだ」と、これまでの態度とは一変して、過去のアジア諸国などへの侵略や人々への迫害を認めるような答弁をしました。
 ダブルスタンダードのような気もします。誠意がなければ言葉を信じてもらえません。「国のために命を捧げた英霊に哀悼の誠を捧げ、平和への誓いを改めて表わすため」ならば、毎年8月15日に第二次世界大戦の戦没者追悼式が行われていますし、千鳥が淵戦没者墓苑もあります。私が子供の頃は、「天皇陛下に召されたら喜んで戦地に行き、天皇陛下に命を捧げよ、戦死すれば靖国神社に神として祀られる。こんな名誉なことはない」と云われました。靖国神社は国民を戦争に駆り立てる道具であったのです。靖国神社参拝にこだわることで歴史認識が問題にされるのです。首相は参議院での発言を形に示すために、以前から提唱されている無宗教の全戦没者霊園の建設を進めるべきだと思います。
                                      大西 五郎
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10月21日の、かの人たちは、その後、どうなったか     只今

2013年10月21日 | Weblog
   かのお二人はその後どうなったか、このこと書こうとすると気重になり、ペン執れぬこと二日。
   気重の因は、「なぁんだ」という無惨な思いと同時に、自分がこの立場だったら、どうだったかと、
   大仰なことを思っての逡巡だったのですが、それはそれ、大略紹介します。

●東條首相に“生ら もとより生還を期せず”と答辞した江橋学徒兵
 戦後間もなく、『わだつみのこえ』など出陣学徒の遺書・手記が発表されるにつけ、
 「そういえば、学徒兵を代表して答辞した人は、その後どうなったか」という声が起った。
 同時に、「戦闘員でない部署についたと聞くが真相はどうか」という疑問の声。
 これを受けて「わだつみ会」始めジャーナリストが取材を申し込むも一切拒否。

 そして戦後65年を経た2010年、江橋氏は『朝日新聞』(10月21日付)の取材に応じた。
 それによると、〈航空整備兵として陸軍に入隊。内地にとどまり、敗戦を迎えた。
 戦後は文部省、東大教授などを経て鹿屋体育大学初代学長を務めた〉。
 そして、戦闘員ではなかったことについては、
 〈言いたければ勝手に言えと思ってきた。
 自分を正当化する必要はない。僕は僕なりの人生を生きてきた〉
 この記事のタイトルは、「学徒出陣の代表 戦没者思うと言葉出ず。沈黙の理由語る」。
 
  
 それから3年を経た今年の『文藝春秋』二月号に、江橋氏の次のような発言が載った。
 =答辞の文章は、私が書いたものではありません。
  書けとは言われましたが、文才もないし、味もそっけもないものしか書けなかったので、
  学生主事が添削して素晴らしい文章に仕上げてくださった=
   江橋氏は、現在もご健在。

  
●特攻隊員に“われも後につづく”と訓示した菅原司令官
 生き残った特攻隊員を収容した振武寮で、「国賊、卑怯者」と殴打したことを日記に記し、
 宇垣海軍司令官特攻機で沖縄に散る、との報に接した日の日記にはこうあった。
 「単に死を急ぐは、決して男子の取るべき態度にあらず。任務完遂こそ、平戦時を問わず吾人金科玉条なれ」
 晩年は、養鶏業に従事。「特攻平和観音像」を建立し、遺族には土下座して謝罪。
 一方、「特攻は自発的。唯一の救国方法だった」(1969年『回想』)
 96歳で逝去。


●特攻隊員に「続いた人」
 =特攻隊員たちを送り出した飛行隊の隊長の中には、戦後直ぐに隊員の遺族の家を一軒一軒訪ね歩き謝罪して回った佐官がいる。
 彼は「あとにつづく」と檄を飛ばす司令官の立場ではなかったが、指揮官としての責任を痛感していた。  この佐官は関東近辺の遺族の家を訪ねて謝罪を行なったその帰り、国鉄の列車に飛び込んだ。
  =保坂正康(『ちくま』10月号)


●ピストルを手離さなかった倉澤清忠小佐
 “多くの隊員を出撃させたので、恨みに思われるのは仕方ないし、遺族からも反感をかっているのでいつ報復されるかわからないと、夜も安心して寝ることができなかった。
 80歳までは自己防衛のために、ピストルに実弾を込め、家では軍刀を手離さなかった”
(NHK特集「陸軍振武寮」)
  
 
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国歌、国旗の「国」って何だ?  文科系

2013年10月21日 | 国内政治・時事問題
 君が代、日の丸の「国」についてコメントをたくさん書いたので、これらを補足修正を加えて一つにまとめてエントリーにしたい。ご笑覧をよろしくお願いします。

 国歌、国旗という場合、それへの態度を問う場合、当然の前提があるはずだ。国とはなんぞやということだ。国民、国土、国家、歴史・・・・それをはっきりさせないで国歌、国旗などを語るとロクなことがない。この歌とか旗の前に付いた「国」って何なのか? これについての以下の理解から、僕は「国歌、国旗大嫌い」と大手を振って叫ぶものである。

 国民、国土、国家、歴史などで、問題になるのは国民と国家だろう。そしてこの両者の関係は憲法にもある通りで、「憲法は国民が国家を縛る物」、「国民が国家に守れよと確約を取ったお約束が、憲法」。
 つまり、僕らが国の主人公なのだ。その主人公の一人が、今の国家嫌い、国旗嫌い、国歌も嫌いと言えて当然という理屈である。これを妨げることが出来る個人、集団などはどこにも存在しないのである。ここのところをはっきりさせないと、どうしてもこの論議はおかしくなってくる。
 ちょうど今 安倍が「憲法を、国家の義務だけでなく、国民の義務にもしよう」と策動しているように。何度も言うけど、今の憲法は国家の義務なのであって、国民のお約束などという漠然としたものではない。 

 そう言えば社会という言葉も例えば、ボランティアに結びつけてこんなふうに使われることがある。「自ら進んで社会事業などを無償で行うこと」。社会にはまー人々という意味があるのだろう。人々のために、社会のために、そこから「国家のために」。人々の善意がこうして、国家にすぐ結びつけられてきた歴史がどの国にもあったのではなかったか。誰かが強引にそうしていく時代が常にあったのではなかったか。こういう論理からこそ、「国家を守ること=最高の善」みたいになっていくことがあったのだろう。そこから、「誰か良い指導者が出れば、国家って最善の物になるのだ」なんてね。国家って、不思議。

 軍人は国家に忠誠を尽くすべき存在らしい。アメリカ戦争映画などでは、いつも国旗が出てくると、厳かに最敬礼! 誰に対する最敬礼なのだろう? そんな最敬礼をしている若者たちが、嘘の理由で創られたイラク戦争に駆り出された。多くの若者が死んだ。最敬礼をしていた若者たちが最敬礼の相手「国家」に殺されたのである。それも嘘の理由で。つまり死ぬ理由もなかった訳なのだ。まー厳かな国家って、アメリカ国家も含めて今はそんなものだ。殺した連中の中に多分ボストン・ティーパーティー派がいる。そして彼等は今こう叫んでいる。
「税を払わない奴らは国家の主人なんかじゃない。オバマはそんな奴らのためにしか政治をしていないのだ」
 税を払わない人々がまっ先に殺されたのだろう。税を払う側が創った嘘の理由で。

 オリンピックなんかでも、「国家、国家、国歌、国歌、日の丸」が無数に出てくる。今のそんなもの、僕はケツを向けたいね。昔、アメリカ黒人が表彰台で星条旗に拳を突きつけたことがあったけど、あれは正しいと思ったものだ。上の全てのような理由によって。今の日本に対しても多分正しいことだろう。上の全てのような理由によって。すると、東京オリンピックも要注意だね、ヒトッラーのベルリンオリンピックと同じで。ベルリンオリンピックは結局、ドイツを滅ぼしたとも言える。少なくとも、怪しげな「国」に人々を大動員、かすめ取る役割を果たしたのだから。
 20日の新聞にも、こんな記事があった。
『勝手に違う教科書にしなくてもいいよう、地方教育行政法の改正を行うことは国の責務だ』
 文科相の言葉だそうだ。沖縄の自治体いくつかが地区内統一教科書とは違う教科書を使っているということを許さないようにしようという言葉なのである。国家が正式に教科書として採択したものを市町村教育委員会が選定したのに、それがいけないという。どういう理屈なのかさっぱり分からない。こんなことを「国の責務」という理屈に至っては尚更分からない。この場合の「国」って何、誰のことか?! 自分ら、その考えだけが、正しいと、他を押さえようという発想の悪臭芬々である。こういうことをし始めると、その国は危うい。安倍がでてきてから、こんなことばかりだ。

 国は、国民が主人公ということを忘れてはならないと思う。すると、国民の普通の要求を国が抑えるには、よほどの理由がなければならないということになるはずだ。そういう理由でもないのに、国が上のように国民を押さえ始めるときとは、「怪しげな国」が出来上がる時なのである。
 だからこそ今は、国ってなんぞやといつも考えていなければならないと僕は思う。あれだけ国民の財産を毀損したのに、そういう「原発政策を続ける」と語っているのも国。「国」が主人公をないがしろにしているわけだ。無数の主人公らに与えた一生ものの損害を何とも思っていないような国が、自分らのやりたいことだけはこじつけ理由を捻りだしてでも国の名でやる! 一生ものどころか、先祖から受け継いだものまでを毀損し尽くしたことに何の責任も取らなかった、その国が!
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            10月21日をめぐる人間模様    只今

2013年10月18日 | Weblog
         10月21日は、遠くは1600年の「関ヶ原」、近くは1968年の「国際反戦デー」。
            そして戦時中には、どんな10月21日があったか。

●1943(昭18)年10月21日→【出陣学徒壮行会】於・神宮外苑競技場
 ☆“征け、戦場へ”
   と訓示した東條首相には次のような答辞がなされた。
  “生等 もとより生還を期せず”
   こう答辞した東大文学部の江橋愼四郎氏のその後については、(その2)で報告。
 
★“行進した学徒兵のう3百余人は、帰還の許されない特攻隊員として敵艦に突入し、4千人を超える若者が海に散りました。(NHKスペ『陸軍特攻隊の悲劇』ナレーション)

●1944(昭19)年10月21日→【神風特別攻撃隊】初出撃
 ☆“諸士は特攻隊として、明朝出撃する。諸士は死んでも特攻隊は後から後から続く。
   またわれわれも続く。諸士だけにやらせて、われわれだけが黙ってみているというのではない”
   こう訓示した菅原道太(第六航空軍司令官)は、戦後どうしたか、(その2)で触れる。
 
★“申し訳ない”と自決した藤井小佐。
 陸軍飛行学校教官の藤井小佐は、「事あらば、敵艦に自爆せよ」と、特攻作戦が開始される前に訓示することを常としていたが、特攻作戦がほんとうに始まり、教え子は次々と死んでいった。
 それをみて、“自分だけが生きていることは許されない”と、特攻隊を志願するも認められず。
 藤井小佐の妻の福子さんは、悶々とするそんな小佐をみるに忍びず、3歳と1歳の子と共に入水自殺。
 それから半年後、パイロットでない藤井小佐は通信員として特攻機に乗り沖縄沖に散った。

★“生きておればこそ”と言ってのけた岡島中隊長。
 自らの飛行隊からは1人の特攻隊員も送り出さなかったのは、岡島清熊小佐。
 国賊と暗に罵られながらも、飛行隊長であり続けることが出来たのは、「撃墜王」として名を馳せた岩本少尉を始め勇猛果敢な部下がいたからで、この岩本少尉は特攻作戦をこう批判した。
 “生きる道あってこそ、兵の士気は上がる。表向き元気にみえても、陰では泣いているのだ”

 ◆同様趣旨のことを語っているように見えるが、目線の全く違うこんな発言がある。
  “特攻隊員が喜んで突進したというのは、全部ウソ。トサツ場に連れてこられた家畜に過ぎない”
      これはニューヨーク・タイムスのインタビュー(2002年)に答えた渡辺恒夫読売新聞会長。
 
 
 
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ザックジャパン(120) 代表の守備陣  文科系

2013年10月18日 | スポーツ
 カジュさんのコメントまとめで、普通にサッカーが見える人は一致しているはず。そこから先をちょっと書いてみます。1970さんと僕の違いを中心に。

①先ず、ボランチ。
 僕は1970さんほどには世界ベスト10と差があるとは思っていない。細貝がドイツではパサー・ボランチとしてもアシストもいくつか上げ、チーム1ボールが多く集まるからファールを受ける回数もチーム1であるのをその証拠としてあげたい。彼のベルリンは現在6位、ELリーグ圏内だ。と言っても、8ゲームで3位までが別格、4位から15位までが勝ち点13から8までの混戦なのだが、ドイツに世界から多く集まった屈強なFWとボランチとして渡り合えていることは確かだ。
 長谷部についても結論はまだ早い。ニュルンベルグは、上記15位までの混戦のちょっと外だが、それでも15位8点の16位5点。得点力が問題のチームだが、右側後からチャンドラー、長谷部、清武からの攻めが必ず得点力を上げると信じている。右ボランチレギュラーであり続けている長谷部の声で、失点も少なくなるとも。

②ボランチよりもCBが確かに問題。と言っても、失点は後だけの責任ではないというのが僕の見解。特に、敵のカウンターとセットプレーとによる失点は、全体責任と僕は考える。ザックの言葉、考え方なのだが「後ろに正確なフィードを要求するチームなのだから、前にも守備を要求する」ということだ。そして、ここ数ゲームは新たな得点の形を求めているところなので、前の守備もやや曖昧になっているのだろうと、観ている。
 その上でのことだが、脚も速くて潰しも出来る森重の成長を期待したい。いずれ今野、森重の俊足ラインになると信じている。高いDFラインは脚が速いことが必須条件になる。
 でも、日本にはCBの人材が乏しいね。潰せる人が少ないから。ただ、そう言っていても仕方ないわけだからこそまー、前が細心の注意を払って守備にも走らねばならぬ訳だ。高位コンパクト守備とはそういうものなのだから。
 ただ、オフサイドトラップは、もっともっと練習の余地があると思う。高位コンパクト布陣はこの「チーム技術」がなければ話にならない。トルシエがこの技術にどれだけ拘ったかを思い出したいものだ。

③CBは確かに弱点だが他方、SBは足の速さや攻撃力も含めて世界的面子である。彼等が敵ボールに素早く寄せることによって、身方ボール奪取がどれだけ成功していることか! 守備とは敵ボールを奪うことであるが、個人奪取技術中心で観る必要は全くない。「チームで奪えればよい」のである。柏の角田、富田のボール奪取は、チーム戦術として彼等が「流れてきたボール、敵とイーブンにしたボールを獲る」のである。そこはよーく見ないといけない。
 特に内田は自らはボールを奪わないが、身方に奪わせることと良いシュートを打たせないことにかけては天下一品である。だからこそ、世界2位のドイツ3~4強のチームで、チャンピオンズリーグには何があっても先発できる選手なのだ。身体に故障があってもチャンピオンズリーグには出てくれと内田は言われてきて、とっくにシュンスケの出場記録を抜いてしまった。それがどうしてなのかは、ボールを奪い取る個人技術だけではとうてい見えないはずだ。内田は、総合的にそろそろラームの位置に近づいているのではないかとさえ思う。もちろんタイプは違うのだが。
 チャンピオンズリーグ出場回数、チームの格、絶対的レギュラーなどという視点から言えば、現代表では内田がナンバーワンだと思う。次のゲームでは、彼がどれだけ自信に満ちたプレーをしているかをよーく見て欲しいと、切に願うものだ。バイエルンと当たる時に、相手左ウイング・リベリーを完全に押さえきっているゲームを観た。リベリーについてこんな選手観、予測を語りながらのことだ。
「リベリーの体はまるで鉄板。こちら有利の体勢で思い切りぶつかっていってもびくともしないほど。それでいて速いのなんの! 予測判断がちょっと遅れると完全に置いて行かれる」
 このリベリーとは、ヨーロッパ最高選手杯を今年メッシを差し置いて受けた人物。内田はこのリベリーにも一目置かれている選手なのだ。彼が内田を抜き去れないからである。このことがなぜか、日本ではあまり知られていない。残念である。
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