九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

あいち9条の会 4周年のつどいのご案内       まもる

2009年02月28日 | Weblog
★あいち九条の会は結成4周年を迎えるそうです。これを記念して、
「あいち9条の会 4周年のつどい」があります。そのご案内をします。
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 あいち9条の会 4周年のつどいのご案内

 今年、あいち九条の会は結成4周年を迎えました。
 この間、全国では7200を超える九条の会が、県内でも300近い会が生まれています。

 それぞれの会は独自に個性的な活動を行っており、それに触発されて、あいち九条の会も昨年初めて「11・3県民のつどい」をパレードとして企画し、「憲法9条の改悪を許さない」との声を街頭の皆さんに届けました。
 
 そして、今年の活動はどうするのか、これを皆さんとともに考え今年の活動を作り上げたいと思います。
 
 末尾記載の要領であいち九条の会4周年のつどいを開催します。
 皆さんのご来場を心よりお待ちしています。

    日  時   3月1日(日) 午後1時30分~

    場  所   名古屋市博物館講堂(地下1階)
            地下鉄桜通線「桜山」駅下車 4番出口をでて5分

    講  演   「憲法をめぐる情勢と九条の会」
            岐阜大学教授  近藤 真さん

    提  起   「これまでの活動とこれからの活動」

            ※入場は無料です。  

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沖縄波照間、「軍命」でマラリア悲劇      まもる

2009年02月28日 | Weblog
★数日間探鳥の旅に沖縄の西表島に行ってきました。
 西表は真夏日つづきで植物も動物も生命力にあふれ平和そのものでした。我々全員、この歳で南の島の探鳥旅行など出来るのは平和あればこそと感慨を深くしていたのでした。本島と違って特に戦闘のなかったはずの西表・波照間島です。ところがここにも深い戦争の傷跡がたくさんありました。その一つを西表の海岸にある「忘勿石(わすれないし)」の碑を見て知りました。(写真)

 碑の示す事件とは次のようなものです。沖縄タイムスの特集から転載します。
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、「軍命」でマラリア悲劇」 

 波照間島の悲劇は、山下寅雄という男の一声から始まった。
 「島に米軍が上陸する。一人残らず、西表島の南風見に疎開せよ」。軍服の腰に日本刀を下げていた。
 男はそれまで軍人の身分を隠し、偽名を使い、青年学校の指導員として島に紛れ込んでいた。子どもたちに風車を配り、遊んでくれた評判の良い「指導員」の豹変に人々は驚いた。
 西表島はマラリア有病地。住民らは「行けば死ぬ」と疎開に反対したが、山下は刀を抜き、「軍の命令だ」と威圧した。

 当時八歳、波照間国民学校二年だった玉城功一さん(70)は、山下から殴られる住民の姿を見た。ただ「子どもは大人の言う通りに疎開しただけで、その意味を深く考えなかった」と振り返る。

 島に住む約1600人は1945年4月に疎開を始め、7月下旬までの四カ月間を過ごした。西表島で亡くなった人と、波照間島に戻った後に亡くなった人を合わせると、マラリアの犠牲者は460人を超えた。

 玉城さんは高校教諭だった74年に沖縄県史の編集を引き受けた。幼いころ、自分のいた波照間島で何が起きていたのか。約50人に証言を聞いて回った。

 島の先輩たちはマラリアの恐ろしさを知っていた。さらに「米軍の上陸」という理由は作り話で、本当は島の牛や馬を薫製にして、日本軍の食糧にしようとしているのでは、とうすうす感づいていたという。

 軍の食糧を調達するために、自分たちを死に追いやろうとしている—。そう考えていたのに、たった一人の軍人に1600人が従ったのはなぜか。

 玉城さんは「軍や天皇の命令ならどうしようもない。そんな雰囲気があった」と感じている。

 島を回るうちに、どうしても話を聞きたいと思い、何度も足を運び、手紙を出し説得した女性がいる。

 布団を吹き飛ばすほど身震いする人、高熱に浮かされる人、意識もうろうと歩き回る人…。毒素を抜いたソテツだけでは、マラリアに打ち勝つことはできず、死者が次々と砂浜に埋葬されていく惨状。女性は家族十六人を失い、一人残った。

 女性はポツリポツリと口を開いた。「つらい経験を話してくれたのは、『伝えなければ』という使命感があったからだ」と信じている。

 高校の歴史教科書から沖縄戦の「集団自決」について、日本軍関与の記述が消えた。女性と同じように苦しみを語り続けている体験者の証言が冒涜されたような気がして、許すことができない。(八重山支局・福元大輔)

★民宿の老主人もこの話をよく知っていて毎年供養の催しを続けていると語ってくれた。

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サブプライム爆発とは何であったか  文科系

2009年02月27日 | 国際経済問題
現在の住宅バブル、サブプライム債権組み込み証券の爆発は、単に偶発的問題ではなくって、構造的・必然的なものだったと考える。問題の焦点が、大家たちの経済理論史の争点とぴったり合致するからである。以下は、いろいろ勉強しながらこのブログに書いてきたもののいわば自分用の総まとめメモみたいなものなのだが、ご笑覧を。

カール・マルクスは資本主義の最大欠陥をこう指摘している。
資本主義はその仕組み上、一方に富が集中して、他方にその裏返しで相対的な貧乏人が増えるので、やがては何を作っても売れなくなっていく。富が集中した人々がどこへお金を投資しても儲からなくなっていく。どんな新商品の開発に努めても、貿易で売り回っても、どれだけ宣伝をしても。一方で富の集積の割に、他方で世界の一般消費者が相対的に貧乏になっていくから、有効需要はなくなるということなのだ。そこから景気の悪化と信用不安など急な悪循環に陥る時があって、恐慌は起こるべくして起こるものだと、マルクスは述べた。そういう恐慌が、倒産、失業、戦争というものを引き起こすことなども含めて、資本主義社会の社会の諸悪の最大根元であるとも見たのであった。

マルクスが述べたこの問題の解決策は、上記の富の不均等発展、だぶつきを防ぐべく、資本というものをなんらか国家が管理していくというものだったと思う。しかし、これを目指した現実の社会主義諸国家は、その官僚制、非民主性ゆえに崩壊した。1990年ごろの事である。インターネットを検閲する中国などを見ても、この疑念は全く去らない。中国と同様の民主集中制を取る日本共産党も含めて、好ましい社会主義像が存在しないのは確かだと思う。

他方、資本主義の中で有効需要を作り出そうとする問題意識をもった流れもあった。ケインズがそれであって、彼の理論は、イギリス国家を通じて、あるいは国際組織の中で、戦前戦後とも世界を動かした。国家による適度のインフレ政策や公共投資で有効需要を作り出し、完全雇用を計ろうとしたのであった。この流れは20世紀の4分の3ぐらいまで世界に影響を与えてきたと思う。

ところが、いわゆるサッチャリズム、レーガノミックスが、このケインズ理論を「大きな国家」として退け、「小さな国家と新自由主義経済」を唱え始めた。1980年頃からのことである。
ちょうどそんな時、1990年前後に「社会主義体制」が崩壊した。ここから資本主義社会は「小さな国家と新自由主義経済」に邁進していくことになった。
さて、今回の恐慌は、この「小さな国家と新自由主義経済」への邁進の帰結だったのではないか。以下にその次第を述べてみたい。

マルクスとケインズを退けた「小さな国家と新自由主義経済」派は、心おきなく新自由主義経済をいわば世界に野放しにした。金融資本がますます、世界の金をかき集めていくことになった。「株主資本主義」、「時価会計主義」などにより徹底的に合理化が進められて、中産階級も没落し、一般消費者はますます相対的に貧乏になっていった。この流れは、アメリカがこれを世界に押しつけたことによって、世界的に広げられていった。これは、有効需要をますます世界的に消し去っていく仕組みともなった。そこで生み出された新需要、新商品こそが、途方もない軍事国家アメリカであり、サブプライム住宅であり、様々な金融商品だったのではなかったか。
これらは、砂上の楼閣の『有効需要』、幻想的な有効需要と言って良いと思う。やがて、低所得者に無理に買わせた住宅は、その値上がりが止まったとたんに差し押さえにあい、それにともなって金融商品は暴落し、新自由主義経済の花形・投資会社は国家の助けがなければつぶれるしかないという運命に陥った。こういう新自由主義グローバリズムの全てが幻想であったと示されたわけである。今や世界には有り余る資本に相当する有効需要などどこにも存在しない。中国にも、インドにも。

「小さな国家」だったはずのものが今や、金融会社どころか一般会社にまで金を出して助けるために、通貨の大増発に努めることとなった。めちゃくちゃ大きな大きな国家に大転換しているということだろう。これはいったい、なんという皮肉であろうか。こうして、近頃ではこんな手前勝手な議論さえ聞こえるようになった。こんなのが経済理論とは、本当にちゃんちゃらおかしい。
「平時は国家は民間資本に干渉するな。従来の国家業務もなるべく民間に譲れ。民間が困ったときだけは、出てきて助けるべきだ。金融会社にだけではなく、一般企業にも金を出すべきである。でないと世界がむちゃくちゃになるぞ」
これでは、大泥棒のいわば開きなおりではないか。この議論の後者についてアメリカ共和党が「社会主義ではないか」と論難し、全体としては「モラルハザードである」と批判するのも至極もっともな話である。

その間中、失業者や社会的弱者はますます国家から顧みられなくなっていった。小さな国家も今現在の「超大きな国家」も、富者のために存在してきたというのは確かなようである。サブプライムやその証券化の張本人たちが、個人としては破綻から上手く逃げ延びているというのもまた、確かだろう。
一部の経済学者たちも含めて、国家に巣くうなんという大泥棒たちであることか。住宅バブル、サブプライムバブルの破裂は、彼ら以外の全ての経済学者たちが予言していたことなのだから。資本主義の理論って、今やこんな情けないものになってしまった? 詐欺師は言葉を操るから、彼らを詐欺師と名付けても良いかも知れない。ブッシュや小泉を支えた経済学者は、もう当然掃いて捨てさるべきだろう。
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平和百人一首 (十六)       まもる

2009年02月26日 | Weblog
わが明日の命なりけりみどり児に
     頬おしあてて憂きは思はず      東京  今井田清子

たらちねの母のひとみを見るたびに
     いばらの道に光さしそふ       東京  橋本 薫


☆昭和25年(1950)
■NHKのラジオ歌謡が2つの名作を生んだ。『白い花の咲く頃』(作詞/寺尾智沙・作曲/田村しげる)は、コロムビア専属だったが、なかなか目が出なかった岡本敦郎を一気に売り出すきっかけとなった。また、『あざみの唄』(作詞/横井弘・作曲/矢州秀章)は、『高原の旅愁』や『山のけむり』などを歌っていた伊藤久男を抒情派歌手として完成させた。それから二十年後、フォーク歌手あがた森魚が何となく大正ロマンを反映させた『赤色エレジー』を歌ったが、その歌いだしの部分が『あざみの歌』に酷似していると、音楽関係者の間で話題になった。
 なお、この25年当時は、映画主題化がレコード化されて、すぐにヒットする時代で、『東京キッド』(美空ひばり)『山のかなたに』(藤山一郎)『母紅梅の唄』(菊池章子)など日本映画の中に『ボタンとリボン』(アメリカ映画『腰抜け2丁拳銃』池真理子)『赤い靴のタンゴ』(イギリス映画『赤い靴』にあやかって奈良光枝)など、外国映画にちなむ歌も多かった・

★戦後歌謡史より http://www5a.biglobe.ne.jp/~ko-w/sub35.htm.htm
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田中宇さんの、この話って、どう思います?   落石

2009年02月26日 | Weblog
田中さんのブログにこんなことが書かれています。

  

日本政府が拉致問題を重視する真の目的は、
拉致された自国民を奪還することではなく、
北朝鮮が日本にとって脅威であり続ける状況を長引かせ、
戦後の基本方針である対米従属維持するための
「永久未解決」を作り出すことである。
バンドウ(アメリカの右派シンクタンク)はおそらく、
この日本側の真意を見抜いた上で「拉致問題を解決したいなら、
むしろ対米従属なんかさっさとやめて、
米国に頼らないで独自に北や中国と渡り合い、
アジアでの外交的信頼を獲得するのがベストだよ」と言っている。

 バンドウは、自国に依存し続けようとするアジア諸国の姿勢を嫌っており、
韓国に対しては「北朝鮮をめぐる問題は(米国が深入りせず)
韓国に任せてしまうのがよい。
もう冷戦は終わったのだから、米軍は韓半島やその周辺(日本?)
から早く撤退すべきだ。
韓国は、北朝鮮の40倍の経済力と2倍の人口を持っているのだから、
米国に頼らず北との問題を解決できるはずだ。
(韓国の左派が言う)宥和策が良いか(右派が言う)強硬策が良いかは
(米国が指図せず)韓国民が決めればよい。
米国は、日韓の協調をうながし、日韓協調で北朝鮮問題を解決させ、
台頭する中国の監視も日韓にやらせればよい」と書いている。

米国の良いところは「人に頼らず、自分で頑張ってみる」という
独立精神が旺盛なことだ。
リバタリアン(自律論者、小さな政府主義者)は、
この米国の理想を特に重視する。
日韓では、親米派ほど対米従属に固執するが、バンドウの主張を読むと、
実は対米従属は独立精神に欠け、米国から何も学んでいないことがわかる。

 日本の右翼(右派、民族主義者)の多くが、表向きは「民族主義」を掲げつつ、
実は正反対の、日本人を腐らせている対米従属体制を維持するための
言論を繰り返している。
日韓の対立を扇動するのも、日韓相互の対米従属策の一部である。
右派は対米従属を棄て、日本人の民族的な自立心(精神的強さ)の回復を
うながすバンドウを支持し、朝鮮人を敵視せずに日韓協調を目指すべきである。

 最近の米国が発する覇権衰退のにおいをかぎつけ、
北朝鮮の金正日政権は、脅されたくなければ金を出せと言わんばかりに、
日米韓の側に対し、強硬姿勢やミサイル試射準備を見せている。
米国は、北の強硬姿勢を放置しているので、対米従属の日韓も、
右へならえで北の強硬姿勢を無視している。
自立重視(主体思想)でやってきた北は、そんな日韓を馬鹿にしている。

 北から馬鹿にされたくないのなら、日韓は、たとえば米国抜きの
日韓合同軍事演習を北朝鮮沖の日本海で行うなどして示しをつけ、
その上で北との外交を再開するのがよいが、
こうした主張は「好戦的で違憲」と却下される。
護憲思想も、対米従属の正当化に利用されている。


   

民主党の小沢さんあたりは、こうした東アジアの変化に
対応しようとしている節が感じられますが・・・

これを読んで、護憲9条派は、どういった論を展開できるのか?
事態がこのように変化するのなら、
もう自衛隊は憲法を変えて対応しなくてはならないでしょう。
そうでない道はあるのか?あれば、どんな道か?
論客の意見をお聞きしたいな。

基本は敗戦の原点に返っていくのでしょうが。






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平和百人一首 (十五)       まもる

2009年02月25日 | Weblog
われもまた花咲く野辺に手を取りて
     子らと遊ばむ春のひとひを     京都  今西米四郎


さきはひはここにこそあれ一つ灯に
     親子五人夕餉たのしむ        東京  佐藤暢一


☆昭和23年(1948)
■笠置シズ子の「東京ブギ」が熱狂的な支持を受けた。22年10月、日劇で歌って以来、ポスターさえ貼らないのに、レコード、ラジオで全国に広がり、「ヘイヘイブギ」「jジャングルブギ」「ホームランブギ」「買い物ブギ」(いづれも作曲は服部良一)がことごとくヒットして、笠置はブギの女王とまで呼ばれるようになった。服部は戦争中から、アメリカで流行しているブギのリズムに着目し、ジャズが演奏しにくい世相の中で、一人で書きためていた。
大阪松竹歌劇団出身の笠置がカムバックするに当たって、「輸入したリズムをこちらで作り直して、逆輸入させてやる根胆で、『東京ブギ』を書いたと」と服部はいっている。

昭和24年(1949)
■岡晴夫の全盛時代がくる。”五千人劇場”と呼ばれる浅草国際が入れ替えをやっても一回ごとに超満員。当時、司会をつとめていた西村小楽天の紹介のセリフ「岡の小鳩か、小鳩の岡か、一世を風靡した小鳩シリーズ。感激は常に新しい想い出の名曲『啼くな小鳩よ』「花の都に咲く花は、現夢見る恋の花。柳芽を吹く銀座の街に、小首かしげて、召しませ花を、ああ『東京の花売り娘』」
だが、岡の人気は20年代の終わりから下降線を辿り、ヒロポン中毒で極度の人嫌いとなった彼は、楽屋の一隅に新聞紙で囲いを作って、その中でじっと坐っていたと、西村小楽天が書いている。
 美空ひばりが『河童ブギ』(作詩/藤浦洸・作曲/浅井与嘩)を吹き込んだ。笠置シヅ子、菊池章子らの持ち歌を歌っていた、この少女にとっては、初めての自分の歌である。
コロムビア文芸部長伊藤正憲が手を回して映画「踊る龍宮城」に出演させたが、この時、音楽監督をやっていた万城目正(作曲家)が『悲しき口笛」を書いた。レコードと同じく映画も封切られ、ひばりは戦争にいってまだ帰ってこない兄を忍びながら、シルクハッとにタキシードで、兄の作った『悲しき口笛』を歌うという設定だった。レコード売上は50万枚に達し、当時最大のヒットとなった。

昭和歌謡史より
http://www5a.biglobe.ne.jp/~ko-w/sub35.htm.htm
     
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愛知県の驚きにおどろく   落石

2009年02月25日 | Weblog
姉歯事件。
半田のホテルが設計図の段階で、
偽装が見破れなかった愛知県の責任を追求した裁判。

県が敗訴。
担当の職員は想定外とボウゼンとなったと
中日新聞は伝えています。

常識的には県に責任があると思いますが、
法律はそうなっていないのでしょうか?
不思議です。

なにか事件があると、通達を出すのが
お役所の仕事というのが、私の認識。
事件が自分の身に降りかかってくるとは
思わないものでしょうね。
でも不可思議な感じは否めません。

お役所って、過ちを正すところで
自分では過ちを犯さないところなの?








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大会社の内部留保を雇用に。   落石

2009年02月25日 | Weblog

経済学者のなかには、日本企業の内部留保は現金で
39兆円もあり、一兆円で20万人の雇用が作り出せるといいます。

しかし、会社はそうした雇用創出を始めようとしません。
株式会社は自分の目的=利潤の追求、にお金を使いますが、
それ以外には投資はしません。
たとえば、トヨタが1兆円を使って、車を作らないで、
公共事業のような仕事を始めて雇用を産みだすでしょうか?

そんなことは株主の賛成は得られません。

では、どうしたら良いのか?
会社の懐から、お金を強制的に出させるしかありません。
それが出来るのは国家。
税金として徴収し、公共事業・社会保障などに支出するしかないのでしょう。

そういう点が、次回の総選挙でしっかりと争点になるように。
各党の政策を見定める必要がありますね。


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あなたの作品を待っています        昭和区九条の会

2009年02月24日 | Weblog
第3回昭和区平和美術展を4月7日~12日まで名古屋市博物館で行います。
おかげ様で今年も名古屋市の後援を得る事が出来ました。
 昨年は約80点、900名ほどの方に鑑賞いただきました。今年は千名を超える方に鑑賞していただきたいと考えています。
 いま、作品を募集しています。昭和区以外の方でも、九条の会の会員でなくても応募できます。みなさんのお知り合いで写真、絵画、書道、工芸などをやっておられる方がいましたら、応募をお勧めいただけませんか。
 テーマは自由です。これまでも日常生活のひとコマを切り取った作品、平和を意識した作品、風景や旅行の作品などを展示してきました。
 美術を心置きなく鑑賞し、創作できる・・・これが「平和」とも言えると思います。
「無言館」に展示された作品の作者たちのように描きたくても描けない、思いを残して戦場に行く・・・そんな日本にしないためにも「平和美術展」に応募下さい。

「連絡先」昭和区九条の会 事務局 052-731-2749(舟橋)
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米国債、米市場と日本  文科系

2009年02月24日 | 国際政治・時事問題(国連・紛争など)
本日の田中宇氏配信ニュースから、表題のような部分を抜粋紹介したい。米国債問題はここに2~3回書いてきたことの最新段階の紹介だし、市場としての米国の価値は保護主義の台頭もあいまって、低くなりつつあるとの新情勢が述べられている。後者については、以下にこんな部分が入っているが、確かにアメリカの落日は予想外に速そうだ。

「今年1月の自動車販売台数は、史上はじめて中国が、米国を抜いて世界一となった。中国は前年同月比14%の販売減の74万台だが、米国は37%減の66万台だった。今後しだいにアジアの製造業は、市場を米国に頼る必要がなくなっていきそうだ。」


【 ▼日中は売れ残り米国債を買うか、ドルを棄てるか

 激しいバンドウ(保守系シンクタンク上席研究員、もとレーガン大統領特別顧問 文科系)節とは裏腹に、実際にはクリントン国務長官のアジア歴訪は「あいさつまわり」「米国の主張を強く出さず、アジアから話を聞くことに専念した」と評されている。むしろ逆に、今回は米国がアジアにお願いして回らねばならない要件があった。

 それは「今後2年間に3兆-4兆ドルという巨額な米国債を発行するので、中国や日本がそれを買ってほしい」という話である。米国の国務長官が政権就任後、最初にアジアを回ったのは、アジアが冷戦体制を強めた1961年以来のことだが、そこには米国の財政的な事情があった。日本では麻生首相が急遽、ワシントンに招待されてオバマ大統領と会うことになったが、低落する麻生政権の人気を支えようとするこの米国からの思いやりの裏にも「呼んであげるから国債買って」という交換条件がありそうだ。

 マスコミが対米従属の日本では「米国債を買うべきかどうか」という話は議論になりにくいが、中国ではもっと露骨に米国債の危険さが論じられている。これまで米国外の投資家が買う米国債は毎年2500億ドル程度で、これは今後2年間に予想される米国債発行額の2割以下だ。米国では今後、消費を控えた国民が貯蓄率を上げるだろうが、そのすべてを米国債購入にあてたとしても、米国債はかなり売れ残る。

 最終的には、連銀がドルを刷って作った幽霊資金で売れ残りを引き取るだろうが、これはドルの潜在力を弱める。米国は、できれば売れ残り米国債を日本や中国に押しつけたい。米国債の売れ残りが目立った話になると、既発の米国債の価格が下がり、大量保有者である日本や中国が困る。だから売れ残りを買うしかないだろう、というのが米国から日中への脅し文句である。

 FT紙(フィナンシャルタイムズのこと 文科系)は2月20日、今後数日から数週間の間に、米国ではシティやバンカメといった大手銀行が国有化されねばならなくなるような、金融大崩壊的な事態が起きると予測する記事を出した(この記事を執筆中に現実になりつつある)。すでに、いくつもの主要銀行が債務超過に陥っているという。このような指摘を読むと、日本や中国が売れ残りの米国債を買おうが買うまいが、もう米金融やドルの崩壊は止められない感じがする。

 アジア開発銀行とASEAN+3(日中韓)は、2002年に構想されたが棚上げされていた「アジア共通通貨」につながるアジア共通の外貨備蓄を倍増することにした。ドルの代わりにアジア共通通貨を使う体制へと結びつく「チェンマイ・イニシアチブ」が、久しぶりに再推進される。私が5年前から書いてきた「通貨の多極化」が実現しうる。日中は、支え切れないドルを棄ててアジア共通通貨に向かうしかないと考え始めているかのようだ。


▼自由貿易体制を守れなくなる米国

 いつもの「隠れ」論で恐縮だが、米金融界では、隠れ多極主義的な、故意に事態を悪化させる演技が行われているふしもある。というのは、新任のガイトナー財務長官が先週、テレビに出て金融危機について説明したときに、やたらに不安げな雰囲気を醸し出し「たぶん金融は崩壊しますけど、全力は尽くします」という感じで、ガイトナーがテレビに出ている間に株価が400ポイントも下がったからだ。確かにガイトナーは神経質な青年の雰囲気だが、何年も連銀や米政権の中枢で活躍してきた。こんな初歩的な失態を犯すのは奇妙だ。

 アジア諸国はクリントンに「米国は保護主義に陥らないでほしい」「WTOの自由貿易体制を推進してほしい」とも要請した。しかしこれも、米国は守れそうもない。大不況で生活が悪化して反政府的になる米国民をなだめ、怒りの矛先を外国に向けるため、オバマ政権は「アジアなど外国の生産者がダンピングするから米国民が困窮している」というガス抜きをせざるを得なくなりそうだからだ。すでに、米国の景気対策をめぐる米政界の議論では、景気対策で資金を使う際、米国製品を買うことを義務づけるべきだという主張が出て、世界から「保護主義だ」と批判されている。

 アジアが米国に期待していることは、安全保障だけではない。アジアが作った製品を米国民が旺盛に消費してくれることが、多くのアジア諸国の親米思考を維持してきた。しかし、米国は今後しばらくは旺盛に消費できない。長期的に、経済力がどの程度まで復活するかもわからない。

 今年1月の自動車販売台数は、史上はじめて中国が、米国を抜いて世界一となった。中国は前年同月比14%の販売減の74万台だが、米国は37%減の66万台だった。今後しだいにアジアの製造業は、市場を米国に頼る必要がなくなっていきそうだ。

 金の切れ目は、縁の切れ目になりうる。米国の余力が失われると、バンドウ流の「アジアの安保はアジアがやれ」という主張が米国内で強まりそうなことと合わせ、米国とアジア関係は今後、目立たないが急速に変質する可能性がある。】
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名古屋市長選に河村さんが?   落石

2009年02月24日 | Weblog
民主党の名古屋市長選挙候補が本命の弁護士さんから
国会議員の河村さんへと、大きく流れが変わりそう。

共産党はすでに早々と推薦候補を決めている。

自民党は、ようやく最近、大学教授を応援。

混迷の原因は、民主・自民の相乗りが
ホンネだった点にありそう。

いずれにせよ党利党略、個人の権力欲が渦巻く市長選。

野次馬としては、民主が割れて、4人が立候補すると
面白い展開となったかも。

  

ここは名古屋市民の政治意識のレベルを
思い知らせるチャンス。
無党派の清新な候補者が加われば、また想定外にも。

そこがいかにも名古屋らしく出てこない。

さて・・・???




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田中宇さんの隠れ○○ 落石

2009年02月23日 | Weblog
田中宇さんは、よく隠れ○○という言い方をします。
これは一種の皮肉の表現かな?と最近、思うようになりました。
ラムズフェルドさんが、隠れ多極主義という言い方。
これを応用すればコイズミさんは、隠れ共産党となってします。

ある権力が、自分の利益を追求すればするほど、
自分の敵対者を作り出してしまう。というパラドックス。
それを隠れ○○と表現しているのかな?


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平和百人一首 (十四)       まもる

2009年02月23日 | 小説・随筆・詩歌など
いくさなき世となりにけりわがいのち
     安けくありて母に仕ふる       東京  鈴木政輝


東に美し国あり矛はすて
  海に漁り土にいそしむ           東京  伊賀良一


★戦後すぐの歌謡曲にはどんなものがあったでしょうか?

昭和20年 (1945)

■終戦から1ヶ月目の9月、松竹映画「そよ風」がクランクインした。上原謙や佐野周二に混じって、劇
場の照明係からスタートして抜擢されるヒロインを演じたのはSKD出身の女優、並木路子だった。
映画のハッピーエンドで、並木が歌うのが「リンゴの歌」彼女は父親を戦争で、母親を空襲で失った23歳。サトウハチロウがまとめていた歌い出しは”リンゴ畑の香りにむせて、泣けてくるよな喜びを”だったが、作曲の万城目正が「最初に強烈なパンチがほしい」と主張して”赤いリンゴにくちびる寄せて”が生れたという。「これで君は5年間はスターでいられる、その間に次の手段を」と万城目は自信のほどを示していた。映画とNHKが数回流しただけで、この歌は20年の暮れには流行していたが、レコード化されたのは翌年2月。早くレコードにしたくても、音盤用の材料が不足していて出来なかったのである。

昭和21年(1946)
■ビクターが新人歌手を公募して、約3000人のうちから男性3人、女性4人が選ばれた。このとき女性用の練習曲として東辰三が作詩・作曲したのが「港の見える丘」。3ヶ月のトレーニングを経て、テストに合格して、初吹き込みしたのが、武蔵野音楽学校出身の平野愛子だった。
レコードが発売されたのは翌22年、それから3年余りたって、どこのダンスホールに行っても、緩やかで甘美なこのブルースが流れていたという。
この年の初夏に封切られた大映映画「或る夜の接吻」(監督・千葉泰樹)は恋人同士が一つの傘の中で抱き合うシーンがあるだけだったが、接吻映画と宣伝された。主役として浅草の歌謡ショーからスカウトされてきた奈良光枝が近江俊郎とデュエットしたのが「悲しき竹笛」である。
作曲は古賀政男、軍歌を作曲したため、戦争協力者として処刑されるのを恐れてた古賀も、何の咎めもないと見ると、疎開先から上京。映画主題歌の「麗人の唄」【悲しき竹笛」「三百六十五夜」を経て「湯の町エレジー」が大ヒットとな

☆昭和歌謡史より転載させてもらいました。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~ko-w/sub35.htm.htm
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朝鮮日報より    落石

2009年02月22日 | Weblog
近代の日本の天皇について、朝鮮日報が興味深い記事を載せていました。
全文を転載します。  落石
 


「曩(さき)に満州に於(おい)て事変の勃発(ぼっぱつ)するや
自衛の必要上関東軍の将兵は果断神速寡克(よ)く
衆を制し速に之を芟討(さんとう)せり…朕深く其忠烈を嘉す」。
1932年1月、昭和天皇は満州事変を起こした関東軍をたたえる「勅語」を下した。
事変の主役だった関東軍の参謀たちと会い、祝賀したこともあった。
近代日本で絶対的権威を持っていた天皇が中国侵略の先頭に立ったわけだ。
しかし戦後、昭和天皇の戦争責任問題を回避するため、
あらゆる政治活動は内閣など政治担当者の「輔弼(ほひつ)」に従っただけだ
という主張がなされた。
天皇は「ロボット君主」にすぎなかった、という話だ。
昭和天皇の言葉は真実なのか。


 千葉大の安田浩教授は、日本に君臨した明治天皇・睦仁(むつひと)、
大正天皇・嘉仁(よしひと)、昭和天皇・裕仁(ひろひと)が、
明治維新から1945年の敗戦まで具体的にどのような役割を果たしたのかを
明らかにすることで、近代天皇制の解明に乗り出した。
内大臣・侍従長・侍従武官長ら天皇の側近や
政権首脳部の日記・書簡などの資料を根拠とした。


 安田教授は、天皇は基本的に内閣と宮中の側近、
軍部の輔弼を基として活動する受動的な君主だったが、
時には自らの意思により親政的な権力を行使する能動的君主であることもあり、
そうした場合には政治的に重要な影響を及ぼした、と主張する。
安田教授は、時期的に少しずつ異なる天皇の政治的役割に注目した。
明治時代には天皇の親政的権力の行使が当然だと見なされていたが、
大正時代には天皇の疾病のため、
親政的権力の行使がそもそも不可能だという観念が支配的だったという。

 昭和時代には、天皇の権力行使は抑制されるのが当然だと考えられたため、
うわべは親政君主・大元帥・神格的君主として宣伝されつつも、
権力の核心部では「天皇は国家機関にすぎない」という認識が
暗黙のうちに拡大していたという。
敗戦直前には、東条陸軍大臣が次のような話を
内々の訓示として出したといううわさが出回った。
「勤皇には2種類ある。前者は陛下が和平せよという勅命を下されれば
信じて従うもので、後者は国家の将来を考え、
たとい陛下が命を下されてもまず諫言(かんげん)を申し上げ、
なお諫言を申し上げてもお許しにならなければ、
強制的にでも所信を断行しなければならない。わたしはこれを選ぶだろう」

 それでも、昭和天皇の戦争責任を免除することはできなかった。
日本の近代天皇制では、君主は政治責任を負わない絶対的権威として出発した。
天皇は時折親政を実施しながらも「立憲君主」として
臣下の輔弼により活動していると考え、
臣下は輔弼により天皇を動かそうとしながらも
天皇の命により活動していると考える、こうした行動様式が一般化した。
こうした巨大な「無責任の体系」が日本を戦争に駆り立てた、
というのが著者の結論だ。

私は記事のなかの次の指摘が大切だと思います。

しかし戦後、昭和天皇の戦争責任問題を回避するため、
あらゆる政治活動は内閣など政治担当者の「輔弼(ほひつ)」
に従っただけだという主張がなされた。
天皇は「ロボット君主」にすぎなかった、という話だ。

文科系さんも指摘するように、天皇に全権力のある憲法。
戦後の憲法とはまったく違うものです。
これとの関係はどうなんでしょうね?




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平和百人一首 (十三)       まもる

2009年02月22日 | Weblog
幾千万の命安らぎおほらかに
    新憲法は史をかぎるなり     千葉  角田博子


たたかひに死なざりし命還り来て
     桜狩する春に逢ふかも     和歌山 橋爪 啓


■昭和22年ごろから、菊池章子の「星の流れに」が売れはじめた。吹き込んだのは1年前で、闇の女と呼ばれた街娼に転落した満州が帰りの女性が新聞に投書しているのを見た清水みのるが、憤りをこめて書き上げた詩に利根一郎が曲をつけた。歌い手には社会性が出せると、菊池が選ばれたというが、最初は淡谷のり子に持ち込まれ、パンパン歌謡はいやだと、淡谷がけったとの説もある。
「最初は自分でも歌うのが恥ずかしかった。特にステージに立つときは演出の都合上、ネッカチーフをかぶり、肩にショルダーバックというスタイルをとらされて、抵抗がありましたが、マキノ雅弘さん(映画監督)に絶対に流行する歌だからと、激励されて」と菊池は語っている。
ただし、菊池によれば23年ごろから、NHKの放送では「星の流れに」が禁止された。”こんな女に誰がした”と開き直る部分が忌避されたというのである。


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