九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

TVの「田母神問題番組」で分かったこと      ネット虫

2008年11月30日 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
★忘れられている田母神問題だが、今週二つの特集討論番組を見た。
 28日の朝日の田原総一郎「朝から生テレビ」と30日放映の関西の読売テレビでやしきたかじんの「そこまで言って委員会」の二つである。
 「そこまで言って委員会」の方には、田母神氏本人が出演していた。
 また元外交官の天木氏も「そこまで言って委員会」に出演していたので大変に興味深く視聴できた。早速「天木ブログ」を開いてみると案の定感想が書かれてあって大変に面白かったので紹介したい。 (ネット虫)
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 毎週日曜日の午後、関西の読売テレビでやしきたかじんの「そこまで言って委員会」という番組がある。
 以前二度ほど出演したことがあったが、テレビ映りが悪いのか、しゃべりがへたくそなのか、まもなく出演の声がかからなくなった。
 それが突然の出演依頼だ。
 どういう風の吹き回しかと思ったら、収録日が11月28日(金)であったため、小沢、麻生党首討論とぶつかり護憲議員が軒並み出演を断ってきた、そのピッチヒッターだと聞かされた。
 ばからしくなって断ろうと思ったが、あの田母神前航空幕僚長が出てくると言う。本邦初のテレビ出演をするという。それを聞かされ、興味をそそられて、出演に応じた。

 結論から言えば出演して正解だった。じつに面白い闘論になった。

 田母神氏は不快な人ではなかった。いい人であった。正直で、単純で、そして、失礼な言い方をさせてもらえば、やはり軽率な人である。

 しかし、これはテレビでも発言した事だけれど、逆説的に言えば、我々は田母神氏に感謝しなければならない。
 なぜならば、この際、あの戦争はなんであったのかという事を、国民一人一人がよく考えなければならない、その切っ掛けを作ってくれたからだ。

 闘論の模様は11月30日(日)午後の関西読売テレビで見ていただきたい(東京、北関東を除いては全国ネットワークらしい。東京は検閲が厳しいからということらしい)。

 このブログでは二点に絞ってこの問題に関する私の意見を書いてみたい。

 ちなみに、新幹線を乗り繋いで栃木ー大阪を日帰り往復した私は深夜に帰宅したのであったが、テレビのスイッチをひねったら偶然にもテレビ朝日の田原総一郎「朝から生テレビ」で、やはり田母神論文の
闘論をやっているところであった。
 その模様を聞いて、次に書く私の思いは、更に固まった。

 まず第一点は歴史認識とは個人の意見ではないという事だ。

 私は今後どんどんこの問題が国民の前で論議されるほうがいいと思っている。衆院でも田母神氏を参考人として招致する動きがあるらしいが、どんどんやればいい。そして田母神氏に自由に喋らせ、それをテレビですべて放映したほうがいい。彼も喋りたくて仕方がないのだ。それで皆がハピーになるのだ。
 喋れば喋るほど、皆がだんだん辟易してくる。弁護できなくなるのだ。

 それは「朝生」でもそうだった。田母神論文を弁護する側にいた皇国史観の立場に立つ論者たちの立場がどんどんと不利になっていくことが誰も目にもわかった。
 それは当然である。歴史認識とは都合のいい記録や所見を伝聞的に繋ぎあわせてできるものではない。
 誰も知らないような瑣末な発言や記録を殊更強調してみたところで、皆を説得できる史実にはならない。歴史認識をめぐる論争は、特殊な知識の競い合いではないのだ。
 個人が知りうる知識は所詮限られている。おまけにすべての情報が公表されているわけではない。情報隠蔽や操作もある。だから歴史認識というものは、古今東西の多くの学者や専門家が膨大な時間とエネルギーをかけて検証した業績を総合的に吟味し、大勢とされる意見に従う、それが歴史認識なのだ。

 田母神氏の意見は意見として、そしてその田母神氏の意見を擁護する人たちの意見もまた、彼らの意見として主張するのは勝手であるが、今の時点における歴史認識として皆が共有するものにはなり得ない。それは彼らが決める事ではない。いくら議論しても勝ち目はない。

 それよりも重要な事は、歴史は国際政治の所産であるという事実である。
 日本はポツダム宣言を受け入れて敗戦を認めたのだ。
 勝者が敗者を裁いた東京裁判の判決を受け入れて、A級戦犯を認めたのだ。
 その事によって日本は国体を護持し、戦後の国際社会に復帰し、今日の日本があるのだ。
 日本だけが悪くはなかった、米国にだまされた、などという事は部分的にはその通りであろう。
 しかし、それが如何に悔しくても、国際公約で受け入れた日本の責任を否定しようとすればどういう事になるか。
 それは国際孤立である。日本の国益を決定的に損なう事になる。
 酒場などで憂さ晴らしをするのは勝手だが、国際社会に向かってそれを日本政府が言えると思うのか。
 もう一度米国と戦争するつもりなのか。
 そういう事なのである。

 二つ目に言いたい事は、なぜ田母神論文事件が起きた遠因としての政治の怠慢である。

 政治が歴史認識問題を曖昧にしてきたからこそ田母神論文に象徴される歴史発言問題がいつまでたっても後を絶たないのだ。
 実はたかじんのそこまで言って委員会でパネリストたちが最も激しく攻撃したのが、あの村山談話であった。

 つまり田母神論文を擁護できない代りに、そのはけ口として社会党党首の名前を冠した村山談話を諸悪の根源であると攻撃することになる。
 これまで、日中共同宣言をはじめいくつかの外交文書において歴史認識を示した事はあったが、閣議決定を経て発表されたあの村山談話こそ、政府の歴史認識を示す公式見解であった。

 その公式見解である村山談話が、そしてその後の歴代の首相が踏襲し続けてきた村山談話が、なぜ今でもここまで貶められるのか。
 それは保守政治家たちが、社会党の党首が首相であった時に作った談話であるから仕方がない、とあの談話を内心で認めていないからだ。
 一方の村山元総理は、「自分だからできたのじゃ」と、自民党に担ぎ出された負い目と引き換えに、無理をして評価しているからだ。
 あの談話は外務官僚の作文でできた。それを政治の駆け引きでなんとか村山談話に纏め上げたに過ぎないものだった。

 敢えて政府統一見解という事なく社会党党首の名前をつけて、それ以降の自民党首相が踏襲していることこそ、自民党の責任転嫁だ。自民党もまた村山談話を貶めているのだ。

 そしてそこまで貶められても、村山元首相本人も、護憲政党も、怒る事はない。

 つまり自民党も、民主党も、護憲政党も、要するにこの国の政治そのものが、歴史認識から逃げているのだ。

 だから田母神論文事件が起きるのだ。

 田母神論文事件が起きても、迅速かつ適切な対応が出来ないのだ。
 たかじんのそこまで言って委員会においては政治の怠慢が繰り返し攻撃されていた。
 そしてその事については私も他の右翼パネリストと同感だ。
 歴史認識とは何の関係もないことであるが、テレビ収録とちょうどおなじ頃に行なわれていた麻生・小沢党首討論を後で知って、つくづくと思った。
 政権をあらそう二大政党の党首討論がこの体たらくである。
 堂々とした政策論争がまるでできていない。

 こんな政治で田母神論文問題を追及できるはずはない。

 解散・総選挙とか政権交代などという事以前の大問題がそこにある。

★以上「天木ブログ」http://www.amakiblog.com/blog/
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日本は侵略国家であったか?    落石

2008年11月30日 | Weblog
田母神さんの論文、注意深く読むと
日本も侵略国家だと匂わせています。

奇妙なトリックを使って
侵略国家じゃないと言い張っているのは
ヘンですよ。

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広がり 層厚く「九条の会」交流会 (しんぶん赤旗より)

2008年11月29日 | 憲法関係時事
★本家「九条の会」の年一度の交流集会が11月24日が開かれ、全国から千人近い九条の会のメンバーが、経験を語り、学ぶためにやって来たそうです。
 わたしも参加しようと意気込んでいたが色々あって今年は参加できませんでした。
 「交流集会」の様子を知りたくて新聞各紙を開いたかほとんど報道されていない。唯一しんぶん赤旗が詳しく報道していることを知り、集会の様子を知ることができました。この記事を転載し会の様子を紹介します。
                  (まもる)
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(写真)よびかけ人のあいさつを聞く参加者=24日、東京都千代田区

  ☆「広がり 層厚く・・首長・経営者・宗教者・子ども・青年・高齢者」
                 「九条の会」交流会 初めて職場分科会も

 評論家の加藤周一さんら著名9氏が呼びかけて結成された「九条の会」が24日、第3回全国交流集会を都内の日本教育会館で開き、全国から900人以上が参加しました。今回初めて「職場九条の会」の分科会が設けられ、5年目を迎えた運動に確信を深め、いっそう広げようと経験を交流しました。

 呼びかけ人で作家の大江健三郎氏は「九条の会の人々には静かな確信に満ちた規範があり、孫やひ孫まで四代にわたる平和主義の伝統が国の伝統になれば、日本が国際的に平和主義を根付かせる大きな手がかりとなる」と述べました。

 作家の澤地久枝さんは「会に参加する顔ぶれや人数は大きく広がり重層的になった。やたらなことでは崩されないし、崩させてはならない」と発言しました。

 集会では、日本国際ボランティアセンター代表理事の谷山博史さんが特別報告。アフガニスタン情勢と日本の対応について詳しく報告し、「憲法九条をもつ日本こそ和平の仲介者に」と訴えました。

 宮城・憲法九条を守る首長の会の鹿野文永さん(元鹿島台町長)は「九条改憲の動きこそ住民の安心・安全を脅かす」として、県内の十六人の元市町村長で会を結成、全国の首長ら約千八百人に呼びかけ文を発送し、賛同が多数寄せられていると報告。会場からはどよめきと大きな拍手がおきました。

 「経済の視点から平和を考える」と発言したのは、札幌の「グリーン九条の会」の植田英隆さん。自身を含む三人の経営者が世話人となったユニークな会の結成を紹介しました。教育・子育て九条の会の上原公子さんは「旧教育基本法を復活させたい」と発言しました。

 十の分散会と学生・青年、職場の分科会に分かれて交流。青年や保守系の人々への浸透、貧困・格差問題との結びつき、宗教者での広がりなど、各地から知恵を絞った取り組みが紹介されました。

 千葉県船橋市の女性教員(32)は「教育・子育て九条の会の話を聞き、教師として子どもたちに九条を伝え、守っていきたい」と語りました。
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        ☆「草の根の「会」7294に」

 「九条の会」は二十四日に開かれた第三回全国交流集会で、地域・職場・学園など草の根の「会」が昨年の交流集会以後、新たに四百九十三結成され、合計で七千二百九十四になったことを明らかにしました。

 また今後の取り組みについての「九条の会」の訴えを発表。訴えは、(1)一人ひとりの創意や地域の持ち味を大切にした取り組みで、憲法を生かす過半数の世論を(2)継続的・計画的に学習し、条文改悪も解釈による憲法破壊も許さない力を地域や職場に(3)思いきり対話の輪を広げ、引き続き小学校区単位の「会」の結成に意欲的取り組みを。交流・協力のためのネットワークを――と呼びかけています。

 「九条の会」は二〇〇四年六月に発足しました。


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辛夷散る地球は狭くなるばかり    朱露

2008年11月29日 | Weblog


    江戸時代の俳人は身の周りだけ詠んだ。
    今は地球温暖化まで視野に入って来る。
    派遣の自分を想像しながら枯葉を掃く。
    沸々と凶暴になりながら枯葉を燃やす。


 私の俳句の先輩の一句と文を紹介します。  落石



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「田母神の品性」  文科系

2008年11月28日 | 国内政治・時事問題
田母神のことが、マスコミから消えてしまったようだ。いつもながらマスコミがやる「人の噂も75日」。この「クーデター」のことは、国民が何があっても忘れてはならない。これをこのブログのコメントで落石さんが「思想的クーデター」と呼んだのだが、まさに至言。自衛隊全体を政府見解とは全く違った方向に「幕僚学校」ぐるみで持って行ったとしたら、それはまさしく思想的クーデターと呼ぶ他はないのである。こんなことをさせておいたら、やがて自衛隊が本当にクーデターを起こしかねないというようなものではないか。こんな理屈で。
「命をかけて国民を守っているのに、日本の歴史を悪く言おうとする奴らは許せん」

田母神がどれくらい犯罪的であるか。犯罪的と考えるから呼び捨てにする僕は、彼のことだけでここに5本も投稿してきた。その中で最も要領を得ていると思われる文章を再掲する。11月16日に載せた「田母神の品性」である。


【 田母神、この人物の人間としての品位のことであるが、それは極めて低い。また、彼の言動は犯罪的だとさえ思う。田母神と呼び捨てにできるほどに。

まずなによりも、このこと。
名古屋高裁の判決について、「そんなの関係ねー」と語ったこと。これは立場上犯罪と断定して良いと思う。
国家の3権というものを、その「3権分立」という近代国家の基本精神を、一体何と考えているのか。行政府の高官が司法の決定をあざ笑う。こんなことが許されると考えているのだから、恐ろしいことなのだ。なんという野蛮なセンスだろうか。これを語るのが最高級の軍人であるというのが、この怖さをさらに倍増させる。国家の暴力装置に関わる人間が、近代法の基本をあざ笑っているのだ。

次が、「日本の国をよく語ったら怒られた」という表現に内包されている、野蛮で非知性この上ない発想、センス。「歴史的事実はどうでも良いって言っちゃなんだが、それはまー先ずは脇に置いておいて、なによりもともかく軍人たるものには日本を良く思わせること」と、こう語っているのである。
この田母神のセンスは、このブログの誰かさんのこういう発想、思想?と全く一緒。
「歴史的事実? そんなものは脇に置いとけ。国家がその生存競争に勝ち残っていくことだけが肝心。そのためには、青少年教育では特に、何が何でも国を美しく見せねばならんのだ」

3つ目がこれ。
彼は内閣総理大臣の対外表明を全く無視した論文を公表した。この態度は、日本国民が選挙で選んだ国会、それをもとにした「議院内閣制」で形成される内閣、この両方をコケにした態度である。この与党や内閣に反対する人々も含めて、国民、国会、内閣をコケにしたということである。論文で堂々とそういう意見表明をするというのは、個人的にどこかで喋るという言論の自由とは全く別の次元のことなのに、この二つの区別も付かない発想、思考、センス。国民、国会、内閣を公然と、大々的にコケにしたという自覚の欠片もないのである。

以上三つの意味において、公、法という精神がこれだけ欠けた、野蛮かつ非知性的な高級役人というものは、何と語ったら良いのだろうか。今の日本国の中の、一体何がこんな化け物を生み出したのであるか。】
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Jリーグ最高選手にグラ・小川佳純   文科系

2008年11月28日 | スポーツ
今週出た「週間サッカーダイジェスト」がJリーグ今年の選手番付を発表した。第1位がなんと、グランパスの小川佳純であった。あまたの日本代表選手たちを押しのけてなのだ。
日本代表でやったこともないJリーグ2年目の選手が1位なんて。グラ・ファンとかサッカー好きでもない限り名も知らぬ選手なのではないか。ところが、彼の活躍を知っている人にはなんの不思議もないことだ。

僕も、このブログで、もう6月3日に彼のことを書いている。本当に凄い選手なのである。
得点10点は大活躍しているFW並み。日本人では、4番目である。それだけではない。日本のサッカーマスコミが軽視しすぎだと思われるアシストが9で、これはリーグ最多のはずだ。この二つを合わせて19は、なかなかない数字だと思う。外人FWはアシストなどせずに自分の得点にするはずだからである。2番目は多分あのトゥーリオだろうが、それでも合わせて15を切るのではないか。

つまり、彼がいなければグランパスは多分今年も中位のチームだったはずなのだ。今年のグランパス躍進は彼のおかげと言っても言い過ぎではないのである。なんせ去年入団して、その去年は後半中心に11ゲームに使われただけの選手であって、嬉しい大誤算というほかはないのだから。
入団2年目のこんな大活躍は多分、あの中田英寿の出現をおいて他にはなかったことではないか。アシストが得意な中田英寿でも、アシスト数1位ではなかったと思うし、まして、こんな得点は間違いなくなかった。

きっと、今年から監督になったストイコビッチの指導を、水を得た魚のように吸収したに違いない。戦術眼のある攻撃的MFというのもピクシーと同じだし、多分凄く頭の良い選手なのだろう。今年レギュラーを確保した選手なのにマスコミ取材も多く、そこでチーム戦術を堂々と語る光景も見られるし、その内容も確かに優れていると思う。
この「チーム戦術解説の内容」はと言えば、今期グランパス最大の点取り戦術「右からの崩しとサイドチェンジ」が多く、「こう動いてもらいたい」という先輩たちへの要求などをも暗に含んでいたりする。もちろんこれらは、監督の重要指示の範囲であって、それを越権していないことは自明だろうが。
「右サイドバック竹内が、ボールを持った自分を追い越して前へ行ってくれると、次のやり方にバリエーションが増えて良い」
「右で詰まったときは、すぐにサイドチェンジ。自分が中にいたら、左に走り込んで、マギヌンとのポジションチェンジも凄く有効である」

なお、こういう選手がいるとチーム作りは非常に楽である。彼の存在、プレーから逆算してチーム戦術を考えることもできるからだ。「あそこに彼を走り込ませつつボールを持たせると、点になりやすい」とか。これは、野球の「4番落合の前にランナーを出せ」と同じ発想だろう。名古屋の攻撃の核だったヨンセンが今期限りで退団するのは、この小川の出現が前提となっていると思う。
また、他の選手も彼をきちんと観察すれば、どんどんのびてゆけるはずだ。グラがさらに強くなるということである。
それとともに、マギヌンが怪我で休んだとき勝てなかったように、小川がいなくなったら非常に困るから、代役の出現、奮起も望まれる。







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天にも上る気持ち  文科系

2008年11月28日 | Weblog
24日に「年をとった」という随筆で、「不整脈の悪化で走れなくなった、様子を見ている」と書いた。その様子見も2ヶ月続いてきた。ただ、あの随筆にも書いたように、筋肉の衰えを防ぐために家での階段往復の運動は続けていた。平均120往復ほどの。

さて、一昨日のこと、思い切ってジムへ行った。9月中頃以来である。「ウオームアップを念入りにしよう」という方針だけをもって。そしたら、後半40分近くは走り通せたのである。天にも昇る気持ちだった。

日ごろ5分程度のアップをこの日は20分近くやった。軽い体操の後、歩く時間をとにかく増やした。歩いてちょっと走り、また歩く。この繰り返しを20分ほど。そしたらあとはハートレートモニターに何の異常もなく走りきることができたのである。アップの歩行と合計して1時間で7.3キロ。それでももう嬉しかったこと! 2年前には1時間なら最大限12キロ、1年半前でも11キロ以上は走れていたのだけれど、この7.4キロがこんなに嬉しいとは。

希望が出てきた。以前の4~5倍のアップをすれば、走れると分かったのだし、最大スピードがどこまで出せるかはまだ実験してない。心拍140ちょっとまでしか出していないから。これから様子を見ながらいろいろやってみよう。1年半前のように心拍170近くまでは無理としても、160近くまでは出せると思うのだが。
「アップがほとんど要らなかった僕の体が、人一倍入念なアップを必要とするようになったのだ」
こういうことだけではないのだろうが、こんなことも発見しなければ走るのをもう諦めていたのだなーと、何か感慨無量である。いろいろ試しては来たのだが、年をとる分、いろんな観察、工夫がさらにいるということだろう。今までも、5年ほど前に不整脈が出たとき以来、諦めずにいろいろくふうしつうやってきたのだ。
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麻生財閥のした事    (JANJANの記事より)   ネット虫

2008年11月28日 | 国内政治・時事問題
「マスコミが書かない麻生財閥の深い闇」
                  山崎康彦 JANJAN2008/10/23
 麻生首相は1973年にグループ中核企業の麻生セメント(株)の代表取締役社長に就任した。戦前の麻生炭鉱から続く九州屈指の企業グループ・麻生財閥3代目の当主だ。その麻生炭鉱は大量の朝鮮人労働者を強制連行して搾取した暗い歴史を持つ。だが、日本のメディアはその事実を指摘することなく、意図的に報道しないでいる。
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 麻生財閥(麻生グループ)は現在、麻生ラファージュセメント(株)を中核に64社、総売上1,380億円、社員数6,250名を数える九州屈指の企業グループとなっています。麻生太郎氏は、祖父麻生太吉氏、父麻生太賀吉氏の後を継ぎ、1973年にグループ中核企業の麻生セメント(株)の代表取締役社長に就任しています。
 1979年の衆議院議員選挙で初当選し、政界に転進して家業を実弟の麻生泰氏に譲ったからといって、麻生太郎氏が麻生財閥の3代目当主であった事実は消せません。当主として戦前の麻生炭鉱の暗い歴史の責任から逃れられないのは当然のことです。
 なぜなら、安倍晋三元首相、福田康夫元首相に続いて、総選挙での国民の審判を受けることなく、自民党総裁選で勝利して2008年9月に第92代内閣総理大臣に彼が任命されたのは、麻生財閥のもつ財力であり、その大部分は、戦前の麻生炭鉱に強制連行されて来た朝鮮人労働者1万人をただ同然で酷使して搾取した巨額の未払い賃金がその源だからなのです。

 戦前の麻生炭鉱で10,000人の強制連行朝鮮人を強制労働させ賃金をそっくり搾取することなくしては、現在の麻生財閥はありえず、したがって今の麻生太郎内閣総理大臣もありえなかったといっても過言ではありません。

 戦前の麻生炭鉱での劣悪な労働条件の実態は、調査報告書「麻生炭鉱の強制労働」(戦時強制労働の調査「人権平和・浜松」)に詳しく書かれています。
 この調査報告書の中で、強制連行朝鮮人労働者がどのように働かされ支配され搾取されていたのかが詳しく書かれています。

 「納屋の布団は万年床で真っ黒であり、交替制で誰かが寝た。人繰りが毎夕入坑の督促をし、交替制だったが、五時に入坑して昇坑が一〇時ということも珍しくなかった。坑口から六〇〇メートルを人車で行き、そこから切羽まで歩いた。朝鮮人が危険なところを担当した。検炭係がボタの量を見て函引きし、賃下げをした。低賃金で遅配が多く、食事も衛生も悪かった。納屋の頭領は賃金の三割ほどをピンハネした。労働災害があっても朝鮮人には適用されなかった。納屋では独身坑夫が死んでも朝鮮の故郷に知らせないことが多かった。遺族に弔慰金や補償金を支払うのが惜しく、アリラン集落の下の無縁墓地に埋めて知らん顔だった。一九三四年のガス爆発の時には生存者がいても密閉したために朝鮮人が入坑を拒否した(『林・記録』三〇五~、三二一頁)。」

 また、朝鮮労働者がどのように強制連行されたのか具体的な証言も書かれています。
 「文さんは一九一六年生まれ、全南霊岩郡出身。結婚したばかりの一九四二年の末、面の巡査と書記らが土足で侵入し、「一緒に来い」と巡査に家の外に突き出された。このとき面から三四人が連行された。順天で九州の炭鉱に行くと告げられた。麗水で一六〇人ほどとなったが、監視人が手に木刀を持ち、海岸の倉庫に入れられ外から錠を掛けられた。軍服を着た男に本人かどうか照合を受け、身体検査され、九州の麻生炭鉱に行き、一年で帰国できると聞かされた。
 一九四三年の元旦に博多につくと、憲兵が監視するなか麻生の労務や協和会の幹部が出迎え、博多駅から原田経由で赤坂炭鉱に連行された。収容された寮は兵舎のような建物であり、高さ三メートルの板塀、鉄条網があった。寮の中央にはガラス張りの監視塔があった。一棟が五部屋であり、四畳半の一部屋に五人が押し込められた。寮の入り口はひとつであり、そこに労務の詰所があった。
 朝五時に起こされ、広場で点呼を受けた。宮城遥拝、君が代、皇国臣民の誓詞のあと、六時に入坑した。六時から九時までの一五時間労働だった。「これから敵のトーチカを攻撃する。突撃進め!」と坑口へ追いたてられた。食事は大豆かすと麦を混ぜたものが多かった。労務は見せしめに死ぬほどに叩いた。強制貯金され、送金は最初の二〇〇円が送られたきりだった。労務にそれを糾すと、なぜ朝鮮に問い合わせたのかと逆に木刀でたたかれた。」

 また、炭鉱周辺には朝鮮人女性が性の奴隷として連行されていた事実も次のように書かれています。
 「アリラン集落には朝鮮人女性を置く店があり、女性たちが騙されて連れてこられた。朝鮮にブローカーがあり、娘たちを選炭婦にするなどと騙し、親に一〇〇~二〇〇円を渡して、「三等料理屋」に売り渡した(『林・記録』三三一頁)。飯塚や鴨生には鄭在鳳が経営する店もあった(『林・記録』四三一頁)。鄭清正さんも飯塚へと朝鮮の女性たちが連行され性的強制を受けていたことを記している(『怨と恨と故国と』八七頁)。」

 また炭鉱事故等で多数の朝鮮人労働者が死亡したが、死者に対する麻生炭鉱の対応も次のように書かれています。
 「赤坂の請願巡査だった松藤要吉さんはつぎのようにいう。死者が出ても、炭鉱は石炭がもったいないと火葬しないで無縁墓地に穴を掘って埋めた。馴れない労働でずいぶん命を落とした。朝鮮式の土饅頭がたくさんできた。労務が勝手に処分して知らせない状態だった(『林・記録』四〇三頁)。」

 日本のマスコミは、このおぞましい麻生財閥の暗い過去を意図的に報道しないでいます。

 「イギリス人ジャーナリスト(ガーディアン紙の元アメリカ特派員)のクリストファー・リードによると、麻生一族による強制労働の記事を掲載することを多くのメディアが拒否したという。しかも、その中には「左翼」と見なされている日本の媒体(そんなもの存在しないというのが筆者の感想だが)も複数、含まれていた。日本で掲載したのは英語紙の「ジャパン・タイムズ」だけだ。……」(調査ジャーナリスト 桜井春彦氏)

 日本のマスコミが報道しないのであれば、我々の手でこの事実を出来るだけ広く、友人、知人に拡散させましょう。麻生太郎氏は、麻生財閥の暗い歴史を封印したまま日本の首相として居座り続けることはもはや許されることではありません。

★一国の総理の経歴に関わることは、マスコミは正しく伝え、世に問うべきでしょう。もし政治家の戦争責任に厳しいドイツであれば大問題になるでしょう。それをまったくしないと言う日本のマスコミは失望しました。総理の責任の有無は事実を知らされた国民が決めることでしょう。 (ネット虫)
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またまた麻生さんのホンネが   落石

2008年11月27日 | Weblog
「同窓会に行くと元気だったヤツが病院通い」

「なにもしないヤツの医療費に、なぜ私の税金が
使われなくっちゃならないんだ」

ですって。

本当に正直なオボッチャンですね。

こんなにしか首相に選べないの?自民党は。




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あなたには言われたくない  落石

2008年11月27日 | Weblog
今回の厚生省のお役人が殺された事件。
元厚生大臣が「野党とマスコミにも原因が」
と発言して話題になっているようです。

たしかにおっしゃるとおりですが、
「あなたに言われたくない」



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また、読売巨人軍のこと  文科系

2008年11月27日 | スポーツ
喫茶店で週刊誌を読んでいたら、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)人事について、江夏豊がこんなことを書いていました。ちょっとうろ覚えですが。だれか詳しい方がいらっしゃったらお教え願いたいです。

「今度の原・ジャパン代表監督、そのコーチ陣は、日本テレビとNHKとの合作だ。なぜかというと、コーチ陣がそういう顔ぶれだから。日本テレビとHNKの解説者が中心ということだ」
江夏は流石この陣容に対して、僕のようには根本的な批判は投げかけていません。「これでも良いとするから、まー仲良くやってくれ」という言い方と受け取りました。まー「テレビ局が牛耳っても良いけど、関西が絡んでないのが気にくわない」と、そういうところ、立場なのかな。
ここまで書き及んでふっと、こんな想像も浮かんできましたよ。ドラの選手が不参加とかでつむじを曲げているのは、中日新聞や東京新聞が絡んでいるのかな、と。

さてさて、以上が事実とすると、こういう正論を言いたくなりますね。
読売やマスコミが、野球界を牛耳っているのは、野球界が何の主体性も持っていないから。サッカー協会はアマも、プロも、学生も、そして地域協会も主体的に加わっているから、「サッカーの観る、やる両方の普及」という一致した大儀、大目標が基礎にあるが、「野球はやはり興業」がスポーツを牛耳り、犠牲にしている、と。
そして、その牛耳り方でマスコミ各社が一定ぎくしゃくしつつスポーツのあり方を自分の利己的な都合で左右している、とも。

やっぱりこれは、僕がここで言ってきたように、スポーツの爽やかさ、その発展を損ない、妨げるものだ。あるスポーツを、スポーツ・マスコミが自己の利益のために歪めていくマッチポンプの悪循環の構図。


ちょっと煮え切らない文章ですみません。以前の巨人批判と併せてご理解くだされば幸いです。10月15,29,30,11月10日の「やーい、巨人負けた」などです。
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自民・公明政権を占う?   FORUM21の記事より

2008年11月26日 | 国内政治・時事問題
★麻生政権の迷走の中で公明党の必死?のしがみつき・自信?は何なんだと思っていたが、下記のような記事に出会って成程と思いました。(ネット虫) 


「参議院を馬鹿にしていた自公“合体”政権」

 私はこのような諦観をもちながら解散総選挙というものを捉えていた。だからといって、選挙は博打ではない。政治の延長線にあることは事実である。選挙に勝とう思うならば、真面目に政治を行うしか道はない。どういう政治をやるかは、政権党ならある程度責任をもっていうことができるし、実行も可能である。それが政権党の強みである。野党は敵失を狙うしかない。
 しかし、今回の総選挙についていえば、結果の予測はきわめて簡単である。自公“合体”政権は負けるのである。これはハッキリしている。現在の自公“合体”体制の政権運営をみていたら、これを覆す可能性などほとんどあり得ない。自公“合体”政権にとっては、過半数を確保しても総選挙で勝ったことにはならない。現在衆議院でもっている3分の2を超える議席を再び獲得しなければ、政治的には敗北なのである。
 「参議院選挙は政権選択の選挙ではない」などといって、自公“合体”政権は参議院選挙を馬鹿にしてきた。参議院を舐めてきた。しかし、それは政権運営を知らない者がいう台詞である。少なくとも歴代の自民党内閣は、このことを知っていた。だから参議院選挙で大敗し、参議院の過半数割れを喫した総理大臣が責任を取らなかったことなどなかった。
 公明党もこれを知らない筈はない。創価学会・公明党にとって政権参加は悲願だった。それが可能になったのは、1998年(平成10年)の参議院選挙で自民党が大敗を喫したため参議院での過半数がなくなったからであった。当時自民党と公明党の連立には、国民の中に強い抵抗があった。下手をすれば、自民党は総スカンを食らう虞すらあった。それでも公明党との連立に踏み切らざるを得なかったのは、公明党の議席を当てにしなければ参議院での過半数を確保できなかったからである。
 従って、自民党も公明党も昨年の参議院選挙で過半数か過半数近くの議席を維持するのに必死だった筈である。過半数近くならば、与党に取り込める議員も読めていたので、何とかできる可能性も織り込み済みだった。ところが、あまりの大敗だったためにあらゆる可能性が吹っ飛んだ。

 “半身不随”よりはるかに深刻な事態

 そこで福田首相が考えた手が、大連立構想だった。しかし、戦略や十分な準備がなかったためにその奇策は吹っ飛んだ。今後この手を使うこともできなくなった。
 自公“合体”政権は「参議院選挙は政権選択の選挙ではない」などと強がりをいっているが、参議院で過半数をもっていないと政権の意思を貫くことができないのである。半身不随の状態よりもはるかに事態は深刻なのである。
 国会の意思は、衆議院と参議院のそれぞれの意思によって決定される。国会の意思は、ふつう法律によって表わされる。法律案は、衆議院と参議院のそれぞれで可決されたときはじめて法律となる。衆議院でいくら圧倒的多数で可決したからといっても、糞の役にも立たないのである。
 衆議院で可決され参議院で否決された法律案を法律にすることができるのは、憲法59条2項の規定により衆議院で3分の2の多数で再可決した場合だけである。確かに自公“合体”政権は、現在その数をもっている。しかし、そのことがかえって仇となっている。

 「伝家の宝刀としての3分の2条項」

 法理論としては、3分の2条項で参議院で否決された法律案を再可決することにより法律とすることができる。だが、政治論としては、実際にそう度々使うことはできないのである。いうならば伝家の宝刀なのである。伝家の宝刀というのは、ここ一番のときにだけ使うものである。台所にある包丁とは訳が違うのである。
 自公“合体”政権は、3分の2条項をできるだけ使って現在の危機を乗り切ろうとしている。しかし、そのことは“危機”をますます深刻にするだけである。自公“合体”政権は、そのことが分かっていないようである。
 新テロ特措法案を再可決するために臨時国会を越年で再延長した。寺島実郎氏が「インド洋における給油活動などほとんどのアメリカ人が知っていませんよ。日米同盟とか国際貢献などと大きな声でいっているのは、日米安保条約で“飯”を食っている人たちだけですよ」と、あるテレビ番組でいっていた。それが現実だと思う。自公“合体”政権も要すれば同じ類なのである。だから防衛疑惑に迫ろうとしていないのである。
 ガソリン税の暫定税率を10年間も延長するという。これも道路利権で飯を食っている人たちが困るだけのことである。3分の2条項をこんなことに使おうとしているのだから、自公“合体”政権は国民が本当に望んでいることが分からないのである。国民が真に望んでいることが分からない者には、政権を担当する資格がない。

 「自爆の道を突き進む自公“合体”政権」

 参議院選挙で大敗し、参議院で過半数を失った自公“合体”政権は、裸の王様なのである。その意思を国家の意思とする資格がない。憲法上、国民はその王冠を奪い取ることができないだけなのである。たまたま持っている3分の2条項という権力(=刃物)で、僅かの間勝手気ままを押し通すことができるだけに過ぎない。解散総選挙でその刃物を失うことは明らかである。
 裸の王様にいちばん必要なことは、己が裸であることに気が付くことである。すべてはそこから始まる。安倍前首相の続投・派閥談合による福田首相の選出・年金問題での開き直り・3分の2条項の発動など、自公“合体”政権は原点に立ち戻って考える決意がないことを明らかにしている。愚かであり、哀れである。醜悪であり、見苦しい。
 総選挙で敗北させることにより、国民は自公“合体”政権にその実態を明らかにすることができる。裸の王様に怯えたり、騙される国民はいなくなる。すべての権力はある程度の虚像に支えられているものである。その虚像が白日の下に晒されたとき、権力は機能しなくなる。
 ○○に刃物という言葉もある。裸の王様ということに気が付かない自公“合体”政権をいつまでも政権の座に就かせておくことは危険である。解散総選挙は、一日も早いほうがいいだろう。私は最近そう思っている。望むらくは、自公“合体”政権を政権の座から引き摺り下ろすことである。
 自公“合体”政権は、その道をまっしぐらに突き進んでいる。すべて自業自得である。もって瞑すべし。

★宗教と社会のかかわりを考える隔週刊誌として独自の報道と主張を続けている
「FORUM21」http://www.forum21.jp/2008/01/20081108.htm
の記事です。
 公明党に立党の精神「平和と福祉の党」に立ち返って欲しいと思いました。

                             
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買い物難民         まもる

2008年11月25日 | 老人・年金・保険・医療
 新聞の書評で「買い物難民」という書名が目についた。
 「あっ、あの事か」と思った。
 読んでみるとやっぱりそうだった。全国各地で、買い物や病院通いなどの外出に、タクシーやバスを利用せざるを得ないお年寄りが増えている。
 著者はそうしたお年寄りを「買い物難民」と名づけていた。

 私の住んでいるのは、名古屋の中心に近い古い住宅街で行政から老人特別指定学区になっている。独居老人の比率も高く、近所の老人が買い物に手押し車を押してかなりの距離のスーパーに出かける姿を良く見かける。以前知り合いの八十近い方に声を掛けると「いつまで独りで来れるかわからんけどよう。まだ、このスーパーがあるで助かるわ。」との答えだった。
 地震ではないが生存に関わる日常的ライフラインの確保の問題である。
 スーパーなどが遠い地方都市、農村などでは事態はもっと深刻であろう。
 買い物難民は明日の私の姿である。
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随筆をご笑覧ください  文科系

2008年11月24日 | 小説・随筆・詩歌など
ずいぶん久しぶりに、随筆を載せます。ご笑覧ください。


 随筆 「年をとっていく」

 このごろ思い出すのが、亡くなった母のこの言葉だ。
 「私のどこが八十のおばあさんに見える。言ってみなさいよ!」
 きっかけなどは忘れてしまった。母の何かを「年寄りの冷や水」扱いして、「八十のおばあさんが」という表現を僕が使ったのは間違いない。一瞬の間をおいて重く押し出され、やがて涙混じりという、そんな抗議だった。いまでも不気味な印象が残っているほどだ。友達に念の入ったワルサをしたらいきなり強烈なパンチがほほに飛んできたという体験が高校時代にあったが、そんな感じ。小さな雷に打たれたような気分になったのは、母の言いたいことがすぐに分かったからだ。当時五十前の僕に、なぜ分かったのか。
 七十六歳で僕の家族と一緒に富士山に登った時、その体力には驚かされた。我が家で旧友たちと月例体操サークルを続けてきたその賜物らしい。六十の手習いの三味線では、八十近くまで出ていた発表会によくかり出されたものだ。NHKの俳句教室が送ってくる小冊子に母の名前が小さく出たものを指さし見せられたりもした。毛糸の丸い敷物が数枚、刺繍入りのテーブルクロスなど、手製の手芸品はまだ全部残してある。
 いつだったかふっと、老後の僕が母と同じことをやっていると気づいた。ランニング、ギター、同人誌活動。春夏秋冬一回ずつ我が家で開いているギター仲間たちとのギター・パーティーは、母の「体操サークル」? 気兼ねなくやれるように連れ合いの手は一切借りずに買い物をし、料理をし、ワイン、アルコールを選ぶ。「これは味覚、母の手芸は視覚。まー、同じ五感の遊びだ」などと、このごろ思い出し笑いが出たりする。
 母を真似た意識は皆無である。母が僕を、生まれたときからずーっとこのように育ててきたというのが真相だという気がする。子どものころに煙も出されなかったものを、老後に燃やし直すということはあるまい。いや、あるぞ。生真面目男の老いらくの恋。これは昔から激しいと聞くが、まーこれは置くとして、偉大な母の力を噛み締めている。
さて、こうやって営々と育み、備えてきた僕の老後から、まずランニングが抜け落ちようとしている。父から受け継いだ不整脈と闘いながら苦心惨憺で続けてきたのだが、そろそろ限界なのか。ここ二ヶ月近くジムを中断して、家で階段登りなどをやりながら未練ったらしくまだ様子を見ているところだ。ギターも新曲の暗譜が五年前と比べてさえ二、三倍の苦労になった。ひどいときは、布製のプランターに水をまいて「早く芽が出ろ柿の種」、そんな無力感だ。切れかけの電球のように、波もあるのである。励むほどにその振幅が一方に傾いていくのが分かる生活は、今、幸か不幸なのか。僕は幸と考えることにしている。不幸とだけ思えば全部をやめているだろう。四捨五入すると七十になるが、七十にはともかくとして、僕は果たしてこんな言葉を、母のように必死に吐くだろうか。
「俺のどこが八十のじいさんに見える? 言ってみろよ」
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こんな看板をみつけました。   落石

2008年11月24日 | Weblog
この22・23日と京都へ。
一年で一番、観光客の多い時期とか。
京都大学では11月祭が行われていました。

時計塔から少し北に入った木陰で
こんな看板を見つけました。

ああ、大学だな、と思いました。

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