九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

随筆 五月蠅い人   文科系

2024年03月19日 18時58分19秒 | 文芸作品
 「五月蠅い人」という人種が存在すると思う。僕が最初にこれに気づいたのは、中学に入ってある種の秀才と仲良くなった時。他人の「誤り」をすぐに訂正する。あるいは「それよりも、こうやった方が良い」と指図めいたことを口に出してくる。親しい間柄になるとこれがどんどん増えていく。こういう「いろんな事に気づき、良くしたい」人が側に居ると、どういうか「五月蠅い」のである。僕の連れ合いを例に取ってみよう。
「今の交差点、危ない運転だったよ。右の人に気づいていなかったでしょう?」
「油炒めをやっている時は、ちょっとでも側を離れてはいけない!」
 と、大きな危険が伴うような行為への注意はまー許そう。が、
「こっちの道行くの? こっちのが良いのに」
「なんで、追い越し車線を走ってるの。もうすぐ左に曲がるでしょう?」というときでも、左折地点ははるか二キロ先などなど、助手席の中でもまー五月蠅すぎる。それで彼女と僕との運転関連比較をすれば、彼女は現在地の東西南北がとんと分からず、地図も読めない。僕はといえばナビ要らずで、地図だけで初めての場所にも行ける人なのだ。という比較を何度「確認し合っても」、彼女の運転「助言」は減らないのである。東西南北が分からなければ、目的地への「斜めの近道」などは手に負えないはずなのに、秀才さんに多い用意周到で、心配性言動が同乗運転中至る所でこれでもかと発揮されて、金婚式を迎えるほどの経験と対話を積み重ねてもなお、一向に減らないのである。

 こういう難問を考え込んでいると、こんな事も思い出す。二人が出会った大学の同じ教室で二年生時の社会思想史の期末試験勉強を一緒にやっていた時のことだ。僕は自分の勉強法についてこう紹介した。この授業1年間のノート記述の目次を作っておいて、「ここが結論、それを証明する重大部分がこことここ。この三箇所をやっておけば優良可の良は、まず間違いなし」
 対して彼女はこう語って、止まない。
「それは分かった。だけど、ここも、こちらも、出るかも知れない。私は全部を何度も読んで覚えていくやり方」
 それで、それぞれのやり方を採用して、結果は二人とも優だった。というように彼女は大変な努力家であって、何と言うかどうも僕がサボり屋の怠け者にしか見えないらしいのである。そして、いったんそう決め込んだ家事分担分野には「助言」がどんどん増えていくという調子だ。連れ合いの勤勉さは尊敬するにしても、「こういう間柄」は五月蠅い。僕の部屋の方が彼女の部屋よりも遙かに綺麗なんだから(これは彼女も認めている。先日初めて「ジーパンが全部、綺麗に四つ折りで一箇所に収納されていて、驚いた」等というのだから)、僕の分担分野である家全体の清掃、整理整頓など黙っていれば良いのである。なんせ僕は手抜きをするが、それにしても我が家の何処も彼女の部屋よりは綺麗なんだから。

 関連して、この問題って案外根の深い難しいものなのだと、何年か哲学を学んだ僕にはよく分かる。紀元前五世紀「あなた自身を知りなさい」のソクラテス以来18~9世紀のカント、ヘーゲルまで、「主観と客観の問題」として、哲学史を悩ませてきた最大の難問だったのだから。等々と僕が思うからこそ、「五月蠅い配偶者」がいまだにますます幅を利かせているのかも知れない。
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日に何度も見る我が家の庭 ... | トップ | 僕の病状報告  文科系 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。