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小説 当世子どもスイミングと闘う   文科系

2024年03月09日 17時43分54秒 | 文芸作品
 更衣室から四年生の女の孫ハーちゃんが、やっと出てきた。その鼻高々と分かる表情を見なくとも、合格という結果だけは試験場プール脇から三皆観覧席にいた僕への合図でもう分かっていたのだが、「タイムは? どれくらい?」、急き込んで僕は訊ねている。通知表が差し出されたのをあわててめくってみると、二六秒一七。横に書かれた四年生女子の二五m平泳ぎ合格規定タイム二七秒一〇をやっと一秒弱、ヒヤヒヤの突破だ。
 これは、二〇二〇年九月末、五年以上通っている子どもスイミングの二級合格テスト。ハーちゃんは今、この巨大なジムの子どもスイミング教室に三〇級ほど設けられた進級クラスの最終段階に差し掛かっている。この最終段階は四つに分かれていて、四~一級はこんな内容になる。四級が、四泳法全部のフォームをテストする百m個人メドレー。二、三級は、その内どれか一つずつの泳法で二五mの規定タイムを突破するテスト。そして、最後の一級が、百m個人メドレーのタイム突破試験である。七月にあった三級試験は背泳で合格、四年女子の合格ライン二四秒一五のところを、二一秒五五で通った。ちなみに六年生女子の合格ラインが、二二秒〇五とあった。というこの背泳と違って、今日の平泳ぎの方は、僕とのテスト対策練習でなかなかタイムが伸びなかったから、事前の特訓に、珍しく二日を費やしたのだった。苦労した分、結果とそれ以上にタイムが待ち遠しく、二人して喜んだ当日だったのである。

 ジムから出て脇の駐車場に歩きながら、この建物全体を改めて見上げた。女性アスリート二人の看板、同じく男女二人の子どもスイマーと、二つの大看板が掛かった、巨大な建物である。南の道路を隔てた向かい側にも、矢張り同じように巨大なショッピングモール。お互いがお互いの客を呼び込みあっているという、そんな戦略がうかがわれる二つが並んでいるのである。名古屋の中心部一等地に近いところにあって、不動産会社が全国展開しているスポーツ・ジムなのだ。そこの子どもスイミングには、これだけ子どもが少ない時代に一体どこから集まってくるのやら、凄まじい数だ。週一時間一コマ・一コースの教室に多い時は二〇名もいるから、それだけで優に五〇名。親同伴の幼児などでとても賑わう土日だけでも計一〇時間としてさえ、先ず五〇〇名は軽く超えるだろう。ウイークデーにも、学校を終えた小中学生が何コースものスクールバスで名古屋市北東部から集められてくるクラスが少なく見て二〇ほども。ハーちゃんが通う日に僕が仲良くなった老夫婦などは、この愛知県の西端、津島市から孫の送迎で通ってくるのだそうだ。最近新聞で見た「子どもの習い事は、水泳が断トツ」というそんな社会現象のまさに最先端、象徴的な存在である。そういう大事業を、親元は日本有数の金融業というこの不動産会社が大々的に全国展開しているのである。

さてこの時から一年程話を遡った一九年一〇月、この教室に対して僕はある気持を抱き始めていた。

「今度は上手な子のように、板を持ったクロール・キックで、向こうの壁まで、二五mやってみる?」
 そのころ間もなく五歳になる男の子、ハーちゃんの弟セイちゃんにそうたずねると、弾んだ声でウンッと応えつつ、僕に微笑みかけている。板で泳いだことなどないはずだから拒否されると思っていた僕は、内心のうれしさを押し殺してさりげなく板の持ち方などを教えて。
 これは、娘に頼まれた、同じスイミングに通い出した弟セイちゃんの初めての水泳特訓三日目のこと。ちなみに、娘と僕はこんな子ども教育観で一致している。
〈物事に正しく取り組む態度を小学低学年までの子どもに身につけさせるには、スポーツと音楽が最適である。より上手くなるために正す点が具体的だし、改善の成果も目に見え、肌で感じられて、分かりやすいものだから〉
 この日も付いてきたハーちゃんと同じ水泳教室の進級テストに二回落ちて四か月を無駄にしたあとに、僕のセイちゃん指導の出番が初めて求められたその一場面なのだ。「普通クラス」の進級テストは奇数月にあるから四か月が無駄になったということなのだが、この日いきなり起こったことに、僕はまーびっくり仰天! 彼が二回落第したテスト課題とは、「フィックス」という二つの浮きを両肩に付けて「五メートルをバタ足できる」というもの。これはもう特訓一回目でできてしまって直後のテストにも合格したから、以降今日もふくめてあと二日はその距離を延ばす練習を企画していた。この間中守るべき大切な基本は、以下の二つである。
 一つは、正しく脱力した蹴伸びから伏し浮きの姿勢が取れること。大きく息を吸ってから壁を蹴ってまっすぐに進むだけの練習を何回もさせる。四肢をゆったりとのばしつつ蹴った後、脱力させた全身を水面と平行に保つ。この時、踵が頭より上に来るほどに腰から下を浮かせ気味にする「脱力した身体の伸び」が要点なのだ。ただこの姿勢は、きちんと教えれば子どもはすぐに覚えるもの。水の抵抗感がなくなる初めてのスタイル・やり方習得が、子どもには楽しくて仕方ないものらしい。自分には難物であった水の中を力も要らずスーッと分け入っていけると実感するからだろう。セイちゃんもこれがちょっとできるようになると、何度も何度も挑戦していたのが、僕にはとても興味深く、幸せな光景だった。今ひとつは、足首と膝を伸ばしてバタ足すること。つまり、頭よりも浮かせ気味にした脚をなるべく根元から動かす。
 さて、テストは五mだったけど、蹴伸びは完璧、バタ足も形になってきたこの日、思いついてこう提案してみた。「できるだけ遠くまで行けるようにやってみる?」。「ウンッ」という返事もろともどんどん距離を延ばし、結局二五mの向こう岸までを泳ぎ切ってしまった。僕はまーセイちゃん以上に、喜んだこと! 半信半疑のままに「もう一度やってみる?」に、やはり「ウンッ」。これもやはりニコニコとやり切ったので、〈この子、心肺機能が強いのかな!〉と、二度目の驚き。そこでこれほど脱力キックができるならこの日のうちにこれを定着させてしまおうかと思いついたのが、冒頭のボード・キックの提案だった。
 何度も言って聞かせてきたのに、笑顔交じりでつい激しくなるバタバタから出てくる膝曲がりもなんのその、やはりパワフルに通しきってしまった。
「セイちゃん、君、凄いことやったんだよ、これ!」
 驚きの連続から、こんな声を連発していた。
〈一二・五mクロールでさえ三つ上のクラスのテスト課題なのだから、手腕の形をちょっと教えればこのクラスもクリアー同然。そもそもこれほど出来る彼が前のテストで二回もどうして落ちたんだ? あんな簡単なテストに〉。
 プールサイドベンチからこのテスト場面の一部始終を見つめていたハーちゃんの所へ飛んでいって、声を掛けてみた。
「ハーちゃん、驚いたろ。セイちゃん、凄いね」
「あんなに簡単に二五mって、前のテストがおかしかったんだよ。ぢーちゃん、教えてなかったんでしょ」
「いやいや、この大進歩は、間違いなく、正しい伏し浮きの大切さを示してるの。君ももう一度改めて、自分の泳いでる姿勢を見直すといい。君のクロールは、呼吸する時に顔が水面から上がりすぎて、水中の上半身よりも足が低い形で身体が斜めになる時が多い。だから、水の抵抗が大きくなりすぎ。これがいつも言う君のクロールの『科学的分析』ね。勉強で言えば、理科の勉強内容の一つで、水泳ができない人でも分かる理屈だ。今月四級の個人メドレー型テストに君が落ちたのも、あの理科の理屈に合わないクロールのせいだ」
「違う、違う。あれは、ぢーちゃんが退院したばかりで、二人の練習ができなかったからだよ。大切な試験だったのに」
「俺のせいにしたら、怒るぞ。自分が『科学的練習』をおろそかにしたというのに。こんな大きな失敗はよーく覚えといて。今後一級までの対策に活かすことだ」

 と、こんなやり取りがあったこのころ、孫二人が通っているこの大きなスポーツジムの水泳教室に以前から抱き始めていた不信感が決定的なものに膨らんで、僕の中で弾けてしまい、教室への質問メールをこの直後に送ったのだった。
『一六クラスが三〇クラスになったのは(最近上達していくグレイド・クラスをこの通り倍ほどに多くなるよう再編成し直した)、極めて不愉快でした。調べてみたら、入門段階と旧一級とで多く枝分かれしています。全く理解不能で、一級卒業者をより長くつなぎ止める策としか思えません。今までは四泳法型テストの一級が通常の一番上だったのを六クラスほどに枝分かれさせたから、一級になった子が四級って、その気持ちを考えたのですか。子どもの気持ちを尊重しないという意味で、なんらか教室の都合によるやり方としか思えません。
 もう一つ質問で、クロールの教え方がおかしい。息継ぎの時に真上以上に、一八〇度を通り越した反対側まで顔が行ってしまっている子もいます。これでは、身体がいろいろぶれても来るから、水に抵抗がない身体の使い方にはなりません。二五メートルクロールクラスで友人の子どもさんらが何度も落第してきたのは、このことが関係していると観ました。悪い癖を直すのに熱心でないスクールと思います。
 そして、もう一つ。あるクラス泳法習得卒業時にはその課題が上手く泳げていた子が、以降に前に習った泳ぎに悪い癖をつけることも目立っています。一度身体に染みついた癖を子どもが直すのは大変。もうちょっとこの対策を考えてください。友人の子らがちっとも進級できない原因はそこにもあると観てきました。』

 このメールに対して近く返事を送るとの返信があったまま、いつまで待ってもそれが来ないのである。この質問内容は一種の社会問題だとも考えたものなのに。子どもらの社会教育施設という役割もあることだから僕の怒りは一種の公憤なのだが、僕の指摘が的を射すぎていて、弁護論議も思いつけなかったのだろう。
 さて、進級クラスを倍程に分けたのも、悪い癖を直すのに不熱心なのも、僕には金儲けのためとしか思えなくなっていた。関連して「希望者は個人レッスンを」という特別料金授業に加えて、毎月試験が受けられてどんどん進級もしていく仕組まであるのだ。言い換えれば、特別料金を出さない子どもはみんな悪い癖が付いて進級が遅れていく。そう言えば、ハーちゃんはずーっと週一回の一般クラスだけ、個人レッスンは受けたことはないけど、このジムに近い同じ学童保育から通っている子どもらのなかでは、いつの間にか出世頭だ。とっくに中学生になった子も含めて学童保育の上級生はかなり来ているのに。それぞれ同じ試験を何度も何度も落ちている日の暗い眼差しを見るたびに、どれだけ腹を立ててきたことだろう。
〈子どもは社会の子。その恩恵をやがて今の大人全員が受けていくのだから。地域の子など全部に大人も心してやさしく接してきたという日本古来の風習を踏まえた社会教育的理念が国の法制にも盛り込まれていて、ここにも適用されるはずだ。「規制緩和」ばかりで、そんな「社会的公正、良俗」もどんどん排除されて来てしまったのだろう。『地域の子どもをみる施設』という習慣もなくなってしまって、残ったのは全部、子供商売? 金儲けだけの全国チェーン施設ばかり? 日本国憲法理念で言う社会的『公正、良俗』はここでも一体、どこへ行ってしまったのか? 今の日本、こんなことばっかりだよなー・・・・。〉
 こうして、当時の僕の心中はどういうか、「このクラブがいかに悪いかを、ハーちゃんと俺がどんどん証明してやろう」と、そんな感情、思いが生まれていた。と言っても、コーチたちが悪いのではない。みんな礼儀正しいし、言葉遣いも親切で、子どもにも優しい感じの人ばかりだ。一クラス一時間で、二〇人近い時もあるほどの子どもをみさせられて、一年にコーチが何人もやめていくところを観ると待遇もパート扱いがほとんどなんだろうし、経営・管理体制が問題なのである。『悪癖を付けないように』という程度の専門性さえ求められていないとしたら働いている人にやり甲斐もなく、有能な人ほどどんどん替わっていくんじゃないか。ちなみに教えられる子どもの方は、何年か通うと友人もできるし、学校の同級生とか学童保育仲間も多いから、辞められなくなってくる。これじゃ悪循環、出せる金によってどんどん格差を付けていくぼろ儲け商売じゃないか! 流石にこの不動産会社の親会社があの大証券会社だけのことはある。低所得者住宅関連の金融商品・サブプライムのバブルが弾けたリーマン・ショックの時は、この大都市の近隣法人などにも大損害を与えて、確か訴訟寸前まで行った小金持ち私立大学も県下に二つはあったはず・・・。

 スクールとのこんなやり取りから、ハーちゃんに対する僕の指導は急に何倍かの熱を帯びていくことになった。そういう僕に対して当時のハーちゃんはと言えば、もう三年生。それまでの気まぐれ幼児の態度が消え、僕の言葉が彼女に通用し始めたことによって、いろんな自己規制ができる年齢に入っていた。学校の運動会で欠かさずリレー選手に選ばれ続けたり、僕が知らぬ間に「縄跳び名人」になっていたりして、スポーツの鼻っ柱も取り組み方も、相当なものに育っていた。これに対して僕の水泳は、平泳ぎだけが一定レベルという、ほとんど素人。それでも、たった一時間という特訓だけで身についた悪癖などもほぼ直せると、色んな成果を伴って分かってきたのだった。僕が得意だった色んなスポーツに比べて水泳の物理学的な理屈は極めて単純だったからだし、水の抵抗を上手く避けて推進力を高めるフォームの見本は、教室上級者をガラス張りの三階観覧席からいくらでも観られたのだから。ただ、目では全く見ることができない最重要にして最難関の水泳上達秘訣が一つあるのだけれど、それは僕にとっては現在日々実践中の、最もお得意の分野。これを押し詰めて言えば、酸素の体内循環・吸収力をいかにしてすみやかに高められるかという、水泳フォームのようには目に見えないから遠大で難しい議論・訓練になるのだ。が、このことでは当時七八歳の僕が、二〇年前から現在まで日々なお格闘中、専門家と言って良い身なのであった。

 同じ二〇一九年晩秋のころ、七八歳の僕のことなのだが、シーズンに入ったスポーツ、ランニングはどん底状況に入り込んでいた。この夏胃がんの疑いから胃腺腫皮下削除術という手術で一週間入院。癌の疑いは晴れたのだが、以降一か月の運動禁止から走り始めた時、体力の衰えの酷かったこと! 走らない日がこれだけ続くと筋力以上に心肺機能が衰えて、その回復に苦労し、普通に走れるようになるには低速ランを何日も何日も繰り返さねばならないのである。ところがこの繰り返しを始めて二、三日目には、右足首を痛めた。これだけの老人のこんなスポーツは、ここまでいつも病気や復活、その復活過程における故障との闘いでもあった。三年前の一六年から一七年にかけては、前立腺癌の化学療法と陽子線治療に通って、やはり走力を振り出しに戻している。そこからの復活過程でもやはり無理をして、故障した。あの時もやはり右足首だった。この前立腺癌による停滞から一定復活して二年目に、また胃の手術を抱えたということなのだ。ランニング人生のこういうピンチには、このまま急なじり貧になっていく歳なのかという思いがいつもいつも頭をかすめるのである。一九四一年生まれの七八歳、人はそれが当たり前の歳だと言うかも知れないが、僕は違う。今までもこうやって来たからこれだけ走れている。まだ走れるだけではなく、前立腺癌前一六年の一時間一〇キロという走力復活だってありえないことではないと、まだ目論んでいた。老人は体力は衰えても、それをカバーする知恵だけは細かく増えていくのである。『自分のスポーツの科学的分析』、ハーちゃんにもいつも、この言葉の意味そのものを含めて真っ正面からそう説明してきた言葉、思考を懸命に言い聞かせていたある日、僕がやっているブログでエールを送り合って来たランナーとの間で、こんな会話があった。

【 喜寿ランナーの手記(275)走法を変えたら楽に・・・二〇一九年一二月一七日
 今日はちょっと走法を変えてみた。歩幅やピッチの変更とか蹴り足を強くするとか、膝を伸ばし気味に走るだとか、小さな変化をつけることはいつもよくやってきたが、これだけ変えたのは初めてというほどに、大きく。このブログを訪れたあるランナーのブログを最近よく見に行っていて、そこで教えてもらったことをヒントにして。そのヒントとは、こういう言葉だった。
『最近は気を付けていてほぼなくなりましたが、着地する足が膝より先になっていたこともあります』
 文中「着地する足が膝より先に(なってはいけない)」に、目がとまった。〈ほうっ、これは俺の走り方とは全く違う。俺の知識でいえば、着地脚の膝を思いっ切り伸ばして地面をバーンとたたいたその反発力で走る短距離のやり方だ〉。というわけで、こんな走り方をすぐに実験してみた。後ろ脚で地面を蹴って跨ぐように走っていくのはやめて、前脚で地面を突っつき、その反動で腰ごと浮いた他方の脚を前に出して、骨盤から踵まで垂直気味にしたその前脚でまた地面をつつく。地面をつついたその反動だけで走り、これ以上に脚を前に振り出すことはしないというやり方である。振出脚着地時の曲がった膝を伸ばす時間が不要になったその分一分間ピッチ数は最大一八〇近くと多くすることも可能になって、スピードが出る割に始終疲れが少なくて済んで、(以下略) 】

 というようにとにかく僕は、この年にして初めて長距離ランナーに合った合理的な走法に換える努力を始めたのである。「喜寿ランナーの手記」という題名も二一年からは「八十路ランナーの手記」と変更するつもりのそんな歳の走法変更は身体を痛めると言われてきたのだが。そこはそこ、この年まで慣れ親しんだ細心の注意でやるだけのことだ。なにしろこの走法は、酸素の消費量が少なくて済むと、当時ますますはっきりとしてきたのだから。同じ時速九キロで走っていても、一分間の心拍数が僕で言えば一五五から一四五ほどへと、一〇近くも下がって来ると分かったのである。ゆっくりと長く毎日のように走れば走るほど心拍数が下げられるという酸素吸収力強化のためのランニング理論があるのだが、走法を変えてこれほど心臓への負担が少なくなるのなら、それに越したことはないということである。

 十二月末のある日曜日三時頃だったか、僕はいつものようにスポーツジムや温水プールも併設する近くの市営公園の周囲を走っている。一周一キロちょっとの公園で、僕の通常のランニングコースなのだ。五年ほど前までは体質的に不要だったウオームアップが今は二〇分以上も必要になっているのに加えて、こんなに寒い日は血管が開かずなかなか調子が上がらない。〈前脚の地面ツツキが甘いから、脚を無理無理前に出して、その膝が曲がりすぎてる。これじゃ、悪循環じゃないか!〉。あるいは〈頭も、顎も前に出ている。身体の姿勢がおかしいと、脚のツツキも甘くなるのだから、腰から頭まで、ちゃんと伸ばせよな!〉。色々工夫してきた新走法もまだまだ身についていなくて、気がつけば出てはならない悪癖がいっぱい出て来るのである。〈腰から頭までちゃんと伸ばして、骨盤の下に持ってきた前脚を伸ばして素早く地面をつついたその反発弾力で走る〉などなどそんなことを復習しつつ二周目が終わりかけた身体をしゃんとし直したその瞬間のことだった。
「ぢーっ、頑張れーっ」。
 すぐに分かった、ハーちゃんの声だ。斜め左二〇mほど前方、子ども遊園地の端っこ、歩道沿いの柵に沿って背伸びした女の子達が見える。同級生らしい女の子二人ほどもその傍らに居て、ハーちゃんを真似て、一緒に両腕を振っている。近づいていき、顎を出してあえぎながら言って見せた。「まだ六周も残ってるのに、こんなに疲れてる。年だねー」。三人がどっと来たのも、針が落ちても笑い合う年頃。「私、○○ちゃんの家に遊びに来てるの。もっと遊んでくからねー!」、と叫んでいる声を尻目に走り続ける。
 八周目を終わって、この大きな市営公園の一角にある児童遊園地から、一緒に家に帰ることになった。ハーちゃん家族は、僕ら老夫婦と今は同居しているのである。
「ぢーちゃんはどうしてまだ、そんなに走れるの? 聞かれたから再来年八〇になると答えたら、みんな驚いてた。あの友だちのおじーちゃんたち、膝が痛くて階段も苦労してるって」
「そりゃ、ハーちゃんの水泳と同じで、ずっと科学的トレーニングを重ねてきたからだよ。どこか弱った筋肉が見つけられたら、そこを強くする。水泳と同じでフォームに悪い点、力が損してる点があったら、そこを直す。ただ、いくら直しても短距離走はもうダメだ。ハーちゃんにも勝てないよ。自転車なら、君とずっと一緒にやってきたサイクリングでもう分かってるはず、僕のが強い事確実だけどね」
「あれは、ぢーちゃんの自転車がいーからだ。私にももうすぐ、あーいうの買ってくれるんでしょ。そしたら勝負しよ!」 
「あー、とても楽しみだ。今までは五〇キロまでだったけど、今度は百キロって言ってたよね。いいの? 大丈夫? 自転車の長距離は、技術や筋肉も問題だけど、それ以上に血液循環機能の問題、酸素を吸収する力の問題で、これは水泳も同じだって前に教えたでしょ。これを鍛えられるのは中学三年生ほどまでで、こちらは長年かかるんだよね」
「あーいう自転車に乗れたら、頑張れるよ。それに、この頃、体操で中距離やっても、縄跳びやっても、息がハーハーしなくなってきたし。短距離は学年男子も含めて一番だけど、中距離は二番ね。縄跳びも学年大会の全種目で最後まで残ってたの、ぢーちゃんも授業参観を観に来たから、知ってるよね」
僕のスポーツ好きが乗り移ったようなこの子とのこんな会話は、言うならば、幸せすぎる。今では、こういう会話の前提となる水泳、サイクリングなどのためにも走り続けてやるぞという僕になっている。


(この小説は、フィクションです。次回に終わります)

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