九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

ニシノジャパン(37)世界の趨勢「攻撃的守備」  文科系

2018年07月31日 14時44分30秒 | スポーツ
 ますます個人よりも組織

 2010年W杯で優勝したスペイン(流の繋ぐサッカー)はその後後退して、2014年にはドイツが優勝した。ロシア大会では、このドイツが予選リーグで負けて、フランスが2度目の優勝。この間、個人技世界一と言って良いブラジルは、負け続けている。自国W杯では、優勝したドイツに7対1と惨敗だし、ロシア大会は3位のベルギーに準々決勝敗退である。
 日本はというと、直前のパラグアイ戦で自分の戦い方、組織を見つけることができて3度目の決勝トーナメントに進み、ブラジルを負かしたベルギー相手に好勝負を演じた。
 さて、あれだけ弱かった日本が急に強くなったのは明らかに組織が変わったからだ。個人技世界1のブラジルが勝てないのも、同じく組織で負けているからである。サッカーの強さとは、組織の強さなのであって、この間二つのW杯で示された勝つ組織とは「攻撃的守備」の一語につきる。世界サッカーの現趨勢であるこのことについて、改めてまとめてみたい。

 キーワード「攻撃的守備」

① ブラジル大会のドイツも、ロシア大会のフランスも、ロシア大会に向かってぎりぎり最後に「強い組織」を身につけた日本も、その強さの淵源は「攻撃的守備」と言うに尽きる。そして、現在の攻撃的守備の有り様には、こういう表現が当てられてきた。

② まず、小さくまとまったという意味でのコンパクト。皆が一つにまとまって組織的にという意味のコレクティブ。その上で1対1(デュエル)に負けない個人の当たり強さ。そうして敵ボールを奪って、「縦に速く攻める」。そういう「攻守、守攻の速い組織的切替を皆が一糸乱れず行うよう常に意識していること」。などなどである。

③ こういう②のような戦い方を確立したのが2010年頃から急台頭したドイツのドルトムントであって、ここのゲーゲンプレスを理解できてこそ、②の意味も分かるというもの。守備即攻撃というその戦略思想はこういうものだった。
「敵陣に攻め入った身方ボールを敵が奪った瞬間こそ、そのボールが奪い返せるならばゲーム中最大の得点チャンスが出来る」

④ その「敵陣近くでボールを奪い返す」やり方は、こういうものだ。あらかじめDFラインを上げておいて前後陣を縦に詰めて密集した身方陣形を作っておいて、敵ボール保持者に近い身方がボールに突っかけ、後の身方は近くの敵がボールを受けるのを塞ぐという陣形である。ゲーゲンプレスとは、カウンタープレスのこと。敵がプレスでボールを奪って前に出てきた瞬間にこちらも前に詰めてプレスを掛けボールを奪おうとするそういう形をボクシングのカウンターパンチにたとえたわけである。

⑤ ゲーゲンプレス自身ははじめ、これを敵陣近くの高い位置で行ってショート・カウンター得点を狙ったが、やがてこういう「ボール強奪得点法」が中盤でも後陣でも、行われるようになっていった。要は、「敵が前掛かりになっているような時に何が何でもボールを奪って得点に結びつける」という発想、組織的やり方が、あらゆる位置、局面で行われるようになっていった。因みに、このやり方の普及によって。W杯得点が急に増えている。南ア大会まで、1ゲーム2・3ほどに下がって来た平均得点が、この2大会は2・7ほどに上がったのである。弱いと思われたチームも結構得点するようになったり、番狂わせが多かったりしたのもこういう流れが原因だろう。

 今後の世界サッカー

 さて、今後の世界サッカーはどうなっていくか。優勝したフランスなどを例にとって説明してみたい。
 第一は、19歳のムバッペの出現である。ムバッペはロッベン・タイプのスプリント力を持つカウンター攻撃手と言えるが、猛烈なスピードでロングカウンターも出来るこういうタイプがどんどん重用されていくだろう。こんな選手がいて、彼が少々前目に構えていたりすると、相手陣形はラインアップも難しくなって、間延びせざるを得ないもの。その有形無形の圧力には凄まじいものがある。

 第二は、エムゴロ・カンテという、コンパクトボール強奪陣形の要、象徴のような存在だ。走れて、スライディングなども上手い、インターセプトの名手。プレミア奇跡のレスター優勝の立役者こそ彼だったとは、既に世界周知の事実である。

 第三に、グリーズマンや柴崎のような「絶好のシュート機会へのパス」が見える選手は、いつの時代にも貴重なものだ。ゴール前のスペースが無い時代だからこそ、こんな選手がさらに貴重になっている。というよりも、ゴール前にシュートスペースを作り出す目といった方がよいのかも知れない。昔から言うように「敵ゴール陣形を縦横に広げることによってゴール前にスペースを生み出す」。そんなパスから始まって1、2手未来の「絶好のシュート機会へのパス」が作り出せる選手「たち」と言った方が。

 第四に、センターバックも足の速い選手が貴重になるだろう。日本対ベルギー戦の勝負を決した最後のベルギーカウンターの場面で、昌子にムバッペの脚があったら必ず追いついていたとは、誰もが思ったことのはずで、昌子もその事をどれだけ悔しがっていたことか! 地面に伏して身体を震わせていた昌子の姿を見て、そんなことを考えていた。 
コメント (12)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

随筆 最近のギターレッスン  文科系

2018年07月29日 09時22分05秒 | 文芸作品
 今は、三つの曲を同時にやっている。ビラローボスのプレリュード一番とバリオス「大聖堂」の第三楽章、およびプジョール「アメリアの遺言」である。前の二つは、過去に暗譜したけどまだ人前では弾く自信のない曲で、その復習。「アメリア」は、新たに暗譜して先回初めて先生に聞いてもらい、次回には一応終えようと思っているもの。ただこの曲、僕の暗譜群に加えるかどうかは、まだ決めていない。暗譜群というのは、暗譜を維持していく僕の大好きな曲群のことであって、これに加えれば月に三回りほどは必ず弾き回していくことになって、まー僕のギター生活の宝物と言える20数曲のことだ。新たにある曲を加え別の曲を落とすということも重ねてきたこれらは、こんな大きい活用法があった。

 人前ではまだ弾けないけど大好きで暗譜したという曲をいつか弾ける日を楽しみに日々温めてきたという、そんな曲も多い。そういう曲を「とうとう発表会でこれがなんとか弾けた!」というのが、僕の最近のパターンになっている。バリオスの「郷愁のショーロ」、タレガの「マリーア」、ソルのエチュード作品6の11番などだ。たとえ下手だったとしても、このような経過から何とかこれが弾けたという喜びは、とても大きい。
 ビラローボスの一番は、昔暗譜群に入っていて暫く弾いていたのを5年以上前にここから落としたもの。最近ちょっと弾いてみたら、一週間ほどで全ての暗譜が蘇ってきて、今回は自分なりの完成を目指して弾いている。大先輩のお一人も言っていたが、昔きちんと暗譜した曲は10年ぶりに弾いても、弾いている内に指が次第に思い出してくれるものである。 彼と僕と両方の経験から80歳になってもなお指が思い出してくれると実証済みなのだから、人間の脳って不思議かつ凄いものだと思う。
 大聖堂は、2010年春からずっと暗譜群に入っているが、ちょっとまだ人前では弾けないという曲。僕には特に、第三楽章が難しい。

 これらの暗譜群曲にはさらに、もっと年を取ってもギターという楽器をずっと楽しく弾き続けられるはずだというそんな目論みも持ってきた。そもそも、これらのどれかを選んで日々自由に弾き回せるだけでも幸せな老後になるだろうと、そんな風に考えてきたのである。長く断続的でかつ下手な一人習いの後、リタイアー後の62歳で初めて先生なるものについて今15年という僕だから、先生についた最初から老後生活設計という意図も持てたのだった。この老後の楽しみ作りは、自分ながら大成功と言える。
 易しいの、難しいのいろいろ揃えて大好きな曲を集めているわけだから、それらが暗譜ですらすらと出て来た上に、その日その日いろんな箇所でいろんな弾き方をあれこれと試みてみられるというのがまた、大きな楽しみになっている。クラシックギターの楽譜はピアノの楽譜に最も似ていて、旋律をいろんな弾き方の和音で飾っていくという中身になっている。つまり、ピアノに近い広い表現領域をもっているという、それを活用できるという楽しさなのである。

 なお、上に書いたソルのエチュード作品6の11番について、このブログに以前随筆を書いた。興味のあられる方は、お読み願えれば嬉しい。17年9月8日「随筆 ソルのエチュード、セゴビア編17番」という題名になっている。これの出し方は、右欄外のカレンダー下「バックナンバー」の17年9月をクリックすることから入る。すると上の今月分カレンダーがその月のものに換わるので、その8日をクリックする。すると、エントリー本欄がその日のエントリーだけに換わるので、お求めのものをお読み願える。重ねて、よろしく。
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

狂気のアメリカ政治(5)  文科系

2018年07月28日 10時08分01秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 随筆 「人・政治の悪循環の果て」

 ある日のテレビニュースを見ていたら、米大統領がこんな不平不満を力説していた。
「何億ドル、何十億ドルと(米国から)受け取る国々が私たちに反対する。彼らの投票を注視している。反対すればいい。大きな節約になる」
 アメリカが、エルサレムをイスラエルの首都と「認定」したことを巡る国連論争の話だ。国連総会採決の後では、米国国連大使のこんな言動も報道された。
「国連や国連機関への拠出金を最も負担しているにもかかわらず『米国だけが軽蔑を受けている』と不快感を強調した」
 
 イスラムの聖地があるエルサレムの東半分は今なおパレスチナ自治政府のもののはずだが、イスラエルが軍事力で占領したままの状態で国連が凍結していたもの。そこへトランプ政権突如の「首都と認定」だから、イスラム世界という蜂の巣をアメリカが激しくつつき直した形になった。
 イスラム世界が協力して国連に提出した「認定反対決議案」が、まず、決定には強制力が伴う国連安全保障理事会でアメリカの拒否権が出て、否決。そこでイスラム諸国は、世界政治対立の道義、常識を判定する国連総会の採決にこれを持ちこんだ。こちらは、賛成一二八、反対九、棄権三五国、他に二一か国が採決に参加しないという結果。冒頭の米発言二つは、この採決に対するアメリカの事前事後二つの対応なのである。
 それにしても、普通の日本人ならこんな発言はできない。「認定反対国には米支援を止めるぞ」とか「国連拠出金が最も多い『米国だけが軽蔑を受けている』のは、おかしい」とか。むしろ、過去の国連調停を踏みにじって、どういう権利によってかは知らぬが米単独で首都認定を出した上にこんな発言をするからこそ、この国が余計に軽蔑されるのではないのか。そもそも国連決定を無視するということ自体が加盟国を侮辱する行為であると、そのことがわからないふりをしたアメリカのこんな言動こそ、「金で人のほほをひっぱたく」ものとして軽蔑されたのではなかったか。

 さて、こんな内容を僕のブログに書いた日に、常連のネット右翼さん方から、こんな反応があった。
「アメリカが自分の好きにするだけじゃない? 他国も、国連も、無力です」
「米国の軍事力、ロシアの軍事力、中国の軍事力、イスラエルの軍事力、すべて、同じように軍事力をちらつかせて外交を展開しています。結局力が物を言う現実はそうそう変わらないということが証明され続けていますね」
 こういう弱肉強食世界はそうそう変わらないと言いつつ、これを肯定しているのである。金で人のほほをひっぱたく政治とか、軍事力で恫喝する外交とかを、ネットという公論の場において人類の普通のことと主張しているのだから。これと同様に、米政府から冒頭の外交発言が普通に出てくるという事態も、アメリカという国の日常がもうこうなっているから起こった事なのだろう。こういう人々こそ、人類には公論、公正などは存在せず、戦争こそ自然という法則を自ら作っているのである。政治頽廃と人間自身の頽廃との悪循環。全体主義国家が滅びて民主主義国家が中心に座りなおした終戦直後は、この良循環があったような気がするが、世界はいつの間にこんな悪循環に陥ってしまったのか。
コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

狂気のアメリカ政治(4)世界史の現在  文科系

2018年07月26日 15時13分48秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 日米をよく観ると、世界史の現在が非常によく理解できる。なんせ、つい最近まで世界経済の2大国だった国が急激に傾き始めているのだから。この2国の激変にこそまさに、世界の激変の在り方、及び将来方向が顕れているということだろう。

 いまのアメリカは、まるで漂流船だ。WTO・世界貿易機関の世界経済規則に背を向け、世界が決めた地球温暖化対策から離脱してこの熱波を増やし続け、ただ一国力に任せたエゴに動き始めたトランプ・アメリカ。そのアメリカがさらに、各国に軍事大増強をやれと強力に迫りはじめた。ヒトラーは自国の軍事大増強で失業者を無くし、「景気をよくした」結果あのような結末を迎えたが、アメリカも世界のあちこちで戦争でも起こってくれと言わんばかりではないか。イラク戦争や、シリア内乱のようなことを世界中に期待しているのだろうか。さすればアメリカの高価な兵器が売れるとばかりに。
 これら全ての背後に、この事があるのは明らかだろう。アメリカ国家の累積赤字は、そのGDPの4倍である。

 このアメリカに依存して成り立ってきたような最近の日本は、もっと悪い側面も多い。この20年ほどで国民1人当たりGDPが世界5位以内から30位ほどに下がった事が、その典型現象、顕れだろう。正規職はどんどん減って、不安定労働者ばかり。それで、国家累積赤字はGDPの2倍だけど、これでもまだこれが4倍のアメリカの言うがままで軍事も大増強しようとしている! そして、これら国民生活数々の不満を抑えるのが、安倍政権の歴史的役割であったかというような政治! この政治は今やさらに、ヤクザの胴元のようなことをやってまで、収入を得ようとし始めた。


 これらの表面的原因も、いまはもう分かっている。人件費の安い国に生産を持って行かれて、貿易赤字が酷いからだ。人件費の高い先進国は軒並みそうなってきて、そこで活路を求めたのがマネーゲームだった。この20年ほどの英米日などは、物貿易の赤字分を、野放しのような世界相手の金融利益で必死に取り返してきたのだった。そして、そういう金ができるだけ流れ込んで、自国で運用されるようにと、税をどんどんまけてやったり、タックスヘブンで脱税することを実質見逃してやったりさえしてきた。


 さて、こんな世界はこれからどうなっていくのか。正規職は死にものぐるい、結婚もできず、子どもも作れない失業者、不安定労働者が世界的にどんどん増えて、先進国の金はマネーゲームに集められるばかりというこの世界は。ただ1つ分かっている真実はこれだ。先進国労働者にまともな職場が増えてその給料が上がるという抜本策をこうじない限り、全世界がさらにじり貧になっていくだけである。金融業を重視してそこにいくら金が集まっても、それ自身は何の職も作れず、まともな職を作るための長期投資こそ望まれているはずである。そして、そういう長期投資は今やもう、一国単位では不可能になったのではないか。また例えば、中国主導の一帯一路戦略は世界に多くの職を作り出すだろうが、日米の参加がない限り必ず歪んだものになるはずだ。つまり、世界の金を世界に職を作るために使う。そのことはもう、金融立国だけでも、物立国だけでも不可能になっているのだと思う。国連の仕事なのだろう。ところが、その国連をばアメリカがどんどん無視してきたという事実があるから、世界史はややこしい。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「よたよたランナーの手記」(226) 10キロ時に回復  文科系

2018年07月26日 10時24分02秒 | スポーツ
 熱波の中では、市営ジムの冷房が格別に有り難い。6月からは外走りを全くせず、ジムと自宅の階段往復だけ。そのジムでは7月になってこんな風に調子を上げてきた。

 1回の時間制限30分×2回の距離で、ウオームアップのための緩走時間も込みにしてのタイムだが、5日7・9キロ、12日8・4キロと来て、14日に8・7キロ、18日8・9キロ、21日9キロ、そして25日には9・1キロを越えた。
さて、これだけ急にスピードを上げて間遠に走っても77歳の身体のどこも痛めないというのは、間の日に階段往復などの筋トレをちゃんと入れているし、翌日の疲れなどをきちんと観察して次の走行日を決め、心拍計の数値なども見ながら走っているからだ。

 さてそれでも、昨日25日などは、後半の30分の走りで22分を時速10キロ以上で走れたのには、自分でも驚いた。10・5キロ時7分もやってみたが、まだまだ走れるという感じだったから、この調子なら16年5月27日の9・5キロも近く越えて行けそうだ。16年末前立腺癌の陽子線治療前の走力に戻るということになる。ほとんど故障もなく、これだけ走力回復ができているのは、僕の身体に合っているという意味で科学的なトレーニングできていたということだろう。マシンランニングの弱点、蹴り足が弱くなることへの対策も自分なりにちゃんとしてきたことだし。その証拠が、ストライドの広さ。10・5キロ時で走っても、ピッチ160をほとんど越えていないのである。僕としては数年前に戻ったと感じながら走っていた。

 昨25日の様子を、ウオームアップ緩走時間もある前半を除いた後半の30分で観てみると、こんなふうだ。初め少し8キロ時以下で走ってから、10キロ時と10・5キロ時に上げるインターバル走行をやった。10キロ時が2回合計15分、10・5キロ時が1回7分で、合計距離は4・7キロになっていた。10キロ時の心拍数も155以下だったから、このスピードで30分は走れるようになったなという感触を得られたのだが、これは随分久しぶりのこと。10キロ時が怖くなくなったというのがなにしろ嬉しかった! いつものように無理をしないでここまで来られたのだから、この先が楽しみで仕方ない。2010年の慢性心房細動・カテーテル心臓手術からランナー復活を遂げた上に、さらに16年の前立腺癌治療が重なった身体だから、特に感慨が深いのだろう。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

随筆紹介  ツバメ    文科系

2018年07月24日 12時59分54秒 | 文芸作品
 ツバメ  K・Kさんの作品です

 孫娘は小学校の放課後スクールの帰り道に、ツバメの巣を見るのを楽しみにしている。家の軒下に作られた巣の中から三羽の雛が見える。灰色の産毛から黒に変わり、黄色のくちばしも大きくなってきていた。
 でも今日はスマートの中は空っぽ。糞よけの籠も外されている。「巣立ったのかな?」孫はがっかりしながら周りを見ると、電線に小さめのツバメが三羽並んでいる。そこへ親が餌を口移しで与えた。飛べるようになっても餌を自分でとれるまで親が面倒みるのだと初めて知った。孫は絵本で見たのと同じ光景を見ることが出来て興奮気味だ。帰宅後絵本を広げて見入っていた。

 人間に例えれば十八歳くらいだろうか? 身体は親とほぼ同じだが、まだ自立していないのだから。人が一人前になるのはいつのことだろうか? 親元を離れた時? 社会に出た時か? 私はいつまでも親を頼りにしていたから、ツバメの事をとやかく言えないが。

 身近なツバメに興味がわき引き込まれた。ツバメの寿命は三年から五年らしいが小さいので天敵が多く、平均寿命は一・五年とか。夏になると自分で餌をとれる若鳥になり、河原のアシの中で集団で過ごす。秋の終わりに東南アジアなどの暖かい地方で越冬する。あの小さな身体で渡るのだから、生き残れるのは十三%程度という。日本へは豊富な餌を求めて春に来るようだ。知るほど愛おしくなる。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

掌編小説  オウム死刑に見えた国家暴走   文科系

2018年07月23日 17時47分33秒 | 文芸作品
 二〇一八年七月一六日夕方、小さな居酒屋の半分ほどが座敷になったその一角の座卓で、連れ合いと飲み始めた俺。すぐ隣の机で、三〇前後らしい三人の男性にちょっとした討論が持ち上がるところだった。教祖初めオウム真理教関係者七人の処刑が十日ほど前に執行されたばかりとあって、そのことについてである。

「あれだけの殺人事件じゃ当然だよな。弁護士一家三人皆殺し場面を読んだことがあったけど、まー酷いもん。子どもだけでも助けてという奥さんの悲鳴なども全く無視されたようだし」
 最初にそう切り出したのは、仮に目がね君と呼んでおこう。これを引き継いだのが、小さな顎髭を付けた細身の男性だ。
「でも、あれだけの人数の一斉死刑って、先進国世界はもちろん日本でももう希有なことらしいよ。EU、ヨーロッパ連合では死刑廃止が加盟条件の一つともあったし、日本でもA級戦犯処刑などの例外を除いて、明治末期の大逆事件以来の人数だそうだ」
 この顎髭君のニュースソースで、今度は太めのおじさん風が解説を加える。
「そうそう、俺もそんなネット記事読んだけど、大逆事件って政府がでっちあげた明治天皇暗殺計画で、一一人死刑という大事件だそうだ。先日は七人だから、A級戦犯処刑数と同じだよね。俺も何となく嫌な気分になったよ」。
 この二人に目がね君が改めて反論する。
「テロや難民問題などこれだけ世界が荒れてるんだから、EUの方がむしろ時代遅れなんだと思う。大量処刑実施って確かに良い気分になれんけど、『最大多数の最大幸福』とか『公序良俗』維持のためやむを得ず……とか、大学で習ったような……」
「確かに俺らはそう習ったね。そういう大目的のために、個々人が自制すべく契約しあって作ったのが国家だという社会契約説」と、顎髭君が付け加える。この三人、どうも大学の同窓生らしいが、法学部の学生でもあったのだろうか。さてここでこの話は一段落したようで、暫く無言時間。やがて、おじさん風がぼそっと語り出した。

「でも、明治末期以来では日本史上ほぼ初めてのことを今やったっていうのは、やっぱり引っかかるなー。もうかなり前から『死刑大国日本』とも言われているらしいし。明治末期って、国民主権国家とも言えなかった時代だろ? その時以来のことを民主主義国家になって半世紀をとっくに過ぎた今やるって……どういう理屈を付けるのか?……麻原らだって立派な主権者なんだろ? 主権者らがその幸せの手段として作った国家がその主権者を殺すって、改めて考えてみればやっぱりおかしくないのかな?」
 目がね君がまた答える。
「そこがそれ『最大多数の最大幸福』を目指し続けるためにやむを得ず『こういう方には死んでいただかねばなりません』という理屈。さっきも言ったけど、この数十年、世界もどんどん荒れてきたしね」
 これに同調するように顎髭君がウーンッという感じで一つ頷いたその時、おじさん風がウンウンと小さく相づちを打ちながら、またもぼそっと呟きだした。
「上手くまとめてくれたけど、そう解釈すればこそ全く理解できない政府の態度が、あるネット記事に書いてあったんだよ。こんな内容だった。『死刑執行の前日五日夜のことだが、自民党若手議員四十人ばかりが集まった二七回目という恒例の宴会に片山陽子法相も出席。会合の締め間際らしい全員写真も別記事に載っていて、その最前列真ん中に座った安倍首相の左手隣に上川氏が正座して、にこやかに右手親指をたてている光景があった』と。これって、明日の死刑執行決済書類に判を押したばかりの法相の態度かと問われているわけだ。この政府から見ると、めったになかったようなこれだけの大量処刑に異例という感じがまるでなかったことになる。」

 さて、急いで家に帰った俺、酔いも残っていたが、ネット記事を猛然と漁り始めた。まず、自民党議員・片山さつきさんのこれ。
『今日は27回目の #赤坂自民亭 @議員宿舎会議室、若手議員との交流の場ですが、#安倍総理 初のご参加で大変な盛り上がり!内閣からは#上川法務大臣 #小野寺防衛大臣 #吉野復興大臣 党側は #岸田政調会長 #竹下総務会長 #塩谷選対委員長、我々中間管理職は、若手と総理とのお写真撮ったり忙しく楽しい! 22:58 - 2018年7月5日』 
 次いで、ジャーナリスト斉藤貴男氏のこんな文章。
『死刑をリアルタイムで見せ物にすることで、国家権力の強大さと毅然とした態度を国民に見せつけた。意図的な公開処刑であり、死刑が政治に利用された』
 ここに言う『リアルタイムで見せ物に』とは、こういう異例なやり方の数々を指している。先ず死刑の予告がマスコミを通して国民に流れた。しかも、これが既に前日に流されていた。加えて、再審請求中だとか、国会会期中だとかには執行無しという諸慣行にも全て反していた。つまり、従来慣行を文字通り無視する形をさらに開き直らせるようにして、国家の力を国民に見せつけるという挙に出たわけである。というように、近代国家理論の諸原則を全て無視する形で改めて主権者の遙か上にそびえ立って見せた今の安倍流日本国家って、一体全体何物なのか?
コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニシノジャパン(36) 新しいカウンター  文科系

2018年07月20日 01時23分57秒 | スポーツ
 サッカー評論を見ていると、選手個人に焦点が当たった論評ばかりが多過ぎるように見える。メッシ、ロナウドはともかく、本田、久保君。かつて一時期の宇佐美、宮市らは、ロシア大会前の乾、原口、柴崎を遙かに超えるような扱いではなかったか。マスコミはまー売れる人物を作ってなんぼなのだから、それに踊らされる人々が結構存在するということだろう。

 さて、野球と違ってサッカーの強さは、総合的に優れた個人を集めるだけでは作れないもの、組織第一の競技である。
 サッカーには、野球のエースや4番バッターはいない。1人で相手を1得点に抑えられる選手とか、同じく一人で1得点を稼ぎ出す打者とかのことだ。ロナウドだって、良いパッサーが居なければ今の4分の1の得点も稼げないだろうし、ベルギーのGKクルトワでも独力で平均1失点以内などは到底不可能である。
 ちなみに、あれだけ弱かった代表が同じメンバーで本大会1ゲーム前から急に強くなったのは、選手個人を見ていては全く説明がつかないはずだ。組織が変わったから急に強くなった、これである。どう強くなったのか。ブラジル大会とロシア大会の代表を比べれば、強くなった理由は明白である。一言で言えば、カウンター得点を挙げられるようになった。そういう布陣を敷けるようになった。


 さて、2010年過ぎから世界のカウンターはどんどん新しいものになってきた。典型ゲームは、今回の2強と言える準決勝のフランス・ベルギー戦。守ったフランスが、攻めたベルギーの倍以上のシュートを放っていた、あのカウンターである。 
 普通のカウンターでは、あれだけ守ったチームのシュート数が攻めたチームの2倍以上なんてことは起こらない。フランスのどこが普通のカウンターと違ったか。要は積極的なボールの取り方が違う。

①何よりもワントップが前に残らなくて、FWラインを下げている。ベルギーに言わせると「ジルーが30メートルも下がったアンチサッカー」と批判が出たほどだ。そして、DFラインも単にどん引きではなく、比較的前に出て来る。つまり、これが「前後を詰めた」、コンパクトと呼ばれるものだ。多くの化粧品を一つの小さな入れ物に入れるあのコンパクトである。

②そのコンパクトで、「コレクティブ(相互協力的)」に相手ボールに激しく突っかける。因みに、フランスのその要・カンテは奇跡のレスター・プレミア優勝の立役者。インターセプトもスライディングタックルでも世界有数の名手。彼が突っかけに失敗したように見えても、そのボールがなるべく身方に流れるように突っかけることが多いのだ。そこがゲーゲン・プレスの組織的ボー奪取という意味である。敵ボールを今はどうしても良い位置で獲りたいという局面で、敵のボール受け手らに必ず身方マークがぴったりとついている。しかも、苦し紛れのボールが来たらすぐにかっさらえる位置に。

③この二つがあって初めて、強敵ベルギー相手にあれだけ引いてシュート数が倍以上にできたのである。普通のカンターは、「ボールが取れたらカウンター」。ゲーゲンは「良いカウンター狙いのためにこうやってボールを取る」と、まーこんな違いがある。

④ブラジル大会から急に得点が増え、ロシア大会で結構弱者も点を取ったのはこうして、ゲーゲンプレス的得点法が広がったから。ちなみに、W杯大会の1ゲームあたり得点変遷を見ると、98年フランス大会で2・67であったものが、その後最少2・30まで下がり、14年ブラジル大会から前に戻っている。最近2大会とも番狂わせが多かった理由も、最近の選手らの合い言葉もこれ、「コンパクト」「コレクティブ」「デュエル」「攻守の速い切替」「攻への切替ではとにかく縦に速く」「攻から守への速い切り替えのためには、あらかじめのDFラインアップが不可欠」などなどである。全て弱者の得点法、ゲーゲンプレスの広がりがもたらしたものだ。ちなみに、この得点法の元祖、ドイツ・ドルトムントがCL決勝に飛び出てきたのは、2013年のことであった。


 さて、今期日本で大躍進の広島は、まさにこういうコンパクト布陣のカウンターをやっている。城福監督の言葉を上げてみよう。これがまさに、ゲーゲンプレスの考え方である。
『例えば、トランジション(攻守の切替)の速さというのは高いレベルのベーシックなんだけれど、敵陣でボールを奪われて、ボール周辺の選手がプレスやスペースを埋める方法を間違えて、全員が自陣に50メートル帰る羽目になったシーンを映像で見せる。逆に、奪われた選手の切り替えやディフェンスラインの事前の押し上げによって奪い返して、ショートカウンターを繰り出したシーンも見せる。それで、「どちらがチームにとって有益だと思う? ここで3秒頑張ったり、事前に準備をしておくことで、帰陣に使っていたエネルギーを攻撃に使おうよ」と』

 この全体がゲーゲンプレスの考え方だが、中でもここが重要だと愚考した。
『ここで3秒頑張ったり、事前に準備をしておくことで、帰陣に使っていたエネルギーを攻撃に使おうよ』
コメント (7)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「よたよたランナーの手記」(225) 熱波のなかで・・・  文科系

2018年07月18日 11時00分22秒 | スポーツ
 5月28日、6月22日と、この「手記」書きが月一度とペース落ちしてきたのは、暑い中で衰えに抗うことを一時放棄しているようなものだから。外走りができないので、吹上スポーツジムでマシン走りだけに努めていることでもあるし。だけども、基本的走力維持にこそ、僕なりに計算して努めてきたつもりだ、こんなふうに。

 6月22日以降今日までは、まず階段往復が3回。それぞれ90往復、100、60とやった。水泳も3日ほどやったが、心肺機能の維持が目的である。そして、ジムマシンのランが4回は、最近になって順に調子を上げてきている。例によって30分×2回のその距離は、7・5キロ、7・9キロ、8・4キロと来て、14日に8・7キロだった。ほとんどLSD中心だが、必ず最高スピードも入れるようにして、それをも次第に上げてきた。秋に備えてきたつもりなのだが、冷房の効いたジムではこの夏の内にも9キロ台半ばには届いてみたい。

 こういうすべてが、この熱波でも一応走力維持に努めてきた積もりということだ。近いうちにそんな結果がここにも記せることだろう。
 だが、77歳になった身体そのものはどんどん老いていると痛感する。ウオームアップが長い時は20分も要るし、3日も走らないとすぐに衰えて来る。走行中の膝や、特に足首に違和感が出たり。そして、何よりも感ずるのが、これ。普通に道路などを歩いている時に無意識のままだと蹴り足がどんどん弱くなり、歩幅が小さくなっていることに気づく。「人間、こうして、老いていくのか!」というそんな実感から、慌てて強く蹴り始める。日常生活でのこんな注意が、不思議なもので走力にもっとも効果てきめんなのである。それは、恐ろしいくらいに。
コメント (3)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

太平洋戦争、右流ねじ曲げ理論に   文科系

2018年07月18日 00時34分36秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 以下文中にもある通りに、右流太平洋戦争理解の「最も大きなねじ曲げ部分」をまたまた描き出します。こういう議論をするから、「連合国史観」とか「東京裁判史観」という言葉が、恥ずかしげもなく使えるのだと。ちょうど、日本の朝鮮征服史に全く無知なのに慰安婦強制への反論を大音声する人が出て来たら、この征服史を又再掲したいと思い立つように。右翼系の学者・論客がこれらを知っていて知らない振りをしてきたから、その結論部分だけを受け売りしにここに来るような人々が、以下のような事実にほとんと無知なのです。
 なお以下の拙稿は、当時このように連載したものの第5回目のものです。

①「対英戦争と対米戦争の関係」10年11月15日
②「日米戦争における戦争責任の問題」11月16日
③「日米同罪論について」同17日
④「アジアのため?」18日
⑤(これが、以下の今回のものです)20日
⑥「太平洋戦争と天皇」22日
⑦「『自虐史観』『洗脳』の危うさ」23日
⑧「東條英機首相への熱狂ぶりと、その源泉」24日

(このどれもバックナンバーとしてここでお読み願えます。右欄外のカレンダー下の「年月欄」をスクロールして10年11月をクリックすると、すぐ上のカレンダーがその月のものに換わりますから、読みたい日をクリックして頂きます。すると、エントリー本欄がその日のエントリー全てに換わりますので、目的のものを探してお読み願えます)



【 太平洋戦争、右翼のデマに(番外編) 文科系 2010年11月20日

 しゃにむに、密かに、不意打ち開戦へ

 前回のこのまとめ部分は、日米の戦争責任論議における最重要点だから、説明が要りますね。
「なお、この(1941年11月)5日の御前会議の存在は、東京裁判の当初の段階では米軍に知らされていなかったということです。ハルノートとの関係、「日米同罪論」との関係で秘密にしておいた方が都合良かったと、著者(岩波新書「シリーズ日本近現代史全10巻の第⑥」「アジア・太平洋戦争」、⑥の著者は吉田裕一橋大学大学院社会学研究科教授)は解明していました」

 米国務長官ハルの覚書が駐米日本大使に手交されたのが41年11月26日、外務省がこれを翻訳して関係方面に配布したのが28日でした。対して当時の日本政府はその行動を、このように説明してきました。ハルの、この4要求を「最後通牒」で「高圧的」と断定。それゆえ「自存自衛の為」(12月8日、宣戦の詔勅)の開戦を、12月1日の御前会議で決定、と。誰が考えても、国の運命を決めるような大戦争の決断経過としては動きが急すぎて、不自然です。この不自然さを、著者の吉田氏はこう解明していきます。

 そもそも1国務長官の覚書とは、1国の最後通牒などと言える物では、到底ない。よって、10月に退陣した近衛内閣が進めていたように、アメリカとの条件交渉の余地はまだまだ充分過ぎるほどに存在していたのである。対して、入れ替わったばかりの東条内閣が、ハル・ノートを最後通牒と断定し即戦争を決めたように語られてきたわけだが、これは完全に日本のあるタクラミに基づいている。その狙いは、
・生産力で10倍を遙かに超える差がある強大なアメリカの戦争準備が整わぬうちに、戦争を始めたかった。日中戦争進展にともなって臨時に大増強した太平洋周辺戦力はアメリカを上回っていたからだ。
・それも、完全に油断させておいて、不意打ちで開戦したかった。日本側は、十二分に準備を整えておいた上で。
・東条内閣は、発足20日も経たぬ11月5日の御前会議でもう12月初頭の開戦を決めていて、戦争にまっしぐらだったのである。その日に決まった「帝国国策遂行要領」をその証拠として、著者はこう書いている。
『「帝国は現下の危局を打開して自存自衛を完うし大東亜の新秩序を建設する為、此の際、英米欄戦争を決意し左記措置を採る」とした上で、「武力発動の時期を12月初頭と定め、陸海軍は作戦準備を完整す」と決めていた。引き続き外交交渉を継続するとされていたものの、実際には、その性格は開戦決意をカムフラージュするための「欺騙外交」としての側面をつよめてゆくことになる』
 なお、前にも述べたように、この11月5日の御前会議は、東京裁判当初までアメリカには隠されていたものである。以上のように軍人内閣のやり方は、「出来るだけ速く、密かに、しゃにむに戦争へ」「相手とは交渉を続けるふりをして油断させつつ」「それも、相手に知られない不意打ちで」というものであって、このことはその4にまとめた以下の事実によっても証明されている。
『よく知られているのは、真珠湾への奇襲攻撃である』。開始8日午前3時19分、対米覚書手交4時20分というものだ。この点については従来から、こういう説があった。対米覚書の日本大使館における暗号解読が遅れたとされてきたのだ。これにたいする本書の解明はこうなっている。
『外務省本省は13部に分かれた覚書の最終結論部分の発電をぎりぎりまで遅らせただけでなく、それを「大至急」または「至急」の指定をすることなしに、「普通電」として発電していたことがわかってきた』


「アジア・太平洋戦争」の開戦原因に関わる経過を、最後にもう一度まとめておく

1 「日本が、中国侵略から南部仏印侵略へという動きを強行した」
「このイギリス権益の侵害に対してなされた、アメリカによるたびたびの抗議を無視した」
「こういう日本の行為は、ドイツの英本土上陸作戦に苦闘中のイギリスのどさくさにつけ込んだものでもあった」
 この間の上記の経過は、本書では結局、こうまとめられている。
『結局、日本の武力南進政策が対英戦争を不可避なものとし、さらに日英戦争が日米戦争を不可避なものとしたととらえることができる。ナチス・ドイツの膨張政策への対決姿勢を強めていたアメリカは、アジアにおいても「大英帝国」の崩壊を傍観することはできず、最終的にはイギリスを強く支援する立場を明確にしたのである 』

 そのアメリカに対しては、交渉するふりをして、その太平洋周辺戦力が不備のうちに、不意打ち開戦の準備を進めていった。
 その直前の様相は、こういうことであった。
『(41年7月28日には、日本軍による南部仏印進駐が開始されたが)日本側の意図を事前につかんでいたアメリカ政府は、日本軍の南部仏印進駐に敏感に反応した。7月26日には、在米日本資産の凍結を公表し、8月1日には、日本に対する石油の輸出を全面的に禁止する措置をとった。アメリカは、日本の南進政策をこれ以上認めないという強い意思表示を行ったのである。アメリカ側の厳しい反応を充分に予期していなかった日本政府と軍部は、資産凍結と石油の禁輸という対抗措置に大きな衝撃をうけた。(中略)以降、石油の供給を絶たれて国力がジリ貧になる前に、対米開戦を決意すべきだとする主戦論が勢いを増してくることになった。』】
(これは2018年1月という今現在の余談ですが、アメリカの上記のような対日行動は、現在アメリカが北朝鮮に対している行動に何と似ている事でしょう! 「在米日本資産の凍結」と言い、「日本に対する石油の輸出を全面的に禁止」と言い。)


 なお、20世紀における大日本帝国軍隊の仮想敵国が以下のような変遷を辿ったことも、今回改めて付加させていただきます。 
 1907年4月4日以降 『(仮想敵国の)第1はロシア、米・独・仏がこれに次ぐ』
 1918年6月29日以降『ロシア、アメリカ、中国』
 1923年2月28日付けで、日本帝国の国防方針がこう改訂されています。
『想定敵国 陸海軍共通のものとしてアメリカ、ロシア・中国がこれに次ぐ』
(出典は、岩波新書同上シリーズ第5巻「満州事変から日中戦争へ」99頁。著者は加藤陽子・東京大学大学院人文社会系研究科教授)

 
 以降1931年の満州事変から、そのリットン調査団報告採択に国連総会で唯一反対して33年日本の国連脱退と続きますが、これ以降の日本は国際法違反の確信犯になっていきます。太平洋戦争は、東京裁判においてこの満州事変の時期から裁かれたのです。国際法違反の確信犯になった時期から裁かれるのは、理の当然というものでしょう。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニシノジャパン(35)ロシア大会、僕なりのまとめ  文科系

2018年07月17日 04時49分49秒 | スポーツ
 このW杯では、こんな世界潮流が見えたと思う。
① 第一に、得点が急に増えたという傾向が先のブラジル大会以来続いている。1998年のフランス大会からずっと減ってきた得点が、ブラジル大会から持ち直している原因は、以下のように明らか。

② コンパクトプレスで強引にボール奪取し、守から攻へ速く切り替える縦に速い攻撃。このドイツ発祥得点法が世界に広まって、コンパクトボール奪取陣形はそれほどでもない繋ぐだけの攻撃チームを凌駕し続けているということである。典型ゲームは、今回の2強と言える準決勝のフランス・ベルギー戦。守ったフランスが、攻めたベルギーの倍以上のシュートを放っていた。

③ ブラジル大会と同じように、このロシア大会も番狂わせが多かったし、弱い地域も比較的奮闘した。このことは、②に起因していると思う。これを強めれば、総合的個人技がそれほどでもないチームでも得点できるようになったということではないか。

④ なお、南米勢の沈滞には、VARの導入が凄く影響していたと思う。なんせ、シミューレーションをやりなれている南米勢において、一例としてネイマールが体現したように、ペナルティーキック判定が覆されるわけだから。あるいは、決勝戦でクロアチアのハンドが、VARによってペナルティーキックに判定変更とくつがえったりするのであるから。日常的にダイブをやっているような国、選手は、さらに勝てなくなるのではないか。ウルグァイがフランスに敗れたゲームでも、そんな感じを抱いた。

 我が代表は、外国籍選手の活躍で勝ったと言えて、Jリーグそのものは沈滞しているということだろう。ただし、アジアチャンピオンズリーグ常連とか、世界クラブカップとかに出ているチームは、ボール奪取目指して激しく当たりあうという世界に近い戦い方もできるようだ。鹿島勢、浦和勢がそうなのだが、今期の広島もそんな戦い方をしていると言える。浦和の槙野がハリルに感謝していたというのは、そういう世界的な戦い方を仕込まれたことへの感謝なのだと確信する。
 対する典型は、名古屋の風間の戦い方。これはいわば古い戦い方と言える。これでもし名古屋が台頭し直してくるようなら、「さらに新しい精緻な繋ぎ」を築き上げたということになろうが、その道は限りなく難しいと思うし、あと1年の強化期間猶予を許されるかどうか? まー難しいと思う。世界潮流変化の中では実に難しい時に、名古屋は風間流を採用したものだと、そう言うしかない。
コメント (5)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニシノジャパン(34)今夜、決勝戦   文科系

2018年07月15日 11時57分37秒 | スポーツ
 昨夜の三位決定戦って、あれがもう実力通り。ベルギーはゲーム中盤の多くを守備を固めて流していたし、イングランドはサイド攻撃以外にはなにもなかったし、そもそも「止めて、蹴る」が相手と比べて下手。

 さて、今夜決勝。僕はフランスと言い続けてきたが、それもエンバペ(と強い守備と)頼りで、クロアチアの底力は驚きの目で見直してきたところ。と言っても、昨日のイングランド戦を観た後は「この相手ならクロアチアが勝てたはず」と見方が変わったのだが、まーイングランドの力を僕が過大評価していたと、反省した。


 で、やっぱり優勝は、フランス。ベルギーのアザールらが「ジルーまでが30メートルも下がって、引いて守ったフランス。臆病なアンチ・フットボールだ!」と批判したが、これはいつもの悔し紛れの言いがかりとは、明らか。エンバペ攻勢を計算して「引いてコンパクト」をやったフランスに、シュート数で倍も上回られては、負け惜しみ以外の何物でもない。

 それにしても、このベルギー相手にシュート数が倍以上って、今回のフランスの力は確かに凄い。と言っても、ワントップのジルーが「いつも30メートルも下がって来て」、守りの先頭に立っていたのだから、エンバペ圧力がそれだけ強かったということだろう。準決勝などと違って今夜のエンバペは、アルゼンチン戦以来の全力を迸り出すことだろう。アルゼンチンは、PK獲得含めればハットトリックというエンバペに負けたのだ! PK獲得時のあの4人ごぼう抜きスプリントは、本当に凄まじかった。歴史に残るマラドーナの5人抜きと違って、ストライド走法でぶち抜いて行った、かって観たこともないあの光景! 
コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オウム一斉死刑、宇野重規氏の寄稿から   文科系

2018年07月15日 09時44分26秒 | 国内政治・経済・社会問題
「オウム真理教元代表の麻原影晃死刑囚を含む7人の死刑が執行された」が、同一事件のこれだけの多人数死刑執行は「大逆事件」以来百年ぶりの出来事とか、という書き出しで、宇野重規東大教授が昨日の中日新聞に寄稿されている。死刑というこの問題は、国の主人公である国民を、主人公らの生活手段として生まれたに過ぎぬ国家がどうして殺すことができるのかという重大問題を含んでいる。同様に、国の主人公の命を、国民のためにあるとされる国家が奪うことができるのかという問いを、宇野氏は発しておられるが、その中心部分はこんな文章になっている。
なお、日本という国は先進国には珍しい死刑大国である。これは案外日本人の知らないこと、この点では中国や北朝鮮に近い国なのである。

『多くの処刑者を出してきた欧州では、これを抑制するために、まずは個人間の私刑を否定して、死刑を国家の権限として一本化した。やがて民主化が進むにつれ、個人の権利を守るために作られた国家が、個人を殺す権力を持つのはおかしいとする意見も生まれてくる。私人はもちろん、国家もまた死刑に対する正統な権力を持たないという考え方の広がりは、民主主義発展の指標でもあった

『その意味で、今あらためて考えるべきなのは、はたして国家は死刑を行う正統な権限を持っているか、という問いである。筆者自身は、民主主義国家において権力が個人を殺す正統な権限を持つとは考えていない。被害者の権利をより重視すべきだとの声があり、それ自体は正しいと判断するが、そのことは国家の死刑への権利を正当化するとは考えない。報復という私刑的発想はまして評価できない
 今回の出来事を機に、国家による死刑の権限の濫用という人類の歴史を振り返り、今一度、死刑制度の是非について考えるべきではないだろうか』

 以上について、この問題理解が何をもたらすかということで、僕から一言を付け加えたい。死刑を肯定する人は一般に、主権者との比較で国家への尊重が昂じやすく、国家主義、全体主義に陥りやすい。否定する人において国家との比較で国民個人への尊重が昂じれば人間性悪説が剥き出しになると見る人が、この日本には他国比較で多いようだ。宇野氏が以下のように述べているのも、そういう日本の傾向を示していよう。

『死刑制度を廃止し、これを欧州連合加盟の条件にまでしているヨーロッパ・・・に対し日本では、死刑制度廃止に対する世論はそれほど大きくないようだ。世論調査を見ても、死刑制度を容認する意見が圧倒的多数を占める』

 なお宇野氏がアメリカはちょっと例外と述べて、こんな解説を加えられていた。
『それでは同じ民主主義国家の米国で、なぜ死刑制度が存続しているのか。・・・・・米国では、むしろ市民間の正統な裁判によって死刑を執行するという発想が強かった。国家に死刑を委ねないという意味では、民主主義と言えなくもないのである』


 
コメント (12)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

狂気のアメリカ政治(3)進化論の教え方   文科系

2018年07月14日 15時01分10秒 | Weblog
 今日は、こういう狂気の「温床」ともなっていると思われるものの一つをご紹介してみたい。知る人ぞ知る、「アメリカ教育界における進化論の教え方」の問題である。トランプの支持者にはプロテスタントの宗教保守派が非常に多いからであるし、彼らこそ進化論を否定する人々が圧倒的に多いからでもある。いろんな関係文献を読んだが、まとまりのある一文献をご紹介する。以下の内容が、検索に引っかかることが圧倒的に多かったジャーナリスティックなだけの「書き散らし文」などの内容とほとんど矛盾しなかったことも付け加えておきたい。織井弥生(おりいやよい)という方の文章である。

『 アメリカ人と進化論 織井弥生

アメリカの学校では生物の進化論を教えないという話を聞いたことがありますか?
今回はその現状をお伝えします。

進化論を信じないアメリカ人は約半数

日本人はダーウィンの進化論(creationism)を教科書で習い、特に疑問を抱くことなく受け入れている人が大多数ですが、アメリカではかなり事情が異なります。
アメリカ人と進化論に関する統計(ギャラップ、2012年)によると、46%のアメリカの成人が、「現在の人間の形を創ったのは神だ」と答えています
それに対し、「人類は進化したが、それは神の導きによる」と考える人の割合は32%、「人類は進化した。そこに神は介在しない」と考える人は15%です。
アメリカ人の約半数が進化論を信じていないことになります。
過去14年の推移を見ても、この割合にはさほど大きな変化はありません。
また、学歴の高い人ほど進化論を信じ、宗教心の深い人ほど進化論を信じないという顕著な傾向が見られます。
アメリカ人の宗教と科学の考え方には深い関係があるといえます。

キリスト教と科学

アメリカは、キリスト教を信じる人が人口の76%です。
特に多いのがプロテスタントの信者で、各派を合わせて人口の51%にもなります(U.S. Census Bereau, 2008)。
聖書には、神による天地創造の記述があります。
その聖書を重視するプロテスタントから1900年代はじめにキリスト教原理主義が登場し、政治的社会的背景と相まって、次第に進化論の思想は危険だという考えが保守的な人々の間で広まっていきました。
そして、1920年代には公立の学校で進化論を教えることを禁じる法律が各州で制定されました。
以来、数十年にわたり、このような法律はアメリカ合衆国憲法に反するとして、裁判が繰り返されてきました。
特に有名なのは、進化論を禁じていたテネシー州の公立校で進化論を教えた教師が逮捕された1925年のスコープス裁判です。


教育が州の管轄であるアメリカでは、進化論と創造論の扱いは、現在では各州に任されています。
また、米国科学アカデミー(National Academy of Science )は、学校教育で進化論を明確に教えることを強く推奨しています。
しかし、つい最近まで進化論を教えることのなかった州もありますし、どのように教えるかは教師の自由として、いまだに教室で進化論を取り上げない教師が多い州もあります。
全米の高校の生物学の教師を対象とする調査と分析(National Survey of High School Biology Teachers, Pennsylvania State University)によると、授業で進化論を積極的に取り入れようとしない生物学教師は60%にのぼります。
これらの先生たちは、進化論とともに、神が生命を創ったとする創造論(creationism)も生徒に説明し、「どれを信じるかは個人が決めることである」「各種試験には進化論が出る」等の補足をすることで、起こりうる問題を回避しているとのことです。
そして、進化論を明確に教える教師は28%にとどまっています。
一方で、13%もの教師が創造論だけを授業で教えています。

私の住んでいるカリフォルニア州は、進化論の扱いが定着している数少ない州のひとつです
実際に、私の子どもは、公立の学校の理科の授業のなかで、科学的理論として進化論を習いました。
また、厳しいカトリックの学校に移ってからも、進化論は科学の授業でしっかり習いました。
先生の手作りのプリントにも進化論についてかなり詳しく書かれていましたし、テストにも出題されました。
というのも、カトリックは、科学を柔軟に受け入れているからなのです。
理科の先生は、生徒たちに次のような説明をしました。
「進化論は、科学の理論です。一方で、私たちは、聖書に書かれてある神の創造を、宗教的に信じているのです。」
私は、宗教と科学の受け止め方の違いをはっきりさせるこの教え方には共感を覚えました。
いずれにせよ、宗教が教育の現場に大きく影響することは、日本人にとってはなかなか理解しがたいことです。

宗教国アメリカ

アメリカは、キリスト教に基づいて建国されました。
国家をひとつにまとめるための価値観として、宗教=キリスト教が必要でした。
もともと、ピューリタンたちが新大陸を目指したことを、旧約聖書の「出エジプト記」になぞらえました。
毎朝、子どもたちは学校で星条旗に向かって手を胸に当て、Pledge of Allegiance (忠誠の誓い)のなかで’One Nation Under God’(神のもとの一つの国家)と唱えます。
アメリカのドル紙幣には、’In God We Trust’(我ら神を信ず)と書かれています。
これらに対する議論があることは事実ですが、今すぐ修正されるような気配は全くありません。
アメリカは自由の国ですが、宗教に関してはキリスト教、それもプロテスタント中心の国なのだと認識することは、アメリカ社会を理解するためにとても重要なことなのです。』
コメント (11)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

てなわけで、あと2試合で終了 1970

2018年07月12日 21時39分01秒 | Weblog
色々サプライズがあったW杯も残すは3決と決勝の2試合のみ。

個人的には生まれ変わった日本代表の戦いに満足出来たんで4年前よりは気分良く観戦することが出来た。
新生日本代表の監督が誰になるか分からないが、駄目だったら駄目で今度は半年前に西野に替えればいいだろうwww
ま、これから2年位は若手を試して試行錯誤してくれればそれでいい。目先の勝ち負けに拘っても代表の評価は結局W杯1本なんだから、そこに照準が合えば問題ない。
日本人の長所と日本人にない駆引きの融合が出来れば近い将来ベスト8には届く。

で、まあ去年の途中からサッカー以外のことに関しては極力書くのを止めたオレとしてもようやく一段落着く。

ここのアクセスランキングをみてると面白いんだよね。
IPの数が150~200でアクセス回数がその5倍~7、8倍。ほぼ毎日同じ。要するに一人平均にすると5~8回も見てる。その割りにはIPは頭打ち。
これをどう考えるかは人それぞれだが、オレからすると毎日定期で100回位無理して叩いてる人でも居るんじゃないかな~と。それはそれでご苦労さんでw
そして、当然サッカーなんか興味ない人も多く居るわけで、そういう人には最近のW杯三昧のスレッドはくそ面白くも何とも無かったと思う。ごめんなさいね。でもアクセス回数はいつもと変わらないの、不思議w

で、お詫びがてらというか、とりあえずサッカーに関してはこのスレッドを最後に書かない。ここにコメントが付けばそれには応えるけれど。
このサイトにサッカーについて書くのはこれが最後。かなり前から違う場所で違う名前でやってるので。
そしてサッカーが最後なんで、それ以外は前に止めてるんで、オレがここに書くのはこれが最後になる。
出来れば、前回のW杯の時に色々書いてくれた人達と今回も続きをやりたかったが、unknownさん達が書いてくれたんで独り言にならないでよかったwww
unknownさん達ありがとう。

ということで。
コメント (14)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする