九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

僕が政治論以外も書くわけ    文科系

2019年07月28日 11時23分24秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 旧拙稿の何回目かの掲載です。明日からここを一週間ほど書くことが出来ないこともあって今日またこれを載せますので、真意をお酌み取り願えればうれしいです。結果として、この一週間にいろんな過去ログを引っ張り出して読んでくださる方が現れることも期待しています。画面右欄外の、カテゴリーのどれかからとか、「バックナンバー」と書いた「年月」のクリックからとか、過去ログに入るいろんな方法をお試し下さい。よろしくお願いいたします。


『 改めて、僕がここに政治論以外も書くわけ   文科系  2012年01月15日 | 文化一般

 表記のことを、改めてまとめてみたい。随筆、サッカー評論、ランニング日誌などなど政治や9条とは一見関係ないようなことを僕はなぜここに書いてきたか。ここが始まった6年前からしばらくはかなり気にしていたことだが、最近はあまりこれを書いたことがなかったと思いついて。

 僕がまだ若い頃から、こんなことが当時の大学で当たり前であった左翼の世界の常識のように広く語られていた。「外では『民主的な夫』、家での実質は関白亭主。そんなのがごろごろ」。そういう男たちの政治論に接する機会があると、正直どこか斜めに構えてこれを聞いていたものだ。どんな偉い左翼人士に対しても。レーニンの著作にたびたび出てくるこういった内容の言葉も、そんなわけでなぜか身に染みて受け取れたものだった。
「どんな有力な反動政治家の気の利いた名演説や、そういう反動政治方針よりも、恐るべきものは人々の生活習慣である」
 こういう僕の身についた感覚から僕の左翼隣人、いや人間一般を観る目も、いつしかこうなっていた。その人の言葉を聞いていてもそれをそのままには信じず、実は、言葉をも参考にしつつその人の実生活がどうかといつも観察していた。誤解されては困るが、これは人間不信というのではなくって、自分をも含んだ以下のような人間認識と言ってよい。人は一般に自分自身を知っているわけではなくって、自分の行為と言葉が知らずに自分にとって重大な矛盾をはらんでいることなどはいっぱいあるものだ、と。こういう人間観は実は、哲学をちょっとでもまじめに学んだことがある者の宿命でもあろう。哲学史では、自覚が最も難しくって大切なことだと語ってきたのだから。ソクラテスの「汝自身を知れ」、近代以降でもデカルトの「私は、思う(疑う)。そういう私も含めてすべてを疑う私こそ、まず第一に存在すると言えるものだ」などは、みなこれと同じことを述べているものだ。

 さて、だとしたら政治論だけやっていても何か広く本質的なことを語っているなんてことはないだろう。そんなのはリアリティーに欠けて、ナンセンスな政治論ということもあるし、「非現実的話」「非現実的世界」もはなはだしいことさえもあるわけである。それでこうなる。生活も語ってほしい。その人の最も生活らしい生活と言える、好きなこと、文化活動なんかも知りたい。どういう人がその論を語っているかということもなければ、説得力不十分なのではないか、などなどと。もちろん、何を書いてもそれが文章である限りは嘘も書けるのだけれど、その人の実際や自覚のにおいのしない政治論だけの話よりはまだはるかにましだろうし、随筆なんかでもリアリティーのない文章は結構馬脚が顕れているものだと、などなど、そういうことである。

 やがて、こんな風にも考えるようになった。幸せな活動が自分自身に実質希薄な人が人を幸せにするなんて?とか、人の困難を除くことだけが幸せと語っているに等しい人の言葉なんて?とか。そういう人を見ると今の僕は、まずこう言いたくなる。人の困難を除くよりもまず、自分、人生にはこれだけ楽しいこともあると子孫に実際に示して見せてみろよ、と。

 なお、以上は政治論だけをやっているのだと、人生の一断面の話だけしているという自覚がある論じ方ならばそれはそれでよく、五月蠅いことは言わない。だが、当時の左翼政治論壇では、こんなことさえ語られたのである。「歴史進歩の方向に沿って進むのが、人間のあるべき道である」と。つまり、政治と哲学が結びついていたのだ。それどころか、戦前から政治が文学や哲学や政治学、そういう学者たちの上位に君臨していたと言える現象のなんと多かったことか。
 そんなわけで僕は、当時では当たり前であった大学自治会には近づいたことがなかった。そして、左翼になってからもこの「政治優位哲学」には常に距離を置いていたものだった。これはなぜか僕の宿痾のようなものになっていた。


 なお、こういう「公的な場所」に「私的な文章」を載せるなんて?という感覚も日本には非常に多いはずだ。こういう「公私の峻別」がまた、日本の公的なもののリアリティーをなくしてはいなかったか。公的発言に私的な事を入れると、まるで何か邪な意図があるに違いないとでも言うような。逆に日本ではもっともっとこんな事が必要なのだろう。政治をもっと私的な事に引きつけて、随筆風に語ること。正真正銘の公私混同はいけないが、私の実際に裏付けられないような公(の言葉)は日本という国においてはそのままでは、こういったものと同等扱いされることも多いはずだ。自分の子供をエリートにするためだけに高給をもらっているに等しい文科省官僚の公的発言、「貴男が男女平等を語っているの?」と連れ合いに冷笑される亭主。

 ややこしい内容を、舌足らずに書いたなと、自分でも隔靴掻痒。最近のここをお読み頂いている皆様にはどうか、意のある所をお酌み取り頂きたい。なお僕の文章はブログも同人誌随筆も、ほぼすべて連れ合いや同居に等しい娘にもしょっちゅう読んでもらっている。例えば、ハーちゃん随筆などは、彼らとの対話、共同生活の場所にもなっている。』
コメント (3)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一週間、書けません!  文科系

2019年07月28日 00時41分18秒 | その他
 文科系より一言

 明日29日から8月初めまで一週間ほどパソコンが使えない場所にいて、このブログが書けません。ご承知下さい。
 
 落石さんなり他の誰かなりが書いて下されば嬉しいのですが。

 以上、よろしくお願いいたします。

 古いものでも、書評、随筆、小説、ランニング日誌などは現在のニュースも同じ。そういうものを、カテゴリー・クリックから読めそうなものを見つけて拾い読みなどしていて頂ければ、嬉しいです。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

終に来た「日本参戦」打診   文科系

2019年07月27日 07時09分54秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 今朝の新聞で、終に来た、「日本へ、対イラン参戦打診」。中日新聞見出しは、
『有志連合「日本参加を」 ホルムズ海峡 米国務長官が発言』

 これって、本当に何なんだろう。
 ここまでの「ホルムズ海峡、イランの脅威」って、僕にはほとんど「英米の、近頃ずいぶん下手になった、中学生並の学芸会芸」にしか見えなかった。嘘の理由で開戦に持って行った「イラク戦争」を見てきたこの相手、長年の米の「仇敵」イランに何か言うことを聞かせようという脅迫なのだ。こういうときの米が、国連を一切通さずに相手に対するからそう考えるのである。それも、こういう時のいつもの手「有志国連合」。イラク戦争もこれだったが、要するに国連という世界組織がありながら、これをもっと無力にする方向の国連分裂世界工作でもあるわけだ。

 日本は、こんな手に乗ってはいけない。乗ると必ず次の深化が要求されて、やがてこれまでの有志国のようにその国の若者がアメリカのために多数死ぬことになっていく。そしてその一歩一歩が、世界平和組織である国連の有名無実化に繋がっていくわけだ。今の国連がどれだけ無力でも、これの発展がなければ世界平和は目指すことはできないといいたい。ここでだけ、大中小の国々が対等に尊重されるようになる訳なのだから、大中小の国の存亡を、今のアメリカのような利己的暴力から守るために。

 なお、日本がここに参戦すれば必ず、こういう時代へまっしぐらになっていく。近く必然の米中衝突において、その最前線に日本軍隊が立たされること。この戦争は、金融経済帝国アメリカが物作り経済帝国中国を征服して、世界を金融独裁に落とし込んでいくべきもの。人の職業というものは、金融独裁とは両立し得ないから、世界の貧しい人が生きていけず、この世が地獄になるという方向でもある。オーウェルの「1984年」!
 こんなことは今のアメリカを観れば分かる。金融と一体になった産軍複合体が全てを牛耳って、その大多数国民に対する犯罪・不法を暴いた例えばエドワード・スノーデンが「極悪非道の大犯罪者」にされるという国である。
 
コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「離米・親ロ」のトルコを止められぬ米   文科系

2019年07月26日 11時43分29秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 これも、「マスコミに載らない海外記事」のサイトから取ったもの。以下で重大な「アメリカ覇権の綻び」とは、どういう意味か。NATOでアメリカに次いで第二の派遣軍を出すトルコが、NATO軍の相手国ロシアからミサイル輸入というのは、米の面目丸つぶれということ。「アメリカより、ロシアからミサイルを買うよ」とやられては、何の集団安保同盟国、何のその敵国なのかというわけです。
 日米安保の日本が、中国からミサイルセットを大量に買い上げるなんて、安倍にできるだろうかと考えてみて下さい。 近い将来の米中衝突で、アメリカから見た日本の価値は急上昇中、アメリカに対する安倍はエルドアンよりもはるかに強い主張もできる立場なのですが。それも、以下に見るように、アメリカに打つ手はありません。現トルコ政権に革命(輸出)を仕掛けて失敗したその相手トルコ大統領は、「何が安保同盟国か、何がその同盟仮想敵国か!」とかんかんなのです。

 エルドアン大統領暗殺がなお謀られていくことでしょう。この大統領は、2016年のトルコ軍クーデター事件では、間一髪、命からがら逃げ延びています。アメリカは、自己都合のこんな無理を、世界で無数に重ねてきました。アフガンのタリバン、イラクのスンニー派、シリアのクルド人、これら皆アメリカが過去に利用して、捨て去った人々です。つまり、マッチポンプの結果残った累々の屍・・・。

 高価すぎる米兵器、その技術も、ずいぶん劣化しています。F35と言い、「後家さん生産機」と揶揄されるオスプレイや、民間でも、ボーイングの不具合は今や世界的名声?を博しています。金融に買い叩かれてきた労働者の技術力低下が著しいのではないかとも噂されています。金融に食い尽くされた、斜陽帝国と、ここではずっと書いてきましたが・・・。この帝国金融が、物作り中国を買い占めることができなければ、この金融帝国はもう終わりです。トゥキディデスの呪い、そんな戦争までをこの帝国は本当に起こすのでしょうか。


『 S-400購入でアメリカ覇権に別れを告げるトルコ2019年7月22日 Salman Rafi Sheikh New Eastern Outlook

 NATO主要ライバルのロシアに対する防衛協力に従事するNATO同盟国が、NATOとその最大軍事大国アメリカからの強い反対に直面しながら、行動していることほど、世界的舞台でのアメリカ覇権衰退を示す、うってつけの例はない。ロシア兵器購入に対する、アメリカによる制裁の恫喝にも、トルコがひるまなかった事実は、ここ10年ほどのアメリカ覇権衰退が、どれほど急激かを示している。アメリカは、シリアで大失敗をこうむっており、1兆ドル以上もの資金と、何千人もの無辜の生命を浪費した後、アフガニスタンからの脱出を交渉しようと懸命だ。マイク・ポンペオのようなアメリカ政府幹部が、その不従順に対し、アンカラが直面する可能性がある制裁について、はっきり言ってきたのに、かつての「立場の低いメンバー」に、ロシア第一級の防空システムを買わないよう強要するのに、手ひどい失敗をしたのだ。主としてイスラエル圧力団体を代弁し、ポンペオは「法律は制裁を要求しており、我々が法律に従うこと、トランプ大統領が法律に従うことを私は確信している」とワシントン・ポストで明らかにした。これも、7月17日のF-35開発計画からトルコを完全に排除するというトランプ決定も、もちろんトルコに対してうまく機能するまい。

 ロシアのS-400購入決定で、トルコは断固としているが、これはトルコの主権と国益の公正な行使以外の何ものでもないが、アメリカの決定は、アメリカ-トルコ関係と、中東におけるアメリカの権益を大きく損ないかねない変曲点だ。従って、アメリカはトルコを「罰する」上で慎重にする必要がある。しかしながら、ホワイトハウス声明は、その攻勢がひき起こしかねない想定外の否定的影響を心に留めていないように思われる。声明は「S-400受け入れは、ロシア・システムを避けるというNATO同盟国全ての誓約を傷つけると述べた。これはNATO同盟とトルコとの相互運用性に悪影響を及ぼすだろう。」声明は、S-400購入によって生じた状態と「制約」に脅かされながらも、トルコとの協力は続くと述べた。言い換えれば、この協力はせいぜいごくわずかなものとなる可能性が最も高い。

 最近日本でのG-20サミット際に、トランプがエルドアンに宣言したように、トルコは制裁からは免れるかもしれないが、トルコとの協力を激しくはねつければ、地域にとって重大な影響があるだろうことは否定できない。

 いよいよとなれば、トルコはトルコ内の基地からのアメリカ軍退去を実施できる。このような決定は、核兵器60発のほとんどをトルコ領土から撤去することになりかねず、アメリカ軍撤退は、アメリカが作戦上重要な基地を失うことを意味するだろう。更に、このような措置は、北シリアのクルド人に対する、トルコの全面的軍事行動開始のための前提条件を生み出すだろう。クルド民兵の消滅は、地域のもう一つの重要な同盟者を失うことを意味し、アメリカが、シリア現地で状況に影響を与える能力に障害を与えられる可能性があるだろう。トルコは既に、一連の軍事活動で、国防総省をいささか神経質にしている。7月13日、アメリカ国防省は、トルコがこれまで数日にわたり、シリア国境沿いに軍隊を集結しているという報告に対応して、アメリカが支援するSDF部隊が占領しているシリア地域には、いかなる一方的軍事行動もせぬよう、トルコに警告した。

 この段階では、トルコが独自作戦を始めることはありそうもないように思われるが、トルコが実際にアメリカが制裁を課すのを妨げることを狙って、対抗する動きをしていると考えられる理由がある。

 これらの懸念を別として、トルコを強制し続けるワシントンの願望が、トルコを更に深くユーラシアと統合するようにし、ロシアと中国との協力を一層強める口実をトルコに与えることは否定しようがないだろう。

 この段階では、このような措置は、ワシントンとテルアビブ双方にとって、ことをずっと悪化させるだけなので、アメリカは制裁を課す立場にないように思われる。トルコは既に公然とハマスを支援しており、エルドアンは一度ならず、イスラエルはナチ国家だと言って、イスラエルのネタニヤフと激しいやりとりをしてきた。アメリカは、もちろん状況が、それ以上更に悪化するのを望んでおらず、それが、上記に引用したホワイトハウス声明が、なぜ、ロシア防空システム購入のかどで、トルコに対して、あり得る制裁に言及するのを思いとどまったかの説明になる。

 アメリカは懸念しており、将来トルコとの協力が、どのように限定されるかは示したものの、これまでのところ、彼らは余り露骨にはねつけるのは思いとどまっている。従って、アメリカ外交政策は、同盟国の一つに対し、このような状況下で通常するだろうことをするのを阻止する制約という暗雲の下で動いている。依然、アメリカはNATOの最大国家かもしれないが、もはや、ずっと小さな非核保有国を強制的に屈伏に追い込むのに十分なほど強くはないのだ。それどころか、ずっと劣勢な国が、制裁と中傷から構成される、いつもの政策を、アメリカが再考するよう強要しているのだ。

 Salman Rafi Sheikhは国際関係とパキスタンの外交、国内問題の専門家。オンライン誌New Eastern Outlook独占記事。』
コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

対イランに参戦?、ある日本最高ブレーンのこと   文科系

2019年07月24日 12時13分13秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 久しぶりに「僕の中の有名人、否、悪名人」の名を新聞で見た。それも、風雲急を告げているやのイラン戦争を巡って。参院選挙が終わった翌日22日、訪日したアメリカのボルトンがイラン問題を巡って政権の関係要人と会談とあって、その中に彼が入っていた。国家安全保障局長、谷内正太郎氏。彼も今、首相安保政策の最高ブレーンとして日本のイラン戦争有志国参戦を打診されているやの立場なのだ。彼のことを僕は、過去にここでこんな風に書いたと改めてご紹介したい。イラン戦争陰謀が大変不透明、不穏なこんな時だからこそ。同じような起こり方をしたイラク戦争がどういうものだったかも、今やずいぶん見えてきた時でもあるし。


【 なんと愚かな「国防」人事! 2014年01月16日 | 国内政治・時事問題

 新設された国家安全保障局の局長に、谷内正太郎氏が着いた。去年新春の中日新聞で、内閣官房参与(元外務次官)として以下のようなインタビューを語った人だ。その末尾のこんな言葉から彼の人格が分かるのだが、こんなイーカゲンな人が国家防衛の中枢?! まるでペテン師のような人格、お人だと思う。こんな人物を内閣の「目玉」新施策の責任者にする?! 日本、安倍内閣って本当にトロイ国、政府だなと思うしかない。

 自民党幹事長は軍事オタクの国防族。近ごろしきりに「国防精神」を上から目線のように説かれている方だが、その思考程度も手に取るように分かるというものだ。こんな人事を敢行したのであるから。上記新聞インタビューの中で、彼はこんなことを語っている。

『集団的自衛権については、自らが攻撃された時は他の国に助けてもらう、その国が攻撃された時は「われ関せず」という態度は責任ある大国としてありえない。集団的自衛権は国家の品格、品性に関わる問題だ。米国も、そのような日本の貢献を期待している』

 谷内氏は「国家の品格、品性」などと語ったが、相手を見て物を言えと言いたい。
 最近の米国というのは、嘘の理由で国連の反対を押し切って有志国だけでイラク戦争を起こした国だ。この戦争で無数の自国、他国の50万人だかを殺し、後になって大統領が『あれが嘘だとは全く知らなかった』とテレビで堂々と泣き言を語った国だ。因みに、我が日本政府・外務省は、嘘の理由に丸め込まれて参戦し、莫大な出費で今問題の国家累積赤字をさらに積み上げることになったのだが、なお「もっと汗も血も流せ」などと侮蔑的言葉まで浴びせられたのだった。こんなふうに二重に踏みにじられた侮辱について、外務省などからその後、何か釈明とか、相手への抗議でも、あったっけ? さて、こういう相手に「国家の品格、品性」をもって対せなどとは、馬の耳に念仏、蛙の面にナントカで、一銭つぎ込む価値もないどころか、ペテンに掛けられるのが落ちというもの。谷内さんに尋ねたい。集団的自衛作戦に品格をもって付き合っていく今後に、またしても嘘の理由で戦争を起こされて、日本や世界の若者などが殺されることはないという保証がどこにあるんです? そういう保証をどこで確認できたのです? 当方が品格をもって遇するべきは、品格のある相手でしょう。こんな重大な背信行為国相手に「国家の品格、品性」を国民にお説教とは。貴方のこの言葉、まるで騙りのようなものだ。

 さらに加えるに、こんなトロイ言葉を新聞という公器でもって不特定多数国民に説いて恥じないこの神経! これは、凄く意識して国民にお説教しているのである。これほどアメリカにコケにされてもなお「着いていきます」と応え、「それが品格(婦徳)だ」と子ども(国民)に説く健気妻! 放蕩亭主アメリカにすがりつき続けるどんなアホ妻なのかと、その顔が見たくなった。こんなのが、外務次官! 外務省ってこんなのばかりなのだろう。一時マスコミで騒がれたことだが、ほとんどの国の日本大使館に超高級ワインを山のように揃えて国家の金でただ酒飲んでいると、こういう人格が育つということだろう。それにしても、恥知らずである。】 
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ばかげた(日韓)貿易戦争」   文科系

2019年07月24日 11時42分19秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 今朝の中日新聞のこの記事に目が留まった。この問題への僕の感じ方に頷いてくれるようなものだったからだ。なお、後で知ったのだが、以下のこのニュースには、元外務官僚、孫崎享もそのブログで注目していた。
 中日外報記事の題名は『日韓対立に通商乱用、米中ロの手法』
 徴用工問題から日本が対韓国輸出規制に踏み切ったことに、アメリカのマスコミが総スカンを食わせていると言うことだ。まずブルームバーグ通信社説が、
『安倍首相が(選挙後)最初にすべきことは、自らが打ち上げたばかげた貿易戦争から日本を救い出すことだ』
『首相は政治紛争に通商措置を乱用している。中国や米国のトランプ大統領が得意とする脅迫手法そのものだ』

 ついでニューヨークタイムズ。
『(大阪G20サミットで)自由貿易について語った2日後に、韓国への規制に動いた。日本は安全保障の懸念を貿易削減の正当化に使う米国やロシアなどの国と仲間入りした』

 安全保障問題はともかく、徴用工問題に貿易制限を絡ませることが国家として品格がないことと直感していた。相手の徴用工問題は、国家間補償ではない個人補償に関わる司法の決定であって、それを行政が正せと言うのは筋違いにも思えたし。とにかく、話し合うしかないと考えたし。
 これに対するに、経済制裁、貿易戦争とは、「江戸の敵を長崎で」というような筋違いの嫌がらせ。トランプのような品のない商売人のやることじゃないか。ここのところの安倍は、トランプにどんどん似てきたと笑われているのである。ただし、この嘲笑の意味が安倍に分かるのだろうかと、そんなことも考え込んでいたのである。
コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

米政権を嘲笑ったトルコ大統領   文科系

2019年07月24日 09時09分49秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 今時こんな国の、こんな国家元首が出た。トルコのエルドアン大統領がロシアから対空ミサイルを大量に買い込んで、トランプを激怒させている。「トルコに売ることになっていたF35契約100機を破棄する」と息巻いて見せたが、これで大損するのはアメリカの方だ。射程400キロあって、F35などステルス機も探知出来ると言われてきた米軍脅威のこの噂の高性能ミサイルが、アメリカ同機種の約半額。インドもこれを買ったし、サウジも後に続こうとしている。経済斜陽のアメリカに、NATOの一角から、反旗が揚がったのである。
 これもアメリカの自業自得。16年に起こったアメリカによるトルコへの輸出品、国軍まで抱き込んだのに失敗に終わった「ギュレン革命」への凄まじい反発が、ここまで来たのである。因みにトルコは、NATO最重要国の一つと、文中にもこう書いてある。
『もしアメリカが更なる怒りで反応すれば、トルコはNATOを脱退すると脅し、南東トルコにある戦略上大いに重要なインジルリク空軍基地からアメリカを追い出しかねない。NATOで、トルコがアメリカに次ぎ二番目に大きな軍を提供していることは思い出す価値がある』
 以下の記事は、「マスコミに載らない海外記事」のサイトから取った。


『 トランプに「やれるものならやってみろ」といどむトルコ 2019年7月14日 エリック・マーゴリス

 トルコは、ロシアのS-400対空ミサイル購入を進めて、ドナルド・トランプに「やれるものならやってみろ」といどんでいる。ワシントンの怒りは非常に激しい。反抗的なトルコに地獄の業火のような制裁を浴びせるとトランプは誓っている。
 S-400はロシア第一級の対空のミサイルだ。それはステルス機、巡航ミサイル、中距離弾道ミサイル、無人飛行機と若干の他タイプのミサイルを含め、あらゆる形の航空機に対して大いに有効だと信じられている。自身のホーミング・レーダーによる自己誘導版と、砲兵隊レーダーに誘導される、それほど高価ではない「セミ・アクティ」版オプションがある。
 この地対空ミサイル(NATO用語でSS-21)を特に恐ろしいものにしているのは、注目に値する400キロの射程距離だ。S-400はステルス航空機の覆面をはがせるとロシアは言っている。私は大昔の1990年、ソ連保全当局者に、彼らのレーダーはアメリカのステルス航空機を探知できると言われたことがある。
 ミサイルの注目に値する射程距離と探知能力は、アメリカ戦闘能力の主要要素、特に、空飛ぶレーダー機、E-3AWACS早期警戒管制機や、アメリカ電子戦機、給油機や、もちろん、新しいステルスF-35、改良版F-15、F-22やB-1、B-2や長距離巡航ミサイルの輸送に使われる由緒あるB-52重爆撃機など、一部の戦闘機を危険にさらす。

 ロシアの地対空ミサイルは‘発射し、走り去れる’、発射してから素早く移動できるのだ。さらにいっそう重要なのは、S-400システムは、主要競合システム、アメリカのパトリオットPAC -2システム価格の約半分のコストなのだ。S-400は、一層信頼でき、正確かもしれない。ワシントンのアメリカ大統領は満足ではない。

 トランプ政権は、新しいステルスF-35、100機のトルコの注文をキャンセルすると脅して、S-400を買わないようトルコに激しい圧力を加えた。トルコがこの問題で、アメリカを拒絶すると思った人々はごく僅かで、彼らはアメリカに対するトルコの怒りの深さを理解し損ねたのだ。 アメリカに亡命して暮らしている、宗教・政治指導者フェトフッラー・ギュレンが運営するうさんくさい宗教団体を通して、アメリカが、アンカラの民主的政府に対する2016年のクーデター未遂を画策したと、大半のトルコ人は信じている。選挙で選ばれたトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は、シリアと湾岸に関し、アメリカの政策にと衝突し、ワシントンにとって余りに独立志向だった。パレスチナ人のために公正を要求することに対しても、彼はアメリカのイスラエルロビーの激怒を受けていた。

 トルコは今ワシントンによる経済攻撃の下にある。トランプ大統領は、古くからの忠実なアメリカの同盟国トルコに対する制裁(経済戦争と読むべき)を警告している。朝鮮戦争の際には、トルコ部隊が、アメリカ兵を中国の包囲から救った。だがトルコ人は大半がイスラム教で、イスラム教徒はトランプと彼の同盟者に憎まれている。

 S-400ミサイルが今トルコに到着しつつある。トランプは何をするだろう? F-35や他の軍装備品や保守部品のトルコ輸出中止。NATOからトルコを追い出す恫喝。イスラエルとギリシャに、トルコを威嚇させる。
 トルコは、F-35なしでゆけるのだ。それは余りに高価で、喧伝されているより一層脆弱かもしれない。トルコはロシアから類似の、それほど高価でない軍用機を入手できる。インドも中国もS-400を購入している。モスクワは売却を延期しているが、サウジアラビアさえ彼らに加わるかもしれない。S-400は、ロシア軍により、シリアにも配備されており、海軍版も予定されている。
 もしアメリカが更なる怒りで反応すれば、トルコはNATOを脱退すると脅し、南東トルコにある戦略上大いに重要なインジルリク空軍基地からアメリカを追い出しかねない。NATOで、トルコがアメリカに次ぎ二番目に大きな軍を提供していることは思い出す価値がある。全く無知なトランプに、誰かが、トルコがないNATOは骨抜きになるのを思い出させなければならない。同じぐらい重要なのは、NATOに拘束されないトルコは、欠乏していて、絶望的に必要としている石油源と、新しい同盟を探すだろうことだ。

 僅か一世紀前、イギリスとフランスの帝国主義大国に奪われるまで、イラクの肥沃な油田はオスマン帝国の一部だった。従属的な飼い慣らされたトルコの日々は終わるかもしれない。』
コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

随筆 「対イラン戦争」で嬉しいニュース   文科系

2019年07月23日 09時43分02秒 | 文芸作品
 今朝の新聞を開くと、すぐに目に飛び込んできた国際ニュースがあって、心が躍った。その見出しは、
「サウジ以外は批判抑制 英タンカー拿捕で湾岸諸国」
 
 毎朝起きるとすぐに新聞。外信ニュースを真っ先に読む。今年で言えば二つの「戦地」、いや、大きい内乱、戦争が起こりそうな二つの地域、ベネズエラとイランが気になってしかたないからだ。ベネズエラでは「米軍介入もあり得る」とトランプが叫び、あわや戦争かという危機が二度ほどあったが、内乱戦争も起こらずにすんだ。が、イランでは「憎しみの坩堝」が、これでもかと引っかき回されていると感じることばかり。

 日本などのタンカーへの攻撃が「イランの仕業」と報道。イギリス兵がイラン原油タンカーにヘリコプターで乗り込んで、これを略奪。その理由がまた不思議なもの。
「スーパータンカーに積んだ大量のイラン石油がシリア行きのもので、EUシリア制裁の一環だ」??
 誰が観てもイラン向けと感じるこの公然かつ異常な暴力を、世界に向かってそう申し開きしてみせたのである。これに対するように、イランのイギリスタンカー拿捕。「領海内に入った」と米無人偵察機をイランが打ち落とせば、同じく米軍のイラン偵察機打ち落とし。ペルシャ湾では米軍が募った艦隊が厳重警戒中の上に、とうとうアメリカ(とサウジアラビア)などが対イラン戦争有志参加国を募る所まで来てしまった。ここで戦争がまた起これば、近年の周辺戦争大被害に、さらに輪をかけた悲劇が起こる。関連死を含めて、イラク戦争では五〇万、シリア内乱では百万という、国際調査団報告などもあるのだ。その一人一人に思いを馳せると、どれだけの関連悲劇が終生ついてまわっていくことだろう。

 そこへこの朗報だ! 記事をよく読むと、こんなことが分かった。現在はどうも、アメリカとサウジだけが跳ね上がっているだけのようだ。
『ただ、ほかのペルシャ湾岸諸国は抑制的な対応で、米国の対イラン強硬策に同調するサウジとの温度差が浮き彫りになっている』
 イランとの関係を強化しつつあるカタールが「自制と平和的解決」を呼び掛け、さらに今回特筆されているのは、アラブ首長国連邦(UAE)の転換。対イラン有志参戦をアメリカ、サウジとともに呼び掛けていたはずのこの国が、『サウジとの共闘から微妙に距離を置きつつある』と書かれている。この部分にこそ、僕の目が吸い寄せられ、心が躍ったのである。

それにしても、今回のイギリスの態度が解せない。嘘の理由「大量破壊兵器」で始まったイラク戦争に加わって多くの自国若者をも殺し、後に当時の首相を中心に厳重な反省書をまとめ上げて内外に表明した国である。それがなぜまた、同じような地で、同じような戦争のお先棒を担いでいるのか。第二次大戦における国際民主主義の英雄国が、どうしてここまで落ちぶれてしまったのだろう。もちろん、原油に関わる何かの陰謀が絡んでいるに違いないのだが。
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書評「国家と教養」(藤原正彦著)④ 教養の3本柱と「情緒と形」  文科系

2019年07月22日 00時46分52秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 さて、以上のように国が売られて惨めになった21世紀日本に対して、著者は古代ギリシャにまで遡った教養の復興と、そこへの追加を一つ、叫ぶ。「民主主義は、国民に教養がなければ結局、自国も守れない衆愚政治になる」と。その下りはこんな風に。

『まとめますと、これからの教養には四本柱があります。まず長い歴史をもつ文学や哲学などの「人文教養」、政治、経済、歴史、地政学などの「社会教養」、それに自然科学や統計を含めた「科学教養」です。(中略)
 力説したいのは、これに加えて、そういったものを書斎の死んだ知識としないため、生を吹き込むこと、すなわち情緒とか形の習得が不可欠ということです。これが四つ目の柱となります。それには先に詳述した、我が国の誇る「大衆文化教養」が役立ちます』

人文、社会、自然と語られれば、人文科学、社会科学、自然科学という概念をば、日本の学問伝統を知っている知識人なら誰でも想起する。これが、旧制帝大以来ながく伝統であった大学の3学問部門、分類だったから。著者は、これがギリシャ以来人類に保たれてきて、ヨーロッパ・ルネッサンスでさらに花開き、西欧を近代させて時代の先頭に立てたのだと述べていく。

 ところで、この3つだけでは20世紀世界の二つの人類悲劇には対応できなかったというところで、4番目の柱を登場させる。20世紀にこれが強かった二つの国、ドイツと日本が全体主義国になり、あの酷い戦争を起こしてしまったという事実を重視して、そこから辿り着いた結論でもあると示されるのである。「情緒と形」とか、具体的には「大衆文化教養」とか「知情意」とかにも触れて説明されるものが欠けると、教養の上滑りが起こるというこの部分が、この著作の最大眼目と言える。

 この書のこの最大眼目は、著者が最も長くあれこれと説明しているところだが、はっきり言ってこの点は成功しているとは言えないと考える。少なくとも学問としては。敢えて言えば、数学者が愛国の義憤から仕入れた教養には、人文、社会両料学がまだ不足していると、僕は読んだ。なお、この点は著者も十分自覚していて、だからこそ、まさに自分のベース、土台からこの様に叫んでいるのである。この声は著者が好きなジェントルマンらしく、今の惨めな日本にとって大切なものとも思うが、
『私は教養人と言えるような人間ではありません。ただ、規制の緩和とか撤廃がどんどん進むにつれ、弱者が追いやられているように感じ始めたのです。』

 ちなみに、人文科学の20世紀世界最大の人物の1人ノーム・チョムスキーは、人文科学から社会科学へと晩年の研究を移していった感がある。最近では、世界的ベストセラー「サピエンス全史」を書いた若い人文科学者・歴史家、ユバル・ノア・ハラリもどんどんそうなっていくはずだと愚考している。

 金融独裁世界がもし出来上がってしまったとしたら、この世界は、「1984年」の中に描かれたまさにあのようなものにしかならないと、チョムスキーもハラリも言うだろう。藤原氏がこの本で見ているよりもはるかに深刻な人類世界、未来を今既に覗けるわけである。チョムスキーの著「覇権か、生存か・・・アメリカの世界戦略と人類の未来」とは、そういう意味である。

(終わります)
コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書評「国家と教養」(藤原正彦著)③ 冷戦直後から、米金融が日本改造    文科系

2019年07月21日 10時20分16秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 この書の第一章「教養はなぜ必要なのか」では、標記題名のことを描いている。国民が今の日本人の生活悪化で最も重要なこのことを見抜く教養こそが必要だったのだと、ご自分の反省も込めて、語られる。目次に紹介されている各章の概要ではまず、第一章分はこの様なまとめなっていた。

『「グローバル・スタンダード」の背後にある、「アメリカの意図」を見抜けなかった日本、情報の取捨選択を可能にする「芯」のない国は、永遠に他国の思惑に流される』

 というように、冷戦終結後世界の未来が不透明な時期で、かつ、日本住宅バブルが恐らくアメリカによって弾けさせられたという時期に、世紀の移り目のようなどさくさまぎれのそんな時に始まった日本へのアメリカの思惑諸行動が描かれていく。日本大改造、規制緩和、「巨大ヘッジファンドや巨大多国籍企業などが・・」、「金融資本主義の完成」、「アメリカ政府の年次改革要望書と、日米投資イニシアティブ報告書」などなど。時の政府が騙されるようにしてこれら全部を受け入れてしまったそのさわり部分に、その典型例としてこんな記述がある。

『2005年、小泉純一郎首相による一方的な郵政解散の2ヶ月前、自民党の城内実議員が衆議院の委員会で、竹中平蔵郵政民営化担当大臣にこう質問しました。
 事前にこの質問だけはしないよう懇願されていたものを、城内実氏がアメリカの露骨な内政干渉に対する義憤から強行したのでした。これに対し竹中大臣は、「17回」と渋々答えました。露骨で執拗な内政干渉がなされたことを認めたのです。300兆円に上る郵貯や簡保に狙いを定めたアメリカが、いかに熱心に郵政民営化を求めたかを物語ります。
(中略)
 実際、上場する時のゆうちょ銀行の社長はジティバンク銀行の元会長、運用部門のトップはゴールドマン・サックス証券の元副会長になっています。そして、保有する米国債は、ゆうちょ銀行スタート直後の2008年にはゼロでしたが、2016年には51兆円に増加しています。その間に日本国債の保有は159兆円から74兆円に減少しました。地方の衰退や国内産業の空洞化に拍車がかかりそうです。この売国的とも言える郵政改革を、郵政選挙で国民は熱狂的に支持したのです。
 アメリカの欲する日本改造を、なぜか我が国の政官財と大メディアが一致して賛同するばかりか、その旗を振り、国民を洗脳し、ついには実現させてしまう、という流れは今も続いています。(これらを)大新聞が一致して支持する様はまさに壮観かつ異様です』


 僕、文科系がここで何度も書いてきた異常な日本の貧困化の原因がこんなアメリカの金融行動とそれを受け入れた日本政府だと、同じように藤原氏も語っているのである。日本国民1人当たり購買力換算GDP世界順位が、90年代前半には1桁代前半であった国が、一向に「物価2%目標」も達成されぬ長期のデフレの末の今や32位。こんな酷い貧困化数字を、ここのブログでずっと強調してきた。

 藤原氏はなお、こういうアメリカの世界戦略出発点を、こんな世界史大転換時期に求めていく。

『冷戦終結で、瞬く間に共産圏という主敵が霧散してしまいました。巨大情報網の人員や予算の大幅削減が必至であることを考えると、彼らが青ざめるのは当然です。生き残りの手段として彼らは、主たるターゲットを共産圏から経済戦略に切り替えました』

 こうして起こったのが、世界第2位の経済大国としてアメリカに『狙い撃ちされた日本』であり、『改革によって損なわれた「国柄」』なのだと、藤原氏は展開していく。藤原氏自身も日本最大の友好国と考えていたアメリカが、その日本をソ連の次の最大のターゲットにしたという驚愕の事実。何と我々日本人はお人好しだったかと、こう述懐するのである。

『(冷戦終結と同じ頃に起こった日本の)バブル崩壊後の日本経済を立て直すための、盟友からの暖かいアドバイスと受け止めてしまいました』
『軍事上の無二の盟友アメリカが、経済上では庇護者から敵に変わったことに、世界一お人好しの日本人が気付かなかったための悲劇』



(続く、次回4回目で終わります)
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書評「国家と教養」(藤原正彦著)②問題意識と回答  文科系

2019年07月20日 10時51分39秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
この書の問題意識とそれへの回答


 この書評二回目の今回まとめるのは、表題の通りのこと、この二つそれぞれが全6章のうちの、初めの第1章と終章第6章とに書かれている。まず第1章の内容については、作者自身が端的にこうまとめているので、活用させて頂こう。
 なお、以下の重要語などの詳しい説明は次回③回目以降に譲り、今回は問題と結論に関わる著者の重要語の提起に留めておくということである。

『第一章で、1990年代後半から始まり小泉竹中政権で絶頂に達した、異常とも言える構造改革フィーバーの本質について、私自身長いこと気付かなかった、21世紀に入りしばらくしてやっと疑問を抱き始めた、と書きました。私は教養人と言えるような人間ではありません。ただ、規制の緩和とか撤廃がどんどん進むにつれ、弱者が追いやられているように感じ始めたのです。
 (中略)
 まず惻隠の情が働きました。弱いものがいじめられていると感じました。規則とは弱者を守るためにあったのだ、規則なしの自由競争とは弱肉強食そのものだ、まさに獣の世界ではないか、人類は何世紀もかけ少しずつそこから離れようとしてきたのではなかったか、などと考えました』


 そして、この問題意識に対する回答、第6章の主要部分は結局こういうことになっている。古代ギリシャも含めた今までの民主主義国家は、国民に教養がなかったから結局、衆愚政治になってしまったものばかり、と。この下りについては、20世紀の英国首相チャーチルの考え方として世に有名なこんな政治思想が展開されている。

『民主主義国家は、古代ギリシャから現在に至るまで、例外なく衆愚政治国家でした。一言で言うと民主主義とは、世界の宿痾とも言うべき国民の未熟を考えると、最低の政治システムなのです。ただ、フランス革命前のブルボン王朝、清朝、ヒットラー、スターリン、毛沢東、北朝鮮などを考えると、絶対王政や独裁制や共産制よりはまだまし、というレベルにあるのです』

 そこから作者は、国民のこの未熟を埋めていくべき「これからの教養」の4本柱を提起する。その部分を抜粋してみよう。

『まとめますと、これからの教養には四本柱があります。まず長い歴史をもつ文学や哲学などの「人文教養」、政治、経済、歴史、地政学などの「社会教養」、それに自然科学や統計を含めた「科学教養」です。(中略)
 力説したいのは、これに加えて、そういったものを書斎の死んだ知識としないため、生を吹き込むこと、すなわち情緒とか形の習得が不可欠ということです。これが四つ目の柱となります。それには先に詳述した、我が国の誇る「大衆文化教養」が役立ちます』

これが作者の問題意識に対する結論なのだが、ここに言う前3本柱の世界史・日本史的説明とか、これが世界有数であっても独裁・軍国主義を招いてしまった国、ヒトラー・ドイツや戦前日本はなぜそうなってしまったのかとかが、2~5章で展開される。この最後の問いからこそ、この書の何よりの特徴第4の柱「その国の歴史に刻み込まれた情緒とか形」とか、「大衆文化教養」が浮かび上がってくると書かれているのだ。


(続く)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書評「国家と教養」(藤原正彦)①  文科系

2019年07月19日 10時48分01秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 この人の2005年11月に発行されたベストセラー「国家の品格」は僕が買った2006年4月版がもう第24刷とあったが、合計30万部出たとか。それに相応しい内容の本だったと、ここにも書評を書いた覚えがある。著者が日本をこれだけ悪くした近年のアメリカ批判を、僕と全く同じ視点から行い始めた本でもあった。 今回の「国家と教養」は、この点こそを真っ正面に据えて教養というものを論じたものと言える。

 お茶の水女子大学で数学を教えた名誉教授で、英米にも長い留学経験があるお方であって、特にイギリスの文化には詳しいお人だと読んだ覚えがある。そもそもイギリスの伝統やジェントルマンが好きなのだ。それを踏み外していく自分の「俗」を横から見て、「やっぱりいかんよ」としかめ面作って自分を叱って見せてますよーと、文中自ら暴露しているようなユーモアーとともに。

 今回のこの本は、題が題だけに作者のそれこそ「教養」の質量次第で成功失敗が決まるようなもの。それだけに大風呂敷を広げてよくこれだけ書かれたと読んだ。書くために改めてあれこれ色々復習、確認の読み直しなどもずいぶんされたのだろうと、そんな猛烈な熱意も伝わって来る古今東西の教養を巡る膨大な内容なのである。もちろん、彼は数学者なのだから、種本も何冊かあったのだろうが。

 こういう大志、熱意の出所はやはり、アメリカの言うがままに社会的弱者を踏みにじって恥じないような日本に変えてしまった今の日本国家への怒り、義憤と、読めた。この点は、「国家の品格」を書いた動機の一つでもあった。この2冊は言わば姉妹本なのである。
「弱者を踏みにじるという意味で惻隠の情を忘れた国家は、最も品格がないものだ」
 これに今回の「国家と教養」が付け加えたのが、このこと。
「人文教養を基礎とした旧制高校風の教養が長い目で見れば最も大切なものだが、これらの教養市民層が政治、社会、大衆文化などの教養から離れている時、ヒトラードイツもそうだったのだが、実に惨めな国になってしまった」

 ただしこの作者、僕と違って「右翼と呼んで下さっても結構だ」と言うようなお方である。日本大好きだし、そもそも武士道が好きだし。真の右翼とは、本来そういうものなのかな。「弱者を助け、強きを挫く」という惻隠の情!

(続く)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平和への日本史、世界史の教訓   文科系

2019年07月18日 20時00分27秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 日本と日本人とは、「徳川300年の平和」をよーく知っている。群雄割拠で長く続いた戦国時代(という国民の不幸)を終わらせて、鎖国も関係していようが国内の需給好循環経済を栄えさせ、西欧以外では唯一、明治維新後近代化の基礎を作ったその平和である。日本人が1日3食になったのは元禄時代だし、この頃の江戸や大坂は、世界有数の文化をも誇る大都市であった。

 他方、最近の世界的ベストセラー「サピエンス全史」には、これと同様のこんな世界史知見が溢れている。
 部族社会では、部族外の人間は総て「敵」、もっと言えば単なる「動物」。統一国家ができて初めて、その国民が「対等」に。近代統一国家が生まれた時、そういう国の基礎として「基本的人権」が据えられるようになった。第二次大戦後にはとうとう、その国家も、世界庶民つまり人類も、初めて名目権利上は対等になった。
 20世紀後半に植民地が否定され、人種の平等が進んだのも、こういう国際民主主義への世界史的流れの一環と言える。第一次大戦後の国際連盟、二次大戦後の国際連合が、世界史上初めて生まれたそういう人類平和組織である。

 今新たに、国連に対するように、というよりもこれを無視するようなアメリカだけの例外主義が台頭しているが、そのアメリカこそが先頭に立って国連総会決議に従うならば、今はもう地上から戦争は終わるはずだ。「大量破壊兵器」という嘘の理由で、国連の制止を振り切っておこなったイラク戦争のような蛮行は許してはならない。

 日米の右ポピュリズムが国連を語らないという共通性を持つのは、以上のような歴史的背景を無視するからだと思う。簡単に言えば、世界近代史の国際民主主義の発展を無視する主張、所業なのだ。 これがなぜなのかを考えてみることこそ、世界庶民の明日の暮らしにとっても最重要なことの一つだと言いたい。
コメント (8)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

僕の九条堅持論   文科系

2019年07月17日 11時42分21秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 選挙という時節柄、僕の旧稿をまたまた掲載させて頂きます。戦争に対して、「戦争は現実に多いのだから」という人類史の到達点が欠けた安易な議論が、安倍さんを筆頭に日本には余りにも多すぎるから、このような議論が大切だと、ここを始めて14年ずっと考えてきました。
 人類は20世紀になって史上初めて、二つの世界平和組織を作りました。機関銃、飛行機など戦争の科学が発達した結果、2度の総力戦の被害が余りにも大きすぎたことへの反省からだと世界史の授業などでも教えられてきたはずです。しかるに、戦後長く続いた冷戦が終わったのを待っていたように、アフガニスタン戦争、イラク戦争を起こし、今イラン、ベネズエラでも戦争かというアメリカは、この国連無視をどんどん強めています。国連を無視しなければ戦争はできないからでしょう。日本は、そのアメリカが作る「戦争現実」を前提としてものを考えすぎているのではないでしょうか。
 最後までお読み願えれば嬉しいです。


『 僕の九条堅持論   文科系  2017年11月22日 | 9条問題

 以下は、11年3月9日にここに載せた拙稿である。ざくろさんという右の人物と論争した直後に書いたものだ。ここの過去で最も勉強されていて、自分でもあれこれとよく考えて来られたと僕には思われた右の人物だったから、こんなことを改めてまとめて応える気になったのだろう。良い論争相手は、物事をより根源から考えさせてくれるということなのだろうと、振り返ることが出来る。
 興味のあられる方は、ご笑覧、よろしく。


【 僕の九条堅持論 2011年03月09日

 ざくろさんという方が、ここでおかしな事を述べられた。
『原理原則から述べれば当然現行憲法は破棄されるべきものなんですけどね。』
 自衛隊という陸海空軍と憲法との矛盾について、これが、原理原則を本末転倒させた論議であるのは明らかだ。なし崩しに軍隊を作って、世界有数の規模と成し、強引に解釈改憲を通してきたやり方こそ、憲法という原理原則を踏みにじったと語るべきである。こんなことは、小学生でも分かる理屈だ。1国の憲法というものは本来、そういうものだと日々教えているはずだからである。
 あまつさえこの間に、この憲法を守ることが出来る世界作りを大国日本が率先して呼びかけ直す道も、「以下のように」あり得たのである。自衛隊を作る背景、原因にもなった冷戦体制が終わった時とか、サブプライムバブル弾けに端を発して100年単位ほどの世界大恐慌状態に落ち込んだ時とかに。そういう絶好の機会において、日本が国連でアメリカの投票機の役割しか果たしてこなかったのは、実に情けないことだ。なお、この恐慌は持ち直したという声があるがとんでもない暴論だと思う。世界にこれだけ失業者がいては、株が少々上がったところで、健全な経済状況などと言えるわけがないではないか。それが民主主義の観点というものであろう。
 

1 さて、古今東西、戦争の原因はどんどん変ってきて色々あり、一様ではない。よって「戦争を必然とする人間の本性」のようなものがあるとは、僕は考えない。これが存在するから今後も戦争は永遠に少なくならないというようなことを語るとしたら、その論の正しさを先ず証明してからにして欲しい。こんな証明は論理的にも、現実的にも不可能なはずだから「攻めてくる国があるから対応を考えなければならない」という立論だけでは、全く不十分な議論である。特に長期スパンで戦争をなくしていく視点が欠けたそういう論議は、万人に対して説得力のあるものではないだろう。
 20世紀になって、第一次世界大戦の世界的惨状から以降、そして第二次世界大戦以降はもっと、戦争違法化の流れが急速に進んできた。この流れは、18世紀西欧に起こった「自由、平等、博愛」の声に示されるような「人の命は権利としては平等に大切である」という考え方が定着してきた結果でもあろう。つまり、民族平等や国家自決権なども含んだこういう流れが、後退や紆余曲折はあっても近現代史に確固として存在するのである。
 世界史のこんな流れの中からこそ、長年の努力でEUもできた。EUの形成は、それまでの世界的戦争の先頭に立ってきたような国々が、互いへの戦争などを放棄したということを示している。
 20世紀後半になって、大きな戦争は朝鮮、ベトナムなどで起こったが、あれは東西世界体制の冷戦に関わったもので、その対立はもう存在しない。それどころか、中国も資本主義体制に組み込まれた現在では、日本のような先進大国を攻めるというような行為は、中国も含めた世界経済をがたがたにするという世界史的汚名を被る覚悟が必要になったとも言える。今時の大国の誰が、こんなヒットラーのような無謀行為を敢えて犯すだろうか。

2 さて、こういう世界の流れを観るならば当然、自国への戦争に関わっても二つのスパンで物事を考えなければならないと思う。一つが、「当面、日本に攻めてくる国があるか。それに対してどうするのか」と言うスパン。今一つが、「戦争違法化の流れを全人類、子々孫々のために推し進めるべき各国の責任」というスパンであって、これは、近年新たに目立ってきた世界の貧困問題や食糧問題などを解決するためにも世界万民が望んでいることだろう。なお、この二つで前者しか論じない方々は、論証抜きの「戦争は永遠の現実」という独断のみに頑強に固執して、数々の人類の不幸を全く顧みないニヒリズムだと、断定したい。
 以上のことは、世界の大国アメリカを観れば容易に分かることだ。アメリカは相対的貧困者や満足に医者にかかれない人々やが非常に多い「先進国」である。高校を卒業できない人が白人でも4人に1人であり、黒人やヒスパニックでは半分だ。現在の軍事費を何割かでも減らせれば、これらが救われる財政的条件が生まれる理屈だが、こんな当たり前のことが何故出来ないのか。ここの軍事費が何割か減ったら、攻めてくる国が出るというものでもなかろうに。だからこそ、今軍事費を減らそうとの視点を持たない「現実論」は、ニヒリズムだと呼ぶのである。 

3 まず上記の長期スパンであるが、こういう立場に日本が立ちたいと思う。
 先ず、国連には9条堅持と日本軍隊縮小方向を、代わりに『平和と貧困撲滅基金』というような形で毎年かなりのお金を国連に出していく方向を、改めて表明する。合わせて、こう表明する。
「軍隊を持たない方向を目指す代わりに、世界の『平和と貧困撲滅』に貢献したい。そういう大国が存在するのは世界と国連、人類の未来にとってこの上なく大きい意義があると考える。ついては代わりに以下の要求を万国、国連にさせて頂く。日本国憲法にある通りに、世界各国の平和を目指し貧困をなくすという希望と善意に信頼を置いてこういう決断を成すわけだから、以下の要求を国連に出す資格も当然あると考えている。
『日本に他国が攻めてくるということがないようにする努力を万国にもお願いしたい。また万万が一攻められるようなことがあった場合には、国連軍、国際的常設軍隊で即座に支援して頂くというそういう体制を至急お作り願いたい。国連をそうしたものにするべく、日本はその先頭に立ちたい』」 

4 九条堅持と、その実現のために、いやそれ以上に、世界の平和と貧困撲滅のために、3の遂行度合いに合わせて、自衛隊は縮小、廃止方向を取る。そのスパンも30年などと遠いものではなくしたい。
 なお、こういう構想は民主党小沢派、鳩山派などが持っている構想に近いものだと、僕は見ている。小沢派の「国連警察軍」などの構想は、これに近い発想、あるいはそうなっていかざるをえない発想なのではないかということだ。むしろ、親中国路線とともに国連常設的軍隊重視こそ、小沢がアメリカと親米派勢力に憎まれている理由だろうと考えてきた。また、このような案が大きく世に出てきた時には、共産党、社民党もこれに賛成せざるを得なくなるであろうとも予測する。つまり、以上の構想の現実的政治勢力、潜在勢力が現に大きく存在するということだ。
 ちなみに、国連自身の指揮下にある常設軍というならば、それに日本が参加してさえ、「国権の発動たる戦争」に関わる「陸海空軍その他の戦力」とは言えないだろう。また、フセインのクゥエート侵略があったり、アフリカのいくつかの国に同類のことが起こっている以上、かなり強力な国連常設軍が当面は必要だと思う。】』
コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

英米のイラン戦争挑発はもはや狂気のレベル   文科系

2019年07月16日 12時27分19秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 米英のイラン戦争挑発が凄まじいものになっている。まず、アメリカがイラン核合意から一方的に抜けると宣言して実行し、それゆえにイランが合意を一部踏み外し始めたのは、先ずアメリカが悪いのだ。ましてやこのイランの行動を理由にイラン制裁強化に踏み切るに至っては、英独仏中ロが合同会議を持ってイラン救済対策を検討したというほどに、さらに酷い乱暴狼藉と言って良いだろう。しかるに、イランへのこんな戦争挑発が、さらに深刻になっていくのである。
 こともあろうに、イラン救済対策会議の一員であったイギリスが、イラン原油をシリアへ輸送している真っ最中の超大型タンカーに特殊部隊をヘリコプターから乗船させて、これを強奪してしまった。「シリアへのEU設定制裁行動の一環」というのが伝えられた理由なのだが、独仏中ロが全く納得しない完全な対イラン戦争挑発と言える。イランが「イギリスの海賊行為」と怒りの声明を発表したのも無理はないのである。
アメリカはさらに、対イラン戦争参加有志国を募り始めた。サウジとUAEがすぐに応えたようだが、他の小国は二の足を踏んでいると聞く。イラク戦争とシリア内乱で関連死含めて150万人などと言われてきたから、またぞろそんな戦争の最前線に立たされてはかなわないと思うのが、イランと同じシーア派がいる国などでは特に自然な感情だろう。ちなみに、ちょっと前のアメリカは対ベネズエラでも近隣諸国に有志参戦を呼び掛けていた。これには、コロンビアでさえが反対して、ご破算になったようだが。さらにちなみに、イランは石油埋蔵量世界4位の国、ベネズエラは1位の国だ。

 さて、これら一連の対イラン英米行動は、一体何事なのだろう。どういう理由でこんなことが可能なのか。なんせ、これでもかと、相手を何度も何度も、挑発しているのである。一片の正当な理由もないこの戦争挑発は、あたかも嘘の大量破壊兵器でイラク戦争を始めたあの狂気と同じものを感じざるをえない。


 さて、ここで戒めとして再びイラク戦争への安倍の賛成語録を再掲しておこう。こういう呆れた頭脳、腐り果てた倫理観によってのみ、今回のイラン戦争(挑発)も納得ということになるのであろうというわけである。以下は、生放送?で端無くも示されてしまった、爆笑問題の太田君と安倍とのやり取りである。

 話は、日本国憲法前文の「日本国民は・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、(われらの安全と生存を保持しようと決意した)」を読み上げた安倍が、これを否定して見せた所から始まっていた。これを「他力本願ですよ、ベトナム戦争、イラク戦争など戦争はいっぱい起こっているのに・・・」と切って捨てた発言をしたことによって、以下の討論が始まったのである。

安倍「イラク戦争は、日本は支持した。その判断自身は間違っていなかった」
太田「アメリカは、間違っていたと言っていますよ」
安倍「大量破壊兵器があるというその情報は間違っていたけど、戦争判断自身は間違っていなかった」
太田「間違った情報による判断が正しい? 人がボコボコ死んだんですよ!?」
安倍「そりゃ非常に残念ですが・・」
太田「残念!? 間違った情報でボコボコ殺されたんですよ!」
安倍「いや、大量破壊兵器がもしあったら・・・」
太田「なかったんですよ。可能性で戦争してもいーんですか」
安倍「そりゃそうですよ」
太田「あいつ人相危ないからで、殺してもいーんですか?」
安倍「そりゃ、苦しい判断がありますよ」
太田「苦しいのは死ぬ方ですよ」
コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする