九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

こんな政治劇は、なぜ?  文科系

2021年06月29日 16時17分12秒 | 国内政治・経済・社会問題

   小池都知事の入院には、客観的に言って二つの意味がある。一つは、都議選の「自分の候補者」を体よく見捨てさせたことによって都議会議員選挙敗北ダメージから彼女を救ったこと。今一つは、オリンピック開催問題への関わりから彼女を逃避させたこと。政治家としての小池の左右2本のアキレス腱を守ったことになる一挙両得と言える。
 ところで、この入院について麻生財務相が「自分でまいた種でしょうが」と批判したことについて今度は、二階幹事長が「問題外の発言だ!」と切って捨てて見せたと報道された。どうやら、二階・小池と、麻生(・安倍)とが、暗闘しているということのようだ。ちなみに、山口の二階派幹部の選挙区に別の自民党候補を立てるようで、例の広島選挙区河井問題同様のことも起こっているらしい。岸田派の現職を、河井案里を立てて引きずり下ろしたあの事件である。

 この暗闘劇が本物なら、自民党内の親米、親中2派の対立と話題にもなって野党を吹っ飛ばし、秋の総選挙対策の一つにもなっていくことだろう。

 だが、この事件で確実なのは唯一このことだけだと言いたい。二階が小池の政治生命を救った。それによって、3Aに対する己の潜在的政治力を何倍かにできたということだ。一例、「小池総理」の目を残してみせたというように。

 野党が無能で、弱いからこういう「自民の中の嵐」も起こることになる。かくして今の日本、国民一人当たり購買力平価GDPは世界33位で、台湾は愚か韓国よりも貧しい国になり果て、それとともに、50歳まで一度も結婚できない男性が4人に1人近づいた、超少子化、超小国化の国。景気よく見えるのは、日銀の金をどんどん放り込んだ官製バブルの株だけである。こういう国家赤字埋め日銀券も、この赤字額が日本国の対外資産と貯蓄額との相当分を超えていけば後は野となれ山となれという、そんなのが与党政治だったのだ。力の無い野党も含めて、政治家がこんなに無能、脳天気な国もめずらしい。政治家が脳天気とは国民がそうだということ。何よりも、自民党に任せてきて超貧しくなって、孫も居ない爺婆揃いの脳天気国。自民党や連合支持の会社人間、社畜たちの末路国と言うべきか。

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権力本性露わ、麻生の暴言二つ  文科系

2021年06月28日 13時02分01秒 | 国内政治・経済・社会問題

 この25日、都議選応援演説における麻生財務相の度を超した暴言が問題になっている。「自分で撒いた種でしょうが」と題された女性自身の記事によれば、その内容はこういうもの。
『6月25日、過労で休養している東京都の小池百合子知事(68)に対してこう述べたのは麻生太郎財務相(80)。同日告示された東京都議会議員選挙で、青梅市選挙区の自民党新人候補の応援演説をした際の発言だ。
各メディアによると小池氏が特別顧問を務める「都民ファーストの会」(以下、都ファ)について、「代表の国会議員がいないから(国に)話が通じない」「従って知事が自分でやる。過労で倒れた。同情してる人もいるかもしれないが、(小池氏が)そういう組織にしたんだから」と酷評したという麻生氏。
また都議会について、「自民党とつながってる人がいなきゃ話がつながらない。一番上が国会であるならば」とも述べたという。』

 何よりも先ず、都議選政敵の入院を揶揄しているのが、常識外の品性下劣。ついで、政党政治を一種の利権誘導のようにこう論じているのだ。自民党国会議員が持ってきた話以外は何も聞いてあげないよ、と。これが日本国家の現実であるというのも公正を旨とする政治としてまず子どもには話せぬようなおかしな話だが、これが当たり前なのだと堂々と語るのはまた違った話。利権で議席を守ってきたという権力政治を堂々と広言しているのである。

 

 総選挙を前にした今また、「3A」とか言われて安倍、麻生、甘利の「権力だけ政治家」が新たな蠢動を始めているわけだが、この麻生氏にはこんな酷い暴言もある。これも上記女性自身記事の関連で読めた「反社会集団」的応対、言動として大きな話題になったもの。批判者に対する憎しみ丸出しのこの態度は、政治目標らしいものが実質何も見えぬただ「権力だけ政治家」という、その裏の現象、証明と言える。

『(2019年)12月10日に行われた会見の冒頭で、幹事社を務める東京新聞の男性記者が「政府が5日に決定した経済対策」について麻生氏へ質問。基金の活用について麻生氏の見解を求めた。
すると麻生氏は訝しげな表情で「何新聞だっけ?」と尋ね、「東京(新聞)です」と答えた記者に対して政府が発表した資料のなかに基金という言葉が使われていないことを指摘。「ブリーフィングのなかでは基金のような……」と口ごもった記者に対して、麻生氏は「あなたの言い方は気をつけなよ。これ、テレビに映ってるんだから。基金って言ったろ?」と質問を遮って注意する。
最終的に記者が発表のなかで基金という言葉が使われていないことを認めると「基金という言葉は対策のなかには使われていないよね。まずそれだけはっきりしようね」と発言。続けて記者に「返事は?」と同意を求め、声が小さかった記者に対して「マイク入ってないけど。大きな声で」と詰め寄っていた。

このほかにも、寡婦控除制度について質問した女性記者に対しては「ん!?」と顔をしかめて大きな声で聞き返し、「長い話ですな。あなたの生まれる前から(議論を)やっています」と回答。また、麻生氏が『文藝春秋』1月号のインタビューで安倍晋三首相(65)について「憲法改正をやるなら自民党総裁を四選するべきだ」という趣旨の発言をしたことについての見解を別の記者が質問。すると、麻生氏は記者に「憲法改正をされるんでしょ!? 聞いてんだよ、俺が」と語気を強めながら質問返しをする一幕も。麻生氏と記者の間には終始緊張感が流れながら、会見は終了した。
この会見の様子は「テレ東NEWS」でノーカット放送されたもの。この会見を見た人々からSNS上で「あまりにも横柄」「記者に対するパワハラ」といった声が。さらに、一連の麻生氏の答弁態度について冒頭のように、「まるで反社のよう」と批判が殺到していた。

《この映像を見ると、反社というものはこういう人のことを指すのではないか? と思ってしまいます。 記者を虐める、いびる、恫喝する、悪態をつく…。 見るに耐えません》 』

 ここに見える麻生の態度への批判は、その本質を描いて全く表現、理解不足。このマスコミへの態度は、自分を何様と理解しているかはき違えがあって、あるべき立場認識が欠如している。幕府の将軍か老中じゃあるまいし、いろんな主権者国民の代表とも顔とも言えるマスコミに対して、高校体育会の悪質部長がその子どもに語っている態度じゃないか。お前は国民の親分なのかというような態度で、お前一体何様だ、偉そうに、というのが正しい。主権者に対する公僕という意識の欠片も無しに、日頃どんな仕事をやっているというのか! 

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都議選でも、自民投票は駄目  文科系

2021年06月27日 11時40分55秒 | 国内政治・経済・社会問題

 6月25日から、都議選9日間の戦いが始まっている。都民の方々にお願いしたい。自民党には入れないで欲しい。自民党は今や、権力維持のために国民の命さえ賭けの対象にする政党に変わり果てている。このことは、「コロナー五輪ー総選挙」の関係を見れば明らかだと、いろいろな人々が指摘するところとなった。ちなみに、五輪でコロナが蔓延しなかったとしてさえ、国民の命を賭けのカタにした事には変わりはないのである。

 森友に見えた忖度悪の蔓延、桜に見えた政治・税金の私物化、河井克行への1・5億円の「謎」などなどに加えて、これらすべての問題のその後の経過において嘘ばかり通して、説明を逃げ通してきたこと。そしてなによりも、これらの元凶である安倍晋三が今でも党の有力者に居座ることができているという事実。そもそも、なんでこんな事ばかりが繰り返されてきたのか。権力を守ることだけに特化した政党に変わり果ててしまったという以外に答えはないはずだ。

 自民党都議会議員にもこういう特徴が浸透していないわけはなく、昨今はただ政治家になりたいだけの「権力願望政治家」ばかりと断言できると言いたい。また、都議会選挙が次の国政選挙に与える影響は甚大であるとも強調したい。
「都議選でも、自民への投票は駄目だ」
 とにかく、なによりも、これだけ権力悪を重ねた安倍晋三が、相変わらず大幹部として居座っていられる政党なのである。これで選挙に勝てたら、権力悪がさらに広がっていくだけだ。

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自民党の方々に告ぐ!  文科系

2021年06月26日 13時11分53秒 | 国内政治・経済・社会問題

・国費を使って華やかな「桜=国政功労者を祝う会」に山口県を筆頭として自民党有力国会議員の後援会員ら多数が呼ばれていた。これを何故不思議に思わなかったのか。「安倍選挙功労者=国政功労者?」、「安倍さんの、国政と税金との私物化?」と考えなかった不思議。
・高級ホテルで5000円だけ払い、華やかな飲み食い。これは「政治家、その選挙へのタカリの構造」そのものである。こんな行事自体を胡散臭いと周囲が感じなかったのも不思議だ。
・こういう国政(税)私物化絡みの公職選挙法違反に問われた筆頭秘書が、地元ではまたまた完全復活していると伝えられている。前首相地元で堂々たるこんな選挙法違反確信犯行為を許していて、何の国政、政治か。結局「即取りやめ」となったこの「桜」の全てが、「政治家としての安倍の下劣」を示しているだけなのに。
・「白昼堂々の賄賂配り」をやった法相、河井の1・5億円は安倍が出したと、その内の1・2億が政党助成金から出ているとほぼ立証された。こんな政治家に君らは付いていくのか?
・「私か妻が関係していたら議員を辞めます」を、あなた方は今どう考えているのか。

・朝日毎日に「極めて悪質な妨害愉快犯だ!」って、誰が言えるのか。少なくとも森友問題では139回、「桜を見る会」関連では118回も虚偽答弁をおこなったことを衆院調査局が認めているように、平然と嘘答弁を繰り返して国会審議をこれほどまでに空費させた人物こそが「極めて悪質な国会討論妨害愉快犯」だろう。

 こんな「権力だけ、政治悪の権化」と言える人物を党有力者としてのさばらせていたら、無理が通れば道理が引っ込んでいくばかりと考えるのが、道理。自民党、日本国家は暗闇になっていくと考えないのか? ちょうど1941年の東条内閣の時のように。あの時は国土拡張に国民の命を賭けたが、今は五輪に国民の命を賭けている。

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米の身勝手、キューバ制裁国連決議??  文科系

2021年06月25日 11時13分29秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 本日の新聞に、小さな記事だが、米外交の身勝手、悪辣を余すところなく示す国連総会決議事例が載っている。中日新聞によるその見出しは「対キューバ制裁解除要請を決議 国連総会」というもの。書き出しはこうなっている。

『国連総会は23日、米国によるキューバへの経済制裁を解除するよう求める決議案を賛成多数で採択した。同様の決議の採択は29回連続。
  賛成は日本を含む184か国、反対は米国とイスラエルの2か国だった』

 これに続く内容を要約すれば、こうなる。同じ米のキューバ制裁解除につき前回の決議から反対がブラジルなど3か国抜けて、棄権に回っている。一方、アメリカのこの決議への態度も、こう変遷してきたとあった。
 2015年キューバと国交回復したオバマは2016年に、棄権。トランプになって反対にまわって、バイデンはトランプのこの姿勢を引き継いでいる、と。その反対理由は、このようなものだと言う。
『制裁はキューバの民主主義や人権尊重を促進するための手段だ』

 総会決議には法的拘束力はなく、米制裁解除には米議会の承認がいることから、米制裁はまだ続いていくのである。この手の国連における制裁問題論議でいつも思うことは、これ。これはアメリカによる一種の革命輸出政策である。「独裁国」に生まれた国民は、このコロナ下で死にかけていても、国際社会から一切顧みられないのが当然であるとしているような。新自由主義経済の波に乗って自由な貿易の恩恵を受けてきた米国が、こういう所では極端に政略的に動く。民主主義の根幹である人道を無視した身勝手なだけの蛮行というそしりを免れぬはずだ。

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イラク戦争と、米政治の退廃(8)「中国に革命を!」と、米  文科系

2021年06月24日 08時34分30秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 思うところあって、旧エントリーを再掲します。それは、去年の6月28日から7月6日にかけて連載した「イラク戦争と、米政治の退廃」9連載の第8回目『「中国に革命を!」と、米』です。因みに、思うところとはこういうことです。

 僕のエントリーの3分の2ほどは、名称そのものを検索にかけると(エントリートップの1段目を筆者名も入れて青転換し、そのままWeb検索にかける)、「Microsoft Bing」の検索画面にすべて読めるように紹介されて来るのですが、この9連載については3回目、4回目しか載せられていません。因みに、3回目は「イラク戦争が世界を難民流出で悩ませたこと」、4回目は「イラク戦争は米の『原油=ドル』政策から引き起こされたもの」と言う内容。今までこの検索をやって来た僕としては、9連載の内容からしてこの2つの紹介だけは少なすぎると実感しました。このことから、この検索画面作りの「方針」を少々探ってみたいと、僕は思い立ったわけです。まー、米政権と運命共同体に等しいGAFAの一端に、「米政治擁護言論」の規制が掛かるのは当然のことでしょうが、「国連の嫌われ者、米」という3回はすべて落ちているし、下の大事な中国関連事実(の一端)報道も落ちているのです。しばらく、この検索方針についてちょっとした探りを入れてみようということ。もっともこんな事を明言すると、拙稿紹介がすべてなくなるかも知れませんが、そうなったら仕方ありません。

 

【 イラク戦争と、米政治の退廃(8)「中国に革命を!」と、米  文科系 2020年7月5日

 米から中への覇権移行に関わる米中冷戦について、アメリカ外交の要人たちが「中国に革命を起こさせるべし」、「『なるべく』平和革命を!」と叫び振る舞い続けてきたのを、日本人のどれだけが知っているだろうか。イギリス人で日米政経問題の長年の研究者ロナルド・ドーア著「日本の転機 米中の狭間をどう生き残るか」(ちくま新書)に紹介されていた有名政論人らの議論を紹介しよう。

 まず、日本でも有名になった「大国の興亡」(1988年発行)を書いた、ポール・ケネディは少々平和的で、この覇権移行は必然だろうが、「暴力の度合いを減らして欲しい」と述べている。ケネディは、大国の興亡で「過去、大国が入れ替わった時とは、旧大国が手を広げすぎた時だ」と述べて、米ソ冷戦時代にはその双方にそういう警鐘を鳴らしていた。その後ソ連が、東ドイツ崩壊を機に降参と諸手を挙げた時に、米外交論壇はケネディに対してこんな勝ちどきを吠えたという。
「それ見ろ、米への警鐘は余計な心配だったろう!」
 ところが、ご当人のケネディは、今度は米中冷戦の行方についてウオール・ストリート・ジャーナルにこんな記事を投稿したと、ロナルド・ドーアのこの本が教えてくれる。

『西洋からアジアへの、権力の地殻の変動のような移行は逆行させにくい。しかし、米国議会およびホワイトハウスがもし合理的な政策を取れば、このような歴史的な転換期の浮き沈みの度合い、暴力の度合い、不愉快さの度合いをかなり軽減できる。私のような「斜陽主義説の輩」にとっても、まあ慰めになると思う』

 ケネディのこういう議論に対して、ネオコン(新保守主義者)論客が猛反発するのは、言うまでもない。その典型、ロバート・ケーガンはこう語る。
『国際的秩序は進化の産物ではなく、強制されるものである。一国のビジョンが他国のビジョンとの葛藤においての勝利に起因する。・・・現在の秩序は、それを是とし、その恩恵を蒙っている人たちが、それをとことんまで防衛する意思及び軍事能力があってのみ、存続できる』

また、著名な外交官、キッシンジャーはこう語っている。
『外向的丁寧さを剥ぎ取って言えば、米国戦略の究極的目標は中国の一党支配権力制度を取り除き、自由民主主義体制に変えさせる革命(なるべく平和的革命)を早めることとすべし』
『中国が民主主義国家になるまで敵対的に「体制転換」を中国に強いるように、軍事的・思想的圧力をかけなければならないとする』

 ケーガンの「国際秩序は強い国が利益を守るために強制するもの」にしても、キッシンジャーの「中国体制転換に向けて敵対的に、軍事的・思想的圧力をかける」にしても、良くていわゆる暴力革命・政権転覆、悪ければ戦争という含みである。

 既に起こっており、今後激化するこの冷戦の原因がこれから常にアメリカ側にあることを、否が応でもこれに巻き込まれるはずの日本人はよーく見ておくことだ。ちなみに、近年のアメリカが国連無視をどんどん深化させてきたのは、中国に対する国連的解決など放棄しているからだとも言えるのである。自らの最大目標2%成長率も延び延びになるばかりで、トランプにおべっかを使うことしか出来なかった安倍のような馬鹿が下手をするなら、これからもどんどん米兵器を買わされて米中冷戦の最前線に日本が立たされることになる。イージス・アショアで既定方針に反旗を翻した河野洋平は、その点だけとれば、日本の利益にかなったことをした。

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Jリーグに歴史的強豪誕生(3)家長が川崎で生きた理由  文科系

2021年06月24日 00時17分39秒 | スポーツ
 
 19年2月末に書いた3連載の再掲3回目だ。
 
 
 川崎で18年度J1リーグMVPを取った家長昭博については、特別に嬉しい褒め言葉、内容がある。
「川崎という君の能力が出せるチームがあって、そこに来られてこれだけ評価されて、本当に良かったね」
「もう一度、君が伸びられる、貴重な時代が来たんだよ!」

 さて、この言葉、内容について、以下サッカー雑誌などからの抜粋などを試みたい。僕のその問題意識はこういうものだ。ガンバ大阪の育成始まって以来の天才宇佐美は燻り続けているのに、その前のガンバの天才・家長は何故これほどの復活ができたか。そこには、世界と日本の近年サッカーの激変が関与していると、僕は理解している。

 そもそも今の川崎で、家長が、仲間からこれだけの高評価を得られたのは何故か。彼が川崎に溶け込める走力を持っていたことに加えて、彼の能力が「今のサッカーのゴール前で凄まじく生きる」ように時代が変わってきたからだと考えた。宇佐美ならこうはいかない。ゴール前能力でも家長ほどの当たられ強さはない上に、走力が不足するはずだ。そして、この走力、内循環機能は主として中学時代に育つものであって、20歳過ぎて大きく育むことの出来るものではないという運動生理学上の理屈も付け加わってくる。ただし、スタートダッシュ力はこの例外で、プロになってからでもかなり育つものだ。これは、清水時代の岡崎から知ったことである。岡崎は、元オリンピック短距離選手、杉本龍男氏に師事して走り出しの体の使い方などを身につけるとともに、あっという間に代表レギュラーFW、南アW杯の予選段階世界得点王に成り上がった。なお、この杉本龍男氏が今は堂安律の専属トレーニング・コーチをやっていると、先日のテレビで知った。

 ともあれ、川崎における家長の評価は、かつての所属チームよりも遙かに高いはずだ。それは、彼がボールを持てる力が、川崎の得点戦術ゲーゲンプレスのゴール前で限りなく生きるからだろう。ドリブル名手だし、相手を抜くことも上手い。ゴール前混戦で敵をハンドオフする力も、倒されない体幹も限りなく強いし、混戦でのパス力もある。このような力は、ゲーゲンプレス時代のゴール前では、繋ぎサッカー全盛時代とは比較にならぬほど大きな宝物になったのだ。加えて、家長は走れるから、出場時間も大変長い。
 川崎でやっていける以上を通り越して大活躍できたのには家長自身の予想も遙かに超えていたと思うのだが、逆に同時に、「この程度なら、俺にはそんなに難しいことでもなかったな」とも思ったはずだ。だから語っているのだろう。「このチームでなら、まだまだ俺は伸びるぞ!」。

 さて、こういう全てが選手育成にとって何が大切かを、新たに示してくれたと思う。何よりも、プロの対人スキルと、広く身方組織を見る目・視野は基本小学生まで。次いで、走力は、基本的に中学までしか身につかない。身体の強さは高校からでも遅くはないとは、ガンバ・ジュニアで家長に負けていた本田圭佑の今の体力や、高校までひ弱だったと思われる憲剛や俊輔が示してきた通りだと思う。
 
 
 この連載はこれで終わりです。ところで、23日夜、3位と4位の戦い、マリノスと鳥栖のゲームを観ました。マリノスが見違えるように強くなっていた。もともとゲーゲンプレス戦術のチームですが、走力がさらに一段と強まって凄まじい走りだ。まさか、ここまで失点が少なかった鳥栖をあれだけ追い込むチームがあるとは、僕には驚きを通り越した思いでした。それによって防御にも走る力が増えたようで、以前には多かった失点がすっかり減っている。ちょうど、ゲーゲンプレスの元祖クロップがリバプールに行って得点を増やし、やがてどんどん失点を減らした末にチーム久々の優勝を遂げた時のように。これすべて、セルティックへ行った名監督・ポステコグルーの遺産なんですが、このチームがこのまま走れれば川崎とのリベンジマッチが楽しみで仕方ありません。ちなみに、ポステコグルーは、クロップ・リバプールを世程深く研究してきたのでしょう。
 マリノスは、この日の勝利で2位の名古屋を追い越したようですが、名古屋よりも断然強い。これに比べれば、このままの名古屋なら、次第に落ちてくるんじゃないでしょうか。
  
 
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随筆 Jリーグに歴史的強豪誕生(2) 風間と鬼木  文科系

2021年06月22日 23時51分46秒 | スポーツ
 
 19年2月に書いた三連載の再掲、二回目だ。今をときめく川崎フロンターレの強さの分析である。
 
 
 
 川崎フロンターレがJリーグ二連覇を果たした。のみならず、この三年続きでリーグMVP選手を出している。その原動力の一つがゲーゲンプレス戦術の取り入れだと僕は観ていたが、それを解説してくれる中村憲剛のインタビューを読むことが出来た。「Jリーグ サッカーキング」2月号、J1、2、3各リーグ優勝チーム特集号である。

 なお、ゲーゲンプレスというのは、二〇一〇年頃から世界を席巻している「攻撃的守備即得点術」というある戦術であるが、初めに、その定義をしておく。この得点戦術の元祖ドイツはドルトムント時代のユルゲン・クロップ監督の解説を要約すればこういうものである。なお、このクロップはその後イングランド・プレミア古豪リバプールに行って、今年はついに、世界有数の名監督ジョゼップ・グァルディオラ率いるマンチェスターシティーと優勝争いを演じている真っ最中である。

①相手陣地に押し込んだ時、相手が自ボールを奪って攻めに出た瞬間こそ、そのボールを奪えればゲーム中最大の得点チャンスができる。守備体制から急に前掛かりになった相手こそ、守備体制としては最も乱れている時だからというのが、この得点戦術そのものの着眼点である。ゲーゲンプレスとは、英語ではカウンタープレスのこと。相手が守備から攻撃に出た瞬間に、こちらも、カウンターパンチを合わせるように前へと向かう組織的プレスを掛けてボールをうばい、ショートカウンター得点に結びつけようという得点戦術なのである。

②そこから、敵陣に攻め入った時にあらかじめ①を意識しつつ攻めることになる。例えば、DFラインを押し上げて縦に陣地を詰め、そこに身方を密集させる「コンパクト」布陣もこのための準備なのである。また、身方後方にフリーな相手を作らないようにしつつ攻める。奪われた時にボールの受け手になる人間を作らせないように、オフサイドトラップなどあらかじめ準備をしておくということだ。

③その上で、ボールを奪われた瞬間に敵ボールに近い数人が猛然とプレスに行き、他はパスの出先を塞ぐ。この「攻から守への切替」をいかに速く激しくしてボールを奪い切るかが、ゲーゲンプレスの要だ。言い換えれば、そうできる準備を、敵陣に攻め入った時いかに周到にしておくか、そういう組織的訓練がゲーゲンプレスの練習になる。

 さて、憲剛の優勝総括文章を読んでみよう。
『例えば、鬼木(監督)体制になってからの変化として、守備の楽しさを覚えたと話している。……ボールを失った瞬間に、素早く切り替えてボールを取りに行くこと。そして球際の局面で力強さを出すことである。……それこそが鬼木監督が掲げているサッカースタイルなのだ。……もちろん、守備に楽しさややりがいを見出したと言っても、それが目的というわけではない。守備が目的ではなく、目的はあくまでもゴールである。「攻撃のための守備」というのが鬼木体制における合言葉だ。……「相手がボールを取った瞬間に、取り返しに行く。息をつかせない。今は、それがチームの戦術にもなっているし、周りの身方も早く反応してくれる」……そんな守備のスイッチ役としてプレッシャーを掛ける仕事には、時に嬉しい見返りもある。相手のボールを狩りに行き、そのままゴールに繋がる形がそれだ。……』

 川崎は、ボール繋ぎ指導が得意な前の風間監督時代にはどうしても優勝できず、鬼木時代になったとたんに二連覇。この繋ぎ上手チームの優勝への画竜点睛こそ、ゲーゲンプレスの取り入れ、『「攻撃のための守備」というのが鬼木体制における合言葉』だと分かるのである。川崎の時代は今年も続くはずだ。今年三九歳になる憲剛の後にも今年のMVPで今や怪物と言って良い家長昭博がいるからだ。この怪物が近年燻っていたのは、繋ぎサッカー全盛の日本でボールが持てすぎて繋ぎが遅れると見られた時もあったのではないか。ゲーゲンプレス以降のゴール前では、身体も強靱な家長のこの力は、正真正銘の宝物だ。前掛かり守備で奪ったボールを彼に預けて、敵ゴール前に身方選手を増やす時間を少しでも多く作り出せるということだろう。
 
(第3回目に続く)
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随筆 Jリーグに歴史的強豪誕生(1) 家長昭博の幸せ  文科系 

2021年06月22日 11時01分21秒 | スポーツ
 
 これから3回にわたって連載するのは、19年2月末にここに書いた川崎フロンターレがJの歴史的強豪に育ち上がったその内実の分析。このチームに目を付けてゲームを追い、関連本読みを繰り返し往復してきたそのまとめです。日本人として唯一世界最先端のチームで闘ってきた岡崎慎司や、香川を通してみたドルトムントからリバプールにかけて世界を席巻してきた名将、ユルゲン・クロップやをずっと追って来た体験が、この随筆に役立ったと自負しています。ここに書いてあるのは、クロップ・ドルトムントに端を発した現代サッカー最先端の戦略のその内容、3回続けてお読み願えれば幸いです。
 
 
 テレビに、サッカーJリーグ本年度表彰式、今年のMVP受賞者が映っている。二連覇を遂げた川崎フロンターレ・家長昭博三十二歳が、こんな挨拶をする。
『日本を代表するような選手が多いからここに飛び込んできたのですが、多くの刺激をもらえるチームメイトがいて学ぶことがあるクラブに加入して、本当に良かった。皆のおかげで、僕自身も人としても選手としても成長できた。本当に良かったと思えます』

 この家長、十代早くからJリーグ選手育成史屈指の天才と言われながら、芽が出なかったスペインリーグなども含めてここが六チーム目で、それもフロンターレ在籍二年目の選手に過ぎない。こんな彼の言葉に対するに、チームで「長老」と呼ばれている中村憲剛のネット談話もこんな風に報道された。
『加入当初はうちに合わせようという気持ちがありましたが、それよりも自分の間も大事にしてやりたいことをやれ、僕らもそれに合わせる、とやってきて、どんどんアキも良くなっていった。去年の夏以降は苦しい時に突破口を開いたのはアキの左足でしたし、苦しい時に身体を張って時間を作ってくれたのが、アキでした。こんな頼もしい選手はそんなに多くない。数字に直結できるプレーを意識してからすごい怖い選手になった』
 チームに来て二年で現代(世界サッカー)の最高、最新のチーム戦術にこれだけ溶け込んで見せ、かつその先頭にも立って、結果を最大限に評価された家長。やはり天才なのだろう。その天才を見せられる場を、三十路を過ぎて初めて得た希有な幸せ!

 川崎フロンターレ、歴史に残る強豪が誕生した。その二連覇以上に特筆すべきは、そのゲーム内容である。過去に二連覇チームは四つしか無いが、川崎には、日本史上初の快挙が一つ加わっている。川崎からのMVPが三年連続なのだ。一六年の中村憲剛、一七年の小林悠、そして今年の家長。これが特別に興味深いのは、そのチーム戦術とそのプレーとが群れを抜いて優れているということだ。一一人がぴったり意思一致して高度な組織的動きをしてこそ初めて攻守の成果が上がるサッカーにおいて最高殊勲選手が三年続きで生み出せたのは、そのことを証明している。その傍証として、こんな数字も加えられる。本年のJリーグ優秀選手表彰三〇人に、川崎から実に一〇人が入っているのだ。

 川崎のどこが優れているのか。その最大テーマについて、「長老」の説明を聞こう。
『現代サッカーでは攻撃の選手も積極的に守備をするのが当たり前ですからね。その質をどこまで高められるか。いまや、そういうフェーズ(段階)になっている』
『自分が常にスイッチャー(攻から守への切替役)になること、今年最もやるべきことは、そこだと思っています』
 あるサッカーライターは、このチーム、特に中村の凄みを、こう表現している。
『攻から守への切り替えと球際の厳しさを徹底。そこから敵陣でボールの保持(攻撃)と奪取(守備)を繰り返し、敵を一方的にやり込める最強フロンターレの「核」が形づくられていった』
 
(後2回続きます)
 
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「リバプールの南野」の近況情報  文科系

2021年06月21日 06時59分51秒 | スポーツ

 日本のエース・南野拓実選手は今でも、リバプール在籍です。つまり、サウザンプトンは、レンタル。そんな彼の近況についてちょっと書いてみたい。

 リバプールが南野を採ったのは、使えると判断したからであって、あのチームの前3人(フェルミーノ、サラー、マネ)らに負けているということは恥にはなりません。現に今だって、南野はリバプールに席がある選手であって、サウザンプトンはレンタル、この26歳の成長度合いなど様子を見られているのです。この様子見について本日あるサイトにこんな記事が載っていました。

『サウサンプトンの地元メディア『Hampshire Live』などが、交渉の中でリバプールに放出の意思がないと見たクラブがターゲットを別の選手に切り替えたと報じていた(南野についての交渉は継続するとも)。
 一方、リバプールの地元紙『Liverpool Echo』は、「良いオファーがあれば――」という例外は残しながらも、ユルゲン・クロップ監督をはじめとするスタッフは南野の売却には積極的ではないと以前から伝えていたが、最新の記事では来季の「レッズ」において有用な存在となる可能性があると予想している』

 ともあれ、本拠地リバプールに戻されるか、サウザンプトンに完全移籍するのか。我ら代表のエースの足下をきちんと固めて欲しいと思うばかりです。

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〝河井克行実刑、懲役3年〟にちなんで  文科系

2021年06月21日 04時12分13秒 | 国内政治・経済・社会問題

 安倍内閣の法相だった河井克行に、懲役3年の実刑が出た。こういう事件、人物に自民党本部から事件当時他の立候補者の10倍、1・5億円の選挙資金が出ていた(が、その背景、理由も未だにはっきりしていない)という特異な事件でもある。この金がなければ起こりえなかった事件でもあり、なぜこれが本部から出せたかというのは、この事件の核心部分なのだが。日本の政治、国民の生活を少しでも良くするためには、こんなおおっぴらな違反事件こそ忘れてはならないということから、旧稿を再掲する。

 

【 「無法内閣」の法相たち  文科系 2020年6月19日

 5月下旬。当ブログ5月24日に拙稿「安倍が、終わったな!」をお読みいただいたが、河井克行前法相逮捕は安倍内閣終焉にだめを押したと信じたい。

 この河井克行とは今はもう言うまでも無く、安倍晋三の最側近。彼の逮捕を妨げるためにこそ、コロナで忙しいはずの国会に「黒川弘務検事長定年延長」・検察庁法改定も強行されたのだとずっと噂されてきたが、これがもはや真実だとはほとんどの国民の認めるところとなった。加えて、この検察庁法改定には、以下のような異常事態が数多く付随していた。

・「検察官には国家公務員法の定年制は適応されない」という過去の政府答弁を内閣が知らなかったか、無いものと無視して黒川氏の定年を延ばしたことが分かっている。
・ここまでして実現目指した「黒川検事総長」が、こともあろうに常習賭け麻雀で辞任。そんな彼への懲戒が、訓告に終わったことも大変な「信賞必罰」異常事態と解されてきた。
・これら全てが、コロナ渦中と遅れた行政対応とによって国民があえいでいる真っ最中に起こった事だから、「黒川検事長定年延長はそんなに急を要することか」と非難されたのも当然のこと。というのも、急いだ理由が分かってみれば、大変な無法・異常内閣である。

 さて、この河井克行とは、前法相である。しかも法相に座った途端に、こう述べたと新聞にあった。
「これでもう検察は押さえた」
 こんなのが法相と訝るが、安倍内閣最近の歴代法相を振り返ってみるが良いのだ。
 14年10月に辞任した松島みどりは、うちわ配布事件から。まー盆踊りが大好きなお方とのことだが、120万円という金を使った賄賂に違いないのだ。これが法相!
  そして、この河井克行前法相を検察の追及から守るために、黒川弘務検事総長実現に奔走したのが、今の森雅子法相。「東日本大震災の時、検察官は最初に逃げた」と国会で叫んだのは、「検察庁憎し」でどこか固まっていたお人なだろう。なんで?
 
 そして、僕がここでもう一人上げたい法相が上川陽子。18年7月のオウム大量死刑にサインした法相である。どんな極悪人といえど国家の主権者。その厳粛な命へのこの対処!「国民の命と国法」という極めて厳粛な問題についていかに不見識だったかということを、今一度示してみたい。

 

 『 掌編小説  オウム死刑に見えた国家暴走  文科系 2018年07月23日 17時47分33秒 | 文芸作品

 二〇一八年七月一六日夕方、小さな居酒屋の半分ほどが座敷になったその一角の座卓で、連れ合いと飲み始めた俺。すぐ隣の机で、三〇前後らしい三人の男性にちょっとした討論が持ち上がるところだった。教祖初めオウム真理教関係者七人の処刑が十日ほど前に執行されたばかりとあって、そのことについてである。

「あれだけの殺人事件じゃ当然だよな。弁護士一家三人皆殺し場面を読んだことがあったけど、まー酷いもん。子どもだけでも助けてという奥さんの悲鳴なども全く無視されたようだし」
 最初にそう切り出したのは、仮に目がね君と呼んでおこう。これを引き継いだのが、小さな顎髭を付けた細身の男性だ。
「でも、あれだけの人数の一斉死刑って、先進国世界はもちろん日本でももう希有なことらしいよ。EU、ヨーロッパ連合では死刑廃止が加盟条件の一つともあったし、日本でもA級戦犯処刑などの例外を除いて、明治末期の大逆事件以来の人数だそうだ」
 この顎髭君のニュースソースで、今度は太めのおじさん風が解説を加える。
「そうそう、俺もそんなネット記事読んだけど、大逆事件って政府がでっちあげた明治天皇暗殺計画で、一一人死刑という大事件だそうだ。先日は七人だから、A級戦犯処刑数と同じだよね。俺も何となく嫌な気分になったよ」。
 この二人に目がね君が改めて反論する。
「テロや難民問題などこれだけ世界が荒れてるんだから、EUの方がむしろ時代遅れなんだと思う。大量処刑実施って確かに良い気分になれんけど、『最大多数の最大幸福』とか『公序良俗』維持のためやむを得ず……とか、大学で習ったような……」
「確かに俺らはそう習ったね。そういう大目的のために、個々人が自制すべく契約しあって作ったのが国家だという社会契約説」と、顎髭君が付け加える。この三人、どうも大学の同窓生らしいが、法学部の学生でもあったのだろうか。さてここでこの話は一段落したようで、暫く無言時間。やがて、おじさん風がぼそっと語り出した。

「でも、明治末期以来では日本史上ほぼ初めてのことを今やったっていうのは、やっぱり引っかかるなー。もうかなり前から『死刑大国日本』とも言われているらしいし。明治末期って、国民主権国家とも言えなかった時代だろ? その時以来のことを民主主義国家になって半世紀をとっくに過ぎた今やるって……どういう理屈を付けるのか?……麻原らだって立派な主権者なんだろ? 主権者らがその幸せの手段として作った国家がその主権者を殺すって、改めて考えてみればやっぱりおかしくないのかな?」
 目がね君がまた答える。
「そこがそれ『最大多数の最大幸福』を目指し続けるためにやむを得ず『こういう方には死んでいただかねばなりません』という理屈。さっきも言ったけど、この数十年、世界もどんどん荒れてきたしね」
 これに同調するように顎髭君がウーンッという感じで一つ頷いたその時、おじさん風がウンウンと小さく相づちを打ちながら、またもぼそっと呟きだした。
「上手くまとめてくれたけど、そう解釈すればこそ全く理解できない政府の態度が、あるネット記事に書いてあったんだよ。こんな内容だった。『死刑執行の前日五日夜のことだが、自民党若手議員四十人ばかりが集まった二七回目という恒例の宴会に上川陽子法相も出席。会合の締め間際らしい全員写真も別記事に載っていて、その最前列真ん中に座った安倍首相の左手隣に上川氏が正座して、にこやかに右手親指をたてている光景があった』と。これって、明日の死刑執行決済書類に判を押したばかりの法相の態度かと問われているわけだ。この政府から見ると、めったになかったようなこれだけの大量処刑に異例という感じがまるでなかったことになる。」

 さて、急いで家に帰った俺、酔いも残っていたが、ネット記事を猛然と漁り始めた。まず、自民党議員・片山さつきさんのこれ。
『今日は27回目の #赤坂自民亭 @議員宿舎会議室、若手議員との交流の場ですが、#安倍総理 初のご参加で大変な盛り上がり!内閣からは#上川法務大臣 #小野寺防衛大臣 #吉野復興大臣 党側は #岸田政調会長 #竹下総務会長 #塩谷選対委員長、我々中間管理職は、若手と総理とのお写真撮ったり忙しく楽しい! 22:58 - 2018年7月5日』 
 次いで、ジャーナリスト斉藤貴男氏のこんな文章。
『死刑をリアルタイムで見せ物にすることで、国家権力の強大さと毅然とした態度を国民に見せつけた。意図的な公開処刑であり、死刑が政治に利用された』
 ここに言う『リアルタイムで見せ物に』とは、こういう異例なやり方の数々を指している。先ず死刑の予告がマスコミを通して国民に流れた。しかも、これが既に前日に流されていた。加えて、再審請求中だとか、国会会期中だとかには執行無しという諸慣行にも全て反していた。つまり、従来慣行を文字通り無視する形をさらに開き直らせるようにして、国家の力を国民に見せつけるという挙に出たわけである。というように、近代国家理論の諸原則を全て無視する形で改めて主権者の遙か上にそびえ立って見せた今の安倍流日本国家って、一体全体何物なのか? 』

 というこの時、多人数死刑前日夜に宴会で大騒ぎしていた法相が、上川陽子。】

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随筆 孫はなぜ面白くて、可愛いか  文科系

2021年06月21日 04時11分36秒 | 文芸作品
「じい、今日は満月なんだねー、いつも言うけど本当に兎がいるみたい……」。
 小学三年生になったばかりの孫のはーちゃんがしばらく夜空を仰いでいたが、すぐにまた「馬跳び」を続けていく。綺麗に整備された生活道路の車道と歩道とを分け隔てる鉄の棒杭をぽんぽんと跳んで行く遊びで、俺はこの光景が大好き。確か、四歳ごろから続けてきたものだが、初めはちょっと跳んで片脚だけをくぐらせるような下手だった……。我が家から五百メートルばかり離れた彼女の家まで送っていく道の途中なのだ。それが今では、学童保育に迎えに行って、我が家でピアノ練習、夕飯、宿題の音読に風呂も済ませて、俺は一杯機嫌で送っていく日々なのである。こんなことを振り返りながら。

 学童保育でやってくる宿題や、音読は好きだからよいのだが、ピアノ練習は大変だった。これがまた娘も俺も、勉強以上というか、ここで勉強の態度もというか、とにかく物事に取り組む態度を身につけさせようとしているから、闘争になってしまう。憎しみさえ絡んでくるようなピアノ闘争だ。はーちゃんは娘に似て気が強く、『嫌なものは嫌』が激し過ぎる子だしなー。ピアノの先生の部屋でさえ、そう叫んであそこのグランドピアノの下に何回潜り込んでしまったことか。そんなふうに器用でも勤勉でもない子が、馬跳びや徒競走となるとまー凄い執念。
と、最後を跳び終わった彼女が、ふっと、
「じいが死んだら、この馬跳びやお月様のこと、きっと良く思い出すだろうね」
 俺が死んだらというこの言葉は最近何回目かだが、この場面ではちょっと驚いた。死というのは俺が折に触れて彼女に口にして来た言葉だから?またこの意味がどれだけ分かっているのか? などなどとまた考え込んでいた時、「孫は、何故これほど面白く、好きなのか」という積年の問題の答えがとうとう見つかったような気がした。
『相思相愛になりやすい』
 一方は大人の力や知恵を日々示し、見せる。他方は、それに合わせてどんどん変化して行く姿を見せてくれる。それが孫と爺であってみれば、それまでの人生が詰まってはいるが寂しい晩年の目で、その人生を注ぎ込んで行く相手を見ているのである。これは人間関係に良くある相思相愛の良循環そのものだろう。これに対して、あのピアノには明らかに悪循環がある。憎しみにさえ発展していきかねない悪循環。という所で、ふっと気づいたのが、その証明のような一例。最近小学四年生だったかの女の子をDVの末に殺してしまった父親はどうも典型的な教育パパだったようだ。教育パパが転じて憎しみの権化になる。そう、俺らの良循環とピアノの悪循環は、あの父と子の悪循環と兄弟なのかも知れない。だから、思春期の子どもに起こって来るものと昔から言われてきた激しい家離れ、家への憎しみも、この兄弟の一方・悪循環の結果でもあるのだろう。「可愛さ余って憎さ百倍」、俺にもあった激しい家離れ、家への憎しみの時代を思い起こしたものだ。

 さて、以降の俺は、激しいピアノ闘争の後などに度々こう付け加えることになった。
「いつも言ってきたように僕ははーちゃんが大好き。だからこそ、貴女にとって大事なこととママたちと話し合って来たことをさぼると、特に強烈に、怒るんだからね」
 でも、このやり方が思春期まで成功するとは到底思えない。ゲームとか動画、録画とか、成長期にやり過ぎてはいけないものが今の世には溢れ過ぎている。今の子育てに、我々年寄りは何て不向きなんだろうとも、度々悩んできたところだ。

さて、こう言い続けてきたせいか、あるいは彼女がそういう年になったということなのか、暫くしてこんなことが起こった。自分からピアノに向かうようになったし、その時間も長くなった。そして、先日のピアノ・レッスンに久しぶりに俺が頼まれて連れて行ったのだが、初めてという光景を見ることになった。先生のいつにない静かだが厳しく、長い小言を我慢して聞いているのである。ピアノの下に潜っていかないか、トイレに逃げ出さないかと俺はハラハラしていたのだが、結局頑張り通した。そして、終わった後、帰りの車で静かに泣き出した。そう、これがちょっと大人に近づいた涙。これからはこれを一杯流して、素敵な大人、人間になってゆけ……。などと思いながら黙ってその横顔を見ていたら、俺も涙ぐんでいた。
 
 
(所属同人誌に2019年春、初出作品)
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随筆 死に因んで  文科系

2021年06月20日 04時51分23秒 | 文芸作品

 心臓カテーテル手術をやった。麻酔薬が入った点滴でうつらうつらし始めてちょっとたったころ、執刀医先生の初めての声。
「これからが本番です。眠っていただきます」。
 ところがなかなか眠りに入れない。眠ったと思ったら、間もなく目を覚ます。痛い。するとまた、意識が薄らいでいくのだが、また覚醒。そんなことが三度ほど繰り返されたので、「痛いです」と声をかけた。執刀医の先生、かなり驚いたように何か声を出していた。
 さてそんなときずっと、いやに冴えている頭脳である思いにふけっていた。大事故の可能性もある手術と、意識していたからでもあろう。手術自身はちっとも怖くはなかったのだけれど、こんなことを考えていた。
「このまま死んでいっても良いな。死は、夢を見ない永遠の眠り、か」
 知らぬ間に生まれていたある心境、大げさに言えば僕の人生の一つの結実かも知れないなと、噛みしめていた。

 小学校の中頃友人を亡くして、考え込んでいた。「彼には永遠に会えない。どこにいるのだ」。ひるがえって「僕もそうなる」。それ以来自分が死ぬということを強く意識した。間もなくこれが「永遠の無」という感じに僕の中で育っていって、何とも得体が知れぬ恐怖が始まった。この感じが寝床で蘇って、何度がばっと跳ね起きたことか。そんな時はいつも、冷や汗がびっしょり。そしてこの「症状」が、思春期あたりから以降、僕の人生を方向付けていった。「人生はただ一度。あとは無」、これが生き方の羅針盤になった。大学の専攻選びから、貧乏な福祉団体に就職したことも、かなり前からしっかり準備した老後の設計まで含めて、この羅針盤で生きる方向を決めてきたと思う。四人兄弟妹の中で、僕だけが違った進路を取ったから、「両親との諍い」が、僕の青春そのものにもなっていった。世事・俗事、習慣、虚飾が嫌いで、何かそんな寄り道をしなかったというのも同じこと。自分に意味が感じられることと、自分が揺さぶられることだけに手を出して来たような。こうした傾向を、二十歳の春から五十年付き合ってきた連れ合いはよく知っており、「修業している」といつも評してきたものだ。

 ハムレットの名高い名台詞「生きるか、死ぬか。それが問題だ」でも、その後半をよく覚えている。「死が眠りであって俺のこの苦しみがなくなるとしたらこんな良い終わり方はないと言えるが、この苦しみがその眠りに夢で現れるとしたら、それも地獄だし?」というような内容だったかと思う。この伝で言えば、今の僕のこの「症状」ははてさて、いつとはなしにこんなふうに落ちついてきた。
「夢もない永遠の眠り。それに入ってしまえば、恐いも何もありゃしない」
 どうして変わってきたのだろうと、このごろよく考える。ハムレットとは全く逆で、人生を楽しめているからだろう。特に老後を、設計した想定を遙かに超えるほどに楽しめてきたのが、意外に大きいようだ。ギター、ランニング、同人誌活動、そしてブログ。これらそれぞれの客観的な出来はともかく、全部相当なエネルギーを費やすことができて、それぞれそれなりに楽しめてきた。中でも、ギター演奏、「音楽」はちょっと別格だ。自身で音楽することには、いや多分自分の美に属するものを探り、創っていく領域には、どういうか何か魔力がある、と。その魔力ぶりは僕の場合、こんな風だ。
 この二月から、ほぼある一曲だけにもう十ヶ月も取り組んでいる。南米のギター弾き兼ギター作曲家バリオスという人の「大聖堂」。楽譜六ページの曲なのだが、この曲だけを日に一~二時間練習して先生の所に十ヶ月通ってきたことになる。長い一人習いの後の六十二の手習い七年で上級者向け難曲なのだから、通常ならとっくに「今の腕ではまーここまで。上がり」なのだ。習って二ヶ月で暗譜もし終わっていたことだし。が、僕の希望で続けてきた。希望するだけでは、こんなエネルギーが出るわけがない。やればやるほど楽しみが増えてくるから、僕が続けたかったのである。「この曲はもっと気持ちよく弾ける、その為には」。ギターの構えから、長年の悪癖までを、この半年ほどでいくつ苦労して修正してきたことか。こんな熱中ぶりは、自分でも訝しいほどである。
 ギターを習い始めて、これと同類の事をもういくつも体験してきたように思う。

「何かに熱中したい」、「人が死ぬまで熱中できるものって、どんなもの?」若いころの最大の望みだった。これが、気心の知れた友だちたちとの挨拶言葉のようにもなっていたものだ。今、そんな風に生きられているのではないか。日々そう感じ直している。

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山口自民よりも広島が健全というお話  文科系

2021年06月19日 19時10分39秒 | 国内政治・経済・社会問題

 広島では、河井の「1・5億円選挙違反・懲役3年」で自民党員を止める人々が続出と伝えられている。当然だろう。過去に安倍を批判した溝手議員(岸田派)を落とすべく立候補させて、1・5億円ばらまいて当選を果たしたのが河井のお連れ合いさんだったのだから、「こんな安倍独裁自民党(員)などアホらしくてやってられるか」ということだろう。

 一方、「桜を観る会」という「国政功労者を祝い励ます会」をば「政権党の国会議員後援者を祝い励ます会」に替えてしまって、「桜で出会ったのは山口県人ばかり」という事態がバレて取りやめという事件からは、山口県自民党員が止めているという話は聞けない。安倍後援会員が選挙違反の出汁、手段にされたのに。それどころか、桜前夜祭5000円会費に安倍後援会の供応支出があったという事件で罰された安倍筆頭秘書は地元では復活して、相も変わらず大活躍しているのだそうだ。

 以上から言えることはこれ。自民党内で安倍独裁がどんどん進んで、低脳アベチルドレンだけが急増して来たということ。安倍が顧問をやっている日本会議の、有名なあの文書「日本会議がめざすもの」を一度でも読んでみていただきたい。なんせこんな事が書いてあるのである。

『私たちは、皇室を中心に、同じ歴史、文化、伝統を共有しているという歴史認識こそが、「同じ日本人だ」という同胞感を育み、社会の安定を導き、ひいては国の力を大きくする原動力になると信じています』

 皇室を尊重しない人は「(日本)社会の安定を導き、ひいては国の力を大きくする原動力」にはなり得ないと断言しているのである。こんな信念の持ち主である政治家らは、断じて民主主義者とは言えない。「天皇を敬愛しない日本人」を憎み、排斥したいというような人々は民主主義者であるわけがない。民自身が国の主人公だという思想を否定しているのであるから。民主主義政治とは、民が民自身として国の主人公として尊いとする政治なのである。

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八十路ランナーの手記(358) 〝ランニング賛歌〟  文科系

2021年06月19日 07時51分19秒 | 文芸作品

 これは、2015年春に所属同人誌の月例冊子に掲載したもの。以来6年たっていますが、年を取る程にランニングの意味がもっともっと分かって来たものです。

【 ランニング賛歌 

 五十九歳からランニングを始めた僕は、五月が来ると七四歳になる。ランが老後にこれだけの恵みを与えてくれるとは、想像もつかぬことだった。
 膝が痛い? 新聞広告に満載される、コンドロイチンにグルコサミン? 若い頃椎間板ヘルニアで手術をしたこの身体なのに、その腰ばかりか膝にも、何のサプリメントも要らない。そもそも肩や首など、こったことがない。だから、パソコンに向かい続けていて、ふと気がつくと四~五時間なんてことはざらである。痩せるための健康器具? 体質もあるだろうが、僕が二十代に作った式服を着られるのは、スポーツ好きと今のランニングのおかげと確く信じている。身長一六九センチ体重五七キロで、二八インチのジーパンをはいている。ずらずらとこう書くとこの時代には特に自慢にしかとられないのは承知だが、まー一生懸命やってきたランニングの絶大な効果を伝えたいのだと、ご理解願いたい。
 医者たちからはこんな話も聴いている。「時速七キロ以上で歩ける人は長生きする」。当然、そうだろう。血管も含めた循環器系統が健全ならば、成人病も逃げ出すというもの。歯医者さんでこんなかけ声が行き交っているが、同じ理屈関連とも教えられた。「八〇歳まで自分の歯が二〇本ある人は、長生きする」。「健全な循環器系は細菌に対して免疫力があるということ。虫歯菌にも歯槽膿漏などにも強いのです」と教えられた。

 さて、こう考える僕だったから、六九歳新春に起こった慢性心房細動には、対する心臓カテーテル手術・ランニング禁止では、僕の人生が終わったと感じた。手術以前も、つまり慢性心房細動になる直前までは、不整脈を抱えてずーっと走り続けていたのである。それが手術の後には、無期限でもう止めなさいと医者に宣告されたのである。そんな未練からなのだが、七一歳の夏に医者に隠れて走り出し、「大丈夫」という実績をほんの少しずつ作っていった。秋には、主治医からの公認も取り付け、ジムに通い出す。以降故障や事故や試行錯誤等々も重なったけれど、今は心房細動前六六歳ごろの走力に戻っている。この一月七日、一時間の走行距離が念願の一〇キロに達した。僕にとっては六〇歳台半ばの走力に回復して、数々のメリットを改めて体感しているのである。最も嬉しかったのはこんなことだ。
 階段の上り下りが楽しいのである。地下鉄などの長い階段を一段飛ばしで登り切っては、脚の軽さを味わっている。一時無理がたたってアキレス腱痛に長く悩まされたが、試行錯誤を重ねつつこれを克服し終えた時に、新たに生まれた脚の軽さ、弾み! スキップが大好きだった子ども時代を思い出していた。

 昔の自分の小説で思いついて書いた僕なりのランニング賛歌を最後に加えて、結びとしたい。自分ながら好きな文章なのである。 
『ボスについて走り続けるのは犬科動物の本能的快感らしいが、二本脚で走り続けるという行為は哺乳類では人間だけの、その本能に根ざしたものではないか。この二本脚の奇形動物の中でも、世界の隅々にまで渡り、棲息して、生存のサバイバルを果たして来られたのは、特に二本脚好きの種、部族であったろう。そんな原始の先祖たちに、我々現代人はどれだけ背き果ててきたことか?! 神は己に似せて人を作ったと言う。だとしたら神こそ走る「人」なのだ』 】
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