九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

随筆  楽しい相続物   文科系

2024年02月17日 08時50分26秒 | 文芸作品
  このごろの僕は、日に何度も庭全体が見える廊下、大きいガラス窓の所に立つ。一月中旬過ぎから咲き始めた二本の梅を観るためだ。この花が今年は、急な寒さで咲き渋って、香りも含めて長く楽しめるのである。
 向かって左真横の白いのは、2メート四方ほど、花の厚さ一メートル弱と、横に広がっている。正面の紅梅は五メートル近く、中の立ち枝を剪定した茶筅型。この両方が、2月16日の今日、正に満開。先っぽまでやっと花開き始めたピンクの枝の間を、メジロとミツバチがいつも飛び回っている。さっきは、ジョウビタキの雄が見えたが、今は姿を消している。
 古代日本は、「花」と言えば梅のことと聞いた。楚々とした白い梅が、日本人好みなのだろう。古今集のころから桜が「花」になって今に至っているようだが、早咲きの河津桜というのもあって、我が家の紅梅はあの色に近い。それが、厚ぼったく花塊になるのではなく、すくっと高く伸びた枝に一重の五弁がひとつづつ数珠つなぎになって枝先まで並び、中国人好みという華やかさである。 

 この地は、名古屋市中区の区境界線近く、大都会のど真ん中。昨日久しぶりに入ってもらった初顔の若い庭師さんと花を見ていた僕との間で、こんな会話があったのを思い出す。
「正に満開、これだけで酒が飲めますねー。ちゃんと手入れされた良い庭ですよ。最近のイギリス自然風というのかな。この前写真で見たウエールズのも、こんなふうだった」
「亡くなった母の好みで花木の多い庭ですし、この梅が咲いてからは特に日に何度も花見してます。僕は洋酒ですが、あそこに摘み残っている柚で作った柚大根をつまみながら。もっとも、奥さんが梅酒を作ってくれるのですが、一昨年辺りからブランディー梅酒に替えまして、これがまた美味いんです。」
「柚大根って、僕も大好きです。あれは、美味いもんですよねー。すると、この庭からの酒とつまみで、この梅の花見・・・いー老後ですね。」
「僕もそう思います。白い方は親が遺してくれたもの、両親にどれだけ感謝しても、し足りない。もっとも、この辺りの2代目,3代目は、相続後に皆売って出て行ってしまうから、もう庭も珍しいんですよ」
「そうですよねー、庭だけでざっと40坪、相続税だけでも、大変なもんでしょう。」
「実は、この29日に、敷地内東隣のあの貸家に20年住まわれた店子さんが引っ越しされるその後に、子どもがいない息子夫婦が越してくるんです。僕らがいる家の方は二世帯住めるようになっていて、やがて娘家族が来ることになってます。二人とも関東の学校卒でしたが、名古屋に就職してくれた。後の相続税対策ですが、一定の金額を用意しなけりゃ、ここもなくなるんで、次男の僕は墓なんかいらんけど、この梅、庭は残ってほしい。」
「今の話、これもまた今時いー老後ですよ」
「僕らも、初め連れ合いの母と、次にここで僕らの両親と同居しましたから、それを見て育ったから、3世代同居って、結構楽しい、そう思ってるんじゃないですか。」

 ここで、玄関のベルが鳴ったので、出てみると、中一の女孫・ハーちゃんが「あー寒い」と言いながら、赤くなった手を見せてくれる。この曇り空の夕方近くに、自宅から一キロ以上の道を歩いて来たのだ。
「あーっ、あんなモクセイならすぐに登れるね?」
 庭師さんの居る廊下に出て、枝を払いすぎたように見えるその木の元へ歩いて行った。そして、黒い置き石の辺りに散らばった紅梅の花びらの上を、そうっとそうっと、一歩、一歩。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

随筆 「寂しいでしょう?」   文科系

2024年02月07日 14時33分26秒 | 文芸作品
 ネットで今の日本の少子化問題を検索していたら、僕にとっては面白過ぎるある論文にであった。読み終わって「今や、これは、もう、珍論と言っても良いな」とつぶやいていた。「男一人の収入でやっていけるのが『理想』だけど、その理想が満たされそうもないので、結婚が遅れたり、一人のままだったりする」という内容だ。珍論と思ったのは、こういうこと、「そういう給料を出せ」と語るなら大賛成だが、どうも違うようだ。「そういう専業主婦を望まない女性の多さ」がお気に召さぬらしい。それで、どういうお方がこれを書いたかと調べてみた。財務省の若手官僚のようだ。それも独身男らしい。「なるほど……。だが、えらそうに……」
 さて、ここで唐突だったが、突然自分の昔を思い出した。僕の家が完全共働きであって、その三男一女の次男である僕の少年時代には、ご近所から散々こんな言葉を投げられて育ってきたと。「寂しいでしょう?」。こういう同情の声をかけてきたのはすべて女性、特に中年女性であった。対する僕はきょとんとして、「昼間に母が居ないと、寂しい? 会う女性ごとにそう質問する。どうして? 子どもには楽しいことなどいっぱいなのに」
 就職してちょっとすると、こんな言葉も聞いた。「育児においては、母の掌こそ至高のもの。さもなければ、愛着障害などが起こる」
 そう、ちょっと昔の日本は、この財務官僚の結婚観に実質合致したような女性ばかりだったのである。それも、偏った先入観、感性を元にした結婚観ばかりの。というのは、現在八三歳の僕自身が両親の共働き家庭に育ち、自分自身もそういう家庭を経て、そこで培われた諸能力、感性のゆえに現在の色んな幸せがあると振り返っているからだ。「共働きの忙しさを、自分の能力アップに結びつけられた男の幸せ」を日々味わっていると言って良い。
「育児においては、母の掌こそ至高のもの。さもなければ、愛着障害などが起こる」、こういう感性、理念が日本に長く幅を利かせ、それが共働き、保育所、学童保育所をどれだけ遅らせてきたか。今の日本の少子化は、この感性、理念の産物とさえ言える。こういう感性の政治家が「寂しいでしょう?」の専業主婦を伴侶として来た習慣からこそ、今日の少子化日本が産まれたのではないか。明治生まれの僕の両親の完全共働きは傑物の母に支えられていた。昭和前半生まれの我が夫婦のそれは、僕の「改造」に支えられてきたと思う。他方、僕の弟は「寂しかった」と今でも語っていて、先の財務官僚流「理想」を実現したし、娘の夫は、「能力アップ」が必要な場面で娘に責任転嫁の論争の末のパワハラ、モラハラから別居中、離婚調停中だから、万人に当てはまるような易しい道ではないのかも知れぬ。ちなみに我が母は、三男一女を国公立大学に入れたのだから、立派な教育ママでもあったのである。そして、そう言う母に育てられてきたからこそ、僕は自分を改造できたのかも知れぬ。
「共働きの子は寂しいでしょう?」、「育児の要諦は、母親の掌」、こんな言葉は今イスラム諸国でこそ、叫ばれているかも知れぬ。女性を家庭に閉じ込め続ける人生観、思想でもあるからだ。ちなみに、韓国の少子化は日本より遙かにきついが、そんな儒教的家族主義(習慣)が日本よりも遙かに強いからだとみて来た。持ち家を確保できない若者は、結婚資格が下がる国と言われている。
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「国葬」という日本国大恥  文科系

2024年02月02日 16時49分53秒 | 国内政治・経済・社会問題
 国会議員とは、法律を作る人々。その人々が自分らの大々的違法行為で困窮しきっているのが、今の日本。

 統一教会改名を認めて、国民の家庭を破壊し、その見返りに大々的な選挙支援を受けてきた。改名を認めたのが、安倍派幹部の下村博文文科大臣で、同派の議員らからは「この相互支援の、何が、どこが、悪いのか?」との声も上がっていた。安倍晋三はこう言う流れの先頭に立っていたと報道された。

 次が、派閥パーティーの裏金作りで、安倍派がこのやり玉筆頭に上がり、派閥壊滅かという窮状にある。生前の安倍が「違法だから正す」と会合を持っていたのに、彼が死んだとたんに幹部らが「是正無し」という談合を行って、ここまで来たのだった。

 さて、こういう無法行為を行って、今や壊滅の瀬戸際というその派閥の代表者を、日本国は国政功労者よろしく、国葬に祭り上げたのだった。どうだろう、とんでもない国会議員たちではないか。法律を作る身で違法行為を繰り返し、「その結果として選挙に勝って長期政権を築いてきただけ」の人物が、日本史上珍しい国葬にされた。自民党って、こういう政党なのか?
  
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする