(続) お山でウォーキング

里山歩きをメインにして運動不足の解消を図ろうと思っています。

神奈川県 箱根精進池・お玉ヶ池周辺を歩く(2)

2013-10-31 18:04:28 | ウォーキング
2013年10月28日(月)

八百比丘尼の墓より


指導標 保存整備記念館・駐車場 ⇔ 八百比丘尼の墓・応長地蔵
指導標 左、六道地蔵 


左、地下道へ


地下道を抜けるとすぐに六道地蔵の覆屋が見えてきました。


磨崖仏 俗称六道地蔵
鎌倉時代のもので像高は3.5mあり、線刻のものでない磨崖仏としては関東で最大級のものという。国の重要文化財(彫刻)に指定されている。覆屋(地蔵堂)は新しいものですが、室町時代当時の姿に復元されているそうです。


覆屋左側の石仏群


保存整備記念館・駐車場に向かう道に戻って精進池を見ました。


元箱根石仏・石塔群保存整備記念館


保存整備記念館前にあった案内板  この案内板でお玉ヶ池に向かうルートの確認をしました。案内図通り国道の向こう側にその進入口が見えました。


国道1号線を横断して進入口へ


進入口に設置されていた指導標
芦之湯1.0k・精進池0.2k ⇔ お玉ヶ池1.1k・元箱根2.8k




緩やかな登りで始まり




間もなく下りに変わります


下りの道の方が長かったですね


分岐 左へ


分岐指導標 元箱根2.0k・お玉ヶ池0.3k ⇔ 精進池1.0k・芦之湯1.8k




樹間にお玉ヶ池が見えてきました


お玉ヶ池東側入口  立札に「お玉ヶ池増水のため通れません。県道を迂回してください」と書かれていましたが、池まで1分程度のものだったのでとにかく近くで見ようと下に降りてみることにしました。


ベンチの傍に立札があって、「お玉ヶ池」について大凡次のような事が記されていました。
「元禄十五年、伊豆大瀬村の百姓の娘たまが江戸の奉公先から国元に帰る途中、関所破りの罪で捕えられこの薺ヶ池(なずながいけ)付近で処刑された。哀れなおたまの死を悼んでいつしかお玉ヶ池と呼ぶようになったという・・・」


東側からみたお玉ヶ池


なるほど遊歩道は池の中に入ってゆくので、すぐに引き返して県道に向かいました。左手すぐ上に県道が通っています。


県道732号線(旧東海道)に出るところです。細いロープが張られていました。


お玉ヶ池の南側を通る県道(旧東海道)を少しばかり歩きます。


「お玉ヶ池」と彫られた石碑と立札(内容は先程のものと若干異なりますが)


石碑の左側に遊歩道への進入口がありました。


西側も増水によって遊歩道の一部が沈んでいましたが通行は可能。


木道の上を歩いて


お玉ヶ池を西側から眺めたところです。


池から上がるとすぐにこの分岐が現れました。左へ進みます
分岐指導標 精進池 ⇔ お玉ヶ池・精進池
   指導標 左、箱根の森・旧東海道

箱根の森・旧東海道方面へ




箱根の森「休憩広場」


休憩広場の先の分岐を右に入ります。


分岐指導標 旧街道 ⇔ お玉ヶ池・精進池  これには「旧街道」という文字があったので安心しました。最後は旧街道を通って芦ノ湖畔の杉並木に入りたかったからです。


分岐指導標を過ぎて再び県道732号線(旧東海道)に出たところです。ここは直進して箱根旧街道に向かいます。
指導標 お玉ヶ池・精進池 ⇔ 旧街道・元箱根  横断注意の文字も


箱根旧街道へ


箱根旧街道と交差する所までやって来ました。 左、畑宿方面  右、元箱根方面
すぐに旧街道に入ろうとしたのですが、左後方を見ると


お玉ヶ池を見てきたばかりという事もあって、立ち寄ってみることにしました。


お玉観音堂


箱根旧街道入口(元箱根方面)に戻ったところです。ここは指導標によると、湯本9.0k、元箱根0.5kの地点になっていました。


旧街道の石畳を下ります


「権現坂」の碑と立札「小田原から箱根路をのぼる旅人がいくつかの急所、難所をあえいでたどりつき、一息つくのがこの場所です・・・」


「権現坂」の碑の傍に石段と鳥居が見えたので


上がってみたのですが、神社名などは分かりませんでした。


少々滑りやすい石畳をゆっくり下ると


やがて「杉並木歩道橋」です。ここから有名な杉並木に入ります。



神奈川県 箱根精進池・お玉ヶ池周辺を歩く(3)へ



No.337






























神奈川県 箱根精進池・お玉ヶ池周辺を歩く(1)

2013-10-29 09:14:50 | ウォーキング
2013年10月28日(日)

芦之湯・・・精進池・・・お玉ヶ池・・・芦ノ湖・・・箱根神社

  精進池・お玉ヶ池は車の中から何度も見ているのですが周辺を歩く事は一度もなかった場所です。そこで芦之湯から芦ノ湖に向かって歩く事にしたのですが、このコースどりの良さは軽いアップダウンはあるものの全体的には下り基調の道になるので体力的な負担の小さいウォーキングになるというところです。コースもよく整備されているのでのんびりと時間をかけて歩くことが出来ました。


町立箱根芦之湯フラワーセンター付近から国道1号線(芦ノ湖方面)をみたところ。前方100mほどの所に芦之湯バス停が見えます。


バス停傍の指導標 湯坂路ハイキングコース900m ⇔ 箱根の石仏群600m
        指導標 右、東光庵跡200m


バス停の所から国道を横断しました。「史跡東光庵入口」へ


「湯の香 東光庵通り」


芦之湯郵便局前を通って


東光庵通り  この道は正面「松坂屋本店」の看板の所で右に曲がりますが、その角のところに「箱根八里」の碑があり、東光庵入口(直進)もそこにあります。


「瀧廉太郎 箱根八里 作曲之碑」と楽譜と歌詞が記された立札
「箱根八里」は瀧廉太郎が結核を患い、ここ「きのくにや」旅館で療養生活を送っていた頃につくられたものだという。


東光庵入口  「東光庵熊野権現旧跡」の石柱が右手に立っています。


参道の奥に石段




東光庵(左) 熊野神社(右)  予想外の光景が現れたので少々驚かされました。とても雰囲気の良いところです。


江戸時代文化・文政の頃、芦之湯には多くの文人・墨客が湯治の傍ら熊野権現の境内に建てられた東光庵薬師堂に集まり、句会や茶会などの風流を楽しんだといわれる。  著名人として清水浜臣、賀茂真淵、蜀山人、山本北山、安藤広重・・・


東光庵内部
説明板によると、その後朽ち果てていた薬師堂は明治15年頃取り壊されたが、平成の時代に入って、当時の工法で復元されたそうです。


熊野神社(熊野権現社跡) 江戸時代、熊野権現は湯本、塔之沢、芦之湯などかつて箱根七湯と呼ばれた各温泉場に祀られていたそうです。


宝篋印塔  東光庵に集う湯治客によって寄進された石塔


大硯石及び大書卓石


四方山人(蜀山人)狂歌碑 「てる月の鏡をぬいて樽まくら 雪もこん々 花もさけ々」 
庭内にはこのような句碑・歌碑の案内板があちこちに設置されていました。


釈迦、文殊、普賢及び十六羅漢石仏群


山神社 石祠三棟


芦之湯バス停に戻って来ました。次の目的地精進池へ


芦之湯バス停(芦ノ湖方面行き)傍に遊歩道入口があり


すぐに樹林の中に入ります。国道右側にも歩道はありますが、こちらの遊歩道がお薦めです。遊歩道は国道に沿うように設置されていました。


国道1号最高地点付近まではごく緩やかな登りになります。


とても快適な遊歩道です




右手に国道が見える切れ目が現れたので、国道1号線の最高地点付近かどうか確かめることにしました。
指導標 元箱根石仏石塔群200m ⇔ 芦之湯フラワーセンター400m・東光庵跡600m


国道に出てフラワーセンター方向を見ると見覚えのある看板が出ていました。「国道1号最高地点874m」


もとの遊歩道に戻るところですが、この道路は二子山の通信施設に向かうためのもので目の前にゲートがあります。精進池方面は向かって右へ


指導標 芦之湯フラワーセンター500m・東光庵跡700m ⇔ 精進池200m・駐車場500m・ガイダンス棟


五輪塔  俗称で左の二基が曽我兄弟の墓、右が虎御前の墓と呼ばれているが、三基とも安山岩製だそうです。説明板によれば、右の塔には永仁3年(1295)に地蔵講中により建立されたという銘文があるのでこの五輪塔が日本最古のものといわれる。また左の二基の水輪(中ほどの丸めの石)には仏像が浮彫で刻まれているが、これは極めて稀な例なのだそうです。平成8年に三基とも全面的な解体、補強、補修が施された。 国の重要文化財(建造物)に指定されている


精進池に向かう地下道のある所までやってきました。ここには二種類の案内板や休憩施設もありました。


写真入りで詳しい案内板が各所に出ているのでとても助かります。それでも東側の二十五菩薩を見落としてしまいましたが(苦笑)


国道下の地下道を通って精進池に向かいます。


磨崖仏 地下道を出るとすぐに西側の二十五菩薩(俗称)が現れます。




宝篋印塔 俗称 多田満仲(ただみつなか)の墓
*多田満仲は源満仲の異称 源経基の子で、満仲の子が源頼光です。そして頼光といえばあの坂田金時ですね。


指導標 応長地蔵・八百比丘尼の墓 ⇔ 多田満仲の墓
指導標 右、精進池西側遊歩道(閉鎖) 


右手に精進池


磨崖仏 俗称 応長地蔵  国の重要文化財(彫刻)に指定されている


宝篋印塔残欠 俗称 八百比丘尼(はっぴゃくびくに・やおびくに)の墓
*八百比丘尼は伝説の人で、面白い伝説があるようです。



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No.336
































  








神奈川県 城山(湯河原)を歩く(2)

2013-10-24 10:45:02 | ウォーキング
2013年10月22日(火)

城願寺より


城願寺を後にして、再び城山ハイキングコースに戻りました。


このコースは舗装された一般道を歩く距離が長いです。鉄道の駅がスタート地点になっているのでこういうケースは珍しくもないのですが。


坂道の勾配が段々急になってきます。


道路脇に大きな石柱が立っていたので良く見ると、「浅間神社参道」と記されていたので立ち寄ってみることにしました。


参道入口から折り返すように進むと


右手に浅間神社への入口が現れました。


長い石段


お社が見えて


浅間神社  何とも言えぬ気分になりましたが、木造のお社では維持管理が大変なのでしょう。


ハイキングコースに戻って少しばかり進むと分岐点


分岐指導標 左、城山60分 右、城山学園


住宅もほとんど見られなくなりましたが、舗装された坂道は続きます。


分岐点  地形図を見ると、ここは恐らくどちらに進んでも良さそうで、左が緩やかな道で右は急坂のようです。少し遠回りになりますが左に進むことにしました。


分岐指導標 正面の石垣に指導標らしきものが設置されていたのですが、内容は不明でした。帰りは右の道を利用するつもりで


竹林の脇を進むと


こんな看板が出ていました 「城堀林道 全延長2,105m 管理者湯河原町」


予想通り先程分かれた道と合流しました。


合流後すぐに現れた指導標 湯河原駅へ1,800m


右側に案内板らしきものが見えてきました


「かぶと石」の案内板  源頼朝が石橋山の合戦に敗れ山中を逃げる途中、休息を取るためにかぶとを脱いで置いたと言われる石


指導標と共に、「かぶと石」への張り紙も出ていました。迷ったのですが70mという文字に釣られて入ってみることにしました。
指導標 湯河原駅へ2,700m


かぶと石への道


結局、かぶと石は見つけられないまま林道の先に出てしまいました。歩き始めて間もなく左側に大きな石が見えたのですが、それらしくも見えず、これといった標示もなかった(?)ので通過してしまったようです。それでも山道は続いていたので意地になって先に進んでみるとこれがショートカットの道になっていました。引き返さずに済んでヤレヤレです。指導標を見ると城山山頂まで2,300mの地点でした。


右手に見晴らし台のような所が


幕山方面


真鶴半島


林道と並行して、左手にハイキングコースらしき道がありましたが、ここは遠慮しました。


城山山頂への分岐点  先程のショートカットの道を除けば山道らしい山道はここから始まります。ただし、地形図を見るとこの分岐点の標高は約490mですから、単純計算で山頂までの標高差は73mしかありません。ほとんど舗装された道を歩いて来たわけです。
分岐指導標 城山山頂まであと900m

城山山頂への道


「ピクニックランド」という看板が架けられた所がありました。奥に東屋があり、近くにはトイレもありました。山頂は後少しのようです。


ピクニックランドの広場からの展望 右手に初島


山頂への道




城山山頂 その1


城山山頂 その2 山頂標識 「城山山頂 海抜563M」 「城山ハイキングコース」


城山山頂 その3 「土肥城趾」


城山山頂 その4 壊れた山頂方位盤と相模灘


城山山頂 その5 伊豆半島方面  今日は曇りの天気予報だったので空はずっとこんな感じでした。


城山山頂 その6 湯河原駅への下山口  指導標 湯河原駅3,000m


往路は右手から来ましたが、復路は左へ


城願寺参道入口


JRガード



No.335
























神奈川県 城山(湯河原)を歩く(1)

2013-10-22 18:30:57 | ウォーキング
2013年10月22日(火)

五所神社・・・JR湯河原駅・・・城願寺・・・城山563m・・・JR湯河原駅(往復)

  お天気は下り坂でしたが雨の心配は無さそうだったので、少しばかり無理をして出かけました。台風の影響で暫く好天は望めそうもなかったからです。城山に向かう主なハイキングコースは三本あるのですが、最後に残っていたのが今回歩いたコースです。一番多くのハイカーに利用されているコースだと思うのですが、私は初めてだったので新鮮な気分で歩く事ができました。それにしてもコースが変わると随分印象が異なるものですね。


五所神社  南側の正面入口を見ました。手前の道路は県道75号線で右(東)方向およそ1キロの所にJR湯河原駅があります。


右側に大きなクスノキがあります。


五所神社


手水舎


「湯河原町指定天然記念物 五所神社の楠」
「かながわの名木100選 五所神社のクスノキ」
樹高36m 胸高周囲8.2m 推定樹齢600年
説明板によると、クスノキは寿命も長く、樹齢が1500年ぐらいに達するものがあると言われるのですからこの巨木でもまだまだ中年ということでしょうか。


「御神木の楠(くすのき)  五所神社」


説明板によると、「・・・治承四年(1180年)8月源頼朝伊豆より挙兵の時、この地の豪族土肥次郎実平は一族と共にこれを助けて・・・石橋山合戦進発の前夜は社前において盛大な戦勝祈願の護摩を焚いたと言われている・・・」


社殿  祭神は天照大神、彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)、素盞鳴尊他


狛犬 吽像


狛犬 阿像


境内社 山神社 祭神はオオヤマツミノミコト


東側口から見た五所神社


JR湯河原駅


駅前の指導標 左、幕山・南郷山5k 城願寺0.5k 城山公園3.5k  他略


「土肥實平公並夫人像」


「土肥氏館趾」の石碑


湯河原駅から見て左手に二本の道路が見えます。手前左側の道路を東に進みます。右側は県道75号線で湯河原海岸方面に向かいます。


四辻 道路正面に指導標が見えてきました。左折してJRのガード下へ
指導標 「 ← 山神の樹叢 城願寺 城山ハイキングコース」  
指導標 「 ← 城山(土肥城跡)3600m」 


車の対面通行が出来ないほどの狭いガード


ガードを出た所にも四辻
指導標 直進、城願寺・城山ハイキングコース 右、鍛冶屋方面・幕山公園方面・山神の樹叢


住宅街の中の坂道を進みます


城願寺入口を示す石柱(「城願寺参道」)と案内板 左へ


すぐに城願寺の門柱が右手に現れます。近くには公衆便所と書かれたトイレが設置されていました。訪れる人も多いのでしょう。


参道


山門


参道  ビャクシンの全体が見える位置です。


この枝ぶりに驚かされて思わずまた写真を撮ってしまいました。


境内に入って  ビャクシン下部
「国指定天然記念物 城願寺のビャクシン」
「神奈川の名木100選 城願寺のビャクシン」
説明板によると、樹高20m 胸高周囲6m 根回り約8m 推定樹齢800年  土肥実平の手植えと伝えられる。ビャクシンも樹齢1500年ぐらいに達するものがあるそうです。


七騎堂


鐘楼


萬年山 城願寺本堂(曹洞宗)


説明板によると、城願寺は土肥次郎実平が菩提寺として建て・・・実平は頼朝の安房への脱出の際に功績があり、また木曽義仲や奥州藤原氏の征討に従軍したがそれ以降の事は定かではい。・・・本堂左後方に土肥氏一族の墓所があるが、全部で66基の墓石があり、一墓所で各種の墓型が揃っているのは関東地方では珍しく貴重なものであるという。


神奈川県指定史跡 土肥一族の墓所


土肥一族の墓所


湯河原の海まで見渡すことが出来ました。左手は真鶴半島


神奈川県 城山(湯河原)を歩く(2)へ


No.334







































静岡県 高根山を歩く(3)

2013-10-18 11:52:09 | ウォーキング
2013年10月14日(月)

寝姿山山頂より


寝姿山山頂を後にして、ロープウェイ入口から下田ロープウェイの施設の中に入りました。山頂駅からロープウェイを使って下山する予定です。
*施設内は「山頂公園」と呼んでいるようですが、「寝姿山自然公園」とはどのような関係になっているのでしょうね。


施設内に入って最初に目にしたのが愛染明王堂です。 この辺りが施設内の最高地点ということになるのでしょうか。ここから山頂駅までよく整備された公園内をだらだらと下って行きます。観光客の方々も皆ここで引き返していくようです。


愛染堂傍の展望台より 下田港と柿崎地区


愛染堂傍の展望台より 下田港と須崎半島(左手) 中央の尖った島は犬走島




黒船見張所跡  ここに来るには少しばかり登り返さなければなりません。


黒船見張所跡


黒船見張所跡より 下田港


黒船見張所跡


黒船見張所跡


山頂駅展望台より 下田駅と下田富士


山頂駅展望台より 稲生沢川と下田市北部


山頂駅展望台より 下田港


ロープウェイ乗り場より (片道料金は600円です)


伊豆急 下田駅  ロープウェイ山麓駅から徒歩1分という至近距離にあります。これから向かう下田富士が駅のすぐ後方に見えています。


下田駅を右に見ながら国道136号線を少しばかり進むと


右手に下田富士の登山口を示す浅間神社の鳥居


浅間神社参道の石段


石段の一番下に鳥居場跡の石碑 「ここに鳥居が1981年まで立っていた 松平定信の巡視に従って来た谷文晁の絵に鳥居がかいてある・・・それより昔ここからふじやまの神々(九祠)を拝んだことであろう・・・」と記されています。


その隣の説明板には下田富士、駿河富士、八丈富士は三姉妹だった・・・という民話が記されています。


鳥居下の狛犬 吽像


鳥居下の狛犬 阿像


鳥居の左脇に境内社の淡島明神


最初の長い石段を登りきったところに不動尊(左)、更に次の石段の上に拝殿


拝殿の左上に龍瓜神社


拝殿の右手から本格的な山道になります。


山道(参道)は下田富士南側の緩やかな尾根筋につけられているので厳しい急登はありません。




かなり登ったところに小さな祠がありました。傍らにあった石碑によると女性の参拝はここまでだったようです。


途中に東側を望める所がありました。正面に寝姿山、右手前に下田駅


前の写真と同じ場所から撮ったものです。中央やや右寄りにロープウェイと山頂駅も見えます。前の写真と合わせて見ると、女性が横たわっているように見えることから寝姿山という名前がついたそうです。




安山岩が露出した岩場の道


ここは板状節理になっているようですね


下田富士山頂 その1 鳥居をくぐると小広い境内があり、その奥に浅間神社本殿がありました。


下田富士山頂 その2 浅間神社本殿


下田富士山頂 その3 浅間神社本殿 祭神は木花開耶姫


下田富士山頂 その4 本殿左手の立札に面白いことが書いてありました。
「本殿へ向かって左側にモチの大木が大正九年(1920)頃まであった。それに英字が彫ってあるのを知った。一八五四はペリー艦隊が下田へ来た年である。ここに名もしれない歴史を書き留めておく」と。要するに当時の米鑑の乗員がこの山にもやってきて書き残した文字ということらしい。一言で言えば落書きですね。その文字は「H.R.D 1854 WDE DSG tep.s」です。


下田富士山頂 その5 本殿裏手の石塔  山頂からはこれといった展望は得られませんでした。


山頂を少しばかり下った所から見た下田港方面



No.333