(続) お山でウォーキング

里山歩きをメインにして運動不足の解消を図ろうと思っています。

山梨県  雨ヶ岳を歩く(2)

2015-11-30 17:05:02 | ウォーキング
2015年11月27日(金)


雨ヶ岳の山頂部が見えて、やれやれ後一息かと思ったのですが   その一息が、僅かな距離にも拘わらずなかなか辿り着けないという(苦笑)




一息入れるために振り返れば富士山が見事な姿を現して   これを見るとやっぱり来て良かったと思わずにはいられません。


指導標 「 竜ヶ岳・端足峠 → 」


なんでもない山道なのに、すっかりペースダウンしているところです




再び振り返って(休む為のようなものですが)    御坂山塊や御正体山方面になるのでしょうか    左手から連続写真3枚




駿河湾、伊豆半島方面  手前は朝霧高原辺り?


山頂の事しか頭にないのですが・・・




雨ヶ岳山頂 その1 三角点がちらりと目に飛び込んできました。


雨ヶ岳山頂 その2 最初に見た山頂のほぼ全景   左側に富士山のビューポイントがしっかり整備されていました。


雨ヶ岳山頂 その3 三角点


雨ヶ岳山頂 その4 三角点


雨ヶ岳山頂 その5 山頂標識


雨ヶ岳山頂 その6 私製の山頂標識  端足峠 ←《雨ヶ岳1772m》→ 毛無山


雨ヶ岳山頂 その7 ビューポイントより  御坂山塊方面   左から連続写真4枚


雨ヶ岳山頂 その8


雨ヶ岳山頂 その9 駿河湾方面


雨ヶ岳山頂 その10 標高点1,921m峰(タカデッキ)


雨ヶ岳山頂 その11 山頂からほんの少しばかり毛無山方面に進んでみました。


雨ヶ岳山頂 その12 30mほど先に指導標 雨ヶ岳 ⇔ 毛無山


雨ヶ岳山頂 その13 指導標から戻って


雨ヶ岳山頂 その14 毛無山側から見た山頂


雨ヶ岳山頂 その15 帰途につく直前に撮った写真3枚


雨ヶ岳山頂 その16


雨ヶ岳山頂 その17


山頂を後にして


帰りのルートではいやでも目に入ります




これは右手方向に   往路でも全く同じ場所で撮りましたが




端足峠付近


端足峠 その1


端足峠 その2 帰途は竜ヶ岳経由の下山も選択肢の一つとして頭の隅にあったのですが、竜ヶ岳の登りの斜面を見たとたんにそんな考えは何処へやら・・・あっさり元来た道(本栖湖への道)に入ってしまいました。 こういうのを根性なしと言うのでしょうか(笑)。


端足峠 その3 今日はやや風があるせいか、雲のようすが刻々と変わるところが面白かったです。


支尾根より


本栖の森  登り口指導標


キャンプ場の気持ちの良い樹林の中を


キャンプ場入口に戻ってきました。


キャンプ場前の県道709号線より  本栖湖西側


同じく本栖湖東側


本栖湖畔より   帰途、車を止めながら撮った富士山の写真3枚








No.478



山梨県  雨ヶ岳を歩く(1)

2015-11-29 09:45:39 | ウォーキング
2015年11月27日(金)

本栖湖南西岸・・・端足峠1265m・・・雨ヶ岳1772m・・・本栖湖南西岸(往復)

   最近の富士山は山頂部にちょこっと帽子を被った程度の雪化粧が続いていたのですが、一昨日あたりの降雪で随分様子が変わったようです。 そこで富士山の眺望がよい事で知られる雨ヶ岳を初めて歩いてみる事にしました。 この山は山梨県と静岡県の県境に位置し、ダイヤモンド富士の撮影ポイントとして知る人ぞ知る場所なのだそうです。 私にとっての問題は地形図を見れば一目瞭然、かなりの急登が続きそうな山で、お気楽には山頂を踏めそうもない所だという事でしょうか。 


本栖湖南西岸にあるキャンプ場入口   大きい看板は「富士箱根伊豆国立公園」で、看板の左半分が本栖湖周辺の案内図  縦長の看板は「←浩庵テント村」
右手の道路は県道709号線(本栖湖畔線)で本栖湖西岸方向を見ています。(帰途撮影)


これはその反対方向(本栖湖東岸方向)を見ているところ(帰途撮影)


テント村入口  キャンプ場内のルートを通らせて頂きました。


テント村入口  「浩庵テント村」の看板と指導標
指導標  登山道 竜ヶ岳(りゅうがたけ)・端足峠(はしたとうげ) → 
            栃代集落(とじろしゅうらく)・御飯峠(ごはんとうげ) →


すっかり葉を落としてしまった樹林の中を南に進みます。


建物が目印になっている分岐点  左折
分岐指導標 左、端足峠・竜ヶ岳  直進、御飯峠・栃代集落

※「栃代集落」が何処にあるのか気になったので帰宅後調べてみると、雨ヶ岳の北西、身延町杉山にあって、栃代川及び県道412号線沿いの山間部に位置していました。


分岐点から少しばかり進むと涸沢が現れるのでこれを渡ります。


沢を渡ると植林帯に入るのですが、ルートが少々分かり難い状況になってきます。マーキングもあるにはあるのですが・・・   植林帯の中は一見雑然とした感じですが、手は入っているので歩こうと思えば何処でも歩けそうです。 却って考えてしまいますが




指導標と登り口が見つかりました。 長い距離ではないのでウロウロ歩いていれば何とかなりそうです(苦笑)


指導標 本栖湖畔10分 ⇔ 端足峠1時間・竜ヶ岳1時間50分  手前、県道本栖湖畔線
   
指導標の柱の部分に「本栖の森 山梨県」とあるのですが、これは本栖湖の南岸一帯から竜ヶ岳・雨ヶ岳に至るまで山梨県側の山林を「本栖の森」としていろいろな角度から整備をしているようです。 私が歩いた所もその一部だったというわけで、実際はまだ整備中という印象を受けました。


登り口から歩き始めた直後もルートがはっきりしないところがあって、この先が心配されたのですが


進むにつれてルートがはっきりしてきました。状態も全く問題はありません。 ただし、あちこちに浮いた岩が転がっているので、歩きにくさはあります。


初めて現れた「←登山道→」の標識   ほぼ、支尾根に乗るところでしょうか。 ルートは広めで岩が転がっていなければ結構歩きやすい登山道です。


眼下に本栖湖が見えてきました。   右寄りにパノラマ台方面




支尾根のルートはS字状に尾根を切りながら進むパターンが多い


左手に竜ヶ岳




右手に雨ヶ岳(あまがたけ)方面


竜ヶ岳


支尾根の左側を竜ヶ岳方向にトラバースして行くと端足峠は近い


峠に近いところから見る竜ヶ岳の山容は本栖湖の北側から見るものと随分異なりますね。私がかつて本栖湖南東岸にあるキャンプ場から竜ヶ岳を歩いた時と比べてもかなり印象が違っていたので少々驚かされました。地形図を見ればすぐに分かることなのですが。




峠が眼前に  いよいよ天子山地の主尾根に乗るところです。


端足峠 その1 峠の標識 「端足峠 標高1,265米」  
指導標 左、竜ヶ岳  右方向は東海自然歩道と雨ヶ岳・毛無山方面へと分かれます。


端足峠 その2 左手(北東方向)の竜ヶ岳


端足峠 その3 正面(南東方向)の富士山  富士山方向は暫く逆光状態が続きます。


端足峠 その4 右手(南西方向)は  東海自然歩道(左)と雨ヶ岳方面(右)


右に進む道には更に指導標が設置されていました。  ここは間違えると後が大変ですからね
指導標 竜ヶ岳←端足峠→雨ヶ岳(あまがたけ)


雨ヶ岳への道(主尾根ルート)   始めのうちは快適そのものでしたが・・・




雨ヶ岳方面




右手に本栖湖   




緩やかに登り始めたルート


霜柱




振り返ると、徐々に竜ヶ岳の山頂の高さに近づいてきた事が分かります。


雨ヶ岳への登りは殆ど直登に近いものばかりで、ただひたすら登り続けます。 急登場面もあってだんだんペースが落ち、足元を見る時間が長くなってしまいました。






途中、やや緩やかな登りになるところ


「登山ルート」の大きな標識


樹間の富士


まるで平坦な道を歩いているかのように感じたところです


指導標 「竜ヶ岳⇔端足峠」


本栖湖と竜ヶ岳  竜ヶ岳が下に見えるようになりました。山容が少しばかり変わってきましたね。


富士山から右手に連続写真4枚


駿河湾方面




連続写真終   やっと雨ヶ岳の山頂部が指呼の間に



山梨県 雨ヶ岳を歩く(2)へ




No.477














 




神奈川県  浄発願寺奥の院から日向山を歩く(2)

2015-11-21 17:17:31 | ウォーキング
2015年11月16日(月)

弁天の森キャンプ場分岐より


弁天の森キャンプ場分岐  直進


左手の施設は防火用水


小ピークへ   ウォーキングに相応しい道を、西から東へと歩き続けます。


小ピーク


小ピーク  指導標 浄発願寺奥の院1.8Km ⇔ 日向薬師1.1Km


少しばかり下ると


平坦で歩きやすい尾根道が直線的に続きます。


鹿柵に沿って


尾根道がやや左方向へ下降に転じるところで指導標が見えてきました。


前掲写真の指導標がこれです。
指導標(右) 「天神平0.3Km ⇔ 三ノ沢・鍵掛2Km」
指導標(左) 「←日向薬師・弁天の森分岐0.18Km」

指導標(右)にある地名・場所を知らなかった事に加えて、二つの指導標が同じ方向を示していたので、一瞬アレ?と思ってしまいました。 といっても、自分が進む方向は分かっているし、地形図や周囲の状況をみればそれほど悩む所ではないのですが・・・指導標(右)の「天神平」の向きに問題があるような気がしますが? 右手を覗いてみるとルートがあったので、これと関係があるのでしょうか?


直進して更に標高を下げて行きます




下方に尾根筋のルートと直交するように交わるルートがはっきりと見えてきました。


四辻  〇〇峠というような名前が付いていてもおかしくない所ですね


四辻の指導標
直進、日向山0.5Km ⇔ 手前、梅の木尾根0.18Km
左、弁天の森キャンプ場1.03Km ⇔ 右、薬師林道0.37Km・日向薬師0.47Km
これを見ると梅の木尾根は先ほどの指導標の辺りで終わっているようです。


四辻から左方向を見たもの


四辻から右方向を見たもの(ルートがほとんど写っていませんが)


正面の日向山に向かって直進すると


丸太の階段道が終わった後も同じ勾配の山道が続きます




左手(北側)が厚木市七沢、右手(南側)が伊勢原市日向


山頂かな?と思ったらもう少し先でした。




日向山山頂 その1 尾根の東端に位置する山頂に到達し、遮るものが無くなったせいか正面から光が差し込んできます。


日向山山頂 その2 「日向薬師の森案内図」と指導標
この案内図を見て、天神平、三ノ沢、鍵掛の位置関係が大凡分かりました。 でもこの案内図を最初に見た時は、日向薬師へのルートが消されている事に気がつきませんでした。相変わらずです。
指導標  弁天の森分岐0.5Km、梅の木尾根0.7Km、薬師林道0.87Km、日向薬師0.97Km すべて同じ方向になっています。これに従うと、日向薬師に行きたければ今きた道を戻れという事になってしまいます。 本当にそのようになるとは(苦笑)


日向山山頂 その3 山頂標識と石祠


日向山山頂 その4 山頂標識 「日向山山頂」 「ここは日向山という標高404mの山の頂上で、伊勢原市と厚木市の境界になっています。この山頂にある石祠には天明八年(1788)と刻まれており、弁天さまが祀られていました」


日向山山頂 その5 三角点


日向山山頂 その6 四等三角点


日向山山頂 その7 相模湾方面
さて、この山頂から日向薬師に向かおうとしたのですが・・・


日向山山頂 その8 南側はこんな指導標と共にロープが張ってありました。
指導標 七沢温泉・広沢寺温泉方面 ⇔ 「私有地につき通行禁止」
かつて広沢寺温泉方面から日向山・見城山をピストンした事があるので、今回は日向山から日向薬師へ降りる計画を立てていました。 どうしてこんな事になってしまったのでしょうね。残念なことです。


日向山山頂 その9 進入禁止のロープ


日向山山頂 その10 山頂部から歩いてきた方向を見ています  
案内図をもう一度見直したり(ここでルートが消されていた事に気づく)、あれこれ考えたのですが、結局四辻に戻ることにしました。


四辻  左、日向薬師へ




歩きやすい下りの道が続きます。




左へ


指導標 広沢寺温泉3.1Km 弁天の森キャンプ場1.3Km 日向山1.0Km ⇔ 日向薬師0.2Km


右手に案内板らしきものが


「日向薬師の森周辺案内図」  薬師林道から入山するハイカーのための案内板のようです。   これも日向山山頂に直接向かうルートは消されていました。


梅林


薬師林道(林道薬師線)へ  前方、坊中方面  手前、七沢温泉方面


指導標1 日向薬師0.1Km ←《かんとうふれあいの道》→ 巡礼峠5.0Km 
指導標2 日向薬師0.1Km ←《おおやまめぐりルート》→ 亀石1.6Km


宝城坊日向薬師へ


大看板に「重要文化財 宝城坊本堂保存修理工事」 (通称 平成の大修理)
日向山宝城坊日向薬師について  HPによれば、奈良時代の初頭、僧行基により日向山霊山寺(ひなたさんりょうせんじ)として開山されたと伝えられている。

※本尊は薬師如来像(国重文)で、霊山寺の別当坊であった宝城坊が寺籍を継いだことからこの寺号を称するようになったそうです。(日本三大薬師の一つに数えられている)


少しばかり内部を見学できるようになっているところ 
張り紙に書いてある工事期間は「平成22年11月~平成28年9月」となっていました。 神社仏閣の保存修理は長い時間を要するものですね。


本堂右手方向に進むと、すぐに二本の杉の巨木が目に入ります。 
その後方は旧日向山霊山寺の鐘堂で、国重文の暦応三年(1340)の銘文をもつ銅鐘をつるす。(伊勢原市指定重文)


「県指定天然記念物 宝城坊の二本杉」
足利基氏が幡をかけ、平和と幸せ、五穀の豊かな実りを祈った「幡かけの杉」として親しまれている。かながわの名木100選にも選ばれている。
樹高33mと35m  胸高周囲6.3mと7.8m  樹齢約800年(推定)


宝城坊の二本杉と鐘堂


宝城坊の二本杉


二本杉の奥へ進むと   虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)


大樹の洞に安置された虚空蔵菩薩


表参道を下ります




山門


山門の仁王像(吽形像)


仁王像(阿形像)




石段を降りた所に「いしば(衣裳場)」の説明板
源頼朝が日向薬師参詣(娘の病気全快を祈るため)の時、ここで旅装を脱ぎ白装束に衣裳を着替えたので「衣裳場」(いしょうば)といわれ、現在は訛って「いしば」と呼ばれているそうです。
指導標 日向薬師バス停0.2Km ←《関東ふれあいの道》→ 日向薬師0.3Km


「関東ふれあいの道」のNo.11「巡礼峠のみち」案内図  日向薬師はS・Gとなる要所


この門を出て右へ50mほど進めば「日向薬師」バス停(終点)




No.476

神奈川県  浄発願寺奥の院から日向山を歩く(1)

2015-11-18 17:11:37 | ウォーキング
2015年11月16日(月)

浄発願寺奥の院入口・・・堂宇跡・・・(梅の木尾根)・・・四辻・・・日向山404m・・・
・・・四辻・・・日向薬師・・・「日向薬師」バス停

   今回歩いた区間はハイキングコースとして整備されていた為か、予想以上に歩きやすいルートになっていました。 程よく変化に富み、距離、所要時間共に丁度良かったと思います。 梅の木尾根に乗ってからは、基本的に下り基調の尾根歩きという事もあって、アップダウンの負荷をそれほど感じないままのんびりと歩く事ができました。 眺望にはあまり恵まれないルートですが、なぜか印象に残るハイキングコースでした。 日向山のピストンはちょっとしたおまけという事でしょうか(苦笑)。 


浄発願寺(じょうほつがんじ)奥の院入口   右手の入口に立つと

※左の道路は前方が「ふれあいの森キャンプ場」方向で、この少し先に「九十九曲ハイキングコース」の登山口や「日向ふれあい学習センター」があり、手前が「日向薬師」バス停方向です。


橋と説明板、東屋などが見えます。


「浄発願寺奥の院」について   説明板によると
無常山浄発願寺は慶長13年(1608)、弾誓(たんせい)上人開山の天台宗弾誓派総本山である。・・・4世空誉(くうよ)上人の時代が全盛期で「男の駆け込み寺」として知られ、放火・殺人以外の罪人は駆け込めば助かった。また、木食行(穀物を避け、木の実・草の実などを火を通さないで食べる)の戒律を大正初期まで守り続けた。
昭和13年(1938)の山津波で諸堂宇が壊滅し、昭和17年(1942)に約1㎞下の地に再建された。以後この地は浄発願寺奥の院と称するようになったという。・・・伊勢原市指定文化財(史跡)


「一ノ沢橋」 日向川を渡って


東屋と宝篋印塔
東屋の所には「閻魔堂跡」という案内板が立っていて、かつて地獄の王閻魔を安置した御堂があったそうです。(大正12年の関東大震災後の山津波で流失)
宝篋印塔は元禄5年(1692)に名古屋城主徳川綱誠(つななり)の正室瑩珠(えいしゅ)院殿を弔うために建立された。大正12年(1923)の山津波で流失したが、昭和5年(1930)に再建された。


宝篋印塔の右手に参道入り口   左側には墓石、石仏などが並び


右側に六地蔵?  本来の頭部がないので、少々異様な雰囲気があります。




「山門跡」  南岳悦山の「無常山」の山号額が架けてあった浄発願寺の山門跡


ほんの僅かな水が流れる一の沢に沿って




所々に石仏、供養塔等が置かれた参道を進みます




「五十三段の石段」  四世空誉上人の代に駆け込んだ53人の罪人が一段ずつ築いたという。


石段を登り切った所が堂宇跡   説明板によると
昭和13年(1938)秋の山津波で倒壊するまで浄発願寺の本堂・庫裡などはここにあった。 本堂は 貞享2年(1685)4世空誉(くうよ)上人の時代に完成したが、寛政7年(1795)の火災で焼失、その後速阿(そくあ)上人によって再建された。・・・三方は自然の岩を掘り割って排水溝とし、非常の時は貯水槽にしたという。・・・10月の「お十夜法要」には本堂・庫裡等が信者であふれ、相模の三大十夜と称され、昭和初期まで盛大であったという。(三大十夜 鎌倉の光明寺・平塚の海宝寺・浄発願寺)


「本堂跡」
文化7年(1810)、22世速阿上人により再建された間口7間(約12.73m)、奥行12間(約21.81m)の本堂があった所


説明板の前を通って「奥の院の岩屋」へ   小さな木橋を渡るのですが、この下の水路が説明板にあった「自然の岩を掘り割って」の部分でしょう。


正面の石碑、石仏の左側を巻いて   岩屋はここから更に7~8分ほど登った山の斜面にあり、同時にこの道が梅の木尾根に通じるハイキングコースのルートにもなっています。


「子安地蔵跡」(浄発願寺本堂前の唐金地蔵跡)




「鐘楼跡」 名古屋城主徳川綱誠とその夫人奉納の鐘があった場所


湿った落ち葉がかなり積もっている山道ですが、こういう場所で一番気になるのはヒルの存在です。地域的にはヒルがいてもおかしくないところだったので、始めの内は足元に注意しながら歩いていたのですが、最後までその姿を見る事はありませんでした。さすがに11月の半ばにもなればと思っていたのですが、なんと自宅の洗濯機の底から1匹死んだ状態で出てきたのです。
これには本当に驚かされました。 私は過去三度、実際にヒルの被害に遭っているのですが、その最初がやはり近くの三峰山を歩いた時でした。冬になるまでは、油断は禁物ですね。


正面に墓石が並んでいる場所に突き当たります。左が梅の木尾根へのハイキングコースで、右に岩屋という地点です。
指導標 左、日向薬師2.6Km ⇔ 手前(歩いてきた道)、日向林道0.5Km


右手の岩屋へ


「岩屋」   説明板より
弾誓上人によって開かれた岩屋。 この世の浄土と考えられていた。岩屋中央に弾誓上人の石像があり、右側に瑩珠院殿、・・・の墓石が並んでいる。・・・明治末年、大正12年、昭和13年等の山津波で埋没していた歴代住職の墓石等は、平成3年春発掘して復元された。
(これを見ると、地形的にかなり危険な場所にあったという事なのでしょうか)  


岩屋を後にして梅の木尾根を目指します


主尾根の梅の木尾根から派生する支尾根に乗るまでは、やや注意を要するトラバース道があります。
距離は短いのですが、今日は下が濡れていたので慎重に歩きました。


正面に支尾根の稜線が見えてきたところ


指導標 手前、浄発願寺奥の院岩屋0.2Km ⇔ 右、日向薬師2.4Km  
ここで右へ鋭角的に曲がりながら支尾根に乗ります。




左側に小さな指導標 「←登山道→」


支尾根にはこのような木の根が張り出している所が多いのですが、歩行上は何の問題もありません。


大山でよく見たタマネギ石




指導標 手前、浄発願寺奥の院0.5Km ⇔ 右、日向薬師2.1Km
ルートはここから支尾根を離れ、右方向に緩やかに曲がって行きます。
指導標の所から左方向にも踏み跡があったのですが、これは大山方面に向かうためのものでしょうか?


ルートは主尾根(梅の木尾根)に沿うような形で進み、少しずつ主尾根に接近して行きます。


正面に梅の木尾根の稜線が見えてきました。




梅の木尾根に乗ったところ  合流点には休憩用のベンチ


ベンチ傍の指導標  手前、浄発願寺奥の院0.9Km ⇔ 右、日向薬師1.9Km
左方向は特に標示はありませんが、大山・唐沢峠方面です。


右の日向薬師方面へ   ごく小さなアップダウンはありますが、四辻までは下り基調の道が続きます。




鞍部から最初の小ピークへの登り




小ピーク   はじめ、ここが標高点537mのピークかなと思ったのですが、どうも次の小ピークのようです。  左手の立て札には「水源林管理用経路 行き止まり・危険個所があるため関係者以外立入禁止」と記されています。


次の小ピーク ベンチあり  ここが標高点537mのピークと思われますが・・・




左手に現れた数少ない眺望   北側、標高500m~600m程度と思われる山並みですが、名前などは分かりません。




小ピークへ


小広いスペースがある平坦な小ピーク
指導標 浄発願寺奥の院1.0Km ⇔ 日向薬師1.7Km




どんどん標高を下げて行きます。


指導標 「 日向薬師→ 」


ここからほんの僅かな距離ですが、急な下り(ロープ場)が始まります。


少しばかり岩場もありますが、ゆっくり進めば問題はありません。




ロープ場が終わって


小ピークへ


小ピーク


小ピークから少しばかり下ると


分岐点  直進して日向薬師方面へ
指導標  左、弁天の森キャンプ場0.4Km
       直進、日向薬師の森0.45Km  日向薬師1.3Km 
       手前、浄発願寺奥の院1.7Km


神奈川県 浄発願寺奥の院から日向山を歩く(2)へ



No.475