(続) お山でウォーキング

里山歩きをメインにして運動不足の解消を図ろうと思っています。

神奈川県  中井町東部の丘陵地帯を歩く(2)

2020-02-15 19:32:06 | ウォーキング

2020年1月21日(火)

日枝神社より

 

31 日枝神社 4差路から5分程度の所にあります。

 

32「馬場跡・日枝神社」説明板より   その昔は鉄砲馬場であったが、戦前は廻り馬場となり、当時は草競馬が年に数回行われ賑やかだったと言われている。     また、この付近には「五十塚」「六十塚」という地名があり、永禄九年(1566)小田原攻めを行った武田信玄の一行がここを通る際、北条の追撃に遭い、その時亡くなった者の霊を慰めるために五輪塔を立てたと伝えられている。 また、北条早雲と三浦一族との古戦場とも言われている。以前は数多くの五輪塔があったが、今はその姿はない。                                                                                                                                                 

日枝神社 創立由来等は、はっきりしていない。祭神は大山咋命(おおやまくいのみこと)で、江戸時代は山王大権現と称されていた。明治二年(1869)日枝神社と改称された。・・・

 

33 参道左脇にトイレやベンチなども用意されています。

 

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35 日枝神社

 

36 四差路に戻って緩やかな坂道を下って行きます。

37

 

38 右へ

39 四差路 左へ  左 南平橋方面 右 日枝神社前へ 直進は神奈川大学方面

 

40 道路が少し狭くなりますが、100mほど歩いたところで

41 右折します 次の目標地点は「遠藤原」バス停

 

42 南東方向に歩いて

 

43 四差路を右へ  正面を横切る道路が路線バスの通る幹線道路のようです。 

 

44 右折して少しばかり歩いた所に「遠藤原」バス停。ちょうど路線バスが通過した直後でした。 ここが今日のウォーキングプランの折り返し地点でもあります。この後少々分かりにくいのですが、このバスを追うように歩き、突き当りを右折した後(バスは左折)前方中央に見える林の後方に回り込むように進みました。

 

45 その結果やって来たのがこの地点で、ここで左折した後、南方向に坂道を一気に下ります。 

 

46 坂道途中で見られた太陽光発電施設

 

47

 

 48 酪農などに使う飼料タンク? 今は使われていないようでしたが

 

49 右手の川と合流するような形で坂道が終わりました。この川が座禅川です。私は鋭角に折り返す川沿いの道に入ります。 なお、写真正面奥に橋が架かっていますが、ここを通る道路が県道77号線のようです。

50 座禅川の左岸を川沿いに歩きます。

 

51 直進

52 左へ

 

53 緩やかな登りになっていますが、とても快適な散歩道です。

 

54「芳盛寺橋」の橋名板が取り付けられた小さな橋  右手を見上げると

 

55 立派な石段と本堂の屋根らしきものが見えます。

 

56 説明板より 鎌倉幕府創設に功あった土屋三郎宗遠(1123~1213)の菩提寺として建仁4年(1204)創建。 創建時は阿弥陀寺と号す。 時移り、土屋氏にかわって応永年間(1394~)、関東公方足利氏満の庇護を受けたが、応永23年(1416)の上杉禅秀の乱後、この地の領主となった大森芳盛の菩提寺となる。寺の前を流れる座禅川の名の由来は、修行僧が川のほとりで座禅したことによる。(創建時から壇林所-学問所として栄えた名残である)

 

57 芳盛寺(ほうせいじ)本堂

 

58 説明板より 平塚市指定重要文化財 「僧空海画像 一幅」 昭和33年指定

画面縦100.5cm 横50.5cm 当画像の箱書きには「真如親王御筆」となっているが、真如法親王は平安時代の人である。・・・歴史的作風から類推すると、室町時代の作と思われる。平塚市内に存在する仏画としては最古の作品であり、・・・市にとっても貴重な文化財である。 平塚市教育委員会 

 

59 芳盛寺を後にして

 

60 直進

 

 

61 県道77号線へ 指導標 左 芳盛寺 右 七国峠・愛宕山公園 

右手前方向 土屋霊園・遠藤原  私は県道77号線を七国峠方面に進みます。 

 

62 県道77号線を七国峠(ななくにとうげ)方面に向かいます。

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No.562

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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