(続) お山でウォーキング

里山歩きをメインにして運動不足の解消を図ろうと思っています。

神奈川県  茨菰山を歩く

2016-03-30 13:56:10 | ウォーキング
2016年3月29日(火)

鳥居原ふれあいの館・・・鳥屋郵便局前・・・諏訪神社・・・茨菰山511m・・・
・・・鳥屋郵便局前・・・鳥居原ふれあいの館(往復)

   茨菰山(ほおづきやま)は鳥屋郵便局前付近との標高差で230m程という低山です。 これをピストンするだけのプランだったので、比較的簡単に終わるかなと思っていたのですが、実際に歩いてみるとなかなか歩きがいのある山でした。距離は短いのですが、直の急登場面が多かったからでしょうか。 ルート的には若干心配もありましたが、林業・電力会社関係の作業道(?)があって何の問題もありませんでした。歩き易さという点では、今の時期がちょうど良いと言えるかも知れません。ヒルの心配もありませんから。


鳥居原ふれあいの館 正面入り口
今回は比較的短時間で終わりそうだった事と、茨菰山の進入口付近に適当な駐車ポイントがあるかどうか良く分からなかったので無理をせずここをスタート地点にしました。 郵便局前まで15分程度でしたから結果的にはここで良かったと思っています。

※鳥居原ふれあいの館(とりいばらふれあいのいえ) 住所 相模原市緑区鳥屋1674


出発前に園地より   宮ヶ瀬園地方面 


前掲写真の右手  本間ノ頭(丹沢三峰)方面


ふれあいの館正面入り口前の道路  左、虹の大橋方向  右、宮ヶ瀬ダム方向
鳥屋郵便局前への近道はこの道路を横断して直進します。 


鳥屋(とや)郵便局前を目指して   正面左手に三角山、右手に仙洞寺山 


途中左に道をとり、やや急な坂を下り始めると今度は正面に茨菰山
後で分かった事ですが、茨菰山右側斜面に見える防火帯(?)の左端を歩いたわけです。


最短距離のルートを歩いたつもり   いかにもハイキングコース風の道を気持ち良く進んだのですが、最後はどこかの御宅の庭先のような所に出てしまいました。


県道64号線に出るところ   この辺りを「宮之前」といい、右手に鳥屋地区の中心部となっている三差路があります。
道路標識  三差路直進は県道513号で国道412号・相模湖方面  三差路左折は県道64号で国道413号・青野原方面


三差路  左折して青野原方面へ
右手の角に鳥屋駐在所、その右隣に鳥屋郵便局


三差路  左手角に設置された標識「ここは宮之前 標高二七七米」


一つ目の橋「宮下橋」 下は串川 


宮下橋を渡ると左手に鎮守の森らしい木立が見えてきます。  左側の道を斜めに入ると




「村社 諏訪神社」の社号標 


鳥居から社殿を見る


右手に神楽殿(獅子舞伝承館?)




社殿左下に大きなスギの切り株が


説明板「鳥屋諏訪神社大杉」によると
諏訪神社の御神木(目通り5m・高さ26m)として地域に親しまれてきたが、倒壊の危険が出てきたため平成二年に伐採された。 県林業試験場による切り株調査の結果、樹齢366年で、年輪を直読出来る切り株は県下でも珍しく、保存する価値は高いとの評価を受けたという。  津久井町教育委員会


狛犬 吽像


狛犬 阿像


説明板「鳥屋諏訪神社本殿」より
・・・本殿は相模原市指定文化財(建造物)  本殿内の棟札に安永四年(1775)の再建年代が記されている。


拝殿  祭神は建御名方命、天照皇大神 




左手より 社殿全景


左手に


右手に


「鳥屋獅子舞伝承館」という大きな看板の前を通って神社を後にします。
※「鳥屋の獅子舞」について(相模原市HPより)
地域を代表する民俗芸能として、昭和51年無形民俗文化財として県の指定を受けた。 毎年、8月第2土曜日、神社の例祭時に奉納されている。


県道64号線  左手に茨菰山


二つ目の橋「谷戸橋」




標識「ここは谷戸 標高二九六米」が良い目印になっています。 今回、茨菰山への進入口とした所ですが、初めて歩く山なのでここが適当かどうかは何とも言えません。 が、結果的には良かったと思っています。


標識前を左折 


橋を渡って直進 




民家が途切れた辺りから山に入る雰囲気が・・・


左方向に舗装された坂道を登って行くと



分岐点   登り切ったところで道が左右に


左方向のようす


右方向のようす  指導標等の案内はありませんが、独立峰的な分かりやすい山なので、山頂の方向さえ決めておけば、ルート的に困るような事はないと思いますが。 右へ 




あまり利用されていない様子です 


舗装された林道が終わる直前に崩壊地   舗装面の下の土が崩れて深く抉られた状態になっていました。  林道の一番右端を静かに通過しましたが、あまり気持ちの良いものではありませんでした。  右側のヤブの中を少しばかり巻いて行く方法もあったのですが・・・


崩壊地を過ぎるとすぐに山道に入り、本格的な登りが始まりました。


二基の送電鉄塔   送電鉄塔と送電線が目印に(左後方の鉄塔がパイプ型の鋼材でできた鉄塔)
送電線を良く見るとこの少し先で交差しています。この交差点が地形図上の「N35°32′56″  E139°12′33″」付近に当たる所だと考えられます。


作業道はあるのですが、結構きつい・・・


茨菰山中腹を走る林道は目前


右手、三角山と仙洞寺山


歩いてきた方向を振り返って


茨菰山中腹を走る林道に出たところ(N35°32′54″ E139°12′35″)   電力会社の標識「佐久間東幹線 NO.378 電源開発」あり
この標識から左方向に30mほど進むと


右カーブ手前に山頂へのルートがすぐに見つかりました。
「山火事注意」の立て札が目印


林道から少しばかり登って三角山方面を見たところですが、上空で送電線が交差している事がわかります。


パイプ型の鋼材でつくられた大型の送電鉄塔の所までやってきました。 鉄塔の下を進んで


やや右手から正面の植林帯の中に入って行きます 


見た目は悪いですが、あきらかにはっきりとした作業道が現れます。 ただし、枯れて倒れたままのカヤの上は歩き難い・・・ 


カヤト道を登り切ると、右に鋭角に曲がります。


山頂付近かなと思ったら、山頂はもう少し先でした。


最後のひと登り




茨菰山山頂  その1 この辺りが山頂か?


茨菰山山頂  その2 ペイント以外は山頂を示すようなものは特になし 


茨菰山山頂  その3 どちらを向いても植林帯ばかり


茨菰山山頂  その4 山頂からそのまま直進する方向にこのルートがありましたが、これは青野原もしくは焼山方面に至るルートなのでしょうか? 


山頂を後にして引き返します


山頂からほんの少し戻った地点から   宮ヶ瀬湖方面


大型の送電鉄塔のところまで戻って   三角山、仙洞寺山方面 


中腹の林道に到着 左手前へ 


電力会社の標識があるところから   宮ヶ瀬湖方面 


崩壊地


分岐点 左へ


左手に山頂方面が見えたのですが、かなり近くに見えました。 帰りの道があっけなく終わってしまったのも頷けます。




県道64号線  右へ


この先三差路  道路標識 左、国道412号・半原方面  右、厚木・宮ヶ瀬方面


三差路  右へ


三差路 「鳥屋郵便局前」バス停(神奈中)


道路標識  伊勢原23Km・宮ヶ瀬4Km 


やや急な坂道を登りきったところ  右へ 




鳥居原ふれあいの館 


園地より  やまびこ大橋・宮ヶ瀬園地方面 


園地より  右寄りに虹の大橋・本間ノ頭方面 


園地より  右端、焼山方面 

この日、この地域の桜の開花はまだでした。




No.490


















神奈川県  小田原市北西部の丘陵地帯を歩く(3)

2016-03-20 13:45:52 | ウォーキング
2016年3月16日(水)

「小田原こどもの森公園わんぱくらんど」より


わんぱくらんど正面入り口を過ぎるとすぐに四叉路  
直進、小田原厚木道路荻窪IC方面  左、小田原市役所方面  右、水之尾毘沙門天方面


陸橋手前を右に入って、水之尾毘沙門天(みずのおびしゃもんてん)を目指します。


このルートの左側に辻村植物公園、右側にわんぱくらんどが広がります。


左右に車止めのある所が分岐点


分岐点左側  
指導標 《諏訪の原・西部丘陵ウォーキングコース》 左、水之尾毘沙門天900m


分岐点右側  「小田原こどもの森公園わんぱくらんど 辻村植物公園側入り口」


静かな植物公園の中を歩きます。  ベンチが置かれ、左手は


梅林とその向こうに相模湾   素晴らしい眺望です。
梅花の見頃であれば更に良いのですが




指導標 左、水之尾毘沙門天770m
散策路を左へ  右方向は通行止め


ロータリーのようになっている所を右に入ると、すぐに分岐点が現れます。


分岐点指導標 《諏訪の原・西部丘陵ウォーキングコース》
手前、わんぱくらんど440m・いこいの森1,160m・小田原フラワーガーデン5,500m ⇔ 右、水之尾毘沙門天670m・コース分岐A1,050m


右方向、毘沙門天方面へのルートはロープで塞がれているのですが・・・
ロープに取りつけられた標識には「ウォーカーのみ通行可  ※ロープ内は私有地のため畑に入らないでください」とありました。 ロープを跨いで進みます。




ロープを跨いだ分岐から2~3分でこのルートにぶつかります。 左へ (この地点はN35°15′24″ E139°07′38″と思われます)
指導標 左、水之尾毘沙門天600m ⇔ 手前、わんぱくらんど300m・いこいの森1,420m


左カーブの所に分岐点   指導標に従ってを右側のダートのルートに入ります。
分岐指導標 水之尾毘沙門天500m・コース分岐A880m ⇔ 辻村植物公園170m・わんぱくらんど600m・飯田岡駅(大雄山線)7,880m




車止め


指導標 水之尾毘沙門天 ⇔ 辻村植物公園615m・わんぱくらんど745m




水之尾毘沙門天の鳥居が見えてきました。 (N35°15′15″ E139°07′39″)
一旦社殿(右寄りに参道の石段が見える)に向かい、戻ったら左手方向へ道なりに進みます。


指導標 《諏訪の原・西部丘陵ウォーキングコース》 荻窪用水コース分岐180m ⇔ 辻村植物公園770m
説明板「水之尾毘沙門天」(北向毘沙門天)より   ここ風祭字水之尾は石切山と言われ、昔から小田原石の産地として知られていた。小田原北条氏の頃、その石切りに纏わる出来事から毘沙門天が祀られるようになったという。


鳥居をくぐると、参道は左へ


かなり急で狭い石段  でも手摺があるので安心して登れます。(南側に女坂があるようですが、ここからは遠そうですね)


社殿


毘沙門天を後にして南東方向に坂を上ると四叉路に (N35°15′14″ E139°07′42″)
ここは直進


数分で、二つ目の広い道路に突きあたります。 (N35°15′09″ E139°07′45″)
ここで左折するとゴール地点の小田原駅まで、ほぼ東方向に歩き続けることになります。(地図上で全行程を大雑把にみると、カタカナの「コ」の字を逆にしたような形)


「サンサンヒルズ前」バス停(箱根登山バス)




指導標 《諏訪の原・西部丘陵ウォーキングコース》
水之尾毘沙門天700m・辻村植物公園1,470m ⇔ 箱根板橋コース 松永記念館1,315m・小田原駅コース 白秋の散歩道 かたらちの花の小径360m


右手に相模湾   写真中央付近に、小田原漁港(早川)を跨ぐ小田原ブルーウェイブリッジ


分岐点  左へ  「白秋童謡の散歩道」に入ります。


分岐指導標 左、白秋童謡の散歩道 からたちの花の小径


分岐点説明板「白秋童謡の散歩道」より
北原白秋(明治18年~昭和17年)は大正7年3月から大正15年5月までの間小田原で暮らし、「からたちの花」「揺籠のうた」「赤い鳥小鳥」「アメフリ」「待ちぼうけ」「砂山」など数多くの詩歌をつくりました。 豊かな自然の中で、白秋のまなざしをとおして、美しい詩歌が生みだされたといえるでしょう。


「散歩道」を歩きます。


松田山から曽我丘陵、その奥に丹沢の山々


曽我丘陵、相模湾方面と散歩道






左手一帯に小田原城跡


説明板「国指定史跡小田原城跡  小峯御鐘ノ台大堀切西堀(こみねおかねのだいおおほりきりにしぼり)」より
この場所には箱根外輪山から続く尾根を断ち切るように築かれた三本の堀切(小峯御鐘ノ台大堀切)のうち、一番西側の堀がありました。現在はその大半が埋め立てられていますが、北側には空堀と土塁が良好に残っています。  小田原市教育委員会


土塁の一部でしょうか


右側に「御鐘ノ台」標石
標石に記された説明によると、ここは小田原城の西端にあたり、中世城郭遺構が最も良く残っている所である。地名の由来は小田原攻めの時、この地に陣鐘が置かれていたという。


「からたちの花の小径」の石碑


説明板「からたちの花」 (山田耕作 作曲) より
  からたちの花が咲いたよ  白い白い花がさいたよ 
  からたちのとげはいたいよ 青い青いとげだよ
  からたちは畑の垣根よ   いつもいつもとおる道だよ
  ・・・


御鐘ノ台を少しばかり下ると左折するのですが、その左折方向を示した指導標
《諏訪の原・西部丘陵ウォーキングコース》 (小田原駅西口コース)
左、小峯の大堀切220m・井上康文文学碑460m




右折地点指導標 右、井上康文文学碑350m・小田原駅西口1,290m


右折地点 説明板「揺籠のうた」 (草川 信 作曲) より
  揺籠のうたを、カナリヤが歌ふよ。    ねんねこ、ねんねこ、ねんねこ、よ。
  揺籠のうへに、枇杷の実が揺れる、よ。 ねんねこ、ねんねこ、ねんねこ、よ。
  揺籠のつなを、木ねずみが揺する、よ。 ねんねこ、ねんねこ、ねんねこ、よ。
  ・・・


小峯の大堀切  この説明板の後方がその大堀切なのですが、肝心なところが撮れていません。
説明板より  小田原北条氏時代の小田原城は全国でも稀にみる大きな縄張りをもった城郭として知られている。その構築法は、内城(本丸、二の丸、三の丸等)と城下町を囲んだ大外郭を設けて、場外に雄大な防禦線を張ろうとする構えであり、当時これを「総構」「総曲輪」と呼んだ。
また、大外郭は土塁とその外堀で造られていることから「総堀」とも言われている。
現在、ここに見られる空堀遺構は小田原城にとって最も重要な所と思われ、この空堀・土塁は小田原城現存遺構の中で最大のものである。


大堀切を後にして、下り坂が続きます。


慰霊塔前の説明板「毒榎平・八幡山周辺の原始・古代の遺跡」より
慰霊塔のある城山公園周辺や小峯配水地は小田原城のうち毒榎平と呼ばれた場所に位置している。八幡山周辺には、小田原城より古い時代の遺跡も数多く発見されている。市内でも事例の少ない旧石器時代の石器や神子柴型石器と呼ばれる縄文時代最初期の石器なども複数点確認さており、さらには弥生時代後期~古墳時代前期の集落跡なども見つかっている。


城山公園  (戦没者)慰霊塔




横断して直進  左方向に城山陸上競技場


小田原高等学校前


歩き易い石段の坂道を下って    正面に小田原の市街地と相模湾


新幹線のガードが見えたら


小田原駅西口




No.489

 

神奈川県  小田原市北西部の丘陵地帯を歩く(2)

2016-03-19 09:19:01 | ウォーキング
2016年3月16日(水)

久野15号古墳より


久野15号古墳


分岐点  15号古墳を後にしてここで左折(N35°16′41″  E139°07′44″)
正面に明神ヶ岳方面の稜線がよく見えています。


分岐指導標 《諏訪の原・西部丘陵ウォーキングコース》
左、龍泉寺観音堂475m・いこいの森3,385m ⇔ 直進、小田原フラワーガーデン385m・おだわら諏訪の原公園600m


分岐点からは、南方向へ  先ずは欠ノ上観音堂を目指して


谷筋に降りて行きます


欠ノ上(かきのうえ)地区


足柄街道に出るところ  左、小田急線足柄駅方面  右、舟原地区方面


右側角に欠ノ上観音堂


「観音堂前」バス停(伊豆箱根バス)
指導標 右、いこいの森2,910m・わんぱくらんど3,810m


龍泉寺は弘治元年(1555)、久野総世寺の第八世 大岳宗純禅師の建立という。


「総林山 龍泉寺」 本尊は観音菩薩


右(舟原地区方向)へ進み、いこいの森を目指します。


「欠の上公民館」バス停


観音堂からおよそ250mほどの所で左折  「山聖」の看板あり


子の神橋  下は久野川


子の神橋から上流側


分岐点  いこいの森は左ですが、先に子ノ神社に立ち寄ります。  右へ


分岐指導標 左、いこいの森2,490m・わんぱくらんど3,390m  右、子ノ神社(行き止まり)


すぐに子ノ神社の鳥居が見えてきます。


子ノ神社(ねのじんじゃ)


子ノ神社  社殿


拝殿  祭神は天之児屋根命(あめのこやねのみこと)


拝殿


社殿全景


社殿右手にある境内社の祠に


「大口真神御符」という文字が見えたので調べてみると
大口真神(おおくちのまがみ)は真神(まかみ)の別称で、日本に生息していた狼(ニホンオオカミ)が神格化したもの。人語を理解し、善人を守護し、悪人を罰するものと信仰された。 また厄除け、特に火難や盗難から守る力が強いとされ、絵馬などにも描かれてきた。(Wikipedia)


神楽殿


子ノ神社からいこいの森へ
石垣の角に指導標 《諏訪の原・西部丘陵ウォーキングコース》
右、いこいの森2,413m・わんぱくらんど3,313m


左側フェンスの所にショートカットルートの入口がありました。


ショートカットルートの入口に設置されていた指導標(畑の中に立ち入らないようにという注意書きあり)  左、いこいの森2,350m・わんぱくらんど3,250m




コンクリートで舗装された農道




広い道路に出ました。  右は足柄街道に接続
指導標 左、いこいの森2,180m・わんぱくらんど3.080m


歩行者用の歩道があればもっといいですね


茶畑と菜の花畑


菜の花畑の向こうに曽我丘陵の末端(国府津付近)と相模湾を望むことができました。




上坊所橋(かみぼうどころばし)  下は日蔭沢(ひかげざわ)




四叉路(N35°15′52″ E139°07′31″)  右折
直進、小田原市役所方面   左、小田急線足柄駅方面   右、宮城野方面


地形図や道路地図を見ると、四叉路左折の方が「いこいの森」に近そうですが、「いこいの森」の中を歩きたかったので、敢えて右折しました。

※四叉路左折というと、逆方向のようですが、50mほど先にいこいの森方面に向かう道があるようです。どちらが良いかは何とも言えませんが・・・


いこいの森の裏門?にあたる所
「体験交流センター」「いこいの森管理道路」などの看板が立っています。

※小田原市いこいの森・・・小田原市(管理者 小田原市森林組合)によって設けられたもので、キャンプ場、自然観察路、バードゴルフ場、木工芸体験室、バーベキュー場などを備えたアウトドアタイプのレクリエーション施設といってよいでしょうか。


道なりに歩いていると自然にこの「あそびの広場」に出ます。  トイレあり


あそびの広場  正面植木の向こう側に屋根つきのバーベキュー施設が並んでいて、若者たちがバーベキューを楽しんでいました。 管理棟方向(写真中央に標識)に向かえば表門の出入り口に至ります。


管理棟は広場から3分ぐらいの所に


表門からいこいの森を出る事ができました。  左、わんぱくらんど  右、裏門で別れた道路に接続


わんぱくらんど・辻村植物公園へ


指導標 左、龍泉寺観音堂3,400m・小田原フラワーガーデン4,200m・飯田岡駅(大雄山線)6,400m
N35°15′52″ E139°07′31″の四叉路を左折するとここに出るようです。


わんぱくらんど第4駐車場


「小田原こどもの森公園わんぱくらんど」の看板  正面入園口はこの少し先


わんぱくらんど正面入園口の広い階段前に到着しました。



神奈川県 小田原市北西部の丘陵地帯を歩く(3)へ



No.488













神奈川県  小田原市北西部の丘陵地帯を歩く(1)

2016-03-18 08:23:29 | ウォーキング
2016年3月16日(水)

五百羅漢駅(大雄山線)・・・久野古墳群・・・龍泉寺観音堂(欠ノ上)・・・
・・・いこいの森・・・辻村植物公園・・・水之尾毘沙門天・・・小田原駅

   箱根外輪山を形成する明神ヶ岳~明星ヶ岳~塔ノ峰の東側に広がる丘陵地帯には多くのハイキングコースが整備されています。ウォーキングにはうってつけの場所といえるでしょう。 今回歩いたところは標高およそ150m前後の所で、厳しいアップダウンはないのですが、奥行きが広いせいかどうしても距離が長めになってしまう傾向にあります。 「小田原駅まで歩いて戻る」をプランの柱にした事もあって長時間の歩きになってしまいました。


五百羅漢駅(伊豆箱根鉄道 大雄山線)


五百羅漢駅前は県道74号?・720号?線  南足柄市方向に進みます


小田急線ガード  歩行者は左側の上多古歩道トンネルへ


トンネルを抜けるとすぐに上多古(かみたこ)交差点  左折


大雄山線の踏切を渡ると丘陵への登りが始まります。  この辺りはこれから歩く久野諏訪原丘陵の東端に当たる所と言ってよいでしょうか。


踏切の左手に大雄山線と小田急線が交差している様子がみられます。


一気に丘陵を登って


急な坂道を登りきると、あとは緩やかな坂道が続きます。


県道74号線


県道左側の風景  右寄りに大観山方面  左手電柱のすぐ右に小田原城天守閣を望む


「坂下児童遊園地」の看板   地形図によるとこの辺りに、神社がある筈・・・   
良く見ると、広場の奥に説明板らしきものも見えたので中へ


神社の境内であることがわかりました。


説明板「久野古墳群」より
久野諏訪ノ原丘陵には、「久野百塚」や「久野九十九塚」と言われるなど多くの古墳が点在していた。久野古墳群の中で、一番目を引くのが「百塚の王」とも称される久野1号古墳です。この古墳は本格的な発掘調査は行われていないが、神奈川県内でも最大の円墳といえる規模だそうです。


山神神社(さんじんじんじゃ)




児童遊園地を出て元の坂道に戻ったところ   神社の角地が分岐点になっていて、私はそのまま直進しますが、県道74号線は左方向(小田原駅方面)に向かうようです。ここまでは交通量が比較的多かったのですが、殆どの車は県道を行き来します。


分岐指導標
久野古墳1号100m、4号1,800m、15号2,100m ⇔ 五百羅漢800m、小田急足柄駅1,000m     左、小田原駅方面


すっかり車が通らなくなった道を少しばかり進むと


久野1号古墳 その1  右手に県下最大の古墳と言われる1号古墳が現れます。


久野1号古墳 その2


久野1号古墳 その3  説明板1「久野諏訪ノ原丘陵の方形周溝墓群と中世墓」より
久野丘陵とは、久野字諏訪ノ原を中心に東に延びる丘陵で、他の尾根と区別して久野諏訪ノ原丘陵とも呼ばれている。 ・・・この一帯で縄文時代初頭から近世に至る様々な遺跡が確認されているが、この辺りは特に方形周溝墓が集中している地域だそうです。
方形周溝墓とは弥生時代から古墳時代初頭に造られた墓で、このあたりで見つかっているのは約2,000年前頃の弥生時代中期のものであることが確認されている。また、鎌倉時代初頭の墓も分布している。


久野1号古墳 その4  説明板2「久野一号古墳」より
この古墳は久野古墳群の一基で円墳です。 久野配水地内の発掘調査で、幅約12mの周濠が確認され、周濠までを含めた規模は直径60m以上と推定される。 
箱根外輪山明神岳東側の裾はいくつかの洪積丘陵を形成しているが、この古墳はその丘陵上に展開する古墳群の中で最大規模をもっている。以前は4、5基の陪塚(ばいちょう)かと思われる小円墳が存在したと言われる。 ・・・内部主体については未調査であるが、六世紀前半までには築かれていたものと考えられる。 小田原市教育委員会  中央の石碑には「小田原市指定 第一号古墳」


久野1号古墳 その5  古墳の右手から裏側に回ってみたところ   左が古墳の斜面で遠景は松田山方面


久野1号古墳 その6  前掲写真の右手  足柄平野を挟んで中央の大山から右寄りに曽我丘陵方面


久野1号古墳 その7  裏側から見た古墳ですが、これでは近すぎて何だか分かりませんね(苦笑)


1号古墳を後にして、小田原市の水道施設の脇を進みます。




指導標 久野4号古墳1,600m 久野15号古墳1.900m 総世寺2,600m ←《久野遺跡巡りコース》→ 久野1号古墳100m 五百羅漢1,000m 小田急足柄駅1,200m


ほぼ丘陵地の尾根筋を進んでいるといって良いでしょうか




左手に足柄平野と曽我丘陵


道端の馬頭観音


このルートは西北西方向にほぼ一直線にのびる分かりやすい道で、正面に明神ヶ岳を仰ぎ見ながら歩きます。 道路は傷んでいる所もありますが、車はほとんど通らないのでのんびりと歩くことができます。 市道らしいのですが、広い農道といった雰囲気です。


これは後ろを振り返って撮ったものですが、この辺りで縄文遺跡が発見されたそうです。


前掲写真のところにあった説明板「久野諏訪ノ原丘陵の縄文遺跡」より
久野諏訪ノ原丘陵は小田原市内でも屈指の縄文遺跡が発見されている場所で、草創期(15,000~9,000年前)から晩期(3,000~2,400年前)までのものが確認されている。
ちょうどこの辺りは、縄文早期(9,000~6,000年前)から後期(4,000~3,000年前)を中心とした久野一本松遺跡があった場所で、80軒以上の住居跡が見つかっています。 この辺りは日当たりも良く、居住域としては良好な場所であったと考えられ、狩猟、採集の生活をしていたものと思われる。


さらに少しばかり進むと、右手にまた説明板が


2号古墳の説明板だったので、一応付近を見渡してみたのですが見つけられず、早々とあきらめてしまいました。遺跡と農地という事でむやみに歩きまわるのもどうかと思われたからです。

説明板「久野2号古墳」より   2号古墳は久野古墳群の中でも久野1号古墳に次ぐ規模の円墳だそうです。1号古墳と同様に有力な首長の墓であった可能性が考えられます。この古墳からの出土遺物(大刀4点、玉類、土師器など)は小田原市郷土文化館で展示・公開されているそうです。

この辺りに三角点がある筈なので、正面の小道に入ってみると


三角点の標柱がすぐに目に入り


三角点の所へ行く途中で、左手に少しばかり盛り上がった所があったのですが、まさかこれではないでしょうね(苦笑)




三等三角点


三角点を後にして、
指導標 久野1号古墳1,100m 五百羅漢2,000m 小田急足柄駅2,200m ←《久野遺跡巡りコース》→ 久野4号古墳600m 久野15号古墳800m 総世寺(そうせいじ)1,500m




四叉路  左側の指導標によると、4号古墳まであと100mの地点


前掲写真の右側には少々古そうな指導標があって
「これより左 四号古墳百三十八メートル・十五号古墳三百七メートル」とありました。


指導標 左、4号古墳


久野4号古墳 その1  左に入るとすぐに見つかった4号古墳


久野4号古墳 その2 説明板「久野四号古墳」より
この古墳は古墳時代後期(6~7世紀)に築かれた円墳で、昭和26年に発掘調査された。大きさは直径20m、高さ3.5mで本来の形はお供え餅を二つ重ねたような二段式の円墳であったようです。 内部は幅1.5m、長さ約7mの横穴式石室が南に向かって開口している。 玄室には、二体以上の人骨が認められ、玉類、鉄製鏃、直刀、土師器(はじき)等が副葬されていた。


久野4号古墳 その3 玄室入口


久野4号古墳 その4


久野4号古墳 その5 内部のようすですが


久野4号古墳 その6  裏手、北側から見ると


4号古墳を後にして


指導標 左、久野15号古墳50m


細い小道を50mほど進むと


右手に「久野15号古墳」説明板
説明板より  ・・・この古墳は昭和33年の発掘調査の結果「舟型古墳」の代表的骨格を残している事を確認したので、永久保存することとし、ここに見られるように石室のみを復元して古墳の石組構造が見られるようにした。


久野15号古墳



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No.487