ジーン・ウールの不思議な旅

ジーン・ウールは不思議な女性です。姿を変えて過去にも未来にも現れます。
もしかしたら貴方の友人や奥様かも知れません。

神話を学ぶ意義

2012-09-21 10:03:50 | 本の話・素敵な話

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ねずきちブログ様より
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■□【1】神話を学ぶ意義w)
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「歴史は学ぶためにある」というのが、日心会の基本的姿勢です。

そこで今日は「歴史を学ぶには、まずその背骨となる神話を学ばなければならない」ということについて書いてみようと思います。

戦後教育では、日本史は「旧石器時代」「縄文時代」「弥生時代」「古墳時代」から始まり、神話はまったく無視されています。
神話の時代は、記紀よりもむしろ支那の書物に日本がどう書かれているかが問題にされ、卑弥呼や邪馬台国などに注目と関心が集まっています。

このように書くと、多くの方は「神話というのは、物語であって歴史ではない」とお答えになります。
それが間違いなのです。
なぜなら、神話の理解なくして、その後の日本の歴史が「なぜそうなったのか」を知ることができないからです。

一例を申し上げます。
これは上智大学の渡部昇一先生が書かれていることです。
引用します。

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たとえば、藤原氏と天皇家との関係である。

ご存じのように、藤原氏は平安時代に栄華を極め、藤原道長(九六六~一〇二七)のごときは三代の天皇の外祖父(母方の祖父)にもなった。
しかしそれくらいなら「なぜ自分が天皇になってしまわないのか」という疑問が生まれる。
その根拠が神話にあるのだ。

藤原家の先祖は、天児屋根命(あめのこやねのみこと)である。
天児屋根命は、天照大神(あまてらすおおかみ)が天の岩戸にこもってしまったときに、岩戸の前に祝詞(のりと)をあげた神であり、天孫降臨のときには瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に付き従ってきた神でもある。

つまり、神話の時代から藤原氏は天皇に仕える家であると決まっているのである。
その意識があるから、藤原氏の権勢がいかに強大になろうと、自分は天皇になろうとしない。
自分の娘を天皇の后(きさき)にするのが精いっぱいなのである。

また、武家として最初に日本を治め、守護・地頭という日本支配の制度を敷いた源頼朝も、ほかの国ならば当然、新しい帝王として君臨するはずだが、日本の場合、そうはならない。
第五十六代清和天皇(在位八五八~八六七)から分かれた源氏(清和源氏)の嫡流である頼朝には、神話時代から続いている皇室の系図に対し、「自分は天皇家の皇子の子孫であるから本家を侵してはならない」という意識が働くからである。

その後の日本の政治の実権を握った足利幕府にも、豊臣秀吉、徳川家康にも、その意識は脈々と引き継がれていくのである。

このように、神話というものがなければ、日本の歴史の背骨にあたる部分は変わっていたはずだ。
日本では歴史時代の人々も、神話を意識し、その流れにしたがって行動していた。
そのことを忘れてはならない
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神話は「歴史を学ぶ際の背骨」であるというのが、この渡部教授の論説からもわかります。
では、そもそも神話とは、どういう意味を持ったものなのでしょうか。

私は、それは「日本人としての価値観の源泉」であると思っています。
何が正しくて、何が間違っているのか。
人はどうあらなければならないのか。

昔の日本人は、日本の歴史を築きましたが、私達もまた、未来の日本人からみれば「過去の時代を築いた人たち」です。
そしてその日本人の歴史の中心にある価値観の核をなしているのが、私は神話ではないかと思っているのです。

神話は、もともとは口伝です。
親から子へ、子から孫へ、孫からひ孫へと、長い年月をかけて語り継がれてきた物語です。

日本では、いまから1万6500年前という途方もない昔の世界最古の土器が見つかっていますが、土器があるということは、社会的分業があり、集落が存在し、言語があったという証拠です。
縄文時代は、いまから1万8千年前から3千年前までの約1万5千年続いた時代です。

記紀の成立までは約1万7千年。
ひとつの世代が交替するのがおよそ25年とすると、1万7千年は680世代が交替したことになります。
親から子へ、子から孫へ、680世代にわたって語り継がれた物語が神話です。

物語としての神話は、実は私たちが知るより、もっともっと数限りなくたくさんの物語があったかもしれません。
けれどその中で、世代を超え、長い年月を越えて生き残り、ついには成文化されたのが、私たち日本の神話です。
昨日今日できたものではないのです。

そしてその神話という物語が、私たちの日常の全ての活動における価値観の源となっています。
ですから、幼いころに日本神話を学ぶこと、あるいは日本の歴史を学ぶ際の冒頭に神話を学ぶことは、人としての価値観や、日本の歴史における様々な事件や出来事の理解に欠かせないものとなるのです。

スサノオは、地上に降り立ったとき、八岐大蛇を退治して少女とその両親を救いました。
もしこの物語が、少女だけを救う物語だったら、どうでしょうか。
美しい女性を守るために戦うという物語は、世界中に数多くあります。
けれど、日本神話では、少女だけでなく、少女を失いたくない両親までも一緒に助けています。

これは単に、自己の欲望のために女性を助けるということに価値観を見出すのではなく、家そのものを守ることで、その家に受け入れられ、妻を娶(めと)るのが正しい道であることを教えてくれています。
これが日本人の価値観です。
男女の恋を、単に当事者となる男女だけの問題とはせず、家としてのお付き合いまでを含む家族としての交際としているのです。

イザナキは、亡くなった妻を黄泉の国まで連れ戻しに行きました。
けれど黄泉の国で、死んだ妻の腐乱死体を見てしまいます。
恐怖にかられたイザナキは、驚いて逃げ出しました。
ようやく地上に出たイザナキは、比良坂の大穴の前で、妻のイザナミに「私は一日に千五百の産屋を建てよう」と約します。

亡くなった者は、もはや子をつくれません。
生きているから子を産める。
だから生きている者にとって、子供こそ大事だという教えでです。
もし、この比良坂での対話がなければ、単にイザナキ、イザナミだけの愛の物語となってしまう。
子をつくり、育て、子孫の繁栄を願うという価値観と、自分の恋心や異性への欲望の充足だけの物語とは、その背骨になっている価値観がまるで異なります。

大国主は、若い頃はいわゆるパシリでした。
徒党を組んだ兄たちにさんざんイジメられたのです。
けれど、彼は優しい心を失わず、兄たちが笑い者にした因幡の白兎を助け、その後も兄たちに何度も死ぬほどの辛い目にあわされるけれど、「母や女性たちの愛」に支えられることでいくども蘇り、最後には大いなる国の主となります。

この物語は私たちに、世の中には、徒党を組んで人をいじめる馬鹿者がいることをまず、教えてくれています。
そして同時に、どんなにつらいことがあっても、くじけずに生きることを教えてくれます。
もし大国主が、産まれたときから全ての力を持つスーパーマンだったなら、人は身分出自や力さえあれば、どんな欲望でも叶えられる、というまったく異なる筋書きとなります。

けれど日本神話は、一番苦労した者こそが、多くの人の上に立つ資格を持つのだと教えています。
だからこそ、身分の高い者は、常に誰よりも苦労し、いかなる中傷にも耐えて、努力をし続けなければならないという

二二六事件のとき、陸軍幼年学校校長だった阿南惟幾大将は次のように語りました。
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どのような忠君愛国の赤誠も、その手段と方法とを誤れば、大御心に反し、ついには大義名分さえも失うこととなる。
本気で憂国の情があるならば、先ずもって自己の本分に邁進しなければならない。
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この言葉は、人は誠実に自己の本分に邁進すれば、必ず大御心に赤誠が通じる、という大国主の神話が原点となる思想ということができます。
政治云々をする前に、日頃、自己の本分をしっかりと果たすこと。
どんなに辛いことがあっても、人の上に立つ将校であればなおのこと、常に誰より苦労し、明るく努力をし続けなければならないと説かれています。

二二六事件で決起した青年将校たちの思いは、痛いほどわかります。
彼らの行為のやむにやまれぬ気持ちも、よくわかる。
けれど、それでもなお、人として果たすべき役割を、日頃からきちんと果たして行くことの重要性を説かれたとき、私たち日本人は、ぐうの音もでなくなります。
それは、日本神話から脈々と貫かれている日本人の価値観の背骨に、触れることだからです。

こうした日本人の価値観の源泉となるものが、日本神話といえます。
そして私たち日本の「歴史」は、その「価値観の上に築かれた物語」です。
ですから歴史を学ぶことは、結果として「日本人としての価値観を学ぶ」ことになるのです。

ところが戦後日本の学校教育は、歴史を「単なる暗記科目」にしてしまいました。
年号や事件名、人物名を丸暗記するだけの授業です。
おもしろくもなんともない。
なぜおもしろくないのか。
そこに「人」がいず、価値観という背骨を失っているからです。

戦後の国史教育は、教科書の始めに書かれていた神話の項目を削除しました。
その結果、歴史教科書は、価値観という背骨を持たない、無味乾燥なものとなってしまったのです。

そして神話を知らない世代は、たとえば源義経の物語を観たり読んだりしても、そこに単なる戦いのドラマだけしか見ることができない。
信長、秀吉、家康三代の平和への道筋を読んでも、そこに戦いのドラマしか観ることができない。
日本の歴史の背骨にあたる価値観を持たないからです。
その価値観を持って、それらの歴史を見直すと、単なる戦いのドラマだけではない、もっと深い、人々の感傷を読むことができます。
感動が違ってくるのです。

私たちは、もういちど日本の神話を取り戻すことで、日本の誇りある伝統や歴史を「感じる」ことができるようになるのだと思います。
私達はそのために、価値ある歴史教育を取り戻したいと思っています。


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