小学校からの友達が この世を去って 一年になりました。
その間、 お宅に行って お参りにでも行けば良かったのでしょうが
そんな事もしないまま 一年が過ぎて、
何だか 今さら家に行くのも照れくさくて・・・。
それでも、あれほど仲良くしてもらっていた友達ですから
せめてお墓参りだけでも行きたいな、と思い、
別の友達に お寺の場所を訊いて 行ってきました。
市街地を抜けて 田んぼを いくつも横切り お寺に着きました。
この歳になると 知り合いの親御さんの葬式には なんども参加させてもらいましたが
さすがに 旧友が 亡くなると 信じられない気持になります。
まだ、今でも彼が生きていて、 いつでも会える様な気がして不思議な感覚です。
生前は、いつでも会えるからと、かなり会いませんでした。
彼の葬式に出席した時は すぐにでも お参りに行こうかとも思っていたのに
何もせぬまま 一年が過ぎてしまいました。
生前どころか、亡くなった後でさえ 会いに行かないなんて我ながら薄情な人間です。
友達の話では 「 寺にある墓は沢山あるんだけど、行けば何となく分かるよ 」 と、意味シンな事を言ってまして
お墓が特別な形をしている訳ではないと云うのに どういう事なんだろうと、思いました。
お寺は 小さな山のふもとにありました。
お墓は山の傾斜に沿って建てられていました。
やはり沢山 お墓が建っていました。
この中から 探すのって、かなり大変じゃないのん?
と、思いながら山を登っていくと見当たりませんでした。
同じ名字の墓はいくつかあるのですが、違いました。
天辺まで登って、違う道を下りて行くと すぐに見つかりました。
横を向いた時に 一番見やすい位置に彼の名前を見つけました。
「 行けば何となく分かるよ 」と言った友達の言葉の通りでした(^^)
お墓に花を立てて、昔一緒に飲んだ ウイスキーの小瓶を置いて 手を合わせます。
「 いつも気にかけてたんだが、来れなくてすまんな 」
一緒に遊んだ思い出が 頭の中をよぎります。
若い頃、何をやっても楽しかったよな、
でも、それはオマエが一緒に遊んでくれたからだし、
オマエが居なかったら 今の人生、それに今のオイラの考え方も違ってただろうな
「 ここなら 誰にも気を使う事無く 会いにこれる、近くに来たら たまに寄るよ 」
合わせた手を 元に戻して お墓に背を向けて 通路まで歩いて ふと振り返る。
「 じゃあな(^^)/ 」 生きている時と同じ様に 普通に出た言葉、
そう云えば別れる時、オマエは必ず 「 じゃあな!」って 言ってたな、
そしてオイラが 「 おう!」 って、言って 田中角栄のように 肘を直角に立てて 返事する。
今回は、「 じゃあな!」 って言葉が 聞けないから
自然に オイラの方から 言ったのだ、 って、気付きました。
登ってきた道とは違う道を歩いて 下ります。
ここはとても自然豊かな道、 木陰ってやっぱり気持ちいい、
「 じゃあまた!」
お寺の入り口にこんな張り紙が
まさにその通りだと思います。
単純ですが 深いお言葉です。
「 アタイは 何もしない人生だったのかも 」
いやいや、 ワカメさんは オイラに たくさんの事をしていただきました(^^)
ワカメさんは気付かないだけなのですよ、
飼い主として、ワカメさんのおかげで 楽しい人生を送る事ができてますよ ♪
「 じゃぁ、ローソンで クリームパン買って!」