うちの母ちゃんは昭和8年生まれです。兄弟はたしか7人だったと聞いています。
子供の頃 大分県の竹田市の山の中に高伏という地名がありその山奥で毎日1時間以上かけて山から学校に行っていたそうです
学校とはいえ、戦争中で勤労奉仕とかで兵隊さんのために色々と作らせられてたの事です。
母ちゃんは兄妹中、ちょうど真ん中の子で 一番上が姉で後は皆、男兄弟だそうです。
その上のお姉さんは父親が違うそうで 歳も ひと回り離れており、病弱気味だった母親代わりに
特に可愛がってくれてたそうです。
( そのあたりは不思議と銭婆さんとソックリなのが不思議な感じです )
母ちゃんが中学の時はもう、その姉は一人暮らしをしていたそうで、
学校帰りに そこに寄っては 色々と教えてもらって それが楽しくて仕方なかったと言ってました。
中学の卒業近くに 母ちゃんは姉から
「 あんたと付き合いたいって男の人がおってなぁ 」と言われました。
毎日のように姉の家で手伝いや裁縫とかやっている姿に心奪われた男性が居ると言われた母ちゃん、
男性は確か10歳ほど上で 姉は 「 私は良いと思うよ、とても優しい人だしとても真面目で立派な人だしね 」
と言って、勧めてくれたそうです。
それから数日経って 母ちゃんが自分の家に帰ると 父親(オイラの爺ちゃん) が般若の様な顔して立って待っていたそうです。
爺ちゃんは手に手紙を持っていて、母ちゃんは何が起きたのか分からなかったそうです。
その手紙は母ちゃん宛てに書いたその人からのラブレターでした。
「 まだ餓鬼のくせして 色気だけ一人前になりおって!
オマエみたいにロクに学校の授業も受けて無い者が こんな字を読めるのか!」
と言って その手紙をビリビリに引き裂いて母ちゃんに投げつけたあと、
ハサミを持ってきて母ちゃんの髪の毛をザクザクと切り裂き そのまま蔵に投げ込みました。
それから一カ月間、母ちゃんは蔵の中に幽閉されて続けていました。
当時、小学校から勉強もせず 勤労奉仕に明け暮れていた時代ですので マトモに授業など出来てなかったので、
学校など勉強しに行く場所では無かったのかもしれません
「 あの時は母親は父親の事が怖くて何もしてくれなかったんや、しまいには母親までも恨んだで 」
やっと蔵を出された母ちゃんは それから父親とは完全な確執が生じてしまい
中学校を卒業したら絶対に即、家を出ようと決心したといいます。
「 だって、そうやろ! 私は何もしてないし 話すらした事も無い人やのに 訳も分からんまま丸坊主にされて一カ月も蔵に閉じ込められたら
誰だって恨む様になると思わんか?」
15になって自分で大阪に集団就職の申し込みをして
無事に合格して 大阪に出るとすぐに 父親が会社宛に 『 あの子は普通じゃないから早くクビにしろ!』
と言う様な内容を何度も送って来たそうで かなり困ったらしい、
当時、爺ちゃんは村会議員をしており 金も無いのにそれでも貧しい人には お金を渡し、
益々貧乏になっていてもその姿勢は変えなかったそうですが、
母ちゃんに手紙を送った男性も同じ村会議員に当選して それからは何度も爺ちゃんと顔を合わせなければならなくなったのは因果な事です。
この頃、母ちゃんは仕事が終わったあと、頑張って夜間学校に通って何とか社会に通用する知識を身に付けたそうです(本人談)
その後、母ちゃんは神戸に移り 父ちゃんと結婚して オイラが幼稚園を卒業する時に父ちゃんの兄弟を頼って新潟に来ました。
母ちゃんはオイラが中学一年になる時まで九州の地に足を運ぶ事はありませんでした。
中学に上がった時にオイラは母ちゃんと弟を連れて九州の里帰りをしました。父ちゃんは来ませんでした
オイラのは母ちゃんと爺ちゃんが特別に仲が悪いとか知りませんでしたので楽しい思い出となっていますが
その年の秋、弟が事故で亡くなり 母ちゃんが泣きながら爺ちゃんに電話している姿を覚えてます。
時は流れ、オイラが20代後半にさしかかろうとする時に 親子三人でやってきた商売を失敗して、
両親は県外に出て行ってしましました。
オイラは師匠の家に居候させてもらい、両親は長野、静岡、福岡、など二年ほど転々と変わったあと、
二人は母ちゃんの実家に転がりこんだのでした。
実家には爺ちゃんと母ちゃんの弟しか居ませんでしたので 部屋は空いていて うまい具合に住む事が出来ました
爺ちゃんは、父ちゃんの事を 『 新潟から知らぬ土地に来て寂しいだろう、』といってよく持て成してくれたそうです。
しかし、母ちゃんは爺ちゃんに対してまだ許せなかった部分もあったそうですが
それでも一緒に住んでいるいるうちに 少しづつ恨みも薄れて来た頃、
爺ちゃんに来客があって、母ちゃんを見て 「 この人は何処の人?」と尋ねたそうです。
15歳から家を出て、初老になるまで家には帰らなかったのですから知らなくても不思議ではありません
爺ちゃんはその人に
「 ああ、これはこの家で生まれた正真正銘のウチの娘や 」と、言ったそうで・・・。
横でその会話を聞いた母ちゃんは頭から スーっと、15歳の時からの確執が消えたそうです。
「 あの言葉を聞いた時、初めて父親が私の事を素直に自分の子供だと認めてくれた気がしてなぁ 」
と、言ってました。
大嫌いだった父親なのに、大好きになる瞬間でもあったようです。
そしてまさか、父親の最後を看取る事になるとは夢にも思わなかったそうです。
「 最後に悔いが残るとすれば 爺ちゃんが死ぬ日の朝、〇〇が食べたいと言ったけど、面倒だったから買いに行かんかった。
その日の夜に息を引き取ったんやけど 面倒がらずに買ってきてあげとったら良かったのにと今でも思うで、」
「 しかし、元気そうやったのに コロっと死におった。ああいう死に方って凄くいいなと思ったで 」
商売に失敗して新潟から九州に仕方なく戻ったのですが その事で 父親への憎しみも無くなり 心のシコリを残す事なくお別れ出来たのは
最高の宝物を得たのと同じだと思います。
居なくなって解かることや気付く事、
後で考えると、どうしてその前に気付かなかったのだろう、
って、そう思う事って、必ずありますが
仕方ないですよね、
人間って、そういう生き物なんですよ、
きっと(^-^)
「 見よ!分身の術!」