Digital Photo Gallery by ZEISS Ⅱ

四季折々の表情を見せる写真を公開します。

平泉・達谷窟

2008年03月03日 | 史跡・名所
『坂上田村麻呂の伝説が残る史跡』
(1)


達谷窟のバス停前です。
達谷窟は「たっこくのいわや」と読み、平泉から厳美渓へ行く途中にあります。
この建物は直接関係はありませんが、枝垂桜が気になったもので・・・
春は見事な花を咲かせるんでしょうね。

撮影地:岩手県平泉「達谷窟」(共通)
撮影機材:キャノンEOS20D EF17~40mm F/4.0L USM(共通)
撮影データ:ISO200 プログラムAE(SS1/320秒 f/13.0) 0.0EV 23㎜(37㎜相当)
撮影年月日:2005年12月25日



(2)


今から約1200年前のことです。
征夷大将軍坂上田村麻呂が討伐した蝦夷の酋長「悪呂王(あくろおう)」がこもったと伝えられる
洞窟がこの「達谷窟(たっこくのいわや)」です。
蝦夷平定後、毘沙門天を祭った『毘沙門堂』が建立されました。

撮影データ:ISO200 プログラムAE(SS1/100秒 f/7.1) 0.0EV 17㎜(28㎜相当)


(3)


毘沙門堂の西側岩壁には大日如来が刻まれています。
胸から下が崩れて顔面と肩辺が残っているのが見えるでしょうか?
このような磨崖仏は日本でも何箇所かに現存していますが、ここが北限のものだとのことです。

撮影データ:ISO200 プログラムAE(SS1/125秒 f/6.3) 0.0EV 40㎜(64㎜相当)


(4)


「姫待瀧」です。
落差は大したことはありませんが、悲しい伝説を秘めているとは想像がつきません。
冬でも多く落水しているのは、悲しみにくれた姫君の涙のせいでしょうか?

以下、寺伝よりの抜粋です。
「悪呂王等は京から攫ってきた姫君を窟上流の「籠姫」に閉じ込め、「櫻野」でしばしば花見を楽しんだ。
逃げようとする姫君を待ち伏せした瀧を人々は「姫待瀧」と呼び、再び逃げ出さぬよう姫君の黒髪を見せしめに切り、
その髪をかけた石を「鬘石」という。
姫待不動尊は智証大師が達谷西光寺の飛地境内である姫待瀧の本尊として祀ったものを、藤原基衡公が再建した。」

撮影データ:ISO200 プログラムAE(SS1/250秒 f/10.0) -1.0EV 40㎜(64㎜相当)


(5)


ここへ来る前に腹ごしらえをしておきました。
「お餅セット」だったかな?確か、税込みで1,000円だったと記憶しています。
胡桃とずんだ(枝豆)と餡子の三種類とコーヒーがセットになったものです。
他には口直しでしょうか、大根おろしと沢庵がついていました。

撮影データ:ISO400 プログラムAE(SS1/25秒 f/4.0) -0.7EV 17㎜(28㎜相当)