Digital Photo Gallery by ZEISS Ⅱ

四季折々の表情を見せる写真を公開します。

長瀞七草寺巡り

2009年09月20日 | 史跡・名所
尾花の寺「道光寺」
(1)

今から4年前のことですが、思い立って彩の国・長瀞の七草寺巡りをすることにしました。
今回ご紹介するのは尾花の寺・道光寺です。
道光寺の本尊は釈迦如来で、身の丈一尺二寸ある像は運慶の作と伝えられています。

一尺二寸ではピンときませんが、そもそも尺とは尺貫法における長さの単位であることは知られています。
日本では明治時代に一尺は10/33メートル(約30.3cm)と定められました。
つまり、一尺二寸とはおおよそ38cmの大きさとなるわけですね。

撮影地:埼玉県秩父郡長瀞町岩田「道光寺」(共通)
撮影機材:キャノンEOS10D EF17~40mm F4.0L USM
撮影データ:ISO100 f5.6AE(SS1/60秒) -1.3EV 17㎜(28㎜相当・C-PLフィルター使用)
撮影年月日:2005年9月8日



(2)

尾花は一般的には、ススキやカヤと呼ばれて野原ではよく見かけますね。
この本堂にある尾花はそれより立派で、丈は1mから2mになって穂が獣の尾のような形をしています。
いわゆるパンパスグラスで、都内では国営昭和記念公園や茨城県の国営ひたち海浜公園のものが有名です。

撮影機材:キャノンEOS10D EF70~200mm F2.8L USM
撮影データ:ISO100 f3.5AE(SS1/2500秒) -1.3EV 90㎜(144㎜相当・C-PLフィルター使用)



(3)

本堂へと至る参道の右側で六地蔵が出迎えてくれます。
衆生(この世に生を受けたもの全てを意味する仏教用語で、業深き人間を指すことが多い。)がその業によっておもむく六種の世界を六道といいます。
その六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道)のそれぞれに現れて、衆生の苦しみを救う六体の地蔵菩薩が六地蔵です。

撮影機材:キャノンEOS10D EF17~40mm F4.0L USM
撮影データ:ISO100 f5.6AE(SS1/50秒) -0.7EV 17㎜(28㎜相当・C-PLフィルター使用)



(4)

私が訪れたときは見頃よりも少し早かったようです。
でも、そのせいか訪う人の数は少なく、ゆっくりと見ることが出来ました。
本堂前から西側を縦位置で切り取ってみたものですが、やはり逆光で捉えるのがいいですね。
尾花と寺院の屋根瓦を強調するために、露出を切り詰めてあります。

撮影機材:キャノンEOS10D EF70~200mm F2.8L USM
撮影データ:ISO100 f5.6AE(SS1/500秒) -1.3EV 108㎜(173㎜相当・C-PLフィルター使用)



(5)

今度は横位置にして、周囲の状況も分るように少し広い範囲を取り込んでみました。
こういった場合はやや明るめの露出がいいようです、

撮影機材:キャノンEOS10D EF70~200mm F2.8L USM
撮影データ:ISO100 f5.6AE(SS1/250秒) -0.7EV 70㎜(112㎜相当・C-PLフィルター使用)



(6)

日本古来の尾花が夕陽に照らされて輝いていました。
見たままにストレートに表現してみましたが、今にして思えばもう少し絞りを絞ったほうが・・・
まぁ、これはこれでよしとしましょう。

撮影機材:キャノンEOS10D EF70~200mm F2.8L USM
撮影データ:ISO100 f4.5AE(SS1/1600秒) -0.7EV 170㎜(272㎜相当・C-PLフィルター使用)



(7)

かなり日が傾いてきました。
本堂前からは人も全くいなくなり、境内にいるのは私一人だけとなってしまいました。
いよいよラストカットとすることにしましょう。

尾花の見頃はその年の気象条件によって左右されますが、概ね9月上旬から10月下旬となっています。
秩父鉄道樋口駅で下車して徒歩10分の場所にありますが、広い駐車場もありますのでマイカーで訪れても困ることはありません。
詳細は秩父鉄道「長瀞七草寺巡り」でご確認ください。

撮影機材:キャノンEOS10D EF17~40mm F4.0L USM
撮影データ:ISO100 f6.3AE(SS1/100秒) -1.3EV 34㎜(56㎜相当・C-PLフィルター使用)

鳩山会館(3)

2009年08月31日 | 史跡・名所
衆議院総選挙圧勝記念という訳ではないが・・・
(1)

熱狂(?)の総選挙が一夜明けて、結果はもう皆さんがご存知のとおりとなりました。
これでますます鳩山家はいろいろな意味で注目されることでしょう。
威風堂々とした鳩山会館も訪れる人が増えるのではないでしょうか?


(2)

鳩山会館といえば、名前のとおりに「鳩」にちなんだものが多く見受けられます。
鹿(トナカイ?)の横にも白い鳩が・・・


(3)

中庭に下りる階段のところにも・・・


(4)

そして、水辺にも・・・


(5)

ここはダイニングですが、右上のステンドグラスにも確か鳩がいたような・・・


(6)

選挙の当選祝いでは胡蝶蘭が贈られることが多いようです。
この時は選挙とは関係がありませんでしたが、薄紫の胡蝶蘭が飾ってありました。


(7)

一階の玄関脇にあるホールのテーブルに飾られた花束です。
確か殆どがこれは造花だったような・・・意外な感じを受けたものです。

さて、政権をとった民主党ですが、これだけ弱体化した日本をどうやって再生させるのでしょうか?
あまりここでは政治的な話はしたくありませんが、期待と不安を持っている方が多いことと思います。
一国を滅ぼすことがないように舵取りをしっかりとやって貰いたいものですね。

恵林寺にて

2009年08月30日 | 史跡・名所
甲州の大伽藍で和みのひとときを
(1)

山梨県甲州市塩山小屋敷(旧塩山市)にある恵林寺の傍は何度も通っていますが、足を踏み入れたことはありませんでした。
この日は北杜市明野のひまわり畑を見て徳和渓谷へ向かう途中でしたから、その恵林寺に立ち寄ることにしました。

恵林寺は、正式には「臨済宗 妙心寺派 乾徳山 恵林寺」といいます。
開山は夢窓国師で、武田信玄公の菩提寺であることで有名ですね。
枝垂桜がある庭園は国の名勝に指定されていて、なかなか手入れが行き届いた素晴らしいものでした。

撮影地:山梨県甲州市塩山小屋敷「恵林寺」(共通)
撮影機材:キャノンEOS40D シグマ18-125mm F3.8-5.6 DC OS HSM
撮影データ:ISO100 f6.3AE(SS1/40秒) 0.0EV 85㎜(136㎜相当・C-PLフィルター使用)
撮影年月日:2009年8月15日(土)



(2)

さて、駐車場に車を止めて、歩いて行くと三門が見えてきます。
この三門には「安禅不必須山水 滅却心頭火自涼」の扁額が掲げられています。

天正10年(1582年)4月3日、天目山の戦いで武田氏が滅亡した後、六角義弼は恵林寺に逃げ込みました。
その六角義弼の引渡しを寺側が拒否したため、織田信忠軍によって焼き討ちに遭いました。
この際、快川紹喜が燃え盛る三門の上で「安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し」と偈を発して焼死しました。
後には快川の遺喝として広く知られ、再建・改築された三門の両側にこの偈が扁額として掲げられています。

撮影機材:キャノンEOS40D シグマ18-125mm F3.8-5.6 DC OS HSM
撮影データ:ISO100 f7.1AE(SS1/20秒) -0.7EV 18㎜(29㎜相当・C-PLフィルター使用)



(3)

その三門をくぐって境内に入っていくと立派な庫裡と本堂が目に入ってきます。
いずれも明治38年に焼失していますが、再建されてからは100年あまりが経過しています。
庫裏は第二次世界大戦時には学童疎開の場となっていて、疎開した約150人もの学童が寄宿生活をしていたそうです。

撮影機材:キャノンEOS40D シグマ18-125mm F3.8-5.6 DC OS HSM
撮影データ:ISO100 f7.1AE(SS1/60秒) 0.0EV 18㎜(29㎜相当・C-PLフィルター使用)



(4)

中に入ると、中庭の見事さには息を呑みこみます。
京都にある寺社仏閣にも負けないくらいの素晴らしさですね。
手入れの行き届いた庭は、俗世間の鬱陶しさを暫し忘れさせてくれました。

撮影機材:RICOH Caplio GX100+ワイドコンバーターDW-6
撮影データ:ISO80 f9.1AE(SS1/160秒) 0.0EV 19㎜相当



(5)

庭園を背にして本堂の中を見たところです。
広々とした空間に畳が敷き詰められており、つい「大の字になって寝転んだら気持ちいいだろうなぁ!」と不謹慎な考えが・・・
何しろ我が家は畳の部屋が一つもなく、全ての部屋がフローリングになっていますから。

撮影機材:RICOH Caplio GX100+ワイドコンバーターDW-6
撮影データ:ISO80 f4.1AE(SS1/40秒) -1.7EV 19㎜相当



(6)

紅葉が見ごろのときは「さぞや!」と思わせるものがありました。

撮影機材:キャノンEOS40D シグマ18-125mm F3.8-5.6 DC OS HSM
撮影データ:ISO100 f6.3AE(SS1/25秒) 0.0EV 28㎜(45㎜相当・C-PLフィルター使用)



(7)

帰り際に気がついて撮影したものですが、ここで煮炊きをしていたのでしょうか?
立派な竈が入り口にあるとは意表を突かれました。

撮影機材:RICOH Caplio GX100+ワイドコンバーターDW-6
撮影データ:ISO80 f2.5AE(SS1/15秒) -1.0EV 19㎜相当

桧枝岐歌舞伎の舞台

2009年08月20日 | 史跡・名所
代々伝わる奉納歌舞伎
(1)

桧枝岐歌舞伎は今ではすっかり有名となりました。
山形県鶴岡市の黒川能と並んで、国の重要文化財に指定されています。
普段はごく普通の人々が実際に衣装を着て舞台に立つと、中央の舞台で演じられるものと遜色のない素晴らしく芸術性が高いものだそうです。


(2)

これがその能舞台です。
茅葺の屋根は昔から姿を変えてはいません。


(3)

観客はこの石段のようなところに陣取って、思い思いに能を鑑賞します。


(4)

以下、桧枝岐村のホームページより抜粋いたします。

 檜枝岐歌舞伎は江戸の時代より親から子、子から孫へと伝承されて連綿と続き、春と秋の祭りに奉納歌舞伎として檜枝岐の村人を楽しませてきました。
現在残っている資料の中に260年前に購入された浄瑠璃本が残っていることから、260年以上の歴史を持っていると言われています。
上演される舞台は鎮守神の境内に有り、国の重要文化財に指定されております。
観客席は露天で、神社への坂がそのまま自然の観覧席になっており、夕方より上演されます。
 夕闇が深まる中での鑑賞は、その昔上演された雰囲気を十分に伝えてくれます。
役者の方々は全て村の住民で、自分の仕事を持っておられる中、寸暇を割いて練習されております。
その演技については素人離れしたものがあると評価を戴いております。
 座の名称は「千葉之家花駒座」、座長は現在9代目星利弘氏、座員は裏方さんも含め30名ほどです。
近年は現代まで引き継がれている貴重な農民芸能として脚光を集め、上演の際には多くの観衆が訪れます。

[上演日程]
 5/12     愛宕神祭礼奉納歌舞伎 午後7時00分開演 無料
 8/18     鎮守神祭礼奉納歌舞伎 午後7時00分開演 無料
 9月第1土曜日 檜枝岐歌舞伎の夕べ 午後7時00分開演 1,000円(村内宿泊者無料)


南会津・桧枝岐村の見どころ(2)

2009年08月05日 | 史跡・名所
橋場のばんば
(1)

村の鎮守神へと続く参道の中程に鎮座するのが「橋場のばんば」です。
本来、ばんばの石仏は子供を水難から守ってくれる水神様です。
最近では縁結び、縁切りの神様として信仰されています。
悪縁を切りたい時は新しいハサミを、良縁を切りたくない時は錆びて切れないハサミを供えます。


(2)

これが「橋場のばんば」です。
このように、ばんばの頭にお椀をかぶせると、どんな願いでもかなえてくれるともいわれています。


(3)

縁切りしたいと思っている人がこれだけいるんですね。
もしかして、観光用に置いてあるのかもしれませんが、真偽のほどは???です。


(4)

こちらは逆に縁切りしたくない方々が供えたものですね。
中には雁字搦めにしてあるものも見受けられます。
「絶対に離れへんぞ~!」という、強い意志の表れでしょうか?

南会津・桧枝岐村の見どころ(1)

2009年08月04日 | 史跡・名所
六地蔵の悲しい話と古い建造物
(1)

道端にたたずむ六体のお地蔵様です。
桧枝岐は山深い里であるため、昔から冷害に悩まされていました。
特に凶作の年は餓死者も出るほどだったとのことです。

それゆえ、働けない赤ん坊が「まびき」されるという悲惨な行為もありました。
この稚児像は、その霊を弔い、母親の嘆きを慰めるために建立されたものです。
決して物見遊山で眺めるものではありませんね。


(2)

正面から見ると、子供を模ったものだということがはっきりと分りますね。
その当時は仕方がなかったこととはいえ、何とも悲しい話だと思います。


(3)

これは「板倉集落」で、桧枝岐は壁土がないため家も倉も板だけで作られています。
板倉は火事から大切な穀物を守るため、畑の中や山麓に建てられました。

一番古いものは「セイロウ造り」で、柱を使わずに厚い板をセイロウのように組み、屋根は下葺板、樺の皮、割板を重ねて葺きます。
次が「落とし板倉」で、柱に横板を張り重ねて桁をかけ、屋根は下葺に楢の割板を葺きます。
「打つけ板倉」は、柱の内外から板を打ち付けたもので、現在の多くの板倉はこれです。


(4)

これはもっとも古い「セイロウ造り」で、厚さ10cmほどの板をセイロウのように組み合わせる工法です。
窓はなく、釘や柱も一切使用されていません。
この建築様式は奈良の正倉院と同じで、建築史上重要な文化財となっています。


(5)

その「セイロウ作り」の入口をアップで捉えてみましたが、昔の人の叡智が感じられますね。
桧枝岐村には、これ以外にも多くの歴史的な遺産が数多くあります。
尾瀬へ行くための宿泊地として利用するだけでは勿体無いですよね。

※今回は撮影データの記載は省略させていただきます。
 Exif情報も保持しておりませんが、悪しからずご了解下さい。

鳩山会館(2)

2009年07月24日 | 史跡・名所
小高い丘に建つ豪邸・・・かな?
(1)

前回公開してから暫く経ってしまいましたが・・・鳩山会館の第二弾です。
政局も混迷を極め、とうとう衆議院も解散して総選挙が控えています。
あらゆる意味で、またまた鳩山家が注目を浴びることになるのでしょうね。

さて、この建物と庭ですが、バラの花が満開だとさぞや見事な景観だと思います。
でも、ちらほらと咲いているのも悪くはないな、と・・・
梅雨に逆戻りしたかのような関東地方の空とは違って、青空が広がっているのが気持ちいいですね。


(2)

地下鉄の駅や都バスの停留所から歩いた場合は、なかなかこちらからの角度で見ることは少ないでしょう。
左側に聳え立つヒマラヤスギが目障りな気もしますが、まぁ、これはこれで・・・


(3)

二階のテラスあたりを見たものですが、ブロンズの鹿と純白の鳩が印象的です。


(4)

二階のホールには見事な胡蝶蘭が飾られていました。


(5)

この二階のホールは元々は寝室だったものを、仕切りを取り払って一室に改装したのだそうです。
広さはどれだけあるのでしょうか?


(6)

床はピカピカに磨きあげられていて、土足で踏み込むのが躊躇われるほどです。


(7)

ホールの窓から庭を見下ろせば、故鳩山一郎氏の銅像が目に入ります。
現在の混迷した政局をあの世でどのようにお考えになっているのでしょうか?
まぁ、我々凡人には理解できないでしょうなぁ。

撮影機材はRICOH Caplio GX100です。
撮影データは・・・今回もご勘弁下さいね。
なお、画像処理の方法を変えているため、Exif情報は保持しておりません。
悪しからずご了解下さい。

鳩山会館(1)

2009年06月22日 | 史跡・名所
鳩山家の栄光がここにあり
(1)

先週の土曜日は2週続けての出勤日でしたが、昼過ぎには退社して「鳩山会館」へ行ってみました。
会社から歩いても10分の距離ですし、一度は見ておこうといった気持ちからでした。
そして、何よりも鳩山家はあらゆる意味で注目を浴びていますし・・・

それはさておき、立派な門から入って、坂道をゆっくりと上っていきます。
暫くすると立派な建物が視界に入ってきます。
玄関から入ってサンルームから中庭に出て振り返ると、このように威風堂々としたその姿を見ることができます。


(2)

これがそのサンルームで、採光もよく考えられていて明るい部屋になっています。
で、この椅子は腰掛けることが出来るんですよ。
但し、この場所で飲食することは出来ませんが・・・


(3)

大きな窓、というか出入口になるのでしょうか。
「明るい」という一語に尽きますね。


(4)

テーブルには花が飾られていて、華やかさを演出していました。
と言うよりも、訪れる人への心遣いでしょうか?
私が撮影していたら、「注意書きが邪魔でしょうから除けておきましょう」と係りの女性がどけてくれました。
嬉しい配慮ですね。勿論、撮影が終わってからは元に戻しておきました。


(5)

サンルームを奥のほうから見たところです。
この手前のテーブルでは、煎茶や烏龍茶をいただくことが出来るんですよ。
私が立っている場所の背後に給茶機があって、無料で飲めます。
これも嬉しい配慮ですね。


(6)

玄関から中に入って右側を見ると、このような感じになっています。
左側の大きな椅子は故鳩山一郎氏が愛用していたものだとのことです。
この椅子は「老朽化していますので座らないで下さい」と貼紙がありました。


(7)

中庭には、その故鳩山一郎氏の銅像があります。
戦後政治に大きな影響力をもち、友愛精神を説き続けた姿は今の政治家には見られないものでした。
政界引退後は悠々自適の生活を送りましたが、遂に昭和34年3月7日の終止符を打ちました。享年76。

今回はRICOH・Caplio GX100にて撮影しました。
撮影データの収録は省略させてくださいね。

鞍馬寺へ(2)

2009年06月13日 | 史跡・名所
汗をかきかき登って、奥の院へと向かう

(1)

それなりに頑張って「本殿金堂」へ到着しました。
この日は5月初めにしてはもの凄く暑くて、ここまで登っただけで汗びっしょりでした。
まずは本殿を拝観することにしました。


(2)

本殿を出たら山藤を発見!
叡山電車の中からもあちこちで見事な山藤を見ていましたし、鞍馬みちを歩いた時にも見かけていました。
恐らく鞍馬山にもあるだろうとは思っていました。


(3)

山藤を見つけたといっても、のんびりしているわけにはいきません。
いよいよ奥の院へと分け入ります。


(4)

えっちらおっちら登って着いたところが「不動堂」でした。
「奥の院」かと勘違いしたので、ややがっかりしました。


(5)

いわゆる「木の根道」で、歩きにくいことといったらありません。
蹴躓いたり、足を挫いたりしないように歩を進めていきます。
このあたりから下り坂となり、かなり歩きましたがなかなか「奥の院」へ辿り着きません。


(6)

人とも殆どすれ違うことなく、いささか焦りだした頃にようやく「奥の院」へ辿り着きました。
いやぁ、結構時間がかかりましたね。
「不動堂」から「奥の院」まではかなり下りましたので、もう戻る気力はありません。
このまま貴船へと向かうことにしましょう。(続く)

※今回はコメント欄は閉じさせていただきますね。m(_"_)m ペコペコ

鞍馬寺へ(1)

2009年06月09日 | 史跡・名所
「仁王門」をくぐって・・・

(1)

鞍馬寺は鞍馬山にある仏教寺院で、開基(創立者)は、鑑真の高弟鑑禎とされています。
宗派はもともとは天台宗でしたが、1949年以降に独立して鞍馬弘教総本山となっています。
鞍馬寺の仁王門は大層立派な造りをしていて、圧倒されるほどの存在感がありました。
いよいよ、この仁王門をくぐって鞍馬山へと入って行きます。


(2)

童形六体地蔵尊で、子供を模ったお地蔵様が微笑ましく感じられました。
曰く「子供はみんなほとけの子 子供は天からの預かりもの 子供は親の心を映す鏡」と・・・


(3)

立派な椛(楓かな?)の木を見つけました。
紅葉の頃ならさぞ見ごたえがあるのでしょうね。
こうなると、紅葉の時期に再訪したい気分になってきました。
叡山電車の流れる車窓も真っ赤に染まることでしょうし・・・


(4)

鞍馬山といっても階段を延々と登りますし、この日は暑かったですからねぇ・・・
ということで、ちょっぴり休憩♪
「ところてん」をいただきましたが、三杯酢ではなく黒蜜というのが泣かせてくれます。
疲れた時は甘いものが一番!!


(5)

来し方を振り返ってみたところですが、いやぁ、随分と登ってきたものです。
ところが、この後、これ以上の道が待っていようとは思ってもいませんでした。
途中で引き返そうにも戻る気にならないほどだったのですよ。
それはこの続編で・・・(続く)