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遊爺雑記帳

ブログを始めてはや○年。三日坊主にしては長続きしています。平和で美しい日本が滅びることがないことを願ってやみません。

今の東京でオリンピックを開いて、いったいどういうメリットがあるか

2016-05-20 23:58:58 | 日本を復活させる

 2020年の東京でのオリンピック・パラリンピック開催。不祥事が続きますね。海外の報道は、要求された賄賂をトルコ側は払わず、日本は支払い、その結果イスタンブールが敗退したとも伝えているのだそうです。
 すでに時間切れになっていることから、2020年には何にせよ東京で五輪は開かれる公算が高い。しかしその内実は恐るべき程度に無内容で空疎だと言うのは、指揮者で、ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督の伊東乾氏。
 東北の震災から立ち直りつつあるある日本に元気を取戻し、その姿を世界に知らしめようという意義があるとされますが、では何故東京なのか、東北といいつつ東北で開催されないのは何故?東京開催は、石原都知事時代からの招致運動を引き継いだものであり、震災復興は後付では?
 開催することが招致の目的となっていて、理念がなく招致に走るから、行動の主体の役人や名誉職の招致に携わる人々が、東京でオリンピック・パラリンピックを開催することの目的を見失っていたり、勝手に思い描くから綻びだらけになってしまっている。
 前回の東京オリンピック・パラリンピックでは、戦後復興を成し遂げた日本の総仕上げの一環として、またそまことを世界に知って貰うため、デザインや音楽など芸術面からも徹底した取り組みがなされ、国を挙げて取り組んで成功したのだと。


 

五輪史が如実に示す、日本開催がなくなる理由 "大運動会"程度の意義なら、実は失うものが多い五輪開催 | JBpress(日本ビジネスプレス) 2016.5.20(金) 伊東 乾

 「スポーツと芸術の平和祭典」として万国博覧会に敷設されたアマチュア競技会というルーツを持つ近代オリンピックは、1896年第1回のアテネ大会から120年、様々な変転を繰り返してきました。

 いまフランス、英国を中心に2013年ブエノスアイレスでのIOC総会で
東京が2020年の開催地に選ばれた背景にアフリカ票取りまとめの贈収賄が濃厚に疑われ、電通を筆頭とする周辺企業の関わりも国際的には幅広に報道されるようになっています

 そこで「オリンピックとは何であったのか?」「それがどうしてこんなになってしまったのか?」「それは今後、どのようであるべきなのか?」といった基本的なポイントを整理してみたいと思います。

<中略>

 東京やミュンヘンのオリンピックには際立った歴史的な意味がありました戦後復興です。第2次世界大戦後の国際秩序は「国連」つまり連合国側の文脈で進められた。その中で皮肉なことに人類史上最速最高の高度成長を遂げたのは、当時の西ドイツと日本だったわけです。

 しかしドイツも日本も爆撃で一時は都市が灰燼に帰した。そんな焼跡の町に「世界平和の芸術文化の祭典がやって来る!」というニュースは、敗戦国民だった当事の日本人にどれだけの夢と希望を与え、また現実に都市のインフラストラクチャー整備など、具体的な成長の契機を与えたことか。

 首都高速道路を筆頭とする道路整備、東海道新幹線、都心部の再開発、国際空港の整備・・・。

20世紀後半の日本という「国の形」を基本的に整える牽引役を1964年の東京オリンピックが果たしたと言ってもも決して過言ではない。

 実は私はこの年に生まれているので、五輪自体は胎児として代々木のスタジアムに両親が行った程度で実際の記憶はありません。

 しかし五輪計画を念頭に進められた「環状7号線」沿いの「中野」という田舎に生まれ(当事は近所の農家が牛など飼っていた)、幼児期は汲み取り式だったトイレが水洗に変わり、テレビは白黒がカラーになって驚き・・・という戦後日本の成長の夢を、
1964年の東京オリンピック、70年の大阪万国博覧会(Expo70)そして72年の札幌オリンピックが主導していったのは間違いないと思います。

 またこの当事、
これらの行事はデザインや音楽など芸術面からも徹底した取り組みがなされました

 私たちの分野で言えば国内では黛敏郎、武満徹、湯浅譲二、松村禎三、一柳慧、高橋悠治あるいはまだ若かった近藤譲さん、海外からはカールハインツ・シュトックハウゼンやイァニス・クセナキスといった人々が参加し、大衆受けするイベントといった観点と明らかに一線を画した「人知にとっての芸術の最前線」を問う試みが多数なされました。

 この時期に物心のついた私が、50年近く経って今もって(たぶん若い人から見ればそうとう「いまどき」ではない)「前衛」の孤塁を守るような音楽生活となった原点も、この時期のオリンピックと万博にあります。

こうした「戦後」が決定的に変質するのが1972年、ナチスの悪夢から四半世紀余を経て待ちに待たれたはずのミュンヘン・オリンピックで発生してしまったパレスチナ武装組織「黒い9月」によるイスラエル選手団11人の殺害事件、そして冷戦下の共産圏で初めて開催された「モスクワ・オリンピック」と、その反発によって引き起こされた「ボイコット」だったと思います。

これらは一方で開催都市への負担を増やし、他方で政治とオリンピックの特異な結びつきを強化し、1980年代以降のオリンピックが変質、端的に言えば金権体質に変質していく、大きな転機となってしまったと思います。

 ミュンヘン・テロ以降今日に至る五輪の変遷は次稿に譲るとして、今回の末尾では
今の東京でオリンピックを開いて、いったいどういうメリットがあるか、読者の皆さんにも考えていただきたいと思うのです。

 「非国民」扱いされるかもしれませんが、2013年時点で私は
「イスタンブール」での五輪開催を支持していました。

 善くも悪しくも五輪利権と縁の薄い音楽家・一個人として「初のイスラム圏での五輪開催」には「つかの間の平和」をもたらすうえで、1990年代以降の国際紛争情勢を見るに、明らかにメリットがあると思います。

 無論テロの警護などは大変でしょう。しかし
トルコであれば(1964年の日本ほどではないにしろ)五輪開催に伴うインフラストラクチャー整備のメリットもあるのではないか、と思われます。

 同様のことは2016年の
リオ・デ・ジャネイロ大会については、より強くそう思いました。「初の南米大陸での開催」また「新興国での開催」は、やはり様々な困難があるにせよ、歴史的な価値や役割は明らかにあると思います。

 ただ、現実のリオでの状況は、聞き及ぶ限り予想以上に難問続出、そんなに簡単なものではなかったのも事実でしょう。

すでに時間切れになっていることから、2020年には何にせよ東京で五輪は開かれる公算が高い。しかしその内実は恐るべき程度に無内容で空疎です。

 単にアスリートが競技の技を競うというのであれば、各々の選手権があるわけで、五輪は明らかにそれらの集合体を超えた価値、端的には人類の平和共存とローカル&グローバル社会の繁栄、文明文化の発展推進など、はるかに高い理想をもって創始され、また1964年の東京ではその役割を果たしました。

 皆さん、お気づきでしょうか?

 1
972年にパレスチナ・テロがあって以降、この44年間ドイツではオリンピックは夏冬ともに開かれていません。

 この間、悲願だった東西ドイツ統一などもありましたが「オリンピックで国威発揚」などする必要がない以上に、統一ドイツを含むEU経済の心臓部としてドイツは稼働し続けなければならず、五輪開催は得るものより失うものの方が大きい可能性を「ミュンヘン・オリンピック・テロ事件」という巨大な影は投げかけ続けています

 実のところミュンヘンは2018年の冬季オリンピックに手を挙げ、史上初の夏冬双方の五輪を1つの都市が開くという形で1972年のリベンジを図りましたが、韓国の平昌に敗れてしまっています。

2020年の東京である種のテロ事件が起きたら、日本で開催されるオリンピックはこれが最後になるかもしれません。少なくとも50年規模ではもう再び開かれることはない。ドイツの例が雄弁に示している通りです。

むしろ、平和がや安全が確保される限り、国家や都市が発展の契機を待っている新興国や途上国、歴史に資する場での開催が望ましいことは、ご当地エゴや営利目的と無関係にこの問題を見る人すべてが認めるところと思います。

海外の報道は、要求された賄賂をトルコ側は払わず、日本は支払い、その結果イスタンブールが敗退したとも伝えています。 

 上に記したような「全人類の協調発展」を願ってトルコを推していた関係者の堪忍袋に決定的な火がついて今回の英仏からのリークにつながっている可能性があると思います。と言うのも、
現在のような草刈場には、五輪本来の価値も未来も何もないから。

 アテネ、北京、ロンドン、
21世紀に入ってから開催された五輪が、当地に残したものがいったいどんなものだったか・・・

 通貨危機の元凶まで引き起こすに至っている「五輪なるもの」そのものへの疑問すら、実のところ湧き上がっており、真に意識あるIOC中枢は十分それらに配慮しつつ、体質浄化と建て直しを図っているようにも聞き及びます。

 現在国内で、とりわけメディアが宣伝広告する「運動会」ベースの議論とかけ離れた、値引きのない議論を、「サマランチ時代」の腐敗とともに引き続き考えてみたいと思います。



 石原都知事時代の招致失敗の反省点として、ロビー活動や、プレゼンの未熟さが指摘され、今回はその反省を活かしたと招致成功時はもてはやされ、プレゼンの指導をしていただいた、マーティン・ニューマン氏は立役者の一人として脚光を浴びました。勿論、これはプラスの例です。

 2020東京チームの師、プレゼン必勝法を語る | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準


 招致することが目的となり、開催の意義がなおざりにされるから、メイン会場もみてくれ重視(著名芸術家が参加したのですが)で、コスト意識は薄弱となり失態露呈。しかも、やり直ししたのに、今度はコストにばかり気を採られて、聖火台を検討していないという恥の上塗り。エンブレムは盗作デザイン。とても、世界のリーダー国の一翼を担うとは言い難い失態続き。

 今回の疑惑が、正規のコンサル契約というのなら、契約書を堂々と公開すればすぐに疑惑は晴れるはずなのに、公開はない。契約書は?これでは、舛添都知事の疑惑よりもっと黒色。

 ブラジルは、国民が貧困の解消が無い中での国費を使った開催に反対するという議論の中で進められた招致。大統領不在の開催となりますが、それなりに議論されて(大統領の休職とオリンピック招致との直接関係は別問題)の現状ですが、日本ではボロボロと綻びから汚点がこぼれ落ちてくる。そして、その汚点は誰も責任者がいない!

 開催については、未だ実行動はなにもしていないのに、ここまで失態が続いていては、開催までにはあとどんなことが起きるのか、不安は広がるばかり。

 舛添氏ではありませんが、恥の上塗りを重ねつづけても信用は失墜するだけで、泥沼に埋まっていくだけです。
 やましいことがないのなら、契約書を公開して捜査当局に訪問して堂々と無実を主張すべきです。

 記事では、すでに時間切れで東京開催は開かれる公算が大きいとしていますが、賄賂の真偽追及は継続するとして、疑いを招き怪我したことを潔く戒め、開催を時点のイスタンブール(トルコ)に譲るべきでしょう。

 東京での五輪(オリンピック・パラリンピック)開催の意義が、はっきりしていないのですから。



 # 冒頭の画像は、オリンピック・パラリンピック東京開催を告げる、IOCロゲ会長



  シャクナゲの蕾


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写真素材のピクスタ


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