2月22日は、「竹島の日」でした。
日本は、江戸時代から漁業を通じて竹島の領有権を確立し、1905年の閣議決定で正式に島根県に編入しました。また、太平洋戦争終了後、1951年9月に署名されたサンフランシスコ平和条約でも、日本に「済州島、巨文島、鬱陵島を含む朝鮮」を放棄することが規定されました。韓国は放棄地に竹島も含むよう米国に求めましたが、「竹島は1905年ごろから島根県の管轄下にあり、かつて朝鮮によって領有権の主張がなされたとは見られない」と一蹴され、韓国への帰属が明確に否定されました。
しかし、1952(昭和27)年以降、韓国は、いわゆる「李承晩(りしょうばん(イスンマン))ライン」を国際法に反して一方的に設定し、そのライン内に竹島を取り込みました。
その後、ライン内に出漁した日本漁船が韓国側に拿捕される事件が相次ぎ、日本側には死傷者も出ました。1953(昭和28)年7月には、竹島周辺で海上保安庁の巡視船が韓国官憲によって銃撃されました。
韓国は現在に至るまで、竹島に警備隊員などを常駐させ、宿舎や監視所、灯台、接岸施設等を設置するなど、不法占拠を続けています。 . . . 本文を読む
もしも尖閣で紛争が起きたら日本はどうすべきか goo.gl/89H9e3
— 遊爺 (@yuujiikun) 2018年2月22日 - 04:15
今日のザボイス youtube.com/watch?v=x6WgkD…
— 高橋洋一(嘉悦大) (@YoichiTakahashi) 2018年2月22日 - 20:42
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