この作品は省三40歳からの軌道です・・・。ご興味が御座いましたら華シリーズもお読み頂けましたらうれしゅう御座います・・・お幸せに・・・。
冬の空 (省三の青春譚)
冬の空 どんよりと覆う空は 心を閉ざすのか・・・。
冬の空
1
悠一の手術、豊太の交通事故はあったが恙無く日はめぐり過ぎていた。悠一も豊太も高校生になっていた。一人で喫茶店を仕切る育子は強く逞しくなっていた。
省三は時たまの発作以外は健康になっていた。
戸倉の手伝いで青年演劇の台本を書き、過ごした。演劇青年は常に入れ替わっていた。
春、秋の定期公演と青年祭への参加作を省三は書いた。青年演劇の台本は百作を超えていた。全国青年大会の文化の部演劇には四回出場しいろいろの賞をいただいた。
順子も芳子も嫁にいき子供の母になっていた。古賀が交通事故で亡くなっていた。
省三は子供を中心にした劇団を設立した。隣の空き地にスタジオを作った。七十人のキャバのものだった。
集まった子供たちは、苛められっ子、不登校の子が大半で。親が演劇すきで連れられてくる子も中にいた。
発声練習の中に九九を二十までと歴史年表、科学記号、元素記号と比重を加えていた。演劇の練習でいずれ役に立つものを覚えておこうというものだった。最初は十人くらいだったが直ぐに三十人四十人と増えていった。それに青年たちが十名程いた。悠一と豐太もそれに加わった。
稽古場のスタジオが狭く感じられた。柔軟体操や脱力が出来ない、三班に分けた。二班はその間外を走らせた。
ハァハァと息が上がっているときに発声の練習をさせた。子供は殆ど滑舌が出来ていなかった。
「みんな、感動した生活をしてくれ」「感動を知らぬものが感動を人に伝えられないから」「感動とは心が動き心に残ったものなのだ」
省三はみんなに言った。
一人ずつ一日の感動を喋らせた。ワークショップは議題を設けてさせた。
みんなに一冊ずつ井上ひさしの「ブンとふん」を渡して回し読みをさせた。本を読んだことのない子が大半いたからだった。読書の面白さを知ってほしいというのがその目的であった。それが演劇に役にたつと思ったからだった。
通達事項は当用漢字以上の漢字を使って書いて渡した。辞書を引く習慣を持って貰う為だった。台本も漢字を覚える為に当用漢字を使おうと思っていた。
礼儀は喧しく言った。出来ていない子は何回も階段を上がらせて挨拶をさせた。スタジオの掃除は徹底させた。子供といえどもやらせた。履き、モップ掛け、ワックスがけ、トイレの掃除と当番を決めてやらせた。子供たちを二十人に絞りたかったので厳しく言ったのだった。が、二三人やめただけでその目論見は失敗に終わった。みんな真剣についてきていた。子供以上に親が真剣になっていた。苛められっ子、不登校の子がここぞとばかり張り切っていた。
一月もたたないうちに仲間意識が生まれ、結束力が強くなってきた。打ち解け助け合いが広がった。
早口言葉を競い合う姿が見られた。スタジオには笑いがはじけていた。
青年は四班に分かれた子供たちのなかに三人入って指導をし、練習をしていた。
子供たちが帰って、青年たちの本科的な練習になるのだった。
青年活動というのは公共施設を使えば時間という制限があった。公民館は九時には閉まるのだった。仕事を終えて駆けつけるのが八時半を過ぎることもあったことを見てきていた。その人たちに活動の門戸を開きたいというのも省三の考えだった。町には青年が目的もなく遊びうろついていたが、勤労青年は仕事を終え僅かの自分の時間に何か夢中になることを探していた。そんな青年に場所を提供したかった。市や県に時間延長を申し出たが「うん」とは言わなかった。青年会館の建設とその自主運営を青年にと提言したが実現しなかった。演劇の練習がないときは場所を提供し、子供も青年も集えるようにしていた。ここに来れば誰かがいて色々な人と出会い、話が出来るようにと考えたのだった。演劇の練習見学は自由にしていた。
子供たちや青年たちと学び合おうと言うのが省三の目的だった。
「なんと見事な平城京」「鳴くよ鶯平安京」「いい国作ろう鎌倉幕府」「以後予算食う鉄砲伝来」
練習日には発声練習で子供たちの声が聞こえていた。その声を聞きながら省三は台本を書いていた。総勢五十名が何らかの形で出演できるものをと考えての創作台本だった。一生の思い出になるものをという気持ちが取り掛かったのだった。劇団旗揚げには新しく出来た芸文館で公演をしてという思いがあった。八百三十のキャバをどう埋めるか、経費はどうするか、そんなことを考えながら書き進めていた。
「演劇にはお金がかかるから大変よ・・・。いいスポンサーを見つけることやね・・・。私がそっちにいたらお金集めに歩いてあげるのにね・・・」
梅木女史から電話がかかって来たときにそう言われた。梅木女史は書き物をしながら日本舞踊を習い始め名取を取ったといった。元々芸事の好きな人であった。
「もう物を書くのはしんどいわ・・・踊りのほうが性根におうてるようや・・・。流派を立ち上げようとも考えとんのやわ・・・」
梅木女史は人間の底に潜む情念の世界に長けていた。今そのテーマでは書き続けることが出来ないのかと省三は思った。
「やめないで下さいよ・・・一度離れると帰りの扉は重たいし中々開きませんよ」
「いいのよ、どうせ気まぐれ時間つぶしに始めたことなんやから・・・今村ちゃんと一緒にやってた頃が一番楽しかったわ・・・。あのころ、亭主とうまく行ってなくて・・・賭けていたのよ・・・女流新人賞に・・・取れたら別れ様と・・・でも駄目やった・・・子が鎹やったわ・・・毎晩、今村ちゃんに電話して・・・あの時は楽しかったなぁ・・・。うちは女やった・・・。今は乳あらへん・・・乳がんの手術でとってしもうた・・・ずっしりとした重量感が懐かしいわ・・・。流派立ち上げのときは来てや・・・あたしの乳を見せるから・・・」
梅木は明るく言っていたが、その寂しさが伝わってきた。
省三は人の生き方に様々な影があるとこを知らされる思いだった。
台本は中々進まなかった。
倉敷で幕末に起きた事件を書くことにした。それなら出演者が百人はいるものだった。
(この小説は「十七歳の海の華」の続編である。彷徨する省三の青春譚である。
ここに草稿として書き上げます。書き直し推敲は脱稿の後しばらく置いて行いますことをここに書き記します)
皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・。
恵 香乙著 「奏でる時に」
あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。
山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。
1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。
山口小夜著「青木学院物語」「ワンダフル ワールド」の文庫本・・・。
作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。
恵 香乙さん
山口小夜子さん
環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~
別の角度から環境問題を・・・。
らくちんランプ
K.t1579の雑記帳さん
ちぎれ雲さん