ごぜさの子守歌
16
少年の入れられている納屋に一匹の狼が近づいていました。少年は縄を歯で咬み切ろうとしていました。その時、少年の耳に三味の音が聞こえてきたのでした。少年は縄を咬み切るのを止めて、耳を傾けました。その音はいっかどこかで聞いたことがあると思ったのでした。その音は、外の狼が戸に身体をぶつける音で聞こえなくなりました。少年は縄を咬み切って戸の外へ出ました。長太も三味の音を聞いて外へ出てきたところでした。少年は山の方へ逃げようとしました。
「逃げたらいかん、逃げるな」
その声に名主も村人とも出てきました。
少年と狼が逃げようとする前に、お菊が立ちふさがりました。少年はお菊に飛びかかりました。お菊は手に持っていた撥を横に振りました。少年は胸を切られてその場にうずくまりました。
「お菊さん!」
名主は思わず大きな声で叫びました。
お菊には何が起こったか分かりませんでした。見守るために自然に手が動き、何かを切った手ごたえはありました。少し離れたところで、苦しそうなうめき声がきこえて来ました。村人が近寄って来ました。狼は逃げよぅてもせず、少年の胸から流れる血を舐めて止めようとしていました。名主と長太、村人は狼の姿を呆然と見つめているだけでした。
名主はお菊に何にも言えませんでした。
狼は少年を助けながら、少年も狼の背にもたれかかるようして、山の中へと消えていきました。
「大はどこです。未だ山ですか、助けてくれたのではないのですか」
お菊はうわずった高い声で尋ねました。
名主も長太も答える言葉がありませんでした。お菊はこの場の雰囲気に気づき、
「それでは、今、私にぶっかって来た・・・。そうなんですね、大だったんですね。私の子の大であったのですね」
お菊は必死に問いました。
「そうじゃ、ぶかって行ったんがお菊さんの子じゃ。胸に赤い痣があったからな」
「それではどこえ、今どこえ」
「傷口を狼が舐めて、血を止めて、山に連れて帰った」
「それでは、この私が、私の子を、大をこの撥で傷つけたのですか、この撥で・・・。私はどうすれば・・・」
お菊はその場にどっと泣き崩れました。
「お菊さん、子を想う母の心はようにわかるが、少年の傷口を懸命に舐めとる狼の姿が、私等を無力にしたんじゃ。その姿はまるで親と子のよぅに見えた。愛の姿に見えた」
「それでは、私はどうなるんです。ようやく逢えようところだったのに」
「お菊さん」
名主は小さい言葉を落としますた。
「大!だい!」と、叫びながら走りだしました。
「お菊さん、少年は山での生活の方が幸せじゃ。どこかで生きとる、そう思うて、あんたも強く生きてくれ。もう私等にはなにも出来ん」
名主はお菊の後を追ながら言いました。
お菊は山の中には入り、
「大!だい!かあさんはこの私よ。狼の中での生活のほうが本当に幸せなの・・・」
「お菊さん、あんたの心は痛いほどわかる。子供を抱き締めたい親心もようにわかるが・・・。もう後には戻らん。これからは強く生きてくれ」
お菊は、大がいるであろう山の辺りを見えない目できっと見つめ、背筋をしゃんと伸ばして、三味を弾き始めました。両眼から涙がほとばしっていました。
「大よ、幸せになれ。大よ、元気に生きろ。この三味の音が聞こえたら、この音を覚えていたら、どうか答えて」
お菊はあらん限りの力を振り絞り、想いを音に込めて、大に届けと弾きました。
「激しく弾かれる三味の音は、自然が人間に対して挑戦してくる厳しさと、それに耐える心を教えなくてはならん。干き返す波のよぅな音、人間の弱さ、哀しさを感じ取らせなくてはいかん。そして、その音を弾く者は、どんなに辛ろうても哀しゅうても、それを乗り切らんといかん。負けたらいかん」
親方の声が三味の音に重なり、お菊の耳に届きました。
「大よ、幸せに生きてね。私はどこにいても大のかあさんよ。狼の中の方が幸せならばそれでもいい。どうか、この、私の三味の音に答えて・・・」
青く透きとうるような夜空には月が煌煌と輝き、山に光を降りそそいでいました。
お菊の弾く三味の音が奥深い山の中に吸い込まれていきました。
その時、狼達の遠吠えが三味の音に答えるように、聞こえて来ました。
お菊の耳には「お母さん」と、聞こえていました。
おわり
皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・
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山口小夜子さん
環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~
別の角度から環境問題を・・・。
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