yuuの夢物語

夢の数々をここに語り綴りたい

冬蛾 6

2007-08-25 17:15:32 | 創作の小部屋


              6
 里子は細い路地を入って、自転車を止めた。裏木戸を開けてつかつかと、木立の生い茂る庭を横切り、公子が付いて来ているか確かめる様に立ち止まり、確認して尚も入っていった。庭に面した部屋に老人が布団の上に上半身を起こして、二人の来るのを待っていた。硝子戸の向こうで笑って迎えてくれた。
 安田功吉、八十二歳、元教員、独り暮らし、転んで足を痛め歩行困難になるも本人の努力により身の回りの世話は一応出来るまで回復。
 ヘルプとして、洗濯掃除、周に一回程度介護して入浴、時間があれば食事も作る。
「おじいちゃん、どうです。お変わりありませんか」
 里子が、濡れ縁から上がり、硝子戸を引いて、声を掛けた。
「はーい、いいようです」
 イガグリ頭が少し伸びていて、真っ白であった。
 安田は里子の影に隠れているようにしている公子の方に目線を投げた。穏やかな瞳の色であった。胸元が乱れることなくきちんと着物を着ていた。
「おじいちゃん、今度ねえ、私の代わりに伺うことになった小寺公子さん、虐めないでね。言うことをちゃんと聞いてね」
「はーい」安田はにこにこと笑っていた。
「小寺公子です。宜敷くお願いいたします」
「公子さんですか、安田です」と、安田は丁寧に頭を下げた。
 アルバムとか、新聞の切りぬき、名所の土産物、マッチ箱、書籍、カセット、テレビが、枕元には電話が置かれ、手の届く範囲には色々なものが雑然と置かれていた。それは散かしているという言い方の方が当を得ているかもしれなかった。
「おじいちゃん、今日は引継ぎでそんなに時間がないの。わたしは、洗濯をしますから、公子さんとお話でもしていてね」
 里子はそう言って奥へ姿を消した。
「なにかすることはありませんか」
 公子は安田の側に座って聞いた。そして、散らばっているものを片ずけ様とした。
「ああ、そのまま、そのまま。人様には散らかっているように見えましょうが、私には整然と整理されているのです。明かりがなくても、手を伸ばせばそこに何があるかということが解るんですよ」
 安田は穏やかに言った。そして、目を公子の全身に這わし始めた。それは、男性の女性を見る目であった。公子は身体を小さくしていた。衣服を通してすっかり中まで見通されている感覚になり、羞恥心が生まれた。それは、病院でクランケの瞳に晒される物とは多少違っていた。
「なにか・・・本当になにか・・・することはありませんか。なかったら、里子さんを手伝いに行きます」
 居たたまれなくなってそう言った。
「ここにいてください。・・・今、私はあなたを見て連れ合いのことを思い出そうとしているのです。・・・思い出せません、忘れてしまったのでしょうか・・・。確か、あなたの横顔がそっくりであったような・・・。目の大きい、鼻が真丸で、八重歯があって、頬骨が張っていて、少し色黒で、八切れんばかりの太股をしていて、オツパイが大きく、髪を長く背に垂らしていて・・・。もう遠い日の事で忘れてしまったのかも知れません」
 納納と安田は、公子を見て言った。
 日常的なことはすぐ忘れてしまう。古い話は比較的はっきりと覚えているというのが痴呆の症状なのだが・・・安田夫人との思い出は、一片の物を通してしか記憶を呼び覚ますしかないのだろうか。物にまつわる断片の記憶しかもう残されてないというのだろうか。安田は少しずつ痴呆症へと向かっているのだろうか。
「一年前までは覚えていました。一年早く公子さんが来てくださっていたら、婆さんの事をこんなに忘れんでも済んだかも知れません。今では、写真を見ても何処の誰だか解らん時もあります。婆さんと暮らし、泣き笑いした人生を・・・」
 安田は淋しそうな目をして言った。公子はこのような時にどのようにしていいか解らなかった。
「これから、私が来ますから、その内きっと思い出しますわ。私が、お婆ちゃんに似ているのなら・・・」
「そうですね・・・。公子さんと言ったかな、庭に檜がありましょうが、日陰で余り大きくなってない。あれは、私の息子の記念樹でしてな・・・生まれた時に・・・。大きゅなって外国に行ってしもうた。私にも来いと言うて呉れたが、世話を掛けとうないから止めた。・・・それに、この家には色々な思い出が残っとる。ここを去ることは、私の生きてきた歴史をも失うように思えてな」
 公子には、安田の言う事が良く解った。
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皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・。

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作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。
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