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独り暮らしの老人、寝たきりのお年寄り、それを抱えている家族、そして、重度心身障害児の家庭は、公子が病院で想像していたより意外と少なかった。
家族からの申請と、民生委員、ケースワーカー等により発掘される数はあまりにも少なかった。申請があり、発掘されても、厳しい審査の前で篩に掛けられているのが現状であった。審査が通れば、ホームヘルパーの派遣となるのだ。ホームヘルパーを必要としている人達は多いいに違いない。審査ミスもかなりあるのではないだろうか。法とか条令の前に締め出されているのではないのだろうか。公子の心に疑問が生れた。
小寺公子はK市の福祉課に嘱託という身分で採用された。二ヵ月間の講習と施設実習を済ませて、初めて一人前のヘルパーとして宅訪に出ることになる。厚生省の基準では六名から九名を担当し、週二回の宅訪スケジュールが義務ずけられている。土曜、日曜日は休みであった。嘱託という不安定な身分と、賃金の安さには驚いたが、それは、最初から覚悟して飛び込んだ世界であった。
病院にいた頃公子は、勤めが済むと、家に一直線で帰っていた。同僚のように、ディスコにカラオケにと張り詰めていた精神の緩和を目的に出掛ける気分にはなれなかった。弟の食事を作り、一緒にテレビを観、自分の時間は読書に充てていた。詩の同人誌に参加し、今迄に何編か発表していた。
仲間の一人に大竹数馬と言う三十歳前の人がいて、公子はその人に原稿を見て貰うことが多かった。かれはどこか多村に似たところがあった。まるで正反対のような容貌であったが、包み込んでくるおおらかさが類似しているのであった。
「小寺くん、君は何を拠り所にして生きているんだ」
大竹に原稿を見て貰っている時に、突然言われた。
「そんな難しいことは解りません。ただ・・・」
公子は返答に困ったのだった。
「君の詩は、美しいものを美しいと見るその感性で止まっている。君は素直で潔癖な人なのだろう。だが、その奥に、向こうにあるものが足らない」
「それは・・・」
「哲学だ、自分はこう生きる、世の中はこうでなくてはならん。人間を愛しいと言う気持ちは出すぎるくらいに出ているが・・・。その裏づけと言うか、真実というかが乏しいように思う」
そう言われても、二十二歳の公子には大竹が言おうとしていることが理解出来なかった。大竹に応えるためにも、そして、その事を理解することが、クランケに対してよりよい看護に繋がるならばと公子は読書に没頭していた。
「僕の近所に赤とんぼを唄うお婆さんがいてね、一回唄うとマッチ棒を一本置くんだょ。その姿を君に是非見て貰いたい」
大竹に言われて、公子は休日にそこを尋ねたのだった。
その時から、公子は変わったのだった。
「目的は違うけれど、詩僧大愚良寛が修業の暇に子供達と手鞠をし歌を唄ったって言う逸話があるんだょ。作る、創ろうと思うから、詩が堅いんだ。語るんだ、君の心を一辺の詩に託して語るんだょ。そうすれば詩に遊びとゆとりが生れる。良寛の詩には無理が一つもないんだ」
良寛を語る大竹の瞳は輝いていた。
公子が宅訪に出て驚いたことは、一人暮らしの老人にとって老人ホームは不幸な人のく所と言う頑迷な程の意識が強く、入所を勧める保健婦やケースワーカーの言葉を頭から否定していた。老人にとって否定しなければならない要因は、金銭的なこともあったが、今迄生きてきた場所を移ることの淋しさの方が大きく強いようだった。
寝たきりのお年寄りを抱えている家族は、市の認可病院のベツド空きを待っていたが、年寄は入院を望んではいなかった。家族の者もどうせなら本人も望んでいることだし、出来るかぎりやってと言う思いと、諦めが強かった。だが、家族の特くに面倒を看る主婦は疲れ切っていた。
「一人暮らしの方が呑気でええ」
「病院は退屈じゃから嫌じゃ」と呟く老人の言葉をどように受けとめればいいか迷ったが、ヘルパーとして宅訪して行く中で多少なりとも理解することが出来たのだった。重度心身障害児を持つ家庭は、世間体を気にして内緒にしてくれという申し出をすることが多かった。施設に入所させ適切な治療と、リハビリーをすればよくなると勧めても、親の方で否定した。世間という冷たい風に曝されてきた親の、我が子に対する間違った愛情を感じても、公子の力ではどうしょうもなかった。
自分で身の回りの世話の出来る老人には、福祉課とホットラインが通じ、一日一回様子を尋ねる電話が掛けられた。
寝たきり年寄へのヘルプは楽ではなかった。家族は年寄の看病と生活に追われ疲れきり、年寄は、部屋に閉じ込められ放り出されているのが現状だった。
病院では夜間に歩き回り、喚き散らかすクランケに対して、鎮静剤、と睡眠薬が投注されるが、家庭では二十四時間の看病なのだ。閉じ込めたり放り出したくなるのは解らないではなかった。そんな年寄を見るとずっと側に居て介護をしてあげたいと、公子は思うのだがそれは叶わぬ事だった。
いま、適切な治療とリハビリーをすれば寝た切りから回復できるのにと思う年寄も多かった。
時折、老妻を車椅子に乗せ、押している老夫を見かけることがあるが、公子は心が和み、あんな老夫婦になりたいと思うのだった。
皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・。
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作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。
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環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~
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