人を信じるということ・・・

2010-06-02 22:38:52 | 日記
人を信じること・・・信じ続けることは困難だ・・・

血のつながった身内だけしか、信じることができない。
う~ん。それもありかなって思ったりする。

社会の中で生きていくには、
赤の他人と人間関係をつくっていかなければならない。
その時、その時、価値観が似ていたり
共感できることがたくさんあったり
気の合う人との協力で、社会は動く。
そして、必ず損得勘定とお金がからむ。
悲しいかな、お金はこの社会にどうしても今は必要なものなのだ。
気持ちのやり取りだけで、みんなうまく回るような高度な社会
少なくとも、この日本には ありえない。
みんな、心が成長していないからだと思う。

信じたいと思っている人への気持ちが
希薄になっていく・・・
このままでは、いっしょに仕事ができないと危機感を持つ。
やっぱり わたしの「思う気持ち」に強さがないのだ。

大好きな彼への思い・・・
彼は、わたしに指輪やピアスをくれたわけではない。
わたしに出会ってくれただけなのだ。

彼がくれたものは、「思う気持ち」だけ。
その思いは、時に辛かったり、せつなかったりする。
ほんの少しだけど、2人でいて、楽しかった時間がある。
たくさんの時間が過ぎて・・・
2人は もう「楽しかった」時にもどることはないのだけど、
彼は今も私の「片思い」を聞いてくれる。
電話をすれば 許せる時間をわたしにくれる。
メールすれば、必要なことには ちゃんと返事をくれる。
ずっと、ずっと、そんな彼の態度は、わたしへの哀れみだと思っていた。
最近、自分を惨めに思う気持ちから・・・安心にかわりつつある。
「偽りなくまっすぐに思う気持ち」をわかってくれているのだ。
指輪やピアスのように「物質」ではなくて、
彼がわたしの「気持ち」を嬉しく感じていることを 伝えてくれている。
それは、けっして素直でわかりやすいものではなくて・・・
宝探しゲームのように、いろいろなところに隠されている(笑)

そんな気持ちになるまで、2人して、ずいぶん時間がかかったね。
まだまだ、本物まではいかないかもしれないけど(笑)
この社会のなかで、2人の信頼関係はしっかりできつつあるって感じる。
彼になにかあったら、たとえ、社会的に彼が不利な立場であっても
彼に対する気持ちはかわらない。
これは身内を思うことと同じなのだ。

今回、今勤める会社でおこったごたごたは、
それに気づかせてくれた、いい出来事だった。
・・・そう思わないと・・・
疲れる(笑)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。