友人のブログより

2009-11-15 21:32:10 | 日記
「縁を生かす」

その先生が5年生の担任になった時、
ひとり、服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。
中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。

ある時、少年の一年生からの記録が目に留まった。
「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。
勉強もよくでき、将来が楽しみ」とある
間違いだ。
他の子の記録に間違いない。
先生はそう思った。

二年生になると、「母親が病気で世話をしなければならず、
時々遅刻する」と書かれていた。

「三年生では、母親が病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りする」。
三年生の後半の記録では「母親が死亡。
希望を失い悲しんでいる」とあり、
四年生になると「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、
子どもに暴力をふるう」。

先生の胸に激しい痛みが走った。
駄目だと決めつけていた子が突然、深い悲しみを
生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。
先生にとって目を開かされた瞬間であった。

放課後、先生は少年に声をかけた。
「先生は夕方まで教室で仕事するから、あなたも勉強していかない?
わからないことはおしえてあげるから」。
少年ははじめて笑顔をみせた。

それから毎日少年は自分の机で予習復習を熱心に続けた。

授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びが沸き起こった。
少年は自信を持ちはじめた。

クリスマスの午後だった。
少年が小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。
あとで開けてみると、香水のビンだった。
亡くなったお母さんの使っていたものに違いない。
先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。
雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、
気が付くと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。

「お母さんの匂い! 今日は素敵なクリスマスだ」

六年生では先生は少年の担任ではなくなった。

卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。
「先生は僕のお母さんのようです。そして今まで出会った中で
一番素晴らしい先生でした」
それから六年。
またカードがきた。
「明日は高校の卒業式です。
僕は五年生で先生に担任にしてもらって、
とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって
医学部に行くことができます」
十年を経て、またカードがきた。
そこには、先生と出会えたことへの感謝と
父親に叩かれた経験があるから
患者の痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。

「僕は、よく五年生のときの先生を思い出します。
あのまま駄目になってしまう僕を救ってくださった先生を、
神様のように感じます。
大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、
五年生に担任してくださった先生です」

そして一年。届いたカードは結婚式の招待状だった。
「母の席に座ってください」
と一行、書き添えられていた。

たった一年間の担任の先生との縁。
その縁に少年は無限の光を見出し、
それを拠り所として、それからの人生を生きた。
ここに少年の素晴らしさがある。
人は誰でも無数の縁の中で生きている。
無数の縁に育まれ、人はその人生を開花させていく。
大事なのは、与えられた縁をどう生かすかである。

ゆう☆です。
上記は、昨日の友人ブログの一部を転載させていただきました。
熱くこみあげる思いがあり、涙がとまらなくなった・・・

かずくん、すてきな日記をありがとう・・・