昼から68歳の散歩に出かけました。初夏の日射しと五月の風を受けて1時間半ほど歩いてきました。
ひとりという名のとりが もうひとりと出逢い 寄り添いながら
飛び立って幾年月 人生の空を いつもそろっ飛んできた二人
山をいくつか越えた今 ここらでちょっとひと休み
のんびりと旅に出て 素敵な景色とごちそうを
思い出と共に分かち合いたい
これからのことも じっくりと語り合いたい
いっしょにゆったりと 君とね
昼から68歳の散歩に出かけました。初夏の日射しと五月の風を受けて1時間半ほど歩いてきました。
ひとりという名のとりが もうひとりと出逢い 寄り添いながら
飛び立って幾年月 人生の空を いつもそろっ飛んできた二人
山をいくつか越えた今 ここらでちょっとひと休み
のんびりと旅に出て 素敵な景色とごちそうを
思い出と共に分かち合いたい
これからのことも じっくりと語り合いたい
いっしょにゆったりと 君とね
豪華な料理が届けられました。「どなたから?」
スタッフのD親娘さんからの誕生日祝い御膳です。
早速テーブルにロールの鳥の子紙を敷き、お祝いの用意を・・。
久しぶりの豪華な料理、さて私は何から手を付けたでしょうか。これはクイズではありませんので・・ごめんなさい。
68歳のお誕生日、美味しくありがたく頂戴いたしました。ありがとうございました。
個展の準備も98%完了したので、これから68歳の散歩にでも出かけましょうか。
1942年5月30日午前4時36分、大阪市天王寺区城南寺町で斉藤家の次男坊として産声をあげました。
3歳のときに大阪空襲で家を焼かれ、東大阪(当時は布施市)の親戚の家に逃げ、20歳までここで過ごしました。21歳で家を出て22歳で結婚。
波乱万丈の人生でしたが、今は好きな趣味を仕事にして、余生の人生を仲間と謳歌させてもらっています。
100歳を目指してさらに精進し、一休ワールドの実現を目指して頑張ります。