ゆきさんのブログ

元お祭りオヤジの周辺・・・

天山文庫

2006年05月06日 09時30分51秒 | デジャブー
まだ桜の残る阿武隈山系にある川内村へ行ってきた。
今までに訪ねる機会の無かった「天山文庫」に行くためだ。
この文庫は、ご存知、草野心平はゆかりの深かった川内村に自分の蔵書を
寄進したことに始まり、有志の協力を得て造られたミニ図書館である。

あたりは新緑に包まれ、人にとって何が大切であるかを教えている。
毎年、文庫の開設を記念し、草野心平を偲ぶお祭りが開かれている。
館内には川端康成、棟方志功の書もある。
囲炉裏が切られ、ふすま、壁は昔のままで残されている。
茅葺の屋根は庭先を眺められるように窓が切り抜かれている。
二階寝所のその窓から草野心平は好んで眺めていたという。

帰りに友人の陶芸家を訪ねた。
新作の焼物が並べられて、春の山菜が盛り付けられて美しい。
川内村、時間がゆっくり流れるところだ。

100年の大計(その1)

2005年08月18日 09時03分17秒 | デジャブー
信州へ旅をしてきた。
上田、長野、小布施。35年前、10年前、5年前に旅をしたことがあるが、この
地の豹変振りには驚くものがあった。まずは、長野、上田の駅前の変わったこと。
長野新幹線、長野オリンピックがあったせいなのだろうか?
とにかく、きれいになって、数年前とは大違いだ。あかぬけた店が多くなって、観
光客も多い。それに、何よりも若い人が多いように思えた。
長野の善光寺参道の両側にはしゃれた店ができはじめ、お土産やさんも繁盛してい
るようだし、不景気の風はこの地には無縁のように思えた。昔はさびれた感じのお
寺だけだったが、勢いを感じた。
そして、小布施。町興しのモデルケースのメッカのように言われている町だが、初
めての訪問で参考になることが多かった。
私は、観光で町興しができないものかと考えている人間だが、これらの町々から見
習うことは多い。そして、貧乏旅行で土産も買わず、食い物も節約しての道中だっ
たが、数々のヒントをもらって帰ることができた。

司馬遼太郎が言ったことばを思い出した。「普遍的なものを目指さなければならな
い」である。人間の生活に必要なもの、経済が発展すること、町が生き残ってゆく
こと・・・等などの全てにこのことばがあてはまる。
そして、今回の旅で三つの町が観光客でにぎわっていたものの中には、司馬遼太郎
の言ったこのことばが流れていたと思えた。このキーワードにあてはまる100年
の大計を企てなければならない、と思う。

お土産や、名産品と言われるものに、格別なものは何も無い。「栗強めし」「おや
き」など、確かに美味しい。手ごろに楽しめる旅の味である。しかし、ヒットすれ
ば町を変えてしまう力がそこにはある。庶民が口にする菓子や食べ物は有効で、観
光地には無くてはならない。大きなお金は落とさないけれど、千円未満のお金なら
抵抗はない。それらも、ちりも積もればである。さらに、ものの見せ方にプロの手が
入っていることを痛感した。洗練されたデザイン、店舗レイアウト、人の導線な
ど、きめ細かな計画があると感じた。

「信州」ということばがブランドになっている、かな。「奥州」ではイメージが違
う。昔、サントリーの会長がくまそと違え、白河以北一山百文、とさげすんで顰蹙
をかった。しかし、同じ山奥の地方であるのに信州と奥州では違って思えるのは何
故だろうか。蕎麦も何度も食べた。会津の蕎麦の方が美味しいと思ったし、果物だ
って東北は負けてはいない。だが、そこに良いイメージがわかないのは何ゆえだろ
うか。このあたりを考え、知恵を出しあって何かを創り上げて行かなければならな
い、と思う。

小布施の中島千波美術館などは大したことはない。昭和20年生れの画家だし、桜
が有名だけれど、この美術館に収蔵されている作品は大作は4点しかなく、およそ
美術館と言えるものではない。北斎館なる展示館には多くの観光客が群がっていた。
北斎は周知のとおり幕末の浮世絵絵師だが、この小布施に縁があって山車の天井画
を二点残したようである。版画は後に買い集めたようだが、それらの素材を生かし
た上手な町興しを行っているようだった。仕掛けはうまい。そして、先にも書いた
ように、小さなお金を沢山落とさせる食べ物やさんが多いし、そういう菓子店など
の大棚が中心になって演出をしているのだった。

さてさて、素材はこと欠かない奥州二本松の行方やいかに?
超一流の日本一が沢山あるではないか。豊かな自然、美味しい果物、美しい二本松
提灯祭り、若い女性の憧れ・純愛物語「智恵子抄」、謡曲・安達ヶ原「黒塚」、日
本一の菊人形、そして、二本松少年隊。どれをとっても他の地方の人々がよだれを
流して欲しがる素材は山ほどある。

残念なことに、どれもこれも生かされていない。

老人も荒野をめざす?

2005年04月04日 15時59分36秒 | デジャブー
同じ小説を読み返したことがあるだろうか。しかも、30年も過ぎてからの話だ。
つい最近、古本屋で五木寛之の「青年は荒野を目指す」を見つけて求めた。
この本、私にとっては重要で意味のある本なのだ。
しかし、そういう重要な本の割にはかわいそうな値段で、105円だった。

最初にこの本を読んだのは高校生の時だった。
何ゆえにこの本に出合ったのかは忘れてしまったが、その後の私の生き方に相当
影響を与えた本なのだ。
ただ、自分の意気地の無さゆえに、この本の中に出てくるシベリア鉄道の始まる
若者の旅は実現しないまま、私は老人の部類に入ろうとしている。
この本を読んで五木寛之のファンになった。その後出版された殆どの本を読んだ。
そして、それらの本の中に紹介される世界中の町々を仮想世界の中で旅をした。
また、登場人物によって男の生きかたなどについてもアドバイスをもらったわけ
だ。それは、人生の重要な局面で何度となく教えられたものだった。

ところで、同じ本を時を隔てて読んで同じ感動を覚えるだろうか。
鮮烈なインパクトを受けるだろうか。
やはり、それは違っていたし、無理というものだ。若く多感な時代に読んでこそ
共鳴できる部分もおおいはずだろうから・・・。
しかし、歳を重ねなければ分からないことも多い。

北欧の画家・ムンクを教えたくれたのも五木寛之だった。
子供の頃から絵を描いて育った私だが、ムンクのあの橋の上の「叫び」には強烈
な印象がある。本のタイトルは忘れてしまったけれど、ハードカーバーの表紙に、
あの気持ちの悪い人物が描かれたものがあった。
その頃の私には、あの人物が何ゆえに叫んでいるのかが分からなかった。折りよ
く神奈川県立美術館で「ムンク展」が開催され、大学生になっていた私は横浜の
親戚をベースにして金沢八景まで行ったのだった。

大人になってから、再度ムンク展を見る機会があった。
今度は、絵から受ける印象というものは違ったものがあった。人間の深い深い
愛情とか憎悪とか、そういうものを絵から感じることができた。

同じように、歳をとってから同じ本を読み返す場合、同じ文字を辿ってゆくのだけれど、
受け取れるものが、沢山になった、と思った。
ドキドキした感覚はないけれど、味わいのある言葉として受け取れるのは、や
はり、自分が通ってきた道があったからなのだろう。

渡り

2005年03月22日 09時03分28秒 | デジャブー
お彼岸の昨日は、本当に抜けるような青空だった。
仕事は高台にあるので空気が澄み切っており、外へでると気持ちがいい。
静かだ。風の音だけが耳に聞こえている・・・。

どこかで「カーン」という鳴き声がした。
その声の主は白銀の大きな鳥であった。
青空に羽ばたく鳥が太陽の光をあびて輝いている。
「相当高く飛んでるな」と思った。

最初は3羽・・・北へ向っている

次は大群だ おお、20羽くらいはいるだろうか・・・。

大きくきれいなV字型の編隊を組んでいる。「カーン、カーン」と一羽だけが鳴いて
一団を先導しているようだ。
その声が澄み切った空に響く・・・。

なんと、荘厳で気高い光景だろうか・・・。
折りよく、今年もその時に遭遇できたことにしばし時間を忘れた。
カメラ・・・と思ったけれど、手元に無かった。
望遠のデジカメなら撮影できたろうに、残念。

自分は鳥のことは門外漢だから全くの知識がない。
あの鳥は何だったのか、鶴なのだろうか。
体は純白で頭だけが黒かったように思えたのだが。
どっちにしても、相当な高さを飛んでいるわけだから、餌場からねぐらへ行く
ような飛び方でないことは確かだ。皆、同じ方向へ相当な速度で飛び去った。
あれは渡り鳥で北へ帰るのだろう。

今年のスキーシーズンは思うように滑ることができなかった。
安達太良、吾妻の山々の雪が解け始め、黒い部分が大きくなり始めている。
雪の多かった冬も終わりだ・・・。

福島にももうすぐ本当の春が来る。

ホンモノのコメディアン

2005年03月20日 16時31分44秒 | デジャブー
この人を知ったのは、某銭湯でのことだった。湯上りに番台の頭上にあるテレビにおかしな
人間が写っていた。この男、女装をして金髪のウィッグをかぶってシャンソンなんぞを歌っている。
しかし、なんと面白い芸をする奴だろうと思った。湯冷めするのも忘れて見入ってしまった。
「おもしろい」時間の経つのも忘れさせるような魅力があった。

丁度、この頃は仕事がきつくて、睡眠時間があまりなく、精神的にもまいっていた時だった。
「ああ、コメディアンって、こんな時に必要と思われるんだ・・・」と、軽薄で芸が無いドタバタの
おおい中で厚みのある芸人に出会ったものだと思った。
この男の名前は=「梅垣義明」(通称・梅ちゃん)と呼ばれている。
すぐにファンになってしまった。
しかし、気づいてみつと、けっこうテレビに出演していたのだ。西部警察の刑事役とかで・・・。

2年ほど前に、梅ちゃんが郡山にやって来た。
アングラ出身の芸人には、おあつらえの会場「富や蔵」でのステージだった。
この会場の特徴は元の酒蔵を改造してできた多目的ホールで何の会場にでもなる。
ここで、絵のオークションも私自身開催したことがある。

ステージは楽しかった。得意技の「豆とばし」も、シャンソンを歌いながら無数に行った。
当然のように、この飛ばされた豆を拾う聴衆は居ない。
また、選ばれた人だけが体験できる「間接キッス」もおお受けだった。
このキッス、透明なプラスチックを使って梅ちゃんと濃密な抱擁の上キッスするのだ!
若い女性のファンが多かったせいか、会場は爆笑状態、
しかし、自らキッスをお願いした女性は一人も居なかった・・・・(^-^;

彼のHPがある、どうぞ覗いて見て欲しい。
ファンクラブの募集(ただ、会員登録をするだけのファンクラブだが)があったので、名前を書き
まさせてもらった。県別にファンが居るところは青く塗りつぶされている。
なぜか茨城県ではファンが一人も居ないことになっている。 (*^o^*)
福島県では、私が一番早く登録されいて、会員番号51番である。

ホンモノの芸を見せてくれる芸人はありがたい! ↓

梅ちゃんの青い部屋 
ワハハ本舗