ニッキ-通信 ~盲導犬ニッキ-のお母さんより~

盲導犬ニッキ-と私の日常。要援護者・障害者の防災について紹介します。

母の7回忌も近い。美しく生きた人だった。

2012年06月12日 | 日記
母の7回忌が近い 美しく生きた人だった。

 
 時の流れに身を任せ と歌ったテレサテンも 天国に召され おかあさんの母親も 極楽に召された。
 それからの時間の流れは本当に速かった。
 あれから 大きな不幸な事件が重なり 自然災害でも 多くの人が命を落とした。
 どこで どのように死ぬかは時の運だ。
母は検査入院だった筈の病院で 入院した翌朝 帰らぬ人となった。
 お母さん達にとっては偉大な対象生まれの女性だった。
 凛として生きた。

 今 おかあさん達の中にある人としての規律正しさは 母達のようなきちんとした人の行き方を見ながら培ってきたものだと思う。

 今 他人と交流できなかったり 挨拶が出来ないとか「アレッ」と思う人が目に付く。
しかし もう 日と世代前の人に言わせると おかあさんも 配慮の行き届かない人間と映っているかもしれない。

 世の中は明らかに変転している。

 とは言うものの やはり 人として美しいのはどんな人なのかは変わらない筈だ。

 美しい挙措動作の人は羨ましい。
 ただ おかあさんが人に負けないことが一つだけある。
それは背筋がしっかりと伸びていることだ。
 以前は 結構 猫背だったのだが 社交ダンスを始めてから意識は変わった。
 歩くときも立っているときも台所でクッキングの時も美しく立つことを
心がけている。
 これは心がけ一つで誰にでも出来るし お金もかからない。
 
遣り方は ひたすら 体の縦の銃身を背骨に持って行き 臀部はヒップ アップさせ 脚は内転の筋肉を使う ただ これだけ。

 これで 私達の後姿から老いの陰が消えてゆく。

 これが出来たら 存外 自信が付く。洋服の着こなしもアップする。

 こうして正しい姿勢から健康がはぐくまれ 清く正しく 美しくの基礎が出来ると思う。



 

あとはユーモア溢れる人間に近づければいいなああと。以前 ユウーモア教室に通った。そのときの内容だが  いかにしてボキャブラリーを豊かにするかを大事にしていた。
何とか 頭の美しい健康も維持したいもの。
読書にせいを出すことにしよう。
 
 ニッキーなどのワンチャンはいかにして 頭の健康を維持しているのだろうか。まだまだ 新しい事も繰り返すとしっかりと覚えてくれる。
どんな風に10歳まで生きてゆくのか。それを観察するのも楽しみなおかあさん。
 お互いに切磋琢磨しようね。

露晴れ間朗報なれど喜べぬ

2012年06月12日 | 日記
 露晴れ間朗報なれど喜べぬ

 というのが 今のおかあさんの心境。
おとうさんの死後 懸案事項であった遺留分問題。
 おとうさんの生前の意志 それは 遺産はひとまずおかあさんが全部相続する。そして おかあさんの遺言の中でまとまった額をおとうさんの子供達に贈与するとの考えであった。

我々二人の間ではこのようにすることにしていたが この後半部分についておとうさんは子供達に伝えていなかった。
 
 彼らは 当然遺留分が手に入ると考えた。
 これは当然だ。
 しかし おかあさんは おとうさんが既にきちんと彼らに
 話をしてあると思っていたので 最初はびっくり。
 おとうさんの遺言書もあるのにどうして?ということになった。
跡で分かったことだが おとうさんが全額をおかあさんにという話を聞いたとき 彼らは納得しなかったが 病気のおとうさんの前では否定は出来なかっただけのことだった。
その後 おかあさんの遺言書の中で彼らに贈与するからと説明しても 聞く耳を
持たなかった。
彼らとおかあさんの間は親子関係は無いので おかあさんの死後の財産わけの事を知ら
なければ 遺留分が欲しいと願うのも無理からぬことではある。

 遺言書の中で 全額妻に贈与すると書いてあっても 子供が二人いうので 子供一人に付き 8分の一の権利がある。

 これは法律で決まっているのでおかあさんも納得済みだが あれこれ 法律の知識を駆使して請求してきたらしい。というのは 交渉の全てを司法書士の先生の事務所にお願いしていたのでおかあさんは一切 その間のいきさつは知らなかった。
 司法書士の先生は全盲のおかあさんが一人で生きてゆく未来を考えてくれて 良い交渉をしていただけた。
 先生に対しても 失礼なものの言い方や 礼を失することも多々あったらしい。
ちなみに 彼らは 34歳と32歳なのだが 。
 先生がいなければ おかあさんは もっと もっといやな思いをしただろうと思う。

 今日 合議書にサインして  この件は終了した。

 しかし おかあさんの心は ちっとも喜べない。
 おとうさんとの結婚生活の中で おとうさんの子供達は お金に困ると父親に頼ってきた。その都度 おかあさんは必要な額を工面した。まあ それは良いが 困ったときに助けてくれた人に刃を向けるがごとくの言葉で悩ましたことは深く傷となって残る

 おとうさんの死後 子供の居ないおかあさんは 彼らを子供として折に触れお祝いなどをしてあげたいと考えていたが もう 付き合いはしない。これは 向こうも同じだろう
と思う。いや 恥ずかしくて出来ない。

 今になって 思うが おかあさんは彼らの大事な父親を奪ったにくい人間なのかも。
 そう考えれば 今回の彼らの言動も分かる気がする。
 おとうさんの離婚には全く関与していないおかあさんだが ノウ天気なおかあさんもこれで少しは大人になったかな。
 まあ やれやれ。n先生 本当にありがとうございました。