遊民翁の”散策と絵”

”旅や散策”と”撮った写真をもとに描いた風景画”の紹介。

川崎市中部長尾地区歴史散策(2023/2/16)

2023-02-17 13:25:00 | 旅・散策
 川崎市中部長尾地区の歴史遺跡の散策に出かけた。スタートは、JR南武線久地駅。最初の場所は、駅から南東方向の丘の上にある「東高根森林公園」。グーグルマップの経路案内を活用しているのだが、近隣の人しか知らない自転車も通れないような狭い道などで案内してくれる。今回も狭い階段や市営墓地内の通路を示してくれた。今回、案内を信頼せず勘に頼った結果、川崎市立緑ヶ丘霊園内をウロウロ、親切な人に道を教えて頂き何とか森林公園に到着。

<<東高根森林公園>>
 住宅団地として整備のためう土地調査をすると、この辺りは弥生時代から古墳時代の複合遺跡であることがわかり、団地としてでなく県立公園として整備されたとのこと。公園内には、古代植物園・湿性植物園・自然観察広場などが整備。公園北口近くの「古代芝生広場」で、3世紀から6世紀の集落が発見されたとのこと。今見えるのは芝の張った広場。公園北口傍の東名高速道路にかかる「平原橋」近辺からも、縄文時代後期の集落跡も発見されたとのことだが、今は高速道路の下か。



<<等覚院>>
 森林公園から約700m歩いて「等覚院」。このお寺は「神木のお不動様」(神木とは地区の古名)と呼ばれ、”喘息”治癒のご利益があるとされ、仁王門傍のお堂には、喘息治癒祈願を願う又完治感謝の板版が多数飾られていた。境内にはツツジが多数みられ、「つつじ寺」としても親しまれているとのこと。



<<五所塚>>
 又もグーグルマップ経路案内の利用ミスであらぬ場所に行ってしまった。行先に五所塚と入力したら、五所塚は町名で五所塚町の中心部だったようだ。訪れる史跡「五所塚」は五所塚第一公園にあるようだ。案内された五所塚は、谷合にあったが、第一公園の方は急坂を登った丘の上。公園内には、策に囲まれた直径4m、高さ2m程の塚が並んでいた。ある地誌には権力者一族の墓とあるが、実は、他地域から疫病や災いが地域に侵入するのを防ぐための祭祀が行われた(「境」信仰)跡とのこと。以前寒川で訪れた「十三塚(おこり塚)」を思い出した。同じような考え方で作られたものだろう。


<<長尾神社>>
 五所塚隣りの神社。この辺りは長尾権現台と呼ばれる台地の最高部で、この地域の鎮守。この辺りは、縄文時代の集落跡や五角形の竪穴住居跡や配石遺構が発掘された「権現台遺跡」とのことだが近くにはそのような場所は見当たらなかった。



<<妙楽寺>>
 長尾神社から遠くに多摩川越しのビル群(川崎や多分新宿)の眺めの良い坂を下ると妙楽寺。境内には沢山のアジサイが植えられているので「あじさい寺」と呼ばれている。鎌倉幕府の初期、多摩丘陵の軍事的重要性から、源頼朝が弟の阿野全成を院主に据えたと寺のこと。道路から入ってすぐ左手の焔魔堂には不気味だが興味をひかれた。





 以上で今回の歴史散策は終了。この辺りには遺跡が多くあるようだが、殆ど地下に眠っているようで直接見ることが出来なかったもは残念。JR南武線宿河原駅まで歩き帰途。

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