秩父札所31番観音院の観音堂隣にあった太子堂。何と言うこともない建物だが魅かれた。この建物の後ろも大きな岩。傍には、新生代第三紀(約1700万年前)の地層もみられる。
秩父札所34カ所の内、一番西側、市内より一番遠いところの山の中にある寺。標高700m弱の観音山の中腹で、途中には296段の階段。大きな岩を背景に建つ観音堂。右手には僅かに水が落ちていた高さ60mの清浄の滝。行者修験の場所だったのだろう。
慈恩寺の本堂。このお寺、貧乏なようで、消火器などの代わりに、本堂回廊の数カ所に消火用水を溜めたバケツが置かれていた。歴史的建造物なのだから何とかしてほしいもの。
第二次大戦中、中国で偶然に発見された西遊記のモデルである玄奘三蔵の霊骨の一部が納められている。ここは慈恩寺から500mほど離れた場所。お寺は日本的な静寂な感じだが、ここは中国式で派手賑やか。
安楽寺は東武東上線東松山駅から約5㎞。適当な公共交通機関もないので歩いたが、途中には吉見百穴など見るべきものがあり適当なハイキング。境内には江戸時代初期の寛永年間に再建された三重塔があった。絵はその三重塔。(2014年2月6日訪問)
秩父34観音札所の中で、この寺の山門だけが鐘楼と一体化されていた。軒下の額には般若山と書かれ、本堂の軒下には般若の面が飾られていた。
この寺の近隣の地名は般若。般若とは、仏語で悟りを得る智慧・真理を把握する智慧や般若の面、沈香の一種などの意味があるようだが、さてこの地名どこから来ているのだろうか。唯、般若の面は、般若坊という僧侶が作ったところから名がついたとのことなので、地名は”知恵”からきているのだろう。良い響きの名前だ。
秩父34札所巡りも残すところ4か所になった。今回は32番法性寺。31番と32番は秩父市の西、小鹿野町にあり、両者ともに山深いところの山伏修行場のようなところ。訪れたのは2014年4月17日で、久し振りにバス巡礼に出くわした。
絵は大きな岩に抱えられるように建っていた観音堂を下から見たところ。この先の山中を登った奥の院まで行きたかったが、道なき道の山道・鎖道で身の危険を感じ断念。奥の院の岩船観音は本堂前からホンの僅か見えるお姿を拝むにとどめた。
九番札所慈光寺同様、役行者によって修験道場として開かれたとある。役行者の言い伝えは日本全国にみられるようで実在したかどうか含め興味ある行者。昔は深山だったのだろうが、今は周辺に大学のキャンパスや新興住宅団地が開かれていた。
絵は眼下に門前町の面影を残す通りが見下ろせる場所に建っていた茅葺屋根の鐘楼。