広い道路際の百段ほどの急な石段を上がったところに本堂があった寺。元々は加賀の白山の神をこの地に勧請し観音像を安置したとのことで、神仏習合。本尊は秘仏で前立があった。前庭から木立を挟んで武甲山の眺めがよかった。
22番童子堂から山道を辿り小鹿坂峠の十三地蔵の傍を抜けると23番音楽寺に裏手から辿り着いた。音楽寺という洒落た名前は、松の梢を吹く風の音から生まれたと案内書にある。この名前のせいか、まだ一線になっていない歌手の参詣も多いとのこと。境内は明治時代の秩父困民党の蜂起した場所であり、その後の秩父事件始まりの場所とのこと。境内からは秩父盆地の眺望が良い。
正式な名前は永福寺。子供にまつわる伝説が多いので童子堂と呼ばれているようだ。素朴な茅葺屋根の仁王門内の仁王像の顔はユーモラス。素人の作品のようだ。
ギリシャ・メテオラには二回訪れている。一回目は、2006年ギリシャを中心とした旅行の時、二回目は20014年コソボ・北マケドニア・アルバニア旅行の帰り道に、イオアニアやテッサロニキの北ギリシャを回った時。信仰のためとはいえ、こんな不便なところに教会を作るとは、不信仰の自分には理解できない。更に、後継者が観光のためとはいえ、オープンにしているし、ある修道院の前で、修道女が運転してきたピカピカの自動車から降りてくるのも見られた。
荒川左岸の丘の上にあるお堂で、江戸時代から今に続く旧家の個人所有のお堂とのこと。今は立派な秩父橋や新秩父橋があるが、この橋のない時代には荒川急流を渡し船で渡っていたという。それにまつわる色んな言い伝えのある場所でもあるようだ。