大円寺には何故か多数の仏像が有った。江戸郊外目黒地区のを集めたのだろうか。今回の散策ではじめ知ったのは、比翼塚。好きあって死んだ男女や、仲のよかった夫婦(めおと)を合葬した墓あるいは記念碑のとのこと。江戸時代の人は、人の情けや恋心を愛でるようだ。目黒地蔵の前には、歌舞伎の白井権八のモデルとなった、殺人犯平井権八と恋人小紫を偲ぶ比翼塚があった。比翼塚は、全国に見られるらしい。今後注意して探し見よう。
目黒不動は江戸の水源の一つだったらしいのだが、独鈷の滝として残っている。傍では、若い女の人が、水掛け不動に柄杓で一生懸命水を掛けていた。何処の神社仏閣を訪れても目につくのは勿論お年寄りが多いのだが、若い男女も見かけることが多い。悩みが多い時代のなのだろう。
下目黒近くの正覚寺では、お寺なのに山門に御幣が飾られていた。御幣は神道だと思っていたのだが。
この散策で廃業したのか銭湯の建物が目についた。そういえば長者丸の県人寮では風呂が壊れていたが周囲は高級住宅街のため銭湯が無く大分遠くまで歩いて行ったのを思い出した。大体は、恵比寿のビール工場(今は恵比寿ガーデンプレース)の先に行っていたが、一度か二度は目黒の坂を下ったような気もする。まさかその時、使った銭湯では無いとは思うが、つい最近までは営業していたようだ。東京に残る昭和の一こまで懐かしい。
目黒不動は江戸の水源の一つだったらしいのだが、独鈷の滝として残っている。傍では、若い女の人が、水掛け不動に柄杓で一生懸命水を掛けていた。何処の神社仏閣を訪れても目につくのは勿論お年寄りが多いのだが、若い男女も見かけることが多い。悩みが多い時代のなのだろう。
下目黒近くの正覚寺では、お寺なのに山門に御幣が飾られていた。御幣は神道だと思っていたのだが。
この散策で廃業したのか銭湯の建物が目についた。そういえば長者丸の県人寮では風呂が壊れていたが周囲は高級住宅街のため銭湯が無く大分遠くまで歩いて行ったのを思い出した。大体は、恵比寿のビール工場(今は恵比寿ガーデンプレース)の先に行っていたが、一度か二度は目黒の坂を下ったような気もする。まさかその時、使った銭湯では無いとは思うが、つい最近までは営業していたようだ。東京に残る昭和の一こまで懐かしい。