遊民翁の”散策と絵”

”旅や散策”と”撮った写真をもとに描いた風景画”の紹介。

世田谷の古民家と寺社などの歴史散策(2023/2/2) - 2023/02/03(Fri)

2023-02-03 11:17:23 | 水彩画
 この日の散策スタートは、小田急線喜多見駅から。
 駅前の商店街から住宅街に入ると右手に小さな祠。グーグルマップによれば「喜多見郷石塔石仏群」とある。説明板により、神社などで時々見かけるものが、「念仏車」というものであり、何のためのものか初めて知った。念仏を唱えながら一回まわすと、お経一巻読んだと同じ効果があるとされ、主に女性に使われたとのこと。

<<喜多見氷川神社>>
 旧喜多見村の鎮守府であり、江戸時代に短い期間存在した「喜多見藩」所縁の神社。参道に残る小さな鳥居は、17世紀中頃喜多見氏によって寄進されたものとのこと。

<<稲荷塚古墳>>
 途中、偶然見かけた古墳。説明文によれば、直径13m、高さ2.5mの円墳で周囲に幅2.5mの周溝が巡っていたとある。横穴式の石室内から、太刀・鉄鏃(やじり)・耳環、玉類、土師器須恵器などが出土し、古墳時代後期の(7世紀初頭)の有力な族長の墓とのこと。この辺りには他にも小さな古墳が点在しているようだ。

<<慶元寺>>
 この寺は、元々12世紀後半江戸氏によって江戸城(現皇居)近くに創建された寺だが、太田道灌の江戸城構築の際に、この地に移転させられた。この寺訪問の目的は三重塔を見ることにあったが、この塔は平成5年建立の木造とのことで、屋根上の相輪の金色が冴えていた。氷川神社からこの辺りにかけて竹林が多くみられ、慶元寺傍には「北山緑地」竹林もあり、途中では加工用の竹材を運ぶ人にも出会った。

<<次大夫堀公園民家園>>
 次大夫(じだゆう)堀公園の名の由来となっている「次大夫堀」とは、江戸幕府の代官だった「小泉次大夫」の指揮により建設された農業用水で、正式には「六郷用水」。尚小泉次大夫は同時期に以前訪れた川崎市側を流れる二カ領用水も造った人物と初めて知った。民家園は区立で江戸後期の建物が、複数移築復元され、ボランティアの人たちによって守られているようだ。


<<岡本公園民家園>>
 最後は、次大夫堀公園から2㎞程歩いて「岡本公園民家園」へ。この辺り一帯は明治の財閥岩崎家所縁の丘のようで各種建物が鬱蒼とした林の奥にあるようだ。岡本公園民家園には、江戸後期に村の民生を行っていた「百姓代」を務めていた長崎家の住宅が移築復元されていた。百姓代とは、百姓身分で名主(庄屋)、組頭(年寄)と並ぶ村方三役の一つで、百姓達の代弁者で名主らの不正を監視する役目。名主・組頭が世襲か有力者の持ち回りなのに対して、百姓代は村民の総意で選ばれるのが通例とのこと。唯、名主・組頭とは異なり、どの村にも置かれていたという訳ではなかったとのこと。又次大夫堀公園の古民家でも見られたが、軒先に長い竹竿に吊るされた竹籠は何を意味するのか聞きそびれてしまったのは少々心残り。

 以上で今回の歴史散策は終了し、この後民家園バス停から、小田急線成城学園前駅まで移動し帰宅。

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