柳美里の今日のできごと

福島県南相馬市小高区で、
「フルハウス」「Rain Theatre」を営む
小説家・柳美里の動揺する確信の日々

遠藤ミチロウさんへ

2019年05月09日 11時10分19秒 | 日記
遠藤ミチロウさん率いるザ・スターリンの歌を初めて聴いたのは、14歳の時でした。

当時、わたしは精神的なバランスを崩して不登校になり、自分の部屋に引きこもってラジオばかり聴いていました。ラジオから流れてくる遠藤ミチロウさんの絶叫のような歌声は、孤独だったわたしの心にダイレクトに響きました。

1983年2月26日、神奈川県の藤沢BOWのザ・スターリンライブに行きました。
最前列のど真ん中、ミチロウさんのマイクスタンドの前で、わたしはミチロウさんと共に絶叫し、ステージに向かって手を差し伸ばしました。ミチロウさんは歌いながら、わたしの手を強い力で握り締めてくれました。

その時、わたしは自分を救済する力を得られたように感じました。
立ち上がれ、自分を救済できるのは、自分だけだ、というメッセージを受け取ったのです。

わたしは16歳で学校を退学処分になり、演劇の世界に飛び込みました。

遠藤ミチロウさんが、福島県の二本松出身だということを知ったのは、
2011年5月8日に発表された文章を読んだ時でした。

ミチロウさんは「福島の現実と真っ正面から向き合い、その現場から新たな文化を発信することが出来たら、私達の未来は福島という希望の一里塚を打ち立てることになる」と書いていました。

2017年6月11日、遠藤ミチロウさん監督作品の『SHIDAMYOJIN』が、南相馬市原町区にある朝日座で上演され、ミチロウさんにトークゲストとしてご指名いただきました。

34年の歳月を経て、わたしは遠藤ミチロウさんと再会し、また必ず会いましょう、と二度目の握手をして別れました。
それが最後になってしまいました。

訃報に接して、二度の握手の手の感触を思い出しています。

ミチロウさん、わたしはこの地から一歩も退きません。
「現場から新たな文化を発信」し、「希望の一里塚を打ち立て」ます。
ミチロウさん、見ていてください。
そして、わたしの人生が終わる時に、三度目の握手をしてください。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 息子、ダウン…… | トップ | 雪歩さんも高熱でダウン »
最新の画像もっと見る

日記」カテゴリの最新記事