柳美里の今日のできごと

福島県南相馬市小高区で、
「フルハウス」「Rain Theatre」を営む
小説家・柳美里の動揺する確信の日々

無茶ばかりの人生

2020年05月27日 19時35分00秒 | 日記
昨日は雨で走れず、今日も雨を理由に走るのをやめたら、二日連続でランニングを休むことになってしまうので、走りました。

出発する時はパラパラ程度だったんですが、復路で本降りになり、眼鏡の雨粒で視界不良、ウエストポーチが雨を吸って重くなり、シューズの中がびしゃびしゃ……

山道を駆け上がりながら、
北丹沢12時間山岳耐久レースのスタート地点で既に土砂降りで、何度か転んで全身泥だらけになりながら、縦走したことを思い出しました。
(よく、2年連続エントリーしたな、わたし。30代後半だったよな、確か……)
北丹沢山岳12時間山岳耐久レースの公式映像→https://youtu.be/FB6Lt-97lMA

4年前だったかな……
標高3033メートルの南岳(槍ヶ岳と奥穂高岳の中間に位置します)で台風に遭遇し、高校1年生の息子と二人で槍平小屋目指して下山を開始したものの、雨風が強くなって、濡れた岩場で派手に転倒してしまいました。
捻挫した右脚を庇いながら歩いていたら再転倒。今度は岩と岩の間に登山靴を挟み込んだまま滑り落ち、左の股関節を傷めてしまいました。
両脚を負傷したわたしは、ほぼ腕の力だけで岩場にかかった鉄梯子を降り、四つん這いになったり、急斜面をお尻をついて滑り落ちたりしました。
途中で奇跡的に携帯電話の電波が入り、槍平小屋に電話が通じました。
息子が山岳地図を見ながら、現在地を伝え、わたしの怪我の状況を説明しました。
あの時、槍平小屋のご主人・沖田政明さん(当時65歳)と、槍平小屋を拠点に活動しているカメラマンの柄沢啓太さん(当時43歳)に救助に向かっていただいていなければ、わたしは死んでいました。
息子の命も危なかったかもしれないーー。

叩きつけるような雨のなか、
柄沢さんが、「まずは、そこに座って、温かいお茶を飲んでください」と、水筒の蓋に湯気の立つ麦茶を注いでくださった瞬間を、今でも時々思い出します。
ひと口飲んで、ああ、助かった、と唇がわなわなし、膝ががくがく震え出したことを憶えています。

沖田さん、柄沢さん、ありがとうございます。

そして、わたしの登山リュックを背負い(30kgリュックを背中と胸に2つ背負うことになった)暴風雨のなか常に冷静な判断をして、諦めずに携帯電話をかけつづけてくれた息子に、感謝しています。

息子には、何度も、「わたしを置いて一人で下山して、救助を求めた方がいいよ」と言ったんだけど、息子はその度に、わたしの方を黙って見て、行こうとしなかった。
息子の足で、槍平小屋まで下りで4時間、ここまで戻るのに登りで5時間ーー、台風の雨風がさらに激しくなったら、夜明けまで待って捜索するということになり、わたしが持たない、と思ったのかもしれない。

来年あたり、コロナが落ち着いていたら、体を鍛えて、南アルプス縦走をしたいです。








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