クラシック好きです

交通事故でC3.C4の四肢麻痺になって
障害者施設から在宅生活に戻れた日々の出来事

脊椎損傷患者の身体2

2011-07-18 11:36:10 | ふと感じること
2006年7月の交通事故で四肢麻痺になって6年目に突入
この5年で随分回復しましたが完全復活までにはまだまだです

■病院時代の1年で起立台に一時間立っても意識が持つようになりましたが

その頃は毎日起立台にのって意識がなくなったりしても
平気だからもう一度お願いしますなどと
どこかの部活感覚でやらせていただいたら
低血圧になれてしまったようで
起立台にたっているときには五分ごとに自動に血圧図ってましたが
ひょいと眺めると血圧が38しかなくとも意識がある自分がいて
他のPTの方が血圧の数字診てわたしの顔を眺めてあきれて笑っていたのを覚えています

そんな頃でも
自分の体感は首から下は判断しにくく
起立台で立っていても両足が正座だったり前に突き出ていたりする
感覚があったのを覚えています

■最初の1年は起立制低血圧との戦いがほとんどだったでしょう

人工呼吸器をつけてる頃は
一回一回の呼吸量が数字で出ていましたが
それほど深い呼吸はしないものです

ただ
呼吸器はわたしが呼吸しなくとも勝手に肺に空気を注入してくれます
1分間に18回程度だったでしょうか?
それを5回程度まで減らすと
自呼吸と機械呼吸がぶつかり合って喧嘩になります
そんな頃が苦しかったでしょうか
深く吸って600~800が目標でしたが
寝ていると深く吸えて
ギャッチで起きているとせいぜい480cc程度がしばらく続き

そのうち
呼吸器が邪魔だと思うようになります
そうやって
病院の誰もがはずせるわけがないと発言されていた人工呼吸器を
外せるようになりました

なにせ
完全復活するためには邪魔な人工呼吸器とコウシュクにジョクソウ
その時ポジティブに接してくれた看護師の小栗田さんと濱野さんの
有能中堅看護師さん二人には感謝します

若いばか看護師あたりは
「どうせ取れもしないのに・・無駄」
「疲れて寝るだけでしょう」

ばばぁ看護師あたりは
「取れた人見たことないし」
「絶対無理」
「せめて持ち出しできる呼吸器があればね」

積極的に参加してくれた小栗田さん濱野さんあたりは

「死んでも看取ってあげるからやりなさい」

こうして最後に夜間外して朝目覚めたときのスッキリ感は
かなり嬉しかったですが

その後の膀胱盧事件でも
かなりひどい目に遭ったのですが

そのころは復活を目指すわたしと
それを邪魔する間抜け看護師との戦いだけで時間が過ぎていたのかも

からだの痛みよりは
意識が落ちるのとの戦いが多かったかもしれません



yozame
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1 コメント

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感動しました! (りんりん)
2011-07-19 01:05:28
こんばんは。
先日はコメントのお返事、ありがとうございました。

今回の記事を読ませていただいて、yozameさんの努力とガッツに感動しました。
私も希望を持って頑張りたいと思います。

私は在宅で夫が全て介護してくれているのですが、yozameさんから見れば贅沢かもしれませんが…色々有ります。
文才があれば、面白いブログが書けるのですが…

ところで文中に「膀胱盧事件」とありましたが…。
良かったら追々お話ください。
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