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クラシック好きです

交通事故でC3.C4の四肢麻痺になって
障害者施設から在宅生活に戻れた日々の出来事

施設でのリハビリで

2012-03-07 07:31:47 | リハビリ
昨日久しぶりに起立台に乗るリハビリだけではなく
座位の練習をやっていただきました

■普段知人にお願いして週に2回車イスで背もたれから離れる座位練習はしていますが

本日の座位練習は
起立台練習が終わってあお向けで寝ている私の両足を伸ばしたまま
前屈のような姿勢にさせられてバランスを取らされました

多少前屈の姿勢から
さらに前に倒す練習に
前屈から戻る練習をさせられましたが

これがかなりきついのですが
私の顔が自然とにやついているのが久しぶりに感じられました

どうも
わたしって真剣になると
自然と顔がにやつくのが昔からの癖らしい

「やれるもんならやってみ~!うりゃうりゃ~!」

言いながら
喜んでいるタイプらしいです♪

OTの太田さんに
「もっと真剣に!」
言われてしまいましたが

かなり真剣にやってました
にやにやしながら!

■午前9時にやったリハビリの筋肉痛が14時半現在おきています

先程から座っているだけなのに
何故だか身体が痛い!
筋肉も色んな所がつっている感じ

珍しく電動車イスの背もたれ倒して休んでも居心地が悪い

早い筋肉痛に襲われているらしい
喜ばしいことだ

まだまだ反応する筋肉が眠っているということでしょう
在宅ではもっと自由にもっと使っていない筋肉を
呼び起こせるようなリハビリを
もっともっとやろうと思います

■復活完治を諦めるのはいつでもできます

死ぬまで自分の体が復活するということを諦めたらダメです
病気以外のことでも同じです
完成しないのは本人があきらめるからです

yozame

脊髄損傷四肢麻痺とリハビリ

2012-03-02 13:28:39 | リハビリ
2006年に交通事故で脊髄損傷で四肢麻痺になりましたが

完全麻痺とか不完全麻痺とか曖昧な医者の言葉は全く無視して
いまは眠っている自分の感覚神経や運動神経が甦るように
残された能力をふるに活用して復活を目指します

■残された能力とは

実際の能力以外に
精神力が大切になってくると思います

本人が治らないとあきらめるのは
とても簡単ないつでもできる判断ですが
一旦楽な判断してしまうと人間の体は素直にそれに従うものです

それよりは頭の中で
痛んだか切断された脊髄が回り道してでも復活しようとしている
そんな自分の体内をイメージし続けることによって回復することを手助けします

ですから
■リハビリの基本は完治することを諦めない強い意思です

私の場合事故当初呼吸も出来ないC3・C4状態でした
多少元気になった頃担当の医師が

「yozameさんは本来救急車で病院につれられてくる頃には死んでいるのが普通」

生きていることが不思議だったらしい
そんな程度の判断しか出来ない医師の言葉に従うのはバカらしい
完全と言われようが自分の思うがままのリハビリをして
回復を目指しました

人工呼吸器はずすための訓練は自ら始めたし
座位の訓練で体幹を戻すようにしたり

首から上しか感覚がないと
そんな訓練をしようとは思わないでしょう

■先を見つめてリハビリを決める

起立台にたって呼吸が出来ないようでは
立って歩くこともままならない

歩くことを目指してリハビリですね

■腹筋と深呼吸は一人でできるリハビリですが

肺活量が増えてきたおかげで
痰が一切出なくなりましたし
食べ物吸い込んでも気管支に引っ掛かることがほとんどなくなりました

動かせるところもそうでないところも
諦めることなくリハビリすることにより
復活させることを目指したいですね
バイクで地中海沿岸走り回る日のために♪

yozame
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膀胱瘻と脊髄損傷C3 ・C4障害者

2012-02-12 08:31:26 | リハビリ
わたしが交通事故で脊髄損傷四肢麻痺になって以来色んなことと闘ってきましたが
能登病院の間抜けな5西病棟の看護師たちに強制的に膀胱瘻の手術を勧められたことほど
不快な出来事はありませんでした

■交通事故から半年程度過ぎると症状固定とか診断され

単なる入院だけでは点数が稼げない(儲からない)からといって
看護師がなんの権限があるのか知りませんが盛んに膀胱瘻の手術を
進めてきました

わたしの担当の
浜ちゃんと言われていた浜田看護師
間抜けな高田看護師
くそばばぁ中村看護師

以上の3人が盛んに進めてきます
いわゆる
わたしの脊損は治るわけがないし好転するわけがない
この病院にいたければ売り上げに少しでも貢献しろと言う態度でした

■nekoさんが北海道の話をしらべて絶対に膀胱瘻にしないように強く言ってくれた

おかげで
現在のわたしはオムツで過ごしています
(オムツ自体誇れるものでも何でもありませんが)
カテーテルにしろ膀胱瘻にしろ病院へいって時おり取り替えないといけないものです

看護師たちは
「膀胱瘻は楽でいいよ!その気になったらいつでも戻せるし」
などと
無責任な発言で勧めてきますが
わたしは人工呼吸器つけていて話せない状況でしたので
文句言うこともできずに頭ごなしに絶対膀胱瘻ありきという態度でしたが
かたくなに断り続けました

これ以上身体を切り刻みたくない一心で!

■現在では尿意があると首からおでこにかけてジワリ汗ばみます

わたしの場合顔の左半分だけなのですが汗ばみます
そんなとき深い深呼吸をすると
息を吹き出すときに上手い具合に尿が出やすくなるらしく
最近は何度も深呼吸を続けている間に
フクアツもついてきたらしく痰がからまなくなって来ました

一人でできるリハビリとして
●腹筋と深呼吸を暇に任せてやっていますが

これで両手が動き出せば
何でもこい状態になると思います

■病院や間抜けな看護師に惑わされないように

自分は快復することを信じて
リハビリを続けましょう

yozame

脊髄損傷になってもうすぐ6 年

2012-02-01 07:19:41 | リハビリ
2006年7月7日の交通事故でC3・C4で四肢麻痺になりましたが
この5年で随分身体も心も回復してきました

■怪我した一年目は全く自由がなく看護師に虐待されて悔しかった頃も

ありました。
間抜けな看護師がとんでもないことしてきても
抵抗するすべがありませんでした
なんせ【声さえ出せない状態だったから】です

人工呼吸器にカニュウレイが首についていて
些細なことでもタンにむせていたくらいですから
精神的に生かされているだけの身体という認識でした

なんの抵抗もできない頃
頭の悪い看護師の攻撃は怖いし悔しかったですね

徐々に回復していきますが
自分の身体が岩かコンクリ詰めにされていて
手足がない状態から
痺れてはいるが手足の有るところには
岩の塊ではなく人間の五体が感じられるようになりました

五体が感じられるだけで
随分心にゆとりが生まれたかもしれません

■事故後2年目あたりもまだ精神的には弱かったと思います

ドン底から回復途上ですから
うわべだけは

「心配ない!必ず復活するから!」

私は発言していましたが
一人にされる怖さはあったと思います

事故当初から
nekoさんの支えがあったので
一番酷かった頃を乗り越えられたのかもしれません

今現在でさえ
時おりラモンでもいいかな♪
何てことを時おり想像することもありますが

今は本当に
四肢麻痺ですがそれなりに自由もつかめますし
一般人との会話もできますし
先日は6年ぶりに100万ボルトに出掛けてきましたし
思ったことも多少は叶えられる状態になりました

■身体の感覚も随分戻ってきているので

まずは両手が動くようにさえなれば
残りの人生なんとでも楽しめる気がします

目標は地中海沿岸スペインなどを
ツーリングですから
手だけ動いても喜んでいられませんが

昨日両手が動くようになって
BMWの車を手だけで運転できるように改造して運転してる夢を見てましたね

諦めなくてよかったと言う人生を送るためにも
裁判の結果が待ち遠しいですね

yozame

C3・C4脊損患者の回復具合01

2011-12-03 08:43:10 | リハビリ
2006年7月交通事故で四肢麻痺になってから完全快復を目刺しています
現在障害者支援施設で思ったようなリハビリはできてませんが諦めません

■寝たっきり首だけ人工呼吸器付き人生から

人工呼吸器は半年ではずし
カニューレイは一年でようやく外れ
自己から2年はタンに悩まされるが
深呼吸の練習と体力が戻ってくることによって
肺活量が800ccちかくなると痰もほとんど問題なくなる

規律台の練習は現在週に2回やってますが
週に5回の方が完全に楽です

一年半ほど前から座位の練習始めていますが
始めた頃は本当に首しか動きませんでしたが
徐々に広がりつつあるのが体感できています

■顔しか動かなかったわたしは

胸の乳首の上まで感覚が戻ってきていると思います
脇の下辺りですね

ここ一年の体幹戻すための座位練習のお陰だと思いますが
お腹の上辺りまで体幹戻りつつあるように思えます
リハビリ止めなければ確実に感覚が広がると信じる私です

諦めるのはいつでも諦められますから!

YOZAME